「家庭連合」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●真の父母は、ユダヤ教・基督教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

菅井睦雄氏「本然世界に展開する真の父母様本体論・入門編」読後感想

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聖霊の涙ブログ菅井氏が書いた真の父母様本体論序論は雑霊の書



●はじめに

 『この書は「真の父母様」の啓示にあらず』。これが私の結論であります。

 それどころか、この書は、統一聖殿信徒の心霊を攪乱させ、神様のみ旨を破綻させる雑霊界の悪霊の業であります。これ全編、菅井睦雄氏による独善と妄想の産物にして、神の摂理に逆行する「躓き(つまずき)の石」なのです。

 この書は、読んだ信徒の心霊を高め潔めるどころか、対極の懐疑と背信の渦に投げ込みます。そもそも、この書が「真の父母様」からの啓示であると豪語すること自体、菅井睦雄氏の傲慢と自己顕示欲の証明なのです。


 私は統一聖殿信徒の皆様に、この書の持つ危険と害悪を注意喚起いたします

 

 なぜそのような結論に至ったのか、以下に解説します。

 


第一章    表題に対する疑義「これは菅井本体論」とすべきである

 

 「真の父母様本体論」という表題がすでに、この書の偽りの証明であります。

 本来ならば、「菅井本体論」とするか「新本体論」とするかではないでしょうか。それを、自ら勝手に「真の父母様」の名を借用し、自らの書の正統を主張することなど、通常の信徒の感性であれば、出来ようはずもありません。

 以前菅井氏は、自らのブログで、夜の神様からの啓示を主張しておりましたから、自らをメシヤと勘違いしているのではないでしょうか。

 私はこの書を通読することに、たいへんな忍耐と苦痛を覚えました。結局、最後まで「聖霊」の恩恵を見出す箇所は一行もありませんでした。広漠なる砂漠を歩むとしても、いつかは「オアシス」が出現するかもしれないという一抹の期待を頼りに読み進めましたが、ついに「オアシス」は出現せず、代わりに出現したのは「蟻地獄」です。

 読者を「蟻地獄」に落とし込む地上最悪の書というのが、この書の私の評価です。

 


第二章    菅井氏が「真の父母様の啓示の書」と言わざるを得ない理由

 真の御父母様の御言や、二代王様の御言の引用は、神の真理を証明する目的ではなく、ただ単に、自らの「独善理論」を繋ぎ合わせるための道具に利用しているに過ぎません。

 前回の著書では、江利川会長の指導の基に出版された経緯を了解しておりましたから、その中に何点かの学ぶべき恩恵があったことも事実です。しかしながら、今回の書には、その欠片(かけら)すら見出すことができませんでした。

 そもそも、夜の神様の聖誕を、菅井氏から学びたいと欲する信徒がいるのでしょうか。この書の出版が、神様のみ旨を推進することに繋がっているのでしょうか。私はたいへん疑問に思います。

 書の内容で、信徒に恩恵を与えられない菅井氏は、やむなく、この書の意義をつなぎ止めるために、「真の父母様の啓示の書」という権威にすがらざるを得なかった訳です。


第三章    伝道推進の躓きとなる「あまりに稚拙で幼稚な書

 この書は、論文の形式を成しておりません。起承転結もなければ、いくら読み進めても、結論が明示されません。各章読了後に、著者が何をいいたかったのか、全く心に残りません。

 「霊界システム」を始めとする、「心的エナジー」「現象エナジー」「四大心情圏成就システム」とつぎつぎに登場する「菅井造語」を読み解くためには、「菅井事典」を自ら作成していただく必要があります。

 真の父母様や二代王様の御言を自分勝手に解釈流用し、お父様が定めた八大教材教本の一冊、原理講論の価値を否定するなど、身の程知らずの言動に、開いた口が塞がりません。

 この書では、1000円の価値がないばかりか、菅井氏から1000円頂いたとしても、だれも読む価値のない書であると確信します。

 


第四章 この書は統一聖殿信徒の出版物として「正規の手順」を経ていない

 この書は、統一聖殿の公式的な書ではなく、菅井氏個人名で出版された書籍であります。しかしながら、菅井氏が統一聖殿信徒であるということは、公知の事実でありまして、家庭連合信徒、三男派信徒が注目している菅井ブログで書籍を世界に宣伝し拡散している事実からしても、統一聖殿の日本大陸会長許可をいただくべきものであることは、明白であります。

 私は、会長に直接確認したことはございませんが、前後の事情から推察するに、今回の本の場合、会長による出版前の事前確認は得ていないと考えています。

 また、菅井氏が「真の父母様啓示の書」の出現を宣伝し、信徒を最終的に教育すべき公器である「原理本体論」を自ら執筆すると豪語している訳ですから、事の重大性に鑑み、渡米し二代王様に直接、自らの立場を説明し、「原理本体論」執筆許可を頂くべきであると考えます。

 菅井氏は、昨年の「鉄の杖フェスティバル」に参加していないのみならず、二代王様の意向を伺う行動を起こしているとは思えません。これはどういう事でしょうか。

 

●結論

 この書は「真の父母様の啓示の書」どころか、雑霊界の悪霊によって書かされた無用の書である。

 

いのり。

7回連続その7「聖霊の涙」菅井ブログ・絶対廃刊しなければならない7つの理由

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「勝手に自由連合」の広報誌になった「聖霊の涙」菅井ブログ


 

文責:川原德昭(かわはらのりあき)

 

●第七の理由:「聖霊の涙」菅井ブログは、結果的に「勝手に自由連合」広報誌になっております。これは日本のミクロの中心である江利川総会長に反旗を翻し、日本の摂理的使命を破壊せんとする悪霊の業に他なりません。

 


●●はじめに

「勝手に自由連合」の皆様が、「聖霊の涙」菅井ブログの応援団であることは、この連載その1の「コメント欄応答記録」に記載されていない、「その他支援者のコメント一覧表」から明らかです。(*後ほど機会が来ましたら公開させていただきます。)

 

 今回の最終回は、菅井氏の背後で応援団として支援する「勝手に自由連合」の真実の姿を検証したいと思います。そして、結果的にその広報誌に堕落してしまった「聖霊の涙」菅井ブログが、如何に日本の摂理的使命完遂に真逆の悪霊の業であるかを立証したいと思います。

 


●●第一章
「勝手に自由連合」の皆様の真実の姿

 

私は今回、「勝手に自由連合」の皆様からの矢を受けることをいとわず、真実を公開したいと思います。現実を直視するところから、はじめて、地平線から登ってくる太陽の光を分かち合えるものと信じるからです。

 

●私は「韓国聖殿」所属、私は「米国本部」所属というわがまま。

実際の活動拠点はあきらかに日本であるにもかかわらず、「私は韓国聖殿所属です。」「私は米国サンクチュアリ教会本部所属です。」・・。と公言してはばからない教会長が何人かおります。

本来このような立場の教会長は、自ら帰属した国の大陸会長に絶対的な忠誠忠孝をつくし、その国で骨を埋める覚悟で、自分の所属を決定したのだと推察します。

当然、日本本部にとやかく意見をする立場でも、意見をする権利すらない。ところが、あにはからんや、このような教会長にかぎって、日本本部に言いたい放題、罵詈雑言を浴びせかけます。

発言に対しての責任も最終的に、「所属が違いますから・・」と、おとりにならない。
根本的に、自らの出処進退をわきまえよ!。ここが、すべての出発点ではありませんか。私はこのように苦言を呈したいと思います。

 

●自らの「所属信徒名簿」を絶対登録しない教会長

かつて、日本サンクチュアリ協会所属でありながら、絶対に自らの所属「信徒名簿」を登録されない(公開しない)大教会の教会長がおりました。

自分の所属教会信徒に対しては、「直接連絡はするな。」「何も干渉するな。」と本部に対して厳しい態度で強圧的。ところが、本部の運営に対しては、どこよりも熱心に意見をいってきます。

また、そもそも論として、「米国教会では信徒名簿の管理をしていないようだ。それが二代王様が語られる天の伝統なのである。」と堂々と主張する方々がおられます。

これが、ほんとうに、未来永劫不変の天の伝統であるのかどうか。私は疑問に思います。

私はこのような論陣を張る方にいいたいと思います。

「あなたが、本部で仕事をしてみてください。一万人の信徒管理を、あなたは信徒名簿なしに、どうのように管理運営をするのでしょうか?」

 


●十一条献金を本部にしない教会長

「十一条献金」は、旧約聖書にも記載があるとおり、天の伝統であり義務であります。天一国に所属する課税であり、天の「税金」であると考えて間違いないと思います。

ところが、「天の税金を納めない」教会長が実際に存在します。
所属信徒の献金の「十一条」を捧げてあげなければ、天に繋がらないのではないでしょうか。

日本本部に捧げずに、その献金は、直接米国本部にいってしまったのでしょうか?

日本本部には、会計の公開を要求するのならば、自らの教会会計は信徒に報告しているのでしょうか?

謎は深まるばかりであります。

 

サンクチュアリ協会所属信徒を熱心に伝道する教会長

「家庭連合(天の父母様聖会)信徒」「三男派信徒」を熱心に伝道するのなら、素晴らしいことです。

ところが、「日本サンクチュアリ協会」所属信徒を熱心に自分の教会に「伝道する」教会長がおります。

おなじ「伝道」は「伝道」ですが、このような「伝道」を神様は喜ばれるのかどうか・・。

伝道熱心な教会長が、かならず「新規入会信徒」に教育する「ひとこと」があります。

 

「十一条献金はかならず、私の教会に捧げてください。義務ですから」。

 

 

●●第二章
「メシヤを迎えるための基台」は二代王時代に消滅したのか。

 

●「メシヤを迎えるための基台」の公式とは何か

『原理講論』の復帰原理、基本中の基本は、「堕落人間が如何にメシヤを迎えるか」という根本命題に尽きると断言しても過言ではございません。

そしてその基本公式は
「メシヤを迎えるための基台」=「信仰基台」+「実体基台」であります。

「実体基台」は別名「堕落性を脱ぐための蕩減条件」であります。

「信仰基台」を天の前に立てた「アベル」に「カイン」が侍り一つとなる。
これは、日本本部でいえば、「信仰基台」をお立てになった「江利川安栄総会長」の前に、信徒が「カイン」として侍り一つとなることを意味します。

 

●二代王様は直接自分につながりなさい
とおっしゃたではないか、という主張。

いやいや、だけど二代王様は「目の前のアベルに侍ることができない場合には、私に直接つながりなさい。」と言っているではないかと主張する信徒がおります。

これに対する私の解釈は以下となります。

目の前のアベルが、天の前に「アベル」としての「信仰基台」を明らかに確立していない場合、一時避難場所として「私のもとに来なさい」とおっしゃておられると解釈します。

しかし、「アベル」が信仰基台を確立しているにもかかわらず、その「アベル」を無視し「二代王様」に直接侍ればすべてが解決するという原理は、どこにも存在しない。

端的に申し上げますと、その人は実は「蕩減復帰」の道を歩んでおらない。
このように結論づけることができると思います。

 

●「メシヤを迎えるための基台」は永遠不滅の原理

「メシヤを迎えるための基台」=「信仰基台」+「実体基台」
は、今も厳然と貫徹している、再臨主が探し出した「永遠不滅の原理」に他なりません。

 

「中心性と一体化の原則」は、いつの時代でも勝利の要諦なのです。

 


●●第三章
江利川安栄総会長の二代王様に対する絶対的忠孝と
総会長後継問題。

 

●二代王様の世界会長時代から直接侍ってこられた総会長

家庭連合時代の日本幹部の中で、唯一人、文亨進世界会長、文國進財団理事長に、韓国において直接侍られ、絶対的な忠誠忠孝をつくされてこられた方であります。

しかし、これだけではないのです。

江利川安栄総会長は、その後「独生女論」で、女性メシヤとして「家庭連合(天の父母様聖会)」に君臨することとなる、韓鶴子女史にも、もっとも心情的に近い日本幹部であったと断言できます。

1990年代の「母(女性)の使命時代」に、女性指導者訪韓摂理の責任をとられたのは、江利川安栄会長であった一事からも明らかであります。

 

●総会長が真っ先に来なかったと言う批判の間違い

しかし、「江利川安栄会長は、二代王様の米国ペンシルベニヤ(荒野)からの呼びかけに対し、真っ先に来なかったではないか」という、うがった考え方を表明する教会長もおります。

私は、江利川総会長の、二代王様、文國進監察総監様に対する、終始一貫かわらぬ忠誠忠孝をみじんもうたがっておりません。

考えてもみてください。
日本の最高幹部の中で、韓鶴子女史にいつでも面談が可能で、文亨進世界会長(当時)にも心情的に完全に通じている人物。
これは天の配剤にほかなりません。

さらに、両者の和合と一体化を実現することが可能な位置にいた唯一の人物。
これは江利川総会長以外に見当たらないのであります。

両者の和合と一体化のために熟慮模索し選択したのが、当時の勝共連合共同会長のポストからの出発でありました。
(私も当時、勝共連合事務局長でありましたから、その間の事情をよく理解しております)

 

●日本に総会長を与えた神に感謝します。

現在、私は総会長に直接間近で侍る位置で信仰生活をしております。
その立場で申し上げることは、

江利川総会長が、「公正無私」の方であること。

何事においても率先垂範「精誠」「精誠」「精誠」を尽くされる方であるという事実です。

そして、なによりも、教会運営と政治情勢(勝共)の両方に精通した指導者は、なかなかいるものではありません。

私は、日本にこのように素晴らしい指導者をお与えになった神様に心より感謝いたいします。

 

●総会長後継問題に対する考察

「勝手に自由連合」所属教会長の中に、私に「江利川総会長後継問題」をやかましく言ってくる方がおります。

天の人事は神が定めるもの。実際的には二代王様が定められるものであります。

その事をふまえた上で、ひと言私見を申し述べます。

モーセ路程でお分かりのとおり、カナンの地に入ることが許された指導者は、ヨシュアとカレブだけでした。モーセも入れませんでした。ましてや、不平不満の民、イスラエル民族は全員荒野で朽ち果てました。

 

原理的に見まして、荒野路程を終え、ヨシュアとカレブをささえ新天新地で天一国を創建していける資格があるのは、二世圏、三世圏の指導者のみ。

 

というのが、わたしの最終的見解であります。

 


●●第四章
「聖殿信徒協約」廃止論

聖霊の涙」菅井ブログでも、「聖殿信徒協約」は、悪の根源であり、絶対廃止されねばならない悪の親玉と指摘されております。これは果たして真実でしょうか。

 

●協約は「退会条項」のため作成されたのではない。

まず最初に、ひとつ誤解を解かねばならないのは、「聖殿信徒協約」は、決して一部の反対信徒(具体的には生田さんを指す)を封じ込める「退会条項」成立のため、急遽作成されたものではないとい事実です。

これは、当時、江利川総会長中心の「救命ボート」体制に綻びが見え始め、サンクチュアリ協会が、家庭連合(天の父母様聖会)の対抗軸の「真実の選民圏」として、「烏合の衆」から強固な組織体制を備えるために、有志が協議して準備したものであります。

 

●協約は「天一憲法違反?」「二代王様の意向に反する?」

また、「天一憲法に反している」とか「二代王様の了承を得ていない」などの批判は、荒唐無稽な批判のための批判です。

天一憲法」は天一国の土台が「法治」であることを、明確に示しており、教会法としての「聖殿信徒協約」を否定する要素はないからです。

更に、「聖殿信徒協約」制定の過程は、すべて大陸会長会議での報告事項です。二代王様の意向に反したものであるという批判は間違いです。

 

●最終的な争点は「公文主義か?」「評議会か?」

家庭連合(天の父母様聖会)は「公文主義」で統治体制を確立していると理解できます。
この「公文主義」は、トップダウン一方通行の指示体制であり、大雑把にいいまして「絶対王制」の統治システムと理解できると思います。(金王朝もそうですね。)

真の父母様が地上に臨在されておられた時代は、これで良かったのだと思います。

 

問題は、これからの時代であります。

最初に、規約文書の撤廃の主張は問題外。

千人以上の組織団体で、規約なしで運営している例を私は知りません。
争点は、「評議会」で良いのかどうか。

 

私は、遠くない将来、二代王様が見解を示していただけると信じます。

 


●●第五章
「戻る祝福」期限以降の復帰信徒は指導者になれないという主張

 

●「聖霊の涙」菅井ブログのコメント欄での菅井氏の主張

以下引用
5.
>川原德昭さん
宮城に教会長はいません。代表です。言った方は忘れてしまい、言われた方は覚えているという典型ではないでしょうか。
真実を突かれて、思わず違う真実を白状してしまいましたね。サンクチュアリ協会に遅れて来て、まだ、サンクチュアリ協会の状況を把握せぬうちから、「信仰生活講座」をやらせてほしいと願い出るとは、自分をどれほどの者とおもっているのでしょうか。
二代王様は2016年2月13日以降に来た食口が、上位のほうに用いてはいけないと言われました。その意味が、分かりますか。先に来ていた食口においては、心霊の神性を感知する能力が、全く違うのです
川原さんが知的や意的に優れていて、理論展開が出来たとしても、最終的に行動を神様と相対できるように導く心情の動機に、圧倒的な違いが出るのです
霊的な次元があなたより、高い食口を相手に、「信仰生活講座」をやらせてくれとは、全くお門違いな話です。あなたより、み言を語れず、聖句を引用できず、あまり人前では語ることの出来ない東北の人間でも、神霊に対する相対基準は、川原さんより圧倒的に高いのです
諸星くると2021-08-28 12:01:50

引用おわり

 

まったく、読むのもいやになる、恐ろしい文書です。

 

 

●「2016年2月13日以降」復帰信徒は指導者になれないという主張

私が日本サンクチュアリ協会で「戻る祝福」を受けたのは、2017年12月です。
あきらかに、菅井氏が主張する「戻る祝福」期限に間に合っておりません。

実際、私たち夫婦は、聖別期間ののちに、「三日儀式」も当然ながら行ないました。

 

私に、この問題を語ってきた「サンクチュアリ協会先輩家庭」は一人や二人ではありません。

『二代王様はこのように語られた。だからあなたは指導者にはなれない。』

『期限に間に合わずに復帰されたものが、何を偉そうに主張しているのか。』

 


●江利川会長に二代王様に真意を尋ねてもらうよう要請

私は、おおくの信徒の方々の貴い「戒め」に耐えかね、江利川総会長にお願いしました。

二代王様が語ったとされる、「期限以降に来た信徒を指導者にしてはいけない」というみ言の真意はどこにあるのでしょうか? 

と、大陸会長会議で尋ねていただけないでしょうか。

 

総会長の回答は以下のようなものでした。
1)私は、ばかばかしくて、二代王様に尋ねることはできません。
2)現在いる信徒達に、自覚と責任をもって進むように諭したみ言です。
3)「先のものは後になり、後の者は先になる」という聖書の聖句がすべてです。

 

 

●●第六章
「家庭連合(天の父母様聖会)」信徒救済不要論

 

私は、サンクチュアリ協会に入会し驚いたことがございます。

「家庭連合(天の父母様聖会)信徒は、自ら悔い改めて、三代王権に侍らなければならない者たちである。こちらから積極的に働きかけて、伝道するような筋合いではない」
このように主張する信徒が、少なからず存在することです。

 

そうなのでしょうか?
それが、二代王様や真の御父母様のみこころなのでしょうか?

 

今回の「成約時代の摂理的同時性」小冊子発行問題においても、すくなからず、「家庭連合」信徒救済目的のための小冊子なんか必要ない!。と叫んでいた信徒がいたことがたいへん気がかりです。

 

聖書に登場する息子達をイエス様の右大臣・左大臣にしていただくよう懇願した母親のように、自分たちだけが、恵みを独占できればそれでいいのでしょうか。

 

神様は、そのように器量の狭い神様なのでしょうか?

 

 

●●第七章
「成約時代の摂理的同時性」廃止論

 

●「聖霊の涙」菅井ブログの主張は「空振り三振」

聖霊の涙」菅井ブログを急先鋒に、『成約時代の摂理的同時性』小冊子批判が、LINE等で展開されましたが、結論から申しますと、まったくの「空振り三振」に終わりました。

また、なにより問題にすべきなのは、そもそも『成約時代の摂理的同時性』小冊子を読まずに、菅井ブログの指摘を真に受けて、ヒステリックに叫び出す婦人信徒が多数いたことです。

これは、執筆者に対して、たいへん失礼かつ非礼な行いです。

 

●再臨主の十字架問題

一例をいいますと、「再臨主の十字架問題」を提起する方がおります。
アボニムは、自ら定め望まれて、勝利者として「聖和」の道を行かれた。
したがって、「十字架の道ではない」という主張ですね。

一方、韓鶴子女史の反逆と祝福信徒の責任未完遂により、アバニムは十字架の道を行かれたという解説です。(「成約時代の摂理的同時性」ではこの立場を強調します)

これには以下のような根拠がございます。

1)韓鶴子女史が摂理的反逆をしたことは事実
2)祝福家庭が氏族メシヤを勝利できなかったことも事実
3)アボニムは104歳まで生きるというみ言もある
4)「ヨハネの黙示録」には「十字架」という記述がある

 

結論として、私はどちらも正しいと思います。
同じ事実を両面から解釈しているに過ぎないのだと思います。

相手の主張を間違いと断定することこそが、間違いなのではないでしょうか。

 

●著者名に「世界平和統一聖殿日本本部」がある事に問題があるのか

結論からして、これはまったく問題がございません。
それは次の理由からです。

 

1)それぞれの国で出版される信仰書等の出版物は、大陸会長の権限で出版してよいことを、二代王様が大陸会長会議で明言されていること。
2)伝道目的の小冊子において、著者名記載のきまりなどは存在しないと理解できること。
3)批判の急先鋒であった、N氏自身、自らの小冊子出版にさいし、江利川総会長に事前許可をとることなく、「日本サンクチュアリ教会」名を使用した小冊子出版の前例があること。

 


●「韓鶴子女史自叙伝」の「成約摂理史観」を正す

『成約時代の摂理的同時性』小冊子出版の目的は、「韓鶴子女史の自叙伝」出版によって完全にゆがめられてしまった「成約摂理史観」を正す、「正統摂理史観」を確立することを最大の目的に、行われたものです。

もちろん、その延長線上に、「家庭連合(天の父母様聖会)」信徒の伝道があります。

私たちは、積極的に「家庭連合(天の父母様聖会)」信徒救済のために、精誠を尽くさなければならないと信じます。

 


●『成約時代の摂理的同時性』批判者は対案を示してほしい

『成約時代の摂理的同時性』小冊子批判で見苦しいのは、「反対のための反対」に終始し、相手を批判中傷した挙げ句、二代王様の摂理と真逆の反逆者の烙印をおそうとする者たちがいることです。

そのような批判者は、「韓鶴子女史自叙伝」の誤った「成約摂理史観」を正さなくていいのでしょうか?

 

「あなたの対論はございますか?」
私は是非ともこのように尋ねてみたいと思います。

 


●●おわりに

7回連続で『「聖霊の涙」菅井ブログ・絶対廃刊しなければならない7つの理由』を配信しました。

今回がその最終回です。

連載冒頭申し上げましたとおり、この配信内容(主張)は、あくまでも私、川原德昭(かわはらのりあき)の個人的見解であります。

 

結論として「聖霊の涙」菅井ブログ は、統一聖殿信徒にとりまして「百害あって一利なし」の無用の産物であります。

 

これは、菅井氏が蛮勇を奮いまして、自ら廃刊の道を進むことを強くお奨めいたします。

 

私は、菅井氏が自らの天職と自認している「菅井本体論」の完成をいそぎ、公に発刊することを望みます。

「菅井本体論」が天からのものであり、公益に資するものであれば、私は素直に祝福申し上げます。

しかし、地からのもので、信徒の心霊混乱の基となるものであれば、私は断然破棄を勧告させていただきたいと思います。

 

菅井氏が本来の道に戻られ、神様の限りない祝福と加護あらんことを祈ります。

 

以上。いのり。

●追伸

なにかと話題になっている「天使問題」ですが
中村仁史氏が、アボニムのみ言を根拠に明快な答えを出しております。
ぜひ学んでみてください。いのり。

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7回連続その6「聖霊の涙」菅井ブログ・絶対廃刊しなければならない7つの理由

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菅井氏の主張する「内外の革命」の正体は「フランス革命」の惨状である


 

文責:川原德昭(かわはらのりあき)


●第六の理由:菅井氏の「内外の革命」宣言は、代案を示さない破壊主義、引き下げ平等主義、無神論よりも罪深い「偶像崇拝の神」を奉じる「共産暴力革命」である。

 


●●はじめに

 

菅井氏が「内外の革命」宣言をしていることは、周知の事実です。
そして開戦の口実として周到に準備してきたのが、「成約時代の摂理的同時性」小冊子批判です。(*結果的にこの批判は、まったくの「空振り三振」に終わりました。)

菅井氏の盟友は、N氏であり、二人が二人三脚でこの「内外の革命」を推進してきました。

そして、この二人を支援する影の勢力がおります。
「聖殿氏族メシヤ連絡会」の四人の発起人をはじめとする、『勝手に自由連合』の皆様です。

 

●8月22日の菅井氏のコメント(「内外の革命」宣言
>川原徳昭さん
昨日、返答したのと同じコメントですね。
今年3月に、ズームではありますが、面と向かって川原さんに外と内から革命を始めると宣言しました。
日本サンクチュアリ協会をここまで落としてしまった張本人・川原さんへの宣戦布告でした。私と対峙することは、夜の神様と向き合うことと理解してください。
諸星くると2021-08-22 06:46:57  

 

●イギリス「名誉革命」(アベル型)とフランス革命(カイン型)

 

ここに一冊の古典的名著があります。
イギリス人のエドマンド・パーク氏による『フランス革命省察』(PHP研究所)です。
今回、「保守の父」の名著を手がかりに、菅井氏の「内外革命」宣言が、アベル型の「保守革命」とは真逆の「カイン型共産革命」である事を立証します。

 


●●第一章
「保守の父」による「名誉革命」と「フランス革命」の分析

「保守の父」エドマンド・パーク氏による「名誉革命」と「フランス革命」の対比分析は以下のようになります。

 

●イギリス「名誉革命

指導理念キリスト教理念(プロテスタント
宗教観:宗教的価値観は第一に重んじられなければならない。
平等観:高貴な者は重んじられなければならない。
革命観:先祖からの良き伝統は継承保存し、悪しき政治は改善案を明示し討論の中で改善する。

 

フランス革命

指導理念啓蒙主義的「無神論」とユダヤ金融資本(フリーメーソン
宗教観キリスト教(既存宗教)は破壊されねばならない
(*カトリックの資産は国が没収し、僧侶は国からの給与支給とした)
平等観:引き下げ平等主義(物質的平等主義)
革命観:改善案の提示なき現在の支配勢力の徹底的な破壊。(行き当たりばったり主義)
到達点:派閥間のゲバルトの応酬(断頭台)の挙げ句、軍政になる(ナポレオンの登場)*共産主義の政治統治の本質は軍政である。

 


●●第二章
菅井氏の「内外の革命」宣言の実態

上記エドマンド・パーク氏にならい、菅井氏「内外の革命」宣言を分析します。

 

●指導理念(「菅井本体論」)

「菅井本体論」を菅井氏は執筆中のようです。
菅井氏は「劉正玉氏本体論」を、過去の実績と信仰的な精誠を考慮することもせずに、徹底的に批判しこき下ろしました。

 

●宗教観:(「夜の神様の啓示」)

これは、共産主義の「無神論」よりもたちが悪いです。
「夜の神様の啓示」とは菅井氏の創り出した「偶像礼拝の神」に他ならないからです。
結論として「夜の神様の啓示」は、「独生女論」と同じ、「神性冒涜の罪」です。

 

●平等観:(戻る祝福の期限に間に合わなかった者への断罪)

⇒戻る祝福に間に合わなかった者は、指導者になれない。
⇒家庭連合(天の父母様聖会)は、こちらから救済する必要なし。

 

●革命観:(総会長批判による体制転覆)

⇒改善案を示さない「行き当たりばったり主義」
⇒評議会で、永田氏は「聖殿信徒協約」の廃止を訴えました。
代案を求められたことに対し、永田氏は、とにかく「廃止」優先、その後協議すればよいと答えました。
永田氏の提案は、自ら対案を示す責任を放棄した「体制破壊主義」です。

 

●到達点:(「勝手に自由連合」無政府統治)

⇒「勝手に自由連合」に真の指導者はおりません。
⇒もし菅井氏の「内外の革命」が成功すれば、「日本の摂理的使命」は崩壊するでしょう。

 


●●おわりに

・菅井氏の「内外の革命」宣言とは、かくも悲惨惨憺たる代物なのです。

・ところが、サンクチュアリ教会信徒の中には、盲信する「諸星くると教団」信徒が存在するようです。

・菅井氏の主張する「夜の神様の啓示」の本質を見抜き、神様の願われる正統信仰回帰の道を進まれることを祈念するばかりです。

 

以上

 

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