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「異端と分派の境界線・福音書が4つある謎」
(「家庭連合からの生還」12回連載のその3)
●はじめに
私が「退会届」を提出する直前40日間の魂遍歴の記録。洪蘭淑様の著書を読み、カトリック教会の教義書「カテキズム」を検証した私は、家庭連合から「分派」や「異端」と呼ばれている諸団体の真偽を確かめるため、発行されている資料や動画を検証することにしました。今回は、具体的な検証の旅にでる前に、「分派」「異端」とは何かを考えてみようと思います。
●四つの福音書が登場した理由
皆さんは「マルコによる福音書」が「分派」によって編纂(へんさん)された文書だったと知っていたでしょうか。
四福音書の中で最初に編纂された「マルコよる福音書」は、AD40年代頃の成立といわれており、ギリシャ語で書かれています。
実はこの文書は、当時「分派」扱いだった「異邦人教会(ヘレニスト教会)」に所属する人物により、主流派のエルサレム教会(ペテロと主の兄弟ヤコブ中心)への痛烈な批判を込めて書かれた文書でした。
一例を言えば、イエス様がペテロに向かって「サタンよ引き下がれ」と叫んだ記述や、イエス様が裁判を受け屈辱を受ける中、大祭司の中庭で三度知らないとイエス様を否定した記述など、主流派が編纂したと仮定すれば、絶対挿入せず隠蔽するであろう例話が多くちりばめられています。(もちろん、福音書自体は使徒の口述を忠実に文書化したものです。)
そして、四つの福音書は、すべて「分派」と呼ばれる「異邦人教会」が、それぞれのグループの主張を込めて、別々の意図を込めて編纂した文書だったのです。
●パウロが指導した「異邦人教会」が主流派に
その後の歴史が証明するように、十二使徒の権威と主の兄弟ヤコブが率いていた「エルサレム教会」はAD70年のユダヤ戦争の勃発で、エルサレムがローマに制圧されると共に消滅してしまいます。
その後、主流派からは「分派」の扱いでしかなかったパウロが創設した「異邦人教会」に神様の摂理の基軸は移され、ローマ帝国領内を中心に布教を進め、ついに主流派に転じます。
●AD150年頃マルキオンが新約聖書を編纂。
AD150年頃マルキオンという人物(この人物も主流派ではない)により、「新約聖書」の原型が編纂されます。
ただし、この「新約聖書」は、イエスという人物が十字架で殺害され、その後復活した話(福音書)と、使徒達の活動記録(使徒行伝)、及びその手紙(書簡集)から編集されていました。
問題は、基督教の前提となるユダヤ教文化をほとんどの人が知らない事で、福音書に書かれているイエスの姿は、受け入れがたいカルト教団の教主としか認識されませんでした。
実際、ローマ帝国の指導者から「基督教」が受け入れられる事はなく、激しい迫害にさらされました。
●313年基督教公認。最大の勝因は「聖書」に
「ユダヤ聖典」を合本したこと。
ところが、転機が訪れます。AD300年前後に、当時の基督教主流派が、それまで「分派」が編纂した「新約聖書」を公認。
こともあろうに、それまで決定的に対立関係にあったユダヤ教の「ユダヤ経典」を勝手に拝借、合本して「聖書」が成立します。(実際は、ユダヤ教側との裏取り引きがあったと言われています)
ここに至ってはじめて、人類歴史(神の選民史)の中で準備されたメシアである「イエスキリスト」の正当性を立証する「歴史観」が整い、理論的な思考を好む「ローマ文明圏」の人々も納得することができたのです。
まさしく、「ユダヤ経典(旧約聖書)」の力を借りてこそ、イエス様は「メシア」として公認されることが可能になった訳です。そして、この神の書「聖書」の成立と権威によって、「基督教」はローマ帝国で市民権を獲得することに成功(公認)しました。
同時にこの「聖書」の成立で、基督教徒は、「自分たちこそ、神様の摂理の中核となる、正統なユダヤ教徒の中のユダヤ教徒、選民の中の選民である」と誇りを取り戻すことが出来たのです。
●「天聖経」「平和経」「父母経」で
世界から公認される事はあり得ない。
それでは、新約聖書の編纂の歴史を、現代の成約時代に置き換え検討してみたいと思います。
結論から申しまして、家庭連合の「三冊の基本経典(改竄本)」をいくら熱心に布教したところで、内部啓蒙書にはなり得ても、「家庭連合」が世界から公認される「聖典」とはなり得ません。
これは、基督教の聖典編纂の歴史が証明しております。
基督教がAD150年に、マルキオンが「新約聖書」を編纂しても、それだけでは、ローマ帝国から相手にされる事はありませんでした。
なにが根本的に足りないのでしょうか。
●基督教は「ユダヤ経典」を聖典に公認。
「家庭連合」は「聖書」を聖典に公認するしかない。
それでは、どうすれば、世界から「家庭連合」が公認される道があるでしょうか。
答えは、基督教が「ユダヤ経典」を聖典に公認したように、「家庭連合」が基督教の聖典「聖書」を自らの「聖典」と公認するしか道はありません。
これは、アボジが教えてくれた「聖書観に基づく原理」の原点に返ることを意味します。
同時に、基督教の聖典「聖書」の成約解説書である「原理講論」を「家庭連合」の聖典の位置に戻す事を意味します。
同時に、「家庭連合」は、「自分たちこそ、神様の摂理の中核となる、正統な基督教徒の中の基督教徒、選民の中の選民である」と誇りを取り戻すことが出来なければなりません。
●おわりに
結論を述べます。
私の「分派」の定義は、文鮮明総裁(アボジ)を再臨主と信じ、共通の「聖典」を持ち(ここでは「原理講論」のこと)いつでも「主流派」になり得る存在。
私の「異端」の定義は、文鮮明総裁(アボジ)を再臨主と認めず、「原理講論」を聖典と認めないこと。
第3回目 おわり
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以上