「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(06) 第2巻「真の父母」 第2章 メシヤと「真の父母」

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第二章 メシアと「真の父母」

1)歴史と「真の父母」

2)メシヤは「真の父母」

3)イエス様と「真の父母」

4)再臨と「真の父母」

 


1)歴史と「真の父母」

 ① 堕落と「真の父母」

 

 今日、我々が暮らすこの世界に、真の父母を迎えましたが、この地には真の父母の息子、娘だけが暮らしているのではなく、堕落した父母の息子、娘も暮らしています。本来は、真の父母の血肉を通して神様の愛する息子、娘になるはずだったのが、堕落によって堕落した息子、娘になってしまいました。それで、我々人類始祖が過ったことを解怨成就してあげるために、再び来られる父母が再臨主であり、救世主というものです。
 その方が来られたならば、前もって生んでおいた長子を復帰しなければなりません。その長子が庶子のようになりました。血筋が変わりました。本然の愛を通して神様の血統を受け継ぐべきでしたが、堕落することによって他の血筋を受け継ぎました。だからといって、神様は捨てることができません。
 これは、庶子のようです。野生のオリーブの木です。この野生のオリーブの木の畑を悪魔が支配するので、神様が野生のオリーブの木を自分の所有にしなければいけないのです。これを強制的に強奪するのではありません。銃剣でするのではありません。自然屈服できる環境を中心として、冷遇されて打たれ、一つずつ奪ってくるのです。
 今日キリスト教が世界的な版図を成すまで、どれほど犠牲の代価を払ったか知れません。殉教の祭壇に絶えず犠牲になった悲惨な祭物の悲鳴が、地球上に響き渡らなかった所がない、そのような歴史を経てきたのです。
 その血の祭壇が連続し、今日、目前にまで到達した歴史的な恨がもつれているということを知るべきです。これを受け継いで解怨すべき厳粛な歴史的な課題を抱いている我々は、神様を解放し、キリスト教を再度解放しなければなりません。(210-360,1990.12.27)

 

 堕落が何でしょうか。悪魔の偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統が蒔かれたものです。人には愛があります。生命があります。先祖から受け継いだ血筋があります。それで、一人の人は、歴史の初めの先祖から受け継いだ愛の結実であり、生命の結実であり、血統の結実だというのです。それが何かというと、サタンの愛と、サタンの生命と、サタンの血を受けた、神様の怨讐になり得る立場にあるものだということです。これを払いのけて脱ぎ捨てなければ、地上に平和はやって来ないのです。
 それで、レバレンド・ムーンが真の父母の理想を持って出てきたのです。真の父母は何をするのですか。この偽りの愛をきれいに清算して、個人、家庭、氏族、民族、国家が分立し得るよう、平和と反対となる悪魔の要素をきれいに清算するために闘争しているのです。(217-185,1991.5.27)

 

 ②歴史の願い

 

 我々統一教会では、「真の父母」という言葉を使っているのです。皆さんが今、この堕落した世界の歴史について見るとき、この世界には堕落した父母が生まれた、堕落した父母が生まれて堕落した世界を成した、ということが分かるでしょう。
 この世界は、どんな世界でしょうか。堕落した父母と因縁づけられた世界であって、真の父母と神様が理想とした本然の世界とは、関係のない世界です。それゆえ、長い人類歴史を経てきながら、この世に多くの人たちが生きては死にましたが、彼らの中で、幸福を謳歌しながら「ああ、私は人間として生まれて幸せで、人間としてすべての面において成功した一人だった」と、宇宙の前に誇って生きていった人は一人もいないのです。
 それで、「人間の歴史は苦海と同じだ、悲哀の歴史だ、戦争の歴史だ、疾病の歴史だ」と言うのです。なぜこのようになったのかというと、堕落の結果によって、このようになったのです。
 人類の希望とは何でしょうか。人間がどのように完成した人になるかということです。神がいるならその神の前に、完全な絶対者がいるならその絶対者の前に、完全であり得る人をどこで探し、どこで成すかということです。それで、今まで哲学を通じて、宗教を通じて、人間たちはそれを探しに探しましたが、その解決点を誰も見いだせず、今はすべて放棄した状態に至ったのです。それが現世の人間の立場だというのです。(137-81,1985.12.24)

 

 今まで人間たちの歴史的な願いとは何だったかというと、真の父母に侍ることでした。真の父母を迎えることでした。神様がイスラエルの国とユダヤ教を立てられたのは、メシアを迎えるためでした。メシアとは誰かというと、真の父母です。
 また、キリスト教キリスト教文化圏をつくったのは、再臨主を迎えるためでした。再臨主とは誰かというと、第三次アダムとして来られる真の父母です。
 真の父母が来られる時になれば、世界のすべての国家が兄弟の因縁をもつので、第二次世界大戦後に、戦勝国家が敗戦国家をすべて解放させるということが起こったのです。そのような非正常的な歴史的現象が起こってきたのです。
 歴史が願いつつ訪ねきたことは何かというと、真の父母に出会うことです。宗教が出てきたのも真の父母に出会うためです。世界が出てきたのも真の父母を探すため、国が出てきたのも真の父母を探すためです。真の父母の道を備えるために出てきたのです。(51-354,1971.12.5)

 

  ③歴史と「真の父母」

 

 今まで宗教は何をしてきましたか。真なる息子一人をつくるための努力をしてきたのです。神様は、真なる息子一人をお探しになるために、今まで苦労されたのです。それゆえ、宗教の教祖たちの中には女性がいません。宗教の教祖はみな男性です。これは、真なる息子一人をつくるために、つないできたということを意味します。1段階、2段階、3段階、100段階、このように上がって、最後のバトンを受け継いで勝敗を決定し得る一人の主人公、息子を探してきたのです。これが今までの歴史です。(41-27,1971.2.12)

 

 神様が宗教をつくって何をするのでしょうか。何をしようというのでしょうか。神様が宗教をなぜつくったのでしょうか。世界のぼろきれ、大きなぼろの版図をつくるためのものではありません。目的は簡単です。神様が真なる愛で愛し得る一人を探すためなのです。愛の環境的要件の中で、神様が守って、相対的な一人を探せば、おしまいです。(173-33,1988.2.1)

 

 神様の復帰歴史は、真の父母を立てるための歴史であるとも見ることができます。それゆえ、カイン、アベルから今日に至るまで、天は内的に真の父母を復帰するため、摂理してこられました。誰でもこの目的を成すための根本摂理に敵対したり、妨害したりすれば、彼は天道の前に捨てられるようになり、結局滅びるしかありません。(9-10,1960.3.27)

 

 歴史に通じるものとは何でしょうか。神様の解放は、真の父母と一つになり、すべてのサタンの讒訴条件を清算してこそ可能なのです。それを清算しなければ、不可能です。皆さんが、どのように神様の心情的所有権に逢着するのですか。
 皆さんの父母と、皆さんと、万物が、平衡線上で、神様の所有として決定し得る場をもてなかったのです。これを蕩減復帰すべきです。(137-268,1986.1.3)

 

 ④ 復帰摂理歴史は「真の父母」を探すための歴史

 

 神様のみ旨に代わって、この地上に現れるべき「真の父母」とは、どのようなでしょうか。
 サタン世界と闘い、万物を主管し得る立場を収拾して、人間世界を主管しているサタンを壊滅させなければならず、霊界とも対決して、数多くの霊人たちまで主管できる絶対的な位置を構築しなければならない方です。真の父母には、そのような使命があります。
 それで神様は、万物から人間、天までつながった一つの世界を復帰するために、今まで真の父母を送れる道を築いてこられたのです。 
 真の父母が現れるためには、真なる息子、娘がいなければならず、真なる息子、娘が現れるためには、真なる僕がいなければなりません。
 そして、神様の復帰歴史路程を見ると、僕の時代を経て、子女の時代を経て、父母の日を迎えられるように、神様が役事してこられたことが分かります。また、僕の時代から、養子の時代、子女の時代を経て、父母の時代まで復帰してくる間、霊界にいる霊人たちも協助してきたというのです。
 外的に一国家の基準を超えて、世界的な基盤が備わる前には、真の父母はこの地に来ることができません。それで神様は、ノアとアブラハムを経る2000年摂理歴史の期間があったのち、ヤコブをして初めてイスラエル民族を形成し得る基盤を築くようになさいました。そして、その民族を通じて国家を形成するようになさいました。それまで、数多くの歴史路程を経てきながら、ご苦労されたのです。
 そうするためには、個人の立場で神様に代わってサタンと対決して勝たなければならず、養子の立場で神様に代わってサタンと戦って勝たなければならず、直系の息子、娘の立場でも神様に代わってサタン世界と戦って勝たなければなりません。そうでなければ、真の父母を迎えることはできません。それゆえ、摂理歴史は旧約時代から新約時代を経て、今まで長い歴史を経てきているのです。
 このように、僕の立場を復帰し、養子の立場を復帰した基盤の上で、直系の息子、娘の立場を復帰し、すなわち勝利の基盤を築いておいたのち、真の父母の因縁を立てようとすることが、神様がこの地上にメシヤを送られた目的でした。
 イスラエル民族の不信で、神様が4000年間準備なさった僕の基盤が崩れ、養子の基盤も崩れました。それで、2000年前に来られたイエス様は、僕の立場で戦って勝利され、養子の立場で戦って勝利され、直系の息子の立場で進まなければなりませんでした。これがイエス様の立場であったことを我々は知っています。
 養子の立場と直系の息子の立場を経たのち、イスラエル民族を基盤として、真の父母の因縁を立てておくのが、神様がイエス様を送られた目的でした。またそれは、イエス様がこの地に来てなさるべき使命でした。ところで、イエス様が十字架にかかって亡くなられることにより、全体的な基準で勝利の基盤を築くことができず、霊界を中心として真の父母の因縁を開拓してこられたのです。
 ところで、まだ個人的な位置、家庭的な位置、民族と国家的な位置をつかめずにいます。ただ、天のみ旨に対する個人と家庭と民族と国家を立てて、今まで回りに回ってきたというのです。
 この世界的な時代を迎えて、天は必ず、約束されたように新郎となられる主を送ってくださるでしょう。それで、新婦を選ばれ、真なる勝利の基盤を築かれることでしょう。真の父母の位置は、本然の創造目的の位置であるために、そのような位置を築くため、神様は今まで6000年間闘ってこられたのです。
 それゆえ、6000年復帰摂理歴史は、この真の父母を迎えるための歴史だと言っても過言ではありません。その真の父母は、6000年摂理史全体に代わる方です。
 それで、その真の父母を探せなかったことが、人類全体の悲しみであり、苦痛であり、悲哀であったということを、我々は知るべきです。
 人類歴史は何の歴史かといえば、真の父母を復帰する歴史であるということができます。真の父母を復帰せずには、真なる子女が存在し得ず、真なる子女の因縁を立てる前に、真なる家庭と真なる氏族と真なる民族、国家、世界、天宙が存在し得ません。神様は、今までこの基準を立てるため、6000年という長い歳月を苦労してこられました。
 今から2000年前に来られたイエス様は、この地上に初めて真の父母の栄光として来られた方でした。ところで、イエス様が真の父母として現れるためには、すなわち、真の父母は歴史的な結実体なので、イエス様が歴史的な結実体として立つためには、一面的な勝利をしても駄目なのです。息子の使命だけ果たしても駄目なのです。父母の使命を果たさなければならなかったのです。
 イエス様はこの地上で、肉的には息子の立場を復帰する路程を経ていかなければならず、霊的には父母の立場を復帰する路程を経ていかなければなりませんでした。このように、両面的な立場で責任を果たし、神様と一つになり得る起点を立てなければなりませんでした。
 そうするとき初めて、その起点は、個人的イスラエルの基盤になり、家庭的なイスラエルの基盤になりるのです。民族的イスラエルの基盤になり、国家的イスラエルの基盤になり・・・・・・。このようになっていたなら、霊的・肉的に真の父母の基準を立て得たはずなのに、イスラエル民族がイエス様を不信することにより、そうすることができませんでした。
 本来真の父母は、創造原理を見れば、霊的・肉的に神様の祝福を受けた人でなければならないのです。ところで、イエス様はイスラエル民族の不信によって真の父母になれませんでした。イエス様は、霊界に行かれても、真の父母を迎えるための基盤を築いてこられたのです。
 この言葉は、どういう意味ですか。この地に再び来られる主は、霊的な父母の立場を復帰しなければならず、肉的な父母の立場を復帰しなければなりません。それで、これをご存知のイエス様は、今まで2000年間、霊界に行き何をなされたのかというと、再び来られる主が霊界から迫害を受けず、蹂躙されることのない基盤を築かれました。イエス様を中心とした霊的な社会・国家・世界的な基盤を築かれました。
 イエス様は、地上ではなく霊界で摂理してこられたので、キリスト教を信じる人たちはすべて、霊的な父母と因縁を結んできたのです。
 この地に再び来られる主は、イエス様が洗礼ヨハネからすべての祝福を相続されたのと同様に、イエス様からイエス様の霊界で築いておかれた霊的な個人、家庭、国家、世界的な基盤を相続しなければなりません。そのような立場を経ずしては、真の父母の因縁をこの地に立てることはできないのです。
 地上で霊的な相続の基準を立てるのが原則です。イエス様が、再び来られる主に霊的な基盤を相続しようとするとき、地上のキリスト教徒たちが再び来られる主と一つになれば、地上で相続の基準が築けるはずですが、今までキリスト教徒たちがそのような基準を立てておくことができなかったために、霊的な勝利の基盤を、来られる真の父母の前にそっくりそのまま移すことはできなかったのです。
 それによって、再び来られる真の御父母様は、再度霊的な相続の基準を復帰し、肉的な相続の基準を復帰する闘争歴史を経ていかなくてはならなかったのです。
 本来、神様が6000年間摂理されたことは、来られる真の父母の基盤を備え、当代に勝利の基盤を築かせるためだったのに、この地上にいる聖徒たちが霊的な父母の命令に一致団結して従うことができず、その命令に歩調を合わせられなかったことにより、今までイエス様の築いておかれた霊的な基盤を、再び来られる主が相続する基準が立たなかったのです。
 それで、再び来られる主は、真の父母となられる方は、再び霊的な世界から、個人的試練から、家庭、氏族、民族、国家、世界的な試練を受けなければなりません。その試練に勝って、内的勝利の基準を立てずしては、地上に実体的な勝利の基準を立てられないので、内的な闘いをしてこざるを得ないのです。(13-280,1964.4.12)

 

 なぜ神様は、復帰摂理をなぜなさるのでしょうか。本然の父母、すなわち真の父母の因縁を立てるためです。では、「真の父母」とはどのような方でしょうか。真の父母は、神様が臨在し得る実体聖殿です。皆さんは、これが実際に実感できないことでしょう。その価値が、どれほど大きいでしょうか。
 ところが、神様を知ることが、たんすの中にあるアクセサリーよりも劣ると思っている人たちがいるのです。そのような人たちが、神様に「福を下さいませ!」と言っています。そのような人たちを通じて、神様のみ旨が成され得るでしょうか。(22-43,1963.1.19)

 

2)メシアは「真の父母」

 ①メシヤは「真の父母」である

 

 来られるメシヤとは、どのような方でしょうか。個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙すべてにかけて、信仰と希望と愛の実体として立ち得る方です。その方が、このような場に立ってこそ初めて、人類の歴史上に残っている信仰が結実し得るのであり、希望が結実し得るのであり、愛が結実し得るのです。
 そうでなければ、信仰と希望と愛は結実することができません。その方が言う言葉は、個人的な言葉ではありません。皆さんもそのような信念をもって叫ぶようになるとき、その言葉は個人の口から出てくる言葉ですが、世界史的な内容と因縁を備えた言葉になるというのです。
 知恵深い人とは、どのような人でしょうか。まず、世界的な時、希望の時を区別するすべを知る知覚を持った人です。それをあらかじめ知って、分析して、批判して、実践して、自分のものにする責任を負える人が、知恵深い人です。
 メシヤがこの地上に来られるとき、その方は個人として来られますが、個人ではありません。その方の価値は、全世界の人類が信じている信仰の結実体であり、全世界の人類が願っている希望の結実体であり、全世界が願っている愛の結実体です。
 その結実体には、すべての歴史路程がつながっています。すなわち、過去、現在、未来が、すべてつながっています。そして、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界が全部つながっていて、天と地がすべてつながっているのです。(13-142,1964.1.1)

 

 メシアは真の父母です。我々は真の子女です。同じ運命圏に立って、そこに加わらなければなりません。(55-97,1972.4.23)

 

 ② メシアの顕現過程

 

 今まで宗教が出てきていますが、その使命とは何でしょうか。一人を探そうということです。数多くの宗教が救いを得て何がどうだと言いますが、世界的によりすぐって、最高の位置に上がり得る人、その位置を超えたその一人を探そうというのです。その一人を立てようというのです。
 このように、すべての宗教の中心は一人ですが、その存在とは誰かというと、メシヤというものです。言い換えれば、すべての宗教が一人を探してくるのに、その一人の中心存在が誰かといえば、メシヤ、救世主というものです。メシヤが来るのに、その場に直ちに来るのではありません。7年路程を経なければなりません。メシヤは男性です。そのメシヤが来て、サタン世界で血統的な関係を超越して、サタンに勝たなければなりません。
 勝ったその男性を中心として、家庭的にも勝たなければならず、氏族的にも勝たなければならず、民族的にも勝たなければならず、国家的にも勝った基盤をつくっておかなければならないのです。男性一人だけをもってしてはいけません。すなわち、サタン世界よりも立派にならなければなりません。サタン世界に属した家庭より優位に立たなくては、メシヤは彼らを率いていける立場になれないのです。
 サタン世界の最高の基準とは何かというと、国家というものです。サタンは、いつも国家を中心として反対してきました。サタンは、国をもったために、その国を中心として個人的にも天を打ち、家庭的にも天を打ち、氏族的にも天を打ち、民族的にも天を打ったのです。いつもこの国を中心として、天が築いてきた道をいつも妨害してきたのです。
 結局、反対されて迫害されるのは、劣っているためであって、勝っているなら、反対に迫害することができ、支配することもできるのです。人間が堕落したことによって、この世界はサタン世界になったために、この世界には、サタン側の個人もいくらでもいるのであり、家庭もいくらでもあるのであり、氏族もいくらでもあるのであり、国家もいくらでもあるのです。しかし、天の側はいないのです。個人はいますが、その基準に上がった家庭や、氏族や、民族や、国家がないのです。
 結局、メシヤ個人として家庭に勝ち、メシヤ個人として氏族に勝ち、メシヤ個人として国家に勝ち得る基盤がなくては、一般の人が上がる道がないということです。それで神様は、この地上にメシヤが来るようになれば、メシヤに従って共に上がり得る圏を、個人から家庭を経て準備しておきました。それがイスラエル民族です。そして、その思想が選民思想なのです。
 しかし、イスラエルの国は、まだここに上がることができませんでした。線に引っ掛かったのと同じです。それゆえ、選民の希望とは何かというと、この線を越えることです。この線を越えるべきであって、越えなければ大変なことになるのです。しかし、この線を越えようとしても、自分たちだけでは越える道がありません。
 ですから、神様は、イスラエル民族にメシヤ、すなわち救世主を送るという約束をしたのです。神様がこれを国家的に越えるために、数千年間準備されたのがメシヤです。メシヤを送るという約束をされたのです。
 それで、イスラエル民族の前にメシヤが来るようになれば、死んだとしても、そのメシヤを中心として共に死のうという立場になって、サタンが離そうとしても離せないように完全に一つになれば、そこから個人的に接ぎ木して、家庭的に接ぎ木して、氏族的に接ぎ木して、民族的に接ぎ木して、国家的に接ぎ木して、彼らをみな一時にここまで引き上げあることができるのです。
 それゆえ、この世界には選民思想がなければなりません。そうして、神様が選んだ民族を中心として、神様が選び得る国家を形成しなければならないのです。選民がいるという言葉自体は、神様がいるという事実を証すものなのです。メシアを送るという預言があるということは、このような原則で見るとき、神様がいることを証すものです。
 では、我々がメシヤを必要とするようになったのは、何の目的があってでしょうか。 それが問題です。堕落することによって、我々は偽りの父母をもちました。神様と一つになった父母がなくなったということです。神様と一つになり得る父母の位置を、我々にもってきてくれる方がメシヤです。これが第1です。
 第2は何かというと、我々を再び生んでくれるのです。結局は、我々の体にサタンの血があるから、その血を抜いてサタンの息子、娘でないという立場で、我々を接ぎ木して再び生んでくださるということです。
 第3は何かというと、メシヤは、サタン、悪魔を僕として使える人に、我々人間をつり上げるということです。すなわち、我々人間たちの前にメシヤが来て、我々をしてサタンを屈服させて僕にし得る、サタンを屈服させて彼を処断し得る資格者にしてくれるということです。
 結局、人間が堕落したために、第1は父母を失い、第2はサタンの血を受け、第3はサタンの支配を受けるようになったのです。ですから、それを復帰するためには、逆さまに上がっていかなければなりません。原理を見ると、信仰基台があり、実体基台があります。信仰基台を成して実体基台を成してこそ、メシヤを迎えることができるようになっているのです。これが原理なのです。それゆえ、信仰基台と実体基台まで成そうというのです。(54-182,1972.3.24)

 

 メシヤは、それ自体が信仰の目的体であり、希望の目的体です。信仰と希望が成された目的体です。では、メシヤを主として、目的を完成したその時には、何だけが残るのでしょうか。目的がみな達成されたので、愛だけ残るしかありません。
 それゆえに、最後に残るのは愛であると言いました。その愛は、信仰の完成実体を通じた愛であり、希望の完成実体を通じた愛です。その愛一つを主にした代表者として来られる方がメシヤです。(13-140,1964.1.1)

 

  ③メシヤの使命

 

 メシヤのみ旨とは何でしょうか。縦的な基盤完結を見て、横的基盤の出現を成立させることです。そうであるなら、メシヤとは何でしょうか。天倫のすべてを、神様と人類が行くべき公義の目的を縦的な基準に一致させ、個人的な縦的完成標準、家庭的な縦的完成標準、国家的な縦的完成標準、世界的な縦的完成標準を完成させるために、その内的計画をすべて掌握して来られる方が再臨主だというのです。(71-79,1974.4.28)

 

 宇宙をじっと見ると、「偉い」という存在が二つあります。「神様」と「サタン」です。善悪の主人が戦っているのです。人間を中心として善悪の闘争をしています。
 サタンがどれほど偉いですか。今までの人間の歴史を人類学的に見るなら、150万年だといいますが、歴史以来、悪の闘争をする総大将として、神様までひどい目に遭わせ、びくともできないようにしたサタンが、どれほど偉いかというのです。
 この戦いを誰が終えなければならないのでしょうか。神様もその戦いを終えることができず、サタンも終えることができません。このような話は、初めて聞くでしょう? 悪神と善神の戦いを誰が終わらせてあげることができるのでしょうか。それは神様でもなく、サタンでもありません。では、誰が終わらせることができるでしょうか。人間は人間ですが、真なる人間がこの闘いを終わらせることができます。
 世界万民がついていける愛の主人公にならなくては、神様とサタンの戦いを終えることはできないのです。この戦いから解放されない限り、歴史世界において、「平和」という言葉は妄想的な言葉になるのです。「理想」という言葉は、抽象的で、感傷的な言葉にすぎません。
 では、誰がこの戦いを解決できるかというのです。それで神様は、この代表者を送りましたが、その主流の思想を「メシヤ思想」というのです。救世主は、人間だけでなく、神様まで解放する人をいいます。また、悪を処断するのです。神様を解放し、悪を決算するための総責任者が救世主です。
 救世主の「世」というのは、この世の中をいうのです。神様がこの世を愛されてひとり子を下さったのであって、キリスト教を愛されてひとり子を下さったのではありません。ヨハネによる福音書3章16節をすらすらとよく暗唱するキリスト教徒たち! 「神様がキリスト教会を愛されてひとり子を送られたので、誰もが私を信じれば滅びず、救いを受ける」とは言わなかったのです。「神様が世の中をこのように愛されて、ひとり子を送られた」と言いました。救世主の使命とは何でしょうか。神様を解放することであり、サタンを処断することです。そのように人間に食いついて、さっさと処理しながら讒訴していた怨恨の元凶を誰が清算するのでしょうか。神様は清算できません。メシヤ、救世主だけができるのです。(136-219,1985.12.29)

 

 メシヤが来て何をするのでしょうか。歴史上において、はじめて一つの国の主権と国土と民を取り戻し、それを基盤として、横的な世界を奪うための戦いをコーチする司令官として来るのです。それがメシヤの使命です。
 サタンを屈服させるには、国家だけ屈服させてはいけません。サタンは世界的な主権を持っているために、世界主権まで追放しなければなりません。そうしてこそ初めて、この地球星に解放圏が生じるようになるのです。
 地球星のどこに行っても、サタンが反対する影があっては、神様が自由と平和の園として造ったエデンの園の理想が実現されません。地球星に、サタンが反対し得る影がなくなってこそ、地上天国が完成するのです。地上でそのことが完了されてこそ、天上世界の解放運動を始めることができるのです。これが統一教会の食口たちが行くべき道です。(57-128,1972.5.29)

 

メシヤがすべきこととは何でしょうか。個人的にサタンを屈服させ、サタンの血統を除去し、個人的に勝利の道を築くべきであり、家庭、国家、世界的に勝利の道を築くべきです。これがメシヤの行く道です。
 言い換えれば、第1は、個人が行く道を築かなければならず、第2は、家庭が行く道を築かなければならず、第3は、国家が行く道を築かなければならず、第4は、世界が行く道を築かなければなりません。
 個人的に勝った次に、世界的にサタンが動員され、国家と民主世界が合わさって攻撃をしてきても、それと戦って勝たなければならないのです。家庭的にも全世界的にも、そうしなければなりません。言い換えれば、ヤコブが天使と戦って勝ったのと同じであり、アベルがカインに勝ったのと同様に、勝たなければなりません。これは、1対1の戦いなのです。しかし、今はサタン世界全体を打たなければならず、そのためには、そうできる最も先端の代表的な国がなければなりません。そこが韓国です。(54-197,1972.3.24)

 

3)イエス様と「真の父母」

 

 イエス様はどんな方でしょうか。エデンの園で、アダムとエバが堕落することによって、真の父母になれず、偽りの父母になり、偽りの子孫を産んだので、これを再び復帰するための真の父母として来られた方です。アダムとエバは、真の父母になれなかったのと同時に、真の夫婦になれなかったので、真の子女にもなれませんでした。それゆえ、イエス様を完全に信じて一つになれば、真の子女の復帰、真の夫婦の復帰、真の父母の復帰をすることができるのです。それで、イエス様を一番愛しなさいというのです。(8-109,1959.11.22)

 

 黙示録を見ると、「終わりの日」には、主が新婦を迎えにこの地に来られるという内容があります。皆さん、「子羊の婚宴」とは何か分かりますか。それは、歴史初まって以来初めて一人の新郎と一人の新婦が、神様の愛を中心として夫婦を成すうたげの日を言うのです。
 我々人類の始祖が堕落することにより、我々の先祖は善の父母ではなく、悪の父母になりました。それゆえ、神様が構想された位置、我々人類の先祖が堕落しないで成すべきだった本然の父母の位置、真であり善である父母の位置は、まだ現れず、成すことができなかったのです。
 聖書を見ると、「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終わりである」(黙示録22:13)と書かれています。創世記から成そうとされた目的を人間の堕落によって成し得なかったため、黙示録に行って終わりになるのです。では、イエス様はどのような方として来られたのでしょうか。アダムが堕落したために、堕落しないで神様の愛に一致し得る完成したアダムとして来られたのです。それで、コリント人への第1の手紙第15章45節を見ると、「『最初の人アダムは生きた者となった』と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった」と書かれているのです。
 聖書を見ると、イエス様を2番目のアダムと指摘しました。神様が我々人間に賦与し得る真なる息子の位置、夫婦の位置、父母の位置を決定づけずには、神様が計画された家庭を探すことができないために、それが地上に現れなければならないのです。
 世界には数多くの宗教がありますが、その中で、キリスト教だけが4大要件を中心として神様の息子になり、神様と一つの体になり、神様のみ旨の中で互いに新郎新婦を迎え、新しい家庭を築く理念をもっています。イエス様がそのような理念をもってこられたため、イエス様を中心としたキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得なかったのです。(54-108,1972.3.20)

 

4)再臨と「真の父母」

 ①メシアを迎えるために準備すべきこと

 

 皆さんの暮らす所は天国です。ところで、今そこに暮らしていますか。暮らしていません。また、その天国は、直ちに出てくるものではありません。
 では、天国が出てくる前に何が出てくるべきでしょうか。メシアが出てこなければなりません。そうですが、メシヤだけでは駄目なのです。ユダヤの国、イスラエルの国に、イエス様が来ましたが、天国がなされませんでした。
 天国が来る前に、天国の民族が出てこなければなりません。では、その民族が出てくるには、どうすべきでしょうか。一度に民族は出てきません。特別な氏族が出てこなければならないのです。その氏族が出てきて、民族を動かさなければなりません。
 その氏族が出てくるにはどうすべきでしょうか。そうするには、親族がいなければならないのです。その親族が出てくるには、どのようにすべきですか。親族の中心になる家庭が出てこなければならないのです。また、その家庭が出てくるには、どのようにすべきでしょうか。息子がいて、父母がいなければならないというのです。では、その子女が出てくるには、どのようになるべきでしょうか。その父母がいなければなりません。その父母が出てくるには、どのようにすべきでしょうか。天国のすべてを代表し得る一人の男性がいなければならないのです。
 それは誰ですか。メシヤです。その男性は、どのようになるべきですか。男性が父母になるには、相手を探して、その相手と一つにならなければならないのです。それがキリスト教の教えです。それが終末です。
 このように逆さまに落ちたのを、世界的なキリスト教の基盤の上に、2000年間イエス様を中心として、反対に霊的な復帰をしてきたのです。これが霊的なキリスト教です。ここでメシアを迎えれば、すべてが終わるのです。
 ここに再臨主が来るのです。これを逆さまにするのです。そうして全世界が一つになり、全部が一つにならなければなりません。そのようになるのです。国家の中で、キリスト教の宗派が一つになり、宗派の中ですべての祭司長たちが一つにならなければなりません。このようになるべきです。宗派が一つになるためには、祭司長たちが一つにならなければならないのです。祭司長たちが一つになって、イエス様と一つになるべきなのです。そうしてイエス様に侍って、一つになるようになれば、一時に世界が復帰されるのです。これを2000年間準備してきたのです。しかし、これがすべて駄目だったために、再び準備をしなければならないのです。(66-277,1973.5.16)

 

 ② 再臨主のすべきこと

 

 来られる主がすべきこととは何でしょうか。サタンに勝利すべきであり、その次にはすべての霊人たちに勝利すべきなのです。今日、道士たちの中で、「自分が天下の何になる」と誇る人たちがいますが、この堕落圏を収拾し得る内容がどのようになっているかということを知らずに、ただ時だけ願って精誠を尽くすばかりではだめなのです。
 サタン圏に勝利して、その次には霊界圏に勝利すべきです。それは、見える世界ではなく、見えない世界だというのです。見えない世界と闘争をして、サタンに勝利できなければ、霊界に進展し得る道が生まれてこないというのです。必ず妨害を受けるために、霊界に入ろうとしても、どうなるでしょうか。入ることもできないし、たとえ入ったとしても、戦って勝つことができないというのです。
 それゆえ、サタン圏で勝利圏をもって、その次には霊界に入って勝利圏を備えて、雑教からすべてを経て最高の宗教、キリスト教が最高の主流の宗教なら、キリスト教まで屈服させるようにしなければなりません。それは何かというと、彼らのすべてを相続しなければならないということです。
 このような戦いの過程を経て、天地に勝利したという公認を受け得るようになるとき、神様から、「お前はサタンと霊界に対する勝利者だ!」という言葉をもらうのです。そして、地上の実践路程が始まるです。そのような歴史が残っているのです。
 では、来られる主は、どんなお方でしょうか。サタン悪魔を屈服させなければならず、数多くの霊人、数多くの教祖、数多くの指導者たちは、すべて1対1で屈伏させなければなりません。神様の人格と真なる愛を中心として、宗教とこの宇宙がどうだということを、すべて納得させることによって屈服するのです。
 言い換えれば、この地上のより高い愛の主人公の前に吸収されようとするのが、この万有の存在だというのです。鳥や犬までも、自分をより愛してくれる町、自分のために与えてくれる町を訪ねていくのです。同じことです。
 それゆえ、真の愛を中心としてここで屈服させて、彼らのすべての権限を相続しなければならないのです。統一圏の相続を受けなければなりません。それが、メシヤという方がこの地上で果たすべき責任です。
 一度に、キリスト教だけで一つになっては駄目なのです。そうしては、キリスト教だけを地上で一つにすることができるかもしれませんが、霊界の背景である仏教の文化圏、イスラム教の文化圏など、全体的な文化圏を統一することは不可能です。地上にこの境界線が残っている限り、これをすべて打破できない限り、その根となる霊界に行って一つになり得る起源を形成できない限り、地上でそのような特色のあるすべての文化圏の統一をもたらすことはできないのです。(100-16,1978.10.4)

 

 本然の愛をもって、この国を一つにして、世界を一つにして、天地を一つにし得る責任を持った人がメシヤですが、メシヤがそのようなことができますか。神様御自身もできないのに、彼ができるかというのです。
 このような観点で見るとき、これからメシアがもって出てくるべき宗教、神様が立てるべき宗教がとは、どのような宗教でしょうか。愛を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙を統一するという、強力な力を持った宗教でなければ駄目だという結論が出てくるのです。サタンも、「それが、メシアが来てすべき目的ではないでしょうか。それが、神様がメシアを送る目的ではないか」と言うのです。(130-174,1984.1.15)

 

(2021.10.24:写経奉献)

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