「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(10) 第2巻「真の父母」 第6章 「真の父母」と我々

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第6章 「真の父母」と我々

1)統一教会の教えの核心

2)「真の父母」の在世時に同参する価値

3)「真の父母」の苦労と我々

4)恩寵と自覚

5)我々の成すべきこと

6)生命視すべきこと

 

 

1)統一教会の教えの核心

 ① 父母哲学

 

 皆さんが孝行者になろうとすれば、父母がどのようなな方かを知らなければなりません。皆さんは、果たして父母がどのような方ということを知っていますか。教えられて知っているのか、本当に知っているのか、考えてみたことがありますか。
 皆さんは、統一教会に来て、孝子、孝女の道を行っています。しかし、皆さんは、大小便をする幼子です。お母さんのおっぱいをくわえて吸っている幼子です。そうしながら、父母の愛を受けて育ってきました。
 この世に最高の哲学があるなら、それは父母哲学でしょう。父母哲学が最高だというのです。もう皆さんは幼子ではありません。皆さんは、全部習わなければなりません。それが父母の願うことです。
 皆さんは、お母さんのおなかを通じて生まれましたが、養子、養女です。ですから、その父母の前に忠誠を尽くすべきです。そうして、皆さんが父母になれば、四位基台が成されるようになります。しかしながら、皆さんだけでは、絶対に天の子女をもてないようになっています。天の子女をもつためには、明らかに天の父母がまず出てこなければなりません。
 ところで、このような父母が出てくるためには、長男がまず出てこなければならないのです。なぜなら、長男であったカインが天道に背いたので、神様の前に背いたカインの路程を逆さまに歩み、神様に代わり得る位置まで上がらなければならないためです。
そうして、四位基台を成さなければなりません。そうするまで、皆さんは全部赤ん坊です。
 ですから、世の中でいくら優れていて、何がどうだという人でも、赤ん坊のような心情をもたなければなりません。そうして、お母さんのおなかの中と、お父さんのおなかの中を通じて、再び出てこなければなりません。(16-191,1966.3.22)

 

 宗教の違いはあるといえども、すべて良い道に従うようになっています。転がっていくようになっています。教派を主張した宗教は、退くようになっているのです。間接主管圏と心情圏が連結されなかったのを、完成期蘇生級から始めて、完成期長成級、完成期完成級まで、7年路程に該当する期間を残したここで、父母様を中心として、今まで世界的な蕩減をしたのです。そのために今は、本来の線上で、間接主管圏内に落ちて堕落したものを再び引き上げて、直接主管圏の平衡線上に接し得る段階に入ってきたのです。これは、真の父母を中心としなければ、駄目なのです。
 今、皆さんに必要な思想は、真の父母の思想以外にはありません。それ以外にはないのです。誰々の、いかなるよこしまな思想もあり得ないのです。金日成の思想を受け入れることはできません。ただ、真の父母の思想一つだけです。(136-51,1985.12.20)

 

 ② 真なる家庭ー宇宙の中心を決定

 

 真なる父母が出てくれば、真なる家庭が成立し、真なる人の目的も成すことができるのです。過去や、現在や、未来において永遠にたたえられ得るその名前とは何かというと、真なる父母、真の父母です。真の父母がこの地上に顕現したという事実、真の父母がこの地上にいらっしゃるという事実は、何よりもうれしい福音の中の福音です。
 今日、邪悪な人間たちの前に、悪が主管することによって方向を整えられず、死亡圏を成しているこの世界に、真なる父母の因縁が成立したことは、神様の6000年の歴史的な苦労の功績の実として現れたものです。また、多くの人間たちが、行く所を知らず、方向を選べないこの時代の前に、行く所を探してあげ、行くべき方向を提示してあげられる、一つの中心的なモデルとして現れたのが、真の父母だというのです。
 「真の父母」という名前が出てくることによって、神様の創造理想世界、エデンの園から出発すべきだった永遠の未来の天国が、ここから出発するのです。その事実は歴史的であり、時代的であり、未来的なのです。それゆえ、過去、現在、未来の全体の歴史をひっくるめて見るとき、この地上に顕現した真の父母は、宇宙の中心を決定する中心ポイントであるということを、皆さんは知るべきです。
 歴史はここから実を結び、ここから収拾され、ここから出発するのです。歴史がここで実を結ぶために、過去がここで復活するのであり、世界がここで一つの世界に収拾されるのであり、一つの世界が起源となり、新しい天国が成されるのです。
 今まで歴史時代において、人類の希望がどこにあったでしょうか。その希望は未来にあったのです。人類は、希望を未来のものとしてだけ考えてきたのです。人類は、どこに向かって行くのでしょうか。未来に成される一つの世界に向かっていきます。未来について、一つの世界を模索したのです。
 偽りの人類の中で、真なる父母を迎え得る道があるなら、人類は喜ぶことでしょう。それゆえ、人類の希望とは何でしょうか。それは、真なる父母を迎えることです。
 真なる父母は、人間たちの最高の希望であるために、真の父母が顕現すれば、歴史的伝統は未来で成されるのでなく、真の父母が顕現した現実圏内で成就するのです。真の父母が現れれば、真の父母が現れたそこが、歴史の完成の出発点であって、完成を願う出発点ではないということです。言い換えれば、願いが出発する場ではなく、願いの成就が出発する場であるのです。(44-132,1971.5.6)

 

 真の父母の家庭とは、どんな家庭でしょうか。真の父母の家庭は歴史的な実であり、時代の中心であり、未来の起源です。それゆえ、我々人類が暮らしているこの世の中が、今後、希望の天国となるとき、そこにおいて伝統の本国は、真の父母様が暮らしていかれた生活全体になるのです。国家の思想的な母体とは何かというとき、これが国家の思想的な母体なのです。また、世界を創建し得る起源とは何かというとき、これが世界を創建し得る起源です。 
 いつでも真の父母とともに、真の父母の子女になる因縁を中心として、3代圏を成さなければなりません。神様、父母、そして皆さん、このように3代です。横的に見れば、先生、先生の子女たち、その次に皆さん、このように3代です。この3代圏を備えて完成しなければ、天地が統一されないということです。(44-169,1971.5.6)

 

 天の基地は家庭です。家庭に着地しなければなりません。家庭に着地して、方向を定めなければならないのです。すべての家庭は、父母様と神様の名前を中心とした写真を掛け、そこに四位基台が敬礼しなければなりません。3代が敬礼しなければなりません。四位基台は3代です。おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、子供たち、このように3代が敬礼をしなければなりません。
 「真の父母」の名前とともに、四位基台圏を成して敬礼する所は、堕落圏内ではありません。神様が直接主管をするために、解放圏が起こるのです。それによって、天上世界に行ったすべての霊人たちが地上に来て、天使長がアダム家庭を保護するように、保護するのです。そのような時代に入ってきたのです。
 昔は、カイン圏が霊界になっていて、アベル圏が地上になっていました。それで、アベルがカインを救うために、犠牲となる時であったために、利用されてきました。ですが、今は長子権を復帰したので、霊界が天使世界であり、今日統一教会を中心とした家庭がアダム圏であるために、アダム圏を後援するようになっているのであって、利用するようにはなっていません。
 こうすることによって、サタンが介在して活動し得る余地がなくなるのです。そうする余地がないのです。サタンは追放されるのです。強く雄々しく先頭基準を一歩も譲らない前進的姿勢と、平衡的基準を備えて前進するのです。そうすれば、悪魔の勢力圏は、崖から落ちるのです。家庭ごとに火をつけるのです。(211-349,1991.1.1)

 

  ③神様の愛と「真の父母」の愛

 

 神様の愛は、縦的な父母の愛であり、真の父母の愛は、横的な父母の愛です。それを受け継いだ人間の前に、皆さんの心は、縦的な神様と父母の愛を受けた伝統的な実であり、体は、横的な真の父母の愛を受けた伝統的な実です。
 この実が互いに横的家庭基盤になり、縦的中心を中心として、球形を成そうとするので、夫婦をなし、息子、娘を生まなければならないのです。それゆえ、息子、娘を生まなければ罪なのです。息子、娘がいない人になってはいけません。骨のない肉がありますか。それは位置が定まらないのです。(184-309,1989.1.1)

 

 エバは女性の性稟、アダムは男性の性稟を中心として分立して、何でまた一つになるのですか。別れてから合わさることによって、神様御自身が内的に抱いていた愛が、どれほど強いかということが分かるのです。そうでなければ分かりません。自分に愛がありますが、愛が分かりません。相手に会うことで分かるのです。内省的な愛を、人を通じて感じてみるのです。神様は、縦的な父であり、アダム、エバは横的な真の愛を中心とした父母です。(185-206,1988.10.3)

 

 神様は、愛の骨です。愛を中心として見るとき、神様の愛は「骨の愛」であり、人間の愛は「肉の愛」です。骨と肉が一つになって、形態を整えるのです。そのような道理になっています。皆さんに骨があるように、神様の愛は、骨の愛です。真の父母の愛は肉の愛です。(181-206,1988.10.3)

 

 ④ 父母と食口

 

 我々統一教会では、信徒たちを「食口」と言います。今日までの歴史途上で、この「食口」という名詞を悟らせてくれた者がいませんでした。「食口」という言葉は、家庭を離れては成立しません。食口が生まれるためには、必ず家庭がなければならず、その家庭があるためには、兄弟姉妹がいなければならず、兄妹がいるためには、父母がいなければなりません。
 キリスト教でも、「信徒」や「信者」という名詞を使いますが、「食口」という名詞は使えませんでした。今日、この世界が外的な面で「世界大家族主義」を叫んでいますが、大家族を成すためには、その大家族の父になれる、母になれる父母がいなければなりません。その父母として来られる方が、まさにメシヤです。
 ところで、今日、統一教会で言う「食口」の中に、真の食口がいて、それとは反対になる食口がいます。また、中間の立場にいる食口もいます。では、神様が立てられた天的な家庭を中心として「食口」という名詞をもった、真の食口とはどのような人でしょうか。これが問題です。
 食口になるためには、まず父母をもたなければなりません。兄弟になるためにも、父母がいなければなりません。兄弟は何人かいますが、父母は一組なのが原則です。すなわち、食口は何人いても、主人は一人だというのです。
 では、その父母や主人は、誰を中心とした父母であり、主人ですか。自分を中心とした主人ではなく、自分を中心とした父母ではありません。兄弟を中心とした父母であり、食口を中心とした主人なのです。悪なる世界で、悪と接し得る主人であり、悪と接し得る父母ですか。悪とは関係ない主人であり、父母でなければならないのです。
 真なる善としていらっしゃる父母であり、主人であるというからには、その父母は家庭や、あるいは韓国の民なら韓国の民を主とした父母であり、主人なのですか。違います。全世界人類全体の父母であり、一つの大家族を主にした中心でなければなりません。
 では、その主人であり父母である中心の位置には、誰が立つべきですか。天地を創造した神様が立つべきです。その次には、誰が立つべきでしょうか。悪なる世の中を世界的に収拾する、神様の代身、すなわち、救世主が立つべきです。
 そうして、神様と一体となった救世主を父母として地上に迎えることができてこそ、初めて真なる家庭を成すことができ、救世主に真に侍る者だけが真の子女と真の兄弟になれるのです。(15-294,1965.12.7)

 

 皆さんは、神様のみ旨にかなった道だけを歩むべきであり、兄弟でない兄弟にならなければならず、父母でない父母にならなければなりません。統一教会では、父母でない父母に侍り、兄弟でない兄弟が神様を中心として血肉の情を越えていく運動を展開しているのです。
 ここから民族を超越し、世界を超越し、新文化創造が起こるのです。何を中心としてでしょうか。神様の何を中心としてでしょうか。神様の生命力を中心としてでしょうか。神様の創造の能力を中心としてでしょうか。神様の知恵を中心としてでしょうか。 知識を中心としてでしょうか。違います。神様の愛を中心としてこそ可能なのです。(83-177,1976.2.8)

 

2)「真の父母」の在世時に同参する価値

 

 この世に、真の父母が二組いることはできません。今日、北朝鮮では金日成を「父」とし、統一教会では文先生を「お父様」と言っています。しかし、統一教会で言う「お父様」と、北朝鮮金日成を「父」と言うのとは、質的に違います。二人が対立したのです。この二人が、互いに「自分が父母だ」と言うのです。そして、神様もその父母は自分のものだと言い、サタンもその父母を自分のものだと言いながら、互いに争うのです。
 これを公的に、誰が公判しなければならないのですか。人間がしてあげるのです。人間が、「我々の父母は、このような方でなければならない」と父母を選定しなければならないのです。「堕落した父母はこれこれのゆえに悪い父母であり、善の父母はこれこれのゆえに善の父母です。善なる父母を探してきたのは、サタンではなく神様なので、神様が善なる父母の父です」。このように立ち上がって決定づけなければなりません。それゆえ、すべてはどこに帰結するのですか。真の父母に会うところです。
 父母は、二組存在することはできません。一度死んだ父母が、千年後にも再び現れますか。人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、あとにも先にもない時であり、歴史上に一度しかない頂上なのです。狭小といえば、どれほど狭小ですか。永遠の世界から見るならば、人間の一生というものは、一息つくのと同じです。
 皆さんが、運があってそうなのか、福があってそうなのかは分かりませんが、このようにしてこの時代に生を受けてこの一時に出会い、統一教会に入ってきました。統一教会にどのように入ってきましたか。皆さんをこの場に入るようにするまでには、数多くの先祖たちが精誠を捧げに捧げました。数多くの人たちが滅び、善が踏まれる場で死んでいきましたが、その千人、万人の因縁を経て、回りに回ってその因縁が天につながって、日が昇る高い山のような立場に立ったために、そこで日の光を眺めて集まった人たちが皆さんなのです。
 人類歴史において、愛という因縁が出てくれば、それは初めて出てくる時です。それゆえ、生命の価値を賦与することができる時があるとするなら、その時から始まるのです。国と世界の主権をより価値のある内容で肯定させ得る時も、この時しかないのです。この時は、歴史の起源であり、希望の焦点であり、万福の出発点であり、永遠の生命の発源地なのです。そのような時だというのです。
 堕落した世界は、未来の希望を探してきましたが、未来にはこの時が永遠の希望の基準になっていくのです。この時を中心として、皆さんがこのように進んでいくのを眺め、この時の心情を体得していき、世界を生かさなければならないのです。この時が、そのような時です。それゆえ、そのような頂上の実体として来た真の父母は、真の父母の心情の位置に属し得る規範に従って暮らさなければならないのです。それは、皆さんには分からないでしょう。
 その父母は、どのようにしなければならないのでしょうか。善の父母であるために、悪の父母と違わなければならないのです。悪の子供については、どのようにすべきでしょうか。歴史上のどの父母よりも、厚い徳を持って対さなければならないのです。
 このような悲惨な運命に置かれた子供に対する父母の立場に立っても、そこに引っ掛かからないで、むしろ泣きながら追いかけて、万世の恨を解くために哀願し、たとえ互いが過ったとしても、別れるのが嫌で慟哭する姿になるべきなのではないかというのです。そのような立場に立つべき真の父母ではないかというのです。違うのです。父母として持つべき心情的姿勢がそうでなければならないというのです。
 そのような父母を迎え得る子女として、備えるべき心情的な姿勢と規範はどうですか。それがなければならないのです。万国の孝行者を代表した姿でなければなりません。世界マラソン大会に出場した各国のチャンピオンと同じで、自分の氏族から選出されたチャンピオンにならなければならないのです。何をするためのチャンピオンですか。孝行するためのチャンピオンであり、忠誠を尽くすためのチャンピオンです。皆さんが、そのようなチャンピオンの群れにならなければならないのです。
 子女はこうであるべきであり父母はこうであるべきだ、というそのような意味では、統一教会の先生という人は、根が違います。その時を逃すようになれば、億千万年の恨を残すでしょう。お金で買えるでしょうか。知識をもって買えるでしょうか。自分のその何かをもって合わせることができるでしょうか。絶対できません。自分が引っ掛かっている世界、自分が引っ掛かっている民族、自分が引っ掛かっている氏族、自分が引っ掛かっている家庭にある荷物を一遍に背負うといって、その場を引き継ぐことができるのですか。それもできません。
 共産世界を滅ぼし、民主世界を滅ぼすことがあったとしても、これは滅ぼすことはできないのです。世界人類を全部犠牲にしたとしても、これを侵害させてはいけない、と神様がご覧になるでしょう。このようの考えるのです。
 このような焦点上にいる皆さんですが、言いたいことをみな言うことができますか。 自分が言いたいことをみな言って、孝行者になる道理がありません。自分が言いたいことをみな言って、したいことをみなして、忠臣になる道理はないというのです。(51-354,1971.12.5)

 

 現在の立場は、どのような立場でしょうか。真の父母を中心として、同時代に処した時です。これは、一生に一度しかないのです。歴史の数多くの流れの中で、魚の切り身でいえば、魚の真ん中のような期間です。(46-167,1971.8.13)

 

 神様のみ旨から見れば、韓国の一番大きな教団の教会堂が、神様を代表して祈りを捧げることを願うにもかかわらず、雪の上でひざまずいて、礼拝の代わりに慟哭しながら、哀れなこの教会、この殿堂を救ってくださいと祈る立場になっています。この統一教会を立てるにあたって、悲痛な歴史の摂理的内容があったことを知るべきです。
 しかし、今は各国が歓迎するのです。アメリカでも今、朝野で問題になっています。日本でもそうです。ヨーロッパもそうです。統一教会の祝福家庭が、初めて人類の希望的な家庭として、家庭の崩壊を防御することができ、青少年の倫落を防御することができる道だと、希望的な一つの灯台のように考えられる段階に入ってきたのです。そうするためには、先生の血肉がどれほど削られ、恨の涙と曲折をどれほどたくさん経たかを知るべきです。
 誰も祝福家庭のカップルを離すことはできません。神様がそのようなことを願うのです。その一組が祝福を受けるためには、天は多くの血族を通じ、手を経て、一時に先生に会わせたのです。それは偶然のことではありません。歴史的な事件です。
 真の父母が生きる当代に、共に生きているということ、同じ空気を吸って、同じ時代に地球上で共に生活をしているということは、驚くべき事実です。それに先立って、祝福の基盤を受け継いだということは、驚くべき事実です。百万長者が問題ではありません。先生が皆さんのようであったなら、今日の統一教会が生まれたでしょうか。行く先々で監獄に直行するのです。監獄の正門を通って、裏門に出ていくのです。
 先生が暮らせる家庭、先生がとどまれる教会、先生がとどまれる一族を取り戻していくにあたって、今は、世界の版図をみな築きました。そこに備え得る外的条件を、みな築きました。
 世界の学者世界の集まりである世界平和教授アカデミー(PWPA)を百箇所以上、言論界の組織、それからこの世界を動かし得る頂上会談をみなつくっておきました。また、心を代表した宗教圏連合、体を代表した政治圏連合として、「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」をつくったのです。
 私個人で、体と心の闘争歴史として分かれたものを、今「終わりの日」に来て、収拾せずには、人類の生きるべき道を収拾する道理がないのであり、平和の世界に行く道がないために、一人でこのようなことをするのです。反対されながらも一人でやるのです。(211-336,1991.1.1)

 

3)真の父母の苦労と我々

①「真の父母」は我々に絶対必要

 

 真の父母が必要なのは、蕩減条件を立てるため、そして、愛で一つになった基準で、伝授されるためです。(137-116,1985.12.24)

 

 アメリカが私の怨讐ですが、私が監獄に入って、アメリカを生かすために「ワシントン・タイムズ」など、六つの団体を作りました。この世なら、みな復讐をするはずなのに、私はそうではありません。愛さなければいけないのです。蕩減復帰をするためには、必ず真の父母がいなくてはいけないのです。また、真の愛を中心として一つになるためには、真の父母がいなければならず、血統的に重生するにも、真の父母がいなくてはいけないのです。このように三つです。(137-113,1985.12.24)

 

 ② 我々は「真の父母」に接ぎ木された枝

 

 本来人間は、横的な父母であり、神様を縦的な父母として、縦横の父母の愛を中心として喜びの出発を見なければならなかったのです。それがサタンによって侵犯されたために、これを再び奪って付けて、真の父母の息子、娘にならなければなりません。そうするためには、野生のオリーブになったために、真のオリーブの枝をもらって、接ぎ木しなければなりません。
 宗教は接ぎ木することをするのです。これがキリスト教思想というものです。それで、新郎新婦の婚姻の宴が、この地上に現れなければいけないという話が出てくるのです。(58-218,1972.6.11)

 

 人類の希望とは何かというと、真の父母に会うことです。歴史的結実とは何かというと、真の父母に会うことであり、時代の中心とは何かというと、真の父母に会うことであり、未来の出発の基地とは何かというと、真の父母に会うことです。そこに接ぎ木された皆さんは、枝になるのです。
 今まで、歴史時代の願いは全部未来にありました。しかし、今日、皆さんの一生を中心とした真の父母との因縁は、永遠に一時しかないのです。一度しかない貴いものです。皆さんの先祖たちも持てず、皆さんの子孫たちも持てないのです。(46-167,1971.8.13)

 

 堕落によって、サタンが人類を全部連れていきました。地獄に全部連れていったのです。それで、このように行くここにおいて、神様が一つ、二つ、分けるのです。この世界は、サタン世界の野生のオリーブでしたが、そこで天の側のオリーブをつくりました。民主世界のキリスト教を中心として、天の側の野生のオリーブをつくって、世界をリードさせておいたのです。このサタン側の世界が弱化して、キリスト教文化圏が立つようになれば、再臨主が来て一遍に切って、完全に接ぎ木して一つにして、回して立てるのです。
 今日、左翼が滅び、右翼がみな滅ぶようになりました。誰が、そのようにしましたか。神様と真の父母が、そのようにしたのです。真なる父母と一つになった家庭は、世界のどこにいても、今まで真の父母が成してきた道を相続したために、そこで「強く雄々しくあれ」と言うのです。そうなれば、神様とこの宇宙が先生を保護するように、その家庭を保護することによって、一国を消化するのは問題でないのです。
 皆さん、「どこの信徒か」と聞かれたら、「私は統一教会の信徒だ」と、誇らしく宣布しなさい。我々は真の父母に属した者だというのです。我々は真の父母の子女だというのです。けんかしないでください。けんかするのは、サタンを受け入れることです。宣布して回りなさい。「我々はナンバーワン・ムーニー! ナンバーワン神様の子女だ!」と言いなさい。そうすれば、サタンが讒訴できません。そのような考えを確固としてもって回りなさい。(201-128,1990.3.27)

 

 我々のみ旨の帰着地が家庭です。家庭がなければ、神様の定着地がありません。すべての家庭は、真の父母を中心として繁栄するので、家庭がなければ何も成し得ないのです。木で言えば、幹 を中心として枝が伸びるのと同じです。その枝を折って挿し木をすれば、その木は繁殖していくのです。
 そのような枝の使命を完遂すべきなのが、宗族的メシアです。幹からずっと東西南北に伸びて、大きくなることで、中心の根も大きくなるのです。その中心の根が大きくなるには、枝が大きくなることと比例して大きくなるのです。
 それで、横的に大きくなれば縦的にも大きくなるのです。横的な基準を犠牲にして、ずっとこのように根が大きくなれば、枝もずっと上がります。み旨を中心として熱心にすれば、このようについてくるのと同時に、横的に拡大した力が圧縮されるために、「ため」に生きることで天宙をつなげることができる、という結論が出るのです。
 それで、夫婦を中心として行くとしても、神様を中心として縦的な基準で横的に奉仕の生活をすれば、そこで天宙統一圏が自動的につながるのです。このように一つになれば、必ず回ります。回っても倒れません。横的な基準があるために、倒れないのです。軸を中心として回るのです。回らなければいけません。遠心力と求心力が一つになることによって運動するのと同じです。
 自分自身が無の境地になれば、自動的に回ります。回り始めれば軸も上がり、下がるようになれば、自然に反動が生じるのです。それで上がったり下がったりするのです。呼吸するように運動するのです。そのような完成型のような人間が、天上世界で家庭を成せば、天国家庭の基盤になり、そのような基盤を築くようになれば、離れません。父母が行く所において、共に永遠に侍ることができるのです。
 それゆえ、真の父母を中心として、心情的共鳴圏を成し、その生活の体恤基準が永遠の心情世界の基盤になるのです。
 統一教会員は、真の父母と共に、神様と共に生きていきます。真の父母の愛とともに生まれるのです。愛は永遠の因縁を結ぶため、愛の因縁は絶つことができません。死ぬ時まで愛を忘れられないのです。
 父母は死んでいくときも愛の心情をもって、息子、娘を愛しながら死んでいくのです。夫や妻も同じです。愛を忘れて死んでいく人はいません。愛は、死を越えて、永遠とつながるのです。それで愛による生命圏を受け継いだ自分、男性と女性というものは、愛の根本である父母を忘れてしまうことはできないのです。
 父母は根であり、自分自身は幹であるとするなら、息子、娘は芽です。それが共に大きくなれば、氏族圏、民族圏、国家圏に拡大するのです。(218-127,1991.7.14)

 

 ③ 我々のための「真の父母」の苦労

 

 真の父母が真の子女を生むことは易しいことでしょうか、大変でしょうか。失ったものを探すのが、どれほど大変かというのです。個人が反対し、家庭が反対し、氏族、民族、国家、世界、天地、霊界がすべて反対するのに、これを率いてきたのです。商売心でそうしたでしょうか。何のためにそうなのですか。愛を中心として、愛を探そうとしたためです。
 今、皆さんがそのような資格をもっては、その前に立てないということを知るべきです。皆さんが、百回訪ねてきても門前で蹴飛ばしてしまい、千回訪ねてきても蹴飛ばしてしまうのに、皆さんを訪ねてきて、こうしているというんのです。自分が難しい迫害をみな一手に被っているのです。
 皆さんが誤ったことを、すべて先生にもってきてむれぎぬを着せます。先生はアメリカに来て、悪口を言われるべきこと、反対されるべきことは、何もしなかったのです。
 それなのに、皆さんが誤って、私が悪口を言われるのです。この世なら、皆さんを捨てて行くのに、捨てられずにいるのです。アメリカの法廷にも、私は、ほうっておいて、現れなくてもいいのです。しかし、皆さんのために行きました。私がいなければ、皆さんがどれほど引き裂かれるでしょうか。それで、私が打たれて、皆さんを守ってあげ、保護してあげるのです。(116-113,1981.12.27)

 

 ④ 我々に対する「真の父母」の期待

 

 統一教会には、西洋人たち、東洋人たち、まだらの人たち、本当にたくさん集まりました。何をするためにみんな集まりましたか。何をするために訪ねてきたのですか。 先生に会っても、与えるものは悪口しかありません。げんこつしか与えるものがないのに、それでもいいと言って来ているのです。それは何ですか。愛を求めて集まるのです。真の愛を求めててくるのです。その味を知っているのです。働き蜂が密の味を知ったなら、花の香りをかいで、千里の道も遠いと思わずに飛んでいくのと同じように、そのようにするのです。
 真の父母になるのはたやすくありません。私が真の父母の権限を引き継がせてあげるので、「引き継ぎます」と言う代表者がいれば、出てきなさい。私が真の父母になるということは、考えもしなかったのに、気がついてみると統一教会の責任をもって、行かざるを得なかったのです。それで、行ってみると真の父母になったのです。
 最初から、私が真の父母になるだろうということを知っていたなら、万民がみな分かったという理論になるのです。知らずに人生の根本問題を掘り下げてみると、ここまで来るようになったのです。ここに曲折がこのようになったのを、みな解いてみると、真の父母のすべての解怨成就も起こり、神様が解放を必要としていることが分かり、その神様が私によって解放されたために、絶対的に先生を愛さざるを得ないというのです。
 皆さんが真の父母に出会って、何をしましたか。しておいたものが何ですか。先生は、今まで悪魔の世界でむち打たれながらも、家庭を経て、氏族と民族を経ながら、個人編成、家庭編成、氏族編成をしてきました。この統一教会の祝福家庭は、氏族を編成したのです。世界的です。
 それを今は、サタン世界がそれを捕まえてどのようにすることもできません。なぜでしょうか。その暮らしをじっと見ると、素晴らしいのです。東洋人と西洋人が出会っても、いくらもたたずにけんかをしたりしてさっさと離婚するという、そういう時勢なのに、我々祝福家庭は、10年たっても最高であり、20年たっても最高なのです。そのように、仲良く暮らしているのです。(211-323,1991.1.1)

 

 ⑤我々が備えるべき水準

 

 皆さんの家庭に、「三大主体思想」のその実体を備え得る、真の兄弟、真の夫婦、真の父母が出てこなければなりません。実体存在です。真の兄弟になってこそ、真の夫婦が出てくるでしょう? 真の夫婦が出てきてこそ、真の父母が出てきます。真の父母の位置に立てば、真の夫婦になるのはもちろん、真の子女になるのです。父母の意識、主体思想を中心として、そのまま対象的な立場に立って一つになるのです。愛で一つになるのです。愛だけがこのすべてを和合することができます。
 すべての元素も、微小なものも、愛の道を訪ねていくのです。神様と一体となることができ、愛と直接接することができる細胞を訪ねていくのです。それが人間です。それゆえ、愛のためには犠牲にならなければならないのです。投入しなければなりません。 生命と財産をみな投入した伝統があるために、低い段階のものは、高い段階のものに自分のすべてを投入しようとするのです。
 それゆえ、ダーウィンの進化論ではなく、愛を中心として吸収する論理です。第二の価値的な内容を創造するところに創造要素として作用するときは、微小なものである現在の立場から、どれほど価値的な内容が上がるかというのです。(204-129,1990.7.1)

 

 これから最後に残る宗教とは、どんな宗教でしょうか。それは父母の宗教です。それで、父母の宗教が出てこなければならないと、宣布したのです。「歴史が長くなったからといって、父母の宗教になるのではない。それは、僕の宗教だ! 庶子の宗教だ!」と宣布したのです。
 それが公式の演説内容がそれです。「父母の宗教の使命を受けたそのような責任者が、この壇上で、この大会の主題演説をするレバレンド・ムーンであることを、皆さんは知らなければなりません」。このように発表しても、世界が粛然としたのです。ですから、キリスト教では「統一教会の文総裁が再臨主だとうわさが立った」と言って大騒ぎするです。西欧社会では、人として主が来るなら、文総裁以外にはいないというのが結論です。
 皆さんもそのように考えますか。「文総裁が再臨主だというのか、韓国語を話し、私と同じだというのに。また言葉は、なぜそのように早いのか」と、こう言っているでしょう。忙しい歳月を治めるから、言葉まで早くなりました。それで、言葉が早いのも研究したので早いのです。日本語を話してもそうであり、英語を話してもそうで、誰も私についてこれません。
 では、皆さんがそのような先生に出会えてよかったですか、悪かったですか。良かったら、良かったという人たちが立派にやらなければなりません。(214-175,1991.2.2)

 

4)恩寵と自覚

 ① 「真の父母」という言葉は初めて現れた言葉

 

 神様のみ旨が成されるためには、父母が来なければなりません。堕落した父母ではなく、真の父母が来なければならないのです。
 この「真の父母」という言葉は、皆さんが考えもしなかった立場で見いだされ出会える、そのような言葉、そのような内容ではありません。これは、歴史上に初めて現れた言葉です。この事実は、革命が問題ではないのです。これは、歴史にない奇跡的な大事件です。
 皆さんが、「真の父母」というこの言葉を習い、「真」という言葉を言うようになったのは、今まで生まれては死んだ数多くの父母たちの愛を凌駕し得る、たった一度しか存在できない愛をもって現れたために、可能なのです。そのような基準をもったために、「真の父母」という言葉をいうことができるのです。
 このときの愛の関係は、神様の愛があるなら、その神様の愛を人間が初めて受ける最高の基準であり、イエス様がこの地に生まれて亡くなりましたが、そのイエス様も想像できない、そのような最高に理想的な立場です。
 このような立場まで来るには、歴史過程でその代価を払ってきたのです。真の父母の基準が出てくれば、自分が根本的に敗北することが分かるサタンは、これを成せないようにし、この時がこないようにするために、偽りの父母の立場で、手段を選ばず、数多くの人を犠牲にし、数多くの血の代価を払うようにしたのです。この日が来るまで、むごたらしい犠牲が払われたというのです。
 そのような思想をもって、そのような道を行こうとするすべての信仰者たちに対して、個人的に犠牲にさせ、家庭的に犠牲にさせ、あるいは民族的に、国家的に、世界的に犠牲にさせてきたサタンの歴史がありました。そこに犠牲になった我々の先祖たち、善を追求して真の道、父母の道を探してきた善なる我々兄弟たちが、どれほどむごたらしい血の代価を払ったかということを知らなければなりません。(67-225,1973.6.27)

 

  ②「真の父母」という言葉は福音中の福音

 

 皆さんがユートピア世界を探そうとすれば、どこへ行くべきでしょうか。本然の家庭の愛の圏を経ずしては、行く道がありません。先生が原理主管圏内と直接主管圏内を神様の愛と真の父母の愛でつないだ基準があるために、霊界と肉界が、その愛の橋を通じて往来できる道が生じるのです。
 「原理」でいうように、神様が本来つくられたとおり、直接主管圏と間接主管圏に分けられているのです。では、それをどのように一つにするのでしょうか。それは、真の愛だけが可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム、エバが成熟するときだけです。そのようなときは、自動的に水平的な真の愛が現れるのです。
 その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です!」と抱き締めるようになるとき、真の愛がその二人の中心に現れるのです。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっているのです。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば終わるのです。
 真の愛が現れれば、すべてが皆自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。
 どこから真の愛が出発するのでしょうか。真の父母からです。これは、福音の中の福音です。世の中にどんな良い言葉があるとしても、夫という言葉が良い言葉で、妻という言葉が良い言葉だとしても、堕落した世界は、真の父母が現れなくては真なる夫と妻が現れないために、真の父母以上に良い福音がないというのです。(131-187,1984.5.1)

 

 歴史過程において、悲しみがあれば、最高の悲しみ、困難があれば、最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払った、その結果として見出されたのが、この真なる家庭なのです。
 この真なる家庭が見出されることによって、歴史的な悲しみが解怨成就されうるために、歴史的な死の代価が解怨成就され得るために、歴史はこのような悲惨な蕩減条件を払ってきたというのです。したがって、この真なる家庭が、この地に顕現したという事実は、我々人類において、それ以上の喜びはなく、それ以上の価値はないのです。
 そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がなければならないのと同時に、真なる夫婦が成されなければならないのです。真なる夫婦が成されて、真なる子女が誕生しなければならないのです。
 この真なる父母は、サタンの前にいかなる讒訴の条件をも残してはいけません。真なる夫婦は、サタンの前にいかなる讒訴条件に引っ掛かって、うめく場にあってもいけないのです。真なる家庭に属している子女もまた、サタン世界に讒訴条件を残し得る位置に立っては、真なる家庭の息子、娘になり得ません。
 皆さんは、「真の父母」という言葉を話し、「真の父母」という名詞を知っています。この「真の父母」という言葉は、歴史時代に、誰も呼んでみることができず、誰も考えられませんでした。
 しかし、今日我々は、呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように我々は、歴史時代の誰よりも幸福な位置に立っているのであり、歴史時代の誰よりも高貴な位置に立っているというのです。
 「真の父母」という名前とともに、歴史において今まで苦労してきたし、真の父母の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるようになるとき、「真の父母」という名詞こそ、今日我々人類に福なるみ言の中の福なるみ言であるということを知るべきです。
 この真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新しい世界に入り得る起源が生まれ、真の父母によってサタンを屈服させ得る内的な因縁が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげられる中心が決定されるのです。それゆえ、真の父母と共に暮らし、真の父母の命令に従って行動し得る、この驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。
 自分の人生をみな犠牲にすることがあっても、真の父母の行く道に同調できる道があるなら、我々人類の前に、これ以上の幸福なことがないというのです。
 真の父母の命令に従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるなら、彼は人類が願う最高の希望の頂上の中で、天と地が直視し、歴史が注目する神々しい勇士です。
 皆さんが真の父母の心情に代わって、あるいは、国家と民族に代わって戦うことができる立場に立ったとするならば、その心情によって、国家なら国家、民族なら民族が初めて幸福の園の門を開くことができ、行進して入り、勝利の栄光の場に参席することができるのです。
 そのような希望の国民と国家が顕現するという事実を考えるようになるとき、真の父母の心情の旗を掲げて立ち上がる皆さんこそ、歴史を呼び起こすことができ、死亡の世界をもう一度審判することができる旗手であるのです。そのことを、皆さんは自覚するべきです。(43-142,1971.4.29)

 

  ③「真の父母」により未来が保障される

 

 統一教会いう「真の父母」という言葉は、偉大な名詞です。もちろん原理の内容も深みがあります。ここから未来に対する確信と価値を保障することができるのです。また、現実舞台に、価値を保障することができる一つの原点があるなら、それはその言葉から来るのです。
 ここで我々は、どのようにしなければならないでしょうか。一つにならなければならないのです。誰を中心として一つになるべきでしょうか。自分を中心として一つになってはいけません。自分の家庭を中心として、真の父母を率いて一つになろうとしてもいけません。真の父母の前に率いられていかなければならないのです。
 率いられていくには、自分だけ率いられていくのではありません。自分の父母なら父母、夫なら夫、妻なら妻まで率いていかなければなりません。それだけでなく、自分の子供たちも率いていかなければならず、家庭にある物質までも率いていかなければならないのです。そうして一つにならなければなりません。(35-274,1970.10.25)

 

 

 ④「真の父母」の価値

 

 神様の摂理の目的とは何かというと、一つの焦点です。神様の理想が実現される場も、正にその場です。我々が、失ってしまった父母、失ってしまった真の父母様に出会うことができる所も、正にそこです。それで、その基台がすべての中心です。その立場、それが真の父母というものです。歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値のある立場です。
 それが、どれほど重要なものなのか考えてみなさい。すべての聖人たちがこの基台、この問題のために戦いました。神様がこれを重要に考えられ、霊界にいるすべての霊人たちも、そのように考えています。それゆえ、この地上の全人類も、これを重要と認識しなければなりません。
 皆さんは、この本当の価値を知ることができませんでした。これは、数千個の国土を与えられても替えられません。国土ほどのダイヤモンドを与えられても替えることができません。アメリカ全体を神様に祭物として捧げたとしても、皆さんはそれを得ることができません。
 皆さんの目で直接その立場を見ることができるなら、どれほど幸福でしょうか。また、見ることができなければ、皆さんはどれほど不幸な人になるでしょうか。もう一度、じっくりと考えてみなければなりません。それで、神様の目、すべての霊人たちとすべての人たちの目が、ここに焦点を合わせなければいけません。
 このような観点で歴史を見るようになれば、歴史というものはないのです。歴史は、これと何の関係もありません。この立場は、堕落する以前における人間の最初の先祖のための立場であるために、これ以後には堕落したいかなる歴史もあり得ません。
 ここから新しい内容が出発します。すなわち、すべての中心、すべての内容、そしてすべての結果がここから出発するでしょう。ここに参与し得る者たちが、地上の最初の勝利者になるでしょう。ここから、神様の愛を中心として、家庭を成し、サタンの主権を追い出し、この地上に新しい天国を建設するために、出発することができます。また、ここから歴史の実が結ばれるようになるでしょう。この立場が全世界の中心点です。
 この位置が未来のための出発点になるでしょう。ここから過去の歴史の完成が成されるであろうし、現在の歴史の完成が保全されるであろうし、未来世界の完成が始まるでしょう。この点、この位置をつかめるなら、皆さんは一人の人間として、すべてを征服した征服者になれます。
 では、価値がどれほど大きいでしょうか。それがどれほど素晴らしいものであり、皆さんがそれをどれほど愛し、どれほどたたえ、どれほど尊重し、また、どれほど好むようになるでしょうか。
 この位置は、最高に高い位置になるべきです。歴史において最高の高い位置に置かれなければいけません。そのすべての偉大な人たち、彼らがいくら偉大だとしても、これには比較することができません。皆さんがこれを見るようになれば、間違いなく、うれしくて感激するでしょう。
 皆さんは、眠る間に、夢の中で踊りを踊ったことがありますか。皆さんがこの場、この位置を思うようになれば、そのたびに皆さんがそのような感情をもつようになって、眠りながらでも踊りを踊ることができるようになります。
 皆さんは他のどんな位置よりも、皆さんの生命や、他のいかなるものよりも、この位置に心がもっと引かれるべきです。再び見たいと思い、共に暮らしたいと思い、これなしには生きられないという、そのような感情を持つべきです。(52-95,1971.12.23)

 

 父母になるには、天地が和答(注:互いに応じて答えること)しなければなりません。天上世界に行って神様に勝ってこなければなりません。アダムは、神様が「そうではない」とおっしゃることを「そうです」と言って、事実を事実でないことにしたので、事実でないことを事実として肯定させなくては、本然の基準に入れないのです。
 天地間で真の父母になるための過程において、すべての問題を実体的に解決することのできる内容が、天地を明らかにするのであり、すべての歴史的な曲折を解放させるのであり、神様の心中に打ち込まれた釘を抜くのです。神様が願う愛の解放は、このような息子と娘を抱いて愛しながら、喜び、踊り、笑うことです。すべて全部が歓喜に満ち、千年、万年その喊声が、被造万物から全天地に満ちなければならないのです。
 否定するそこにおいて、肯定的内容を提示しないことには、地上に来られないのです。ですから、どれほど深刻ですか。天上世界で孔子と釈迦とイエスが集まって、このような試験をするのです。それをみな握りつぶしてしまい、神様の前に来て、談判するのです。
 神様の創造理想には、言葉で言えない心情があります。このみ旨をアダムが完成期に自ら悟って、悪魔を屈服させなければならないのです。解放の主権者にならなければなりません。万国の統治者であり、万民の救いの主人であり、兄弟の長男権を備え得る人がアダムなのです。サタン世界が反対するようにして、40日間霊界が混乱の中に陥るのです。神様が審判官であるために、神様から正義の判定を受けなければなりません。そこで文総裁の勝利の判決を受けて、地上に来るのです。(215-86,1991.2.6)

 

  感謝すべき我々

 

 神様に対する感謝を、どのように捧げることができるでしょうか。真の父母に対する感謝を、どのように捧げることができるでしょうか。我々の教会に対する感謝を、どのように捧げることができるでしょうか。皆さんを再創造してくれたことに対する感謝を、どのように捧げることができるでしょうか。
 私が経てきたのちには、真の家庭が現れるのです。さらに1段階進めば、真の氏族が現れ、さらに1段階進めば、真の国家が現れるのです。さらに1段階進めば、真の世界が現れ、さらに1一段階進めば、真の宇宙が現れ、さらに1段階進めば、真の天宙が現れ、さらに1段階進めば、神様が現れます。これが我々の最終目標なのです。
 人間は、堕落した以後にサタンの血統を受け継ぎました。これが問題です。数千万代を経て、神様の血統でないサタンの血統を受け継いだのです。それで、どのようにこのサタンの血統を清算するのでしょうか。アダムとエバが堕落した以後に受け継いだ汚れた血統を、どのように清算するのかというのです。
 そのような内容を清算するために、真の愛、真の生命、真の血統を中心として現れられた方が真の父母です。サタンの血統を肥料にして、生命を育ててきたのです。
 しかし、新しい復活の時代には体が神様の愛と、生命と、血統を中心として、真の愛を肥料にして育ててきたのです。そうしながら、一方は消え、一方は繁栄してくるのです。ここから神様が共にいらっしゃり、サタンとは永遠に離別するのです。
 神様の心の中に苦痛があるとは、誰も思わないのです。歴史上に現れ、今ここに先生を通じて現れ、その深い使命を明らかにしたから分かるのであって、そうでなければ分からないのです。どれほど驚くべき事実かというのです。
 イエス様もそれを知りませんでした。知っていたとしても、心にあることを言うことができなかったのです。また、宗教指導者のうち、誰もそのように隠された宇宙の秘密が分かりませんでした。歴史上初めて、世界の前に先生が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。
 今から個人的基盤でなく、国家的基盤に方向を変えなければならないのです。一国家の指導者も、過去を悔い改めて振り返れば、神様が許されるのです。それは神様の新しい伝統に属するのであり、新しい血統を意味するのです。そうでなくては、サタンを分立することができないのです。それはまた、統一教会の祝福式以前にある、血統転換式を意味するのです。
 天地創造の時に堕落しながら、真の愛、真の生命、真の血統が堕落世界の汚いものとつながりました。しかし、今は神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、横的につながっているのです。これは180度転換したのです。
 サタン側とつながったアメリカや、この世界には、希望をかけることができません。 全世界の人類が、初めから最も邪悪なサタン側の父母についていったのです。
 しかし、今は初めてその方向が180度転換したのです。そこは、出発点ですがゼロ点です。そこには何の意味も、存在も、観念も、伝統も、文化もないのです。これが再創造です。
 神様が、初めにすべての環境的なものを創造されてから、土と水と空気で一つにして人間を造りました。その時、人間は何の観念もなかったのです。ゼロ点なのです。このサタンの伝統から180度転換するのです。
 180度転換して生まれ変わるのです。生まれ変わるということは、再び生まれるということです。その最初は国ではなく、父母です、その次は、兄弟です。3番目は夫婦、夫と妻です。4番目は子女です。
 神様は、3世代を願われるのに、この3世代をもつことができませんでした。1代は神様、2代はアダムとエバ、3代は今まで持てなかったのです。今まで神様を中心として、人類が繁栄できず、ただサタンに属すようになったのです。そのサタンは愛の怨讐です。
 どうすれば、この血統を清算できるでしょうか。「私」は日本人でもなく、どの国の人でもない、神様の民として生まれたのです。何を中心としてですか。神様の愛、神様の生命、神様の血統、この三つの根源が標準なのです。
 ですから、感謝するのに、何を感謝するのでしょうか。豊かに暮らすことを感謝するのではありません。十字架を背負ったことを感謝すべきなのです。
 戦争で負けた敗残兵が血を流し、倒れ、腐ってにおいがしているなら、それを誰が葬りますか。誰が敗残兵を教育して、再び正規軍にするのでしょうか。また、食べるものがなければ、その人たちをどのようにするのですか。ただ殺してしまうのですか。違います。勝てばみな良いと思ったのに、もっと大きな十字架を背負うようになるのです。
 それをみな解決してから、それを再び建設したのちに初めて、自分の時が来るのです。自分が新しい家庭を立て、新しい国家を立て、新しい世界を立てたのちにこそ、幸福に暮らせるのです。
 いくらそれが難しいといっても、永遠の世界、本郷に汽車のレールがあるなら、このレールと、この地に暮らすレールと同じでなければなりません。霊界に入るレールと同じでなければなりません。皆さんはどうですか。現在自分が暮らしているレールが、霊界のレールと同じだと思いますか。ただそのまま神様の前に走っていけますか。そのレールを同じようにするために、真の父母が必要なのです。(215-171,1991.2.17)

 

  ⑥「真の父母」との因縁は宿命的な業

 

 我々人間は、100パーセント愚かな立場に立っていますが、100パーセント以上知恵深い神様が友達になり、無限の霊界の先祖たちが、自分の同伴者になり、後援部隊になっています。そのようなことを考えるとき、有り難いのです。
 先生は一線で冒険の場、ゴリアテの前にダビデが立ち上がるときのその気分が、本当によく分かります。堂々としているのです。神様が保護されて、百戦百勝することができるのです。「打てばおまえが裂けるのであって、私は裂けない!」という心をもって暮らしてみると、本当にそのようになったというのです。
 神様が先生をこのように育てたのと同様に、先生も皆さんをそのように育てるべき責任があります。それゆえ皆さんは、「智者にならなければならない」という宿命的な課業を相続しなければならないというのです。因縁的な課業ではありません。宿命的な課業です。
 真の父母と真の父母の子供ということは、永遠不変の宿命的な業です。これを誰も分けることができないのです。千年、万年その道を行かなければなりません。行くべき道は二つの道ではなく、一つです。ほかに方法はありません。秘法はありません。その道を行かなければなりません。(203-192,1990.6.24)

 

  責任を持つべき我々

 

 霊界に行き、12の真珠門を経ていくためには、どのようにすべきでしょうか。地上でサタンからどれほど天の民を取り戻してそこに入ってくるかということが問題です。
 そうするためには、涙と血と汗を流さなければなりません。再創造の真の愛の心情を中心として、サタンの父母以上、サタンの夫、妻、息子、娘以上の心情を投入して、涙とともに、血と汗とともに交差するその過程を経ずしては、天国の自分の民を所有することはできません。この数に比例して、あの世の栄光の位置、神様の近くに行くすべての条件の成立が決められるということを知るべきです。
 文先生は、生涯をかけて、国だけでなく世界のために生きました。なぜでしょうか。 霊界に行っている人たちまでも、全部真の父母の恵沢を受けるべきなのです。ダンベリーの監獄に行き、2月1日、地獄と天の門を開く式をしました。それを開門するために、すべてのことを準備しなければいけません。ですから監獄にも行かなければならないのです。
 このように、千辛万苦、恨の峠を越えに越えなければなりません。大洋が広いといえばそれを泳いで渡っていくがごとく、山が高いといえば、裸足でも白雪が積もっているヒマラヤ山頂を越えるがごとくにです。そのように、歴史の悲惨さ、それ自体を越え、すべての勝利の覇権的基盤を立てたのです。悪魔自体がついてこようとしても、ついてくることができず、離れまいとしても、離れざるを得ない受難の道を経てきたというのです。
 自分の家の自分の息子、娘は厳粛な立場にいるのです。第二の神様です。おじいさん、おばあさんは、昔を代表した神様に代わり、お父さん、お母さんは、この時代を代表し、息子、娘は、未来を代表したのです。この3時代の代表を過去、現在、未来の神様の顕現者として侍るすべを知るべきです。
 息子、娘をたぶらかし、妻をたぶらかし、夫をたぶらかし、父母をたぶらかす人は、地獄に行くのです。「ため」に生きる愛、生命までも投入して忘れることができる真の愛の核を中心として、家庭と国家と天地がつながるようになっているのであって、それ以外にはありません。
 そのような核を通じた心情的内容をもって、天国の民をどれほど復帰するかということが、私の国の統一を解決する秘訣です。他の所へ行っても、私の国を統一するという同様の立場でその国を、あらゆる精誠を尽くし、どの国にも負けないよう、まず天の前に奉献しなければなりません。
 旧約時代は万物、新約時代は息子、娘、成約時代は夫婦、その次には神様です。堕落によって神様を地上に迎えられず、サタンを迎えて、全部つなげなければなりません。
 それゆえ、皆さんの物は、皆さんの物ではありません。万物は旧約時代に該当するのであり、息子、娘は新約時代に該当するのです。旧約時代に万物を犠牲にして、息子、娘の行くべき道を築きました。そして再臨主、真の父母がこの地に来て苦労することは、神様をこの地に迎えるためなのです。しかしサタンを地に迎えたので、これは地獄です。神様を迎えなければなりません。これは「真の愛」でしなければなりません。
 再創造は、投入して投入して忘れる真の愛の起源を通じて成されます。神様を迎えられる物質と子女と自分の実体全部を真の愛で結合させて、このすべてが真の愛とつながった神様のものである、という言葉が設定されたのちに、再び分配されて、子女の所有時代につながるのです。父母の所有、子女の所有として分配されるのです。(211-352,1991.1.1)

 

5)我々の成すべきこと

  ①我々の責任

 

 復帰の道を行く皆さんは、個々人ですが、皆さん個人だけが行く道でありません。復帰の道を行く皆さんは、いつも真の父母に代わって行くのです。そうでなくては、氏族的、民族的、あるいは国家的な真の父母の勝利の基盤を備えることができないのです。
 皆さんが真の父母に代わって正しく行くためには、真の父母が世界的な霊的勝利の基準を立てるために行くので、皆さんは国家的勝利の基準を立てるために行かなければならないということをはっきり知るべきです。霊的には真の父母の勝利の基準が立てられたので、地上にも真の父母の勝利の基準を立てるべきですが、皆さんが民族的な基準を越えるべき真の父母の責任を代行しているのです。
 これを他の面で説明すれば、皆さんが民族的な基準を越えて世界的な基準に向かっていくなら、来られる真の父母は霊的に天宙的な勝利の基準を立てなければならないのです。真の父母の因縁をもって来られる主は、我々が背負っていくべき十字架を霊的に開拓し、実体的に勝利され、すべてに責任をもっていかなければいけないのです。これが父母復帰の難しさです。
 では、天と地と人間を振り返ってみるとき、天がある一時でも、勝利の真の父母に侍ることができましたか。まだ侍ることが侍ることができませんでした。地が侍ることができましたか。まだ侍ることができませんでした。人間が侍ることができましたか。まだ侍ることができませんでした。
 では、真の父母だけに侍ればいいのでしょうか。そうではありません。真の父母に侍ったのちには、真なる家庭、氏族、民族、国家、世界を復帰しなければなりません。そのために準備したのが、イスラエル民族でした。
 真の父母の前に真の子女として立つためには、子女の個人的な復帰路程があるのであり、子女の家庭的な復帰路程があるのであり、子女の氏族的な復帰路程があるのであり、子女の民族的な復帰路程があるのであり、子女の国家的な復帰路程があるのです。父母の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程と、子女の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程を完結し、父母と子女が一体となり、勝利したという基準を立てておいてこそ、初めて民族復帰を終結して、世界的な舞台に向かって新しく出発することができるのです。
 では、統一教会の使命とは何であり、統一教会に入教した皆さんは、どんな立場にいるのでしょうか。先生を中心としたこの統一教会に呼ばれてきた皆さんは、悲痛な6000年の縦的歴史を横的に、実体的に展開しなければならない立場にいるのです。
 我々は、今、何の決心をすべきでしょうか。我々が行くべき目標はどこですか。世界的な基盤の上に真の父母の国を立てなければならないのです。世界的な真の父母の国を立てなければならないのです。いまだ悲しみと苦痛と涙がこの世界に残っているのですから、これらを我々が1日も早く清算しなければなりません。これが、今日統一教会が担っている責任であり、使命なのです。
 それゆえ、皆さんは今、行くべき道に立ち上がったので、イスラエル民族がカナンに向かって行ったときと同様に、後ろを振り返ってはいけないのです。心でもそうすべきであり、体でもそうすべきなのです。
 我々が抱くべき希望とは何でしょうか。天に代わってこの地に来られる真の父母様に、本当に侍ることを希望しなければなりません。侍るには勝利の基盤がなされたのちに、万民が仰ぎ見、万民が恭敬するようになった位置で侍ることを願ってはいけないのです。悲しい歴史を経られる真の父母に侍ることを願わなければならないのです。
 悲しい歴史を経てきた真の父母に侍ることができないことを、先祖たちは恨と考えているのです。真の父母に本当に侍ることを、すべての人類が希望するのです。それゆえ、栄光の場で侍ろうとするより、悲惨な場で侍る真の孝子、真の孝女にならなければなりません。
 そのような真の孝子、真の孝女になるためには、難しい立場、失望し得る立場、悲惨で悲鳴を上げ得る立場に立っても、「天よ、私を導かれる天よ、真の父母様はイエス様よりももっと苦難の十字架の道を行かれるので、父母に侍る私としては、いかに加重された十字架を背負うようになっても当然です。私はそれを称えますので、天は私のゆえに心配しないでください」と言えなければなりません。自分に及ぼされる心配と苦痛と悲しみを天に背負わせないで、自ら蕩減していくすべを知る人にならなければなりません。それでこそ、個人的な基準で、個人的な父母の勝利の因縁を接ぎ木することができるのです。
 現在、我々祝福家庭が韓国の至る所に広がっています。なぜ祝福家庭を韓国の至る所に広げておいたのでしょうか。天は韓民族韓半島を中心として摂理され、真の父母はこの韓国民族、韓半島に来られるのです。そして、来られる真の父母様に、韓半島のすべての村々が、谷から谷が、山野はもちろん、全部が侍りたいと思うのです。それは、真の父母に侍ることが歴史的な願いであるためです。
 それゆえ、子女の立場で個人的な蕩減基準を立て、家庭的な蕩減基準を立て、真の父母の代身となり、その村と部落が、後悔なく侍りたいと思う、真の父母の実体の代身者にならなければならないのです。来られる真の父母は、もちろん中心の位置にいらっしゃり、霊的にすべてのものと関係を結ばれますが、実体は一つなので、全体に対することはできないのです。それで真の父母の実体に代わって、万民に対する立場に立てられたのが祝福家庭なのです。
 真の父母には、この民族を越えて世界的な十字架を背負って行くべき責任があります。それゆえ、民族的な十字架は、地方に広がっている真の子女の立場にある祝福家庭が背負って行かなければなりません。祝福家庭全体が一つの氏族的な基盤、民族的な基盤になってこそ、天の役事は、この民族を中心として勝利の峠を越えることができるのです。(13-288,1964.4.12)

 

 父母様を愛して、本然の愛の基準を中心としてサタンを分別し、責任分担の世界完成基準を越えなければなりません。(137-116,1985.12.24)

 

  ②我々の使命

 

 これから我々が成すべきことは、真の父母に侍ることができる基盤を築き、その方の前に世界の兄弟を糾合することです。また、このような責任を背負った先祖たちとして、子孫たちが背負う十字架と迫害の道をなくしてあげようということです。これが我々の本然の使命です。(20-135,1968.5.1)

 

 神様が人類世界に統一された父母の位置、アベル的世界とカイン的世界が互いに一つになった基盤の上に立って初めて、万有の主人公として、父母として登場することができるのです。
 今日この地上に暮らしているすべての人たちは、今まで父母がいなくて暮らしている子供たちと同じです。そうして、戦っています。それゆえ、神様は父母の立場で現れて、初めて彼らを教育して、「お前と今、戦っているあの人が、お前の兄であり、お前の弟だ」ということを教えてあげなければならないのです。それは、神様以外には分からないのです。
 悪なる父母によって、真なる理想的父母が去ってしまい、理想的子女の因縁を失った基盤で、サタンのいけにえになったために、理想的な父母が出てこなければなりません。また、理想的な子女の教育を天が再びすることができる時にならなければならず、そのような使命を受け継ぐ一つの宗教が出てこなければなりません。そのような宗教が統一教会です。
 それで、統一教会では何を誇るのでしょうか。真の父母の歴史を誇るのです。その次には、真なる子女が結束しなければなりません。「真の父母」といえば、自分の一族だけを愛するのではなく、世界的であり、宇宙的でなければなりません。真の子女とは何かというと、「私はアメリカの国民しか知らない」と言う者ではないのです。
 そうであってはいけないのです。ここでは民族感情を超越しなければなりません。誰の名で? 神様の名で。堕落は誰の名で? サタンの名で 。我々は神様の名で堕落線以上にジャンプして上がらなければなりません。そうして、アダムの頭の上に神様がいらっしゃったのと同じように、我々の頭の上に神様がいて、その方が直接指揮しなければなりません。
 それゆえ、堕落しなかった真の父母と神様を中心として、真なる血肉を世界的に糾合して新しい世界に編成していくのが統一教会の道です。そうすれば、一家庭が氏族になるのであり、氏族が民族になるのであり、民族が国家を成して世界を制覇するでしょう。
 堕落した世界が、このように落ちるようになったのを、我々は新しく出発して上がっていかなければなりません。このようになった世界と、このようになった世界的基準で、接触する接線地を逆さまにひっくり返しておく一時がなければなりません。その中間線に接続する時が、どんな時かというのです。皆さんは、それを知らなければならないのです。(86-229,1976.3.31)

 

 我々統一教会には、真の父母がいますが、その真の父母は、どのような立場での真の父母ですか。統一教会の中での真の父母であって、国を越えず、世界を越えなかったというのです。ですから、国家、世界のサタンが残っているために、いまだに鋭い視線を送っているのです。
 それで、我々統一教会は、教会に真の父母を迎えることを、国家と、世界と、霊界まで拡大させる運動をするのです。これが我々統一教会の運動です。国家の父母として迎え得る環境が、今近づいてきているのです。(124-309,1983.3.1)

 

6)生命視すべきこと

 自己主張不可

 

 皆さんたちが持ったものは、黄金の粒は黄金の粒ですが、砂の中に入っている黄金の粒、何かの鉱石や土の中に入っている黄金の粒なので、それらを全部溶鉱炉に放り込んで、溶かしてしまわなければなりません。焼き出さなければなりません。それが標準の過程です。では、そのときに体が溶けて水になってなくなるのに「ああ、いい」と言いますか、「ああ、私は死ぬ。私は死ぬ」と言って一大事が起こりますか。それは、皆「死ぬ」と言っても、黄金の粒は死なないのです。
 皆さんはピュアリティー(purity;純粋)が多いですか、インピュア(impur;純粋でない)が多いですか? どちらが多いですか?(インピュア)。では、どちらが主体ですか? ピュアが主体ですか、インピュアが主体ですか?(ピュア)。皆さんが皆ピュアなら、心配しなくてもいいです。
 皆さんが、純粋になるには、98パーセントまでは否定しなければなりません。我々のものは2パーセントにしかならないのです。ですから、どうしなければならないでしょうか。どれほど悲惨ですか。ムーニーの生活は悲惨か、幸福か、考えてみなさい。では、ムーニーの中心であるレバレンド・ムーンは幸福ですか、悲惨ですか。初めは不幸でも、あとには幸福だという、そのような希望をもっているのです。
 「迫害すれば溶鉱炉に入る。私がまだでき上がっていないからこうだ」、このように考えるのです。迫害が来るなら、来いというのです。迫害できるなら、せよというのです。純金になるまで、溶鉱炉に入っていることを願うのです。それが、早く純金になる方法です。
 それゆえ、98パーセントを捨て100パーセント純粋な金になるための道を行く人は、我慢するのがどれほど大きくなければならないでしょうか。苦痛がどれほどひどいでしょうか。それでも行くべきだという信念をもたなければなりません。
 世の中の人たちが、100パーセント純金だと鑑定したのに、神様がピンセットでつまんで鑑定するとき、100パーセントになるのかというのが問題です。それが心配です。神様が100パーセント純金だいうのと、私が100パーセント純金だというのを比較するとき、私が100パーセントだと主張するのがもっと大きければいいのですが、どうですか。私は、私が主張するのがもっと大きくあってほしいと願います。そうするには、自分を主張する不純分子が一つでもあってはいけません。では、神様は御自分を主張しないのかというのです。神様も御自分を主張するのです。神様も御自分を主張し得る素質があるのです。
 自分がもっと純粋になるためには、自分を主張するものが一つでもあってはいけません。そうなれば、自分が100パーセント純金になり、神様が鑑定する純金以上の位置に行くのです。そのように考えられるのです。自分を主張する心、自分がセンターだと思う心が、永遠に何もないというときは、100パーセント以上純粋なものになることができます。
 では、純金とは何でしょうか。不純な要素が一つも介入しない、ただそのままの姿をいうのです。ですから、完全に自分がない、百年、千年、愛に酔って暮らす人たちがいる国は、愛において純金の中の標準になることができます。そのような愛の所有者は、偉大な女王や王と同じです。
 先生は、皆さんにそのような妻、そのような夫になりなさいというのです。そうして、純金になれば、神様が必要ですか。神様がその中に既にいるのです。必要ではないのです。それゆえ、皆さんはそのような人にならなければなりません。(128-206,1983.6.26)

 

 皆さんは本物の純金ですか、偽物ですか。先生が皆さんを見ると、本物ではありません。皆さん4、5人を合わせたたいて、再びつくりせば本当になるか、このように見るのです。先生が本物の市場、本物の商店に皆さんをそのまま置いて、「本物だ」と言って売れないのです。売り出すことができないのです。そのように見るのです。ですから、鍛錬と試練、製錬の過程がまだたくさん残っているのです。
 「おまえたちは純金か」と言うとき、私は純金だと見ません。まだ錬磨を受けるべき過程が残っているから、嫌でも良くても、製錬所に全部突っ込まなければなりません。突っ込んで悪いものは焼いてしまい、純粋なもの、一つの結晶体として連合したもの、表も中も間違いなく一つに現れうるその形態を備えるまでは、統一教会員だとは言えません。(138-200,1986.1.21)

 

 我々には、自分を調整するための調整装置、調整する期間、調整する時が、調整する時間が必要です。標準の時計に合わせておかなければなりません。はかりも標準のはかりがあります。それは世界に一つあるのです。メートルならメートルの原器というものは、二つでなく一つです。
 では、本来は人間の調整の基準がありますか。ありませんか。では、人間のその絶対基準と、現在勝手になった自分の基準がゼロ点の調整で自然に合う自分ですか、無理にしても合わない自分ですか。無理に合わせても合わないのです。
 このような自分が本来の原器、メートルならメートル原器のように、自分を認めてくれというのです。それでは、それを認めてくれる人が狂った者です。そのような者は、殴って捕まえなければなりません。神様が、「おい、こいつ! お前は顔つきがそうなのに、認められると思うのか。否定し、殴って捕まえなければならないのに、同情して協力しろというのか」と言うのです。
 今日、祝福家庭は、家庭という名詞は尊重し、家庭の内容は無視する輩が多いのです。(127-202,1983.5.8)

 

  ②一つになりなさい

 

 皆さんは、真の父母の心情的な内容をどれほど知っていますか? また、血統問題、人格問題、み言の問題、生活の問題、そして国家観、世界観、天宙観が、真の父母とどれほど一つになっていますか? 
 これは、皆さんが本当の意味で神様の真の息子、娘になり得るかという問題を決定づける母体になるのです。皆さん自体だけでは不安なために、どのように皆さんを真の父母とつなげるかというのが問題です。根源がなければいけません。すなわち、その核心がなくてはならないのです。(28-247,1970.1.22)

 

 「真の父母」とは何かというと、皆さんの父母の代わりです。本来の父母が真の父母です。皆さんの父母と皆さんは、一つになければなりません。では、おじいさんは誰ですか。神様です。神様の命令に対しては、真の父母も勝手にできません。父母は自分の息子、娘を、おじいさんが願う道に連れていかなければなりません。それが、父母の行く道です。
 真の父母が復帰の道を行くなら、皆さんも復帰の道を行かざるを得ないのです。最小限度の責任分担である5パーセントを完遂しなければなりません。それを知るべきなのです。皆さんの妻を愛する以上、父母を愛する以上に、神様を愛さなければなりません。皆さんの息子、娘を愛する以上に、神様を愛しなさいということです。それを基盤として、世界に拡大するのが、統一教会の理想世界です。本然の世界です。(128-30,1983.5.29)

 

 先生は、もう一次アダムの根、二次アダムの根をみなもっています。それゆえ、皆さんは第一アダムと第二アダム、第三アダムを接ぎ木さえすれば、すべて終わるのです。 根は一つなのです。それで、愛、生命、その次には血統です。縦横の神様の愛が生命の交流をすることによって、血統が生まれるのです。それゆえ、皆さんは、誰よりも先生を愛さなければなりません。誰よりも真の父母と一つになければなりません。真なる愛を中心とした血統であるために、そこには相続権があり、同位権があり、同参権があるのです。それで、サタンが接近し得ないのです。(189-223,1989.4.6)

 

  ③「真の父母」を愛しなさい

 

 真の父母は、どれほど多くの愛を受けているでしょうか。それを一度考えてみましたか。神様が死んだということに対して、抗弁する人がいたら、彼は真の父母を神様が愛する以上に愛するでしょう。
 もし皆さんが、「このような人に会うるようにしてほしい」と、神様に祈るなら、それで皆さんがこのような人に会って、真の父母を愛するようになるなら、神様も喜ばれるでしょう。「その人が一番賢い人だ」と皆さんが思うなら、皆さんは霊界にいる霊人たちに絶対に負けません。皆さんが真の父母を愛するなら、絶対に負けません。もし、皆さんが霊人たちに、「私は『真の父母』をこれほど愛するのに、皆さんは何をしましたか」と言いながら、彼らを讒訴することができるなら、皆さんが一番の金持ちになるでしょう。
 もし、真の父母を互いに「もっと愛する」と食口たちの間にけんかが起きるようになれば、神様がそのけんかを御覧になって何と言うでしょうか。 そのようにけんかして、もし一人が死ぬようになれば、神様がどのように審判するでしょうか。神様が彼を絞首台に引っ張っていかれるでしょうか。疑いもなく、神様はその二人を呼んで、彼らを真の父母を愛するモデルとして立てられ、他の人たちにも彼らが愛したように真の父母を愛しなさいと言われるでしょう。これが正に基準です。
 すなわち、神様と霊人、すべての人たちは、真の父母を注視しなければならないのです。今、我々は我々の生活の中で、これを考えなければなりません。先生が言うことが事実なら、その問題は重要です。皆さんは、その基準からどれほどかけ離れていますか。今からでも我々は、このことのために祈らなければなりません。
 真の父母に従うすべての人たちは、涙なしには行くことができません。それゆえ、我々の表情が明るくなり得ません。我々は「ため」に生きなければなりません。そして、たとえ我々が最善を尽くすとしても、我々は天に対して申し訳ない心を持つべきです。我々の行動がどうでなければならないかを、皆さん自身が想像できるでしょう。(52-97,1971.12.23)

 

 ④「真の父母」に侍りなさい。

 

 皆さんが荒野路程を歩み、ヨルダン川を越えたとしても、カナン7族と戦う途上で倒れれば、それは勝利の死になれないのです。カナン7族を屈服させておいて、そこに新しい国イスラエルを立てておいてこそ、神様の前に立てられる本然の人になるのです。そうでなければ、楽園にとどまるのと同じなのです。天国に入ることができないのです。(13-296,1964.4.12)

 

 我々が知っている「真の父母」とは何でしょうか。人間の先祖です。ですから、真の父母に、自分の父母に侍るように侍らなければならないのです。(118-147,1982.5.23)

 

 父母様に3年以上侍らなければならないのです。父母様に3年以上侍るには、家庭が侍り、その次には国家が侍り、世界が侍らなければならないのです。事実はそうでなければならないのです。そうであってこそ、世界復帰圏まで出ていくようになるのです。
3数を中心として見るとき、3年以上を侍らなければならないのです。それゆえ、3年間は父母様を中心として、ご飯も一緒に食べて、共に相談しながら、共に暮らさなければならないというのが原則です。皆さんの家がそうでなければならないのです。父母に侍って暮らす家庭として平和で、幸福で、言葉を話すにも良い言葉だけ話し、互いが喜びながら暮らす3年の期間がなければらないのです。(44-169,1971.5.6)

 

 ⑤従順でありなさい

 

 本来、神様の名をもってきた父母に、子供は絶対服従しなければなりません。そこには異議がないのです。これは、強制で言うのではありません。愛を中心として、そうすることができるよう、環境をつくるのです。妻は夫を愛し、夫は妻を愛するのです。愛を中心とした父母になり、愛する子女を自然、絶対屈服させ得る環境を築いていってこそ、天国基盤が崩れないのです。(101-282,1978.11.7)

 

  伝統を受け継ぎなさい

 

 今まで人類は、人間がどのようになるかを知りませんでした。自分がどのようになるかを知りませんでした。歴史を知らなかったのです。今現在がどこで何になるかを知りませんでした。これからどのようになるのか、目的を知らなかったのです。
 それがなぜそうなのでしょうか。真なる父母、先祖をもてなかったためです。しかし、我々は真の父母に侍ることによって、「ああ、私は歴史が分かった、神様と私がどうだったという歴史が分かった」と言うのです。また、現在が分かり、未来が分かったというのです。分かっただけでなく、そのような伝統を受け継ぐことができるというのです。歴史に勝ち、未来に勝ち得る伝統を今、自分がもつことができるというのです。
誰からでしょうか。なぜでしょうか。真の父母に出会ったためです。真の父母が教えてくれることを学び、その方がすることに自分がついていって、その方が願うことを自分が願い、これを受け継ぐのです。それを引き継ぐのです。(71-21,1974.3.24)

 

 今まで、この宇宙には父母がいませんでした。父母といっても、子供を利用して滅ぼす父母です。そうすることによって、何が壊れたのでしょうか。完全な兄弟が壊れていったのです。その次には、完全な新郎新婦が壊れていきました。その次には、完全な父母が壊れていきました。それで、善なる子供を持てませんでした。結局は、家庭を失ってしまったという話です。その家庭は、宇宙史的な代表です。世界を代表し、天国を代表し、国を代表し、家庭全体を代表した家庭でした。
 その中心点を神様は探そうとされるのです。人類歴史もそれを探してくるのです。今日の人類、現在生きている人たちも、この中心に連結されなければなりません。言い換えれば、神様と人間が願う共同目的がこれ一つであり、過去、現在、未来が結束し得る道は、ここしかないのです。
 では、それを誰がすべきでしょうか。アダム、エバがすべきことを、真の父母がしなければならないのです。それゆえ、今、皆さんが持つべきものは、サタンがもてなかったものとして、悪なる世界にはない兄弟の中の兄弟、サタン世界にはない兄弟をもたなければなりません。皆さんはそうでなければなりません。それは、20代、結婚する前までなのです。そのような伝統を皆さんが残さなければなりません。
 皆さんの息子、娘の前に、このように暮らさなければならない、という伝統を残さなければなりません。皆さんがこのように各国に行き、骨の折れる戦いをして暮らすことは、これから皆さんが子孫に伝統を残すためのものです。「我々はこのように難しい中で働いた」と息子たちに教育することができ、遺言を残すことができる伝統的資料を収拾する立派な、一度しかない期間なのです。それゆえ、伝統が問題です。これは、変更することができないのです。永遠の伝統です。
 我々は世界を超越する人たちなので、白人と黒人が兄弟にならなければなりません。それはどういうことかというと、堕落しなかった人類、アダム、エバの兄弟圏に、我々は訪ねて入っていくのです。
 では、そこにそのような伝統を立てる基本の思想とは何でしょうか。「ため」に生きればいいのです。ここから皆さんの息子、娘は、このような環境で苦労しないで育って、天国に直行することができる、サタン世界を凌駕する一つの実績圏をもった、天と直通する子孫になるのです。その次には、そのような兄弟たちが結婚をするのです。我々における結婚とは、超国家的です。「黒人としなさい」と言えばして、「白人としなさい」と言えばして、「黄色人となさい」と言えばすることができる、このような圏内に入ってきました。
 このような伝統が、今から成立しなければなりません。今は、できていません。今からつくらなければならないのです。このようになったために、その資料をもって、皆さんの子孫と世界を指導しなければなりません。その代わり、二人が一つになれば、悪なる息子、娘を生んではいけません。善の息子、娘を生もうとすれば、夫妻が完全に一つにならなければなりません。一つにならなくては、善の息子、娘が出てこないのです。それゆえ、神様のみ旨を中心として、完全に一つになければならないのです。(71-19,1974.3.24)

 

 皆さんは先生を平面的に見ては、先生がどのような顔つきで、どのような姿であるかということが大体分かるでしょう。しかし、先生がこの場に来るまで、その背後でどのうような道を経てきたかは知らないのです。
 この道を出発するときから、確かな信念がなく、ただ従ってきただけでは、み旨は成されないのです。確かな信念がなければなりません。絶対的で間違いない道と知り、間違いない勝利を誓って出発して、このような勝利の結果をもたらしたのです。このような信念を曲げ、この道を妨げるために、数多くの個人から、家庭、氏族、民族、国家が反対し、世界まで反対したのです。そのような道が繰り広げられていました。
 そのような伝統を、皆さんが受け継がなければならないのに、それを知らずに受け継ぐことができますか。そのような驚くべきものを受け継ぐときは、新しい決心をして受け継がなければいけないのです。言い換えれば、「世界の果てまで、天の果てまで走っていっても余りがある」という信念をもって、強く雄々しい場で、神様が御覧になるとき、驚くほど感謝する場で、受け継がなければならないのです。
 そのような皆さんの姿勢を見て、それを相続してあげたいのが、天の心であり、先生の心です。何も知らない者たち、世の中がどのようになるかを知らない者たちを連れてきて教えるということ自体が侘しいのです。(67-228,1973.6.27)

 

 真の父母」を誇りなさい

 

 皆さんが誇るべきものとは、神様の愛、真の父母の愛です。これを自分や国や世界の何よりも誇らなければなりません。この愛は、神様の愛と父母の愛が一つだというのです。これは何でしょうか。直接主管圏という愛の理念を中心として、家庭という基盤の上に一つになり得る出発を地上に実現しようというのが統一教会であり、父母様が行く足場であり、版図なのです。直接主観圏です。(131-48,1984.4.1)

 

  ⑧「真の父母」に借りを返しなさい

 

「真の父母」という観念が明白でなければなりません。皆さん、真の父母に負債を負いましたか、負いませんでしたか。その負債を返す道理がないのです。負債を負ったのを計算すれば、返す道理がないのです。
 しかし、ただ一つの小さな愛の表示だけあれば、みな返すことができます。それを必要とするのです。(116-121,1981.12.27)

 

(2021.10.28:写経奉献)

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