「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(11) 第2巻「真の父母」 第7章 「真の父母」を中心とした生活

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第七章 「真の父母」を中心とした生活

1)「真の父母の日」と「真の父母」

2)「真の父母」という言葉を完全に知るべし

3)「真の父母」の言語を学びなさい

4)民謡の中の啓示

5)「真の父母」の名で祈祷

6)「真の父母」の名の威力

7)「真の父母」の名でいつまでも栄光を極める

8)「真の父母」の心情伝授と相続

9)留意すべき内容

 

 

1)「真の父母の日」と「真の父母」

 

 皆さんは、みんな先生に関心があるでしょう? 先生がどこかに行き、何か言葉をようになれば、全部電話線をつけて回りながら聞かなければならないのです。
 皆さんは、この父母の日を迎え、今父母様の苦労がどれほど大きかったか、父母様の心がどれほど苦痛を受けたかということを知るべきです。今、父母様に対して、知るべき時が来たのです。そうでなくては、伝統が分からないのです。伝統を持てないのです。(131-62,1984.4.1)

 

 本来、「真の父母の日」の理念は、神様の創造理念の中でも中心理念でした。神様が万物を創造されたのち、その万物を主管する人間を創造され、人間に万物を主管せよと祝福された目的も、正に真の父母を立てるためでした。本来は、アダム、エバが神様を中心として一体となり、真の父母になるべきでした。そうすれば、「真の父母の日」が立てたれるようになるのです。そうなれば、全宇宙が父母の名前とともに、頌栄を捧げるようになるのです。このように、「真の父母の日」は、全宇宙が父母の名前とともに頌栄を捧げる喜びの日なのです。
 この日を迎えることが、神様の願いでした。しかし、人間始祖が堕落することによって、このような「真の父母の日」を天も失ってしまい、地も失ってしまいました。それで神様は、本来計画されたところを成されるために、「真の父母の日」を探されるために、今まで経綸してこられたのです。「真の父母の日」を迎えるには、まず真の父母を迎えなければなりません。その真の父母は、歴史を審判し、現在を主管し、未来を開拓なさるべき中心存在であられます。それで、人間が歴史的に羨望してきたのも、真の父母を迎えることでした。(13-280,1964.4.12)

 

 我々が民族を探そうとするのは何のためでしょうか。この民族をして、勝利された真の父母に侍らせるためです。そして、サタン世界から讒訴されず、天に代わって、地に代わって、人類に代わって国家基準の上に万天宙の前に、孝子、孝女として自由天地を成し、真の父母に真実に侍るためです。
 今までは、我々が悲しい場で侍り、苦痛の立場で侍りましたが、今からは喜びの立場で、自由な立場で侍らなければなりません。神様が我々の心と共にいらっしゃることができてこそ、我々が喜べば神様が「そうか、おまえの喜びは私の喜びだ!」と言われるのです。そして我々は、全人類が「あなた方の感謝は、我々の感謝です!」と言う、その基準を立てなければなりません。
 きょうは、「真の父母の日」です。この「真の父母の日」を、皆さんが本当に皆さん自身の「真の父母の日」として立てなければならず、皆さんの家庭の「真の父母の日」として立てなければならず、社会の「真の父母の日」として立てなければならず、国家の「真の父母の日」として立ててこそ、世界の「真の父母の日」として立てられるのです。世界の「真の父母の日」として立てられ、天宙の「真の父母の日」として立てられてこそ、本来神様が真の父母を立てようとなさった創造理念が完結するのであり、人間が堕落によって「真の父母の日」を立てられなかった恨を解くことができるのです。さらにこの全天上天下に「真の父母の日」を立ててこそ、復帰の恨が完全に解怨されるのです。
 我々が「真の父母の日」を立て、「真の子女の日」を立てましたが、個人的な「真の父母の日」から家庭的な「真の父母の日」、民族、国家、世界、天宙的な「真の父母の日」として立てられていません。「真の子女の日」もそうです。「真の万物の日」もやはりそうですが、「真の父母の日」と「真の子女の日」と「真の万物の日」が、世界性をもち、勝利したという基準の前に主管され得る圏内に入ってこそ、初めて天地を創造された神様の、本来の創造目的が完結するのです。
 そうなってこそ初めて、「真の父母の日」が人間の「真の父母の日」になると同時に、天の「真の父母の日」になるのです。また、「真の子女の日」と「真の万物の日」も、人類の「真の子女の日」と「真の万物の日」になると同時に、天の「真の子女の日」と「真の万物の日」になるのです。このような立場に立つようになるとき、初めて天から「みな成した」と言われる得る時が来るのです。個人的な「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を立て、家庭的な「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を立て、民族・国家的な「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を立てなければなりません。
 一国家基準で「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を設定してこそ、この日々がその国家の中心の日になり、世界的な日になり得るのです。これが問題です。(13-294,1964.4.12)

 

2)「真の父母」という言葉を完全に知るべし

 

 我々統一教会には、貴く使う言葉があります。初めて聞く人もいるでしょうが、それは「真の父母」という言葉です。「我々の真の父母様!」と言います。イエス様の時に真の父母がいましたか。イエス様がもつことができなかったものを、我々はもったのです。
 イエス様に真の父母がいましたか。子供を保護しないのが父母の責任ですか。父母なら子供を保護しなければならないのです。サタンに対する垣根になって、「お前は私の懐の中で幸福でありなさい」と、そう言わなければならないのです。イエス様がそうでしたか。30年の生涯を、かわいそうな連れ子として育ったのです。
 ですから聖書に、「真の父母様」という言葉は出てこないのです。「真の父母」、「真の兄弟」という言葉は出てきません。この言葉は統一教会の用語なのです。それは、文先生が作り出した言葉ではありません。本来の天理原則にあったのを探し出した言葉です。
 我々は「真の父母」という言葉を言い、「真の子女」という言葉を言います。真の子女はどのようにしなければならないかということを知るべきです。息子に対して自分の生命を捧げることができ、自分のすべてをその前に捧げることができ、自分は地獄に行っても感謝することができなければならないのです。そのような過程を経なくてはいけないのです。そうして、真なる子女の因縁を通じて、父に帰ることができます。(76-73,1975.1.26)

 

 我々は、「真の父母」という言葉を言っています。真の父母に侍っていこうと、神様に侍っていこうと言うのです。その次には、真なる兄弟になろうと言うのです。何を中心としてですか。それは、イエス様を中心として言った言葉です。イエス様の父母がイエスに侍れなかったのを蕩減復帰して、侍ることができる父母、それ以上の父母の位置に立つことができなければならないのです。(67-326,1973.7.22)

 

 私が神様に対して「父母」と言うのと、皆さんが先生に対して「父母」と言うのと、どちらがより易しいでしょうか。先生がどれほど苦労したか知らないでしょう。どれほど障害が多く、どれほど複雑だったか知らないでしょう。今まで数多くの人たちが、その道においてもがき、すべてどん底に落ちたのです。皆さんは、統一教会に入ってきて、先生を理論的に見ると、「ああ、この方が『真の父母』だな!」という言葉をたやすく言うことができたでしょう。
 では、神様が真の父母だということを私が知ったときの喜びと、皆さんが知ったときの喜びでは、どちらが大きいでしょうか。先生は死ぬほど苦労をしたので、「父」という言葉を言うことができますが、皆さんは苦労もしていないのに、みな教えてあげたのです。ですから、「『真の父母』が分かった、それだけのものか!」と言うでしょう?  誰がもっと喜ぶでしょうか。先生が神様に父子関係で会ったときの喜びと、皆さんが先生に会ったときの喜びと、どちらが大きくなければなりませんか。
 先生は、苦労して初めて会いましたが、皆さんは苦労をしないで会ったから、もっとうれしくなければならないでしょう。私は、億千万ドル払って買ったのです。皆さんは1銭も払わなかったからうれしいでしょう? 皆さんが何を払いましたか。やって来て「原理」のみ言を聞いてみると、みんな分かって、「真の父母」と言えば、「そのようになっていたのだな」とすべて分かるのです。(116-121,1981.12.27)

 

3)「真の父母」の言語を学びなさい

 

 何よりも言語が一番問題なのです。今、韓国人たちが来れば、韓国語の分からない人たちは、それは実にあきれるのです。かわいそうに見えます。ですから、言語が一つになれば、どれほど良いですか。先生もアメリカに初めて来て、本を通じて勉強しましたが、それまではイエス、ノーしか知りませんでした。ですから、どれほどもどかしかったでしょうか。言語統一がどれほど必要か分かるでしょう。
 皆さんは先生の言葉を通訳を通して聞きたいですか、先生から直接聞きたいですか。韓国語で聞きたいのです。どうしてですか。韓国語が原語であるからです。それゆえ、原理を勉強するにあたって、原語を知らなければその言葉の意味が分からなくなります。
 そして、これから皆さんが霊界に行って、「ああ、私は先生の言葉をそのまま聞いて話して生きた!」というのが誇りでしょうか、「ああ、通訳を通して私は話を聞いた!」というのが誇りでしょうか。どちらですか。しかも、それは愛の理想世界を表現する言葉だというのです。愛という言葉を通訳を置いてささやけば、それが通じますか。
 我々が前に覚えた誓いの文を見ると、5番目に「一つの文化を誇る」となっていますが、一つの文化がどのようになるのかが問題です。心情世界では、一つにならざるを得ないという事実を知るべきなのです。本当に一つの心情世界を願う人ならば、これを知らなくてはいけません。
 「私がお前たちをこのように愛する」と言って、このように行ってタッチするときは、愛をどのように考えるだろうかという考えよりも、既に足が出ていくのです。足が先であって、愛するという考えが先ではないのです。それがどれほど愚かですか。食べ物でいえば、食べ残したかすを食べて喜ぶということです。
 理想家庭の伝統と精神がなくては、理想世界は顕現することができません。(118-238,1982.6.6)

 

 霊界に行っても全部真の父母、真のおじいさんが使う言葉を使うのであって、「ああ、私はそれを知らない!」と言って通じますか。外国人の皆さんは、東洋人たちが英語を習うのにどれほど大変かということを、その時に分かるのです。先生の年がもう60を越えたのです。この年に英語を習うことが易しいですか。皆さんは言い訳ができません。
 それで、統一教会には、若い人たちが入ってくるのです。ですから勉強しないといけないのです。道を歩きながらブツブツ言ってでも習いなさい。韓国語をトイレに行ったり来たりしながら反復して習いなさいというのです。これはほかに方法がありません。
 先生が「韓国語を習いなさい」と言うのは、先生が父母になったから仕方がないのです。韓国人でも、どこの国の人でも、「何がどうだ」と言っても仕方がないのです。
 それゆえ、統一されれば、「『真の父母』の栄光だ! 世界言語を瞬く間に統一してしまった!」と言うのです。表彰するなら、何の表彰をすべきでしょうか。韓国語を世界のどの国の言葉よりも一番尊敬しなければならないのです。韓国人が、頭が良いのは、この言語のゆえなのです。そのような意味で、韓国語では、発音できないものがありません。日本語は、足元にも及ばないのです。 「メクダナルドゥ(Macdonald)」をちゃんと発音できずに「マクドナルド」と言うのです。それ、聞き取れますか。
 ですから、新しい文化に通じなければなりません。先生が韓国人だからそう言うのではなく、それが原則だからです。原理原則に通じないのに、「韓国語を習いなさい」と言うのなら、最初から追い出されるのです。原理原則を話すから、皆さんはじっとしていながら、「理論が合うので仕方がない」と言うのです。これから学者たちにとって、原語は韓国語になるでしょう。韓国語が原語になるのです。(130-272,1984.2.5)

 

4)民謡の中の啓示

 

 皆さんが神様に侍り、「千年、万年も生きたいものだ」と言うならどれほどいいでしょうか? 今日、我々の童謡にもある「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んでいた月よ、あそこ、あそこ、あの月の中にかつらの木が刺さったから、玉の斧で突き刺して引き出し、金の斧で切り取って整え、わらぶきの3間の家を建てて両親父母を迎えて・・・・・・」と、このような良い言葉です。
 ところで、父母がどこにいますか。その父母が、自分の欲のための父母なら、みな流れていきます。天地の大道を明らかにして、伝統を植えておける両親父母がどこにいますか。
 今日、我々の民謡にある、そのような歌の節回しに合うような、その道を世界の前につくっておいて死んでみようというのがレバレンド・ムーンの生涯です。(127-281,1984.5.15)

 

 宗教指導者たちがひれ伏して祈祷して、「福を受ける」と言いますが、私は福を受けようとして祈ったことはありません。旧約時代は、万物を立てて神様の人たちを探すための時代であり、新約時代は、息子、娘を犠牲にして父母を探すための時代であり、成約時代は、父母様の家庭を犠牲にして神様を解放するための時代です。本然の父母をこの地上に迎え、その方と千年、万年暮らそうというのです。
 韓国の童謡の中で、「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んでいた月よ・・・・・・」というのがあります。かつらの木が刺さったから、どうのこうの、両親父母を迎えて千年、万年生きたいものだというのです。それはみな、韓民族の啓示的な話です。天の父母を迎えて千年、万年生きたいものだという、その歌を思うたびに、私はいつも胸の痛む思いを忘れることができません。(137-185,1986.1.1)

 

 皆さんは、韓国人として生まれたことを絶対に嘆かないでください。過去には、韓国人として生まれたことを嘆いたでしょう? 「はからずもこの貧しい韓国の民、5000年歴史を過ぎてきたと誇るが、あのわらぶきの3間の家に生まれた」というのです。
 また、歌うのを見てもそうです。「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んでいた月よ、あそこ、あそこ、あの月の中に、何どうのこうの、わらぶきの3間の家を建てて、どうのこうの、両親父母を迎えてどうのこうの・・・・・・」。わらぶきの3間の家を建てて、千年、万年生きる?  私はそのような民謡を聞くようになるとき、気分がよくありません。やっとわらぶきの3間の家ですか。そこに何の民族の願いがありますか。
 ですが、「わらぶきの3間の家を建てて、両親父母を迎えて、千年、万年生きたい」と言うとき、その両親とは何かというと、「人間の理想的な父母である」と言うことができるのです。キリスト教でいえば、再臨思想と通じるのです。万民、万国を通じて見れば、救世主思想と通じることができる、このような内容になっているのです。(85-80,1976.3.2)

 

 韓国に次のような歌があります。「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んでいた月よ、あそこ、あそこ、あの月の中にかつらの木が刺さったから、玉の斧で突き刺して引き出し、金の斧で切り取って整え、わらぶきの3間の家を建てて、千年、万年」何を迎えて? 両親父母を迎えて。それは民族的な願いをたたえたのです。
 それゆえ、真の父母の思想があるのです。「千年、万年生きたい」と言うことができる愛が、真の父母から出てくるのです。父母を迎えて生きようというのです。(126-190,1983.4.19)

 

 真の父母が、神様のチャンピオンの権威をもった男性を代表し、女性を代表した、そのような表象的な人物であるなら、真の父母の息子、娘の権威も、その影ぐらいにはならなければなりません。サタン世界で拾って食べた習慣性をそのままもって、欲の包みをそのままもって、ここの統一教会に入ってこようとしてはいけないのです。既成教会とは違います。愛の祭壇を集め、愛の矢をねらっていきながら、生死の圏の勝負をすべて決める所がここだというのです。
 神の国に行き、神様が直接あの空中で審判するのではありません。ここに座って、我々の1日1日の生活を審判しています。神様に侍ることによって、文総裁と共に神様と苦楽を共にする生活を経たために、波瀾万丈な曲折と、艱難時代に滅びずに死ななかったのです。神様が死ぬことができますか。生き残ったのです。
 そうして、今日世界的覇権をみな処理して国に帰ってきて、国が二つに分かれているので、これを統一国にしなければならないというのです。統一国をつくるのと同時に、皆さんの国を立てなければならず、民を立てなければならず、氏族を立てなければならず、家庭を立てなければなりません。
 統一教会の教徒たちは、父母様がすべての蕩減の使命を果たしたために、今は簡単なのです。本当に神様を知り、本当に真の父母様を知り、本当に真の妻と真の夫を知り、本当に真の息子、娘を知れば、みな終わるのです。
 その息子、娘を知ろうとするので、妻と夫を知ろうとするので、戦って勝たなければなりません。彼らを愛さなければなりません。愛してサタン側的兄弟、12弟子、120門徒を解放することによって、千年、万年生きたいほどに自分の息子、娘を愛することができるのです。
 「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んでいた月よ、あそこ、あそこ、あの月の中にかつらの木が刺さったから、玉の斧で突き刺して引き出し、金の斧で切り取って整え、わらぶきの3間の家を建てて、両親父母を迎えて千年、万年生きたい」。それがみな、韓国の民が選民権を受け継ぐことができる、選民が歌を歌うことができる、永遠をかけてたたえる祈りです。
 両親、父母を迎えて、千年、万年生きるのです。どこでですか。わらぶきの3間の家で。わらぶきの3間の家とは、どこだか分かりますか。どん底から上がらなければなりません。わらぶきの3間の家で父母を迎えられなくては、王の父母を探すことができません。わらぶきの3間の家の家庭から迎え、氏族を編成し、氏族から民族を編成し、民族を編成してこそ王権が生まれるのです。国を探さなければなりません。
 既に世界と国では、先生が勝利の立て札を持って、垂直の立場にいます。先生が横に行くことはできません。垂直の立場に立っているからです。先生を中心としては、個人的垂直、家庭的垂直、氏族的垂直、民族的垂直、国家的垂直、世界的垂直、天宙的垂直が、神様を中心として一体的にぴったりとなっています。(212-51,1991.1.1)

 

 人間の愛と神様の愛の合徳の基地とはどこですか。神様を愛するために人間を創造したのであれば、神様はなぜ愛のために人間を創造したのでしょうか。神様は一人では孤独です。愛を中心として、千年、万年生きたくて、人間を創造したというのです。
 「わらぶきの3間の家でも、両親父母を迎えておいて、千年、万年生きたい」。そういうのです。理想的な神様も同じです。わらぶきの3間の家より、もっと小さい所に入っても、天下を抱いて息をして生きるのは、驚くべきことです。その家が小さい家ですか。神様が入っていらっしゃるならば、天国の王宮であり、宇宙の王宮になり得るのです。(204-106,1990.7.1)

 

5)「真の父母」の名で祈祷

 

 神様は、我々堕落した人間にとって、師の中でも一番大きな師です。先生の中でも、大王先生です。それは、神様が知らないことがないためです。また、父母で言うなら、父母の中でも第1の父母です。すなわち、真なる父母です。王としては万王の王です。
 神様は、先生の中でも最も優れた先生であり、父母の中でも第1の父母です。 第1の父母なら、その父母は偽物の父母ですか、真の父母ですか。真の父母だというのです。そのような真の父母が、人間が堕落することによって真の父母になれませんでした。
 統一教会では、祈祷を終えるとき、「真の父母の名によってお祈りします」と言います。神様を中心として見るとき、一番始めの真の父母は神様です。それで、祈祷しながら願うときに、誰を通じて願いますか。何かをするときも、父の名で呼ぶようになっています。
 皆さんが、水におぼれているとき、誰によって救ってもらうのを願いますか。救世主が来て救ってくれるというとき、隣の町内のおじいさんが救世主になって救ってくれるのを願いますか、自分の弟が救世主になって救ってくれるのを願いますか。自分を救ってくれる救世主がお兄さんだったら良いでしょうか、弟だったら良いでしょうか。
 誰が来て、救ってほしいでしょうか。自分の父母が来て救ってくれることを願うのです。救世主のうちでも、1等救世主である父母が来て、救ってくれるのを願うのです。父母は、子供の苦痛を自分の骨髄に徹して苦痛を知る方であるために、子供は父母である救世主を探すのです。(41-307,1971.2.17)

 

 皆さんが祈祷するとき、「真の父母」の名で祈りますが、その「真の父母」とは何ですか。その言葉を、先生とお母様だけについて考えないでください。より高い次元で世界を抱き、民族感情や国家感情を越えて、万民を真実に等しく愛せる母、父という境地の真の父母の基準を考えなさいというのです。それで先生も、「真の父母」の名で祈るのです。(33-141,1970.8.11)

 

6)「真の父母」の名の威力

 

 聖書で見ると、人間は堕落しました。ですから、神様を解放しなければなりません。堕落によって、自分の所有のすべて、息子、娘、自分の夫婦、国と世界まで一遍に失ってしまったのです。それを真の父母が来て、万物と、子女と、家庭と、国と、世界を収拾して、神様に返さなければなりません。所有者が神様だったのですが、愛の道理において失ってしまったことにより、偽りの愛になってしまいました。
 愛を中心として、所有され得る原則でつくりましたが、敗亡の愛によって破綻したのを、真の父母の愛で収拾して、万物と、子女と、夫婦と、国と、世界を、再び神様の前に奉献してさしあげなければならないのです。
 そうして、神様が「神様の宇宙は、真の愛を中心として神様の所有として取り返すのだ!」と、このように勝利をたたえながら、その捧げられた万物を真の父母の前に下さるのです。神様の所有になって、真の父母の所有になるのです。真の父母の所有を中心として、真の息子、娘の所有になり、これを東西、四方に再び分配される世界になるまでには、地上に天国は顕現し得ないのです。今日、我々がする統班撃破とは何でしょうか。南北を統一して、神様の名で、「真の父母」の名で、万国の勝利の版図を中心として、大韓民国を全人類の祖国として、神様の前に捧げなければならないのです。
 それゆえ、我々はそのためにすべて投入してきました。ですから、乞食の輩だというのです。なぜ乞食の輩ですか。既に何十年前にみな捧げました。今、南北を一つにして、神様の名で、「真の父母」の名で、歴史的なすべての所有権をサタンから奪ってこなければなりません。そうして、神様の本然的父母の位置に所有権を返還して、そこから歴史的なすべての国の中で、最初の先祖の国として登場させるようにしようというのが、文総裁の終着的愛の目的です。(211-126,1990.12.29)

 

7)「真の父母」の名でいつまでも栄光を極める

 

 捧げたというのであれば、神様の名と共に、再び神様の名から真の父母に来なければなりません。真の父母だけではいけません。創造主である神様の名から真の父母に回ってこなければなりません。アダム・エバの所有にならなければなりません。再び返してもらわなければならないのです。真の父母の家庭を中心として、相続が起こらなければならないのです。
 それで、その次から、第1に再分配時代が来るのです。永遠の天国になるのです。そこはサタンの分立がありません。
 第2は、創造理想の生活が可能なのです。サタンの讒訴がありません。そこには闘争だとか、決裂があり得ないというのです。真の愛を中心として完全に統一された体制において創造理想の生活が始まるのですから、完全な地上天国が生じ、ここで暮らしてそのまま天上天国に行くのです。宗教は必要ありません。
 第3は何かというと、真の愛のための天上天国、地上天国が実現されるのです。その次に、結論は全部神様の名で、「真の父母」の名で、我々の名で、いつまでも栄光を極めるだろう! 永遠、永遠、無窮に、栄光を極めるだろう!  そこには宗教もありません。終わりです。(212-143,1991.1.2)

 

8)「真の父母」の心情伝授と相続

 ①心情の伝授

 

 皆さんは、真の父母の心情と神様の愛とその心情をどのように体恤するのですか。これが問題です。その境地にどのように入るかというのです。そうするには、堕落しなかったアダム、エバにならなければなりません。サタンが讒訴できてはいけません。では、サタン世界でどのように解放されるのですか。サタンと戦って勝たなければならないのです。そうするには、どれほど苦労して、どれほど苦しくなければならないかというのです。
 ヤコブも10回だまされ、モーセも10回だまされ、イエス・キリストもそのようにだまされました。先生も同じです。それを克服していかなければなりません。そのときに、神様の心情を知るようになるのです。父母様の心情を知るようになるのです。そうでなければ、絶対分からないのです。そうでなくては、サタンが離れないのです。サタンの前に勝利できない限り、父母の心情を知ることができず、神様の心情を知ることができません。ですから、我々は一線に行かなければなりません。全部が一線に行かなければなりません。
 このようにしないで楽な考えをする限り、神様の愛と父母の愛、父母の心情圏、神様の心情圏に訪ねていくことができないのです。ですから、一線に送り出さなければなりません。全部迫害され、蔑視され、殴られ、ありとあらゆることをされてこそ、そこで心情が伝授されるのです。伝授式が、そこで起きるのです。
 ですから、先生のように、いつも先頭に立って行かなければなりません。一線で受ける迫害が、どれほどひどかったか! しかし、それは当然なのです。皆さんがそれを消化すれば、神様が保護するでしょう。同じ立場に立つことによって、同じ心情を体恤することができるのです。
 その心情をどのように体恤するかが問題です。真の父母が本当の父母であり、神様が自分の父であるということを、どのように自分が知るのかというのです。どのようにこの骨肉が知るのかというのです。自分が考えなくても、この細胞、肉体が分かるかというのです。サタンの讒訴を受け得る立場を克服しなければなりません。それが一番大きな問題です。どのように父母様の愛を体恤するかが問題ですが、それは簡単なのです。世界的舞台でサタンに勝利した、本然のアダム、エバと同じ立場に立ち得る自分にならなければならないのです。
 そうするには、血と汗をどれほどたくさん流し、サタンの前にどれほど讒訴されるでしょうか。蕩減路程を経ていき、勝利してこそそれが起こり得るので、どれほど苦労なことでしょうか。その立場が嫌で、いくら祈っても、いくら何をしても駄目なのです。直接体恤しなければならないのです。その立場に行けば、すぐ体験するのです。直接指導するのです。父母の心情を知るためには、一体ということをどのように感じるか、ということが大きな問題なのです。サタンに勝利するまでは、絶対にできません。来ないのです。
 一つの送電所を造っておいたというのです。個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的、神様まで、このような塔を造っておいたというのです。それなら、今、心情の電線を歩かなければなりません。これは、誰が歩くべきですか。先生がするのではなく、神様がしてくださるのでもありません。皆さんがしなければならないのです。(125-204,1983.3.20)

 

 ②息子、娘は父母のものを相続

 

 神様が人間に与え得る贈り物があるなら、その最高の贈り物とは何でしょうか。皆さんが人類の先祖になり、真の母、真の父になることです。それ以上のものはないのです。長官や大統領も、みな追いつけません。それが、神様から人間に下さる最高の贈り物です。真の父母になれば、真の子女が出てきて、真の家庭が出てきて、真の氏族が出てきて、真の国、真の世界がここから自動的に生じるのです。ですから、一番重要な名前とは何ですか。「真の父母」という名前、「真の父母」という用語が一番重要です。(125-117,1983.3.14)

 

 堕落とは何ですか。自分勝手にしたのが堕落です。それゆえ、神様と真の父母を中心として、そのようにできなかったことを砕かなければならないのです。それで、男性たちはお父様の分身にならなければならず、女性たちはお母様の分身にならなければなりません。神様が皆さんの目の中に入っても、どこに入っても、皆さんが喜んであげるべきであって、「ああ、入れません」と言うことはできません。皆さん、垣根を残したいですか。神様の愛は、皆さんを通じて来るのです。それをみな研究しなければならないのです。おろそかにしてはいけません。皆さんがそのようにしなければなりません。
 皆さんがその伝統を受け継げば、真の父母なら真の父母が、皆さんを訪ねていくのです。真の父母が神様の使者として皆さんのところに来て、相続させてくれるのです。(118-271,1982.6.13)

 

 今まで真なる父母が出てこなかったので、真なる子女が出てくることができませんでした。まだ地上に真なる人がいなかったために、真なる父母が出てこなかったのです。それで、統一教会では、真の父母を認め、その真の父母を発見して侍ろうというのです。真の父母の息子、娘になろうというのです。
 その息子、娘になれば、何をするのですか。真の父母がもっているものを相続するのです。真の父母がもっている相続権は、天地、神様までです。神様までも相続しようというのです。天地に主人がいなければ、その天地は何の価値もありません。その天地の価値を100パーセント認めることができ、その価値を永遠に主張することができる自分にならなければなりません。また、それを公認してあげられる方に出会わなければなりません。その方が神様です。それゆえ、真の父母の相続権をもたなければなりません。
では、真の父母の相続権とは何ですか。天地だけでなく、神様までも相続されるのです。(24-322,1969.9.14)

 

 我々が行く道は、まだ終わっていません。皆さんは天の前に感謝することで、祝福を受けるでしょう。皆さんは、個人的に感謝するだけでなく、自分の氏族を代表して、金氏なら金氏、朴氏なら朴氏を代表して、さらには3000万(韓国)民族を代表して、世界人類を代表して祝福を受けたという、その価値を忘れてしまってはいけないのです。また、真の父母が地上で果たすべき責任を相続した、ということを知るべきなのです。
 祝福家庭たちは、なぜそれを相続しなければならないのですか。祝福家庭が民族復帰の過程を経ていっているなら、真の父母は世界的な復帰の過程を経ていかなければならないのです。すなわち、一段階先に進まなければならないのです。しかし、民族復帰の勝利的基準が立てられなければ、真の父母は世界的な路程を行けないので、真の父母様が世界的な路程を行かれるようにするため、民族復帰の責任を相続しなければならないのです。それで、皆さんは死ぬまで、この民族の恨が除かれる時まで、民族復帰の責任を背負っていかなければなりません。(13-293,1964.4.12)

 

9)留意すべき内容

 

 我々は、心情圏に入らずしては復帰ができないのです。それゆえ、復帰の責任者は父母の名をもって行かなければなりません。イエス様も、真の父母を通じなくては、行く道がないのです。皆さんは、真の父母を中心軸にして、真の父母の愛を中心として、ぴったりと水平線になっていなければなりません。皆さんに、不平はあり得ないのです。不平は言えないのです。不平を言えば、ぺちゃんこになるのです。(136-67,1985.12.20)

 

 皆さんは、真の父母に対して、「こうしよう、ああしよう」と言っています。皆さんが、真の父母を皆さんの部落にいる有名な金持ちの父母ぐらいに考えるなら、それは大きな間違いです。世界を一つにするには、真の父母を迎えなければなりません。世界を一つにする道を、人間としては発見できません。真の父母という方は、歴史の希望の結実体です。望みの結実体です。すべてを蕩減した勝利の結実体です。これを知るべきです。真の父母は何ものとも換えることができません(55-155,1972.5.7)

 

(2021.10.29:写経奉献)

 

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