「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(18) 第4巻「真の家庭」 第1章 創造本然の真の家庭

f:id:touituseiden:20211016113536p:plain



 

第1章 創造本然の真の家庭

1)アダムとエバを通じた神様のみ旨

2)神様が絶対に必要とするもの

3)神様が永遠なる愛の相対者

4)アダムとエバを創造された目的

5)アダムとエバの初愛の時期

6)すべての存在は愛を通じてのみ完成する

7)人間たちが誇れる最も大きな自慢の種

8)真の家庭として伝統を立てるべきだったアダム家庭

 

 

1)アダムとエバを通じた神様のみ旨

 

 多くの人たちが神様のみ旨について語っています。しかし、この話は、簡単なようですが、いざ「神様のみ旨とは何か」という質問を受けたとき、答えるのは非常に難しいものです。また、今日まで多くの信仰者が、「神よ、み旨を成さしめ給え」と祈ってきました。そのようにして神様のみ旨を成すために、現在、私たちも信仰生活をしています。
 しかし、神様のみ旨とは何かということもよく分からずに、神様のみ旨が成されることを祈り、またそのみ旨のために信仰生活をしているというのは、一つの矛盾だと言わざるを得ません。(祝福家庭と理想天国I-298)

 

 統一教会で見る神様のみ旨、即ちレバレンド・ムーンが知っている神様のみ旨とは何でしょうか。それは、神様が宇宙をつくられた創造理想、すなわち創造目的を完成する事です。
 神様は、すべての被造万物を創造するとき、必ず目的をもって創造されたので、そのような神様の創造目的を成すことが神様のみ旨です。その目的の中心は誰でしょうか。アダムとエバでした。
 ですから、私は、創造の理想を実現すること、すなわちアダムとエバを中心とした理想を実現することが、神様の創造目的だと見るのです。
 それでは、その理想実現とは何でしょうか。それは、正に四位基台を成すことです。四位基台とは、神様の愛の圏において、神様を中心としてアダムとエバが離れようとしても離れることができないほど完全に一つとなり、理想的な夫婦となり、彼らが子女を繁殖する事によってつくられる、神様を中心とする家庭の基台をいうのです。
 この四位基台が造成されれば、アダムとエバが神様を中心として夫婦の愛で一体となり、神様の愛の圏から離れることができなくなります。(祝福家庭と理想天国I-298)

 

 人間始祖を通しての神様の理想とは、何だったのでしょうか。神様の理想は、理想的な男性と理想的な女性が結婚して理想的な家庭を完成することでした。
 それでは、理想的な家庭を成す中心とは何でしょうか。それは、男性でもなく女性でもありません。家庭とは、結局、父母と子女、夫婦の結合によってつくられる一つの束であり、その結ばれたものの中心は何かといえば、正に神様の愛です。神様の愛を中心にして夫婦が結婚し、神様の愛を中心にして家庭を完成させることが神様のみ旨だという結論が出ます。(祝福家庭と理想天国I-301)

 

 神様の創造目的とは何でしょうか。アダムとエバを造られたのは、ただ眺めるためではありません。男性と女性を造られたのは、男性は男性で、女性は女性で、年老いて死んでいくためではありません。
 彼らが成長し、互いに異性に対する相対的な心情を通して、神様を中心とした人類の真の地上天国を建設するためでした。神様を中心とした愛の巣をつくるためだったのです。
 ここで、男性であるアダムは天を代表し、女性であるエバは地を代表します。ですから、彼らは二人ですが、彼らが横的に一つになれば、天と地が統一されるのです。神様の愛を中心に二人が統一されれば、天宙は自動的に統一されるのです。(21-43,1968.9.1)

 

2)神様が絶対に必要とするもの

 

 神様は、何故彼造世界を創造されたのですか。神様は、被造世界を通して喜びを味わおうとされたのです。神様がいくら絶対者だとしても、喜びを一人で感じる事はできません。喜びは、相対がいてこそ生じるからです。
 神様が必要とされるのは、知識でもなく、お金でもなく、権力でもありません。神様御自身が絶対的で全知全能なので、そのようなものを必要とはされません。科学がどれほど発達しても、神様かつくられたものに追いついたり越えたりすることはできません。
 膨大な宇宙は、秩序の中で法度に従って運行しています。神様は、人間の思考と科学が及び得ない膨大な宇宙を創造され、運行していらっしゃることを考える時、神様は絶対的な科学者でもあられます。
 世の中に存在する物の中で、神様と相対できる力はありません。神様の力は、全知全能であり、絶対的だからです。また、永遠不滅で自存するお方が神様であられます。
 そのような神様が願われることがあるとすれば何でしょうか。お金でもなく、知識でもなく、権力でもなく、何を願っていらっしゃるかというのです。神様が必要とされるものは何かということが問題です。
 神様が絶対に必要とされるものが一つだけあります。それは、人間に絶対的に必要なものであると同時に、神様にも絶対に必要なものであり、それが真の愛です。
 それでは、神様お一人で愛を受けることができますか。神様は、御自身で愛を思いどおりにできるのではないかと思うかもしれませんが、そうではないのです。神様において最も必要なものは、真の愛を分かち合える相対だというのです。これを知らなかったのです。(祝福家庭と理想天国I-304)

 

 神様が絶対的なお方ならば、その絶対的なお方がなぜ人間を造られたのかというのです。お金のために造られたのでもなく、知識のために造られたのでもなく、権力のために造られたのでもありません。神様の愛を神様御自身が感じられる唯一の道であるがゆえに人間を造られたのです。
 このような観点から見るとき、神様は父であり、人間は息子、娘だということが一つの軸をなすのです。
 もしこの軸が連結されたならば、人間と神様が愛で一体となった関係は、何が作用しても絶対に引き離せないのです。
 神様の本然の愛と絆を結び、その愛の味を味わった人が神様から離れていくでしょうか。
 蜂は、春に蜜を味わいます。蜜を吸っている蜂のおしりをつかんで引っ張ると、おしりがとれても、その蜂は蜜から口を離しません。
 皆さんがその味を味わったならどうでしょうか。離しても戻ってきて、再びそこにくっつこうとするでしょう。
 この軸の愛が、そこに連結された万有が作用する基準になっていれば、人間の家庭は、個人的に完成した男性と女性が一つになって愛を中心とした家庭が現れるのです。
 さらに、この愛を軸として成された氏族、民族、国家、そのようにして世界が現れるようになるのです。(137-57,1985.12.18)

 

3)神様の永遠成る愛の相対者

 

 神様がこの世界を創造されたのですが、私たちが神様に、何ゆえにこの世界を造られたのかと尋ねるならば、神様は間違いなく「善くて・・・・・・」とお答えになるでしょう。善くて、すなわち喜びのために、喜びを得たいがために、神様はこの世界を創造されたというのです。
 ところで、善い状態、すなわち喜びはどのようにして得られるのかといえば、愛の形態を通して得られるのです。ですから、神様は、愛の実現を通して喜びを得るためにこの世界を創造されたのです。そのような結論を私たちは得ることができます。愛の実現のためにこの世界を創造された神様であられました。
 人間と万物が神様の愛を中心に一つとなり、和気あいあいとした愛の世界を築くのを見て喜ばれるために、そのようにして、人間が神様の愛を中心に一つの真の夫婦の因縁を結び、一つの真の愛の家庭と氏族、民族、国家、世界を成すのを見て喜ばれるために、そのようにして、そのような人間と愛で一つになることにより、愛の喜びを味わうために被造世界を創造された神様であられました。正にそれが神様の創造の理想だったのです。(祝福家庭と理想天国I-302)

 

 神様の夢はただ一つ、愛の理想を実現することでした。ところが問題は、愛の理想の実現は、神様お一人では果たせないのです。愛や幸福、喜びなどは、一つの個体を中心として成り立つようになっているのではありません。相対がなくては絶対に成立することができないのです。(祝福家庭と理想天国I-303)

 

 神様は絶対的な存在ですが、愛の相対となる存在がなければなりません。神様の愛の相対者は、正に人間なのです。人間が完成した愛をもって、愛の相対者として神様の前に現れるとき、神様は幸福の神様、喜びの理想を得た神様となるのです。(145-267,1986.5.15)

 

 なぜ神様には人間が必要なのでしょうか。神様の理想を実現するのに、なぜ人間が必要なのかというとき、「神様の愛を完成するために必要なのだ」と言うことができます。
 神様の愛とは何でしょうか。それは、人間同士が、永遠に見つめ合って愛し合うのはもちろんのこと、神様が人間を永遠に愛することでもあるといえます。
 人間は、このように神様の永遠の愛の相対者なのです。アダムとエバを創造されたその日から、神様は、永遠無窮に、アダムとエバをどれほど見てももっと見たいし、どれほど一緒にいてももっといたいし、どれほど一緒に住んでももっと住みたいという対象として愛したかったのです。そのようにできる対象をもつことが神様の創造理想です。(祝福家庭と理想天国I-306)

 

4)アダムとエバを創造された目的

 

 旧約聖書の創世記第1章27節を見ると、神の形どおりに人間を造り、一男一女を造られたという聖句があります。そこから帰納的に推理すると、神様は、一人の男性と一人の女性を合わせたお方だという結論が出るのです。
 そのような神様が一人でいてはいけないので、対象を必要として、この世界を創造せざるを得なかったのです。そのような理由で造られたのが、一人の男性であり一人の女性なのです。(祝福家庭と理想天国I-307)

 

 神様は、第1に体をもつためにアダムとエバを創造され、第2に愛を完成するためにアダムとエバを創造されたのです。
 このようなアダムとエバが完成し、二人が一つになり得る愛の実体となれば、神様が臨在され、彼らは人類の完全な愛の父母となるのです。
 そのようにして、神様の形象的実体の父母になったアダムとエバが、実体の子女を繁殖する事によって、理想世界が成就されるのです。そのようになれば、人間を通して霊界と地上世界が連結されるので、霊界と地上世界を連結させる目的としても人間を造られたのです。
 そのようにして、神様が愛を中心にしてアダムとエバに臨在されることにより、神様は、人類の真の父母、実体の父母として存在されるのです。そのようにして、アダムとエバが霊界に行けば、霊界でもアダムとエバの形状をもって父母の位優に顕現することができるのです。
 ところが、アダムとエバが堕落することにより、これが成されなかったという事実を皆さん方が理解してくださるようにお願いします。(祝福家庭と理想天国I-308)

 

 神様は見えません。その無形の神様が実体相をもつためにアダムとエバを創造されたのです。心の中に神様を抱いているアダムとエバが完成し、結婚して子女を生めば、神様は内的な父になり、アダムは外的な父となるのです。そのようになれば、アダムは神様に完全に似るようになります。
 神様に似たアダムとエバが人類の父と母になれば、その姿を通して、いつも神様がいらっしゃることが歴史を通して認知されたことでしょう。(祝福家庭と理想天国I-309)

 

 神様が男性と女性を造られた目的は、二人が愛し合って一つになるようにするためでした。アダムはアダムのために、エバエバのために造られたのではありません。アダムはエバのために、エバはアダムのために造られたのです。
 また、神様御自身の愛と喜びのために、アダムとエバを造られたのです。神様がアダムとエバを造られたのは、知識、権力、お金のためではありません。全知全能なる神様は、知識、お金、権力が必要だったのではなく、ただ愛が必要だったのです。(祝福家庭と理想天国I-308)

 

 神様がアダムとエバを造られたのは、知識を与えるためでもなく、権力を与えるためでもなく、多くの財物を与えてよい生活ができるようにするためでもありません。彼らを創造した目的は、愛の実体として立てるためだったのです。(祝福家庭と理想天国I-308)

 

5)アダムとエバの初愛の時期

 

 神様がアダムとエバに「取って食べるな」と言われたのは、彼らが愛し得る時機になっていなかったからです。彼らは、成長期にいたので、成熟するまで待ちなさいという戒めだったのです。(祝福家庭と理想天国I-310)

 

 人間は、思春期に向かいながら、その一時を中心に生きてきました。その時まで待つべき理由がどこにあるのかを知らなければなりません。すぐに男性と女性が一つになって愛すればよいのに、なぜ待たなければならないのでしょうか。
 愛のゆえにそうせざるを得なかったのです。成熟し得る思春期時代まで期間が必要なので、その期間まで過程的な要件を整えなければなりませんでした。(祝福家庭と理想天国I-312)

 

 それでは、アダムとエバが教育を受けられる姿勢とは何でしょうか。神様とアダムとエバは、父母と子女の関係なので、その父母が行く所にはいつもついていかなければならず、主管を受けなければならないにもかかわらず、その立場を離れることによって本然の姿勢を離脱したのです。神様は、絶対的なお方なので、絶対的にそのお方に従って服従しなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-311)

 

 アダムとエバは、万物の霊長として、父なる神様が定めてくださった期間、すなわち霊肉ともに成熟する時を待たなければなりませんでした。
 神様もアダムとエバに「生育し、繁殖せよ」とおっしゃいました。それは、肉体と霊人体が完全に成長したのちに、夫婦となって愛し合い、息子、娘を繁殖しなさいというみ言なのです。
 アダムとエバが身体的に成熟していきながら、一緒に出歩くようになるのですが、一緒に歩いていてびっくりするような光景を見れば、エバが「まあ、怖い!」と言いながらアダムの胸に抱かれたり、後ろに隠れたりすることが起こるようになったのです。
 エバがアダムの胸に抱かれれば、怖ろしいと思っていた心が安心でき、楽になるのと同時に、アダムから強力な男性的衝動を受けるのです。アダムもまた嫌な気もせず、エバから自分とは違う性的衝動感を受けたでしょう。
 このようなとき、アダムとエバのうち、性的モーションをどちらが先に掛けたのですか。「怖い」とアダムの胸に駆け込んだエバが先に掛けたのです。その時から彼らには、次第に愛の接線がなされるようになったのです。
 神様は、愛で被造世界を創造されました。ですから、アダムとエバは、神様の愛を中心にして被造世界を愛の組織体としてつくり、神様に連結させなければなりませんでした。
 そのような任務をもったアダムとエバは、どのような姿勢をもって神様が許された愛を共有すべきかを考えていなければなりませんでした。この愛の問題は、極めて重大なことで、彼らの生死を分けるものになりかねないのです。(祝福家庭と理想天国I-311)

 

 愛はどこから出発するのでしょうか。個性を完成するところからです。原理で見れば、個性を完成したのちに愛するようになっています。思春期を経て異性に対する資格を備え、天地の調和に一致して通過し得る責任を担えるときに初めて、愛の因縁が始まるのです。
 ところが、アダムとエバにおいては、そうではありませんでした。彼らの愛は、どのような愛でしたか。天地のすべての万物を統一させ得る位置での愛ではありませんでした。主体的な愛ではありませんでした。
 彼らの愛は、主体的で必然的な愛でなければなりませんでした。ところが彼らは、必然的な愛で愛することができなかったのです。(26-151,1969.10.25)

 

6)全ての存在は愛を通じてのみ完成する

 

 個体完成とは、本来、神様がつくられた愛の基台の上で、心と体が完全に一つとなった中で、成長し成熟するように授受作用を永続させていくことをいいます。愛を中心にして出発し、愛を中心に成熟し、その上に愛の芽が出て実を結んでこそ完成するのです。
 このように愛の基台が立つようになれば、その中に神様が愛の因縁をもって臨在されるのです。愛が成熟しなければ、実を結び得る基台を造成出来ないのです。
 すべての被造物は愛の法度によって創造され、また存在しているのです。植物を見ても、花が咲けば花の中の雄しべと雌しべが授受作用、すなわち循環運動をすることによって実を結ぶようになるのです。
 動物世界もそうであり、人間世界も愛の循環運動によって存在しているのです。このようにすべての被造物は、愛の関係を経て完成するようになっています。
 すべての存在は、愛を通してのみ完成できるといえるでしょう。人間は、神様の愛の核と一致する位置に立ったとき、体と心が一体となるのであり、心と体を一体化させて神様の愛の圏内に入っていくようになれば、成熟した人間となるのです。そのとき初めて、堕落していない本然の人間として個人完成が始まるようになります。(祝福家庭と理想天国I-314)

 

 心と体において、心は天を中心とし、体は世の中を中心としているのですが、この心と体が一つになったというとき、その理念は、何理念といいますか。天宙主義理念といいます。天宙主義とは何か分かりますか。天と地、すなわち無形世界と有形世界が一体となる立場を成していこうという主義が天宙主義です。
 この天宙を支配しようとすれば、支配しようとする人は、心と体が一体になっていなくてよいのですか。一体とならなくては、ここで滅びます。そして、神様を中心として心と体が一体となるとき、神様は内的な神様であり、自分は外的な神様になるのです。何を中心として一つになるのかというと、愛を中心として一つになるのです。(祝福家庭と理想天国I-314)

 

 アダムは、神様と一つにならなければなりません。これを結合させるのは愛です。存在世界の平面的な代表者は人間であり、立体的な代表者は神様です。これを永遠に結合させる中心点が正に愛という絆です。
 肉体をもつ人間が神様と一体となるとき、その心情と感情は、無限なる体恤境と幸福感に酔うようになります。結局、愛によって神様と人間は一つになるのです。
 愛によって人間と世界が一つになり、神様の創造目的、理想世界の実現はそこから出発するのです。(35-156,1970.10.13)

 

 アダムとエバは、16、17、18歳になれば自然と思春期になり、異性に目が開くようになります。花が一面に咲く時、人がその香りに酔うように、アダムとエバが成熟すれば異性を考えるようになります。
 この香りに神様も一緒に引き込まれていくのです。神様の愛とアダムとエバの心と体、この三つが一つになれば、宇宙の核が生じてすべての愛をコントロールする本軌道に入れるようになります。
 ところが、ここで脱線しました。脱線しなかったならば完全に一つになっていたでしょう。このように一つになったなら、神様も離れられず、アダムとエバも離れられなかったはずです。
 そのようにして、子々孫々に連結され、氏族、民族、国家、世界を形成したことでしょう。ここが素晴らしい世界、地上天国に成るのです。(祝福家庭と理想天国I-312)

 

7)人間たちが誇れる最も大きな自慢の種

 

 神様は、一人の男性と一人の女性を創造されました。そのようにして、彼らが完成した状態に至ったのちに、彼らをして天的な結婚生活をするようにされ、1双の天的夫婦として立てようとされました。
 神様は、アダムとエバをして最初の夫と最初の妻になるようにされ、天国建設を始めようと計画されたのです。もしそれが実現されたならば、「生育し、繁殖せよ」と言われた神様の祝福は、そのときに成されたはずでした。
 神様は、彼らに神様の子女を繁殖できる力を賦与されたのです。そのようになっていたならば、彼らの子女も罪のない完全な人間になったのです。
 彼らは、またどのようになっていたのでしょうか。罪は、絶対に人類に継承されなかったでしょう。そのような子女をもつことによって、アダムとエバは、神様を中心とした真の父と真の母となり、人類の真の父母になったでしょう。(祝福家庭と理想天国I-319)

 

 堕落せずに完成の位置まで上がったならば、アダムとエバは、個人完成のみならず、宇宙史的な完成をしたことでしょう。また、神様の愛を中心にした新しい家庭が出発したことでしょう。
 このように家庭から氏族、民族、国家、世界が成されたならば、神様に侍る一つの大家族社会ができたことでしょう。この大家族社会の中心は、神様とアダムです。
 それで、その世界では、神様を中心としたアダム家庭の生活や一生の路程が歴史的伝統として残ります。彼の生活方式、風俗、慣習、そして生活的な背景が歴史的伝統になるのです。それは、神様の愛でつづられた伝統にならざるを得ません。
 神様の愛は、生命の根源であり、すべての理想の源泉なので、その懐を離れようとしても離れることができず、離れたとしても再び戻らざるをえません。
 堕落したこの世界でも、父母のもとで生活していた人が、その懐を離れたり兄弟のもとを離れれば、いつも寂しく感じ、父母や兄弟を懐かしく思うのを見ることができます。
 このように、生命と理想の主体であられる神様の愛でつながっていれば、その懐を離れることができないのです。離れれば寂しくなり、悲しくなり、喜びがあるはずがないので、神様の愛の圏内で一つになるほかはないのです。
 そのような立場で、人間たちに誇るものがあるとすれば、第一に、神様は私の父だということであり、第二に、自分たちは神様の愛を受けることができる息子、娘だということであり、第三に、自分たちは神様が創造された宇宙の相続者だということです。
 今日、世の中の人たちは、金持ちの婿になっただけでも大きく自慢します。ところが、神様が私の父であられ、その父の愛を完全に受けられるならば、それ以上に大きな誇りがどこにあるでしょうか。(祝福家庭と理想天国I-319)

 

 アダムとエバが神様を中心とする理想家庭を築いたならば、神様のみ旨は成就されたでしょうし、アダム家庭は、上は神様を父として侍り、下は人類始祖の立場で、一つの結合した愛の基点を備えた家庭になったでしょう。その家庭は、神様が創造されたアダムとエバの理想を完成するために、愛の結合によって一体になり得る基となったことでしょう。(110-213,1980.11.18)

 

8)真の家庭として伝統を立てるべきだったアダム家庭

 

 人間始祖が堕落しなかったならば、皆さんは、誰の息子、娘として生まれたでしょうか。当然、神様の息子、娘として生まれたのです。
 堕落しなかったならば、すべての人間は、神様の真なる息子、娘になります。今日の様に、怨讐に弄ばれ、怨讐に支配される氏族ではなく、怨讐に讒訴される群れではありません。絶対的な権威をもった神様の息子であり、どこへ行こうと神様の全権、全能を代表できる神様の息子です。
 その息子を中心に家庭を築くとき、その家庭は、全宇宙の存在が屈服しなければならない神様の家庭となるのです。
 また、その家庭を成した氏族が動いていくときには、あらゆる彼造万物が彼らを擁護し、彼らに吸収されなければならないのです。
 ところが堕落したがゆえに、人間たちは、神様の息子、娘になるどころか、怨讐に弄ばれる群れになったのです。

 

 人類の始祖が、本来、神様の法度を犯さずに神様と永遠に一体となったならば、その一体となった愛の因縁の中では、誰も彼らを連れていくことができません。
 既に息子、娘として生まれ、また、既に成人したのちに彼らに、「おい、お前の父親は誰だ」と言って説明しても、神様が父であることを否定できる理論や学説はありません。銃剣を突き付けても駄目なのです。(21-41,1968.9.1)

 

 もし堕落がなかったならば、エデンの園に天の最初の家庭が立てられたのであり、その家庭は、サタンの讒訴とは何の関係もなく、神様の主権のもとで繁栄したのです。(祝福家庭と理想天国I-330)

 

 アダムとエバが堕落しなかったならば、神様の完全な愛を受けたでしょう。このように神様の完全なる愛を受ける息子と娘として、彼らが神様の愛で結合したならば、神様の愛を中心とした息子、娘を生んだでしょう。
 そうして、真なる神様の愛の中で、夫としての伝統、妻としての伝統、息子としての伝統、娘としての伝統を立てる事ができたでしょう。
 そのようにして、神様の愛を中心とする家庭の伝統が確立されたならば、神様のみ旨は成就したことでしょう。(114-10,1981.5.14)

 

 アダムとエバは、神様のみ旨どおりに完成して祝福を受け、家庭から始まる神様の国を築かなければなりませんでした。彼らの完成は、真の愛を中心として成されなければなりませんでした。
 神様に侍り、アダムとエバが横的な相対を成したならば、創造目的の世界が出発したはずであり、その世界は、拡大されて宇宙にまで至ったことでしょう。
 アダムとエバが夫婦一体となり、一つになる伝統の中に一つの世界を築いたでしょう。しかし、アダムとエバは、神様のみ旨に背いて堕落してしまいました。(祝福家庭と理想天国I-332)

 

(2021.11.08:写経奉献)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村●連絡がとりたい方はメールでお願いします。maile-address: kawahara@yui0123.com