「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(23) 第4巻『真の家庭』 第6章 思春期の変化と真なる結婚

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第6章 思春期の変化と真なる結婚

1)結婚の意義

2)なぜ結婚するのか

3)真の結婚観

4)思春期とはどのような時か

5)思春期に起こる身体的変化は何のためか

6)思春期の初恋

7)結婚の適齢期ー愛はいつから連結されるのか

8)心と体が一致した愛

 

 

1)結婚の意義

 

 結婚とは、幸福な宮殿の門を開けて入っていく儀式です。ですから、結婚は人生における重大事となるのです。愛は時空を超越し、人間にとって最も偉大なものであり、結婚はそのような愛を現して確認する儀式なのです。(祝福家庭と理想天国I-356)

 

 なぜ結婚式を「祝福を受ける」と言うのでしょうか。私達の「原理」から見るとき、アダムとエバが堕落せずに完成していたなら、祝福の席に参加していたはずです。言い換えれば、アダムとエバは、神様の実体対象として、神様が主体であれば彼らは対象になるのです。
 そのような立場で、愛の主体となられる神様から対象的な立場の愛を連結させ得るその基台において個性を完成し、結婚することによって祝福は成されるのです。
 結局、完成とは結婚のことをいうのであり、結婚とは神様の愛の顕現をいうのです。
 言い換えれば、結婚がなければ、今日、人間世界における愛というものが始まらなかったというのです。その愛の主人は誰でしょうか。人間ではなく神様であられることを私たちは知らなければなりません。その神様の愛が人間の中に現れるようになるとき、神様の喜び、誇りとなり、神様の愛としてこれを感じることができるのです。
 愛というものは一人で成り立つものではなく、相対的関係において成り立つものなので、男性が愛を成就しようとすれば、男性自体だけでは駄目なのです。女性も同じです。このようにアダムとエバが愛で一つになることによって初めて、神様の愛を受けることができるのです。
 このような観点から見るとき、私たち人間は、神様から生まれたものであることが分かるのです。(74-49,1975.1.26)

 

 天地間のすべての道理が主体と対象から成っているように、男女が結婚するのも天地間の道理なのです。男性が右側なら女性が左側になるのは、宇宙間の横的な関係を築くためであり、男性が主体なら女性がその対象となるのは、神様との縦的な上下関係を築くためでもあります。ですから、結婚をするのは、男性だけのためでもなく、また女性だけのためでもなく、天理の法度を合わせるためにするのです。ですから、男性と女性は互いに違う形を備えています。天理の法度を一致させることができるように生まれたのです。(101-38,1978.10.28)

 

 結婚というのは、愛する二人が寂しいときは慰め合い、うれしい時は共に喜び、困難なときは助け合える相対的な位置で授け受けしながら、神様の前へ出ていく場合において、神様の愛を土台として生活するために結ばれることなのです。これがすなわち結婚生活です。
 神様が男性と女性を天に造らず、地に造られたのは、平面的基準で神様の愛を横的に成すためです。すなわち、主体と対象の関係を造成し横的に一つになるとき、主体であられる神様と、二人で一つになった愛が、縦的な愛の因縁を結びことができるというのです。この事実は極めて重要です。(祝福家庭と理想天国I-357)

 

2)何故結婚するのか

 

 男性は女性を求めていくために生まれ、女性は男性を求めていくために生まれました。女性と男性は、二人が一つになってより次元の高い神様の愛に接するために生まれました。一人ではその愛に触れることはできません。一人で接しても、それは一方的です。立体的で球形的な愛に接することはできません。
 ですから、男性と女性がより高い次元の立体的な愛の圏内にジャンプするために結婚するのです。
 本然の世界においては、男性と女性が一つになればなるほど、その力の作用において偉大な中心が生じて球形になるのです。横的に連結されればされるほど、縦的な力の愛の母体が連結されて入ってくるというのです。そこにおいて心と体が一つになるのです。(109-273,1980.11.2)

 

 結婚は、なぜするのですか。天国へ行くのに必要なのでそのようにするのです。なぜなら、結婚をしなければ天国には行けないからです。ですから、天国へ行く資格者になるためには結婚をしなければならないのです。天国へ行く資格とは何でしょうか。神様に似る事です。
 どのようにして神様に似るのでしょうか。神様のみ言を実践する人になることです。神様の愛を「私」の愛にすることであり、神様が語られる言葉を「私」の言葉として語ることができればよいのです。
 ですから、私は、神様に代わって世界に対し、「人類よ、お前は天国に行かなければならない」と言うのです。その次には「天国に行くためには、神様のように私が人類を愛して連れていく」と考えればよいのです。
 そのような人は、神様の人であり、天の側の人であり、天国へ行ける候補者だといって間違いないのです。このようになるときには、結婚する資格が整うというのです。さあ、結婚はなぜするといいましたか。天国に行くために、そして、人類のためにです。
 男性の前にいるその女性は、神様の娘であり、人類の女性を代表した娘であることを男性たちは知らなければなりません。人類が愛する女性として愛することができ、神様が愛する娘として愛することができれば、夫になる資格がありますが、そうでなければ駄目です。
 女性は、その反対です。「あれは私の夫である」と考えてはいけないというのです。「私」の夫だという前に神様の息子であり、人類の男性を代表した男性であると考えるのです。人類が愛する以上に愛することができ、神様が愛する以上に愛し得る女性になればいいのです。
 そして、自分が男性として右足になり、女性として左足になり、人類のため、神様のための愛の足跡を家庭を通して伝えるのだと考えて結婚しなければなりません。(88-316)

 

 結婚の目的は、男性と女性の心の世界を一致させようとすることであり、男性と女性の愛の完成のためなのです。
 そして、結婚したということは、そのような証拠を見せますと宣布したことになるのです。結婚生活を通して愛の完成と心の完成を成したならば、家庭の理想を実現したと見ることができます。そして、死ぬときにこれを成していれば、間違いなく天国に行くというのです。(祝福家庭と理想天国I-360)

 

3)真の結婚観

 

 本来、心と休が完全に一つになったアダムとエバが、縦的に完全に成熟し、新郎新婦として神様を喜ばせる対象圏を成し、神様の祝福を受けることを通して、神様の愛による家庭が形成されていたなら、それが本来エデンで堕落せずに成されていた完成圏でした。
 その完成圏に現れたアダムとエバになっていれば、それは、どのような立場でしょうか。祝福を受ける立場です。
 恵みの中で一番貴い恵みは、神様の愛です。その次は、神様の創造の権限を引き継ぐです。神様が愛を中心としてアダムとエバを創造されたように、創造的権限を賦与されるのが子女なのです。
 皆さんは、なぜ子女を愛するのですか。神様の創造の偉業を実体圏で横的に引き継いだのと同じなので、アダムとエバを造って神様が喜ばれたその喜びを代わりに感じるためです。その次は、神様が天地万物を主管されたように万物を主管させるために、横的な立場にいる私たちに、神様は主管権を賦与されました。
 その権限をもって秩序的段階にとどまれる、そのような世界が理想的天国であると見るのです。
 ですから、結婚するその時には、神様の愛を相続し、再創造の権限と主管権を、完成圏に立って引き継ぐようになるのです。ですから、結婚式というのは、愛の顕現をいうと同時に創造権と主管権を賦与されることなのです。(76-45,1975.1.26)

 

 私達の結婚観は、宇宙の座布団を・・・・・・。宇宙の座布団、分かりまか。宇宙で一番いい絹は何ですか。洋緞(注・高級な絹織物の一種)ですか。洋緞の布団、ねんねこを敷いておいて新婚生活をすることよりも、宇宙の洋緞布団を敷いておいて、その中で愛し合う! そのように考えるのです。愛を中心として、所有権を私1代で決定する瞬間だというのです。私の当代に所有権が来るのですが、その所有とは女性の所有が決定されるのです。
 その女性は、どのような女性ですか。宇宙の半分です! これを引っ張ってくる日には、私の後ろに宇宙がぶらさがってくるのです。考えてみなさい。また、女性は、なぜ結婚しなければならないのでしょうか。男性にくっついて、半分(180度)と半分が合わさり、二人で宇宙の価値と対等の作用圏をつくるために結婚するのです! このように考えるとき、統一教会の思想は素晴らしいというのです。(祝福家庭と理想天国I-363)

 

 結婚は、私のためではなく相対のためにするという信条をもたなければなりません。結婚するとき、ハンサムな人、きれいな人を得ようとするのは間違った考えです。人間は人の為に生きなければならないという原則が分かったなら、結婚をする時にも相対のためにするという観念をもたなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-363)

 

 いくら醜い人でも、美人よりも愛そうという信念をもつことが原則的な結婚観です。
 人間として生まれて、相対を神様のように愛し、人類のように愛し、この世の誰よりも愛することができるという観念が確立しなければ、天の国に復帰することはできません。一人の男性として一人の女性を愛することができないなら、神様と人類を愛することはできません。(97-319,1978.4.1)

 

 結婚は、誰のためにするのかといえば、人類のためにするのです。人類の共同利益のためなのです。世界を代表したものです。その男性は世界を代表した男性であり、女性は世界を代表した女性です。(75-278,1975.1.12)

 

4)思春期とはどのような時か

 

 皆さん、思春期の時は、天下の王子になる気分なのです。すべてのことを自分を中心としてひっくり返して考える時期です。このように思春期は反駁する時なので、自分を理解してくれなければ、いくらでも危険な道へ行く可能性があります。ですから、今日、青少年たちの問題が世界的な問題になったのです。
 思春期の時は、どのようなことでも自分を中心としなければ気に入らないのです。しかし、自分と関係を結んだときは、それがいくら微々たるものであっても得意になるのです。
 20歳前後の女性たちをよく見ていると、訳もなく「ふふふふふ・・・・・・」と笑います。秋に葉のすべて落ちた柿の木から、熟した柿がぽとんと落ちるのを見ても、「はほほ」と笑います。
 それは、何か分からなくとも通じるというのです。すべてのものが、すべて自分と関係を結んでいるので、最高の感情が誘発されるのです。ですから、思春期というのは、すべてのものに接して因縁を結び得る転換点なのです。それはなぜでしょうか。神様の愛を中心として男性と女性を完全に100パーセント一つにするための神様の創造本性が基盤となっているからです。(33-332,1970.8.23)

 

 いくらきれいな娘でも、思春期はただ一時しかありません。その時は、一番の花の時であり、一生で一番貴い時なのです。それにもかかわらず、「私一人で生きよう」という女性がいるでしょうか。それは、女性ではありません。
 また、男性達の中にも、恰幅の良い16歳前後の青春期に、自分一人で生きようという者がいますか。そのような時には、必ず相対を探すようになるのです。誰に似てそうなのですか。神様に似てそうなのです。神様がそうでないのに、そのような人間ができるでしょうか。神様がそうなのです。一生のうちで一番貴い時である青春時代に、相対を探していくのは、男性でも女性でも同じです。(32-248,1970.7.19)

 

 最も美しい花のような時期、花がぱっと開いた青春時代がいつかといえば、思春期です。その時期が正に18歳から24歳までの7年間です。この7年間は、一生に二度とない愛の花が咲く時期です。一度しかない花のようなこの時代がどれほど貴いでしょうか。
 皆さん、芍薬の花を知っているでしょう。その花のつぼみに色の違う黄色の花房があるでしょう? それは、何枚から成っているでしょうか。花をしっかりと取り巻いているのです。それを押し開くことができますか。たやすく押し開けないようにしっかりと取り巻いているのです。男性や女性も、これと同じです。
 皆さんの赤い愛、黄色い花のようなその愛のつぼみ、その愛のつぼみをいつ、ぱっと咲かせるのですか。天地の調和の中で、美しさが最もよく現れる時がその時期です。人間として見ても最高の時です。神様の傑作品になり、最も中心の絶頂としてきらめく期間です。大きくなりながら最もきれいな花のような時代、一番美しい時代が青春時代です。
 その青春期の姿は、最高の花のつぼみのようです。それを十分に愛し得る人がいるなら、その人は、神様の部屋に招待を受けることができます。そのように愛し得る男性と女性は、神様の恵みを受けることができ、神様の部屋に招待を受けることができるというのです。それを知れば、皆さんは、男性なら男性としてそのような準備をしなければなりません。(26-151,1969.10.25)

 

5)思春期に起こる身体的変化は何の為か

 

 少年期には、漠然とした夢の中で健康に育つことだけを望みますが、思春期になり身体的、生理的変化が生じるようになれば、異性に対する関心が高まり、瞳は好奇心と美しさできらきら光るようになります。
 体もおしゃれをするために着物の身だしなみを整えるようになり、顔もよりきれいにするために、整えることに余念がなくなるのです。そのような時に唇を見れば、彼が思春期に差し掛かっているのか、そうでないのかを知る事ができます。
 女性たちにおいても、思春期に差し掛かれば月経が始まり、身体的に多くの変化が起こるようになります。おしりが大きくなり、胸がふくらみ、唇は赤くなり、瞳は神秘的に輝いたりします。
 そのような女性の変化は、どうして、誰のために起こるのでしょうか。女性の身体的変化は、直行していた道をぐるぐる回るための変化なのです。ぐるぐる回っていける運動を始めるための変化だというのです。直行する道には何の調和もありません。直行する道は、2回行ったり来たりすれば、すべてのものが消耗され、何も残るものがないのです。直行する道を行ったり来たりすれば、環境を破壊するだけで、環境の調和は起こりません。
 環境の調和と保存のためには回っていかなければなりません。ですから、すべてが回っていくべきです。回っていく場合は、自分を中心にしては回っていくことができないので、相対を中心として回っていかなければなりません。
 回っていく場合は、相対とぶつかってこそ、回っていく事ができます。相対者とぶつかれば自動的に反作用が起こり、回る運動が始まります。これは天地の道理です。
 ですから、女性に身体的な変化が起こるのは、相対者と出会って回っていくためです。ぶつかれば回っていくための力が生じるようになります。女性が化粧をしてきれいに飾るのは、自分のためというより相対のためです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-367)

 

 美しく身なりを整えた女性を見ると、その女性が男性を見る目はひときわ輝きます。自分の相対を見つけるため、自らをきれいに装うのは自然の現象といえるでしょう。素晴らしい男性に出会うため、理想的な男性に出会うため、気をもみながら歩き回るようになります。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-337)

 

 皆さんのような思春期の独身の男性と女性が共に会って話をする時は、胸がはずむのです。はずむでしょう? はずみますか、はずまないですか。分からないのですか。はずみますか、はずみませんか。(「はずみます」)。
 見てください。興奮するでしょう? そして、興奮するようになれば、心のうちに変化が生じます。ところが、その心が神様を中心とせず、反対の立場に立てば悪になるのです。心は誰を中心とするのでしょうか。神様です。その神様を中心とした心と心情が、一つになり得る所に上がることができるようにするのが愛です。何の話か分かりますか。このような立場で一つの生涯を送らなければならない人間なので、人間は、愛を中心とした理想と希望をもたなければならないのです。そして、最後の場で輝けるのが愛なのです。(26-158,1969.10.25)

 

6)思春期の初恋

 

 思春期には、愛を探して心と体が衝動を起こすようになります。父母の言葉を聞かず、自分勝手に歩き回ります。心の目と体の目が一つになって動きます。また、愛の鼻をもてば、ふだん嫌いだったにおいまで好きになります。愛の口をもてば、ふだん嫌いだった味までも好きになります。夜を徹しながらでも愛の話を聞きたいと思うのです。
 愛する対象は、触れば触るほどもっと触りたいというのです。このように思春期になり、愛の感情に包まれるときは、目がおかしくなり、すべてのものを良く見ようとします。
 心と体が一つになり、愛の銃を撃てば、愛という弾丸が相手の心臓に打ちこまれるようになるのです。男性のそのような愛、女性のそのような愛を願う人は手を挙げてみてください。愛は、消化できないものがありません。すべてのものをおいしく食べることができ、すべてのものをみな消化することができるのです。
 真実の愛をもったなら、いくら醜い男であっても美男に見えるようになります。愛は驚くべきものです。ですから、良くても悪くても思春期時代に結んだ初恋は、男性でも女性でも永遠に忘れることができません。(祝福家庭と理想天国I-374)

 

 死ぬほど好きな恋人のいる女性が、父母の反対で別の男性に嫁いだとしたら、その女性は一生の間幸福でしょうか、不幸でしょうか。その女性は、自分が初めて愛した男性が、たとえ鼻がつぶれ目が不格好だとしても、花のように良く見えるのです。
 父母が決めてくれた男性は、外見からしても学歴からしても、1000人なら1000人がみな良いと言う人であり、昔自分が心の中でささやき愛した男性は、ひどく不出来なのにもかかわらず、その初恋の男性のほうが良いというのです。
 初恋は、すべてを占領するのです。愛の主体は、誰ですか。神様です。愛の主体が神様なので、愛することができるのも神様お一人しかいないのです。元来、初恋は神様とするようになっていました。ところがそのようにできなかったことが堕落です。
 エバは誰と愛し合いましたか。天使長と愛し合いました。ところが、喜びながら愛さなければならないのに、顔をしかめて泣きながら愛し合ったのです。(祝福家庭と理想天国I-361)

 

 皆さん、堕落する時エバが、「ああ、いいわ! 善悪を知る木の果を取って食べると本当においしい、おいしいわ」と言ったでしょうか。エバが天使長に強奪されたとき、その心はどうだったのでしょうか。良心の呵責を受け、嫌がりながら天使長の誘惑に引かれていったのです。すべての細胞がうれしくて花が早春を望むように愛し合うべきであったにもかかわらず、細胞が朽ち果て、心情が朽ち果てた場で顔をしかめながら愛し合ったのです。
 もし堕落しなかったなら、誰と初恋をしたのでしょうか。神様としたはずです。アダムとエバの神様を中心とした初恋には、すべてがつまっているのです。初恋を中心とした父母の愛、初恋を中心とした夫婦の愛、初恋を中心とした子女の愛、すべてに神様の愛と根がしっかりとくっついているのです。
 皆さんの様に何千年の歴史的距離をおいて、個人復帰や家庭復帰という段階を経なければならない愛ではありません。一遍にぱっとくっつく愛です。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛がひとまとめにすべてくっつく愛なのです。(祝福家庭と理想天国I-374)

 

7)結婚の適齢期-愛はいつから連結されるのか

 

 全知全能の神様は、人間において華やかに花開ける時を造られました。その時期が青春時代です。神様は、愛の青春時代を中心として、自ら幸福を培っていくように造られたのです。ですから、神様が存在する同一理想的な人間世界にあって、男性と女性が華やかな青春の時期に幸福になることができる関門として、結婚という祝福をしました。
 この世に存在するすべてのものは、相対的理想を経なければ存在価値がなくなるのです。ですから、人間が成長したのちに祝福を受けて結婚をするのは、至極自然の摂理なのです。(祝福家庭と理想天国I-371)

 

 愛は、いつから連結されるのでしょうか。愛の力は、いつから押し出してくれるのでしょうか。男性と女性も思春期を迎え、すべての器官が100パーセント完成圏に到達するようになるとき、停止状態へ入っていくのです。すべてのものが飽和状態になります。
 運動というのは、必ず飽和線を経ます。その後、いったん停止したり、また回ったりするようになります。そのような飽和状態に入っていって停止します。そのような飽和状態に入っていく前段階とは何かといえば、思春期です。思春期というのは、私の肉体の発育において、すべての器官が完成した時期をいいます。気球でいえば、空気がなくてぺちやんこの状態から、空気を入れてぱんぱんになり、破裂する直前になったということです。もう少し入れば破裂します。
 その破裂するとはどのようなことでしょうか。愛が完成してそれが破裂するのならどれほどよいことでしょうか。同じように人間も、18歳ぐらいになればゴム風船のように張り詰めてきます。そして、破裂直前の立場まで行き、そこから見事に永遠に転がっていくことができます。(110-80,1980.11.9)

 

 霊肉が完全に一体となるときは、本然の愛が私たちの中に訪れてくるときです。堕落した世界の人間たちの場合も、思春期とは、霊と肉体の細胞が和合し、平衡線上に立つことのできる時期だというのです。
 思春期のときの霊と肉体の細胞は、すべての門を開いて喜んで迎えるのです。神様を中心とした思春期時代に人間世界を眺めるとき、喜びと幸福のみが満ちるようになるのです。(祝福家庭と理想天国I-371)

 

 愛するようになれば幸せになり、愛に酔って感じる感情は本当に万華鏡のようだといって、早く経験してみようと飛びつけば、それは、大変なことだと言わざるを得ません。愛の門は、時になれば開くのであり、門が開く時を待って入らなければなりません。自分が愛の主体になったと思った時、堂々と開かなければならないのです。(祝福家庭と理想天国I-369)

 

 結婚適齢期は、いつごろだと思いますか。心と体が最も完成した力をもつときが結婚する最適齢期です。青年期を越えれば、だんだんと気力が衰えていくので、いくら純情を保ったといっても、相対者を求めるのが難しくなるのです。(祝福家庭と理想天国I-369)

 

 それでは、完成した人、即ち完成した男性と女性が住むようになる場とは、どのような場でしょうか。天の公的なみ旨を中心として神様の愛を受けることができ、心と体が完全に一つになり、神様を主体として侍り得る場です。このような場に住むようになるとき、完成したアダムとエバの立場に立つようになります。このような人々が、家庭を築いて出発するのが歴史的な出発なのです。これが歴史的な人生行路の第一歩です。(26-160,1969.10.25)

 

8)心と体が一致した愛

 

 皆さん、三点が分かりますか。三点。この三点が一つになれる点は、神様とアダムとエバが一つになれる場です。神様がアダムとエバと一つになれる場は、彼らの心と体が一致する場です。(26-158,1969.10.25)

 

 男性は、心と体が主体と対象の関係になっていますが、心と体は縦と横の作用を継続することにより、存在の力を発生させます。
 女性も、やはり心と体が縦と横の関係をなしていて、存在の力が起こってくるのです。男性でも女性でも、すべて縦横の相対的関係をもっていますが、その力は愛なのです。愛だけが心と体の理想的関係を永遠に成すことができます。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-378)

 

 貧しい農夫として田舎で草を取り、農作業をする場にいたとしても、その農夫の心と体に愛の情熱が燃えあがれば、心の五官と肉の五官が完全に一つとなり、これ以上にない喜びを味わうようになるのです。
 このように、神様の愛が皆さんに臨み得る安着点を皆さんがもっているなら、時計の振り子の振動のように、神様の心が一度揺れれば、皆さんの心が一度揺れ、そして、皆さんと神様が一緒に回っていくというのです。
 一度回り始めれば、どんどん回っていきます。行けば行くほど加重された力、遠心力が作用して、家庭を愛しなさい、社会を愛しなさい、国家を愛しなさい、世界を愛しなさいと要求するようになるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-378)

 

 皆さん自身の心と体が一つになる中で、愛の門が開かれる時が近づけば、皆さん自身の心が宇宙に共鳴して小説家や詩人になったりするのです。
 愛を主題として詩や小説を書けるのは、愛を美しく幸せにつづっていく資質を発揮するようになるからです。人間が愛の目を開けるようになれば、自分の心と体は宇宙の中で、立体的な関係を結びたくなります。
 そして、秋風に舞う落ち葉を見て、自然の道理を悟ってほほえむようになり、春の園に咲く花の中に美しさを比べてみたくなり、自分が一輪の花になったりするのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-378)

 

 男性も女性も、どうして愛を好むのでしょうか。人間の身体は、数百兆にもなる細胞から構成されていますが、その細胞全体がいつ作動するかといえば、愛する時なのです。人体のすべての細胞を動かせる時が、正に男性と女性が愛し合う時だということを知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-379)

 

 心と体が一つになって恋しい涙を流す様になれば、骨が鳴り騒ぎます。
 動物の場合においても同じです。皆さんも知っていると思いますが、雌牛が発情するとどうなりますか。食べることさえ忘れてしまいます。その時、すべての神経がそのことだけを願うようになります。それと同じで、心と体が一つになった場所で愛し互いに恋しく思うようになれば、体の中で動かない細胞はありません。
 細胞の一切が本来の方向感覚を忘れて一つに集中されます。このようにして、相対に出会うようになれば、爆発するようになります。その爆発力はものすごい力になります。
 そのように愛して何をしようというのでしょうか。神様に似ようというのです。神様が喜ばれることに同参できる場に出ていこうとするのです。言い換えれば、神様が喜ばれることを共に感じようとするのです。(祝福家庭と理想天国I-379)

 

(2021.11.13:写経奉献)

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