「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(28) 第4巻「真の家庭」 第11章 家庭は永遠の幸福の土台

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第11章 家庭は永遠の幸福の土台

1)家庭はなぜいいのか

2)家庭は永遠なる幸福の基盤

3)家庭は天国完成の基本単位

4)愛の理想実現は家庭から

5)天国は家庭単位で入る所

6)天理法度は、四位基台原則になっている

7)家庭を通して人間が行くべき天道

8)統一教会は家庭天国を築こうとするもの

 

 

1)家庭はなぜいいのか

 

 家庭はなぜ良いのですか。家庭では、愛を互いに授けて受けることが自然にできる基盤になっていて、栄えることができるからです。
 ですから、人は自分の故郷が懐かしく、父母と兄弟がいる所を恋しく思うのです。(38-328,1971.1.8)

 

 家庭は良い所です。なぜ良いのでしょうか。お母さんとお父さんがいて良い所であり、お姉さんとお兄さんがいて良い所であり、弟と妹がいて良い所であり、親戚がいて良い所です。ですから、人間なら誰でも本郷の地、故郷に対して懐かしい郷愁の心情をもっているのです。国よりも故郷をもっと考えます。大韓民国に住みながらも、懐かしい所は故郷です。(23-151,1969.5.18)

 

 皆さん! 家庭がなぜ良いのですか。それは、父母の愛を中心として自由活動の基地になるからです。同じように、神様が自由に活動できなければなりません。どれほど見た目にはみすぼらしくても、光る愛の核をもった内的な人間が成し遂げた社会になれば、神様は自由です。皆さん、そうではありませんか。ある家に客として行けば不自然なのでしょう。なぜですか。それは、愛の因縁がないからです。愛の因縁が四方性を備えられていないので、ぎごちないのです。ですから、私たちが行くべき道は、人格の道です。(99-305,1978.10.1)

 

 一つの家庭を中心として、最も良いものは何かというとき、最も良いものは皆さん自身で決定することではないのです。
 それでは、家庭の最上の価値とは何でしょうか。父母です。皆さん一個人を見ても、皆さんにとってあらゆる権力や知識、あるいは名誉やお金が貴重なものになるかもしれませんが、そのあらゆるものよりも大切なものは「父母」以外にはないのです。次には、皆さんの妻や夫であり、また次には、皆さんの子女でしょう。事実、皆さんの家庭において、皆さんの父母や妻、そして、子女たちよりもさらに大切にしているものがありますか。ないのです。
 それでは、なぜ父母が良いのでしょうか。そして、また夫と妻、そして、子女がなぜ良いものになるのでしょうか。「愛」があるからです。父母の愛、これは子女にとって絶対に必要なものです。
 そして、兄弟間の友愛などや、子女が父母に対してもつ孝行の心も、一つの家庭に絶対的に必要なのです。(112-290,1981.4.25)

 

 皆さん、家で一番良い人は誰ですか。父母でしょう? なぜ父母が一番良いのですか。愛を中心として、一生涯関係を結べる最も近い立場にいるからです。その次は、愛する夫と妻になるでしょう。その夫と妻の愛は、ある条件的な愛ではなく、無条件的な愛です。この愛は、たとえ絶対的に天が下さった永遠の愛と密接に関係した愛ではなくとも、夫婦間の相対的関係において結ばれる愛になるならば、その愛が、その家庭に幸福と和睦をもあたらす最も良いものではないだろうかというのです。
 その次は、父母に対する子女の愛、父母のための子女の愛です。絶望ではなく、あすの望みとして芽生え得る理想的な環境を慕いながら、明るい肯定的な姿勢で子女が父母のために犠牲になり、愛することができれば、その子女の愛は、その家庭の幸福のための純粋で真実な価値としての愛となるでしょう。このように、父母の真の愛と夫婦の真の愛、そして、子女の真の愛が完璧に具備された家庭があるなら、その家庭は、私たち人間世界の中で、最も理想的な家庭だと言わざるを得ないでしょう。(祝福家庭と理想天国I-914)

 

2)家庭は永遠なる幸福の基盤

 

 人間の生活で、ある人を幸せな人だというとき、何を基準として幸福といいますか。外的にある能力、権勢、権威を備えたなら、幸福な人だということができますか。そういうことはあり得ません。また、何不自由のないお金があったとすれば幸福な人ですか。そうではありません。また、世界的な知識をもっていて、世界を思うがままにできる位置にいるとして、彼が幸福な人になることができますか。決してそれだけで人が幸福なのではありません。(23-11,1969.5.11)

 

 ある人が、これくらいなら天上天下にうらやましく思うものはないといって幸福を謳うとしても、そのような外的なものは幸福になり得ません。幸福を見いだす条件にはなり得ますが、幸福それ自体にはなり得ないのです。
 それでは、何が決定すれば、幸福を感じることができるのでしょうか。愛する父母がいて、夫婦がいて、子女がいなければなりません。これは、どこの誰も否定できません。ここにその一つだけでもなければ、そこに該当する比例的な悲しみを感じるのであり、比例的な不満がその胸の中に残らざるを得ないでしょう。(21-140,1968.11.17)

 

 この地のすべての人間が、幸福の基盤は家庭だと一般的に感じています。家庭には父母がいなければなりません。世の中では、父母かいない子女は孤児と呼ばれ、その孤児はかわいそうな人として扱われます。家庭には、父母がいると同時に夫婦の因縁があります。父母がいないのもかわいそうなことですが、夫婦で片方がいないのもかわいそうなことです。
 どんなにいとおしく暮らした夫婦でも、愛する配偶者を失うときは、この上なく悲惨で不幸になるのです。それだけでなく、夫婦が子女を身ごもることができなければ、それもやはり不幸でないわけがありません。(23-11,1969.5.11)

 

 家庭には、必ず父母がいて、妻子がいなければなりません。そのようにしてこそ、その家庭が幸福の土台となるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様御自身の幸福を模索するためだということは間違いありません。ですから、神様御自身が幸福の土台を探し求めるには、人間を離れた場ではそのような理想はあり得ないというのです。人間と関係を結んでこそ、その一致点をもたらすことができるのです。
 私たちが家庭において、情緒的なすべての内容を備えた立場で幸福を感じるのと同様に、神様もやはりそのような立場で幸福を感じられるのです。(32-197,1970.7.15)

 

 幸福はどこから来るのでしょうか。鼻歌を歌いながら迎えられる、そのような環境はどこから来るのでしょうか。家庭から来るのです。家庭の幸福は、情緒的に問題があれば成すことができません。また、心情、愛がなくても、成さことができないのです。(23-120,1969.5.18)

 

 父母の前に子女がいないときには、その父母の幸福はあり得ません。子女に父母がいなくても、子女の喜びはないのです。あるいはある男性がいれば、相対たる女性がいなくてはならないでしょう。女性も同様です。ある夫婦がいれば、その夫婦の願いは、彼らの主体と対象の関係において、より高い次元で愛を維持することです。
 そして、夫婦には、必ず子女がいなければなりません。そうしてこそ一つの家庭が築かれますが、上には父母がいて、下には子女がいなければならず、また夫婦がいなければなりません。このようにして、一つの家庭は、縦と横に一つにならなければならないのです。それでは、誰を中心として一つになるのでしょうか。 
 人間だけでは不可能です。人間だけでは、より高い価値を追求することができないので、絶対的な愛の主体がいるなら、父母は、その主体を中心として一つになることを願うでしょう。そこで、夫婦と子女が、その主体を中心として愛で一体となった場が幸福の場であり、望みの場となるでしょう。すべてのことを一つに帰結させ、より価値的で刺激的な面で統括させなければなりませんが、それは、私たち人間の愛だけではできないのであり、絶対的な立場でこそ可能なのです。(祝福家庭と理想天国I-913)

 

3)家庭は天国完成の基本単位

 

 私たちの家庭と天国は、類型が同じです。私たちの家には父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、兄弟がいます。私たちの家は、愛で一つにすることができます。ここでは統一が成され、生命が連結され、理想を実現させることができます。ですから皆さんは、夫婦の愛を尊重でき、父母の愛を尊重できこそ、天国に行くことのできる資格者となりえます。祖父母は、父母に愛を相続してあげます。ここでどの愛を否定しても天国は成されません。
 自分たち夫婦同士が愛し合う以上にお母さんとお父さんを愛し、自分のお母さんとお父さんを愛する以上におじいさんとおばあさんを愛さなければならないという結論です。これがすべての天国の核心となり、理想的モットーとなるのです。(祝福家庭と理想天国I-946)

 

 天国の起点は、個人でもなく国家でもありません。家庭なのです。ですから、イエス様は、新郎新婦の因縁を求めてこの地上に来られるのです。個人が天国の起点ですか。家庭が天国の起点だというのです。(30-82,1970.3.17)

 

 家庭は天国完成の基本単位です。天国は、一度行ってみれば帰りたくないし、10回、100回会ってもまた会いたい、そのような方がいらっしゃる所です。万民共通にそこに行きたいと思い、その方に会いたいと思い、その方と共に暮らしたいと思えば世界は統一されるでしょう。
 しかし、それは、一度に成されるのではありません。まず個人の基台が立ち、その次に家庭の基台が立ち、その次に民族、国家、世界に伸びていかなければならないのです。(祝福家庭と理想天国I-942)

 

 天国はどこにあるのでしょうか。空中からどさっと落ちてくるのではなく、お父さんとお母さん、そして、子女の間に授受するその生活的な舞台を育て、また、その中にあるすべての被造物を私たちの生活に利用し、私たちの理想の条件に利用するおもしろみ、そのおもしろみを100パーセント享受し得る所が天国です。(78-35,1975.5.1)

 

 皆さんの家庭は、天の国の主権に代わる立場であることを知らなければなりません。父母は主権に代わるものであり、子女は国民に代わるものであり、物質はその国の地に代わるものなので、父母に孝を尽くすことが、国に忠を尽くすことであり、父母に孝を尽くすことが、聖人の道理を果たす道と通じるのです。今、家庭があらゆる醜態の起源になっていますが、神様は、家庭が聖なる土台となることを望んでこられたのです。(35-305,1970.10.30)

 

 人間たちは、必ず家庭をもたなければなりません。家庭を中心として見れば、家庭には父母がいて、子女がいて、物質があります。それでは、旧約時代、新約時代、成約時代においての縦的な歴史全体を、横的に展開させて身代わりできる実体とは何でしょうか。万物と子女と父母です。すなわち、父母と子女と彼らの所有物です。これらは、家庭の一つの囲いの中で必要なものです。(祝福家庭と理想天国I-943)

 

 神様の愛を中心として、二人が一つとなる所でのみ夫婦天国は成されます。一つとなったものを誰も引き離すことができず、別れたり離れたりする心配がありません。
 皆さんは、どのような愛を求めましたか。神様の愛を求めたなら、皆さんの心と体が完全に一つとなって、神様の愛が臨むことができなければなりません。ですから、夫婦天国が生まれ、家庭天国を成さなければなりません。
 お母さんとお父さんが完全に一つとなって愛し合うようになり、その息子、娘もお母さんとお父さんのような対象を得てこそ、家庭天国が実現されるのです。
 父母がプラスとなり、息子、娘がマイナスとなれば、家庭天国となるのです。(祝福家庭と理想天国I-943)

 

4)愛の理想実現は家庭から

 

 愛の理想実現は、どこからしなければなりませんか。私たち統一教会からですか。国からですか。世界からですか。世界をどれほど統一したとしても、自分の家庭を統一できない人は不幸な人です。愛の理想実現は家庭からしなければなりません。家庭は幸福の住みかです。ですから、天国は家庭から始まるのです。
 この地上に天国を築こうとして来られたイエス様が、「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」と語られたのも、家庭を標準として語られたのです。
 家庭には誰がいますか。第1に父母がいて、第2には子女がいて、第3には夫婦がいて、その次には兄弟姉妹がいます。では家庭は何で絡み合っていますか。愛によって絡み合っています。ゆえに、家庭は何によって一つにできるのですか。
 愛で一つになります。愛は変わらないので、祖父母の愛が一つになり、父母の愛が一つになり、夫婦の愛が一つになることができます。愛には統一性が介在しているので、一つになることができるのです。また愛には、人の生命の動機が共にあるので、おじいさんとおばあさんの生命が連結できるのです。そして、理想がここに連結できるのです。祖父母は、父母に相続してあげるのです。すなわち、子女に相続してあげるのです。
 祖父母の子女は父母であり、父母の子女は私たちです。このように、愛を中心とした所が天国です。ここで何を否定しても天国は成されません。
 神様は、愛の主体であられ、過去、現在、未来を統合できるお方なので、自分たち夫婦同士が愛し合う以上にお母さんとお父さんを愛さなければならず、自分のお母さんとお父さんを愛する以上に、おばあさんとおじいさんを愛さなければなりません。
 男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。男性は主体なので、誰かの干渉を受けることを嫌います。女性は、愛するよりも愛されることを好みます。男性は天を象徴し、女性は地を象徴するので、男性と女性が一つになることは宇宙が一つになることです。
 愛することによってのみ宇宙を主管できるので、愛することによってのみ宇宙の主体になれるのであり、自分の相対を宇宙よりも大きいと考えなければなりません。天と地、この二つの世界を連結できるのは変わらない愛です。
 地上で愛によってはぐくまれた人生を生きた人は、天国に行くことができます。愛を中心とした世界が霊界なのです。
 神様と人間の個人個人が完全に一つになれば、自動的に男性と女性が一つになるようになり、完全な夫婦が生まれれば、天地は統一されるようになっています。
 神様は、どこにいることを願われるのかというと、愛は男性と女性の二人の中から生じるので、真の男性と真の女性が愛し合う所にいることを願われるのです。神様がいらっしゃるので、その愛が永遠であることができ、その愛が永遠の統一を成すことができ、その愛が永遠の生命をもつことができ、その愛が永遠の理想をもつことができます。ですから、その愛をつかむ者は、すべてのものを占領できます。真の愛を中心として成された家庭の目的は、家庭だけのためではなく、天国を築くためのものです。宇宙が一つになるための、このような目的に一致するための標準を中心として、家庭から民族、国家、世界、天宙まで拡大していくのです。そして、世界まで行って再び帰ってこなければなりません。(48-10,1971.9.31)

 

5)天国は家庭単位で入る所

 

 天国とは何でしょうか。極楽または天堂に行くといいますが、自分一人で行く所ではありません。自分の父母と兄弟が一緒に行かなければならない所が天国です。(15-278,1965.10.30)

 

 天国に行く秘訣は何でしょうか。天国は、個人だけが入るのではありません。家庭単位で入らなければなりません。家庭単位で入らなければならないだけではなく、血族を率いて入らなければなりません。この地上で神様の前に多くの血族をもったということは、福を受けたということです。
 ある家庭に息子、娘が多く、財物が豊かなら、福を受けた家庭だというでしょう? このように福を受けて、天国に入ろうとすれば、個人が一人で行くのではなく、家庭単位で入らなければなりません。(22-166,1969.2.2)

 

 天の国には、絶対に個人では入れません。先生が探ってみると、天国は、今までキリスト教徒たちが信じてきた妄想のような所ではありませんでした。
 本来、天国は、家庭単位で行くようになっている所です。家庭が行くようになっているのです。家庭が行くのです。お父さんとお母さんと息子、娘が共に行き、神様を中心として共に暮らせる所が理想的な世界なのです。ところで、お父さんは地獄に行き、お母さんは天国に行き、兄姉は地獄に行き、弟妹は天国に行く、そのようになれば、自分は天国に行ったとしても、うれしいでしょうか。天国は家庭で行くのです。家庭が行くのです。(22-271,1969.5.4)

 

 天国とは、人間が堕落せずにこの地上で神様の愛の懐において聖婚し、神様が好まれる息子、娘、神様が喜び得る孫たちを迎え、神様の愛を受けてその家庭がみんな一緒に入る所です。子女が入ることができなくても、自分だけ入れば天国ですか。
 しかし、楽園は、いくら仲むつまじい夫婦や父母、子女でも、別れて入る所です。家庭とは何の関係もありません。そのような所が天堂ですか。父母に侍り、すべての家族入り、神様を中心として授受できるその世界が天国です。息子が地獄で死ぬと騒いでいるのに、父母は天国で満足に生きればよいのですか。そのような所が天国ですか。(19-104,1967.12.31)

 

 統一教会でいう天国は、一人で入る天国ではなく、家族が一緒に入る天国です。神様の創造理想を見るとき、男性と女性が別れて入る所が天国でしょうか。違います。二人で入る所が天国です。お父さんが入ればお母さんも入り、父母が入れば子女も一緒に行く所が天国だというのです。お父さんとお母さんが一緒に行ってこそ天国であり、お父さんは天国に行くのにお母さんが地獄に行けば、天国になるでしょうか。(34-208,1970.9.6)

 

 本来、創造原則による天国は、家庭を中心として入る所です。父母が入り、子女が入り、自分の一家全体、一族が入ってこそ幸福なのであり、父母は地獄に行き、子供だけが天国に行くなら、それがどうして天国でしょうか。
 ですから、統一教会がこれから天国に行ける道を立てるためには、家庭的な基準を立てなければなりません。そうでなくては天国に行くことができません。家庭を中心として、サタンが讒訴できる基準から脱しなければなりません。歴史的な讒訴基準、時代的な讒訴基準から脱しなければなりません。(21-62,1968.9.1)

 

 本来神様は、夫が天国に入り、妻が地獄に入るように創造なさったのではありません。創造当時の理想の主人公たち、すなわち、父母と息子と娘が氏族を成し、民族を成し、国を成そうというものでした。そうでなければならないのではないですか。ところが、人間が堕落したために地獄が生じたのです。(16-33,1965.12.26)

 

6)天理法度は四位基台原則になっている

 

 愛する人が死ぬと、なぜ悲しいのでしょうか。愛する人が死ぬと、それをすぐに感じますが、それは、この宇宙に満ちている超人的な力の作用によってです。
 人は、自分にこの力が入ってくれば入ってくるほど、神様との縦的関係を中心として、宇宙的な力を感じるようになるのです。
 しかし、愛する人が死ぬと、その力が自分から離れるようになります。そして、離れた結果をすぐに感じるようになるのです。これは悲痛な事です。自分が完全な合格品にならなければならないのに、それによって不合格品として決められるのです。
 私たちの人生は、完成を追求します。ところが、それと反対の不合格の要素をもつときは、そこに比例して宇宙の力がそれを追い出すのです。そのようになれば、それが苦痛として現れるのです。皆さんはこれを、はっきりと知らなければなりません。(30-85,1970.3.17)

 

 愛する父母を失えば、言葉にできない悲痛さを感じてこそ孝子です。父母も、子女を失えば悲痛さを感じます。夫婦同士も同様です。私たちの子孫たちも同様です。これは千年、万年変わりません。(30-82,1970.3.17)

 

 皆さんの夫や妻が死んでしまえば悲しむでしょう。なぜなら、宇宙の原則は、父母と夫婦と子女の3段階が一つとなって、神様を中心とする四位基台を形成するようになっています。この宇宙の原則によって、不合格者は合格圏内から追放されるので、苦痛と悲しみを感じるようになるのです。(96-28,1978.1.1)

 

 皆さん、妻が死ねば、夫がなぜ涙を流すのでしょうか。第3目的である息子、娘を得る道がふさがれたからです。それを成すことができなければ、倒れるしかありません。死ぬしかありません。ですから、泣くしかないのです。
 電気を見れば、陽(十)電気と陰(ー)電気がありますが、この二つのうち一つがなくなれば、残りのものも何の作用もできないのです。人が行く道もそれと同様です。(27-345,1970.1.1)

 

 自分の息子、娘がいなければ、不幸を感じるのです。「息子、娘がいなければ、夫婦だけで仲良く過ごせばよいだろう」と考えるかもしれませんが、そうではありません。
 天理法度が四位基台原則になっているので、男性と女性が出会って一つとなったなら、必ず息子、娘を生んで四基位台を成さなければなりません。これが宇宙の公法です。四位基台を成すことができなければ、合格出来ないのです。また、息子だけいてもいけません。息子だけいれば、息子に対する愛の味は分かりますが、娘に対する愛の味は分からないからです。
 皆さん、蜜の味がどうだと誰かが説明して理解できますか。それは、説明だけでは駄目なのです。説明する前に、直接口を開けて食べさせてあげてから、これが蜜の味だと教えてあげなければならないのです。
 それでは、息子がいなければなぜ寂しく不幸だというのでしょうか。娘だけをもった人は、息子をもった人を見れば、この世でそれ以上望むものはないといいます。西洋の人々は、そのような面で少し鈍いです。彼らは、個人主義思想を強調して、そのような感情をすべて失ってしまったのです。失ってしまったために、再び探さなければなりません。ですから、今、それを再び探すために、東洋思想に帰ってくるようになるのです。
 ですから、夫がいて、妻がいて、息子、娘がいる家庭にならなければならないというのです。そして、彼らが完全に一つとなって、初めから目的地点まで天運と歩調を合わせていけば、この家庭は永生するのであって、一人では永生できないのです。たとえ永生するとしても、永遠の世界で苦労というふろしきを包んで行き来するようになります。幸福という要件を受けることができません。(24-223,1969,8,17)

 

7)家庭を通して人間が行くべき天道

 

 人間は、自分の父母を愛するように隣村の父母を愛し、自分のおじいさんを愛するように隣村のおじいさんを愛さなければならないし、自分の息子、娘を愛するかのように隣村の息子、娘を愛さなければなりません。そのようにすれば、上下関係が広がり、左右が広がり、前後関係が広がるのです。それが繰り広げられ、この縦的な心情の基準が築かれて天道が生じるのです。ですから、それを実践しようというのです。
 私たち統一教会は、それを実践するために理想的な家庭を建設するのです。そのようになるのです。
 教会という所は、その縦的な基盤を横的に四方化させ得る所です。その数が多くなるほど良いのです。なぜ多いと良いのですか。家庭時代から氏族圏を越えて、氏族圏から民族圏を越えていくからです。ですから、伝道をたくさんするほど天的な基盤が自分を通して繰り広げられるので、神様の前に人格的価値の基準が前進するのです。
 ですから、私たちは、この縦的中心で何をしなければならないのですか。これを横的に再現させようというのです。(70-152,1974.2.9)

 

 お父さんとお母さんが一つになる日には、その家庭は発展し、子供と父母が一つになる日には、より次元の高い家庭に発展することを知らなければなりません。それでは、家庭と親戚間において一つになる日には、どのようになるのでしょうか。そこには新しい民族の意気が高まることでしょう。
 それがより高い次元に向かっていこうというときには、環境的にすべて結束し、国家基準まで忠臣の血族として残されるようになるということを忘れてはなりません。(祝福家庭と理想天国I-921)

 

 もう先生は、遠からずおじいさんになります。皆さんも年を取ると、おばあさんやおじいさんになります。同じです。息子、娘に生まれ、結婚してお母さんやお父さんになり、おばあさんやおじいさんになっていくのが一生です。ですから、おばあさんやおじいさん、次にお母さんやお父さん、その次に自分達夫婦、その次に息子、娘、これが人生の公式的路程なので、それを愛さなければ天道に外れるのです。これを根本的に結んでおかなければ、世界を収拾する道がありません。
 西洋に行ってみると、おばあさんやおじいさんがかわいそうです。彼らは東洋の風習がどれだけうらやましいか分かりません。「ああ! 東洋思想は、おばあさんやおじいさんたちに神様のように侍り、70、80歳の老人のすべての世話を息子がするのだから、それがどれだけ良いだろうか」とそのように思っているのです。ですから、おばあさんやおじいさんを愛することが分からない人は、神様を愛することができないのです。
 一番年を取ったおじいさんは誰でしょうか。そのお方は神様だというのです。おじいさんよりも、お年寄りの方が神様であり、赤ちゃんよりも若い方が神様なので、すべての人を愛さなければ神様を愛することができないのです。
 ですから、神様が年を取っていらっしゃるとすれば、一番年を取っていらっしゃる方であり、未来に対する青春ならば、誰よりも青春です。その方を私が愛そうとするならば、その中にいるいかなる人類も私が愛さなければならず、歴史時代に霊界に行っている方たちも、今その圏内で希望を求めて生きようとしているので、その方たちまでも愛さなければなりません。それでこそ神様に倣って愛することのできる道に至るというのが理論的なのです。(70-152,1974.2.9)

 

8)統一教会は家庭天国を築こうとするもの

 

 私が今、教会を建てないのは、すべて考えがあってのことです。教会にたくさんの人が必要なのではないからです。天国は、教会から成されるのではなく、家庭から始まるのです。
 家庭、すなわち新郎新婦から始まるのです。女性は男性に巡り合うために生まれ、男性は女性に巡り合うために生まれました。
 赤ん坊が眠りから覚め、初めて目を開けながら呼ぶのが「お母さん」です。赤ん坊がお母さんを呼ぶ以上に、夫は妻を呼ばなければなりません。このように呼んでみなかった人は、かわいそうな人です。
 また、妻も夫以上にそのように呼ばなければなりません。互いにそのようにできる夫婦として接しなければならないのです。琴瑟之楽(注:夫婦仲がとても良いこと)の夫婦として、互いにそのように呼び合いながら暮らさなければならないというのです。そのように千年、万年暮らせば、老いても青春がうらやましくないというのです。(23-54,1969.5.11)

 

 男性と女性は、み言の時代を経て、実体の時代を経たのちに初めて、主との出会いのひと日が成されるのです。そして、出会いのひと日が成されたのちに初めて、天国生活をすることができるのです。
 出会いのひと日には、彼の心が私の心であり、彼の心情が私の心情であり、彼の姿が私の姿であり、彼の困難が私の困難であり、彼の傷が私の傷として感じることができる境地にまで入らなければなりません。そのような境地に入って、彼の心も私の心、彼の心情も私の心情となってこそ、天国家庭が成されるのです。これがこの地上で完結されてこそ、天国家庭が生まれるのです。(19-250,1968.1.15)

 

 真の愛とは何でしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。愛は、互いが犠牲になるという伝統を備えなければ、長く持続することができず壊れるのです。
 父母が子女のために犠牲になるがゆえに、父母が子女を愛する因縁は壊れないのです。
 そして、真なる父母の愛を受けて育った息子、娘なら、自分の父母に絶対に不孝をすることができないのです。
 また、夫は妻に、妻は夫に対して、「あなたは私のために生きた」という立場で互いが与え合い、一層犠牲になる立場が広がるようになるとき、その家庭には福が訪ねてくるのです。そのような家庭が、神様が訪ねてこられる福地なのです。(43-308,1971.5.2)

 

 天国生活はどこから始まるでしょうか。家庭からです。ほかの所から始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであり、家庭圏を外れたものではないのです。
 ですから、皆さんが自分の妻や夫を抱くときに、これは世界の男性と女性が一つになるのだという考えをもたなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立て得る場が、正にこの家庭です。(30-82,1970.3.17)

 

 今、先生は、家庭に対する規範、天国家庭としてもつべき生活に対する規範を教えてあげなければならないということを感じています。統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を主とするのです。(22-333,1969.5.11)

 

 これからは、統一教会で礼拝を捧げるのも、説教形式ではなく、報告形式でしなければなりません。報告の内容は、その家庭が誇り得るものでなければなりません。ですから、家庭全体が来て礼拝を捧げなければならないのです。
 そのようにしながら、立派な家庭の報告は倣い、遅れた家庭の報告は、うまくいくように導いてあげなければならないのです。そして、家庭天国を建設しようというのです。家庭天国を先に成すことができなければ、地上天国は成されないことをはっきりと知らなければなりません。(23-62,1969.5.11)

 

 

(2021.11.18:写経奉献)

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