「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(45) 第8巻「罪と蕩減復帰」 第2章 罪、人間堕落の内的意味

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第二章 罪、人間堕落の内的意味

1)換父易祖がすなわち堕落

2)堕落はサタンを中心とした血統転換

3)サタンは神様の愛の姦夫

4)善悪の実はエバ生殖器

5)堕落の恨、神様の復帰の心情

6)真の父母の祝福と血統復帰

 

 

1)換父易祖がすなわち堕落(父が換わり、先祖が替わったこと)

 ①サタン悪魔が私たちの父

 

 私が糾明した原罪と堕落の曲折は、人間の最初の家庭で起こった天使長との不倫の事件でした。「統一原理」でのサタンは、観念的存在や仮想の存在ではなく、霊的実体です。神様の愛の理想を破壊し、神様の血統を、サタンを中心とした血統に変えた元凶です。イエス様もヨハネによる福音書第8章で、人類の父が悪魔であることをはっきりと語られました。
 神様がご自身の外的な体であるアダムとエバを通じて実現しようとされた愛の理想を剥奪した愛の姦夫が、正に悪魔サタンなのです。皆さんには聞き慣れないかもしれませんが、私が霊界を開拓して宇宙の根本の曲折を糾明しようと血と汗のにじむ闘争をした結果、得た結論がこれです。皆さんも真剣に祈祷してみれば、解答が得られるでしょう。(135-12,1985.8.20)

           

 堕落の実相とは何でしょうか。善悪の実を取って食べて堕落したという聖書のみ言は、比喩です。今までそれをそのまま信じてきたのは、本当に健気です。善悪の実を取って食べたのが堕落だという、そのような盲目的な信仰基準をもって、今までキリスト教が世界的に発展し、20世紀の文明を創建したことを見れば、神様が背後からたくさん協助してくださったということが分かります。しかし、内容が確実ではないものは、結果がどのように出るでしょうか。無知では完成することができないのです。(22-242,1969.5.4)

           

 聖書の内容を観察してみれば、人類始祖が不倫の愛によって、サタン悪魔を中心として父子の関係を結んだという事実を否定することができません。神様の血筋を受け、神様の絶対的な愛の中で、神様の直系の息子、娘として生まれなければならない価値をもった人間が、サタン悪魔の血統を受けてサタンの息子、娘として生まれたというのです。ローマ人への手紙第8章に「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子(養子)たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(23節)と記録されています。養子は、血筋が違うのです。これが私たち人間の実情なのです。(53-261,1972.3.1)

           

 

 ローマ人への手紙第8章を見ると、「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子(養子)たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(23節)とあり、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(15節)とあります。養子にしかなれないのです。
 今のクリスチャンたちは、養子です。養子は、血筋が違うのです。ヨハネによる福音書第8章44節を見れば、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」とイエス様が言いました。ここで父と言われたから、血筋が、先祖が悪魔ではありませんか。
 ですから割礼はどうするのですか。陽部を裂くのです。このようになっています。善悪の実とは、どんな善悪の実ですか。(154-337,1964.10.5)

           

 

 堕落した結果、どうなったのでしょうか。私たちは死亡圏内に落ちました。神様が「善悪の実を取って食べたなら必ず死ぬであろう」と言われたみ言のように、死亡圏内に落ちていきました。堕落した結果、どうなったのでしょうか。ヨハネ福音書第8章44節を見れば、サタン悪魔が私たち人類の父になった、とイエス様は指摘されました。 
 神様を父として侍るべきアダムとエバが堕落することによって、悪魔サタンを父として侍るようになったという、この口惜しく恨めしい事実が堕落の報いであることを知らなければなりません。(74-140,1974.11.28)

           

 

 堕落によって人間は、偽りの父であるサタン悪魔に屈服せざるを得なくなりました。人間は、自分たちの父を替えたのです。私たちは真の父である神様を捨てて、偽りの父である悪魔サタンと一つになったのです。こうして最初の男性と女性は、サタンの息子、娘になってしまったのです。(祝福家庭と理想天国Ⅱ-321)

           

 

 もともと、サタンはどんな存在なのでしょうか。悪魔とはどんな存在かといえば、神様の僕です。しかしこの僕が、主人の娘を強奪したのです。これが堕落です。
 聖書に出てくるその堕落とは何かといえば、エバが善悪の実を取って食べたのが堕落だといいますが、善悪の実は果物ではありません。僕が主人の娘を強奪したことです。将来、代を継ぐ息子、娘を生み育てて、神様の理想を成そうとしていたのに、僕として造った天使長という者が、主人の娘を強奪したのが人類の堕落の起源になりました。この世にそんなことがあってもよいのでしょうか。天地がそのようになったのです。複雑にもつれた内容を、皆さんは「原理」を聞けば大体分かるはずです。(85-308,1976.3.4)

           

 

 エデンの園にあるすべての木の実は取って食べたとしても、「園の中央にある善悪を知る木と命の木の実は取って食べるな」と言いましたが、それは何を意味するのでしょうか。尹博士! 他の木は何の木で、命の木と善悪を知る木は何の木ですか。同じ木なのに、他の木は何の木ですか。それは何かというと、兄と妹として暮らしながら、手を握ってもよいし、なでてもよいし、かわいいと思ってどんなことをしてもよいですが、善悪の実は見てもいけないし、触ってもいけないというのです。それが何か分かりますか。他のところはみな触っても、そこは触るなということです。そのように解釈すべきであって、エデンの園の北方にある命の木はこれこれであり、その他の木は他の木である、と解釈すれば大変なことになるのです。何のことか分かりますか。
 兄と妹が手を握ってもよいし、抱き締めてもよいというのです。兄と妹、二人しかいないではありませんか。子供たち同士は、体を触ったり何でもするでしょう。大きくなる過程で、家でみなそうではないですか。兄なら兄が、それを知っているでしょうか。そのようにみな触ってもいいのですが、いけないところがあるというのです。命の木の実である男の棒は凸で、善悪の実は凹です。それは触ってもいけないのです。取って食べれば大変なことになるのです。聖書は、そのように比喩で書かれているのです。神様がどれほど風刺的か分かりません。(199-93,1990.2.15)

           

 

 聖書を見れば、善悪の実を取って食べて堕落したとありますが、下部を覆ったというのはどういうことでしょうか。既成教会で聖書をもう少し知性的に解釈できる心さえあれば、すぐに堕落の起源を知ることができます。
 どうして下部が恥ずかしいものなのでしょうか。下部をなぜ覆ったのでしょうか。口を覆い、手を覆わなければならないのに、下部だからといって欠点になることはありません。しかし、下部で堕落することにより、天の愛を蹂躙した恥ずかしい宮殿になったというのです。真の愛の泉がわかなければならないのに、悪魔の愛を中心とした偽りの愛の泉があふれ出てきたのです。それで、これが愛の土台の中で一番悪い愛の土台になったのです。(202-199,1990.5.24)

           

 

 アダムを追い出すとき、息子、娘を生んでから追い出したでしょうか。生む前に追い出したでしょうか。見ることはできませんでしたが、息子、娘を連れていたら追い出すことができるでしょうか。涙をもっと多く見なければならないでしょう。「おじいさん、おばあさん、どうしてこのように追い出すのですか」と言って、つかんで痛哭するでしょう……。四人が四肢をつかんで騒げば、それをみな刀で切り捨てなければならないではありませんか。罪を犯したアダムとエバは分かりませんが、罪を犯していないアダムとエバの息子、娘がそれに気づくのです。それを知っている神様が息子、娘を生む前に追い出したのです。彼らは、追い出されたのちに、勝手に結婚して赤ちゃんを生みました。
 神様が追い出すとき、お前たちは出ていって結婚し、息子、娘を生めと訓示して送ったでしょうか。そんな話をしないで送ったでしょうか。答えてみなさい。いずれにしても、彼らは追い出されてから息子、娘を生んだのです。(218-230,1991.8.19)

           

 

 このような話をどこかで、お金を払って聞くことができますか。自分の家を売り、財産をはたいて千年、万年祭事をしても、教えてくれる人はいません。統一教会の文先生しかいません。これは宇宙の秘密です。聖書にもこのような内容はないでしょう。聖書では、善悪の実を取って食べて堕落したとあります。善悪の実とはどんな果実ですか。そのように幼稚園生にもなれない実力でありながら、博士号を検証し、博士号の総会長になった文総裁に「異端だ」と言えますか。異端だというのは端が異なるのではなく、端が見えないという言葉です。私の言葉が合っていますか、違いますか。合っているというのです。(238-213,1992.11.22)

           

 

 堕落することによってどんな結果になったのかといえば、エバが未成年時代に僕に唆されて堕落してしまったのです。堕落とは何ですか。今日、聖書でいう、善悪の実を取って食べたことではありません。神様が一番貴く思うことをサタンは知っていました。また神様の息子になり、神様の娘になることができる一番貴いものが何なのかをサタンは知っているというのです。それで神様が一番愛し、アダムとエバが一番愛し得るそれを、自分も一度もてたらよいと考えざるを得なかったのです。(214-266,1991.2.3)

           

 

 「終わりの日」になり、再びそれを編成して、神様の恨を解き、天倫の恨を解くと同時に人類の恨を解かなければならないのです。このようにならなければならないのに、これを知らずに善悪の実を取って食べてどうのこうの……。ここで話す人の言葉が違っているというなら、命がけで40日間祈祷してみなさい。統一教会の文先生がうそをついたのでしょうか。皆さんは、正常な血筋を受けて生まれてはいません。ですから独身生活を強調したのです。子供を繁殖しては困るというのです。(156-228,1966.5.25)

           

 

 神様は淫乱を憎みます。なぜでしょうか。人間が不法に愛して天地をひっくり返したからです。この悪の血は、どうすることもできないものです。それで道の世界では独身生活を主張するのです。
 もし男性が神霊なる祈祷の境地に入れば、必ず女性が現れて試験をします。必ずこのようなことが起こります。道の道を妨げてくるというのです。なぜですか。不法な愛によって歴史がふさがったからです。善悪の実を取って食べて堕落したという教理で、2000年まで残ったというのは健気なものです。(41-292,1971.2.17)

           

 

 宇宙の根本には、脱線があり得ないのです。しかしこの悪魔が、大きくなる前、未成年の15、16歳と見て、10代の時に……ちょうどその時です。その時に、エバが天使長ルーシェルをじっと見ると、天地の理致(道理)をみな知っているのです。神様のお使いをして、天地創造に対しても話すことができるのです。
 一方アダムは、むっつり無口で……アダムは最近でいえば、鳥でも捕まえようと歩き回り、棍棒でも持って蛇でも捕まえようと歩き回り、こうして……自然に吸収されたすべてのことを将来、主管し、管理し、親しくなろうとし、その和合者になろうとするので、エバに対して関心があるでしょうか。ついて回りたくても力の強い男性についていけず、一人で陰に座って休んだりすれば、ルーシェルがひそひそとささやいて誘惑し、犯したのです。
 ところで、神様がなぜそれを干渉できなかったのでしょうか。人間の愛は、人間を通じて主管するのです。天地のすべての愛は、主体者が主ではなく、相対者が主なので、相対者の願いを中心として「ため」に生きる神様がそれを主管すれば、根本が破綻するのです。逆理的立場で主管者になるので仕方なく、見てもどうすることもできなかったのです。(191-97,1989.6.24)


(2022.3.17:写経奉献)

 

 ②堕落しなかったならば


 それでは、堕落したのちに一番嘆いた方とは誰ですか。歴史をもって一番痛哭し、身もだえした方とは誰ですか。神様です。なぜでしょうか。神様は、とてもよく御存じです。「アダムとエバが堕落しなかったならば、天地の偉業を受け継ぐはずなのに、こんなことがあり得るのか」と言われるのです。アダムとエバは未成年時代だったので、知らなかったのです。世間知らずだったので、知らなかったのです。知らなければ、痛哭できますか、身もだえできますか。(232-114,1992.7.3)
           

 神様の性相は、男性格である父なる神様と女性格である母なる神様から成っています。ですから神様から造られた人間と被造世界が、男性と女性の二性の神様でもあります。
 神様は、第1に、体をもつためにアダムとエバを創造され、第2に、愛を完成するためにアダムとエバを創造されたのです。このようなアダムとエバが完成して二人が一つになり得る愛の実体になれば、神様が臨在され、人類の完全な愛の父母になるのです。
 そうして、神様の形状的実体の父母となったアダムとエバが、実体の子女を繁殖することにより、理想世界が成就するのです。そうなれば人間を通じて霊界と地上世界が連結されるので、霊界と地上世界を連結させるための目的もあって人間を造られたのです。それで神様が愛を中心としてアダムとエバに臨在されることにより、人類の真なる父母、実体の父母として、アダムとエバの形状である体を使い、父母の立場に顕現できるのです。しかし、アダムとエバが堕落することにより、このようなことが成されなかったという事実を皆さんが理解されることを願います。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-308)
           

 アダムとエバが堕落しなかったならば、神様を中心としたアダムの直系の長孫(長子の長子)の子女たちが出てきたはずです。アダムは長孫であり、真の父であり、王です。地上の国と天上世界の王です。また真の父母であり、真の長子です。ですからアダム家庭は、天の国の王室です。
 それでは、アダム家庭のおじいさんとは誰でしょうか。神様がおじいさんです。その次に、お父さんとお母さんは、アダムとエバです。そして過去の立場を身代わりした観点から見れば、おじいさん、おばあさんは神様の代身であり、また神様は父母の代身です。縦的に見れば、神様が1代圏、2代圏、3代圏を中心として家庭に着陸がなされるのですが、1代圏が横的に展開されたのがおじいさんで、2代圏がお父さんで、3代圏が私です。それで息子、娘を中心として万世一系の王室の代を継ぐのです。(218-255,1991.8.19)
           

 真の長子権、真の父母権、真の王権、これがアダムとエバが出発しなければならなかった原点です。そこに神様の王宮があり、神様の愛があります。そして、人間と創造主が一つに連結され、真の愛の基盤になるのです。そこが完成した本然のアダムの家庭基盤であり、神様が永遠に臨在できる神様の王宮です。(218-189,1991.7.28)
           

 統一教会でいう神様とは、どんな神様かといえば、真の愛を中心とした縦的な父母だというのです。それでは、アダムとエバは何でしょうか。縦的な父母は一つです。縦的なものは一つしかありません。神様が人間を愛するにあたっては縦的関係です。中心です。縦的な愛です。そうだとしたら、アダムとエバとは何でしょうか。縦的な基準の前に、横的な父母を代身とならなければなりません。(187-113,1989.2.5)


 それでは、なぜ横的なものが必要だったのでしょうか。繁殖が必要だからです。縦的基盤を中心としては生むことができません。横的な基盤を通じて繁殖が必要なのです。繁殖、これは360度を中心としてこの平面基準に無限数が包括されているというのです。それで繁殖が東西南北を通じて、これを縦に合わせられるこのような球形体を形成するために神様は、神様の愛を中心として体に通じることのできるアダムとエバを造ったのです。(187-115,1989.2.5)
           

 アダムとエバを中心として見るとき、父母がそこから出てきます。人類の元の父母が出てきます。アダムとエバを中心として、そこから人類の真の夫婦が出てきます。アダムとエバを中心として、初めて息子、娘が出てきます。アダムとエバを中心として、神様と息子、娘、父子の関係までみな出てくるようになっています。(188-214,1989.2.26)
           

 神様がなぜアダムとエバを造ったのか分かりますか。神様も父母の立場で、息子、娘を愛する愛を一度もってみたいというのです。その次は、アダムとエバのように新郎新婦が愛する愛、その愛を一度体験してみたいというのです。おじいさんの愛、その次は国を一度愛してみたいし、世界を一度愛してみたいし、すべてもちたいのです。すべてもちたいものを私たち人間世界に伝授し、それを受け継いだのが皆さんの一族であり、皆さんの民族であり、皆さんの国であり、この世界であり、この地であり、あの世、霊界であることを知らなければなりません。(188-214,1989.2.26)
           

 堕落せずに完成の立場まで行ったならば、アダムとエバは個人完成だけでなく、宇宙史的な完成をしたはずです。また、神様の愛を中心とした新しい家庭が出発したはずです。このように家庭から氏族、民族、国家、世界が成されたならば、神様に侍る一つの大家族社会になっていたはずです。このような大家族社会の中心は、神様とアダムです。
 それゆえ、その世界においては、神様を中心としたアダム家庭の生活や一生の路程が、歴史的伝統として残ります。彼の生活方式、風習、慣習、そして生活的な背景が、歴史的伝統になるのです。それは、神様の愛で結ばれた伝統以外の何ものでもありません。神様の愛は命の根源であり、すべての理想の源泉なので、その懐を離れようとしても離れることができず、離れるとしても再び帰って来ざるを得ないのです。(91-240,1979.2.23)

           
 堕落は、アダムとエバだけに制限された問題のようですが、彼らは人類の先祖であり、根本となる泉のような存在なので、個人、家庭、民族、国家、世界と未来全体に影響を及ぼしたのです。(97-274,1978.3.26)

           
 アダムとエバの堕落は、アダムとエバだけの堕落ではなく、全般的な人類歴史を総合した立場での堕落です。言い換えれば、アダムとエバが堕落したということは、善なる父母になれないで、悪なる父母になったということを意味します。悪なる父母によって悪なる子女が生まれ、悪なる子女が生まれることによって悪なる氏族、悪なる国家、悪なる世界が形成され、この世界圏内に50億人類が存続しているのです。このような堕落圏内にいる今日の人類歴史は、喜びの歴史ではなく、悲しみの歴史であり、人類も喜びの人類ではなく、悲しみの人類であることに違いありません。(38-149,1974.1.3)
           

 愛を知るようになるときには、すべてのものが通じます。地上世界の平面的な事実だけでなく霊眼が開いて立体的な世界までも分かるので、神様を直接見て、接し得る境地に至るのです。
 しかし、愛の自覚が発達する前に堕落してしまいました。天使長と不倫の関係を結んだというのです。これが宇宙を破綻させた根本原因になったのです。
           

 先生の時になって、堕落が愛によって起こった結果だという事実を明らかにしたのは驚くべきことです。これは、歴史的背景を通じて理論的に体系化されたもので、否定できない内容です。(128-88,1983.6.5)

(2022.3.18:写経奉献)


2)堕落はサタンを中心とした血統転換

①怨讐の血統を受けた

 


 アダムとエバは、堕落のゆえに血統が変わったというのです。誰の愛によってでしょうか。神様の怨讐、姦夫であるサタンの愛によって、サタンの生命体になったのです。男性の生命体、女性の生命体がサタンの愛に入り混じって一つになり、その二人によって結実したのが息子、娘です。それゆえ、その息子、娘はサタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を継承しているのです。(227-47,1992.2.10)
           

 堕落人間は、偽物になったので、接ぎ木しなければなりません。血統的に見れば、皆さんは先祖が違うのです。なぜ養子にしかなれなかったのかといえば、お父さん、お母さんが違うというのです。ですから堕落は、血統的なものだったという論理が出てきたのです。堕落とは何ですか。血統を誤って引き継いだことです。誤った愛によって堕落したという論理を立てても妥当です。
 ですから、統一教会で愛によって堕落したと主張するのを否定することができません。聖書を見れば、善悪の実を取って食べて堕落したと書いてあるでしょう。善悪の実とは何か分かりますか。善悪の実とは、単なる実ですか。風が吹けば落ちて、ころころ転がる実ですか。違います。(157-158,1967.4.2)
           

 アダムとエバの心にサタンが入って一つになったので、サタンの血統を受け継いだということです。愛の多い神様が、なぜサタンを許せないのでしょうか。殺人強盗も許し、みな許すと言われたのに、イエス様を信じれば許されると言ったのに……。サタンを許すことができない理由とは何かといえば、人類の血統を汚したことです。それは何を意味するのでしょうか。神様の立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫。何のことか分かりますか。(156-226,1966.5.25)
           

 サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定できないのです。もし善悪の実を食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしたはずです。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダムとエバが成熟したのちには、彼らを呼んで神様を中心として祝福してあげたでしょう。(228-254,1992.7.5)
           

 アダムとエバが善悪の実を取って食べずに、完成したなら、天地を創造した王様の息子、娘になるのです。王様の息子、娘なので、その直系の長孫(長子の長子)、長女は何になるのですか。王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の国の王国を治め得る基盤になるのです。王権は二つではありません。一つだというのです。(231-27,1992.5.31)
           

 神様の手で自ら造られたひとり息子、ひとり娘が、アダムとエバです。アダムとエバが堕落したので、問題になったのです。それでは、堕落することによってどうなったのですか。取って食べるなと言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、「取って食べるな」と言ったその言葉を実践していたならどうなっていたでしょうか。
 キリスト教は、それを考えることができませんでした。考えてみても分かりません。蒼蒼大海です。深いのか浅いのか、大海の深さを測ろうとしても、それを測定することのできる計器がありません。知ろうとしても知ることができないので、無条件で信じなければならないという冠をかぶせたのです。しかし、無知には完成がありません。(231-21,1992.5.31)
           

 体を打つようなことを、どうしてするのですか。サタンの血、神様の怨讐の血を受けたからです。神様の怨讐とは誰かといえば、姦夫です。神様の愛の怨讐です。姦夫です。姦夫の血を受けたのです。天の国の王権を受け継いで王妃になるはずだったエバが悪魔の配偶者になり、僕の相手になったというのです。これは天地の秘密ですが、先生の時代になって初めて暴露されたので、サタン世界は退かなければなりません。(172-277,1988.1.24)
           

 無知には完成があり得ません。サタンとは誰ですか。神様の姦夫です。姦夫。このような問題を明らかにしてあげましたが、これをみな覆っておいて天国へ行きますか。隠しておいて救いを受けますか。とんでもないというのです。偽り多く、でたらめな者たち。そのように信じて救われるものなら、私たちのような人は既にみな救われても余りあるというのです。このように苦労しません。(188-230,1989.2.26)
           

 悪魔がなぜ神様を憎みますか。神様はなぜ悪魔を憎みますか。キリスト教の論理でいえば、「恩讐を愛せよ」と言いました。怨讐を愛するとすれば、神様の怨讐はサタンですが、神様はなぜ愛せないのですか。愛の怨讐を愛すれば、天地がなくなるというのです。治める法がなくなります。存在法がなくなるのです。(191-43,1989.6.24)
           

 サタンが神様の理想的愛を破壊させ、理想的生命、理想的血統を蹂躙したのです。そうして赤ちゃんを生んだのが人間たちです。サタンの愛の表示、生命の表示、血統の表示であるその息子、娘を神様が干渉することはできません。(197-286,1990.1.20)


 サタンは、なぜうんざりするほど、今まで人類歴史において、修養の道を行こうとする人々に必ず訪れ、首を押さえ、背中に乗り、犠牲にするようなまねをしてきたのでしょうか。そのサタンとは何かといえば、神様においては、神様の家族を奪っていった、強姦していった姦夫だというのです。私たちのお母さんが本来神様に侍り、平和の王国を成し、平和の天地を築かなければならないのに、お父さんと私たちを追い出したというのです。サタンが入ってきて、今日、人間をこんな哀れな姿にしたのです。何か他の罪を犯したのではありません。(156-226,1966.5.25)
           

 その悪魔が堕落させたのが何ですか。善悪の実を食べてどこを隠しましたか。口を隠しましたか。手を隠しましたか。下部を隠したでしょう。これが悪を蒔いた種になりました。ティーンエイジャー時代、成熟する前に堕落しました。この歴史的な人間の世の中の血統がそこから広がったので、それが人間終末時代において盛んになるのです。
 全世界的に青少年たちがアダムとエバのように、陰で独自的に愛の倫理を破壊させ、天地が恐ろしいことを知らない時になったら、サタンの全権時代が地上に到来したと思えというのです。その時は、神様の鉄槌が目前にやって来るのです。(200-227,1990.2.5)
           

 血統を転換しなければなりません。なぜ血統を転換するのですか。サタンの血統を受けて継承したので、血統を正さなければなりません。これをはっきり知らなければなりません。(183-308,1988.11.7)


 ②血統的な原罪は遺伝する


 堕落は、血統の否定的動機から始まった事件でした。ですから堕落の結果が今日まで、原罪として遺伝されてきているのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-323)
           

 

 サタン圏に属している人々は、神様の血統とは全く関係がありません。すなわち、善なる父母の子女として生まれるべき人類が悪の父母と因縁を結んで生まれました。それで悪を中心とした家庭、氏族、民族、国家、世界に拡大されました。(55-133,1972.5.7)
           

 

 不倫なる淫行関係によってエバは天使長と一つになり、アダムはさらに天使長と一つになったエバと一つになることにより、アダムとエバは結局、神様を中心としてではなく、天使長を中心とした夫婦関係を結んで家庭を築くようになったので、アダムとエバの子孫であるすべての人間は、サタンの血統を受け継ぐようになったのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-325)
           

 

 堕落は、神様を中心としてアダムとエバが一つにならなければならないのに、神様の僕である天使長と一つになったことをいいます。神様の血統を受け継ぐべき人間が、僕の血筋を受け継いだということです。ですから、堕落した人間がいくら神様を父と呼んでも実感が伴わないのです。これは、神様であれ何であれ関係なく、すべてのものを自己中心に連結させて考える、堕落性本性が遺伝されたからです。
 それでみな相反する存在になり、氏族と民族を成したので、少したてばすべて分かれるようになるのです。このようにして立てられたのがサタン文化圏です。二つに分かれ、三つに分かれて、みな分裂するのはサタン圏に属するものです。(91-242,2.23)
           

 

 堕落によって真の父母を失ってしまい、真の夫を失ってしまい、真の子女を失ってしまいました。失った動機は、エバと天使長のゆえでした。このような観点から見るとき、この地に生きている女性たちは、天使長のお父さん、天使長の夫、天使長の兄に頼って生きているのです。ゆえに、女性たちは悲惨なのです。お金持ちの家の令嬢が自分の家の下男と住むかたちになったのです。すなわち、僕の血筋を受け継いで生まれたというのです。ですから本来の夫、本来のお父さん、本来のお兄さんの愛を受けられなかった女性たちなのです。(51-182,1971.11.21)
           

 

 血統的に曲折が多くあったので、6000年かかるのであって、そうでなければ、全能なる神様が1日でみな復帰するというのです。血統的にこれが固まってしまったので、これを一度にみな除けば死んでしまうのです。ですから、6000年かかっているのです。善悪の実を取って食べて堕落したというのですか。それならどれほどいいでしょうか。(155-295,1965.11.1)
           

 

 罪の基盤、堕落の基盤、悪の基盤、地獄の基盤、このようなものは具体的にどのように生じるようになったかということが問題です。アダムとエバまで戻って考えてみましょう。アダムとエバがどうして堕落したのかという根源を探ってみると、アダムとエバは神様が命令した「善悪の実を取って食べるな」という言葉を不信して堕落しました。2番目には、自己中心的だというのです。
 3番目は、自己を中心として愛そうとしたのです。これが堕落した中心の骨子の内容なので、この内容と同じものはサタン側だという結論が出てくるのです。堕落した人間たちは、みな不信の愛、自己中心の愛をした人たちです。結局、自己中心の愛を主張するのがこの世界の人たちだと見るのです。(79-198,1975.7.27)

(2022.3.19:写経奉献)

 

 

3)サタンは神様の愛の姦夫

 ①サタンは堕落した天使長ルーシェル

 


 サタンとはいったいどんな存在でしょうか。特にイエス様を信じる人たちは神様の前において、サタンの正体をはっきり明かさなければなりません。サタンとは何ですか。姦夫、愛の姦夫だというのです。そのサタンがお父さんを殴り殺し、お母さんを強姦して生んだ子女が正に皆さんです。気分が悪いでしょう。とても信じられないなら、先生の言葉が本当かうそか命を懸けて神様の前に談判祈祷を一度してみなさいというのです。(38-175,1971.1.3)
           

 

 私たちの先祖がサタンに讒訴され、蹂躙され、虐殺の祭物になってきた恨を解かなければならないキリスト教信徒であり、修養の道を行く人だとするなら、このサタンの正体を解明しなければならず、歴史的な神様の心情と時代的な神様の心情、未来を心配される神様の心情を知らなければなりません。そうして神様が涙を流し、「おお、私の息子、娘よ」と言うことができてこそ世の中は回るというのです。(8-130,1959.11.29)
           

 

 神様において、エバは未来の妻でした。なぜならば、アダムは神様と一体になるので、神様自身です。神様の妻をサタンが犯しました。サタンは神様の怨讐であり、私たちの怨讐です。(22-207,1969.2.4)
           

 

 サタンとは誰ですか。神様の妻になるエバを強姦した姦夫です。アダムの妻であると同時に、神様の妻となるエバを強姦した姦夫です。サタンは愛の怨讐です。ですから神様が怨讐を愛しても、サタン姦夫まで愛せとはいいませんでした。サタンは許すことができません。サタンに属した人は愛しますが、サタンは許すことができません。それは原理なので、皆さんがみな知らなければなりません。(148-294,1986.10.25)
           

 

 エバはアダムの妻であり、神様の娘ですが、そのエバをサタンが強姦したのです。ですからサタンは、神様の前に姦夫になるのです。今まで既成教会の人たちはこれを知りませんでした。(19-158,1968.1.1)
           

 

 本来の主人を追い出し、彼の妻を奪ってその息子、娘までみな死の立場に引っ張っていく魁首の立場がサタン悪魔だというのです。このように見るとき、神様の怨讐であり、人類の怨讐である悪魔サタンを許す道がありますか。結局、悪魔サタンは、神様と愛を中心として姦夫の関係になってしまったというのです。
 ゆえに許すことができますか。そのようなサタンを許せば世の中をみな破綻させてしまうのです。ですから皆さん、ただそのままで神様の息子、娘になれると思えますか。ですからこれをすり替える日まで、神様と人類は呻吟と苦痛の道を免れ得ない立場で、歴史をつづってきたということを知らなければなりません。(53-338,1972.3.6)
           

 

 皆さんの家庭が神様の公認された愛によって築かれた家庭ですか。違います。皆さんの家庭は、お父さん、お母さんがサタン世界の堕落した愛の因縁によって結ばれた家庭です。そのような家庭で生まれたのが、正に皆さんです。それで血統が違うというのです。それは強盗にお父さんが追い出され、お母さんが強姦され、その間に生まれた退廃物のようなものです。結局、神様がいらっしゃることも知らない姦夫の一族、悪魔の社会になってしまいました。(19-102,1967.12.31)
           

 

 皆さんの愛の関係は、どこから始まりましたか。どこから出発したというのですか。悪から始まりました。この悪の魁首がサタン悪魔です。どんな因縁をもった悪魔かといえば、愛の姦夫だというのです。その姦夫の血と肉を受け継いで人間が生まれたのです。それなら、私たちが受けようとする愛は、姦夫の愛ですか。姦夫の血統を通じて受け継いできた不浄な血統の愛を受けようとしましたか。違います。これが問題です。(35-90,1970.10.4)
           

 

 元来人間は、神様を中心として真の命と真の血統を受け継ぎ、宇宙の権限をもって栄光の生活をしていなければならなかったのですが、堕落することによってサタンの愛を中心にサタンの血統、サタンの命を受けたのです。サタンは、神様の怨讐です。神様の愛の怨讐です。それは姦夫です。姦夫。女が3人集まれば「姦」という字を書くでしょう。姦夫とは何か分かりますか。姦夫とは何かといえば、自分が愛する女性を奪っていった者を姦夫というのです。(213-265,1991.1.21)
           

 

 サタンは、神様にとって姦夫です。そして人類は、その姦夫の子供です。ですからサタンは怨讐です。この怨讐に対して敵を討とうという考えに激しく燃えている人であってこそ、神側の人になるのです。(16-142,1966.1.9)
           

 

 神様はもてる限りの精誠を尽くし、希望に満ちた大業を夢見て宇宙を創造されたのですが、そのす大業と命と理念のすべての条件が一時に破綻して滅びるとき、天地が真っ暗になったというのです。ここに怨讐として登場したのが、天使長ルーシェルでした。このルーシェルを討ち取らなければならないでしょうか、討ち取ってはならないでしょうか。神様が最も愛していた骨の中の骨であり、肉の中の肉である息子、娘をルーシェルが自分の息子、娘にしたのです。こんな怨讐の首を切らなければなりませんか、そのままほっておかなければなりませんか。このような問題をめぐって、歴史始まって以来初めて苦心した方が神様です。(27-60,1969.11.23)
           

 

 神様が願っていた王子、王女の資格を破綻させ、王子、王女の家庭的愛を破綻させ、王子、王女以後の王孫を破綻させ、神様が理想とする家庭、天の国を破綻させた元凶がサタン悪魔だということを知らなければなりません。(302-220,1999.6.14)

 


 この元凶が神様の怨讐であるだけでなく、私たち人類の怨讐です。その怨讐の敵将にその国の王宮にいる王族、王族の王子、王女が捕まっていって、僕の暮らしをしながらその僕の世界の赤ちゃんを繁殖させるのと同じです。王子、王女を中心として王権のもとで展開されなければならないにもかかわらず、悪なる悪魔の王権のもとで繁殖された群れのようなものが堕落した人類だというのです。(302-222,1999.6.14)

(2022.3.20:写経奉献)

 


 ②サタンは愛の怨讐

 


 天使長とは誰でしょうか。神様の妻を奪った姦夫です。すなわち、悪の主体サタンとは何かといえば、神様の妻を奪った姦夫だというのです。姦夫といえば、何かの機関の幹部(注:韓国語では姦夫と幹部は発音が同じ)ではありません。愛を取って食べた姦夫だという意味です。これを知らなかったのです。(35-71,1970.10.3)
           

 

 人間は本来、神様の王子、王女になるはずだったのに、僕の子になり、僕の赤ちゃんを生み広めたのです。
 サタンが何か知っているでしょう。姦夫です。姦夫とは何ですか。愛の強盗だというのです。それは、順理を通じた愛の道理を逸脱したものです。ですから、サタンは愛の強盗です。(135-283,1985.12.15)
           

 

 サタンとは誰でしょうか。サタンは神様の姦夫です。姦夫。自分のお父さんを殺し、自分のお母さんを強姦し、その家の主人になりすますのです。世界の人類は、このような大怨讐を逃しておいて、怨讐に対して敵を討つことのできない群れになったのです。(153-270,1964.3.26)
           

 

 皆さんは姦夫を愛することができますか。それが神様の苦痛です。神様がどれほどかわいそうかというのです。その姦夫はどんな姦夫ですか。3代を蹂躙しました。おばあさんとおじいさん、お母さんとお父さん、自分まで、3代を蹂躙したというのです。それは何を意味しますか。この天の国の王宮を全部サタンが占領し、おばあさん、自分のお母さん、自分の妻までも、みんなその場で強姦して殺してしまったのです。サタンは、このような怨讐だというのです。(188-230,1989.2.26)
           

 

 愛の怨讐、サタン悪魔を許せば、天地がひっくり返るので、本然の愛を取り戻すためには許すことができないというのです。これを審判せずしては、取り戻すことができないというのです。ですから不倫な愛の関係を神様が一番怨讐視するのです。これが膨張したので、神様が安着できないのです。(53-140,1972.2.13)
           

 

 人間世界の知識が何に必要で、権力が何に必要で、富が何に必要ですか。人間世界の愛だとか、家庭だとか、何が必要ですか。否定しなければなりません。堕落人間は、サタン、姦夫の血を受け継いだ血族です。「ぺっ!」とつばを吐かなければなりません。(188-234,1989.2.26)
           

 

 神様の息子、娘には誰でもみななりたいと思います。本来の創造原則がそうで、そうならなければならないのに、そのようになれる血族から生まれるべき人間たちが怨讐に引っ張られていき、神様の愛の怨讐であるサタンの血を受けたのです。神様の血を受けて生まれなければならないのに、とても悔しいことです。(191-244,1989.6.25)
           

 

 サタンは、何を主張するのでしょうか。「あなたは神様ですが、私は悪魔になりました。それを認めます。私は悪魔です。それではあなたの原理を見れば、天使長を造ってアダムとエバを造るとき、天使長であるルーシェルという存在を永遠の愛の標準のもとで造りましたか。一時的な愛の標準として造りましたか」と質問するのです。そのとき、神様はどのように答えなければならないでしょうか。「臨時に愛する標準のもとでお前を造った」とおっしゃるでしょうか。言うまでもなく「永遠を中心として造った」とおっしゃるのです。
 そうするとサタンが「私は変わったとしても、あなたは変わることができないのではないですか」と言えば、神様が「そうだ」とおっしゃるのです。「私が変わって破壊的行動をしたとしても、あなたは破壊されてはいけないのではないですか」と言えば、「そうだ」とおっしゃるのです。たった一つ、これをつかんでいるというのです。(125-264,1983.3.27)
           

 

 怨讐を愛さなければ天国に入れません。「怨讐を愛さずしては天国に入れない」と言いましたが、その内容を霊界で知ってみると、どんなにうらやましいかというのです。なぜそうかといえば、アダムとエバは堕落したとしても、神様の原理原則は変わりませんでした。
 天国に入る原理原則は、アダムの堕落前もあとも変わりがないのです。それでは、本来、堕落しなかったアダムが完成していたならば、完成と同時に神様とアダムが合わさって天使長であるルーシェルを愛し、天国に連れて入らなければならないのが原理原則だったというのです。そのような原理原則は残っているのです。サタンがそれをもって主張するのです。(182-282,1988.10.26)
           

 

 この世で犯罪を犯した者でも、自分の罪の実状を知っている人がいないときには、どこに行っても堂々と罪を犯していない人のように振る舞うことができるのです。しかし、とても小さい少年でも、その人が罪を犯す現場を目撃したと指摘するときには、その犯罪者はそれに屈服するのです。ですからサタン悪魔を屈服させるには、サタン悪魔の正体を暴いて罪状を暴露し、天上と地上で追放運動をすればよいのです。(53-194,1972.2.21)

       

 

 神様は、永遠の公法の主人公であられるので、神様の前にサタンを引っ張っていって讒訴しなければならないのです。サタンを告訴しなければなりません。サタンが弁護するのを見て、検事の立場で論告をし、微動だにできないように締め付けておかなければなりません。そうして、堕落した天使長ではなく、堕落していない天使長たちが、「正しい! まさしくそうだ! 正しい」と言わなければなりません。(65-201,1972.11.19)

(2022.3.21:写経奉献)

 

4)善悪の実はエバ生殖器

 ①下部を覆ったのが罪の表示だ

 


 皆さん、エバが善悪の実を取って食べたのか、りんごを取って食べたのかよく分かりませんが、取って食べるには、まず目で見て、次に手が行って取って、その次に口で食べたはずです。取って食べるには、目、手、口が動機であり、行動した実体です。ですから、取って食べたのちには目を覆い、手を隠し、口を覆わなければならないのに、アダムとエバは取って食べたのちに、下部を覆ったのです。これが問題です。(54-62,1972.3.11)


           

 人は心情的な子女の立場で生まれましたが、ここで生まれて大きくならなければなりません。成熟して宇宙を主管できるようになるためには、回らなければなりません。
 それで神様も、ここに降りてきて、軸と一つになり、宇宙を回さなければなりません。原理において「善悪の実を取って食べるな」と言ったのは、成熟する時まで待ちなさいという意味です。それは、中央の点が決まる時まで、そこに定着できるその時まで待ちなさいというのです。(171-11,1987.12.5)

 

           

 愛が先ですか。自覚が先ですか。愛が先です。そうすれば万事に通じます。そうなれば、人生が行く道には壁がなく、谷間の道があり得ないというのです。それが天理のギアが歯をぴったり合わせて、ぐるっと回ることができるようにする天理の大出演だったにかかかわらず、それを離れて、女性が自分の自覚で始めたというのです。
 聖書では、何を取って食べたいといいましたか。善悪の実を見ると、食べるによく、目が開けるという自己自覚! これが問題になったのです。ですから自分が自覚する立場、自己主張できる立場に立っているのは妖邪なサタンの侵犯圏、堕落性の侵犯圏にあるということが分かるでしょう。これをはっきり知らなければなりません。(171-109,1987.12.13)


           

 悪魔がどこに根を打ち込んだのかといえば、体に打ち込んだのです。神様はアダムとエバを造りましたが、彼らは未成年の時に堕落しました。
 「善悪の実を取って食べるな」と言いましたが、それは果実ではありません。善悪の実を取って食べるとき、手で取って口で食べたなら、手を隠し、口を覆ったはずなのに、なぜ下部を覆いましたか。これが死亡の落とし穴です。人類文化を滅ぼし得る根源地です。皆さん、愛という言葉が極めて聖なる言葉であるにもかかわらず、なぜ下品な言葉として使いますか。なぜ下品な言葉だというのですか。それが天地の大道を破壊したからです。(198-110,1990.1.25)
           

 

 それが、何ゆえに神様がこのように手をつけられず、無力になりましたか。何の堕落のゆえに、そのようにひどいのですか。善悪の実を取って食べたのですか。善悪の実を取って食べたなら、なぜ下部を覆ったのですか。血を汚しました。血を汚したということは生命を汚したということであり、生命を汚したということは愛を汚したということです。天地の大道の神経器官になるべき人間が、未成年期に堕落しました。女性を誰が強奪したのですか。僕である天使長が神様の娘、未来には神様の王妃になることができ、神様の外的な体になることができるエバを強奪してしまったのです。血筋をひっくり返したのです。こんな話は初めて聞くでしょう。(200-50,1990.2.23)
           

 

 善悪の実とは何ですか。何だか知っていますか。女性の陰部をいうのです。韓国語で「俺はあの女を取って食べた」と言うでしょう。韓国語は妙だというのです。男たちはそんな言葉を使います。「あの女を取って食べよう」と。聖書も知らない人たちがそう言うのです。それは心にあるままを告げるのです。すべての者が良心にあるままを告げなければなりません。「終わりの日」には、みなありのままを告げなければなりません。(137-252,1986.1.3)
           

 

 善悪の実を取って食べて原罪が生じますか。「父が善悪の実を取って食べたのが罪だ」と言いますが、善悪の実が何であるがゆえに千代、万代の子孫が罪人になるのですか。これは血統的関係です。血統的に罪の根を植えておけば、遺伝法則によって永遠に行くのです。それができるのは、愛の問題しかありません。間違った愛が堕落の原因です。(23-167,1969.5.18)
           

 

 人間がキリスト教でいうように善悪の実を取って食べて堕落したならば、復帰も一朝一夕にできます。神様が善悪の実よりもっとおいしく良いものをつくって食べさせれば、蕩減になるのではありませんか。理論的にいえばそうだというのです。(38-164,1971.1.3)
           

 

 アダムとエバがどこで出会うのかといえば、垂直線に行って出会うのです。出会うには、愛を中心として一つになるのです。愛をどこに合わせますか。中心、中心に合わせるのです。それが何かといえば、男性と女性の生殖器です。そこに合わせるのです。男性と女性の生殖器は、そのように貴いものです。ですから男性と女性は一生の間、それに神様のように侍って生きなければなりません。それが至聖所だというのです。(185-278,1989.1.17)
           

 

 アダムとエバが堕落したのちに、なぜ下部を覆いましたか。そのような問題をキリスト教は知らずにいるのです。何、善悪の実を取って食べたというのですか。神様がなぜ愛する息子、娘を追放してしまったのでしょうか。どれほど重要な問題なので追放してしまったのかというのです。(197-263.1990.1.19)
           

 

 エバは、二つの世界の母体になりました。善と悪の中間の立場になったというのです。それでは善悪の方向を誰が決定しなければならないのでしょうか。自分自身が決めなければなりません。そうするには悪をたたきつぶし、サタンをたたきつぶして、神様にしがみつかなければなりません。サタンを打つことよりも数倍も強く神様にしがみつかなければなりません。悪を打つためには渾身の力を傾けなければなりません。それと同時に、それ以上の力で神様にしがみつかなければならないというのです。(31-18,1970.4.8)
           

 

 堕落とは何でしょうか。キリスト教では、「善悪の実を取って食べたことだ」と言います。それで、善悪の実は木の実だと思っています。しかし、木の実は人間の価値と対等ではあり得ません。
 本来、植物というものは、すべての存在の中で、人間の下にいるように造りました。それが自分以上のものを堕落させられる内容の要素をもつようには、神様が造らなかったというのです。(166-42,1987.5.28)
           

 

 既成教会では、善悪の実を取って食べたことを堕落と言います。そのような解釈は唯物論的なものです。物質を食べて霊魂が堕落したとすれば、物質の中から精神が出てくるという共産党の理論と何が違うでしょうか。物質を食べて霊魂が堕落するのでしょうか。物質を食べて堕落することができるでしょうか。霊魂によって物質が堕落したなら話が分かりますが、物質によって霊魂が堕落したというのは話になりません。物質の中に霊魂があるというのは唯物論だというのです。(41-292,1971.2.17)

(2022.3.22:写経奉献)

 


 ②善悪の実は命と死亡の分かれ道

 


 聖書を見れば、エデンの園の木の実は取って食べてもよいけれども、園の中央にある命の木と善悪を知る木は見てもいけないし、触ってもいけないとあります。それは何を意味するのでしょうか。すべての木は何ですか。兄弟の関係なので、手を握ってキスをしてもよいけれども、すべての木の実を取って食べてもよいけれども、善悪の実と命の木、男性の生殖器と女性の生殖器は触らないようにしたのです。そのように警告したのです。(200-50,1990.2.23)
           

 

 人類始祖の堕落の起源になった善悪の実とは何か分かりますか。男性と女性の生殖器です。それを正しく使えば国が栄え、間違って使えば国が滅びるのです。それが善悪の実です。王様でも正しく使うときには国が栄えますが、間違って使えば国が滅びます。それによって家庭が壊れ、社会が壊れ、すべてのものが地獄と天国に分かれます。善の実が結ばれるべきところに悪の実が結ばれたのです。それが善悪の実ではありませんか。善悪の実はみなもっていますか。もっていませんか。男性の生殖器、女性の生殖器が善悪の実です。毒蛇の頭です。
 イエス様がなぜサタンを「まむしだ」と言ったのですか。サタンをなぜ「蛇だ」と言ったのですか。それが蛇の頭です。それを知らなければなりません。毒蛇の頭です。女性も男性もみな、それをねらっているでしょう。女性も男性も、みなそうではありませんか。(227-251,1992.2.14)
           

 

 善悪の実とは何でしょうか。愛を間違えば、永遠の悪の実を継承するのであり、愛を正しくすれば、永遠の善の実を継承するのです。その善悪の実とは何かの果物ですか。狂った者たち! 善悪の実というのは、男性と女性の生殖器をいうのです。(226-110,1992.2.2)
           

 

 男性よりも女性が堕落し得る素質が多いので、神様が「善悪の実を取って食べてはいけない!」と警告されたのです。女性の生殖器が善なる人を迎えれば、善なる実が出てくるし、悪い男性を迎えれば悪なる実が出てくるのです。善悪の実は、女性の生殖器のことをいうのです。男性にはそのようなことがありますか。男性にはそんなことがないというのです。(221-282,1991.10.26)
           

 

 アダムとエバに善悪の実を取って食べるなと警告をするとき、誰にしたのでしょうか。アダムにしませんでした。アダムは思春期になって出て遊ぶのに忙しく、疲れて寝るのに忙しかったのです。女性(エバ)はいつも座って、「太陽の光が暖かい! ああ、花が咲く! 水もきれいで、空気もおいしい!」と、このようなことばかり言っているのです。そうしながら「花のように美しくありたい!」と言ったりしたのではないでしょうか。ですから思春期もどちらが早いのかといえば、女性のほうが早いのです。(221-280,1991.10.26)
           

 

 善悪の実とは、性器のことをいうのです。性器。それは善の実が結ばれ得るし、悪の実が結ばれ得るのです。悪なる者とくっつけば悪なる種子を受け、善なる者とくっつけば善なる種子を受けるでしょう。それが女性の生殖器なのです。エバが堕落することによって悪魔の血を受けました。悪魔が誰かといえば、天使長です。この天使長は僕の代表でした。(209-285,1990.11.30)
           

 

 神様が警告することに何があるでしょうか。神様として一番理想的なアダムとエバを造っておいて、警告する条件物として何があるかというのです。若い男女に、お母さん、お父さんが警告することとは何でしょうか。注意することは何でしょうか。同じ道理です。
 神様に注意することのできるものは何でしょうか。神様はお金が必要ありません。知識が必要ではありません。権力が必要ではありません。それらはいつも、自分の思いどおりに自由自在に所有することができるものです。しかし、愛だけは神様も思いどおりにできません。(196-41,1989.12.24)
           

 

 「善悪の実を取って食べたら目が開ける」という言葉があります。「目が開ける」という言葉は何を意味しますか。人々が、男性が女性を知り、女性が男性を知ること、すなわち、異性に対することを知ること、それ以上はないというのです。
 男性として生まれて女性を知らなければ、それはばかでしょう。最高の理想とは何ですか。男性が行くべき最高の理想的焦点は女性です。女性ですが、どんな女性ですか。自分の心にぴったり合う女性、若いときも合うし、年を取ってからも合うし、永遠に合う、このような女性ではありませんか。(178-52,1988.6.1)           

 


 神様が人間を造るとき、一番苦労して造ったところとはどこでしょうか。目ですか。口ですか。鼻ですか。手ですか。人間は考えもしないでいるというのです。
 それが愛の本拠地です。愛の本拠地。愛の本拠地とは、男性と女性のそれをいうのです。それが愛の本宮だというのです。そこから男性が愛を知り、女性が愛を知り、それなくしては愛が分かりません。愛の主人が現れることができません。(302-220,1999.6.14)
           

 

 愛の王宮、命の王宮、血統の王宮とはどこですか。男性と女性の重要な器官です。これは神様の創造当時の聖所です。聖所だったというのです。これを侵犯されれば、すべてのものが壊れていくのです。(205-328,1990.10.2)

 


 この一箇所に三つの貴いものが連結されるのです。愛もそこに連結され、命もそこに連結され、血統もそこに連結されるでしょう。重大な3要素の起源地が性器です。(205-328,1990.10.2)
           

 

 これは本来神様の創造理想から見るとき、一番貴い至聖所です。聖所、至聖所です。至聖所は誰でも入れるところではありません。
 大祭司長、責任をもった人以外には、そのふたを思いのままに開けることはできないのです。聖書の雅歌に出てくる封をした泉とは、それを言うのです。(205-328,1990.10.2)
           

 

 命の王宮であり、愛の王宮であり、血統の王宮である貴重なものを、放蕩息子のように、何の価値もないもののように扱ったその罪の代価を、どうやって払うのですか。深刻な問題でしょう。それは聖所です。
 神様が最高の貴重なものとして造っておいた器官としての至聖所です。それを汚す場合にはどうなるでしょうか。モーセの路程において、契約の箱を汚す者はその場で殺してしまったでしょう。それと同じです。至聖所と同じ愛の本拠地を汚すのは許されません。男性と女性が抱擁をします。愛するというのは天宙的なものです。神人一体圏を成す試金石です。有限が無限に連結される因縁が与えられる瞬間なのです。(218-133,1991.7.14)
           

 

 聖なる男性と聖なる女性が、聖なる愛、聖なる命、聖なる血統が動いてそこに連結され子女を生むときは、その子女は天国に直行するのです。宗教が必要なく、修養が必要ありません。
 心と体が90度の角度を備え、愛とすべてのものが損失なく育ち、内外が整えば、教えてあげなくてもみんな分かるのです。私はそうです。習ってから統一教会の先生をしているのでしょうか。さっと分かります。既に何がどうだということを知っているのです。教えてくれなくても分かるのです。(21-247,1990.12.30)
           

 

 善悪の実とは何でしょうか。それは今まで秘密でした。話すことができないものです。先祖の傷です。先祖たちが間違ったので、将来真の先祖が出てくるまでは、この言葉を公開できないのです。サタンも公開できず、神様も公開できないのです。(191-232,1989.6.25)

(2022.3.23:写経奉献)


5)堕落の恨、神様の復帰の心情

 ①愛の怨讐、堕落の恨

 


 堕落したという事実は、長男長女を追い出したということと連結されます。長男というのはひとり子です。長女はひとり娘です。アダムとエバは、神様の億万代のひとり子、ひとり娘として生まれました。善悪の実を取って食べ、その億万代のひとり子を追放したと考えてみてください。(289-120,1997.12.30)

 


 皆さん、息子を一人、娘を一人もっていて、息子一人が死んだというとき、父母の痛みはどれほど大きいでしょうか。「7代のひとり子の死は、町内と隣村と知り合いたちがみな痛哭する」という言葉があります。7代のひとり子を失った父母の悲しみは推し量ることができないので、周辺にいるすべての家庭をもった父母たちと子供たちと兄弟たちが同情するということを考えるとき、これは何代のひとり子ですか。億万代です。億万代。
 それで、父子の関係が成されませんでした。億万代のひとり子を失った神様がそれを再び取り戻すためには、億万代の苦痛を越えずしては取り戻す道がないというのです。そのような天の父母がいたということを知りませんでした。(301-100,1994.4.20)
           

 

 サタンとは何ですか。神様の愛の姦夫です……その怨讐サタンにエバを抱かせて今まで千回、万回讒訴すれば聞いてあげ、それを愛する立場に立っていたのです。それが神様の立場です。
 どれほど神様の立場が難しい立場かということを皆さんは知らないでしょう。愛する妻を怨讐に抱かせておいて福を祈ってあげられる男性の立場、それ以上の立場が神様の立場であることを知らなければなりません。あなた方は、そうすることができますか。(182-174,1988.10.16)
           

 

 サタンはエバの姦夫です。ゆえに神様の愛の怨讐です。その愛の怨讐が数千年の間、来て讒訴しても嫌な表情一つしないで、今まで真の主人としての仕事をやってきたのです。それで神様がこの地に一つの中心を育てあげるまでは、誰でも不平を言って、それを反対してはいけません。なぜかといえば、天使長がいるからです。(182-246,1988.10.23)
           

 

 サタンは、神様の愛の姦夫です。これは文総裁が世界的に初めて発表した言葉ですが、悪魔とはいったい何でしょうか。僕が、未来に神様の妻になれる人を強奪したのです。アダムとエバとは何ですか。神様の体です。聖書のコリント人への第1の手紙を見れば、「あなたの体が聖殿であることが分からないのか」とあります。神様の家です。聖書にアダムが名前を付けたようになったという言葉がありますが、それは何を意味するのでしょうか。神様がその心の中に入っていらっしゃるということです。(209-40,1990.11.25)
           

 

 サタンは、神様の立場から見れば姦夫です。エバは姦婦で、サタンは姦夫だというのです。そのような立場にある婦人とその娘を、純潔な女性として、純潔な娘として考えなければ復帰することができません。そうでなければ、もともとのままに取り戻すことができません。そのような心情圏に処している神様の悲惨な心境は、誰も知りません。先生以外には、誰も知らないというのです。(227-47,1992.2.10)
           

 

 怨讐に引かれていった自分の愛する妻が、子供を生んで、再び帰ってこなければならないとき、そのような母と子を結婚前の純粋な心で迎えることができるでしょうか。サタンは、愛の怨讐であり、愛の姦夫です。それこそ、アダムとエバが堕落した立場と同じです。しかし神様の心情圏では、その峠を越えていかなければ平和の世界はできないのです。その基準が成立してこそ、サタンは自然屈服するのです。(237-238,1992.11.17)
           

 

 愛の怨讐になった悪魔のその息子、娘たちを怨讐の子として扱っていれば、神様のようなことはできません。それを、堕落する前の本然の息子、娘として愛するのと同じ心をもって愛したという基準を立てなければなりません。そうせざるを得ない悲痛な神様の立場を考えたことがありますか。(208-291,1990.11.20)
           

 

 キリスト教や他の宗教の最高基準が怨讐を愛せよということです。神様もこのような原則的な立場にあるので、悪魔サタンを愛さざるを得ないのです。これは愛の怨讐ですが、その怨讐を堕落していないアダムとエバ以上に愛さなければならないのです。なぜそうなのでしょうか。怨讐の懐に抱かれたエバが、庶子を連れて入ってくるとき、お父さんは彼らを自分が生んだ子供たちよりも愛さなければ、エバが本然の立場に帰ってくる道がないからです。何のことか分かりますか。(235-84,1992.8.29)
           

 

 自分の愛する妻を怨讐に抱かせてあげて、福を祈ってあげられる雅量のある男にならずしては、神様の息子、娘になることができないという結論にまで到達します。
 なぜですか。エバとは誰ですか。神様の妻です。サタンが抱いて今まで弄んだ姦婦のようなものを、今まで6000年間、6000年ではありません。数万年です。人類歴史を1000万年までと見るではないですか。その間、彼が讒訴しても今まで相手にしてきた神様のその痛む心情の谷間を誰が知るでしょうか。
 ですから自分の愛する妻を自分の怨讐に抱かせてあげて、福を祈れる心情圏を出入りする経験をしたことのない人は、神様の心情を知ることができないというのです。(184-302,1989.1.1)
           

 

 結婚の前日に神様を捨てて怨讐に引かれていき、姦婦になり、息子、娘を生んで暮らしていたのを、再び本然の、そのような傷のない立場として受け入れなければならない神様の心情を思うとき、お母様を偉大なお母様につくらなければならないと考えるのです。
 昔のエバよりももっと素晴らしいお母様にしてこそ、エバによって傷つけられた悔しく悲痛な神様の心情の傷を埋めることができるというのです。父母様の家庭がそのことをしなければならないのです。何のことか分かりますか。(233-255,1992.8.1)
           

 

 先生がこの道を備えてくるには、先生の愛する妻までも魁首サタンに抱かせてあげ、祝福してあげられる心がなければならないというのです。何のことか分かりますか。神様がそのような立場に立ったのです。悪魔は愛の姦夫であり、怨讐ですが、「終わりの日」になってメシヤになり得る資格者ならば、自分の新婦までも犠牲にしてサタンに与え、神様を解放できる立場に立たなければ、神様を解放できないのです。(185-133,1989.1.3)

(2022.3.24:写経奉献)

 


 ②サタンの讒訴条件

 


 神様の愛の姦夫が悪魔です。今まで愛の悪魔である姦夫が讒訴するとき、彼を相手にしてきたのです。彼を人類の前に、全体の人間たちの前に、愛したという条件を取り戻すために今まで耐えてきたのが神様の心情だというのです。なぜですか。堕落しなければ天使長でしたが、天使長も神様が愛してこそ天国に入るのです。
 神様と神様の息子、娘たち、天使長を愛した人たちが天国に入るのです。それでサタンが讒訴するというのです。「私は悪魔になったとしても、あなたの創造原理、本然の原則的基準は残っているので、神様も私を愛し、神様の息子、娘も私を愛さなければ天国に行けないのが原則ではありませんか」と言うとき、「うーん!」と言うのです。ここに、襟首をつかんで今まで讒訴してきたのです。(185-56,1989.1.1)
           

 

 サタンとは何ですか。神様の愛の姦夫です。この妖邪なやつが天理の大道を破綻させておいても、ずうずうしくいまだにこの地球星で、人類を離さず、かじり食い、はぎ食い、削り食っているというのです。こいつを私が地獄に行って、全部ごみ箱にぶち込むでしょう。ほうっておけば神様に帰る本心があるので、さっと回るのです。
 春になりさえすれば、がりがりに枯れた木の枝も朝の日ざしに、春の日ざしに芽がふくのと同じように、人の心はじっと自由さえ与えれば、本心は自然に神様に帰ろうとします。ですから生きられないように、どっとぶち込むのです。そのようなことを知らないでしょう。自分の運命がそのように悲惨になっていることを知らないこの人類をすべて解放させて、一つにしようというのです。統一しようというのです。(142-281,1986.3.13)
           

 

 私たちは、どんな犠牲でも投入して、父の姦夫に恨みを晴らさなければなりません。恨みを晴らすには、銃や刀で晴らすようにはなっていないのです。より大きい愛でなければ晴らす道がないと見るのです。ゆえにその怨讐を愛してこそ、本来の創造理論に合格した神様のところに登場するのです。
 なぜですか。悪魔サタン、天使長も本来、創造当時は神様の愛を受けるようになっていたからです。永遠に受けるようになっているので、「あなたが神様になるには、私が堕落したとしても、私を愛したという原則を立てなければこの宇宙を支配できる立場に行けません」と言ってしがみつくのです。ここに引っ掛かっているのです。本当にあきれる事実です。(120-266,1982.10.17)
           

 

 人間は本来、創造原則に従って神様の息子、娘でなければならないのに、堕落することによってサタンの息子、娘になりました。それで神様は、姦夫であるサタンと額を突き合わせて闘ってこられました。讒訴の条件を防ぎながら、今まで人類を取り戻してくる作戦をしてこられたのです。このような気のふさがる神様であることを既成教会の人たちは知らなかったというのです。栄光の神様としてのみ考え、「おお! 天地の栄光の中の偉大な神よ」と言っているのです。(41-301,1971.2.17)
           

 

 皆さん、サタンとは何ですか。神様の姦夫です。したがって、姦夫を許してあげれば天理の原則にそぐわないので、許すことができないのです。それゆえサタン世界の人間たちは100回、1000回許すことができても、サタンだけは絶対に許すことができないというのです。それで大審判があるのです。大審判は誰を審判するのかといえば、人を審判するのではなく、人間の心の中に主人の如く臨在しているサタンを審判するのです。(22-282,1969.5.4)
           

 

 サタンは、愛を蹂躙した怨讐です。お母さん、お父さんが寝ているところに入ってきて、お父さんを殴り殺し、お母さんを強奪したどろぼう野郎です。サタンとは何ですか。神様の愛するエバ、神様の実体的相対であるエバを強奪した愛の怨讐です。そのような姦夫に自分の愛する人を渡し、祝福してあげれる心をもたなければなりません。怨讐を愛するには、許してあげるくらいではいけません。そのくらいでサタンが「ありがとう」と言うでしょうか。かけがえのない愛する人を怨讐に与えても、祝福してあげられる心までもたなければならないのです。これが最後の峠です。それなのに、ただ信じれば天国に行くというのですか。(34-278,1970.9.13)
           

 

 今日、人間の堕落をキリスト教徒たちは、蛇がひそひそささやいて取って食べたといいます。原則がどうなっているかも知らない人たちです。ですから神様がどれほど物悲しく哀れで悲惨で、無念に思われたでしょうか。
 アダムとエバが善悪の実を取って食べる瞬間、心臓が爆発するようなもどかしい心情をもたれた方でした。しかし神様は、彼らを愛さざるを得ませんでした。皆さんは、それを知らなければなりません。(21-141,1968.11.17)
           

 

 アダムとエバが善悪の実を取って食べようとするとき、神様が「私が心配したとおりになったな。もう少しやれ」と言ったでしょうか。いいえ。心臓が縮み、すべての感覚が1箇所に吸い込まれていく、そのような立場だったでしょう。「それを取って食べてはいけない」。血を流し、震え、形容できない哀絶なもどかしさのゆえに何も考えられない、そのような立場に立たざるを得ない神様だったのです。
 そのような神様が、アダムとエバが善悪の実を取って食べているとき、見物していただけなのだろうかというのです。刀があれば歴史を斬り、この天下を斬り、切ってしまいたい心でしたが、そのようにできない立場にいることを、自ら嘆かざるを得なかった神様でした。(21-141,1968.11.17)
           

 

 神様の前に立っていたアダムとエバ自身が神様の内情を察することができたなら、堕落しようにもできなかったはずです。父母は父母として子供に対して愛の心をもっていますが、子供は父母の深い心情まで知らなかったのです。もちろん幼くて堕落したのですが、その年齢の幼さが堕落の動機になったのではなく、心情が足らずに堕落したのではないでしょうか。「あの方は私と対している。あの方は私と離れようにも離れられない」と、神様が一切の問題に関係しているということを、もしアダムとエバが感じることができたなら、彼は堕落することができなかったのではないでしょうか。結局、心情の一致点をもてなかったので堕落したのです。天の願いと自分たちの願いが食い違い、自分の考える方向が天の考えることと食い違っていたから、堕落したのではないでしょうか。(65-173,1972.11.19)
           

 

 強盗が本来の父を殴り殺し、お母さんを強姦することによって生まれたような立場にあるのが、今日の堕落した人類です。サタンとは何かといえば、神様の愛の怨讐です。サタンは神様の子女を強奪した姦夫なので、愛の神様もサタンを許すことができません。愛の姦夫を許す法はないのです。ですから他のことは許すとしても、サタンだけは許すことができません。サタンを許せば天法がみな壊れるのです。(41-197,19712.15)
           

 

 私たちは、神様の心情に背反した堕落した子孫です。皆さん、私たちの先祖が何に背反したと思いますか。取って食べるなという善悪の実を一つ取って食べたことだと思いますか。とんでもないことです。心情に背いたのです。神様の心情に背反したのです。問題はそこにあります。どんな心情に背反したのか、創造理想の心情、希望の心情に背反したのです。(9-112,1960.4.24)
           

 

 サタンをなぜ一度に分別できないのですか。なぜ神様は、全能な方なのに一度に引き離せないのですか。血筋が連結されているからです。血筋です。一度に引き抜いてなくしてしまえば、人類を絶滅させることになってしまいます。
 サタンの血を受けたのを一度に引き抜けば、人類がいなくならなければなりません。アダムとエバまでいなくなります。たたきつぶさなければなりません。なぜ神様はアダムとエバをたたきつぶして、造り直せないのでしょうか。もう一度造るようにはなっていません。愛はアルファでありオメガなのです。初めであり永遠なので、そのような理想的基準になったので、その愛の対象としての人は打つことができません。それを知らなければなりません。(188-225,1989.2.26)
           

 

 サタンがどのようにして神様の前に6000年間対抗してきたのですか。サタンは今まで、神様の前に原理を掲げてやってきました。「神様、私を処罰することができますか。私を処罰するにはまずこの天地を壊してしまわなければなりません。神様は私を創造されるとき、たとえ天使長が受ける愛であっても、完成基準で愛してくださろうとされたのではありませんか」と言うのです。天使長も、天使長級完成基準で愛を受けなければならないというのです。
 それで天使長は神様に、いつ私を完成段階で愛してみたのかと聞くのです。神様もここに引っ掛かるのです。神様が完成段階の愛を天使長に施しましたか。施せませんでしたか。できなかったというのです。自由天地であるエデンの園で天使長にも完成段階の愛をし尽くしてこそ、神様も責任を果たしたといえるのです。そうでなければ、微動だにできず、引っ掛かるのです。(37-254,1970.12.27)
           

 

 神様が6000年の間、愛する息子、娘の首を切ることを数千万回ほしいままにしてきた天使長を追及できないのは、天使長を完全に愛してあげることができなかった責任があるからです。それで今まで神様は、誰かが間違えば「神様! 誰々がこのようにしようとします」と言って、讒訴されなければならない悲しい歴史の背後があったというのです。このような内容は、今日、統一教会が出てきたので分かるのであって、誰も知らなかった内容です。(35-95,1970.10.4)
           

 

 神様の前に孝子がいなかったので、神様の前に忠臣の道理、神様の前に聖人の道理、神様の前に聖子の道理を立てた者がいませんでした。その国を守り得る主流の愛の体制がなくなったので、神様が立つ位置がないというのです。今まで、囹圄(牢獄)の身として軟禁状態にとどまった神様になっているというのです。天の国は、完全に廃虚となって空いています。その痛みを感じているかわいそうな神様であられます。(302-226,1999.6.14)

(2022.3.25:写経奉献)


6)真の父母の祝福と血統復帰

 ①メシヤとして真の父母が必要だ

 


 皆さんは、真なる父母と関係のない立場で、天の前に追い出された偽りの父母の血筋を受けて生まれたので、この血筋から抜け出すためには、血筋を踏み、引き抜いてしまわなければなりません。そうして血統を根本的に変えなければ、天の国に行くことができません。(22-271,1969.5.4)
           

 

 血統転換を成すためにはアダムの骨髄まで、骨肉の中心部まで入って、将来の子供となるその種に神様の愛と結束された勝利的条件を充足させなければ、神様の子女として生まれることができません。これは理論的に間違いないことです。聖書に、そのようにしてきた記録があるからです。そうだとしたら、聖書は神様のみ言だというのです。(35-162,1970.10.13)
           

 

 メシヤとは誰ですか。真の父母です。それなら真の父母がなぜ必要ですか。真の父母の愛によって再び接ぎ木しなければならないからです。ですからメシヤである真の父母が現れなければ、堕落した人間は、原罪を脱いで罪のない解放された立場で、完成段階の祝福を受け得る立場に出ていくことができないのです。(35-215,1970.10.19)
           

 

 メシヤがこの地に来て、代行しなければならない立場が真の父母の立場です。それでは真の父母とは何でしょうか。縦的な真の父の代わりに横的な真の愛を中心とした横的な父母です。キリスト教ではメシヤが神様であり、神様がメシヤだといいますが、それは間違いです。神様は縦的な真の父です。これは一つしかありません。メシヤは横的な真の父母だというのです。(186-40,1989.1.24)
           

 

 堕落した人間が要求する救い主とは、どんな救い主ですか。堕落した父母の立場ではなく、堕落していないアダムとエバのような立場で神様のみ旨と一体となり、神様の愛を受けて、神様の祝福を受け得る真の父母の立場で人類を生んでくれる救い主でなければいけません。そうでなければ、人間が原罪と関係のない立場に上がることができません。(22-269,1969.5.4)
           

 

 皆さんは、新しい血筋を受け継がなければなりません。受け継ぐにはメシヤが父として来て、サタン世界に勝った、サタンが干渉できない超世界的な基盤でエバを迎え、蕩減復帰しなければなりません。そうして夫婦の因縁を中心とした家庭で息子、娘を立てて、横的に接ぎ木するということが起こらなければなりません。それで統一教会で祝福をしてあげるのです。統一教会は違います。統一教会は、血筋がどこから始まったのでしょうか。神様から始まったというのです。ですから、いくらでもサタン世界で反対してみよというのです。反対していたら損害賠償を払うようになるのです。(169-37,1987.10.4)
           

 

 私たち人間は、血統的にサタンの血統を受けたので、それ自体では天の前に帰ることができないのです。ゆえにメシヤは、絶対に血統復帰をして、サタンが汚した血統を改造しなければなりません。これを転換させなければなりません。それでメシヤは、必ず来なければならないのです。メシヤが来なければ血統復帰ができないのです。血統を復帰しなければなりません。(172-53,1988.1.7)
           

 

 血統が違うというのは、お父さんが違うということです。それゆえお父さんが違う血統をもって生まれた人間は、本来、堕落していない本然の父母によらずしては罪を蕩減することができません。ですから今日まで歴史は、堕落していない元の先祖になれる権利をもったそのお一人が来るときまで、宗教の理念を中心に連結させてきました。(20-115,1968.5.1)
           

 

 真の父母が必要なのは何のためでしょうか。心情圏を中心として、その根を下ろさなければならないからです。今は根が違います。堕落によって幹と枝が、全部違います。ここから新しく根が真の父母から始まり、幹と枝が出て、接ぎ木するのです。切って接ぎ木するのです。接ぎ木して、それが宇宙の大きな主流になるのです。サタン世界のすべてのものを切ってしまわなければなりません。根まで切ってしまわなければなりません。(164-155,1987.5.10)
           

 

 人間は堕落により、神様とは関係のないサタンの実体をもった存在になってしまいました。これは神様の愛とは正反対になるので、蕩減しなければなりません。(35-159,1970.10.13)

 


 蕩減とは原罪を除去することです。原罪を除去するにおいては、血統的なものが根本的に存在します。血統的なものは、堕落人間としては到底解決できないものです。それでメシヤが必要なのです。(35-159,1970.10.13)
           

 

 真の父母は、何をしなければならないのでしょうか。サタン世界の根である間違った血統を正さなければならず、間違った命を取り戻さなければならず、間違った愛の道を正しく開かなければなりません。聖書に、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とありますが、そのような逆説的な論理がなぜ出てこなければならないのでしょうか。サタン世界は殺さなければならないからです。
(169-37,1987.10.4) 

 


 エデンの園で、結婚を誤ったのが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させてあげることにより、再びひっくり返したのです。偽りの父母がしでかしたことを真の父母が清算することにより、地獄を撤廃し、数百、数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させてあげるということが起こるのです。真の愛を中心とした地上の後孫たちの家庭基盤を通じて、霊界の先祖と地上の子孫が縦的に一つに合わさるだけでなく、このような家庭基盤を起点として東洋と西洋が互いに連結されます。(300-222,1993.3.14)
           

 

 まずは、父母を心から慕わなければなりません。私の命の動機も父母であり、私の希望の一切も父母であり、私のすべての理想と幸福の根源も父母だという基準をもって、父母に侍ることができなければ救いを受けられないのです。皆さんは、そのように侍ったことがありますか。皆さんは、これをはっきり知らなければなりません。ですから、「私は真の父母と永遠に一つになることができる息子、娘だ」という信念を、自分の存在意識を超越できるくらいに固くもたなければなりません。そうでなければいけません。(30-237,1970.3.23)
           

 

 皆さんは、先生をどれほど愛さなければならないでしょうか。根本問題に帰るのです。サタン世界の愛の痕跡がある、その愛が染み付いた立場で愛してはいけません。それ以上でなければなりません。それはどういうことですか。皆さんが、サタン世界で生まれたお母さん、お父さん、妻子、その誰よりも愛さなければなりません。
 それで聖書で、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」と言ったのです。すべてそのような結論を下したのです。そうしながらのちには「自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(マタイ16:24)と言いました。十字架を負わなければならないと言いました。反対に引っ張っていく力を押さえて越えていこうとするので、十字架です。ここで悲痛な涙を流さなければなりません。(178-97,1988.6.1)
           

 

 血統を転換するのはメシヤがするのですが、転換できるように行動するのは自分自身でなければなりません。このような基準が成されない限り、私たちは救いの道に至ることができません。これは決して易しく成されるのではなく、死ぬか生きるかの境地を通過しなければなりません。40日断食祈祷だとか血を吐く死の境地に行ってこそ血統転換が可能です。(35-160,1970.10.13)
           

 

 蕩減条件を立てる方法については先生から教えてもらわなければなりません。もし昔、日本でそれを知ろうという考えをもった一人の人がいて、日本全部と交換してでもそれを買ってきたとするならば、日本は既に世界を統一していたかもしれません。世界でそれよりもっとよい事業はないでしょう。聖書に、「たとえ人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」というみ言があります。命はそれほど貴いものです。私たちは、蕩減条件を立てる方法を正しく悟り、自分の貴い命を復活させていかなければなりません。(22-207,1969.2.4)

(2022.3.26:写経奉献)

 


 ②再臨思想の核心は血統復帰

 


 血統転換は誰がするのでしょうか。それは誰でもできるものではありません。先生がこのことをするために涙ぐましい十字架の道を歩んだということを知らなければなりません。このような基準があるので、皆さんは何の功労もなく祝福という新しい伝統を継ぐことになりました。転換の勝利圏を立てるには、数千年にわたる神様の労苦と、実体を中心とした先生の苦難の生涯がありました。これを基礎として立ったところが、正に皆さんが立っているところです。祝福とは接ぎ木することであり、接ぎ木することによって、血統が変わるのです。(35-178,1970.10.13)
           

 

 血統の同一性が必要なので、神様の心情圏に従わざるを得ないのです。なぜそうかといえば、根が違います。幹が違います。ゆえに根が同じでなければならず、幹が同じでなければならず、芽が同じでなければなりません。そこには、絶対的に血統転換という大変な問題が起こるのです。それは、一人ではできません。真の父母がいなければなりません。(172-55,1988.1.7)
           

 

 神側ではサタンの偽りの愛圏にいる人間を、より大きい神様の愛で奪ってきて重生させるのです。人間が偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通じて生まれたので、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の血統を通じて再び生まれてこそ神様の子女、神様の民になるのです。イエス様の宝血(注:人類の罪を贖罪するためイエス様が十字架にかけられて流した血)の貴さも、聖晩餐の儀式もすべて、血統転換を通じて神様の子女になる摂理を形象的、象徴的に現すものです。(135-12,1985.8.20)
           

 

 統一教会の祝福を受けるにおいて血統転換式があるのです。皆さん、血統転換式をしたでしょう。蕩減棒行事だとか三日行事だとか……どれほど複雑ですか。そこにはサタンが入ってくることができません。それは真の父母と神様の法によって天国の門を開き、解放を宣言して出てきたものなので、長成期完成級で行使していたサタンは関係することができません。祝福を受けた家庭は血統転換式をしたことを知っていますか。それを経なければならないのです。(235-215,1992.9.20)
           

 

 復帰家庭には、血統転換という絶対語が必要です。皆さんも祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。その血統を転換するために聖酒がなければなりません。
 そして聖酒という酒が出てくるためには21種類の聖別過程を経なければなりません。それが何か分からないでしょう。それは空中で実を結ぶものと、地で実を結ぶものと、地の下で実を結ぶものを中心として、その次には鉱物世界、植物世界、動物世界で最も貴いもの、このように21種類の聖別されたものを通じてその過程を経るのですが、そのすべてのものが讒訴条件に引っ掛かってはいけません。
 7カ月の間使わずにおきますが、そこに不祥事が起こってはいけません。皆さんはそれを飲みましたが、それが簡単に出てきたのではありません。(215-109,1991.2.6)
           

 

 皆さんは血統転換、この実感がわかないでしょう。皆さん、いつこのようになりましたか。先生がアベルになるときには、皆さんはカインとして完全に一つになるのです。この関係があるので、皆さんが先生と一つになれるのであって、この関係がなければ大きな問題が起こるというのです。(161-153,1987.1.18)
           

 

 「統一原理」の特約とは何ですか。神様の息子、娘になる特権的な内容を中心としてサインしてもらい、真の父母様のサインをもらい、真の父母を通じて血統転換をしたという立場に立ち、解放者という名前をさっともらえば、天国にも入ることができるというのです。入るには、礼服を着て入らなければなりません。服を脱いで行くことはできません。天国に入るには、礼服を着て入らなければならないというのです。その礼服とは何ですか。統一教会の「原理」で武装して、そのとおりに実践した人だというのです。特権は、すべてもらったのです。この世に、そのようにできるものはありません。(214-71,1991.2.1)
           

 

 神様の心情はどこで連結されますか。理論で連結されるのではありません。血統を通じてこそ連結されるのです。皆さんは、神様の心情の血統を受けましたか。今まで知らなかったというのです。それで皆さんには、祝福を受ける前に血統転換式があるのです。その時は、私は何もないという無の境地に入らなければなりません。私の体はないという立場に立って、父母様の血肉を再び受け継ぐ結着点が私から始まるという信念をもたなければなりません。(180-159,1988.8.22)
           

 

 皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。皆さんは何も知らずに、先生がさせるとおりに従ってやっただけですが、それがそんなに簡単なものではありません。
 イエス様が夫婦関係を成すことができなかったので歴史がこんなに混乱してきたということを考え、その目的に合う1双を立てるという心情的基準から見るとき、祝福の血統を汚すようなことがある場合には大変なことになります。これは刑罰が問題ではありません。エデンの園では未完成期に堕落したのも追い出しましたが、完成の心情的基準で罪を犯したとすれば、言うまでもありません。それは、後ろ姿も見たくない神様であられます。先生もそうです。(198-220,1990.2.3)
           

 

 祝福を受けるとき皆さんは、血統転換式をしたでしょう。そのあとからは、完全に変わらなければなりません。真の父母が出てこなかったなら、このことが可能でしょうか。創世以後、どれほど大変な道を歩んできたでしょうか。真の父母が出てきたことだけでも有り難いですが、真の父母から祝福を受けたということは、もっと驚くべきことです。こうして伝統、その伝統が何かといえば、血統の伝統です。真の愛と、真の命と、真の血統を植えたことが伝統になっているのです。これをいつも考えなければなりません。(216-36,1991.3.3)
           

 

 祝福家庭は、どんな意味をもっていますか。祝福家庭を中心としてみるとき、サタンが祝福家庭を支配することはできないというのです。先生を完全に信じて、どんな国ででも真の父母様に属しているという信念をもって立っているとき、サタンはそれを侵犯できないのです。なぜでしょうか。父母様の心情を中心として血統転換した心情圏に連結されているからです。ですからここからは、サタンが手をつけることができないのです。(149-53,1986.11.2)
           

 

 「私は堕落してあなたの血統的すべてのものを蹂躙しましたが、あなたがあなたの息子と天国に入るためには、血統転換をさせなければならないのではありませんか。あなたの血筋と連結された一つの根……あなたが命の主体ならば、あなたからアダムが命の種を受けたのです。ですからあなたからアダムが受けた命の種がエバを中心として連結され、根になることができる本然の基準を成して、その基準であなたの血族の立場に立たなければなりませんが、そうするには、今私の血族の中に立っている彼らの血統を転換させて、根を改造しなければ天国に入れません。天の国にはアダムの根の人が入るようになっているのであって、天使長の根の人が入ることができますか。入れません!」と言うのです。何のことか分かりますか。(197-286,1990.1.20)
           

 

 血統転換という恨めしい悲運の運命をもった堕落の子孫になったことが、息の詰まる悲痛な事実です。これを抜け出すためには、力の限りを尽くして解放された息子の姿、娘の姿として現れなければならず、神様に対してためらわずに、「お父様」と言えなければなりません。自信がありますか。先生は神様に対して、「お父様!」と呼ぶ自信があるでしょうか、ないでしょうか。自信があります。(197-115,1990.1.7)
           

 

 復帰途上で僕の僕の時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代に上がらなければならないのです。それでは完全に僕の僕の時代を経て、僕の時代、養子の時代を経て、直系時代と因縁を結ぶことができますか。直系の時代と因縁を結ぶには、そのまま結ぶことはできません。必ず原理によって信仰の基台を経て、実体基台を経て、メシヤのための基台を経なければなりません。
 すなわち、メシヤを迎えなければならないというのです。メシヤは神様の真の息子です。養子と真の息子は血統的な関係が違います。ですから血統転換が必要だというのです。(55-192,1972.5.9)
           

 

 堕落人間は、血統を転換しなければなりません。これが根本的な問題です。神様と人間の関係は父子の関係ですが、このようなすべてものが未知の事実として残っているので、歴史が解かれなかったし、今まで神様の摂理を知らなかったというのです。血統転換も個人圏、家庭圏、民族圏、国家圏、世界圏と、すべてしなければなりません。これはメシヤが来なければならないのです。
 父母が出てくることによって父母から血統が出てくるのです。父母が出てこなければ、血統が転換されないのです。このようなすべての問題に個人が責任を取らなければなりません。
 個人がすべてこのようなことをして、越えていかなければなりません。これを知らないので、知っているメシヤが来て、代わりにしてあげるのです。(161-147,1987.1.18)
           

 

 堕落人間は、出発が間違ったというのです。ですから再び戻らなければなりません。戻るには戻りますが、どこに行くのですか。原点に帰らなければなりません。偽りの父母で始めたので、戻って真の父母から再び始めなければなりません。ですから、どれほど深刻でしょうか。私が神様の愛と神様の命と神様の血統を再び受け継がなければなりません。
 それで皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたのです。それを私の命より、もっと信じなければなりません。統一教会の一つの儀式だと、ただ一般の宗教儀式のように考えてはいけないのです。これは、死んだ人を回生させる注射と同じです。解毒注射です。(216-107,1991.3.9)
           

 

 聖書の歴史を見れば、ヤコブはお母さんと一つになりお父さんをだまして祝福を受け、タマルの役事を中心としてもこのように背倫の行為をしたのに、ユダの支派を通じてイエス様が来るという言葉は何を意味しますか。血統転換という問題があるからです。血統を清めなければなりません。
 ここにキリスト教だけが血統を重要視して、血統浄化を主要思想としてきました。他の宗教にはこのような歴史がないので、ここについていくべきだという結論が出てくるのです。ですから血統転換ということを中心として見るとき、文総裁はキリスト教を除くことができなかったのです。それで、選民思想を受け継いだキリスト教を除くことができなかったのです。すべての宗教が同一だと言ったなら、どうして私が迫害を受けるでしょうか。何のことか分かりますか。骨子の思想がこのようになっているからです。はっきり知らなければなりません。(227-349,1992.2.16)

(2022.3.27:写経奉献)

 

 

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