「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(53) 第10巻「成約人への道」 第2章 家庭観

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第二章 家庭観

1)理想的な家庭とはどのような家庭か
2)家庭は天国完成の基本単位
3)真の家庭の理想と価値
4)天国は家庭単位で行く所
5)家庭盟誓

 

 

1)理想的な家庭とはどのような家庭か

 ①なぜ家庭が良いのか

 

 家庭とは、神様の理想が顕現し得る起点であり、人類の幸福が顕現する起点なのです。人間におけるすべてのことが果たされる場であり、神様においても、すべてが完成する場なのです。なぜ家庭が良いのでしょうか。それは、父母の愛を中心とした自由な活動の基地となるためです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-934)

(2022.5.10:写経奉献)

         

 神様を中心とした永遠の父母の愛、永遠の夫婦の愛、永遠の子女の愛、この三つの愛があるのが理想的家庭です。(90-201,1977.1.1)

            

 人は必ず家庭をもたなければなりません。家庭を中心に見れば、家庭には父母がいて、子供がいて、物質があります。旧約時代、新約時代、成約時代における縦的な歴史のすべてを、代わりに横的に展開できる実体とは何でしょうか。万物と子女と父母です。すなわち、父母と子女と、その所有物です。これらが、家庭という一つの囲いの中で必要とされるものです。(29-157,1970.2.27)

            

 統一教会の理想は、どこか別のところにあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です。いまだ、この問題を解決した者がいないので、それを願ってきました。
 そして、そこに幸福があるがゆえに、これを体系化し、天宙化して無限の価値を現したので、「統一主義」が公認されたのです。
 したがって、この主義を嫌う者がなく、皆が頭を下げて好むようになれば、世界は、自動的に統一されるのです。(26-103,1969.10.18)

            

 聖書66巻はすべて、理想的な家庭を願ったみ言です。
 また、万民が願うこととは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。「そうではない」と言う男性がいるとすれば、それは人ではありません。
 また、女性として生まれた者の一番の願いは、理想的な夫に出会うことです。女性は、たとえ博士になって世界に向かって大きなことを言ったとしても、その願いは、理想的な男性に出会うことです。愛し得る理想的な男性に出会って、福々しい息子、娘を生むことです。これが幸福の根本です。
 このように統一教会の教理を家庭に打ち込んであるので、これを取り除く者はいないのです。(26-103,1969.10.18)

            

 天国は、どこから成されるのでしょうか。私たちの家庭からできるのです。では、私たちの主義は、何主義でしょうか。家庭主義です。私たちの標榜する天宙主義とは、「天」という字に、家を意味する「宙」という字、すなわち天の家主義ということです。このように見れば、天宙主義という意味がはっきりするのです。(26-103,1969,10.18)

            

 家庭とは、小さな社会に立脚した小さな国家です。「小さな国家であり、小さな世界であり、小さな天宙だ」と言うことができます。ですから、家庭を離れては何もできません。このような家庭というものを教えてくれるので、統一教会は偉大だというのです。(24-230,1969.8.17)

            

 家庭は、万古不易(いつまでも変わらないこと)の起源であり、礎です。それは父親にも直すことはできず、兄弟にも直すことはできず、どの国のいかなる制度によっても直すことはできません。また、世界的にも直すことはできず、天と地も、神様にも直すことはできません。ですから、家庭というものには、「革命」という名詞が永遠に必要ないのです。(25-87,1969.9.30)

            

 人の一生の中で、最も重要な時とはいつかというと、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。それでは、生まれる時は、どのように生まれるべきでしょうか。正しく生まれなければなりません。私たち統一教会でいう、「心情の因縁」を中心として生まれなければなりません。次は、結婚する時です。結婚というのは、生きるためにするものです。すなわち、四位基台をつくるためにするのです。このような宇宙の公法を地球上に立てて初めて、神様のみ旨が果たされ、人間の志が果たされるのです。そのように、宇宙の法度が志向する内容を備え、その形態を整えるところが家庭です。(24-230,1969.8.17)

            

 世界は、家庭に倣ってできました。どんな世界もみなそうです。今後、理想世界は三位基台、家庭の三位基台を中心として成されなければなりません。それでは創造目的とは何でしょうか。四位基台を完成することです。人間がまず四位基台を完成しなければならないので、誰もがみな、家庭を築くのです。
 人間は神様に似ていて、人間を中心とした社会は、神様を中心として人間に似ているのです。統一教会の先生は、今、世界に統一教会を立てて、そうなるようにしています。世界が、すべてそうなるべきだと知っていながらも、それが表に現れてはいません。しかしながら、そのような原則を通して、世界は、そうなっていくのです。理想世界というものは、全世界が一人の人の形を形成する世界です。そこにおいては、国家と民族を超越するのです。(26-190,1969.10.25)

            

 家庭というのは、世界を縮小した横的な基盤です。ここから国家と世界が始まるのです。家庭とは何でしょうか。家庭とは、世界の横的な縮小体であり、絶対的な中心の前に相対的な基準です。では、私というのは何でしょうか。絶対的な中心が、とどまることのできる足場です。(26-258,1969.11.9)

            

 この世界を審判することのできる絶対的権限をもつものは、個体ではありません。真なる家庭です。サタンも、何を打ってくるのでしょうか。家庭を打ちます。それゆえ、家庭をもって一つとなれなければ破綻するのです。親子の間に、夫婦の間に、家庭全体に破綻をもたらすのです。そして、家庭をもったのに、その家庭が破綻したならば、その人の傷は、永遠にいやされないのです。その人をいくら慰めたとしても、どうにもならないのです。(30-85,1970.3.17)

            

 私たちは、神様の願う家庭を中心とした父母、夫婦、兄弟とならなければなりません。(24-306,1969.9.7)

            

なぜ、家庭が良いのでしょうか。家庭には、お互いに、自由に愛を授け受けできる基台があるからです。それゆえ、人は故郷を慕わしく思い、父母、兄弟のいる所を慕わしく思うのです。(38-328,1971.1.8)

            

 父親が喜べば、家庭全体が喜ぶのであり、妻が喜べば、家庭全体が喜ぶのであり、子供が喜んでも家庭全体が喜ぶのです。一時に宇宙全体が喜ぶことのできる場が、家庭というところなのです。(30-85,1970.3.17)

            

 心と体を収拾して完全な個人となり、夫婦が一つとなって完全な家庭を築かなければなりません。(30-246,1970.3.24)

            

 お母さんとお父さんが一つとなれば、その家庭は発展し、子供と親が一つとなれば、より次元の高い家庭へと発展することを知らなければなりません。それでは、家庭と親戚の間で一つとなればどうなるでしょうか。そこには、新しい民族正気がわき起こることでしょう。それがより高い次元に向かっていこうとするならば、すべて環境的に結束し、国家基準にまで忠臣の血統として残り得ることを忘れてはなりません。(74-313,1975.1.1)

            

 天国の家庭は、無理強いしてできるのではなく、喜びの中で自動的にできるのです。愛するときも、受けようとばかりするのではなく、互いに授け受ける作用をしてこそ、理想的な愛が成立するのです。(66-123,1973.4.18)

            

 幸福な家庭とは、夫が帰ってくれば、外であったことを妻と話し合い、新しく開拓し得る要因を発見する家庭です。互いに力を合わせて研究する家庭が、幸福な家庭だというのです。父母がそうなれば、子供たちもそこに加担して、「自分たちも、そのような家庭を築こう」と同調するようになるのです。(29-113,1970.2.25)

            

 真の家庭とは、妻を母親のように思って愛し、「ため」に生き、夫を父親のように思って愛し、「ため」に生き、妹と兄のようにお互いに愛し合う所です。さらには、自分の妻を神様のように愛し、自分の夫を神様のように愛し尊敬する世界が、理想家庭の暮らす天国です。そのような伝統が、この地球上に立てられなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-920)

 

 母親と父親は、愛なしには一つになることさえできないのです。皆さんは、なぜ愛が好きなのでしょうか。好まずとも、好まざるを得ないようになっているからです。両親が互いに愛し合う力が、自分のことを思う力よりも強ければ強いほど、理想的なのです。お母さんとお父さんを完全に一つに結びつけるものは、愛の綱です。鉄でできた綱は、時間がたてばさびついて切れてしまいますが、愛の綱は永遠です。また、親と子の間は、食べ物によっても、お金によっても結びつけることはできません。唯一、親子の関係は、愛でのみ結びつけることができます。(18-329,1967.8.13)

            

 革命の要素を加えることのできない、そのような礎の上にできた家庭は、いかなる主義や思想にも吸収されることはありません。むしろ主義や思想を支配し、凌駕します。そのような基準が立てられた家庭は、10年、100年、1000年たっても永遠に変わることはなく、民族と国家の形態が維持されるのです。(25-97,1969.9.30)

            

 愛のふろしきとは、どんなふろしきでしょうか。本郷の国へ行って、そのふろしきを開いてみると、理想的な夫が飛び出してくるし、理想的な妻が飛び出してきます。
 また、理想的な家庭が飛び出してくる福袋です。ここから出てくるものは、1等復帰です。ですから、個人も1等、家庭も1等、氏族も1等、民族も1等、国家も1等、世界も1等なのです。すべてが1等ならば、高い低いということはありません。ですから、兄弟も、家庭も復帰されるのです。このように統一的基盤を造成していくために、宝の壺である愛のふろしきが必要なのです。(19-295,1968.3.10)

 

 ②家庭において社会愛、民族愛、人類愛が芽生える

 

 神様を中心として一つとなるとき、千態万状の様相で回るようになるのです。それゆえ、兄弟の間で愛するときも、親が子を愛するのに倣って、兄が弟を愛さなければなりません。そのように愛して一元化した家庭には、家庭愛の花が咲きます。そして、これが社会愛にもなります。そしてさらには、これが民族を愛する民族愛となります。このように愛すれば、世界になるのです。ところが、今日それが漠然としているのです。(28-170,1970.1.11)

            

 子女の間の愛とは、どのようなものであるべきでしょうか。何を基準として愛さなければならないのでしょうか。お父さんとお母さんが愛するように、兄弟も愛さなければなりません。愛は、誰から学ぶかというと、両親から学ぶものなのです。(66-120,1973.4.18)

            

 理想的な愛は、家庭から生まれます。しかし、神様は、真の息子、娘をもつことができませんでした。真の兄弟をもつことができず、夫婦をもつことができず、また、父母となることができませんでした。それゆえ、それを成そうというのが神様のみ旨なのです。そのようなところであってこそ、愛がとどまるのです。そのような愛のある所には、人々がこの世のすべてを捨てて、やって来るのです。(19-314,1968.3.17)

            

 真の愛とは何でしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。愛は、互いに犠牲となる伝統が備わっていなければ、長く続くことなく壊れてしまうものです。父母は子供のために犠牲となるので、父母が子を愛する因縁は壊れることがないのです。
 そうして、真正なる父母の愛を受けて育った息子、娘であるならば、絶対に自分の父母に親不孝をすることはできないのです。また、夫は妻に、妻は夫に対して、「あなたは私のために生きた」という立場で、よりお互いのことを思い、より犠牲となる立場が広がれば、その家庭は恵みを受けるのです。そのような家庭が、神様の訪ねてこられる福地なのです。(43-323,1971.5.2)

            

 一つの家庭を中心として、最も良いものとは何かというと、皆さんの子女に結晶するものではありません。それでは、家庭における最高の価値とは何でしょうか。父母です。一人の個人を考えてみても、皆さんにとって権力や知識、あるいは名誉やお金も貴いものかもしれませんが、そのどれにも勝って良いものは、「父母」以外にはないのです。その次には、皆さんの妻や夫が良く、皆さんの子女が良いことでしょう。
 実際、皆さんの家庭において皆さんの父母や妻、そして子女よりも大切で価値あるものがあるでしょうか。ないのです。それでは、なぜ父母が良いのでしょうか。そしてまた、夫と妻、子女がどうして良いのでしょうか。「愛」があるからです。
 父母の愛、これは子供にとって絶対的に必要です。夫婦の愛、これは、夫と妻にとって絶対的に必要なものです。そして、兄弟の間の友愛や、子女が父母に対してもつ孝誠の心も、一つの家庭に絶対的に必要なものです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-915)

            

 皆さん、誰が、家で一番良いですか。お父さん、お母さんですね。なぜ父母が一番良いのでしょうか。愛を中心として一生の間関係を結べる、最も近い立場にあるからです。その次は、愛する夫と妻でしょう。その夫と妻の、ある条件的な愛ではなく、無条件の愛です。その愛が、絶対的に天によって与えられた永遠の愛と密接に関係した愛ではなかったとしても、夫婦間の相対的な関係において結ばれる愛であるとすれば、その家庭に幸福と和睦をもたらす最も良いものではないかと考えられます。
 その次は、父母に対する子女の愛、父母を思いやる子女の愛です。絶望ではなく、あすの希望として芽を出せる理想的な環境を慕いつつ、明るく肯定的な姿勢で子が親のために犠牲となり、愛することができるとすれば、その子女の愛は、その子の幸福のための、純粋で真実な価値をもつ愛となることでしょう。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-914)

 

 このように、父母の真の愛と夫婦の真の愛、そして子女の真の愛を完璧に具備した家庭があるとすれば、その家庭は、私たち人間世界で、最も理想的な家庭だといわざるを得ないでしょう。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-914)

            

 一つの家を考えたときに、その家の中心になる人とは誰でしょうか。年を取った方、すなわち、曾おじいさんがいるとするならは、その曾おじいさんが中心です。亡くなる時が近づいたからといって、家族がそのおじいさんを無視したとすれば、それは縦的な世界を無視するのと同じです。たとえぼけているとしても、その家庭の中心は曾おじいさんです。何か食べ物があれば、まずおじいさんに差し上げなければなりません。たとえお父さんがその国の大統領だとしても、先におじいさんに差し上げなければならないのです。なぜならば、息子は横的だからです。(34-242,1970.9.13)

            

 不幸は、どこから出発するのでしょうか。愛の安息所がなくなるところから始まるのです。幸福な家庭とは、その家の囲いとなる父母に仕えて生きる家庭です。そのような家庭は、上には天を代表する父母に侍り、横的には家庭を代表した他人同士がその因縁の愛を夫婦として結び、この夫婦が天倫の法度に従って、その代を継いで生きる家庭です。(19305,1968.3.10)

            

 家庭には必ず、父母がいなければならず、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の基台となるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様ご自身の幸福を模索するためであったに違いありません。それゆえ、神様ご自身が幸福の基台を求めようとしても、人間を離れたところにはそのような理想はあり得ないのです。人間と関係を結んでこそ、一致点をもたらせるのです。私たちが家庭において、情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはり、そのような立場で幸福を感じようとなさるのです。(32-198,1970.7.15)

            

 「これほどならば、天上天下にうらやむものはない」と幸福を謳歌する人がいたとしても、「そのような外的なことで幸福だ」と言うことはできません。幸福を求めるための条件にはなっても、幸福それ自体にはなり得ないのです。それでは、何が決定されれば幸福を感じられるのでしょうか。愛する父母がいて、夫婦がいて、子女がいなければなりません。このことは、誰にも否定することができません。その中の一つしかなければ、その人は、それに該当する比例的な悲しみを感じ、比例的な不満がその胸の中に残るのです。(21-140,1968.11.17)

            

 人間祖先を通じた神様の理想は、男性と女性が結合し、理想的な家庭を築くことでした。そうなれば、理想的な家庭の中心は男性でもなく、女性でもありません。家庭というのは、父母と子女、夫婦の結合による一つの結びつきなのですが、その結ばれたものの中心は、正に神様の愛です。神様の愛を中心として家庭を完成することが、神様のみ旨であるという結論になります。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-301)

            

 父母と子女、夫婦、そして兄弟姉妹が真の愛を中心として一つになることを願うのが、私たちの理想家庭です。ここから永遠の世界的平準化が始まることによって、地上天国が出発するのであり、天上天国も自動的にできるのです。(300-226,1999.3.14)

 

 神様は真の愛の本体なので、真の愛に連結されれば、みな同じ体になります。父母は神様に代わる、生きた神様であり、夫と妻は互いにもう一方の神様であり、息子、娘もまた、一つの小さな神様です。このように3代が、真の愛を中心とする家庭の組織が、天国の基盤です。そのような基盤を築かずしては、天国はできません。家庭というのは宇宙の中心です。家庭の完成は、宇宙の完成の基礎となるがゆえに、家庭において愛するがごとくに宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。その場合、神様は、宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の位置にいらっしゃるのです。(298-306,1999.1.17)

            

 神様を中心とした創造本然の家庭的基台には、男性の愛、女性の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛が、すべて含まれています。このような消化された立場で、父母を愛し、夫を愛し、息子、娘を愛すれば、誰でも天国生活をすることになるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-946)

 

「家和万事成」という言葉があります。家庭が平和であれば、万事がうまくいくという意味です。完成した家庭は、平和の家庭であり、それは天国の基礎です。家庭の原動力は、真の愛です。自分よりも神様を、そして相手を、生命のように愛するという純粋で美しい愛、それが真の愛です。神様は、この宇宙に、真の愛の力よりも強い力は創造されませんでした。真の愛は、神の愛です。(219-118,1991.8.28)

            

 人間は、父子の関係がなければならず、夫婦関係、兄弟関係がなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点になければなりません。その中心点は、一つです。上下、左右、前後の中心が異なるようではいけないのです。その中心点が違えば、上下、左右、前後関係の均衡がすべて崩れるのです。それで結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点までの7数になるのです。そのような7数を成すということは、すなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つとなって、そのすべてが完全に球形となり、調和し、統一された家庭になるということなのです。(287-21,1997.8.10)

(2022.5.11:写経奉献)


2)家庭は天国完成の基本単位

 ①家庭は地上・天上天国の礎石

 

 家庭から天国を成さなければならないのですが、イエス様も家庭を築くことができなかったので天国に行くことができず、楽園にいらっしゃるのです。楽園は、天国へ行くための待合室のような所です。地獄は、人間が堕落したがゆえに生じたものです。神様が始めからつくられたものではありません。(21-199,1968.11.20)

            

 四位基台は、地上天国と天上天国の礎石です。天国は、一人ではつくることができません。それゆえ、イエス様も一人でいてはいけないので、聖霊が降臨しなければならないのです。(13-67,1963.10.17)

            

 天国の起点は、個人でもなく、国家でもありません。家庭なのです。それゆえイエス様は、新郎新婦の因縁を求めてこの地に来られるのです。個人が天国の起点でしょうか。家庭が天国の起点なのです。(30-83,1970.3.17)

            

 家庭は、天国完成の基本単位です。天国は、一度行けば、帰りたくなくなり、10回、100回会ってもまた会いたい、そのようなお方のいらっしゃるところです。万民が共通にそこに行きたいと思い、そのお方に会いたいと思い、そのお方と共に生きたいと思うならば、世界は統一されることでしょう。そこを目指して進んでいるのが統一教会です。
 しかし、それは一度に成されるのではありません。まず、個人の基台ができ、次に家庭の基台ができ、民族、国家、世界へと順次、広がっていかなければならないのです。(12-180,1963.4.1)

            

 家庭天国は、男性と女性が完全に一つとなってこそ完成するのであり、個人天国は、体と心が完全に一つとなってこそ完成するのです。家庭天国は、神様のみ旨を中心として夫婦が一つとなり、子女と一つとならなければなりません。そのみ旨の目的は、万民のためのものです。そして、そのみ旨の中心は神様です。それゆえ、神様を中心として万民のために生きるところから、家庭天国が連結されるのです。神様のためだけに生きるのではなく、神様を中心として万民のために生きなければなりません。
 神様は、そのような家庭を探し求めていらっしゃるのです。世界が復帰されるときまで、そのような家庭を探し立てなければ、万民を救うことができず、万国を救うことができず、万家庭を救うことができないがゆえに、そのような家庭をつくるために祝福家庭を立てたということを、皆さんは知らなければなりません。(100-310,1978.10.22)

            

 統一教会の「原理」でいう四位基台とは、3代愛圏を意味するものです。3代が一つの家で暮らしながら愛によって和睦し、「幸福だ」と言うときに、天地創造の理想が実現されるのです。夫婦が愛すべきことはもちろんですが、子女たちを愛で祈祷してあげ、精誠の心で育ててあげてこそ家庭が和睦でき、幸福になるのです。これが縦的に成され、横的に連結されるとき完全な愛が完成するのです。いとこや、6親等のいとこまで、愛で一つとなって初めて愛の円形となり、完全なものとなります。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-947)

            

 私たちの家庭と、天国は、その形態が同じです。私たちの家には父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、兄弟がいます。私たちの家は、愛で一つになることができます。ここでは統一がなされ、生命が連結することができ、理想を実現することができます。ですから、皆さんが夫婦の愛を尊重することができ、父母の愛を尊重することができてこそ、天国へ行ける資格者となるのです。
 祖父母は父母の前に愛を相続し、父母は夫婦の前に愛を相続し、夫婦は子の前に愛を相続しています。ここで、どの愛一つを否定しても、天国は成り立ちません。夫婦同士で愛する以上に両親を愛し、自分の両親を愛する以上におばあさん、おじいさんを愛すべきだという結論になります。それが、天国の核心となり、理想的モットー(信条)となるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-946)

            

 神様の創造理想世界とは、どのような世界でしょうか。真の父母圏を通じて地上天国と天上天国が成される世界です。天国は、愛の基盤を通じてのみ成されます。堕落した世界には、真の父母の愛を受けたことのある人は、誰一人としていなく、現れた痕跡すらありません。霊界も同じです。真の父母の愛を受けて逝った者がいないからです。神様を中心とした創造本然の家庭的基台には、男性の愛、女性の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛がすべて入っています。このような消化された位置で、父母を愛し、夫を愛し、息子、娘を愛すれば、誰でも天国生活をするのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-946)

            

 天国は、どこにあるのでしょうか。空中から、どかんと落ちるのではなく、父親と母親、そして子供の間で授け受けるという生活的な舞台を育て、また、その中にあるすべての被造物を私たちの生活に利用し、私たちの理想の条件として利用する楽しさ、その楽しさを100パーセント享受し得る所が天国です。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-945)

            

 今後、先生は、家庭に関する規範、天国家庭としてもつべき、生活に関する規範を教えてあげなければならないと感じています。ところで、復帰の路程を歩んでいくべき人は、原理を中心として教えてくれる人がいるので、その人を通して教わらなければなりません。先生がそのような問題に、直接責任をとる時代は過ぎました。
 家庭一つ一つを中心として、再度、収拾しなければなりません。私たち統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を主としているのです。個人を主としてきたものを、家庭を主とするのです。(22-334,1969.5.11)

            

 み言の時代を経て、実体の時代を経て初めて、相逢(注:相まみえること)の日を迎えるのです。そして相逢の日を迎えてこそ、天国生活ができるのです。
 相逢の日には、相手の心が私の心であり、相手の心情が私の心情であり、相手の姿が私の姿であり、相手の困難は私の困難であり、相手の傷は私の傷として感じられる境地にまで入らなければなりません。そのような境地に入って相手の心も私の心であり、相手の心情も私の心情となってこそ、天国家庭ができるのです。それがこの地で完結されてこそ、天国家庭ができるのです。(19-251,1968.1.15)

            

 天国生活は、どこから始まるのでしょうか。家庭です。他の所から始まるのではありません。天国とは、家庭を立体的に拡大したものにすぎず、家庭圏を離れたものではないのです。それゆえ、皆さんは自分の妻や夫を抱くとき、それが世界の男性と女性が一つになることだと考えなければなりません。そのように、世界人類を愛したという条件を立てられる場が、すなわち家庭なのです。(30-83,1970.3.17)

            

 天国は、家庭を中心として成されます。家庭の家族として守るべき(誇り)を忘れてはなりません。(21-77,1968.10.20)

            

 これからは、私たち統一教会で礼拝を捧げるときも、説教の形式ではなく、報告の形式で行わなければなりません。報告の内容は、その家庭が誇ることのできるものでなければなりません。それゆえ、家庭全体で来て礼拝を捧げなければならないのです。そうして、良くやっている家庭を見ては見習い、そうでない家庭には、うまくいくように導いてあげなければならないのです。そうして家庭天国を建設しようというのです。まず家庭天国ができなければ、地上天国はできないということを、はっきりと知らなければなりません。(23-63,1969.5.11)

            

 今、私が教会を建てないのは、それなりの考えがあってのことです。教会に多くの人が必要ではないからです。天国は、教会からできるものではなく、家庭から始まるものです。家庭、すなわち新郎新婦から始まるのです。
 女性は男性に出会うために生まれ、男性は女性に出会うために生まれました。赤ん坊が眠りから覚めて、まず呼ぶのが「お母さん」です。赤ん坊が母親を呼ぶ以上に、夫は妻を呼ばなければなりません。そのように呼んだことのない人は、かわいそうな人です。また、妻も夫以上に、そのように呼ばなければなりません。お互いに、そのような夫婦として接しなければならないのです。琴瑟之和(注:夫婦の仲がごくむつまじいこと)の夫婦として、お互いにそのように呼び合って暮らさなければならないのです。
 そのように千年、万年暮らしたならば、老いても青春をうらやむということはないのです。今後、祝福家庭の夫婦が80歳の老人になったならば、先生が世界一周をさせてあげようと思います。(23-55,1969.5.11)

            

 昔、先生が統一教会を始めた時のように、友達が家に来れば、「自分の家よりもここのほうがいい。麦飯を食べたとしても、粥を食べたとしても、うちの御飯よりもおいしい。もう一晩だけ泊めてくれないか」と言う、そのような家庭を築きなさいというのです。
 訪ねてきた人、訪ねてきた友達がみな、自分の家を捨ててその家に来たいと思うような家庭になってこそ、その家庭は、天国の家庭となるのです。(16-328,1966.7.31)

            

 神の愛を中心として二人が一つとなってこそ、夫婦の天国ができます。一つとなったものは誰にも離すことはできず、分かれたり離れたりする心配はありません。皆さんは、どのような愛を見いだしましたか。神様の愛を見つけたとするならば、皆さんの心と体が完全に一つとなり、神様の愛がそこに臨在できなければなりません。そして夫婦の天国が生じ、家庭天国を成さなければなりません。お母さんとお父さんが完全に一つとなって愛し、その息子、娘も両親のように相手を得てこそ、家庭天国が実現するのです。父母がプラスとなり、息子、娘がマイナスになれば、家庭天国となるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-943)

            

 夫婦のうちで、男性はどうあるべきなのでしょうか。男性は、教会と関係をもたなければなりません。また女性は、物質と関係をもたなければなりません。環境的にはそのようになっていますが、家庭的にはどうでしょうか。父親と母親と息子、娘、この三者が一つとならなければなりません。そこから家庭天国が始まるのです。それゆえ、愛を中心とした天国を成すためには、四位基台を成さなければなりません。(26-101,1969.10.18)

 

 ②家庭は真の愛の訓練道場

 

 天宙主義というのは、体と心を合わせたのち、神様の愛の本体となる家庭を成し、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」の字は「家」という意味です。家の宙、ですから天宙主義という言葉を使うのです。天宙は、無形世界と実体世界を合わせたものです。それが私たちと、どのような関係があるのでしょうか。私たちには、家庭が必要です。皆さんが家庭で一つになれないとすれば、天宙主義とは関係がないのです。家庭が、天宙主義を完結するための最終基準なのです。そこで平和の歌を歌うことができず、幸福を賛美することのできない人は、地上でも、霊界へ行っても不幸な人となるのです。(26-190,1969.10.25)

            

 愛は永遠に続くものです。愛は、最高の願望なので、万民がもろ手を挙げて相続しようとします。その愛を残すことによって、霊界でも神様の前に堂々と進むことができます。そのような愛を完遂し得る所が家庭です。家庭を通して天国に行くということは、すなわち愛の一体圏ができるということです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-937)

            

 天があれば地があり、天と地があれば、これを象徴する男性と女性がいて当然です。それが立体的な面で一つとなり得る心情的な基準が、家庭です。その家庭は、目的世界のための絶対的な基準をもって突き進むことができます。そこから新しい歴史、新しい世界、新しい天宙の基盤が築かれるのです。(25-148,1969.10.3)

            

 家庭を中心として天宙主義を成さなければなりません。天宙とは、天と地を総合したものです。天と地は、人間における心と体のようなものです。心と体が一つにならなければなりません。一つの主体があれば一つの対象が必要であるように、一人の男性には一人の女性が必要なのです。男性と女性が一つとなるのが家庭です。(26-189,1969.10.25)

            

 一つの家庭は、社会の倫理的基盤であり、人間世界において最も手本となり、根源的で、一次的な組織です。そのような家庭において、「愛」が最善の価値基準になるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-930)

            

 人間の価値をどこに置くべきかといえば、理想世界に置くのではなく、理想の人に置かなければならないのです。ですから世界を愛そうとするならば、人を愛さなければならないのです。どのように愛するかというと、男性(夫)が女性(妻)を愛するように、女性(妻)が男性(夫)を愛するように、愛さなければならないのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-929)

            

 神様の息子になろうとすれば、神様の心情に似なければなりません。神の心情は、世界に植えられています。
 ですから、世界の人を愛さなければなりません。距離が離れている関係で愛せないというならば、その国を愛し、氏族を愛し、家庭を愛し、父母を愛さなければなりません。なぜなら、父母は神様、夫婦はアダムとエバ、子女は世界の人類を代表した立場にあるからです。(24-308,1969.9.7)

            

 理想世界とは、どのようなものでしょうか。理想的となるには、単色よりも色とりどりなのが理想的です。そのような意味から考えると、五色の人種が一つとなって暮らすのが理想的でしょうか、五色の人種が別々に暮らすのが理想的でしょうか。みな一緒に1箇所で交わって暮らすのが理想的です。
 ですから、そうなっていないとすれば、直さなければなりません。レバレンド・ムーンが現れてそれを直すのを、神様は嫌がるでしょうか、喜ぶでしょうか。神様は、そのような人を後援しようとするのです。ですから皆さんは、神様のような心をもって、その父母の伝統を継承して人類を愛する天の家庭的なこの心情の絆を、いかにして拡大するかということに力を注がなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-928)

 

 この中で、年を取ったおばあさん、おじいさんが好きだという人は手を挙げてみてください。それでは、好きではないという人、手を挙げてみてください。手を挙げない人が多いです。皆さんに500歳になるおばあさん、おじいさんを任せたとすればどうしますか。それでもよいですか。年が多ければ多いほど好きだという人は、神様のことが好きな人、ということになるのです。
 なぜかというと、この世界で最も年を取ったおじいさんが、神様だからです。ですから神様を愛する人であるならば、その中にいる年を取っていないおじいさん、おじさん、息子を問わず、みな愛さなければなりません。
 すなわち、神様の家庭を愛さなければなりません。神様の家庭には、日本人でも韓国人でもアメリカ人でも、どの国の人でもみな入っているのです。人種差別をする人は、神様の家庭を愛していない人だということになるのです。その差別がなくなってこそ、理想世界なのではないでしょうか。
 もし父母の愛を受けている子女が、外でお父さん、お母さんのような人に出会ったならば、その人にとても親近感を感じ、話をして、助けになりたいと思うことでしょう。
 また、兄弟姉妹の間で美しい絆をもった人が社会に出れば、周りの人とより親密な関係を保ち、うまく交わることでしょう。自分の兄弟姉妹と仲の良い人が外に出て異性と交際するときも、ごく自然に交際することでしょう。肉欲的、あるいは不健全な感情をもつことなく、兄弟姉妹のような感情をもつようになります。地上天国とは、神様を中心として、そのような関係を経験できる家庭をいうのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-927)

            

 健全な家庭生活とは、祖父母、父母、子女が共に生活することです。もし、一つの世代が欠けているとすれば、その家庭は、体の不自由な人間のようなものです。そこで理想家庭を成すならば、その家庭は、地上天国を築く煉瓦として奉仕しなければなりません。
 私たちは、その理想家庭を地上に築くべき使命をもっています。祖父母の深い愛を享有する子女が社会に出れば、例えばその人がニューヨークの街に行けば、お年寄りにとても親近感をもつのであり、お年寄りはその人に対し、自分の孫のごとくに接することでしょう。とにかく、お互いに話をしたいと思うし、親近感を感じることでしょう。家庭で祖父母に仕えたことのある若者は、助けが必要なお年寄りを見ると、走っていってでも助けてあげることでしょう。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-927)

            

 父母、夫婦、子女で形成された家庭は、世界の縮小体です。家庭的愛を拡大してすべての人を愛するのが、人類の生きていくべき道であることを知らなければなりません。
 年を取った人は自分のおじいさん、おばあさんのように、中年の人は自分のお父さん、お母さんのように、自分より少し年上のような人はお兄さん、お姉さんのように、年下に見える人は弟妹のように思って愛さなければなりません。
 ですから真の人というのは、自分の父母と年の似通った人は親のように思い、お兄さんと年の近い人はお兄さんのように思い、お姉さんと年の近い人はお姉さんのように思うというように、すべて自分の家族のように思い、すべての世界的な障壁と境界線を超越して人類を愛し得る心情をもった人のことです。そうしてこそ、本当の意味で父親、母親を愛し得る資格をもつことになるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-926)

            

 皆さんはどこへ行っても、すべての人を他人ではないと思わなければなりません。皆さんの家族だと思わなければなりません。お年寄りを見れば自分の親のように思い、その人に悲しいことがあれば、その人を抱いて痛哭し得る心を常にもたなければなりません。(16-314,1966.7.31)

            

 真なる家庭は、自分の母のように妻を愛して「ため」に生きながら、自分の父のように夫のために生きて愛しながら、兄と妹のように互いを愛する所です。その次には、神様のように自分の妻を愛し、神様のように自分の夫を愛し、尊敬する世界が、理想世界が生きる天国です。このような伝統が、この地球上に立てられなければなりません。
 自分の妹やお兄さんを捨てることはできません。自分の母親も捨てることはできません。誰も捨てることはできません。ですから、離婚ということはあり得ません。夫は父親に代わり、兄に代わるものなので、父親を捨てることはできず、兄を捨てることはできないので、妻も夫を捨てることはできません。そのような愛を抱いて、世界を愛さなければなりません。父親と同じような年の人を見れば、父親のごとくに愛し、母親と同じような年の人は、母親のごとくに愛さなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-926)

            

 皆さん、家庭がなぜ良いのでしょうか。それは、父母の愛を中心として自由な活動の基地となるからです。同じように、神様が自由に活動できなければなりません。いくら、見た目にはみすぼらしくても、輝く愛の核をもつ、そのような内的な人間から成る社会となったならば、神様は自由なのです。皆さん、そうではありませんか。人の家に客として行けば、何か不自然です。なぜでしょうか。それは愛の因縁がないからです。愛の因縁に四方性が備わっていないので、ぎこちないのです。ですから私たちの行くべき道は、人格の道です。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-925)

            

 統一教会では、天国は氏族圏の中からできると見るのです。おじいさんを中心として父母と兄弟が一つとなり、いとことその子供まで一つに結ばれれば、完全な3代ができます。このような氏族圏の愛が地に立てられ、神様と一つとなったならば、世界はすべて神様と一致する愛の世界となり、天国となるのです。女性が嫁に行っても同じです。婚家のおばあさんとおじいさんは、神様に代わる位置にあり、夫に代わる位置にあるので、愛をもって仕えなければなりません。
 また、夫の兄弟姉妹とも、愛によってむつまじく暮らさなければなりません。そのような愛の関係が社会に拡大し、民族と国家、世界に拡大するならば、この世界は、罪悪と戦争に代わって、平和と愛に満ちるようになります。そうなれば、その世界こそが神様の理想が実現した一つの天国であり、理想世界なのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-947)

            

 この宇宙の中心は、どこにあるのでしょうか。家庭にあります。真の愛が定着し得る基地とは、どこでしょうか。皆さんの生きている、皆さんの家庭だというのです。それゆえ、本来の家庭は宇宙愛を掌握し、宇宙の保護様相を体得しながら宇宙愛圏を拡大して、家庭を越えて国家を愛する愛国の道を行くべきであり、さらに民族と国家を越えて世界を愛する道を行かなければなりません。
 家庭を愛する人を「孝子」あるいは「烈女」と言い、国を愛する人を「愛国者」と言うならば、世界を愛する人を何と言うのでしょうか。そのような人のことを「聖人」と言うのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-925)

            

 神様は、家庭の中心となるお方であり、この世界は、神様の国とならなければなりません。祝福家庭は、神の国を連結し得る家庭となるように努力する生活をしなければなりません。神様に代わって「ため」に生きる生活をするところから氏族が生まれ、民族が生まれ、国家が形成され、世界が形成されます。ですから家庭は、神様を中心とした世界を形成する責任を果たさなければなりません。
 先生を中心とした統一教会は、一つの氏族のようなものであり、一つの民族のようなものです。五色の人種が合わさって単一民族を形成し、誰よりも世界のために生きる国家を形成するのが、統一教会の目的です。それが先生の目的であり、神様が先生を通して果たそうとされる目的です。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-947)

 

 家庭というのは、人類愛を教育する代表的な修練所です。心情の中心を立てる、代表的な広場です。そこで互いに信頼し、幸福な生活を営むならば、全宇宙の中心として立ち、幸福を享受するようになるのです。それが理想圏の始まりです。愛なしには、存在する意味は何もありません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-925)

            

 家庭は、天国を成すための教材としてつくられたものです。おじいさんのような年格好の人を自分のおじいさんのように愛するならば、その人は天国へ行くようになっています。自分の親と同年輩の人を、自分の親のように愛するならば、万国共同で、霊界でも境界線が生じません。
 息子、娘と同じような年のアメリカの若者を、自分の息子、娘だと思える心さえもっていれば、天国のどこへでも行くことができます。天国には12の門があり、方向があるのですが、どこへでも通じるのです。家庭というのは、天国全体に因縁を結ばせる教材です。すなわちテキストブックだということです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-924)

 

 家庭において父母は、縦的な軸を完全に継承し、そこに合わせなければなりません。次に夫婦は、軸に対して横的に90度の角度に合わせなければなりません。その基準は、国家においても同じです。愛の軸の位置は一つしかありません。
 それゆえ、その軸を中心として、家庭は小さいのですが、氏族、民族、国家、世界へとだんだん大きくなります。愛の軸を中心として拡大するようになっています。拡大、縮小の因縁関係をすべて四方に拡大するところから理想圏が生じるのです。ですから今、世界を一つにするために私のしていることは、軸を正すことです。
 ですから方向を設定するためには、思想的王子の立場を占領しなければなりません。占領するにおいて、強制ではなく、愛で消化しなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-924)

            

 皆さんの家庭は、天国の主権を代表(身代わり)した立場にあることを知らなければなりません。父母は主権を代表し、子女は国民を代表し、物質はその国の地を代表したものなので、父母に孝行することが、国に忠誠を尽くすことであり、父母に孝行することが、聖人の道理を果たす道に通じるのです。今、家庭がありとあらゆる醜態の起源となっていますが、神様は家庭が聖なる基台となることを願っていらっしゃいます。
 それゆえ、堕落圏内にある腐敗した家庭を収拾すべき使命が、私たちにあるのです。この地の家庭は破損していますが、その家庭を否定し得ない立場にあることを知らなければなりません。(35-306,1970.10.30)

(2022.5.12:写経奉献)


3)真の家庭の理想と価値

 ①真の父母、真の夫婦、真の人

 

 神様は人間にとって、真の愛をもった縦的な父母です。その縦的な垂直関係というものは、一つしかありません。絶対的です。二つとあり得ません。その縦的父母だけをそのまま置いたのでは倒れてしまいます。ですから横的父母を探し立てて連結しなければなりません。それを詳しく説明するならば、創造主は真の愛の縦的父母であり、創造されたアダムとエバは、子の立場でありながら神様の体である横的な父母の立場に立ちます。それらが内外一つとなることによって、内外の共鳴体となって授受作用をすれば、中心が生じると同時に、その内外の共鳴圏の中心が植えつけられるのです。それが、皆さんの生まれた生命の根源です。(183-40,1988.10.29)

            

 縦的な父として一つとなった中に、横的な父が必要です。なぜでしょうか。球形を成さなければならないからです。球形を成そうとするときに、そのままで球形になることはありません。必ず垂直を中心として、また横的なものを中心として、前後、左右が連結されて初めて球形ができるのです。球形を成し、勝手には動き回らなくなるのです。
 宇宙は軸を中心として、この宇宙の大軸の前に相対として編成された立場で、軸を中心として回るのです。それゆえ、同位圏に立っているのです。そして、この宇宙の神の創造的真の愛というのは、一つです。軸は、一つです。二つではありません。(182-143,1988.10.16)

            

 既成の神学では、創造主は聖なるものであり、被造物は俗なるものとされています。被造物を罪人扱いしたのです。しかし、それは間違って理解しているというのです。神様がなぜ創造をしたかというと、愛のゆえです。
 神様が縦的な愛の主人であるとすれば、縦的な神様の愛をもったそのお方が子女を生んだとすれば、長い1本の筋にしかならないのです。それをいかにして横的に展開するのでしょうか。それゆえ、子を生むのは神様がするのではないのです。真の父母を通して生むのです。横的な真の愛の父母の位置に立ったお方が誰かというと、真の父母です。神様の縦的な愛を中心とした真の父母の前に、90度の角度にある横的な愛をもったお方が真の父母なのです。
 それゆえ、二つの父母の愛が必要なのです。一つは創造主としての父母であり、一つは被造物としての、神様がその対象として理想を描きながらお造りになった体的な父母です。それゆえ、神様は心的な父母の立場にあり、真の父母は体的な父母の立場にあります。このように、縦的な愛と横的な愛を中心として生まれるべきだったのが人間です。(182-258,1988.10.23)

            

 なぜ子女を生まなければならないのでしょうか。神様がアダムとエバを喜びをもって創造した、その内容を体恤させるためなのです。それゆえ、息子、娘を生んだことのない人は、父母というのが分からず、夫のことが分からず、妻のことが分からないということになるのです。過去と現在において愛したけれども、未来を開くことができないのです。おじいさん、おばあさんは過去の時代を代表し、お母さん、お父さんは現在の時代を代表し、息子、娘は未来の時代を代表するのですが、この三つが一つとなれる所が家庭だということです。(216-192,1991.3.31)

            

 エバは神様の外的新婦です。それでは、神はなぜ、アダムとエバを創造したのでしょうか。それは、繁殖のために創造したのです。子孫を殖やすために創造したのです。子孫を繁殖してどうするというのでしょうか。それは、天国の国民を莫大な人数に増やすためなのです。霊界に行っても繁殖が可能でしょうか。絶対に不可能です。なぜならば、神様の愛は垂直的なので、たった一点しかありません。神様の愛は、一点に立つ垂直的な道を降りてくるのですが、垂直には繁殖の道がありません。
 それでは、なぜ繁殖の横的な基準であり、愛の基台であるアダムとエバを創造したのでしょうか。それは水平なので、東西に回るようになるからです。180度の平面圏は、無限に存在するのです。ですから繁殖は、すべての方面で可能なのです。膨大な平面圏において繁殖させた者たちを霊界に連れていって、天国の国民にするのです。永遠な国民をつくるために繁殖が必要なのです。しかし、その生産地は地上です。男性、女性の体を借りてできるのであり、霊界では子女を生むことはできません。(213-265,1991.1.21)

            

 天国の民は、霊界で生まれるのではありません。神様は何ゆえに実体を創造したのでしょうか。天国の民を繁殖させるためなのです。実体でなければ繁殖できません。縦的な愛には一点しかありません。横的な基準を中心として回ることによって360度の球形体が生じるのです。その球形体には、定着し得る空間がいくらでもあります。ですからその息子、娘が地上に生まれるようになっているのです。その息子、娘がたくさん生まれるということは、不幸なことではありません。
 地上で多くの息子、娘を生むということは、天上世界における天国の民をたくさん繁殖するということになります。神様が願うのは、限りない世界です。広大な世界に空いた所があってはなりません。それを、すべて埋められる民が必要なのです。(218-130,1991.7.14)

            

 原点は何でしょうか。真の父母権、真の王権、真の長子権です。それが、アダムとエバが出発すべき原点だったのです。それが、神様の本宮です。そこに神様の王宮があるのです。神様の王宮がそこにあり、神様の愛がそこにあります。人間と創造主、被造物と創造主が一つに結ばれて、真の愛の基盤となるのです。その出発点が神様のセンターです。それが、完成した本然のアダムの家庭基盤であり、神様が永遠に臨在できる王宮です。(218-189,1991.7.28)

            

 私たち人間が寝て、朝、目覚めたときに願うこととは何でしょうか。朝、起きて朝食を取るのが問題ではなく、出掛けていって働くのが問題ではなく、世界のことを心配するのが問題ではありません。夜も昼も、春夏秋冬、変わることなく、一生変わることなく愛の心をもつことを願うのです。そのような男性、そのような女性が完全に水平線を成して、縦的な神様に完全に90度の角度で連結され、人情と天情が合わさり得る、そのような立場における愛、そこに結合し得る愛の理想の境地、そのために神様は、天地を創造されたのです。(213-157,1991.1.20)

            

 私が生まれる時に、何を動員して生まれたのでしょうか。本来、創造理想である神様の愛を中心として愛を通して造られた実体である、母親と父親の生命が激動して、完全に100パーセント沸き立ち、一つになって生まれました。これを煮え立たせたのは何でしょうか。愛を通して男性と女性が完全に和合するのです。細胞が完全に沸き立って、その父母の愛を根拠とした生命と血統、血を受け継いで私が生まれたのです。それゆえ、私という存在は何かというと、父母の愛の結実です。私は両親の愛の結実だということです。(213-157,1991.1.20)

            

 神様の創造原則において、女性が生まれたのは男性のためであり、男性は女性のために生まれたという根本を知らなければなりません。互いのために生まれたのですから、その中心は何かというと相手です。自分ではありません。男性にとっては女性が中心であり、女性には男性が中心なのです。自分によって生まれたのではありません。自分から出発したのではありません。
 なぜ神様が創造したかというときに、「愛のゆえに創造した」と聞いたならば、宇宙がどれほど平和になり、どれほど近く感じられることでしょうか。つまり、神様の絶対的愛をもっているのですから、その相対は、永生するのです。それが最も貴いことなのです。(215-300,1991.2.21)

            

 神様が天地を創造したように万物が結婚するならば、どれほど美しいことでしょうか。万物も、自分のように愛を通して生きているということを見るときに、神様が創造のあらゆる根源的な感覚を再現し、すべての万物と共に、その相対と共に統一的感情を感じられるもの、それが愛なのです。
 神様が創造するときの根源的なものを感じるのです。天地の万物を造るときに神様が感じたすべての理想型を、私は何もかも受け継いだ被造物だというのです。真の愛をもって引きつければ、天地がすべて引かれてくるのです。いくら遠いものでも真の愛が引けば引かれてくるし、いくら近い所にあったものでも、遠くに見えるようにしようとすれば、真の愛によって遠くに行かせられるのです。(216-192,1991.3.31)

            

 絶対的な神様の一つの文化世界において生まれる息子、娘は、王子であり、王女です。神様の王宮における王子と王女は、人間です。そこは、創造主、神様を中心とした王宮です。王の中の王である創造主を中心とした皇族が、私たちなのです。(218-198,1991.7.28)

            

 男女の生殖器官は、創造主から受け継ぎ、先祖から受け継いだ、変わらずにそっくりそのまま連結された礼物です。神様も侵犯なさらない貴い礼物です。先代も背くことのできない貴い礼物です。これを侵犯する者は、天理の大道の中心である愛の本宮を破綻させる悪魔の血肉です。純粋な、本質としての永遠の真の愛を中心とした、その基台の上に生まれたのが、生命の本宮です。また、新しい血統の本源の地です。生殖器は何ゆえに生じたのですか。天地の大道のために、天地の大摂理的経綸のために、私に与えられたものです。(193-147,1989.10.3)

            

 神様が創造するときに、生殖器を表象して男性と女性を造り始めました。それゆえ生殖器を動かすところには、人間全体の構成要素がすべてついているのです。ですから男性と女性が愛して、その二人が一つとなって子を生むのです。一つとなって生むということはどういうことですか。何に似るのでしょうか。神経系統がすべてついているので、従ってくるのです。根がないのに枝が出てくるでしょうか。それを否定することはできません。
 それゆえ愛が激動するときには、体と心が一つとなるのが原則です。これは理論的です。では、愛を代々に連結できるところ、その生命を代々に連結できるところ、自分の血統を自分の子に代々連結できる、その器官とは何でしょうか。それは男性、女性の生殖器官です。
 それでは、愛が貴いか、生命が貴いか、それが問題となります。このごろ、心が先だとか、体が先だとか、唯物理論の哲学思潮が入って世界で問題になっているように、愛が先か、生命が先か、これが問題です。どちらが先でしょうか。先か後かを明らかにしなければなりません。愛が先です。
 神様が創造理想を立てるとき、神様を中心として立てたのではありません。愛を中心として立てたがゆえに、相対世界の創造を始めたのです。これは理論にかなっています。(193-145,1989.10.3)

            

 男性と女性はどこから来たのでしょうか。創造主がいるとするならば、創造主から始まったことでしょう。そうだとすれば、その創造主が男性と女性を造った目的は何でしょうか。何ゆえに造ったのでしょうか。なぜ造ったのでしょうか。愛のゆえに造ったのです。どんな愛でしょうか。真なる愛です。真なる愛とはいったい何でしょうか。真の愛とは、永遠で、変わらない愛のことをいいます。たとえ時代が変遷し、いくら環境が変わっても、その愛は変わらないのです。
 その本質において唯一で永遠、不変性をもった真の愛の理想を果たすために、男性と女性を造ったのです。それは人間を中心として創造したのではありません。根となる神様を中心として創造が始まったのです。それゆえ、この被造世界は、すべて愛ゆえに生じたと考えられるのです。(213-156,1991.1.20)

 

 真の愛によって成熟した真の家庭は、神様の愛の巣です。(173-166,1988.2.14)

            

 神様の恨とは何かというと、子女を教育できなかったことであり、兄弟を教育できなかったことであり、夫婦を教育できなかったことであり、父母となるための教育ができなかったことです。(228-34,1992.3.1)

 

 ②真の家庭の理想と価値

 

 四大心情圏と三大王権を復帰して、皇族の愛をもっていくべき祖国が天国です。死んでみれば分かります。いくら偉い人でも、みなそこに引っ掛かります。その時になって、「文総裁の言うことを聞けばよかった!」と後悔するのではなく、早く決めて祝福を受ければよいのです。それが最も早い解決方法です。(239-76,1992.11.23)

            

 四大心情圏と三大王権をサタンが蹂躙したのです。天の国を破壊し、未来世界を破壊して、三世界の王権を破壊しました。それゆえ、私たちが天国に行くには、四大心情圏の完成実体となり三大王権をもった愛の王子、王女の基準で、皇族の愛を受ける人とならなければなりません。そのような人が天国に行くことは元亨利貞(注:事物の根本となる道理)です。(239-74,1992.11.23)

            

 堕落によってこれを一遍に失ったので、その本体に会えば、娘の心情を感じ、妹の心情を感じるのです。そのように新婦の心情を感じ、母の心情を感じ、新しい息子、娘の心情までも感じるようになるのです。ですから先生を見ると、自分の子女にしたいという思いになるのです。そのような心情圏を回復することにより、善悪を判断し、天の側に帰ることにより、すべてが解怨成就するのです。心がそのように作用するのです。それは、どうすることもできません。
 皆さんは、愛の家庭をもたなければなりません。神様の愛の圏で完全に統一された王族、天国の王子、王女の王族圏を中心として、愛の体験をした皇族の行く所が天国であることを知るべきです。アーメン。皆さんが生きている間、この原則を中心として合わせなければなりません。あの世へ行っても、これに合わせるために身もだえしなければならないのです。ですから私は一生の間、他のことを考えたことがありません。(238-262,1992.11.22)

 

 皆さんは家に帰り、おじいさん、おばあさんを神様のように思って侍らなければなりません。お母さん、お父さんを家庭の中心である王のように、王妃のように侍らなければなりません。そのお父さん、お母さんの息子、娘として、私は王子、王女の道理を受け継いで育ち、未来の王権を伝授されて世界を導いていくべき王子、王女なのです。
 今後、統一教会員は、そのような考えを中心として、そのような愛の秩序に拍子を合わせていかなければならないのです。そのような家庭の父母となり、そのような家庭のおばあさんとなり、そのような家庭のおじいさん、そのような家庭の息子となるときには、そのまま天国へ行くのです。そのような天国の皇族の愛を体験した人の行く所が、天国なのです。(221-309,1991.10.26)

            

 私たち統一教会の信徒同士は、自分の兄弟よりも近いのです。そのように今後、世界は、前後の世界が一つとなり、その次には夫婦が一つとなり、左右の世界が一つとならなければなりません。上下、前後、左右が一つとならなければなりません。上下は子としての道理、前後は兄弟としての道理、左右は夫婦としての道理、そのようにして完成すれば、霊界の神様の位置に上がって神様化するのです。
 神様へと帰っていくのは、真の愛だけにできることだ、ということを知らなければなりません。他のものではできません。真の家庭とは、このような公式的基準で訓練された、完成したアダム家庭を拡大したものなので、この世界を拡大すれば、東西が一つとなり、男性と女性が一つとなるのと同じことです。男性を中心として、主体を中心として相対が一つとなり、前後が一つとなり、上下が一つとならなければならないのです。そうなることによって、一つの世界が、間違いなく原理的な内容を中心として、真の愛によってすべてのものが完成し、完結するでしょう! アーメン!(222-321,1991.11.6)

            

 今日の人生の行路は、旅人の航路なのですが、そこで備えるべきものとは何でしょうか。愛を体恤していかなければならないのです。父母の愛をよく受けられなかったことが堕落なので、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の息子、娘の愛を中心として、縦的な家庭を築き、横的な環境を、東西南北にたくさんの家庭を広めなければなりません。そして、それらが縦横を連結できる真の家庭の形態を成して、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏へと連結するとき、愛で結ばれたその世界のことを、すなわち天国というのです。(139-212,1986.1.31)

            

 子女の愛、兄弟の愛、父母の愛を拡大しなければならないのです。拡大してそれが公式化され、広がることによって、縦的な国と、横的な国を受け継いだ天地の完成的家庭となるのです。神様の内的な心情と、アダムとエバの外的な実体のすべてを体験し得る家庭的な生活をした人が、天国の皇族圏に属するのです。簡単なことです。先生の言うことに間違いはありません。(240-17,1992.12.11)

            

 真の父母の愛、真の師の愛、真の主人の愛です。この三大主体思想の中心の位置は、一つです。真の家庭の父母を中心として一つです。先生も、夜になれば家に帰ります。大統領でも、夜になれば家に帰らなければなりません。それゆえ、父母の愛を中心として父母の代わりに教育するところが学校であり、父母の代わりに父母の愛で国を治める者が大統領なのです。(213-124,1991.1.16)

            

 真の愛とは、どのようなものでしょうか。自分の理想を投入して忘れるのが、真の愛です。愛国とは何でしょうか。自分の命を投入して忘れることです。真の夫とは、自分の妻のために自分の命を投入し、また投入しても、永遠に投入しようという人です。そのような立場に立つのが真の夫の行く道であり、真の妻の行く道であり、真の息子の行く道であり、真の兄弟の行く道であり、真の父母の行く道であり、真の家庭の行く道なのです。おじいさんがそうであり、おばあさんがそうであり、お母さん、お父さんがそうであり、自分の夫、妻がそうであり、息子、娘がそうであるという家庭は、神様に「来ないで下さい」と言っても、自動的に来ていらっしゃるのです。なぜでしょうか。神様に似ているからです。(240-17,1992.12.11)

            

 お金がたくさん必要なのではありません。お金というものは流れていってしまうものです。知識というものも流れていってしまいます。すべては流れていってしまいます。しかし、真の愛を中心とした真の家庭の伝統だけは、霊界にまで永遠に残るのです。それが最も貴いものなのです。(215-160,1991.2.17)

            

 アダムとエバが、息子から兄弟、夫婦、父母にまでなったとすれば、アダムの息子、娘たちもそうなったことでしょう。しかし、アダムの息子、娘は、神様の愛の圏内にまで至ることができませんでした。堕落していないアダムの息子、娘となったならば、すべてが横的に結ばれる地上天国ができたのですが、縦横が連結されなかったので、天国はできなかったのです。ですから、二つの国を受け継がなければならないのです。息子、娘は、二つの国を受け継がなければなりません。
 天の国と地上の国、縦的な国と横的な国、縦的な父母と横的な父母の血統を受け継いだので、縦的な父母の内的なものすべてと、横的な父母の内外のすべてを伝授されるのが息子、娘なのです。皇族というのは、二つの国を受け継いだ生活を実際にするのです。皇族になれば、二つの国でいつでも受け入れられる、そのような完成的な基盤の上に立つのです。(240-17,1992.12.11)

            

 父母の愛は、全世界の男性圏、女性圏を代表した花であると同時に、香りとなり、実の基準となるものです。代表なのです。母親と父親は、人類の女性と男性を代表した存在なのです。では、自分の息子、娘は何でしょうか。後代に数千万の人類が生じ得る、そのような子孫の代表者なのです。
 ですからこの三者が一度に神様の愛と化して、下の者が上の者のために、上の者が下の者のために生きる愛になるのです。自分のためというのではありません。神様の創造本性とは、「ため」に生きるということです。(214-270,1991.2.3)

            

 おじいさん、おばあさんは神様の代わりとなり、母親、父親は世界の大統領の代わりとなり、その息子、娘は、天国の王の息子、娘のように王子、王女として生きるのが家庭の理想であり、創造主であられる神様の愛の本来的な家庭です。家庭は天国の王宮であり、その構成員は天国の王族を代表するものです。おじいさんは神様から見れば、王子、王女の代表です。
 皆さんの両親は、すべての国家、世界の王子、王女の代表です。そうではないでしょうか。誰もがそのような欲心をもっていますね。同じなのです。子供は、未来の全宇宙の王子、王女の代表です。これほど価値ある場の中心が、私たちの家庭です。本当に誇るべきことです。そのような素晴らしい理論の基盤の上に私たちが立っているというのは、本当に貴いことなのです。
 「私は神様を誇ります」と、皆さんがそう言えば、もちろん神様も同じです。「私は中心家庭として、理想的夫婦の代表的な家庭であることを自負しています」と言うことができれば、すべてが、未来のすべての万物までもが歓迎するのです。そのような価値ある家庭、歴史的家庭の背後を知っていますか。それは神様の創造された理想家庭の組織です。皆さんが、その立場に出なければならないのです。神様は、おじいさんの立場です。その立場に立てば、誰もがその前で敬拝するのです。(216-299,1991.4.14)

            

 おじいさんを愛し、おじいさんを尊敬するということは、過去をすべて受け継いで、過去の世を学ぶことです。父親からは現在を学ぶのであり、子女を愛するということ、子女を大切に思うことは、未来を学んでいくことです。おばあさん、おじいさんを通して、お母さん、お父さんを通して何を受け継ぐのか、どんな血統を受け継ぐのかというと、真の愛です。真の愛を受け継ぐのです。
 おじいさん、おばあさんが年を取っていても、二人が真の愛で一つとなっていて、お母さん、お父さんが一つとなっているので、私たちもそのようになり、未来を受け継ごうというのです。未来を受け継ぐためには、絶対に真の家庭とならなければなりません。そうならなければ未来を受け継ぐことができない、ということを知らなければなりません。
 家庭の中にこの三者がいるならば、それは宇宙があるようなものです。宇宙の愛は、神様からの歴史全体、現在と未来を代表した真の家庭にあるのです。真の家庭でおばあさんを愛し、お母さんを愛し、お姉さんを愛するのです。動物の世界を見ても、雌を愛し、雄を愛するというように、すべてがそうなっているのです。
 それはなぜかというと、宇宙の愛を学ぶ教科書だからです。おばあさんがいなければ不安定なのです。おじいさんがいなくても不安定で、誰かほかの方がいなくても同じです。そのようになってこそ、そのまま天国に移っていくのです。祖父母、母、父、子女がそのまま天国へ行くのです。
 真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国へ行くのです。その模型の教科書が家庭です。そう考え、神様を考えると、永遠の未来になるのです。神様を愛しながら「私の愛は未来のために行く」というとき、永遠の未来となるのです。(162-140,1987.4.5)

 

4)天国は家庭単位で行く所

 

 家庭は国の中にあり、国は世界、世界は宇宙の中にあるので、家庭や世界を捨てたとしても、神様のために愛したとすれば、すべてを愛したという位置に立つのです。
 ですから統一教会の皆さんは、世界のために生き、神様のために生きるべきなのです。皆さんが先生のことを好きだというくらい、世界を愛し、人類を愛したとすれば、天国へ行くことができるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-954)

            

 父なる神様というように、神様は親です。本来、堕落しなかったならば、アダムとエバが父母であると同時に、国の王となるのです。天国の王になるのです。宇宙の王になるのです。ですから愛する孝子は、天国へ行けるというのです。愛する忠臣と孝子は、天国へ行けるということです。
 夫を神様のように、主のように、王のように思って仕え、真の愛をもって生きる人は、天国へ行けるのです。父母を愛し、その国と世界を愛することなくしては天国へ行くことができないという論理が、そこで成り立つのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-954)

            

 人間の堕落とは何でしょうか。堕落した子女とは何でしょうか。彼らは、神様が自分の父であると切に感じることができません。彼らは心の中に、神様という概念をもっていないのです。皆さんは、次のようなことを体験し、悟らなければなりません。即ち、「私は、新生して新しい生命を得て、真の父母によって新たな生活を営んでいる神様の息子、娘である」という事実を実感しなければなりません。
 第2には、「私は、神様の国に住む資格をもった市民である」ということを実感しなければなりません。第3には、皆さんが国と世界を見るときに、神様の愛を感じなければならず、「神様がこの世界を遺産として下さったので、神様の子女としてこの世を所有する権利がある」と思わなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-953)

            

 私一人では、天国に行けません。そのような意味で、一人の男性は一人の女性と一つにならなければなりません。また、そのような過程を経るためには、一人は必ずカインと一つにならなければなりません。相対的環境を必要としているのです。父母を迎える前に、もしくは夫婦を迎える前に、兄弟の間で一つの相対的基準をもっていなければ(天国へ)行くことができないというのが、「統一思想」なのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-953)

            

 皆さんが知らなければならないことは、地上で天国の愛を体験できなかったならば、天上に行くことができないということです。
 カイン的な人を本当に愛したことがありますか。天国へ行くにはサタン世界における父母の愛、夫婦の愛以上の愛で愛さなければなりません。もし、堕落世界で父母が子女のために命まで捧げたとすれば、私たちはそれを超越した愛で愛さなければならないのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-953)

            

 皆さんの心の中に、皆さんの生活の中に神様の愛があふれて、ぽたぽたと滴るようでなければなりません。愛がぽたぽたと滴れば、希望がありますが、愛が乾いているとするならば、皆さんとその家庭は、滅びるしかないということを知らなければなりません。愛の乾いた人は、愛の国の国籍から除名されるという事実を知らなければなりません。愛の伝統の世界から除外されるしかない運命になる、ということをはっきりと知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-952)

            

 皆さんは、夫婦の愛と父母の愛を尊重できてこそ、天国へ行くことのできる資格者となるのです。自分たち夫婦が愛し合う以上に、両親を愛し、自分の両親を愛する以上に、おばあさん、おじいさんを愛さなければなりません。それが天国の核心であり、理想的モットーとなるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-952)

            

 天国に行く人とは、どのような人でしょうか。神様よりも自分の息子をより愛する人は、天国に行けないのであり、神様よりも妻や自分自身を愛するようでは天国に行けないのです。(35-305,1970.10.30)

            

 「私は劉孝元です。地上では先生の一番弟子として長い間、協会長を務め、み言を受けて『原理講論』を執筆し、世界的経典とならしめたので、霊界では最も高い地位を占めるだろうと思っていました。ところが、先生が霊界の三位基台を編成なさったのですが、李起錫、劉孝元、朴鍾九の順でした。私は失望して、不平を言いました。先生は、『ここは愛の世界であり、知性を競うのではなく、愛を競うところである。李起錫のほうが愛をより多く所有していたのだ。だから李起錫が三位基台の一番上の兄になったのだ』と説明してくださったので理解できました。私は、いまだ天国へ行くことができずにいます。今、行く途中です。これまでは知性的な面に傾いてやってきましたが、地上にいる妻と共に、懸命に心情的に働こうと思います。
 現在、天国には興進様がいらっしゃいます。興進様も祝福を受ける前は、天国にお入りになることができなかったのですが、四位基台を立てて天国へ行かれました。霊界は、愛の世界です」(祝福家庭と理想天国Ⅰ-952)

            

 天国には、独り者は決して行くことができません。独身者にとって天国は絶望の山河です。寂寞の山河には希望がありますが、絶望の山河というのは希望すらない状態ではないですか。(注:韓国語では「絶望」と「寂寞」の発音が似ている)(祝福家庭と理想天国Ⅰ-951)

            

 皆さんは、天国とはどのような所だと思いますか。天国は、一言でいうと、完成した人が行って暮らす所だということができます。
 天国は真なる愛をもった完成した人の行く所だとすれば、その真の愛をもった人というのは、どのような人なのでしょうか。人間には男性と女性がいます。神様の理想的愛が地上でどのようにして完成するかということを考えると、男性と女性を離れては完成されないという結論に至ります。完成した愛の主体性をもった男性と女性でなければ、神様の愛は完成されないのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-951)

            

 天国復帰は誰がするのでしょうか。み旨のためならば十字架の道も感謝することができ、絶対夫婦、絶対信仰、絶対実践、絶対心情を主張する夫婦から、初めて天国の門が開かれるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-951)

            

 「天命を受け、この怨讐の世界において手本となるような家庭になってほしい」というのがお父様の願いであることを思えば、天国に行くためには、家庭を通さずしては行けないということを知らなければなりません。(29-9,1970.2.15)

            

 天国へは一人では行くことができません。祝福は、天国の門をさっと越えるということなのです。天国は、家庭的に行くところです。3代の因縁をもって行くところです。ヤコブの70人の家族も、3代が合わさったものです。そのようにしてエジプトに行ったのです。(12-266,1963.5.25)

            

 本来、創造原則による天国とは、家庭を中心として行く所です。父母が行って、子供が行って、自分の家門全体が行ってこそ幸福なのであり、父母は地獄へ行き、子供だけが天国へ行ったとするならば、どうして「天国だ」と言えるでしょうか。ですから、統一教会が今後、天国へ行ける道を築くにおいて、家庭的な基準を立てなければなりません。そうしなければ天国へ行けません。家庭を中心としてサタンが讒訴し得る基準を脱しなければなりません。歴史的な讒訴基準、時代的な讒訴基準から脱しなければなりません。(21-63,1968.9.1)

            

 一人では天国に行けません。一人では絶対に天国へ行けません。アダムとエバが二人で堕落して地獄の門を開いたので、一人では天国へ行くことはできないのです。ですから、イエス様も天国に行けず、楽園にいるのです。
 イエス様も、新婦を迎えて初めて天国へ行くようになっているのです。今日のキリスト教信徒は、このようなことを知りもせずに、みな「イエス様についていく」と言います。そうなれば、彼らは行って、再び戻ってこなければなりません。家庭を築き、家庭的な復帰の基準を立てなければ、天国へ行けないのです。ですから、統一教会で祝福をしてあげるのです。(23-315,1969.6.8)

            

 女性が先に罪を犯したので、女性神である聖霊が来て母の実体として現れ、罪を洗い清め、世の中を清めたならば、イエス様は、新郎として新しい種をもって再臨しなければなりません。再び充電して、新たな天地の真の父母の血族として、神様を中心とした新しい世界をつくろうというのが神様の目的です。そのような世界ができてこそ、神様の計画がみ意のままに成されたといえるのです。目的もなく6000年の間、摂理してこられた神様だとすれば、そのような神様は信じる必要すらないのです。(21-199,1968.11.20)

            

 天国とはどのような所でしょうか。男女が共に家庭を築いていく所です。ところが、イエス様は、この地に来られて新婦を取り戻すことができず、息子、娘をもてずに亡くなられたので、今まで楽園で2000年間、祈祷しながら、聖霊に役事させていらっしゃるのです。(21-199,1968.11.20)

            

 本来、神様は、夫は天国に、妻は地獄に行くというように創造されたのではありません。創造当時の理想の主人公たち、すなわち父と母と息子、娘が氏族を成し、民族を成し、国を成そうとしたのでした。そうなるべきではないでしょうか。ところが、人間が堕落したので地獄が生じたのです。(16-33,1965.12.26)

            

 統一教会でいう天国とは、一人で行く天国ではなく、家族が共に行く天国です。神様の創造理想から考えると、男性と女性が分かれていくところが天国でしょうか。そうではありません。二人で行く所が天国です。父親が行けば母親も行き、両親が行けば子供も一緒に行く所が天国なのです。天国へは、お父さん、お母さんが一緒に行かなければなりません。お父さんは天国に行くのに、お母さんは地獄に行くのでは、「天国だ」と言えるでしょうか。このような立場から、私たち統一教会は、歴史的な宗教です。(34-209,1970.9.6)

            

 天国というのは、人間が堕落せずに、この地上で神様の愛の懐で成婚し、神様の喜ぶ息子、娘、神様の喜ぶ孫を得て神様の愛を受け、その家庭がみな一緒に行く所です。子供が行けなくても、自分さえ行ければ良いというのは天国でしょうか。ところで、楽園というのは、いくら仲の良い夫婦や親子でも、別れて行くのです。家庭とは何の関係もありません。そのような所が天国でしょうか。両親と共に家族全員が行って、神様を中心として授け受けする、そのような世界が天国です。息子は地獄で死にそうだとあがいているのに、親が天国で良い暮らしをすることができるでしょうか。そのような所を「天国だ」と言えるでしょうか。(19-105,1967.12.31)

            

 天国へは、個人的には絶対に行くことができません。先生が知っているところでは、天国は、これまでキリスト教徒が信じているような妄想的な所ではありません。本来、天国は、家庭単位で行くようになっています。家庭が行くようになっているのです。家庭が行くのです。
 お父さん、お母さん、息子、娘が一緒に行って神様を中心として、共に生きられる所が理想的な世界なのです。ところが、父親は地獄へ行き、母親は天国へ行き、姉は地獄へ行き、弟は天国へ行くというのでは、自分が天国へ行ったとしてもうれしいでしょうか。天国へは、家庭単位で行くのです。家庭が行くのです。(22-271,1969.5.4)

            

 天国へ行く秘訣とは何でしょうか。天国へは個人で行くのではありません。家庭的に行かなければなりません。家庭的に行かなければならないというだけではなく、一族を率いていかなければなりません。この地で、神様の前に多くの一族がいるということは恵まれたことです。家庭にたくさんの息子、娘がいて富裕であれば、恵まれた家庭だといいます。そのように恵まれて天国へ行こうとするならば、個人が一人で行くのではなく、家庭的に行かなければなりません。(22-168,1969.2.2)

 

5)家庭盟誓

 ①家庭盟誓を唱えることができる者

 

 家庭盟誓をすることができる家庭は、心と体が一つになった立場にある家庭です。心と体が一つにならなければ、家庭盟誓を唱えることができません。これを毎日のように唱えながら祈祷するとき、ここに不合格のすべてのものを除去し、そこに合致し得るものを加え、解放の心身統一圏を備えなければなりません。その立場でするのです。(261-143,1994.6.9)

            

 成約時代は家庭盟誓のとおりにならなければなりません。この家庭盟誓を唱えるにおいて、「私たちの家庭は真の愛を中心として」、これが標題です。それは、堕落圏を越えたということです。偽りの父母の愛と、偽りの生命と、偽りの血統を中心として分かれたものが、統一されることをいいます。
 「真の愛を中心として」と言うときは、心と体が一つになった立場で唱えなければなりません。その次には、男性と女性、心と体、夫婦が一体となった立場で、その次は、息子、娘が一つになった立場で唱えなければなりません。息子、娘を中心としてカインがアベルの血を流すようになった歴史的暗礁を、すべて消化しなければなりません。
 このようにすべて統一されて、心身統一、夫婦統一、子女統一の基盤の上で唱えるべきなのが、この盟誓文だということを知らなければなりません。(264-192,1994.10.9)

            

 家庭盟誓は、どんな人がすることができるのでしょうか。サタン世界の偽りの父母による偽りの愛と、偽りの生命の因縁をもった人は、できないようになっています。本然の世界に帰って、神様と堕落していない真の父母と一つになって、真の愛によって心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになれる基準に立った人だけが、この家庭盟誓をするようになっているのです。(264-213,1994.11.3)

            

 天国には、どんな人が入るのでしょうか。天国は、誰でも入る所ではありません。心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになって、3代が暮らす家庭の四位基台基盤を成してから入る所です。ですから天国に入るには、出発できる基地である家庭を中心として、完全に統一しなければなりません。そのようにできる人々が唱える盟誓文が、家庭盟誓だということを知らなければなりません。
 ですから毎日、朝食、昼食、夕食を食べる時ごとにチェックしなければなりません。そして、朝、起きる時と夜になれば、必ずチェックしなければなりません。自分の心身が一つになれず、サタン的因縁を再び誘致させる立場に立たなかったかを常にチェックしなければなりません。
 夫婦げんかはあり得ないのです。夫婦がけんかするのは問題になるのです。今まで自分勝手に生きてきましたが、これは将来、天法によって治められるべき時が来るというのです。厳格です。そこには許しがありません。女性は特に、もっと注意しなければなりません。堕落した女たちは、口をよく主管しなければなりません。口を慎めというのです。女性が重要な責任を負わなければなりません。女性がすべての責任を取らなければならないのです。(264-214,1994.11.3)

            

 家庭盟誓は、一般の人がするのではありません。家庭盟誓は、誰でもたやすく唱和できるようにはなっていません。家庭盟誓の八つの項の初めには、「私たちの家庭は真の愛を中心として」というのが前提になっています。それは、サタン世界と関係のない基盤で言う言葉です。(263-195,1994.10.4)

 

 ②家庭盟誓の内容

 

-第1条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
本郷の地を求め、
本然の創造理想である
地上天国と天上天国を
創建することをお誓い致します。」

 

 第1番は、「天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建する」です。私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建するという言葉は、地上天国と天上天国を私がつくるということです。家庭を失ったので、家庭をつくらなければならないという言葉です。
 私たちの家庭は真の愛によって、本郷の地を中心として、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建するというのです。本郷の地です。家庭を中心とした本郷の地です。国ではありません。それで故郷に帰らなければならないというのです。
 皆さんにそのような家庭があれば、故郷の地に帰って、地上天国と天上天国を成就しなければなりません。もう故郷さえ取り戻せば、自然に国、世界、すべてが一つになるのです。心配する必要がありません。地上天国、天上天国が自然に築かれるのです。それは、家庭で始まるのです。(260-157,1994.5.2)

            

 それで盟誓文の第1は何ですか。「真の愛を中心として本郷の地を求め」、その地を求めていかなければなりません。「神様の創造理想である地上天国と天上天国」を完成することを誓うのではありません。創建しなければなりません。私の手でつくらなければならないというのです。悪魔の世界から完全に取り戻してこなければなりません。サタンの世界圏を完全に回復しなければなりません。分かりますか。ですから完成ではなく、創建です。(261-88,1994.5.22)

            

 第1番は何かと言えば、本郷の地を求めて、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建しなければなりません。失ったので、復帰しなければなりません。つくるのは、神様がつくってくださるのではなく、私たちが取り戻さなければなりません。(263-148,1994.8.21)

 

 

-第2条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
神様と真の御父母様に侍り、
天宙の代表的家庭となり、
中心的家庭となって、
家庭では孝子、国家では忠臣、
世界では聖人、
天宙では聖子の道理を
完成することをお誓い致します。」

 

 2番目は、「私たちの家庭は、真の愛を中心として」、真の愛を離れてはいけないのです。「神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子」、父も孝子になり、息子、娘も孝子になり、すべて孝子にならなければなりません。孝子の伝統を受け継がなければならないのです。「国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の(家庭の)道理を完成する」というのです。
 「私たちの家庭は、真の愛を中心として、神様と真の御父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の(家庭の)道理を完成する」です。
 父母になって、息子、娘をよく育てなければならないというのです。「聖子」と言うとき、息子の「子」の字ですか。息子を言うのです。聖子とは何かといえば、天の国の宮法と、天の国の法と、地上の宮法と、地上の法とを、みな守ることです。二つの世界をいうのです。
 天の国に王権があり、民がいれば、どちらもこの法を守らなければならないのです。霊界も王権があり、プラス・マイナス、二つの世界のプラス・マイナスになるのです。(260-157,1994.5.2)

            

 神様と真の御父母様に侍って、代表的な家庭となり、中心家庭となって、家庭では孝子、孝女、国では忠臣、烈女、世界では聖人、天地では聖子の道理を、天が願ったすべてのことを私たちの家庭で完成しようというのです。父母として子女教育をなし、国家では国民教育をなし、世界と天地では、その天の国の一族、家庭、食口としての合格者になれるようにしようということです。(260-190,1994.5.8)

            

 2番目は何ですか。代表的家庭です。「神様と真の御父母様に侍り、代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の(家庭の)道理を完成すること」を誓わなければなりません。
 今まで歴史時代に神様に不忠、親不孝だった、逆賊となったこと、これをすべて片づけなければならないというのです。家庭にもそのような群れが多く、国家にもそのような群れが多く、世界にもそのような群れが多く、天地にもそのような群れが多かったというのです。多かったのですが、そのすべてのものを代表して真の父母と一つになり、このような家庭を完成しなければならないというのです。(261-88,1994.5.22)

            

 その次は、孝子の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の(家庭の)道理を、すべて愛を通して連結させなければなりません。アダム・エバの代表的家庭です。一番頂上の家庭です。頂上で結婚すれば地上に着陸するのです。
 天上で愛を中心として着陸すれば、中心家庭になるのです。それは聖子の家庭であり、聖人の家庭であり、忠臣の家庭であり、孝子の家庭だというのです。
 永遠にそれが種になります。実は同じです。千代、万代この原則に立脚した人になることによって、間違いなく天の国の民になるのです。(263-149,1994.8.21)

(注:「聖子の家庭の道理」という表現は、のちに付け加えられたものであり、当時のみ言にはない)

 

 

-第3条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
四大心情圏と三大王権と皇族圏を
完成することをお誓い致します。」

 

 3番目は、「私たちの家庭は。真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」です。
 皆さんは四大心情圏と三大王権をみな知っています。それは堕落する前のアダムとエバが、四大心情圏と三大王権を成して、皇族になることでした。それでこれは、復帰された皇族をつくって入ることを言うのです。私たち祝福家庭がこれを成さなければなりません。
 女性が男性の愛を受け、男性が女性の愛を受けるためには、この立場に立たずしては愛することができないようになっているのです。夫婦関係で愛するのは、四大心情圏と三大王権の立場でするようになっているのです。愛がなければ、四大心情圏と三大王権があり得ないのです。
 ですから、男性が女性に絶対に必要であり、女性が男性に絶対に必要なのです。祝福家庭は、これを標準として、毎日のように努力しなければなりません。実際問題です。みな目の前にいるのです。(260-190,1994.5.8)

            

 3番目は、「私たちの家庭は、真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成する」です。これはアダムとエバが初愛を中心として成すべきことを成せなかったので、これから本然にこれを成すのです。聖子などは、みな復帰的内容があるので、それを育ててこのように越えていかなければなりません。
 「四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成する」、これです。皇族圏というものは、これから来られる再臨主の直系の子女たちであり、蕩減条件がないのです。蕩減条件に引っ掛かりません。
 これは何かといえば、直系ではなく、地上でカイン圏の女性とカイン圏の息子に残してあげるのです。お母様を中心として見ても、そのようになっているのです。聖進のお母様と聖進を中心として、そのようなことが起こるのです。
 それは何かといえば、カイン圏をみな皇族圏として認定することです。弟として、復帰された弟の立場に立て、皇族扱いすることによって、サタンが讒訴する道がなくなるのです。サタンがなぜ認めるかと言えば、「自分の息子だ」と言える条件ができないからです。皇族圏というものを認めなければ、堕落したサタン圏内に皇族を離れた群れがいるということになるので、サタンが残るというのです。しかし、皇族圏を認定するので、サタンがいなくならなければならないのです。これは重要な言葉です。(260-158,1994.5.2)

            

 四大心情圏と三大王権を完成しなければなりません。おじいさんは、神様の代身です。お父さんは、二世の中心になっているので、この世界家庭の王になるのです。お父さんとお母さんには、王と后のように侍らなければなりません。おじいさんには、神様のように侍らなければなりません。それで二つの愛を迎えることによって、神様の代わりにお母さんとお父さんの二つの愛を受けることにより、孫の時代に入って地上天国と天上天国の拡大世界に越えていくのです。(264-195,1994.10.9)

            

 それをすることによって初めて、神様の本然的理想型、堕落していないアダムの本然的理想型である四大心情圏と三大王権を完成するようになるのです。
 「真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」。そのようになった家庭が、そうできる立場に出ていくのです。神様と真の父母様に侍り、天下の代表、イエス様のような世界完成した立場に立ち、神様に対するようになるとき、サタンと永遠に関係がなくなるのです。
 今まで世界の人が怨讐になり、長子の立場で天の側であるアベルを殺してきましたが、殺してしまうことができないというのです。知ってみると、お兄さんだったというのです。お兄さんの立場から弟の立場に入れ替わっただけであって、兄弟です。ですから、このような群れを、世界の人々を、皇族として扱うのです。
 統一教会アベル的皇族なら、サタン世界はカイン的皇族です。この統一教会の教会員たちは、カイン的皇族を一つにしなければ、天国に入れないということです。父母様と一つになり、これをしなければなりません。ここには反対がなく、順理的にみな従っていくようになっています。(261-88,1994.5.22)

 

 

-第4条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
神様の創造理想である
天宙大家族を形成し、
自由と平和と統一と幸福の世界を
完成することをお誓い致します。」

 

 4番目は、「私たちの家庭は、真の家庭を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と幸福の世界を完成する」です。「私たちの家庭は、真の愛を中心として」、これは同じです。「神様の創造理想である天宙大家族を」、どんなに大きな家族でも一つの家庭です。霊界に行けば、一家庭だというのです。「形成し、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成する」です。
 そこに形成することによって、天宙的な自由、天宙的な平和、(天宙的な統一)、天宙的な幸福が宿る世界を完成するという意味です。(260-158,1994.5.2)

(注:「と・・・と統一と」という表現は、のちに付け加えられたものであり、当時のみ言にはない)            

 

 「私たちの家庭は、真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し」、神様の理想は、世界がみな一つの家庭です。一家です。四大心情圏と三大王権を完成した人々が(家庭盟誓を)唱える立場なので、神様を中心とした一つの家庭であって、二つの家庭になることができないというのです。創造理想である天宙大家族を形成し、私たちは、世界が一つの家族です。(260-191,1994.5.8)

            

 「天宙大家族を形成し、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成することをお誓い致します」、自由というのは、個人の自由ではなく、全世界の大家庭にいる人々の自由であり、大家庭の平和であり、大家庭の幸福です。全人類がみな幸福だということです。(260-192,1994.5.8)

            

 その次に、4番目は何ですか。神様の真の愛を中心として何ですか。「創造理想である天宙大家族理想を形成し、自由と平和と(統一と)幸福・・・」、このような基盤があって、神様が願う創造理想は大家族です。カイン、アベルの世界が大家族です。本然の理想を、初めて四大心情圏と三大王権をすべて成したその場に大家族理想を完成するのです。そのような立場に立つことによって、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成することをお誓い致します。これがこのように順理的になっています。(261-89,1994.5.22)

 

 

-第5条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、毎日、
主体的天上世界と対象的地上世界の
統一に向かい、前進的発展を
促進化することをお誓い致します。」

 

 5番目は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化する」です。前進的発展は、毎日のように発展することです。ストップしないのです。ストップすれば、すべて地獄と連結されるのです。前進的発展をしなければなりません。前進的発展を促進化するというのです。  
 私たちの信仰生活は、毎日、天と霊界に関心があります。今まで統一教会の教会員たちが霊界を中心として毎日の生活をしなければならないのに、そのようにできないのが問題です。この世に関して先に考え、霊界に対する考えは後回しです。その反対にならなければなりません。
 私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって、一つにならなければなりません。ストップするのではなく、前進的発展をしなければなりません。生きているものは発展するし、死んでいるものはストップするのです。また促進化するというのです。止まるものは地獄と連結され、成長は繁栄と連結されるのです。天国に連結されるというのです。私たちに止まるということは必要ありません。
 皆さん、統一教会に入るときは喜んだのに、今まで10年、20年たってみるとどうですか。ストップは下がっていくのです。ストップは地獄に連結され、成長は天国に連結されます。ストップはサタンが一番願うことです。ですから毎日、一つずつプラスしなければなりません。重要な言葉です。これまでこの世では、みなお金を集めようと必死ですが、私たちは、一人の生命を救うために必死にならなければならないのです。(260-159,1994.5.2)

            

 私たちの家庭は毎日、主体的天上世界、主体的な大きな天上世界があるということを知らなければなりません。どこがプラスかと言えば、霊界がプラスです。心がプラスであるのと同じです。体は世界を代表し、心は霊界を代表するのです。心はプラスのようなもので、体はマイナスのようなものです。ですから主体的心の世界が分からない生活をしたならば、地獄に行くようになるのです。体が心を打つのと同じように、心を否定してきましたが、これを反対にしなければなりません。
 それで「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一」、主体世界と対象世界が統一されなければならないのです。「統一に向かって前進的発展」、前進していく発展です。「前進的発展を促進化することをお誓い致します」、促進化、早く、早く、早くさせるのです。停止してはいけません。停止すれば、落ちるのです。地獄と通じ、死亡と通じるのです。停止は下がっていって地獄と通じ、促進は発展と通じるのです。
 促進、急ぐのです。寝てばかりいて、怠けて食べ、楽しみ、そんなものは歴史にないというのです。忙しいというのです。人生は短いのです。宇宙が大きいですが、焦点は一点と同じように、焦点が1周回れば、これも1周回らなければならないというのです。同じように回らなければなりません。ですから焦点を合わせなければならないというのです。
 それで「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。休まずに走れというのです。先生のようにです。寝もせずに走れ走れ、というのです。私が考えたその世界と関係を結ぶのであって、考えもしない世界に関係をどうやって関係を結びますか。一緒に考えてあげなければなりません。相対的に考えてあげなければならないのです。(260-194,1994.5.8)

            

 家庭盟誓の5番は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」。これは、世界がみな同じ家庭だということです。天地にすべて主体的天の国の相対的立場で一つにならなければなりません。一つになるだけでなく、地上に地上地獄分野、サタン圏が残っているので、これ(前進的発展)を早く促進化させなければなりません。1日も早く急がなければならないのです。(264-202,1994.10.9)

 

 

-第6条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
神様と真の御父母様の
代身家庭として、
天運を動かす家庭となり、
天の祝福を周辺に連結させる家庭を
完成することをお誓い致します。」

 

 6番目は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成する」です。自分だけ良い暮らしをしようとしてはいけないというのです。「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として」、ですから天運が神様と真の父母様と共にあるのです。天道を動かす、天運を動かす家庭となって、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成するというのです。その言葉は、どこに行っても私たち祝福家庭は、全体に福を分けてあげられる中心家庭になるということです。(260-160,1994.5.2)

            

 6番目は、「私たちは真の愛を中心として・・・・・・」真の愛を知っているでしょう。いつも考えなければなりません。「神様と真の御父母様の代身家庭として・・・・・・」、神様の家庭と真の父母の代身家庭です、皆さんが天運を動かす家庭となるのであり、神様と真の父母の代身家庭は天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。私だけが祝福を受けて、良い暮らしをしようというのではありません。結局は王族となって、全体の人々を国民につくらなければならないということです。
 真の愛を中心として、神様と真の父母の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、神様と真の父母の代身家庭は天運を動かすというのです。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。天のすべての祝福を万民の前に平等に分けてあげる家庭的福の基になろうというのです。神様と真の父母の家庭は、一つの家庭です。一つの家庭ですが、祝福家庭が多いので、全世界に広がって、神様の家庭と真の父母の家庭の代身として福を受ける機関となって、分けてあげる家庭にならなければならないということです。(260-195,1964.5.8)

            

 天運を動かすのが6番でしょう。「真の愛を中心として真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭」になるのです。真の父母様が受難を受けたすべての受難は、自分が良い暮らしをするためのものではありません。全人類を自分が解放し、天運を分かち、天運を移してあげるためのものです。真の父母についてくる天運を、ただそのまま渡してあげなければなりません。福の機関になれということです。分かりますか。どんなに促進化され、一つになっていても、その人が地上に来て、自分なりの福だけを受けて行ってはならないのです。地上に功績を立てて、すべての人が満足して、大きな天運の恵沢を受けられるものを渡してあげてから、行かなければなりません。
 先生が今まで幸福と自由の環境で、天下を動かすことができ、福を受けられるこのような環境で、父母のみ旨を立てるために、反対の道をすべて経て、万民にまで天運をつないであげるためにやってきたので、真の父母の家庭の代表者として、皆さんも天運を分配してあげる家庭になってこそ、真の父母のあとに従い、天の国で呼吸を共にし、面と向かって暮らせる面目が立ち得るということをいうのです。(261-91,1994.5.22)

            

 その次は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。福の機関になれというのです。そうしてこそ天と地の一つとなったすべてのものを備えて、その場を中心として、神様が下さった福の機関になるのです。分かりますか。福のセンターになれというのです。(264-202,1994.10.9)

 

 

-第7条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
本然の血統と連結された
為に生きる生活を通して、
心情文化世界を
完成することをお誓い致します。」

 

 

 7番目は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成する」です。「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された」本然の血統です。血統が重要です。血統が変わってはならないし、汚してはいけないのです。心情文化世界の形成を完成するというのです。心情文化というものは、すべての生活において、真の愛によって為に生きる思想が入っていなければならないのです。心情文化世界というときは、全体を代表した一つの囲いを言うのです。心情圏の氏族(宗族)を言うのです。(260-160,1994.5.2)

            

 心情文化世界が何か分かりますか。神様の心の世界も、天上世界も、地上世界も、真の父母の心の世界も、一つだというのです。それで「心情文化世界の形成を完成することをお誓い致します」、これが私たちの理想です。文化が二つではありません。堕落した世界は文化が複雑多端なのです。それを通してこそ個人天国、家庭天国、氏族天国、国家天国、天上天国、永遠の世界の天国へと連結されるのです。その心情でなくては、個人、家庭、氏族を連結することができません。心情文化世界でなければ、個人から天宙まで連結することができないのです。(260-196,1994.5.8)

            

 私たちの世界は心情文化世界です。神様のただ一つの愛を中心とした統一家族、一家族です。高いもの低いものがなく、五色人種が一つの家族生活をしなければなりません。将来、そのような時が来ます。全世界で動員して平均的な生活を定めよう。世界の公義がそのようになったら、どのように定めるのか。どの国を中心として定めるのか。このように言うときは、北韓があのように貧しければ、貧しい北韓を中心として基準にするのです。アフリカではありません。日本の国ではありません。アダム国家を中心として一番貧しい人を基準にするのです。(261-93,1994.5.22)

            

 心情文化世界は本然的神様の文化世界であり、堕落していない完成したアダム文化世界です。文化が二つではありません。一つしかありません。言語も一つであり、風習も一つであり、伝統も一つしかない、このような統一の世界になることでしょう。そこにおいてのみ神様が個人にも共に住み、家庭にも共に住むということを知らなければなりません。(261-95,1994.5.22)

            

 その次には、「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された心情文化世界を完成することをお誓い致します」。心情世界です。真の愛が表面化された世界です。どの町に行っても、道の要所で夫婦がお客さんを迎えるために待ちわびる世界にならなければなりません。ごちそうを作ったなら、それを世界の兄弟の前に分けてあげるために、道に出て待ち、迎えて入るのです。自分の兄弟のように自分の家に世界の家庭を迎えて、多くのものを食べさせ、たくさん奉仕する時代に入っていくのです。
 こうして心情を表面化させて、世界化させる時代になることによって、統一の心情文化世界、単一文化世界、統一文化世界が来るのです。戦争がなく、紛争のない一つの世界、地上天国と天上天国世界になるのです。心情文化世界になれば、終了だというのです。(264-202,1994.10.9)

 

 

-第8条-

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
成約時代を迎え、
絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、
神人愛一体理想を成し、
地上天国と天上天国の
解放圏と釈放圏を
完成することをお誓い致します。」

 

 8節は何ですか。「私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏(と釈放圏)を完成することをお誓い致します」。それが何かと言えば、エデンの園の神様が創造するその当時の内容です。
 成約時代を中心として絶対信仰、絶対愛、絶対何ですか。絶対服従によって地上天国と天上天国が神人愛一体圏となって、神様のような息子、娘のすべての権限も自由に行使することができ、自由奔放な世界どこでも通じる、活動できる能力者になって、初めて神様を解放させられるのです。地上天国と天上天国の解放圏です。(301-85,1999.4.16)

(注:「・・・・・・と釈放圏」という表現は、のちに付けられたものであり、当時のみ言にはない)

            

 神様が創造するとき、神様ご自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従する位置にあったのですが、その相対的な家庭を成すことができず、すべてが地獄に落ちたのです。真の父母の勝利圏によって一つになったすべての基盤において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、アダム家庭で失ったものを世界的に越えていくこの時であるがゆえに、統一教会は真の父母を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりません。真の父母は神様の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の伝統を受け継いできたので、それを伝授されなければなりません。分かるでしょう。天の祝福が共にあることでしょう。(1996.11.3)

            

 宿命的課題と運命的課題であるすべての父子の関係の因縁が一つにならなければなりませんが、何を中心として一つになるのでしょうか。骨髄から、赤ちゃんの種から、真の愛を中心として一つにならなければなりません。それで生まれて今、心と体が大きくなって、世の中をすべて抱いて、父も抱いて母と一つになるのです。
 父母様が言うそこには、絶対信仰、絶対愛、絶対服従、おじいさんが言う時は、孫も絶対信仰、絶対愛、絶対服従。お父さんも絶対信仰、絶対愛、絶対服従、同じです。
 永遠に伝統的に相続されていくというのです。宿命的提案解怨! こうしてこそ第8盟誓においての成約時代を迎えて、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体、神様と人間が一体、愛によって一体になるのです。一体を成して、その次には、そこから地上天上天国の解放圏です。(1998.8.28)

 

(2022.5.16:写経奉献)

 

 

 

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