「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(54) 第10巻「成約人への道」 第3章 国家・世界観

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第3章 国家・世界観

1)人類が追求してきた一つの国家、世界

2)理想社会、国家、世界の構造

3)人類の中心思想は真の愛主義

4)民主世界と共産世界の未来

5)神様を中心とした主権が復帰されれば

 

 

1)人類が追求してきた一つの国家・世界

 ①アダム主義、アダム国家、アダム世界

本来、人間始祖アダムとエバが堕落しなかったならば、どのようになっていたでしょうか。アダム家庭でのアダムは、族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また国家の代表者となり、アダム王となるのです。
それゆえ、この世界はアダム主義で一つに統一されるのです。つまらなくみっともない主義は、ほうり出さなければならないのです。くだらない主義が現れて世界を攪乱させているので、私たちはこのような主義を根こそぎ、全部引っこ抜いてしまわなければならないのです。
主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダムの伝統、生活方式もアダムの生活方式、制度もアダムの制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義は「神主義」です。神様の心によって神様と一つにならなければならないので、「神主義」と言うのです。(20-123,1968.5.1)

 

家庭を中心として見るとき、堕落していないアダムとエバの家庭が、アダムとエバ二人だけの家庭でしょうか、宇宙を代表した家庭でしょうか。その次に、神様においてその国は、誰の国でしょうか。神様の国ですか。アダム、エバの国ですか。神様との共同目的をもった、神様を中心としたアダムとエバの国です。そして、その国が拡大されたのが世界ですが、その世界もやはり神様を中心とした世界です。それを知らなければなりません。(161-243,1987.2.22)

 

私たちは、どこに行くのでしょうか。天国ですが、家庭的天国から、氏族的天国、世界的天国、宇宙的天国に行くというのです。そこまで行かなければならないのです。地上での世界を自分の国と思い、万民を自分の兄弟と思い、世界を中心としてこのように伝統を受け継いだ人は、間違いなく天国に一番近いところに行くのです。これは理論的です。(161-225,1987.2.15)

 

皆さんが天国に行くとき、「うちのお父さん、お母さん、息子、娘を連れていく」と、このような考えをしないでください。「国を連れていく」と言わなければなりません。国を捨てて自分の家庭を中心として、「ああ! 私の息子、娘よ」ではないのです。国を連れて入らなければなりません。
国の中に民族がすべて入っていて、自分の息子、娘もすべて入っているのです。先生でいえば、先生の考えでは「世界を連れて天国に行かなければならない」と、このように今まで御飯を食べ、行動し、生きてきたのです。このように生きてきたので、この天上世界の中心位置に行くのです。正にこれが神様の考えです。真の父母の考えであり、真の子女の考えではないでしょうか。(161-225,1987.2.15)

 

神様が創造した世界には国境があり得ません。黒人、白人の人種問題が問題になりません。善悪の闘争も、そこには必要ないはずです。このような観点から見たとき、私たちが住んでいる世界には各国ごとに国境があります。
黒人、白人の人種問題だけではなく、家庭においても夫と妻、父母と子女間にすべて分裂が起こっています。善なる人と悪なる人が闘っているのです。このような現情勢を見たとき、再臨主は国境がない国をつくり、人種問題を超越して世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭を全部統一しなければならず、善悪が闘っているこの世界に平和の王国をつくらなければなりません。(53-72,1972.2.9)

 

神様が確実にいることさえ分かれば、神様のみ旨についていかざるを得ません。神様のみ旨とは何でしょうか。この世界人類をご自身が愛される民にし、この地球星をご自身が愛される国土にし、この国土と民を合わせて一つの主権国家をつくろうというのが理想世界です。(56-192,1972.5.14)

 

皆さんには、そのような国がありますか。ないので、その国を求めて成さなければならないのではありませんか。その国は、どのような国でしょうか。理想の国、統一の国なのです。万民が行ける国なのです。この国を成すのには例外があり得ません。
ここには家庭も協助し、氏族も民族も世界もみな協助することでしょう。そうして個人を統一でき、家庭、氏族、民族、国家、世界を統一できるのです。(18-213,1967.6.8)

 

人は誰でも、自分の国で生きるべきです。それは人間に賦与された絶対的な条件です。一人も漏れなく、その国とその義のために希望に満ちた義の生活をしなければなりません。思いによって理想郷を描き、生活によって義の法度を立てながら、その国とその義のために生きよというのです。(18-213,1967.6.8)

 

普通、世界主義といえば、民族と国家を無視して全世界を一つの国家、全人類を同胞と見るという意味で終わりますが、統一教会で叫ぶ世界主義は、家庭からその壁を超越するのです。父母であられるお一人の神様と、血肉の本当の兄弟と変わりない同じ兄弟たちである全人類が、一つの世界を成すという世界主義です。これは、どれほど素晴らしい世界主義でしょうか。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-844)

 

天国とはどのようなものでしょうか。地上天国とはどのようなものでしょうか。私たち統一教会の食口のような人が、全世界で暮らすのです。それが地上天国です。この地上のすべての人たちが統一教会の食口のように暮らせば、それが地上天国です。その世界とは、神様と共にある世界です。誰かが「神様はいない」と言うこともなく、神様に対して疑いません。神様を私たちの父として、すべてが一つになった世界です。その次に、サタンの誘惑がなくサタンがいないのです。神様が主管する世界、それが地上天国です。神様が私たちと暮らすのです。(79-304,1975.9.21)

 

これからこの世界問題を解決して、人類の道徳問題をすべて解消させるためには、堕落論がなくてはならないのです。堕落論なくしては、人間の問題が是正されないのです。これは、サタンが天を裏切って歴史を引っ張ってきた最後の絶望的終末現象だというのです。これは人類を破綻、滅亡させるための戦略です。これを解消しなければ歴史が解かれないのです。
歴史が解かれなければ歴史を清算することができないのです。これに対する代案を中心として、神様の創造と理想の代案を中心として、私たちは「神主義」に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。それは自分自身のためではなく、為他的なのです。愛の相対を創造しなければならないというのです。そのような内容でなければ収拾する道がありません。(219-266,1991.10.11)

 

結婚をなぜするのでしょうか。神様の愛を中心として、神様に侍り、男性、女性を統一するためです。天下の起源、平和の起源はここから始まるのです。
真の愛の本質は、父と母のために生き、母が父のために生き、兄が弟のために生き、このように「ため」に生きることです。「ため」に生きる愛によって、もつれてしまったそこに、永遠の神様の愛が臨在することにより、その家庭は、永遠無窮の永生的家庭となり、国となるのです。(221-212,1991.10.24)

 

 ②その国は私たちすべての願い

 

私たちは、神様の国を慕い仰ぎます。そこは、愛がある所だからです。一時的な愛ではなく、時間を超越した永遠なる愛が存続し得るところです。また、自分自らが高められる所であり、自分の価値を100パーセント認めてもらえる所だというのです。すなわち、永遠に幸福な所です。ですから人間は、天国を慕いあこがれるのです。(25-284,1969.10.5)

 

もし、地上の国家を復帰することを自分の生涯に果たせなかった場合、皆さんは霊界に行っても天国に属した人としての価値をもつことができません。地上で神様の主管圏内で統治された実績をもち、霊界に行かなければなりません。それは、本来の創造基準なのです。(40-131,1971.1.30)

 

私は今、世の中にうらやましいものがありません。この世的に見ても、うらやましいものがありません。この世的なものには考えがいきません。お金、土地、家、そのようなものには関心がないのです。「部屋、一部屋でも何でも、死ぬとしても私の国で死ななければならない。神様が保護し得るその国で死ななければならないのではないか。私がそのように生きていくことができなければ、その生涯は、悲惨な生涯ではないのか。だから死ぬ前に、1日でもその国を訪ねていかなければならない」と。
これが先生の一生の願いです。その日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で前進しているのです。皆さんは休んでも、私は前進しているのです。皆さんができなければ、外国人を動かしてでもやらなければならないし、大韓民国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしても行かなければなりません。(51-340,1971.12.5)

 

私たちの信仰の目標は、神様の国の民になることです。その国の民になれなければ、その子女として自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛される道は現れません。国がない者は、常に攻撃されるのです。かわいそうな立場に立つようになります。あきれるほどやられる場合がいくらでもあるのです。ですから神様が願う国がどこにあるのか、神様が足場とする国がどこにあるのか、これが問題です。(55-79,1972.4.23)

 

私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは、結局、永遠なる天の国を成すため、千秋万代の子孫たちがとこしえに褒めたたえられる福地を成すためです。(14-193,1964.10.3)

 

その国は、神様を中心として直系の子女が天命を奉じ、神様に代わる命令をもってその王権によって治める、そのような国であることは間違いありません。そこには、民主主義や共産主義があり得ないというのです。一度、形成されれば、永遠の国家体制として残るというのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民になれなかったという事実が、とても悔しいことではないかというのです。私自身がそのような国で暮らせないことを嘆かなければなりません。そのような一つの私を備えられないことを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権をもつことができなかったことを、私たちは嘆かなければなりません。(72-292,1974.9.1)

 

主権と国と国土を建てるために、人類は、主権国家を建ててきました。その中で数多くの人が死に、数多くの民が犠牲になり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交代してきた事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった数多くの人、天の側にいる人々、あるいはそのようなみ旨のために犠牲になったすべての哀魂は、ある一時に、そのような国、そのような世界を成してくれることを願うのではないでしょうか。(72-292,1974.9.1)

 

神様が愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な一つの国家を建てるためのことを進めてきましたが、現時点で、一つの国家を復帰し得る基盤をつくることができませんでした。何度も失敗したので、この地上に天の人を送り、それを治めさせて推進させ、成就させるために努力してきたのが、今までの天の役事だったのです。(30-10,1970.3.14)

 

主権のない国の国民は、かわいそうなのです。それでイエス様が案じて、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6:31~33)と言われました。先に息子を求めよと言われましたか、国を求めよと言われましたか。神様が望んでいる国を求めよと言われたのです。(34-337,1970.9.20)

 

エス様も楽園に行って待っていらっしゃるのです。天のみ座の前に行けなかったということを知らなければなりません。イエス様は神様の前に、国の主権を建てて国を治め、地上から天国まで直通し得る権限をもった国をつくれなかったので、神様の前に立つことができないのです。ですから楽園は、天国へ行く待合室です。また、天国へは一人では行けないのです。天国へは本来、堕落していないアダムとエバ、家庭単位で行かなければならないのです。息子、娘と共に行かなければなりません。そうでなければ行けないのです。(56-201,1972.5.14)

 

今まで宗教人たちは、生き残ることができないようなことをしたのでしょうか。宗教に協助してくれる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。国がない民なのです。国があったならば、氏族が反対する立場に立ったとしてもその国圏内に生き残る道があったのですが、今まで宗教を信じた人々は、どこに行っても迫害され、どこに行っても血を流す祭物の道を歩んできたのは何のためでしょうか。国がなかったからです。主権者がいて国があったならば、「やあ、お前たち、これが正しいのだ」と言えば、「はい」となるのに、国がないので苦難を受けるのです。(56-159,1972.5.14)

 

今日、この地上に霊的救いを完成した世界圏、キリスト教文化圏の世界が民主主義世界です。ところが、神様が選定したイスラエル民族が選民思想を受け継いできたのと同じように、その選民を定め、間違いなくお前の国にメシヤを送ってあげようとイスラエル民族に対してきたのに、その約束と共にあるべきキリスト教国家が世界にはないのです。皆さん、これを知らなければなりません。
ですから地を失い、国もなく空中に名前だけもったその国を追求して、東から追われれば西に逃れ、北から追われれば南に逃れ、彷徨しながら、死の道を避けながら世界的な発展をしてきたのがキリスト教文化圏の世界です。(65-48,1972.11.13)

 

統一教会員たちも国がないのです。今の民主主義の世界も、神様が6000年間、苦労してつくってこられたのです。もし皆さんが昔のイエス時代のイスラエルに生まれていたならば、皆さんの首は既に落ちて久しいはずです。先生のような人は既に、この世の中には痕跡もなくなっていたことでしょう。国家的に不義のサタンの代役者がいるかと思えば、現在の世界的な不義の代弁者である共産主義が宗教を抹殺するための最後の背水の陣を敷いているというこの厳然たる事実を、私たちははっきり知らなければなりません。私たち統一教会員たち、国がありますか。ですから賤しい者ではないですか。行く所がない賤民扱いを受けたのではないですか。その誰よりも悔しいことを忘れてはならないのです。(55-209,1972.5.9)

 

国がなければ、いくら良い幸福な家庭であっても、馬賊が出てきて、首を切られることがあり得るのです。ですから国を求めなければなりません。これを、宗教人たちは知らないでいるのです。宗教人たちは全く知りません。善なる国を求めなければなりません。これが宗教の目的です。(57-260,1972.6.4)

 

その国を探せる代表的な一人の個人は、どこにいるのでしょうか。この地上にはいません。それで、宗教を通して、そのような代表的な一人の方に仕えようとする思想が、再臨思想です。この再臨思想を中心として、新しい個人が現れるのです。新しい家庭、新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界の形成が起こるのです。
それで再臨思想は、他の思想とは根本的に次元が違うのです。それで、その代表的な人は、死亡の世界から腐った死体を取り除き、そこに根を下ろし、それを肥やしにして大きくならなければなりません。ここで良いというものを肥やしにできる力をもった、新しい主体的な人格を備えてこられる人です。
サタン世界が良いというものを自分の生命体として復活の権限を誓い得る息子ならば息子、民ならば民が備えなければならない人格は何かというとき、この死亡の世界、腐った死体のようになったものを肥やしにして、大きくなれる主体的力をもった人格者でなければなりません。言い換えれば、死亡の世界に支配される人ではありません。(49-93,1971.10.9)

 

人類を救うために来られる方が再臨主です。天は基準さえ立てられれば打ちます。攻勢を取ります。だからといって、スターリンのように首を切って殺すのではなく、一度に降伏させるのです。1番目は理念、2番目は民、3番目は主権、4番目は領土で、サタンを降伏させなければならないのです。人は誰でも、お金と権勢と友達と理想が共にあることを願いますが、その四つは、正にこれを代表したものなのです。(12-169,1963.3.16)

 

2)理想社会、国家、世界の構造

 ①人類大家族社会

私たちが暮らしたい所は、天の国、「天国で暮らしたい」というのが合っています。天の国に境界線がありますか。ありません。天の国で使う言葉は二つですか。違います。人種の差がありますか。ありません。それでは天の国とは何なのでしょうか。人はみな神様の懐から生まれたので、人類はみな兄弟です。神様を中心として見れば神様の息子、娘なので、すべてが兄弟であり、地上天国を中心として見れば民となります。地上天国の国民だというのです。民だというのです。(66-281,1973.5.16)

 

完成した人は、どのようでなければならないのかというと、天と共に世界的な一つの国民にならなければなりません。皆さんは、どの国の人でしょうか。皆さんにはアメリカ人、ドイツ人、韓国人といろいろいますが、私の国はどこにあるのでしょうか。この地球です。この地球が私の国です。私の故郷とは、どこでしょうか。この地球が私の故郷です。私は、国境のようなものは知りません。黒人、白人のようなものも知りません。すべて神様の子供です。(79-24,1975.8.24)

 

「原理」は、永遠の歴史を通じても変わらない真理です。これは、どんな偉人の権勢や国家権力でも変えることができず、世界も、神様も変えることができないものです。過去、現在、未来にわたって変わらない真理だとすれば、これは人間が本来願う理想的な価値をもっているものに違いありません。
この原理によって復活した人たちが国家を超越し、世界を超越して一つになれば、すべてが兄弟なのです。そこには、白人もなく黒人もなく黄色人もありません。黒人だといっても、皮膚の色が違うだけで、すべてが同じです。骨も同じ、肉も同じ、血も同じ、心も同じです。皮膚の色だけが少し違うのです。これは、気候と環境によって異なったことなので、仕方がないことです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-847)

 

松の木を見てください。極寒地帯から温帯圏に行くにつれ、種類が少しずつ異なります。松の木が立っている地域環境によってだんだん異なり、また、それが出発した基準と歴史を通して種類が異なるのです。また、熊を見てください。北極の熊は、白熊です。白色でなければ駄目なのです。それは環境のためなのです。保護色が白色だからです。白色人種は何かと言えば、北極の白熊と同じようなものであり、黒色人種は、暑い温帯地方の黒熊と同じようなものなのです。ただ、その違いだけです。ところで黒熊と白熊がお互いに、「お前は白熊だから」、「お前は黒熊だから」と言いながら、「共にいることができない」と言えるでしょうか。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-847)

 

すべてが一つにならなければなりません。統一教会は、結婚式を国際的に行います。西洋人と東洋人が結婚をします。白人と黒人が結婚をすることもあります。人種を超越し、愛し合う姿、それは歴史にもない美しさです。そのようにならないところに問題があるのであって、それは一番美しいのです。このような主張を訴える世界的な思想がなければ、人類は滅亡してしまいます。神様を中心として見れば、人間は、みな兄弟です。神様の前では、すべてが一つになれないわけがありません。アメリカの建国精神は「神様のもとの一つの国家(one nation under God)」です。これは、素晴らしい精神です。また、現在、そのようになりつつあるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-849)

 

万民は、その生きていく環境が違うだけで、人間という点で、白人も黒人も同じです。もし、ある人が黒人の女性と結婚して暮らしながら黒人の子供を生み、そうして再び白人女性と結婚して白人の子供を生んだとすれば、その人は白人の父にもなり、黒人の父ともなるのです。すなわち、彼らの父は一人の父だというのです。どんなことがあっても世界人類が一人の父によって生まれた兄弟だという心情がわき出すようにしなければ、世界人の統一は不可能であり、万代の糾合は不可能です。(18-111,1967.5.28)

 

全世界の人種が一つになる一番の近道は、国際結婚しかありません。二つの全く異なる文化圏と環境から選ばれた男女が、神様の愛によって仲良く一つにならなければなりません。これが完全な調和と統一なのです。このように理想を実現するのが私たちです。偉大なことを成就させるために私たちは、巨大な愛の力を求めなければなりません。ただ、最高の愛の力によってのみ、そのような力を発揮するのです。社会の動きと環境によって翻弄されるような愛ではありません。最高の愛だけが国境を越え、人種の境界を越え、文化の境界を越え、知識の境界を越えるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-845)

 

これからどのように世界を一つに統一するのか、また、心情交流の土台をどのように築くのか、これが問題です。
それで先生は、これから独身の男女を国際結婚させようと思います。これは、神様が願われることです。韓国の枠の中だけで身をかがめて座っている、そのような人を神様は願われません。神様は、ご自身の理念圏内ですべてのことが成されることを願われます。共産主義の女性たちは、労働者と結婚することが最高の希望です。しかし、統一教会の娘たちは、それ以上にならなければなりません。(17-43,1966.11.6)

 

さてこれからは、自分の家庭が異国の民族と一つになれる血統をどのくらいもっているかということが、霊界に行って誇れる内容になります。ですから、これから皆さんの息子、娘が結婚するときには、国際結婚をたくさんしなければならないのです。これから統一教会の独身男女はみな、国際結婚をしなければなりません。男性も女性も生まれたならば、一度はやってみる価値があるのです。(34-73,1970.8.29)

 

神様は公平です。アメリカは、神様の祝福によって物質文明を花咲かせた代表的な国となりました。ですから、外的な基準から内的な基準に、急に変わることは難しいのです。反面、東洋では物質的面よりは精神的面を重要視します。西洋は、外的には祝福されましたが、内的基準においては不足です。反面、東洋は、内的には祝福されましたが、外的基準においては不足です。神様は、これほど公平な方です。(祝福家庭と理想天国Ⅱ-380)

 

宗教を中心に精神面を重要視すれば、物質的な条件を退けてしまいます。東洋は、精神文化を重要視し、すべての外的基準を拒絶してしまいました。それを西洋人たちが拾い集めました。アメリカをはじめとして西洋の多くの国が外的に素晴らしくなったのは、東洋におけるすべての物質的条件の援助を受けて西洋文明を発展させたからです。
しかし、それが限界に来ています。そして東洋の精神文明も、限界に直面しています。東洋は、だんだん西洋文明、物質文明を要求するようになりました。西洋はまた、東洋文明、精神文明を要求するようになり、これらが交差する時点に立っています。まさしく授受作用をしているのです。(祝福家庭と理想天国Ⅱ-381)

 

人間にとって一番難しく大変な道とは、どのような道でしょうか。天国へ行く道です。この道が一番難しいのです。この宇宙の中で人間に一番難しい道とは、どのような道でしょうか。天国へ行く道が一番難しいというのです。
エス様が天国へ行きましたか。楽園に行っています。天国へ行く待合室にいらっしゃるというのです。ですから、これがどれほど難しいのかというのです。
それでは、神様は天国で住んでいらっしゃいますか。違うのです。それでは、歴史始まって以来、天国で住む人が誰かいますか。神様が住めず、その息子が住めないのに、誰が天国に行って住めるのかというのです。天国へ行って住んだ人はいるのでしょうか。いないのです。ですから一番難しい道なのです。(72-253,1974.6.30)

 

 ②共生・共栄・共義の社会

 

神様が一番好きなものは、愛の文化です。神様がお金や権力、知識などを必要としますか。良い家を設計して建てるためには、れんがも必要であり、ドアも必要であり、多くの材料が必要ですが、その中で一番重要なものは、その家を完成させる総合的な完成美を備えることです。
人間に対して神様が願われる一番の願いは、お金が多いこと、学者になることではありません。聖書のみ言どおり「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ22:37)と言われているので、それが第1の戒めです。第2は、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(同22:39)と言われました。驚くべきみ言です。(143-273,1986.3.20)

 

コリント人への第1の手紙第13章の愛の章にも、「信仰と希望と愛」この三つが常にあるが、「その中で一番は愛だ」と言いませんでしたか。人間は、それを知らなかったのです。あなたの心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くせというのはどういうことですか。命を懸けて愛せよということです。
皆さん、誰かをそのように完全に愛してみましたか。妻たる者が夫を完全に愛し、弟子なる者が師を完全に愛し、民たる者が国を完全に愛してみたのかというのです。誰も完全に愛せなかったので、モデルをつくらなければなりません。
工場で鋳型を作って物を大量生産するように、その鋳型と同じような真の人間のモデルをつくらなければなりません。そうすることによって、そのモデルに倣って真の人間が世界に広く広がっていくのです。(143-273,1986.3.20)

 

時が来れば、一人で主張する時代は、すべて過ぎ去ってしまいます。「私が一番だ」と言えない時代です。その時からは、共同時代です。すなわち共生共栄共義主義世界だというのです。だから統一教会で、共生だ、共栄だ、共義だということを主張するのです。その世界は、一人で成すのではありません。(24-298,1969.8.31)

 

共生共栄共義主義の世界は、人類が願ってきた理想天国の世界です。その世界は、絶対に一人では成すことができない世界です。ですからその世界は、一人だけでいる世界ではありません。「私」といえば、必ず相対がいるのであり、また家庭があるのです。これは観念だけで終わるのではなく、実際の生活において作用しなければなりません。それが生活舞台において実際に表現し得る世界が、すなわち天国の世界です。(24-300,1969.8.31)

 

その世界は、どのような世界でしょうか。互いに嫉視反目しながら、人がうまくいけばおなかが痛み、人が喜べば死にそうだという、そのような世界ではありません。一人の人が良くなるのは、全体を代表して良くなるのであり、一人の人がうれしいのは全体を代表してうれしいことなので、一人がうれしがれば全体がうれしがるのであり、一人が喜べば全体が一緒に喜ぶ所がその世界なのです。(18-102,1967.5.28)

 

皆さん、左目と右目の歩調が合っていますか、合っていませんか。これは共栄です。すべてが一つの目的のために生きていくのです。全部このようになっているのです。鼻の穴も二つですが、一方の鼻の穴が詰まってもいいですか、良くないですか。同じように耳も一方が詰まってもいいですか、良くないですか。体が不自由でいいですか、良くないですか。足を切り、腕を切ってみてください。気分が悪いはずです。ですから相対的関係を備えたすべての存在物は、自ら天地を証明するのです。
すなわち人間が自ら証明しているというのです。このように心は知っています。「人心が天心」という言葉も、ここに関係しているというのです。(24-300,1969.8.31)

 

 ③言語も一つ

 

アメリカの豚も韓国の豚もみな同じように「ブー、ブー」と言い、すずめも「チュン、チュン」と鳴きますが、万物の霊長である人は、なぜこのような状態なのですか。豚の言葉でもなく、牛の言葉でもなく、数十カ国を回ってみても、行く先々で言葉が違います。ご飯をもらって食べるのも大変です。口の利けない人の中でも、最重度の口の利けない人の中でも、最重度の口の利けない人になるのです。このような結果を誰がつくりましたか。それは一言で言うと、堕落したからです。言葉も一つに統一できず、一つの種類の言葉も使えない人間が、どうして万物の霊長でしょうか。どれだけ悔しいことでしょうか。本当にあきれて物が言えないのです。(20-124,1968.5.1)

 

神様の絶対的な愛を中心に、絶対的な男女が合わさり、絶対的な文化を創建しなければなりません。絶対的な文化創建のために、何よりも統一された一つの言語と文字をもたなければならないので、韓国の言葉と文字を学ばなければならないと何度も強調してきたのです。文化創造と発展は、言葉と文字によって伝達されるからです。(135-166,1985.11.12)

 

これからは言葉が問題です。先生が今、韓国語で話していますから相当、大変なのです。これから通訳がいなければどうするつもりですか。皆さんが私に習わなければなりませんか、私が皆さんから習わなければなりませんか。先生が話す韓国語を習えば、先生を通してもっと深い内容を学べ、もっと価値あるものをもてるからです。これが何よりも貴いので、そのようにしなければならないという結論が出るのです。(74-33,1974.11.10)

 

真の父母の息子、娘は、その父母が使う言葉ができなければ口の利けない人です。口の利けない人だというのです。今後、そのような方向に世界は流れていくのです。この西欧社会にレバレンド・ムーンが来て今、かなりの波紋を起こしています。これは近世にない新しい宗教界の脅威であり、新しい問題だということを皆さんは知らなければなりません。これから原語の勉強には韓国語が入るであろうということを知っておくべきです。
皆さんがどんなに英語になったものを読みながら「なるほど」と言っていても、韓国語の原本がこうだと言えば、すべて何度も書き替えるのです。ですから、変わらないものに価値があるのです。同じです。これからは、原語を勉強しなければなりません。(74-33,1974.11.10)

 

韓国の言葉と文字は、韓国で作られ、韓国で使われています。「真の父母」という言葉も、韓国語で初めて名前が付けられたのです。真の父母の愛を中心として、神様の真の父母の愛と、歴史始まって以来最初に接ぎ木されたのです。神様が愛を中心として言葉を話し始めた最初の出発が、真の父母を中心とした愛の基盤の上で、韓国語を通す以外なかったというのです。それで「真の父母」という言葉の起源が絶対的なので、韓国語を学ばなければならない理由となるのです。
またハングルは、韓国語を表記できる文字なので学ばなければなりません。神様が愛の言葉を語れる最初の場所が韓国だということも知らなければなりません。(135-166,1985.11.12)

 

先生が「真の父母」という言葉を韓国語で初めて使い始めたので、「真の父母」という言葉の起源は、韓国語となるのです。「真の父母」という言葉は、英語や中国語ではなく、韓国語です。それで韓国が、統一教会員にとって愛の祖国となるのです。韓国が愛の祖国なので、愛の祖国を求めなければならない私たちは、韓国語とその文字を学ばなければならないのです。
皆さんが韓国人の男性、女性と祝福を受けたいと思うのも、神様の話した初愛の言葉の起源が韓国語なので、その本郷の近くに行きたいという心の発露から始まったと言えるでしょう。(135-166,1985.11.12)

 

韓国語には哲学が入っています。天地の理致と調和を備えた背景をもっています。発音法において、アメリカで、言語学博士号を取った有名な人もいます。(173-75,1988.1.3)

 

韓国語は、極めて高次元的な宗教言語です。表現が深く繊細です。それは、どの国もついていけません。ですから韓国人は、頭が良いというのです。それは、正確で分析的な言語を通して全部キャッチして理解するので、その頭の構造は、相当に次元が高い位置にあるということを知らなければなりません。韓国人が技能オリンピック大会でいつも1等になるではありませんか。多分、7年間そうだったはずです。(173-75,1988.1.3)

 

統一世界に向かう私たちにおいては、統一語で先生の説教集の朗読を完遂しなければなりません。皆さんがこれを原語で読めなければどうしますか。原語でです。オリジナル言語、英語ではなく、ドイツ語でもないのです。ですから、これから皆さんは、説教に対しては心配する必要がありません。これは、先生が一生の間に説教したものです。
皆さんが霊界に行って問答するとき、「私は見ることもできず、読むこともできなかった」と言うのですか。ですから、英語に翻訳をさせないでしょう。ここに漢字を入れれば本当に良いです。これを読まないで逝けば大変なのです。指導者がこれを読まなければ、大変なことになるのです。後代に、各自の家に先生が入っているでしょうか、み言が入っているでしょうか。考えてみてください、どうですか。先生のみ言が入っているのです。(173-76,1988.1.3)

 

3)人類の中心思想は真の愛主義

 ①アダム主義は父母主義

 

本来、アダムは私たち人類の始祖であると同時に、家長にもなり、族長にもなり、民族長にもなり、その国の王にもなるというのです。この世界は本来、堕落していなかったならば何主義の世界ですか。アダム主義世界です。アダム主義とは何ですか。「神主義」です。このようになるはずだったのです。これが堕落することによって、ばらばらに引き裂かれたというのです。こうしてアダムが破壊した、穴がぼこぼこと開いているもの、それを直さなければならないのです。堕落したので穴がぽかんと開いているのです。(155-304,1965.11.1)

 

アダムとエバが堕落しなかったならば、神様が何をしてあげようとしたのでしょうか。神様が祝福によって結婚式を挙げてくださり、神様が喜ばれる息子、娘を生むようになり、神様が喜ばれる家庭を編成して、これを繁殖させ、氏族と民族を編成するようにしようとしていました。これがさらに広がれば、その世界は「神主義」の世界であると同時に、アダム主義の世界です。その世界に理念があるとすれば、これはアダム主義理念であり、そこに宇宙観があるとすれば、アダム主義宇宙観であり、天宙観があるとすれば、アダム主義天宙観であり、生活観があるとすれば、アダム主義生活観だというのです。
そして五色人種が入り混ざって、そのようなものは問題ないというのです。それは環境によって異なったものなので、数多くの民族における皮膚の色が違うのは、問題ないというのです。それでは、どうして数多くの民族の言語が異なるようになったのでしょうか。人類始祖が堕落することによって、天は分立させたというのです。(156-202,1966.5.25)

 

主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダムの伝統、生活方式もアダムの生活方式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義が、「神主義」です。神様によって神様と一体とならなければならないので、「神主義」だと言うのです。(20-122,1968.5.1)

 

主権より、人権の平等を論議しなければなりません。私たちが追求する主義は天宙主義であり、「神主義」です。私と神様が合わさった主義です。今日、民主主義は神様を離れた主義であり、共産主義は物質と人間だけを中心とした主義です。しかし天宙主義は、人間と神様を合わせた主義です。私たちはこの世界を、神様を中心とした主権の世界につくろうとするのです。(13-72,1963.10.8)

 

私たちは、心の福地を成せる一つの中心を立て、心情の福地を成せる一つの中心を立てて、心情と心と体が通じ得る一つの基準を求めなければなりません。そうして体と心が一つになったのちには、世界を抱かなければなりません。ですから、今日のこの時代には、世界主義よりも大きい天宙主義の理念が現れなければなりません。神主義が現れなければなりません。そうして人間がこの地で生活する上で、その「神主義」を中心として体と心が天の心情と通じる確固とした基準を立てなければ、私たちが幸せに暮らすことはできないのです。(8-30,1959.10.25)

 

人間は堕落することによって、その心と体がサタンの偽りの愛を受け継ぎ、自己第一主義による不協和を起こす個人になりました。このような人たちが集まった家庭、社会、国家、世界は立体的に増幅された葛藤と紛争を自体矛盾としてもち、相互不信と分裂、闘争をするようになるのです。サタンの願いである自己中心主義によって、民主世界は、個人第一主義化され、サタンと人類は、滅亡に向かっているのです。これを救うために、神様の真の愛を中心とした「統一思想」と「神主義」が必要なのです。(219-109,1991.8.27)

 

「神主義」は、自分のために尽くせという主義ではありません。「ため」に生きようとする投入主義です。「ため」に生きようとする主義です。悪魔は自分のために尽くせという主義ですが、神様は「ため」に生きようとする主義です。ですから投入して投入して投入するほど、あの永遠の世界の所有権が増えるのです。共産世界では、投入するほど損をするので仕事をしません。しかし、私たちの世界では誰が福を多く受けるのかといえば、自分の部落のために寝ることを惜しんで血と汗を流す人です。神様のように投入する人が、福を受けるようになるのです。(209-292,1990.11.30)

 

「神主義」とは何主義でしょうか。真の愛主義です。真の愛主義とは、どのように生きることでしょうか。投入してまた投入し、忘れるのです。このような国民になるならば、大韓民国がどのようになるでしょうか。(201-54,1990.2.28)

 

父母主義とは何でしょうか。地上でアダムとエバが完成した真の父母主義です。その次に、「神主義」とは何でしょうか。真の父母は横的な父母なので、縦的な父母が必要だというのです。ですから縦的な父母主義が「神主義」です。ゆえに、「頭翼思想」という言葉は真の父母主義であり、ゴッディズム(Godism:神主義)とは縦的な「神主義」です。このようになるのです。横的な真の父母と縦的な「神主義」の、縦横が一つになって、天の生命、地の生命、天の愛、地の愛、天の血統、地の血統が連結されて人間が生まれたので、人間は二重存在になっているというのです。内的な人と、外的な人になっています。内的な人は縦的な私であり、体的な人は横的な私だというのです。実となるのです。(224-277,1991.12.15)

 

 ②父母主義は真の愛主義

 

神様が一番好まれるのは、愛の文化です。神様にお金や権力、知識などが必要ですか。良い家を設計し、建てるためには、れんがも必要で、ドアも必要で、多くの材料が必要ですが、その中でも一番重要なものは、その家を完成させる総合的な完成美を備えることです。人間に対して神様が願われる最も大きな願いは、お金が多いこと、学者になることではありません。聖書のみ言のとおり、思いを尽くし、心を尽くし、精神を尽くして主なるあなたの神を愛せよと言われましたが、それが第1の戒めです。第2は、あなたの体を愛するように隣り人を愛せよと言われました。驚くべきみ言です。(143-273,1986.3.20)

 

私たちが行くべき道は、本当に行きたい道であり、私たちが求めて成すべき国は、永遠に住みたい国です。私たちがもつべき財物は、天宙のものであると同時に、私のものであり、この時代のものであると同時に、過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。私たちが泣くとき、天地が共に泣くことができ、私たちが喜ぶとき、天地が共に喜べる権威と知識をもたなければなりません。これが今日、堕落した人間たちが現世で求めるべき最高の欲望であり、希望なのです。(13-31,1963.10.16)

 

神様の理想国家の実現、すなわち祖国光復は、どこから実現されるでしょうか。怨讐を愛する思想をもった個人から、出発するのです。ですから神様がいらっしゃる限り、愛によって国境を壊し、すべての環境と文化的な壁を越えて怨讐までも抱こうという運動を提示したキリスト教が、世界的な宗教にならざるを得ないのです。豆を植えれば豆が出て、小豆を植えれば小豆が出て、赤い花の種からは赤い花が咲きます。同じように、仕返しをするサタン悪魔の種を蒔けば、仕返しをする悪の木が育ちますが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。これは自然の理致なのです。(107-18,1980.2.21)

 

その国は、神様を中心として直系の子女たちが天命を奉じ、神様の代身である命令をもってその王権を治める、そのような国であるに違いありません。そこには民主主義や共産主義があり得ないというのです。一度、形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民になれなかったという事実がとても悔しいことではないかというのです。私自身がそのような国で住むことができないことを嘆息しなければなりません。そのような一つの不変の主権をもっていないことを私たちは嘆かなければなりません。(72-292,1974.9.1)

 

レバレンド・ムーンを中心として、「統一思想」によって共産主義と民主主義を消化させ得る「神主義」とは、どんな主義ですか。力を出す主義ですか。真の愛主義です。その真の愛によってこの世の中を、これからどのように料理するのかというのです。(181-227,1988.10.3)

 

大韓民国の民主主義は、何のための民主主義ですか。政党のための民主主義ではありません。大韓民国のための民主主義です。それでは大韓民国は、どんな主義にならなければならないのでしょうか。大韓民国は、世界のために生きる主義に帰らなければなりません。
世界は、「神主義」に帰らなければなりません。人間主義は信じられません。100年以内にすべて消えてしまいます。「神主義」であってこそ永遠無窮なのです。その伝統を受け継いで、真の愛という論理の上にこれが連結されるので、個人も真の愛が必要であり、男性、女性も必要であり、夫婦も必要であり、息子、娘も必要であり、氏族も必要であり、民族も必要であり、国家も必要であり、世界も必要なのです。(177-70,1988.5.15)

 

「神主義」とは、いったいどんな主義でしょうか。愛の主義です。愛主義ですが、いったいどんな愛主義なのでしょうか。(私の)ために尽くせという主義ではなく、(他の)ために生きようとする主義なのです。これを知らなければなりません。(169-281,1987.11.1)

 

「神主義」とは何でしょうか。個人主義でもなく、家庭主義でもなく、氏族主義でもなく、民族主義でもなく、国家主義でもありません。天宙主義です、天宙主義。天宙主義の基盤をもったそのような霊界に、個人主義の囲いに入った人が行こうとしてみても、行くことができないのです。家庭を中心として、「ああ、世の中がどうであろうが、うちの息子、娘、うちのお母さん、お父さんしかいない」と言うそのような輩の圏内に入るならば、抜け出す道がないのです。永遠に抜け出すことができないでしょう。その壁を誰が壊さなければならないのでしょうか。その中で自分たちだけで自分の主張を立てて、家庭を中心として争い合うのです。(112-211,1981.4.12)

 

健康な人は、普通の人が消化できないものを消化します。ですから、誰でも健康な人が好きなのです。人が健康な精神をもった、精神が健康だというとき、何でも消化してしまいます。民主主義も消化し、共産主義も消化し、何でも消化するのです。
それでは、統一教会は、どんな主義ですか。ユニフィケーショニズム(Unificationism:統一主義)です。ユニフィケーショニズムは簡単ですか。私たちの四肢を見ても、この体には目があり、耳があり、鼻があり、手足があり、すべてあるのです。ここに一つの生命が連結され、統一されなければならないのです。そして、これが一つになるためには、「ああ、私は目が嫌いだ。どこどこが嫌いだ」と言えば、できるでしょうか。みんな「いい、いい」と言わなければならないのです。すべて消化しなければならないのです。(111-96,1981.2.1)

 

神様をあがめ尊ぶ人は、血を流さなければなりません。神様を愛そうとする人は、涙を流さなければなりません。目から涙が乾いてはならないのです。そして、神様を求めていこうとする人は、汗を流さなければならないのです。それで父母の心情をもって僕の体で人類のために、アベルの立場で犠牲と奉仕をし、もてる限りの精誠を尽くして与えよというのです。与えながら誇るのではなく、もっと良いものを与えたい気持ちをもって、恥ずかしさを感じながら与えよというのです。これが「神主義」です。(38-328,1971.1.8)

 

公的なものを、どのように管理するのでしょうか。個人を、どのように管理するのでしょうか。社会を、どのように管理するのでしょうか。国家を、どのように管理するのでしょうか。さらには世界を、どのように管理するのでしょうか。このような公的な管理法を中心として、新しい愛、新しい世界主義を定立させていかなければなりません。その主義は、人間主義ではありません。そのような主義ならば滅んでしまうのです。「神主義」と一体になれるかなれないかという問題が、生死を決定する原因となるのです。(31-255,1970.6.4)

 

今まで世界の数多くの民族、あるいは五色人種がつくった文化圏を全部打破して、一つの文化圏にしなければなりません。言い換えれば、「神主義」的な家庭制度、「神主義」的な社会制度、「神主義」的な国家制度、「神主義」的な内容を備えた理想社会が展開されなければなりません。そのような主義が、堕落していない完成したアダム主義です。共産主義でも民主主義でもない、アダム主義です。
それは「神主義」を求めていく過程です。主義というのは、ある目的を求めていく杖のようなものです。主義自体が要求されるのではなく、目的を成就する上で必要な過程なので、この主義というのは変遷するのです。
今日、アメリカを民主主義の宗主国として先進国家と言いますが、将来、お金によって腐敗し、民主主義が嫌いになる時が来るのです。大韓民国にも今、このような実状が起こっています。民主主義が良いことは良いのですが、今の私たちの国ではお金のためにもろもろの中傷謀略が起き、政権を奪い取ろうとする闘いが起こっています。それが民主主義ですか。それは、特権主義的な状態で起こる現象です。(21-156,1968.11.17)

 

今日の若者は、「ため」に生きる生活をすれば中心存在となり、責任者となり、保護する主人になるという事実を知りません。自分の生命までも投入して失っても喜ぶ真の愛のみが、男性と女性を、父母と子女を統一させることができるのです。そして、ここに永遠なる神様の愛が臨在することによって、その家庭は、永遠無窮な永生的家庭になるのです。これが頭翼思想の核心なのです。永生は、ここにあるのです。(222-138,1991.10.28)

 

利己主義を打破する新しい世界主義が出てこなければなりません。私より他人のために生きる利他主義は、ただ神様の理想からのみ出てくることができます。それは神様が愛の本体であられ、愛の本質は、自分を犠牲にして他人を生かす利他主義だからです。したがって、「神主義」の本質は愛です。その思想は、人の四肢を動かす頭ともいえる中心思想です。それで「頭翼思想」なのです。(164-194,1987.5.15)

 

必勝目標、必勝する上で、どのように勝つのかが問題です。勝つには、「神主義」の「頭翼思想」で勝たなければなりません。これは、純然とレバレンド・ムーンだけが勝てるのです。左右を解決するための「頭翼思想」、神様と真の父母を中心として、十字架で右側の強盗と左側の強盗が闘ったのが、世界的な実を結ぶ時代に、神様と父母が出てきて父母様の思想と神様の思想を中心として、この二つの手足が闘ってはならないのです。
これが、何をもって合わさるのでしょうか。知識でもなく、お金でもなく、権力でもなく、愛によって合わさなければなりません。愛を中心として動き始めなければなりません。愛によって命令してこそ、すべてが喜んで動くのです。(169-210,1987.10.31)

 

唯一残るのは、絶対的な愛の理想をもった、万国の兄弟の心情圏を備えた「神主義」です。これのみが、この世界を統治するでしょう! アーメン。(137-196,1986.1.1)

 

4)民主世界と共産世界の未来

 ①民主世界と共産世界を一つに

 

「神主義」とは何ですか。先祖主義です。第一先祖主義、その次には「頭翼思想」です。共産主義と民主主義が闘うのをやめさせる、父母主義のようなものです。父母主義です。頭翼思想とは何かといえば、それは真の父母主義です。愛を中心とした父母を知るようになるときは、この手も闘っていたのがすべて解かれ、一つになるのです。座る位置、立つ位置、方位を備えて、誰も指導しなくても天理の大道を守って生きられる人をつくれば、すべて終わるのではありませんか。人が問題です。お金はいくらでもあり、国はいくらでもあります。何が問題ですか。人なのです。(191-200,1989.6.24)

 

原理がなかったならば共産主義の克服はもちろん、代案提示も不可能だったというのです。それは、何をもってするのですか。「神主義」をもってするのです。「神主義」とは何ですか。真の愛主義です。生命を投入しても、また投入しようとし、何度も投入しようとするのです。そうしてみると、宇宙を包括しても余りある、神様の愛があふれる宇宙になるのです。(213-89,1991.1.14)

 

現在、世界で起こっている最後の難しい問題とは何ですか。東西文化の分立の問題です。東洋と西洋をどのように一つにするかという問題です。それは、人間の力ではできないのです。左翼と右翼が一つになるには左翼でもできないし、右翼でもできないのです。ここに頭翼が出てこなければなりません。それで「頭翼思想」の顕現を語っているのです。人間が優れているというあの人本主義思想、唯物主義をもってもできません。物本主義思想と人本主義思想では駄目なのです。天意による本然の心情を中心とした、神本主義思想に帰らなければなりません。このような問題を提示して、東西に分立されたこのすべての文化背景を、どのように連結させるのかというのです。アメリカの国民が私に反対しましたが、私に従わざるを得ない段階に入りました。西洋社会も同じです。(168-112,1987.9.13)

 

人類の真の平和は右翼でもできないし、左翼でもできません。その理由は、右翼も左翼も、その根本的動機が利己主義を抜け出ていないからです。自分を中心として、自国の利益を中心とするとき、そこには永遠になくならない利害の相衝があり、統一もあり得ず、平和もありません。(164-194,1987.5.15)

 

共産主義や民主主義は、左右思想です。左右思想とは何かと言えば、カイン、アベルの兄弟思想ですが、東洋から出てくる新しい思想は、父母の思想だというのです。父母を中心とし、アジアを中心として左右が統一されなければならないというのです。これを「頭翼思想」と言うのです。それで両者に、「これ、間違っているぞ」と言えば「そうです」と言い、「私の言うことを聞け」と言えば「はい」と言うのです。それですべて終わるのです。「お前たちが主張することよりも、父母様が主張することがもっと良いので、従わなければならない」と言うときは、「はい」と言うのです。(168-60,1987.9.1)

 

私たちが共産主義の本質が無神論にあることを看破するとき、これを克服するイデオロギーが神様を認め、神様を中心とする理念でなければならないことは言うまでもありません。私たちはこのイデオロギーを「神主義」または「頭翼思想」と呼びます。絶対的な神様中心の世界観こそ、共産主義から人間を解放することのできる最も効果的な武器なのです。それは、「神様がいらっしゃる」という真の真理のみが、「神様がいない」という偽りを一掃できるからです。(168-237,1987.9.21)

 

復帰の道は、それほど簡単ではないのです。今は左右の終末時代です。左右を残して死んでいったイエス様は、父母の恨を残して逝きました。それで父母の思想をもって「頭翼思想」と神様を中心として、左翼の讒訴圏を離れた立場で統一圏を論議し、反対に回れ右をして無限に進んでいける環境をつくらなければ天国ができません。そのような時です。そのような意味で、先生が「神主義」と「頭翼思想」を掲げて兄弟主義をなだめるようなことをするのです。(169-212,1987.10.31)

 

現在、統一教会でいう「統一思想」とは何ですか。「神主義」は後です。「統一思想」とは何ですか。左翼と右翼が闘うのは、頭がないので闘うのではないですか。ですから頭があれば、「頭翼思想」、左翼思想、右翼思想、三つの思想が合わさって連合思想が出てくるのではありませんか。その連合思想の主体とは誰ですか。どんなに考えてみても、頭の上がすべての神経系統の中枢神経の根なので、そこを通過しなければ出ることができないのです。それでは、その根の中の根とは何ですか。それを知らないでいるのです。根の中の根は、神様です。神様から出てくる「頭翼思想」です。(172-31,1988.1.3)

 

左翼、右翼がいつも双子のように一つの懐に抱かれてお互いに足でけったりしないで、乳を分かち合って飲みながら、取り替えてもいいと言える双子にならなければなりません。アダムとエバが、そのように神様の懐で愛し得る立場に立たなければ、天国は出てこないのです。ですから私が、アメリカに行って怨讐を合わせ、怨讐の国で天の国の伝統基盤を立てて、天国の出帆を宣言したのです。聖書で言う怨讐は、個人ではありません。国です。(176-131,1988.5.3)

 

皆さんには、神様と真の父母以外にはいないというのです。そうでなければ、サタン世界に伝統的基盤を立てることはできないのです。サタンは、これ以下のものなので、それ以上に進めないのです。このような時が来るので、金日成も、ソ連も、アメリカも、長くないというのです。ただ文総裁の思想だけが世界に「頭翼思想」として残るのです。頭翼です。右側の右翼を中心として、左側の左翼を中心として、頭が治め得る水平線上に置いておいて一回りだけすればよいのです。左側が右になり、右側が左になる日にはすべてが終わるのです。(176-277,1988.5.11)

 

韓国はもちろん、全世界は今、価値観の没落によって大混乱に置かれるようになりました。私は、このような世界に向かって今まで世界的な碩学たちを対象に、愛を中心とした絶対価値を主張し、「頭翼思想」を宣布して、左翼と右翼の間違いを正し、新しい世界へと進んでいけるように指導してきました。そうして我が祖国、韓国の地から世界的な指導者たちを排出して、統一の世界、平和の世界である地上の楽園を成就しなければなりません。我が祖国の統一はもちろん、東西の文化的な違いと南北の貧富の格差を「神主義」と「頭翼思想」によって解消し、愛を中心とした人類大家族社会である平和の世界を建設していかなければいけません。(195-52,1989.11.3)

 

南北が引き裂かれて、南北の貧富の格差が開いたのを一つにしなければなりません。東西の文化を一つにしなければなりません。人種差別、文化の差別をなくして一つにしなければなりません。何によって一つになり得るのでしょうか。これが絶対的な一つの愛から出発できなかったので、この絶対的な愛によって宇宙版図の上にしっかりとしておけば、統一教会に反対する喊声がなくなるのです。そのようになるとき、世界は、この愛のふろしきに、老若男女を問わず一つに包まれるだけでなく、霊界にいるすべての霊人も、このふろしきに包まれることを願うことでしょう。ですから、「頭翼思想」を中心とした「天宙統一」という言葉が、妥当な言葉なのです。アーメン!(195-122,1989.11.5)

 

社会主義共産主義は、絶対的な一つの国を指向しているのです。これから神様の理想を中心とした所有権復帰の時代が来るので、サタンは先に知って、共産主義を通じて世界的な神様の所有権をなくしてしまおうと計画したのです。それで、サタンとしては、できることをみなやりました。先生は、神様の側にすべてを復帰しました。それで、理論的にも、思想的にも、みな手を挙げたのです。今は、文先生の前に、神様の前には、反対するものが何もありません。(229-156,1992.4.11)

 

今も所有権が問題になっているでしょう。共産主義社会主義は、国家が所有主になっています。民主主義は、個人が所有主になっています。それを移行して誰の所有でしょうか。全世界の所有は神様のものであり、全世界はその子女たちのものであり、その子女は家庭のものなので、その移行する過程において、1箇所に集めなければなりません。そのような主人には、唯一、神様がならなければなりません。神様が主人になり、神様が所有権をもつ主人となって、真の父母に伝受し、真の父母によって子女に伝受されてこそ、その所有決定権は、神様の世界のものになるのです。(183-82,1988.10.29)

 

自分の物、自分の息子、自分の夫婦自体が自分のものではありません。天使長の立場にいるので、絶対否定の立場、所有権を否定する時代を超えなければなりません。そのような時代に行くので、社会主義共産主義というものは個人の所有がありません。「国家の所有、社会の所有だ」と言っているのです。大韓民国も、そのようになるでしょう。お金をもうけても、みな取られるではありませんか。そうでしょう。そのような時代に入るのです。(2000-303,1990.2.26)

 

 ②宗教と哲学を収拾する頭翼思想

 

哲学において観が違い、物質が先だとすることによって共産主義が生じ、心が先だとした観から民主世界ができたのです。唯心史観と唯物史観が起こったのです。このようにして歴史が変わり、目的が変わったのですが、それが正しくないので、全部壊してしまわなければなりません。心と体というのが、主体と対象の関係になっていることを知らなかったのです。これを別々に切り離して考えたので、行く道がないのです。そのような意味で今、文総裁が主張する「神主義」や「頭翼思想」という。このようなものが問題になるのです。主体自体が生じるとき、主体自体のためにできたのではなかったのです。(201-17,1990.2.28)

 

「頭翼思想」とは何かといえば、完成したアダム主義です。アダムが堕落することによって完成したアダムになれなかったので、アダムを育てあげるためにサタン側の息子、神側の息子を育てていったのです。それで、左右が互いに主人になろうとして闘ったのです。そのような歴史です。
「頭翼思想」は何を中心とした思想でしょうか。原理で見れば、間接主管圏と直接主管圏が統一されていません。アダムが責任分担を果たすことによって間接主管圏と直接主管圏が一つになるのです。どこで一つになるのでしょうか。10段階を越えてです。(202-270,1990.5.25)

 

統一をどのようにするのですか。強制的に殴ってできますか。そのようにしては、絶対いけません。たたいては、一人も統一できません。どのようにしますか。「ため」に生きるのです。一番貴い愛と生命と血を投入するのです。それをする群れが統一教会です。統一教会とは何ですか。どのように統一するのですか。それでは、それはどんな主義ですか。それは「神主義」であり、真の父母主義です。真の父母主義とは何かといえば、「頭翼思想」です。(202-334,1990.5.27)

 

今までの数多くの「主義」は、不変の方向を取ることができませんでした。アメリカはアメリカだけを中心として、ソ連ソ連だけを中心として、民主主義は民主主義だけを中心として、共産主義共産主義だけを中心としてきたのです。
宗教も、それと同じでした。それは、神様が願われる方向ではありません。一時も同じ方向を取ることができず、すべて東西南北にそれぞれ分かれました。今まではどんな組織、どんな責任者、どんな国家も、神様が願われる方向に定めることができませんでした。ですからこれからは、個人、家庭、社会、国家、世界、宇宙、天宙などすべてのものは、永遠不変の方向性に定めていかなければならないのです。そのようなものを代表したのが「頭翼思想」、「神主義」だというのです。(203-27,1990.6.14)

 

今、東西問題を中心として見たとき、民主主義が勝ったと思わないでください。民主主義は何もありません。民主主義というのは政治形態の一つの解説方法です。思想的基礎は何もありません。今、思想の空白期に入ったのです。これから、私たちの思想を教育しなければなりません。「神主義」、「頭翼思想」を掲げていかなければなりません。それをもって、制度化して引っ張っていく機関が必要なのです。統一教会をもってしては駄目なのです。(203-117,1990.6.23)

 

皆さんは、ここに何のために来たのでしょうか。世界のために来たのです。世界のために闘っているのです。すべてが世界のために投入し、また投入する人たちです。このような原則から見れば、理論的に神様の創造原則と一致するので、統一教会は後退しないのです。発展、発展、発展するのです。今は、「頭翼思想」を中心としています。これは右翼と左翼のすべてを包容するのです。また、これは「神主義」を中心として霊界までも収拾できるのです。霊界と地上界を収拾して、真の愛による世界を出現させることが、神様の創造理想であり、原理にかなったことなのです。(205-95,1990.7.7)

 

民主世界は右翼を代表し、共産世界は左翼を代表します。これらは今、崩れつつあります。アメリカも同じです。両世界ともセンターがありません。これから必要なものは「統一思想」と「神主義」だと、レバレンド・ムーンが宣布しました。いかなるヒューマニズムも、神様の前に出ることはできません。「神主義」しかあり得ません。神様だけが絶対的であり、永遠のセンターです。「頭翼思想」だけが全人類のセンターになることができます。真の意味の霊界と肉界のセンターになるのが真の父母主義です。(205-261,1990.9.9)

 

聖書でも、「終わりの日」には自分の家の家族が怨讐だと言っています。「終わりの日」には家族が怨讐になるというのです。このような逆説的な論理が、どうして設定されたのでしょうか。これは一度、反対にならなければなりません。左右が180度回ればどうなるかということです。大変なことになります。方向が変わるというのです。それで主体思想、「頭翼思想」が必要だというのです。それでは「頭翼思想」とは何でしょうか。「神主義」を求めていくことです。「神主義」を求めて何をするのでしょうか。平和主義として再度、出発するのです。
「神主義」は神様と出会って愛を中心として一つとなり、平和主義として再度、出発することによって、この世界で本然的な地上天国の出発基地ができるというのです。そこで一生涯生きた人は、間違いなく永遠の世界にそのまま入っていきます。手続きもせずに、そのまま入っていきます。鑑定がありません。(206-131,1990.10.3)

 

聖人たちも、道端に立ち止まっています。自分が行くべき道を行くことができません。根本を知らないからです。しかし、統一教会の文総裁は直行するのです。み前に直行して、み前で報告するのです。その道が真の父母が提示した基準であることを知り、「頭翼思想」、「神主義」の思想に従って、花咲けというのです。これが心身一体理想です。アーメン。(206-224,1990.10.7)

 

エス様が死ぬことによって左翼と右翼が生じ、バラバ圏が生じました。願わない死でした。生きて統一すべきでしたが、死ぬことよって今まで個人、家庭、氏族、イスラエルが戦ってきたというのです。ですから、このようなすべてのことが統一されなければならないのです。「頭翼思想」を中心として、「神主義」を中心として、完全に統一されなければならないのです。バラバ圏の前に、サタンが立っています。それでイエス様が行こうとするとき、イスラエルの国の前に怨讐であるイスラームイスラム教)圏が生じたのです。(238-201,1992.11.22)

 

5)神様を中心とした主権が復帰されれば

 ①神様のみ旨が成就した世界

 

人間の力、人間の知恵、人間の文化、このどれをもってしても真の意味の平和の世界や、一つに統一された世界を願うことができない時点にあるということを私たちは知っています。このような立場で世界文化を解決する上で、一番中心となる問題は何でしょうか。神がいるのか、いないのかという問題を、確実に解明することが何よりも重要な問題だと見るのです。
もし、神様がいるということを全人類が知った日には、神様のみ旨がどのようなものを指向するのかを確実に知るようになるでしょうし、その指向するみ旨を知るときには、その世界はまさしく一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界でないはずがありません。(56-131,1972.5.14)

 

大きいものを得るために小さいものを犠牲にすることは、正常なことです。より価値のあるものと取り替える人が、知恵のある人です。これが世界に行くための正当な道です。人間は、より大きなものを憧憬するのであって、小さいものを憧憬しません。より大きいものを願うのであって、小さいものを願いません。(35-278,1970.10.25)

 

私たち統一教会が違うのは、これです。統一教会は、父母を愛するように兄弟を愛し、兄弟を愛するように氏族を愛し、民族を愛し、国家を愛そうというのです。父母を捨ててでも国家を愛そうというのです。世界を愛するためには自分の国も捨てなければならないのです。また、天を愛するためには世界まで捨てようというのです。もっと遠く大きいもののために、私に近く小さいものを犠牲にする愛の道を求めていこうというのが、統一教会の主流思想です。(100-79,1978.10.8)

 

今日、民主世界が第3解放を要求するならば、共産世界では第2解放を要求するのではないでしょうか。このような問題を考えてみるとき、第2解放、第3解放の旗手になり、その源泉とし得る新しい主義と思想は、どこから来るのでしょうか。これは、人間世界からは出てくることができません。人間は、今まで数千年の間、この解放を迎えるために身もだえして努力してきましたが、そのような環境も、内容ももつことができませんでした。それゆえ、人間だけを中心としては解放することができません。(33-224,1970.8.16)

 

皆さんは、民族主義者になりますか、世界主義者になりますか。宗教は、世界主義だけではありません。人間だけを良くしようという主義ではなく、神様まで良くしようという主義です。しかし共産主義や民主主義は、人間だけを良くしようという主義です。それで神様まで良くしようという主義と、人間だけ良くしようという主義と、どちらの主義が良いですか。神様も良いし人間も良い主義が良いですか、主人を除いて僕たちだけで喜んでいる主義が良いですか。それゆえ、宗教は良いものなのです。(41-44,1971.2.12)

 

最後に残る思想は何でしょうか。世界のために、自分の国や国民よりも、世界をもっと愛する運動、神様をもっと愛する運動だけが、最後に残る主義になるでしょうし、思想になるでしょう。ですから、この国を越え得る超民族的運動を世界的に提示し、超民族的に天が愛する立場に、あるいは世界の人々が愛する立場に、自由に行けるようにするためには、どのようにすべきかを模索する主義だけが問題となるのです。(53-24,1972.2.4)

 

今後、この世界を受け継ぐ主義、思想は、自分の国家を犠牲にしても世界を救おうとする主義、思想です。このような思想をもつ国、このような新しい運動を中心とした国家と国民が登場するようになるとき、この世の中には新しい希望の世界が顕現するでしょう。そこから新しい統一の世界、理想世界が顕現することでしょう。国を越えることができない国家観、歴史観は、神様の理想世界を引き継ぐことはできません。(51-44,1971.11.4)

 

一つの目的に帰一させ得る思想は、自分を中心とする世界観ではありません。この思想は、世界を中心とする世界観であり、万国を中心とする世界観です。これが、一つの目的に帰結させ得る思想です。これは、世界と分離された立場から自分の氏族を誇る思想ではなく、人間自体のために生きる思想です。人間ならば誰でも、このような思想によって成された世界を願っているというのです。(36-175,1970.11.29)

 

(ノアの三人の息子のように)黄色人種は長男であり、黒人は次男であり、白人は三男ですが、彼らが争うのを、韓国が「統一思想」を通じて統一し得るというのです。このようになることによって、神様を中心とした理想的祖国創建ができるというのです。そこから初めて、平和の世界、一つの世界、統一の世界、勝利の世界へと、世界は収拾されていくというのです。そのようにして地上に天国を形成すると同時に、神様と一致しなければなりません。天上天国の主体であられる神様を地上にお迎えして、統一された一つの天国を形成しなければならないのです。これが統一信徒たちのやらなければならない使命であることを、はっきり知らなければなりません。このような基盤のもとで初めて父母と一つとなることによって、平和の天国生活が始まるのです。(79-83,1975.6.1)

 

統一教会とは、いったい何ですか。右翼を抱き左翼を抱いて、これらをつかんでどこに行くのでしょうか。ここから追い込まれて争う闘争の世界を越え、天が導く幸福の世界、ユートピアの世界に導くのです。これらを抱いて平面的に行ってはいけません。これが何のことかといえば、統一教会が、思想的に体制によって没落して失敗したことを全部収拾できる論理体系をもっていると同時に、これを抱いて横的に運行できるのです。また同時に、宗教を中心として縦的な基準で運行し得る霊的な体験の基盤を中心として、超越的実体を追求しなければならない内容をもつべきなのです。
統一教会は、人間的な面での人本主義や物本主義、今までの過去のすべての神本主義も体系的に理論化し、それを統合できる内容をもつと同時に、縦的な面で宗派を超越して連結していける、超自然的な体験の宗教思想にならなければなりません。その事実を知らなければならないのです。(162-102,1987.3.30)

 

すべての物質主義者、共産主義者たちが見るとき、「統一教会の信者であるあの人は、私たち共産党よりも徹底していて、人格的に、良心的に、内外すべての面において徹底している。共産党自体があのような人を必要とする」と言うことができ、また、世俗的な人本主義者たちが見るときにも、「ああ、私たちの世界に、あのような人がいたらいい」と言うことができ、今までの既存宗団たちが見る時にも、「ああ! 統一教会の信者は、私たちの宗団を越えた立派な人だ。あのような人が、私たちの宗団の人だったらいいのに」と言うことができ、神様が御覧になれば、「ああ! この人は、私に絶対必要だ」と言うことができる、この4大面において、必要とされる資格を備えた人がいたならば、問題は解決されます。(162-102,1987.3.30)

 

 ②その国を求めていかなければならない

 

皆さんが願う、その国とは、どのような国ですか。その国は、今日、皆さんが生活している、このような国ではありません。このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。皆さんがこのような国と因縁があるとすれば、罪悪の因縁があるというのです。皆さんは、本来、その国のみ旨と神様のみ旨が結びつける善の因縁をもてなかった、堕落した人間の子孫として生まれたということを、自らがよく知っています。(37-217,1970.12.27)

 

国がなければ国籍がありません。国がなければ入籍し得る土台がないのです。私たちは、民族編成をして、新しい入籍をしなければなりません。この地上に天の国を編成し、その国籍をもち、愛国、愛族する、真であり善なる父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘として、自分の血族、あるいは家族を率いて生きたのちに逝ってこそ、天上世界の天国に入れるのです。これが原理です。(58-145,1972.5.22)

 

国があって初めて、千秋万代の私たちの子孫の前に、大切に残してあげられる伝統も残るのであり、私たちの血と汗を流したすべての努力も残るのであり、天の苦労を祝える記念の塔がこの地上に生じるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地上に残れるのであって、国がなくなるときには、すべて無駄になるというのです。
今日の世界キリスト教において残された十字架だとか、すべての文物も、天が求めようとする国がなくなるときには、全部を川に流さなければならず、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡(注:まるめこむこと)に倒されていくということを知らなければなりません。それゆえに、国が問題だということを皆さんは知らなければなりません。(55-339,1972.5.9)

 

真の父母の愛を受け、神様の愛を受けなければなりません。ところが神様の愛は、国がなくては受けられないのです。
本来のアダムは、一人でも国の始まりです。サタン世界のサタンの国より優れた国があってこそ、神様の愛を受けるのです。私たちは、神様の愛を受けますが、代わりに受けるのであって、直接受ける立場になっていないのです。真の父母の愛は受けることができますが、神様の愛を受けようとするなら、国までもたなければなりません。
なぜでしょうか。サタンが残っていて、サタンの国が残っているからです。それよりも上がっていかなければならないでしょう。そのような道を、皆さんが行かなければならないということを、はっきり知らなければならないのです。(90-116,1976.10.21)

 

先生は、復帰摂理を歩んでいます。この世の政治と経済、文化世界を基盤として神様の摂理を解いたということは、歴史上にないことです。今、世界の学者たちの中で、韓国語を勉強する人が増えています。レバレンド・ムーンのみ言選集を原語で読むためです。それは通訳、翻訳すれば権威がないのです。皆さんは、これを読むことができなければいけません。皆さんが、この原語で書かれた先生のみ言集を一度、読んでみなければならないのではありませんか。(161-289,1987.2.26)

 

私たちが求めなければならない祖国というものは、今日この地上にある、そのような歴史と伝統をもつ国ではありません。そのような国とは、本質的に次元が違うのです。私たちが次元の違うその国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致した思想でなければならないのです。絶対者が願う国が存在するには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致できる国になることを願わなければならないのです。そのような国民性をもち、国家形態をもたなければならないのです。(49-93,1971.10.9)

 

本然の地とは、どんなところでしょうか。悪が宿るところではありません。悪と絶縁して、あふれ流れる本然の愛を中心として、永遠無窮に幸福を謳歌しつつ生きる、永遠の統一世界です。ところで、そのようなところで生活した人がいたでしょうか。一人もいませんでした。歴史上、数多くの人々がそのような世界を追求しましたが、そのような世界は、この地上に建てられませんでした。その世界が、どんな世界だということを語った人はたくさんいましたが、自ら実践して、そのような世界を成した人はいなかったというのです。(18-102,1967.5.28)

 

一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国も、やはり同じです。主権を代表するのが父母であり、国民を代表するのが息子、娘であり、国土を代表するのが国だというのです。この中で、どの一つも除くことはできないのです。これは鉄則です。(35-279,1970.10.25)

 

国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。主権とは何でしょうか。根源的な神様と因縁を結ぶことです。国を治める人々は、国民が深く寝入ったあとに、神様と因縁を結んで政治をしなければなりません。
そうして、主権者は、国民と一つとならなければなりません。国民と一つとなって、自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、国のためものであると考えなければなりません。そのようになれば、その国は繁栄するのです。(30-88,1970.3.17)

 

一つの国を見れば、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。国民がいなければならないのです。国土がなければならないのです。
そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人とは誰でしょうか。主権者とは誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして国民とは誰でしょうか。国民は万民です。それでは、国土とはどこでしょうか。地球星です。(96-15,1978.1.1)

 

どんなに大きい社会、どんなに大きい国家だとしても、人に似なければなりません。これは、神様がご自身の形状に似ているものを好まれるからです。
それでは、人が一番好きなものとは何でしょうか。自分の形状に似たものです。それゆえ、理想的な国家は、人に似なければならないのです。似ていますか、似ていませんか。天地人に似ているというのです。(26-183,1969.10.25)

 

私が行き来するのも、その国を取り戻すための、祖国光復のための、建国の功臣になるためです。そのような使命を担って、あるいは天の密使として指令を受け、今日、悪い世の中に来てこのようなことをしているという事実を考えながら、生きていかなければなりません。そうでなければ、皆さんは今後、やがて到来する国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。(50-255,1971.11.7)

 

6000年の間、神様に打撃を与えてきたサタンがただ素直に、「ああ、私は下降します」と視線を落として帰るでしょうか。皆さんは、ぞうきんのような物でも、捨てようとすれば、もったいないと思うでしょう。ぞうきんの切れ端でもひっくり返して、においをかいでみて捨てるでしょう。サタンが、ただで引き下がるはずはありません。それで執拗に闘いを挑んでくるというのです。
ですから、中心に合わせなければなりません。統一教会の文先生も、中心からずれてしまうときは、折れていくのです。方向が合っていなければ発展しません。(57-276,1972.6.4)

 

統一教会員たちは、裸足で立ち上がり、祖国を創建しなければなりません。食べ残しをもってこの国を生かせるでしょうか。いつ食べて、着て、乗り回ることに気を遣っていられるでしょうか。裸足で、素手で開拓していこう、このようにするところが統一教会です。(14-201,1964.10.7)

 

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