「家庭連合」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●真の父母は、ユダヤ教・基督教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

連載最終回『家庭連合失敗の研究』「偶像」 としての「性愛」

しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、子羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

 

●原理講論総序より

しかし、このような社会的な悲劇は、人間の努力いかんによって、あるいは終わらせることができるかもしれない。けれども、人間の努力をもってしては、いかんともなし得ない社会悪が一つある。それは、淫乱の弊害である。(原理講論・総序 27頁)

 

●はじめに

連載「家庭連合失敗の研究」最終回は、「偶像」としての「性愛」である。

サタンは、人間社会を「偶像」を利用し、堕落人間の心霊を支配してきた。
そして、その「偶像」支配の最後の切り札こそが、偽りの愛としての「性愛」に他ならない。

現代人は、急速なインターネットの普及発展により、地球上の如何なる場所の情報でも瞬時に手に入る利便性を享受してきた。
しかし、この文明の利器は双刃(もろば)の剣でもある。

善に活用すれば、多くの真理のみ言を瞬時に人類万民に伝播することが出来る。
しかし、悪に活用すれば、サタンの最終兵器にもなり得る。
青少年に甚大な被害をもたらす有害写真や動画という偽りの「性愛偶像」の際限ない氾濫は、現代が、まさしく終末であり、我々が神とサタンの最後の決戦場に生きていることが分かる。

韓鶴子総裁が率いる「世界平和統一家庭連合」は、このサタン最後の攻勢に対し、メシヤを守護し、神の国実現に邁進できたのであろうか。

以下検証する。

 

 

●お父様の尻尾(しっぽ)発言で
再臨主の権威を破壊した韓鶴子女史


結論から申すならば、残念ながら韓鶴子総裁は、文鮮明師を守護するどころか、権力を掌握するやいなや、文鮮明師の伝統を破壊しはじめ、その権威を地に投げ捨ててしまった。

韓鶴子女史は、そもそも文鮮明師の第一の母を、破婚として認めていない。
それどころか、1960年の御聖婚で、お父様が、新婦を選ぶ権利すらなかったと主張している。

地上におけるメシヤの守護者として、その絶対的勝利圏を証ししなければならなかった「家庭連合」が、韓鶴子総裁みずから、神から授与された権威を否定し、葬り去ったとするならば、もはや「家庭連合」に、神が働かれるはずがない。

再臨主による霊肉ともの血統転換講義を、聖書に根拠のない女メシヤによる血統転換講義に変更し、二世祝福家庭をいかに正しい道に指導できるのであろうか。

まったく、不可解としか言いようがない。



●お父様の祝福権の否定は
祝福家庭の存在価値の否定である

お父様の在世中は、おくびにも出さず沈黙しながら、聖和とともに公表された韓鶴子女史の「独生女論」。

この不可解なる主張の要約は、「お父様は原罪誕生の失敗メシヤであり、私は無原罪誕生の勝利メシヤである」との主張に尽きる。

「独生女論」を根本教義に掲げることは、祝福家庭の意義と価値を、土台から根こそぎ転覆させる破壊行為である。

また、別の宗教教団への宗旨替えを意味する。

韓鶴子女史の「天の父母様聖会」への名称変更は、文鮮明師が築き上げた統一教会の否定であり、抹消なのである。

韓鶴子総裁は祝福家庭に対し次のように語っているに等しい。

「おまえたちは、文鮮明師にだまされて導かれてきたのよ。お父様は、原罪誕生の偽メシヤだったのよ。血統転換はわたしが成立させるのよ」と。

今までの「祝福の意義と価値」講義とは、なんだったのか。
我々の祝福はまったく価値のないものだったというのであろうか。

虚脱感に襲われるのは、私だけであろうか。

家庭連合二世の一斉蜂起は、韓鶴子総裁が、祝福問題に対し真実の道を行かなかったことに対する、神の審判なのであろう。

 

 

●「世界平和統一聖殿」(文亨進師)の家庭連合祝福に
対する基本的な見解


これに対し、上記のような成約聖徒大混乱の中で、世界平和統一聖殿の文亨進師はすべての成約聖徒に対し、次のようにみ言を語る。

文鮮明師聖和以後に韓鶴子女史が単独で挙行した聖酒式の聖酒は、神の聖酒ではありません。それは、偽りの神の偽りの聖酒であり、その聖酒を受けた者は、従来の祝福権能も無効になってしまわざるを得ない。
したがって、世界平和統一聖殿で、真実の神からの聖酒により、「戻る祝福」を受け直さなければ、本来の祝福家庭に復帰する道はない」と。

 

●おわりに

 

最終的な終末時代を生きる聖徒は、真実を見定めなければならない。
「偽りの性愛」と「真実の性愛」の交差点は、結局「祝福問題」に行き着く。

従来の文鮮明師の祝福権に疑義を呈する韓鶴子総裁の祝福に関する根本教義は、果たして神の示す真実なのであろうか。
それとも黙示録に登場する、終末時代の「偽メシヤ」「大淫婦」なのだろうか。

韓鶴子女史の主張と鋭く対立する、真の血統後継者・文亨進師の主張は正しいのであろうか。

二者はまったく、真逆の立場に立つ。

しかし真実は、一つしかない。

永遠の生命のかかった「いのちの書」に名を記された者となるために、我々は、どこが命の道なのかを、明確に見定めなければならない時にきているのである。


祈り

 

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