証言01)
マルコ福音書「ぶどう園の聖句」
「これは跡取りだ。殺してしまおう!」
イエスは、例えで彼らに話し始められた。「ある人が、ぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りの櫓を立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋叩きし、何も持たせないで帰した。そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。その他に多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。まだ一人愛する息子がいた。『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。農夫たちは話し合った。
『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外に放り出してしまった。さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人達に与えるにちがいない。聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、私達の目には不思議に見える。』」(マルコ12:1-11)
これは、イエス様が当時語られた例え話です。僕とは神様が遣わした預言者であり、ユダヤ人が痛めつけ、時には殺害した人達を語っておられることは、聴いていた律法学者やファリサイ派の人々には明白でした。神様は、最後にご自身の独り息子イエス様を送られますが、農夫たち即ち、聖職者たちは語ります。
「これは跡取りだ。さあ殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。」
私が読んだ聖句は、確実に現代の状況を示しています。
アボニムは後継者をぶどう園において指名されました。でも聖職者たち、つまり、韓国教会の幹部たちは…米国教会の幹部たちは基本的に僕の僕です。韓国語を話せないし、韓国で何が起こっているか知りませんでした。最高委員会に参加していた、トーマス(トム)・ウォルシュのような人は、韓国における動向を理解していたと思われますが、手掛かりがなかったようです。
彼は実際に決定を下している舞台裏の議論には加わっていなかったので、何が行われたのかについて手掛かりがありませんでした。
証言02)
クーデター準備の首謀者は
キム・ソクビョンである!
天正宮と他の場所にいる幹部たちは、「キム・ソクビョン」を中心に繋がっていました。彼は文鮮明師の教会ではなく、「韓鶴子氏の教会」に属していると公言した男です。彼は初めから、アボニムのために来たのではなく、常に「韓鶴子氏」に従って来ました。
そして、共産党の委員長を彼らは宣伝局長と呼ぶように、PeaceTVの局長、全メディアの局長であり、教会の公式メディア・写真などを牛耳り、彼は強い位置に居ました。彼は、毎日アボニムと韓鶴子氏に接する位置に居ました。そして彼は、このように接する中で韓鶴子氏の信用を得たのです。
彼が権力の座に登るために特に重要だったことは、ヘリコプターの事故でした。皆が、アボニムを一刻も早くヘリから救出しようとして山に登り、ヘリから離れると、ヘリは炎上しました。しかし、キム・ソクビョンは韓鶴子氏に集中し、彼女を背負って移動しました。
彼女が彼を命の恩人と信用したのは、明らかです。特に彼はこの時から、アボニムが聖和されたらすぐに、教会とアボニムの基盤を支配しようとしている者達の間で、強い力を持ち始めました。アボニムが聖和される前に、アボニムのみ言の何処を改竄するか、そして、祝福やその他のものを支配することを画策していました。
私は今になって思い出します。誰かが何か少し変に感じることを言ったことを、時々振り返り、分かっても、当時は追及しませんでした。今、皆さんは振り返り、分かるのです。「そうか。それが彼の言っていたことだったのだ。」
証言03)
聖和式準備における主導権争い。
2012年8月の半ば以降、アボニムは陽暦の9月3日に聖和されましたが、国進ニムと亨進ニムが、アボニムの聖和式の計画の準備を始められたことを覚えています.
もちろん、アボニムの息子であり統一財団の長である国進ニムは、清平には他の力の中心があり、清平は国進ニムや統一財団或いは教会には決して従わないので、彼と二代王がこの計画の中心になることを明確にしたかったのです。当時の清平は他の独立した権力機関であり、聖和式の準備をする権利を要求する可能性もありました。
韓氏がこのように言ったことが、一つだけ報じられています。「良いです。統一財団と教会がどれぐらい良く準備できるか見ましょう。彼らがどれぐらいできるのか見ましょう。彼らを前に出して、させて見ましょう。」韓氏は,準備されたものを見る権利を残し、多分最後にそれをキャンセルして、清平の力の集団が準備したものを通すつもりでした。とにかく、国進ニムは、これは韓氏が言ったことだと聞きました。
しかし今振り返ると分かりますが、清平の集団とキムソクビョンがしようとしたことは、クーデターのプロットを描きながら、基本的に国進ニムと二代王を前に出して、聖和式の全ての計画をしてもらうことでした。彼らは、聖和式の準備にとても忙しかったのです。なぜなら、既にただの計画ではなく、クーデターの実行を計画していたからです。そして、彼らは支配するための力を結集していました。
証言04)
クーデターの第一砲火。韓氏会議を仕切り、
「神様」から「天の父母様」へ変更を宣言。
聖和式の前に、天正宮において会議があり、私も参加しました。韓氏は言いました。「神様はもはや,神様とは呼ばれない.それは…」家庭連合が今呼んでいる名前ですが、私はここでは繰り返しません。それは、クーデターの一斉射撃の一発目でした。あなたは言うかも知れません。それは、アボニムと後継者に対するクーデターの第一砲火でした。
次に同じ部屋で行われた会議ですが、天正宮においてその部屋は、アボニムが訓読会をされた部屋でした。韓氏は会議を仕切って人々を回り、喪中であることを印象付けました。実際聖和の直後でした。約150人が集まっていました。私もそこに居て、彼女は人々を回り、事を印象付けました。
人々は多くの国会議員が参加し、海外からも多くの人達が来て、数十万の人達が整然と参列することを話していました。二つの場所がありました。一つは丘の麓の体育館です。もう一つは丘の上です。私達数千人が丘の上に居るので、数十万の人達は丘の麓に行くはずでした。
当然私は国進ニムに従って、彼の行く所何処にでも行きました。私の仕事でしたから。真の家庭の他の人達は、アボニムのご遺体に挨拶するために来た弔問者に、交替で挨拶をしていました。国進ニムがいらっしゃる時は、私もそこに居ました。彼は数時間を上で、また数時間を丘の下で、弔問者に挨拶をされました。一日に数千の人達が丘の上に登り約10日間続きました。
聖和式の全日程は13日でした。アボニムのご遺体を丘の上で見られたのは、大体10日間でした。準備期間があったからです。そして、毎日文字通り、数千の人達でした。いろいろな理由から私達は、弔問者の数を制限しました。喪の期間に、数万の人達は、ご遺体を見ることができ、数十万の人達は、丘の麓の体育館で参列し、敬拝をしました。
論理的に正しく作戦の展開でした。山の中腹の一本道でした。人々はバスに乗ったり、車に乗って来ました。バスの出入りも論理的な展開でした。人々は列になって、何時間も待ちました。全く展開でした。
会議において、韓氏に名指しされたリーダーが、どのように論理的な展開が成功しますかと聞いていました。
花は信じられない程きれいでした。皆さんが式典の写真を見たかどうか知りませんが、花を飾る専門の会社が日本から来ました。当然費用は高かったですが、彼らは数万の花を持ってきて、信じられないような方法で飾りました。私が今までに見た中で、最も信じられないような花飾りでした。そして、もうこのような花飾りは、見られないだろうと思いました。そして何人かがそのことを話しました。
証言05)
亨進二代王様は聖和追悼期間中平壌を訪れ
政府要人からの公式弔問を受ける。
当然、世界中で聖和の追悼行事が行われました。二代王は、この喪中に平壌を訪れ、北朝鮮政府の公式弔問者とアボニムの生き残っておられるご親族の弔問を受けました。彼らは、その間に亡くなられたと思います。
また、この間二代王が政府の要人でなく、民間人として、ソウルからピョンヤンに、陸から渡った数少ない人になったことは大変なことでした。それは考えられない程、僅少なことであり、二代王はそれを許された僅少な民間人となりました。
そうするためには、韓国在住の国連の司令官の許可と、さらに北朝鮮政府の許可が必要です。そして北朝鮮の軍司令官の命令に従わなければなりません。双方が同意し許可しなければできません。二代王は特別な計らいで、この場合に限って民間人として往来ができました。民間人の一般のルートは、北京経由またはウラジオストク経由です。
それはとても印象的で、歴史的な出来事が喪中期間に起こりました。誰かがそのことを話していました。
証言06)
クーデターの第二砲火。
「一番大切な事は、私の母があの体育館を建てた事です!」
しかし、韓氏は最後に言いました。「ああ君達は一番大切なことを忘れました。」
皆は疑いました。「一番重要なこととは何ですか。」
彼女は、「一番重要なことは私の母です。霊界におられますが、母があの体育館を建てました。」
もちろん彼女は、実母である大母ニム(洪順愛=ホンスネが本名で、アボニムが下さった雅号が大母ニムです)のことを語りました。大母ニムは金孝南氏を通して働かれ、資金を集め、体育館を設計し建設しました。私は韓氏の言葉を覚えています。「あの体育館がなければどうなっていたでしょうか。ソウルの中心部か何処かのホテルでこの儀式をすることになっていたでしょう。」
座っていた私は驚きました。この時は私はまだ韓氏に忠誠を尽くしていました。私は、何か変だと思いましたが、彼女を疑うことは断じてありませんでした。しかし彼女がそのような外的なことに集中しているのは変だと思いました。途方もないもてなしがあり、準備をして下さった国会議員や政府の要人に対するもてなしがあり、催事に来て下さった人達へのもてなしの実りがあると言うのに。
とにかく彼女は間違っていました。彼女の母洪順愛氏ではなく、全てはアボニムの祝福によってなされました。アボニムの祝福の力が清平を成功に至らしめ、清平への献金をもたらしたのです。アボニムが祝福していなければ日本の食口も献金をしなかったでしょう。それは主に日本のものであります。米国人や韓国人の清平への献金額は、日本人に比べて僅少ですから。
個々人は可能な限り全てを献金しましたが、日本人と比べると額は少ないです。日本人はアボニムの祝福がなければ献金をしなかったでしょう。信頼は洪順愛氏或いは大母ニムではなく、韓氏はその時このことを言うべきでした。
これが私の気づいたこのクーデターの第二砲火でした。私の気づいてない多くのことが進んでいました。
証言07)
「私を誰だと思いますか。」
「違います、私は神様です。」
二代王は語られます。彼と真の家庭の人達が韓氏に呼ばれて韓氏に尋ねられました。「私を誰だと思いますか。」二代王は応えました。「あなたは勝利された真の母です。」彼女は言いました。「違います。私は神様です。」二代王は仰天して言われました。「いけません。そのようなことは言わないで下さい。」
このようなことが裏で進んでいたことを、私や他の祝福中心家庭は全く気づきませんでした。私は当時、物理的には国進ニムにかなり近かったのですが、どんなに近くても、そこには交差しない明確な一線があります。
証言08)
第三砲火。韓氏オモニ、
亨進様の韓国教会長離任を指示。
とにかく私は第二砲火に気づきました。私の知る第三砲火は、二代王は確認できないと言われますが、私の再調査からは9月30日に、彼は韓国教会長の位置を失いました。それは韓国の2012年の秋夕(チュソク)の日でした。
そのことをどう聞いたのかよく覚えていませんが、その日私は居なかったのですが、韓氏が地区長達や長老達を天正宮に集めて、彼を韓国教会長から離任させるように指示し、皆は同意しました。
その時から私の韓氏への忠誠心は崩れ始めました。その時までに私は、彼女が自分の方向に進み始めたと見ました。すでに述べた二つの会議において、彼女はアボニムとは違うことを表明しました。「アボニムは皆さんに愛をもって対しましたが、私はそうではありません。」そのような感じです。
証言09)
アボニムのみ言は磨かれていないダイヤ、
私が(韓氏オモニ)がそれを磨く。
彼女は既に違った道を進んでいることを表明しました。そして彼女は、「アボニムのみ言は磨かれていないダイヤモンドで、彼女がそれを磨く」という類推を始めました。そのような話が出てきて、当時私は、彼女の意図がよく分かりませんでした。しかし今ははっきり分かります。彼女の意図は、み言を自分の好きなように編集し、改竄することでした。
当時私達は分からなかったのですが、今は分かります。彼女は数か月前から成和社に行き、アボニムの御言集の後半、つまり彼女と翼下の韓国のリーダー達には不都合な箇所を改竄させました。彼女は教会の出版会社である成和社を握っていました。すでに発送された書物の問題となる箇所を含む物を全て回収し、彼女の許可しない不都合な箇所を全て削除して、再度出版しました。
このことはアボニムがまだご健在の時に実行されました。彼女の意図する「ダイヤモンドを磨く」或いは「ダイヤモンドをカットする」または正しい表現が成されたのです。
10月には彼女は、特定の組織を直接支配することをどんどん語り始めました。11月15日に私が会議に出たことは既に何度も話しました。
証言10)
国進様は梶栗日本会長の聖和式参席が最後。
韓氏オモニより日本に対する責任を解任通告。
その年の12月30日か31日に、日本で梶栗氏の聖和式がありました。彼は国進ニムが拉致問題と日本政府が教会に対して根本的に厳しくなっていた際、日本を支援して下さった時に日本の会長をされていました。国進ニムはその時、教会の改革を支援し、政府が教会を潰さないようにしてくれました。
梶栗氏はその時の日本会長でした。そして彼は病気でした。彼が会長になった時、既に不治の病でした。いつまで務められるか疑問でした。梶栗氏は一度だけ、国進ニムに日本語で間接的に告げました。「私はいつ亡くなるか分かりません。後継者を指名して下さい*。」しかし彼は亡くならず、医師や本人そして他の人達が思うよりずっと長く続けました。とはいえ、2012年の暮れに彼は聖和され、30日か31日に、聖和式が日本の本部教会でなされました。
国進ニムは聖和式に参加され、基本的に弔辞を語られました。国進ニムは韓氏がどうなっているか分かっていました。韓国に戻ると韓氏は国進ニムに、もう日本には行かないように指示しました。彼女は言いました。「私が直接日本を主管します。」「私が直接主管します。」と三度も言いました。彼女は全権を自分に集中させ、1月の初めには国進ニムがもう日本に行かないようにしました。
その時国進ニムは、そうなることがはっきり分かっていましたから、聖和式で語ったとき、日本食口にどうなるかを語りました。彼は日本の教会は食口達のニーズに応える必要があり、教会はまず、そのニーズが何かを見出さなければなりません。そしてそのニーズを満たし、教会は献金の負担を(正確な数値は分かりませんが),年に10から20%まで減らすべきであると言われました。
証言11)
アボニム、国進ニムに伝える。
「日本の払うべき蕩減は終わった。」
彼はアボニムと話して「日本が払うべき蕩減は終わった」と聞いたことを話されました。日本はそこから解放されました。彼はその話を、私が呼ばれた際に語りました。
とにかく彼は、韓国に戻るとすぐに日本に対する責任から解放されました。物事はどんどん変になりました。私は1月に家庭連合への献金を辞めました。私はまだ統一財団で働いていました。国進ニムもそうであり、私は彼のフルタイムの通訳でした。
そして3月の初め、国進ニムは米国に来られました。彼は韓国で働いている間も普通に米国に来ていました。彼は米国での事業があったからです。彼はアボニムと協定があり、彼はアボニムのために韓国で働き、米国の会社セイロとカール銃器を時々続けるために、米国に戻っても良いことになっていました。
彼は韓国を離れ、3月の初め時々米国に戻っていました。もし私が呼ばれ、私か他のスタッフが行けば、他の旅程になっていましたが、彼は二度と韓国には戻りませんでした。
証言12)
国進ニムを統一財団理事長から不法解任。
彼が出発してすぐに、彼を統一財団の理事長から解任する動きが出ました。今統一財団の規則によれば、理事会は理事長によって招集され、会議の時間と場所は理事長によって決められます。
理事会には7人の理事がいます。理事の多数が理事長に会議の招集を諮ります。それは彼らの権限です。4人が要求すれば会議は開かれます。しかし規則によれば、会議の時間と場所を決めるのは理事長の専権事項です。三月に4人の理事が会議を要求しました。
初めははっきりしていなかったのですが、後で段々分かりましたが、この会議の目的は理事長の解任決議でした。規則によれば国進ニムを解任する会議は、彼の責任であり、会議の時間と場所を決めるのは彼の専権事項でした。だから彼は会議を招集しました。彼はニューヨークのカール銃器の近くで土曜日のある時間に招集しました。確か3月23日だったと思います。
しかし4人は言いました。「いいえ私達は、この会議を天正宮で開催したいのです。」彼らは韓氏の指示で、彼女の眼の届く範囲で会議を開催するようにしたことは、明らかです。彼女は自分のしたいことを、彼らがすることを確認したかったのです。でも国進ニムは動きませんでした。そして3月23日には奇妙なことが起こりました。
4人の反逆者、裏切り者は天正宮に行き、真の家庭の3人の理事は米国に来て、カール銃器本社の近くのホテルに集まりました。3人では定足数を当然満たしていませんが、4人居ました。彼らは多数でしたが、理事長が招集した会議ではなかったので規則を遵守した会議ではなかったのです。しかし彼らは前に出て投票し、理事長解任の決定を通過させました。そして確か月曜日に、彼らはこのようなことを登録している役所に行き、この決定を登録しました。
従ってそれは、国進ニムを解任するための不法な会議でした。今、国進ニムは、理事長の位置をアボニムからいただきました。投票によって統一財団の理事長になったのではなく、理事会の権威によるものではなく、アボニムの権威によって理事長になったのです。アボニムは彼を決して解任しませんでした。厳しい規則の元、国進ニムは今日もなお、統一財団の理事長です。統一財団の正当な理事長です。
今日統一財団を動かしている人たちは、天法に照らしてと私は言います、韓国の法の下で、世の中の法の下で、強奪者です。会議が不法であってもそれは登録され、役所が登録を受け付けました。7人中4人が理事長の解任に投票しました。その時の弁護士の説明では、役所は規則の詳細まで関与しないし、会議が不法であったか否かには関わらないということでした。
もし国進ニムが挑戦したいなら、彼は統一財団に対して、世の中の法の下で位置を復帰するために、専任弁護士を雇う必要がありました。彼はそうしませんでした。
国進ニムが世の中の法の下で、統一財団の理事長から解任されたのは3月でした。朴普煕氏(パクポーヒ)の弟である朴ノヒ氏が理事長に就きました。彼は4人の投票者と共に、強奪者です。
今日統一財団の理事長は誰でしょうか。私は、キム・ソクビョンと思います。チェユンキは一時的でした。強奪者の元凶は、キム・ソクビョンであって、その位置にいます。IPeaceTVの局長でした。クーデターを起こしたこのようなリーダーがその位置にいます。私はそう思います。私は家庭連合のリーダーの動向を間近にフォローしていませんが、それが進んでいると思います。
証言13)
亨進二代王は、2015年2月8日、
家庭連合の強奪者達を全員解任。
強奪者が関与しており、当然同じことが、二代王にも言えるのです。アボニムは二代王を韓国教会長に指名されました。アボニムは決して彼を解任していません。だから今の教会のリーダー達は強奪者です。勿論二代王は、2015年2月(8日)に彼らを全員解任しました。多くの人たちを説教の中で解任しました。
とにかく私の考えでは、ぶどう園の聖句において、農夫達は自分達が相続財産を奪うために後継ぎを殺害しました。彼らは、相続財産を奪うために後継者を放り出したことを私たちは知っています。ここで何が起こりますか。
証言14)
ぶどう園の主人は、農夫たちから、
ぶどう園を他の人達に与えるにちがいない。
「さて、このぶどう園の主人はどうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人達に与えるにちがいない。」
その通りです。その通りです。その通りです。
●ティム・エルダー本部長が証言した「キングスレポート」(*英文です。)
The King's Report 4/21/2018
<編集後記・鷹の目>
エルダー本部長は、長く国進ニムの通訳をされていたので、国進ニムの2013.3頃のご動向をよくご存知だったと思います。当時の断片的な情報が繋がり、また一層深く鮮明に描き出された気がします。
古今東西ルールがある以上、その適否は別にしてルールは守らなければなりません。ルールを守らない者達は、その組織にいる資格はありません。こんな幼稚園児でも知っているようなことを、守っていない集団があるかと思うと、笑止千万であり、また情けない思いがします。常識的には、理事長の不当な解任要求が起これば訴訟に持ち込むはずです。でも国進ニムは、その選択をされないで、あらゆる屈辱に耐えて、アボニムとの約束を固く守られたことに、深く敬意を表します。
二代王に対しても、米国会長・世界会長の解任などが勝手に決められ、横行したようですが、その根拠は不詳です。巨大な組織を自分達の思い通りに牛耳りたいから目の上のたん瘤を取ったのでしょうが、さすがに、王と王妃を解任することはできなかったようです。会長職などは輪番かも知れませんが、王位はご本人が譲位するまで、生涯存続するでしょう。そのことは天一国憲法にも明記されています。
目先の欲に走った者達の今後の趨勢をよく見ましょう。そして何が、誰が本当に正しいのかを確認しましょう。
<エルダー本部長のコメント>
私が記憶する梶栗会長の実際の言葉は「後をよろしくお願いします」でした。私は梶栗会長がこのような表現を通して自分の死がまじかに迫っていたことを国進様に伝え、後継者の人選をお願いしたものと解釈しました。実際にはこの後もかなりの期間生きて活動を続けましたが。
翻訳:「鷹」
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