●はじめに
第三回は、2001年1月13日『神様王権即位式』前後から、文鮮明師「聖和」までの十二年間、『韓国天正宮で起こった大事件』の解明である。
大江さんの懺悔録は、日本統一教会の摂理史本流を貫くものであるが、この背景を詳しく紐解くためには、韓国本部の動向が必要不可欠だからである。
また、この「天正宮で起こった大事件」は、日本の一般信徒は誰も知らない。
日本統一教会は一般信徒に対し、厳重に情報統制をしたからである。
最初に結論を申し上げる。
その「大事件」とは、韓鶴子総裁の豹変である。
そしてその事実解明のキーワードは「献金」である。
●大事件解明その1
『女性の時代』韓鶴子総裁の栄光
1990年代、韓鶴子総裁は世界平和統一家庭連合世界会長として全国主要都市で巡回講演を成功させた。
韓鶴子総裁が大会成功を文鮮明師総裁に「アボニム。勝利しましたよ!」と報告し、文鮮明総裁がねぎらいの言葉をかける。じつに微笑ましい映像を記憶されてる信徒は多いのではないだろうか。
実際、1990年代後半には、韓鶴子総裁は日本の主要都市も巡回講演された。私も東北各地で都合5回は講演に参加させていただいたと記憶している。
1999年6月14日に文鮮明師から韓鶴子総裁に「表彰牌」が授与された。これは、摂理的には、母子協助7年路程終了を意味する。
総括として、この時代の韓鶴子総裁は、文鮮明師に侍る淑女として、人類の真の母として模範的夫人であったことは申し上げるまでもない。
●大事件解明その2
『清平修練院の栄光』
清平修練院の出発は、1995年の清平の仮設テントではじまった。金孝南女史の「悪霊分立役事」の始まりである。
1995年は、文鮮明師がそれまで布石を打ってこられた韓半島の南北統一を成就し、天一国奉献をしなければならない天の第一プログラムがあった。残念ながらそれがかなわず、二次摂理として清平聖地による「天一国」創建摂理に移行した最初の役事が、この「悪霊分立役事」だったのである。
清平では、1999年11月に「天城旺臨宮殿」を奉献し、12月「直系1代から7代先祖祝福式」が始まる。
教区長の制止をものともせず、日本の婦人たちは大挙して清平におしかけ、莫大な献金が清平に集まりだす。
この日本資金を基に、2006年には「天正宮」が奉献され、次々に「清平聖地」に統一教会の中心教育施設や、保養所、総合病院までが建設されたことは記憶に新しい。
これは、後に、韓鶴子総裁の「清平バチカン化構想」に連結されていく。
●大事件解明その3
『韓鶴子総裁の離反』
2000年代「父子協助」時代に入り、真の直系後継者を選任しなければならない重要な時期を迎え、韓鶴子総裁は、徐々に、文鮮明師の指示事項をまもらなくなる。独自的行動が目立つようになり、ついに、文鮮明師に対し侍る姿勢も豹変してしまうのである。
この「豹変」の背景には、大きく二つの理由があるが、一番明確に指摘できるのは、莫大な「献金」を手中に収めたことにある。
清平修練院の莫大な献金奉献の大勝利は、文鮮明師(文家)に捧げられることなく、実の母の「大母様の勝利」と位置づけ、「韓氏氏族の勝利」として、誇ったのである。
清平修練院を統轄する「金孝南訓母」は、韓鶴子総裁の懐刀(ふところがたな)となり、時にはその指南役ともなった。韓鶴子総裁側近グループは、その後、金孝南訓母の莫大な資金援助を背景に、直系御子女様(男子)をつぎつぎに排除し、文鮮明師の教団資産掌握のための周到なプランを実行することになる。
●大事件解明その4
『韓鶴子総裁背信の確定』「文鮮明師御言選集」改竄指示。
2012年4月、文鮮明師「聖和」の半年前に、韓鶴子総裁は、文鮮明師「聖和」6ヶ月前に決定的な背信行為を行う。
それは、韓鶴子総裁は金孝律氏とともにソウルの成和社をおとずれ、既に2012年度出版されていた『文鮮明先生御言葉選集』22巻を自主回収させ、韓鶴子総裁にとって都合の悪い文鮮明師のみ言を削除させた上で、再出版させたのである。
ところが、悪事はかならず露見するものである。
成和社からの回収要請に応じず旧版を保持していた信徒がおり、新版書籍を受けとった信徒が、新旧書籍を比較検証し「み言を改竄するとは何事か!」と成和社に抗議が入り、事実が露見したのである。
(*『文鮮明先生御言選集』は615巻(2007年)で中断し、その後発刊されていない)
●おわりに
上記解説で、韓鶴子総裁が、2013年の「基元節」を単独挙行し、「独生女論」を構築、文鮮明師の遺言であった「八大教材教本」を破棄、三冊の「天一国経典」を新たに編纂しなければならなかった理由がお分かりであろう。
『文鮮明師は原罪誕生であり、自分は無原罪誕生の「独生女」で、基元節前に聖和した文鮮明師の失敗摂理を、自分が完遂勝利した』という、トンデモナイ「独生女史観」の主張は、もはや「神学」などではない。
前回述べたように、大江元広報部長の「懺悔録」の基底は、この「独生女史観」で文鮮明師とともに、汗し涙した統一教会指導者の精誠を、韓鶴子総裁が、トンデモナイ歴史観で否定してしまったことにあるのである。
ところで、韓鶴子総裁は、ほんとうに、文師が未完遂だった摂理を完成勝利したのであろうか?
講演や講話で、韓鶴子総裁は、ついに文鮮明師の功績を称賛する言葉を語らなかった。
さも自分が成し遂げた功績のように主張する「豹変した」韓鶴子総裁の最大の証しが『人類の涙をぬぐう平和の母』(自叙伝)の記述である。
自叙伝で主張する「最貧国等で展開された七ヵ国復帰」の成果が、その後どの様な顛末に至ったのであろうか?
韓鶴子総裁は、ほんとうに勝利者として『人類の涙をぬぐう平和の母』となったのであろうか???
どこにも勝利の「かけら」も、みあたらないのである。
最側近の金孝南女史も、イ・ヨンホ氏も、いまや排斥され組織中枢にいない。
あるのは、「天苑宮」建設のための莫大な借財を日本に肩代わりさせるための「特別献金」の要請のみという虚しさである。
つづく。
祈り。アージュ!
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