◆バビロン捕囚とは何か
バビロン捕囚(Babylonian Exile)とは、
紀元前586年に新バビロニア帝国がエルサレムを滅ぼし、ユダの指導層をバビロンに連行した事件を指します。
◆主な出来事の流れ
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 前722年 | 北王国イスラエル滅亡(アッシリア) |
| 前605年 | 第一次捕囚(ダニエルなど) |
| 前597年 | 第二次捕囚(王エホヤキンなど) |
| 前586年 | エルサレム神殿破壊・国家滅亡(バビロン捕囚) |
この出来事は
列王記下25章に記録されています。
「カルデア人は主の宮と王宮を焼き払い、エルサレムのすべての家を火で焼いた。」(列王記下25:9)
◆はじめに
連載【家庭連合バビロン捕囚】を始めます。
「旧約聖書のユダヤの民と、我々(家庭連合)を同一視するとはどういうことだ!」と信徒の皆様から痛烈な批判の声が聞こえてきます。
しかし、韓鶴子総裁のソウル拘置所収監に象徴される家庭連合本部の状況と日本教会の宗教法人解散命令が同時並行的に進行している事実こそが、【家庭連合(祝福家庭)】が「神の審判圏の頂」にあることを立証しております。
ところが、「神の試練」と「神の審判」では、まったく神学的な概念が異なります。
その解説からはじめてまいります。
◆神の【試練】か【審判】か。
◆「神の試練」とは
「神の試練」の一番わかりやすい例は、「イエス様の三大試練」です。
罪のない一人子であられるイエス様が、サタンから試練を受けられたことが福音書に記述されています。
結論として統一教会では、「試練」という神学用語を、【罪がない方が蕩減として苦難を引き受ける】という意味で使用されていると解釈できます。
◆「神の審判」とは
「神の審判」は、「罪人が神から最後の審判を受ける」という使用が代表例です。
つまり「審判」という用語は、あくまでも「罪人」が神から裁きを受けるという意味で使用されているわけです。
◆家庭連合はなぜ、
神の【審判】を拒絶するのか。
◆「韓鶴子総裁」の独生女論
家庭連合を牽引している責任は韓鶴子総裁であります。
そして韓鶴子総裁は、自らを【独生女(女性メシヤ)】(罪なき方)と宣言しているのです。
つまり、家庭連合は「【女性メシヤ】が率いている教団が【神の審判」を受けることはない」という一貫した神学的立場を主張しているわけです。
◆田中富広会長の辞任会見
昨年12月の田中富広会長辞任会見は、象徴的な事案です。
「教団としての謝罪はしないのか」という記者の問いかけに対して、最後まで田中会長は教団としての謝罪を拒絶しました。
このことは、【女性メシヤ】としての韓鶴子総裁のみならず、【家庭連合】という教団もまた、【選民教団】として神のみ旨を遂行しただけという絶対的信仰が存在します。
このことは、一面では正しいし、一面では間違っております。
つまり、文鮮明師統治時代においては概ね正しく、韓鶴子総裁統治時代においては間違いなのです。
◆家庭連合には「悔い改め」が存在しない
結論として、上記のように分析しますと、家庭連合は教団幹部はもとより、その教育を受けた一般信徒まで、そもそも【悔い改め】が存在しないと理解できるのです。
◆「総裁収監」「解散命令」は
神の【審判】である。
一番大切なことは、家庭連合韓国本部も、日本の松濤本部幹部も、抜本的な【悔い改め】から出発する必要があるという事実を受け止めることです。
冒頭で説明したとおり、韓国における【韓鶴子総裁収監】と日本教会の【解散命令】が同時並行で進行したことこそが、【神の審判】の立証なのであります。
詳細は連載02で説明しますが、一番象徴的な例を以下に説明します。
◆「独生女論」は異端神学の極み。
「天苑宮」拝礼は偶像崇拝。
韓国の鮮文大学で論文とした発表された【独生女論(天の父母様神学)】は、基督教神学者も驚く似非神学でしかありません。
韓鶴子総裁をイエス様の相対格の女性と規定、【女性メシヤ】を認定した神学の登場は、【統一原理】の完全否定を意味します。
この一事だけでも、【解散命令】が家庭連合に対する【神の審判】であることを明確に立証しているのです。
◆おわりに
次回以降で具体的な【成約聖徒の罪】を解説いたします。
【世界平和統一家庭連合】信徒のみならず、すべての祝福家庭(成約聖徒)が、今回の神の審判の対象であります。成約聖徒は、【韓鶴子総裁十二年】の失敗を認め、全面的な清算が必要なのです。
最初の出発基点は【神と真のお父様への悔い改め】にしかないのです。
祈り。アージュ!
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