「家庭連合」の研究

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連載06【独生女論が家庭連合を滅ぼす】韓鶴子総裁は本当に「学ばなくても知っていた」のか ?

史吉子先生は原理講論執筆者の劉孝元先生の御夫人です。【原理に関するみ言の証】は現在も光言社で購入することが出来ます。

 

【独生女論が家庭連合を滅ぼす】
第六回 韓鶴子総裁は本当に「学ばなくても知っていた」のか?

―生来的独生女論と、文鮮明師による教育の問題―

 

はじめに

第六回では、【独生女論・第四の中心教理】を検討します。

第四の中心教理は、次のように要約されます。

【◆独生女論:第四の中心教理】
文鮮明師が韓鶴子総裁を教え、育てたのではない。
韓鶴子独生女は、生まれる時から原理と摂理を知っていた。
韓鶴子総裁は一生涯、原理の勉強をしたことがなく、聖書の勉強をしたこともない。

この教理は、単に韓鶴子総裁の霊的感受性や信仰的資質を語るものではありません。

より本質的には、

韓鶴子総裁は、文鮮明師から教育されて「真の母」となったのか。
それとも、生まれながらに原理と摂理を知る「初臨の独り娘」として、文鮮明師から教えられる必要のない存在だったのか。

という問題です。

【天の摂理から見た真の父母様の位相と価値】第四章では、韓鶴子総裁について、「誰かが教えなくても、自ら体験し、感じて行動された」「天の父母様と一問一答しながら成長された」と説明されています。

一方で、初期の証言資料には、文鮮明師が韓鶴子総裁を真の母として立てるために、長い時間をかけて教育し、導き、育てたという内容も存在します。

本稿では、この二つの説明の間にある神学的緊張を検討します。

 

第一の論点
独生女論では、韓鶴子総裁は「生まれながらに知っていた」とされる

【天の摂理から見た真の父母様の位相と価値】第四章では、韓鶴子総裁の成長について、次のような説明がなされています。

真のお母様は、成長期に原理の教育を受けたことはなかった。
しかし、本然のエデンの園でアダムとエバが天の父母様と一問一答したように、真のお母様は幼い頃から天の父母様と一問一答しながら、天の父母様のみ意に従って成長された。

また、同章では、韓鶴子総裁について、

誰かが教えなくても、自ら体験し、感じて行動された。
天の父母様のみ旨を中心として、自ら判断して決心し、完成の位置、聖婚の位置に進むことができた。

とも説明されています。

この論理では、韓鶴子総裁は、文鮮明師や周囲の指導者から教えられて「真の母」になったのではありません。
むしろ、出生そのものにおいて天の父母様と直結し、生来的に天の摂理を感じ取り、自ら判断して聖婚の位置に進んだ存在として描かれています。

ここに、独生女論の大きな特徴があります。

韓鶴子総裁の位相は、教育や訓練によって形成されたものではなく、出生と血統に基づく生来的なものとして説明されている。

これは、通常の信仰者の成長理解とは異なります。
統一原理では、人間には成長期間と責任分担があるとされます。人は、み言を学び、信仰生活を通して成長し、責任分担を果たして完成へ向かうと理解されてきました。

ところが、この独生女論では、韓鶴子総裁については「学ぶ」よりも「本性的に知る」ことが強調されます。

ここに、第一の問題があります。


第二の論点
「原理を学ばなかったこと」が、むしろ独生女性の証拠にされている

通常であれば、原理を学んでいない、聖書を学んでいないということは、宗教指導者としての準備不足を疑われる理由にもなり得ます。

しかし、独生女論では、逆にそれが韓鶴子総裁の特別性の証拠とされます。

つまり、

学ばなかったから知らないのではない。
学ばなくても知っていたから独り娘である。

という論理です。

これは非常に重要です。

なぜなら、この論理を採用すると、韓鶴子総裁の教説は、通常の神学的検証の対象から外されやすくなるからです。

たとえば、韓鶴子総裁の発言が『原理講論』や文鮮明師のみ言と異なるように見える場合でも、

それは矛盾ではなく、天一国時代のより深い真理である。
真のお母様は学ばなくても天の摂理を知っておられる。

という説明が可能になります。

この構造は、教義検証を困難にします。

本来、宗教的教説は、聖書、原理、創始者のみ言、歴史的事実との照合を通して検討されるべきです。

しかし「独り娘は生まれながらに知っている」という前提が置かれると、批判や検証そのものが「摂理を知らない者の疑問」として退けられやすくなります。

ここに、独生女論の危険性があります。


第三の論点
しかし、初期証言には「文鮮明師が韓鶴子総裁を育てた」という別の記憶がある

文鮮明師の三弟子の一人、原理講論を執筆した劉孝元先生の夫人(史吉子先生)による証言講話には、文鮮明師が韓鶴子総裁を真の母として立てるために、どれほど苦労し、教育し、導いたかが語られています。

史吉子先生の【原理によるみ言の証】『お母様はお父様の偉大な傑作品』には、次のような証言があります。

昔、お母様が聖婚なさってから、お父様が深刻に神様の摂理について教育されるのを、私は何度も見ました。
お父様は、今になって考えてみると、お母様を教育するのが一番大変だったとおっしゃいました。数え切れない残酷な拷問を受けたことも、お母様を教育させる苦痛に比べれば、むしろ耐えるに易しかったそうです。それゆえに神様が「あなたがメシヤの使命を果たしなさい!」と言われた時、メシヤ、すなわち完成したアダムが、一人の女性を探して完成したエバに作るのがメシヤの責任であり、それがこんなに大変だとわかっていたら「私はできません」と断っただろうと言われました。
ところが、お父様はそれを知らないで責任を引き受けられ、自分を否定する訓練を神様から徹底的に受けられました。お父様は、「それだけでも大変だったのに、そこにお母様まで完成させなければならなかったので、本当に大変だった。それを私がどうして全て話すことができるだろうか」とおっしゃいました。
お父様は神様の傑作品であり、お母様はお父様の傑作品です。
史吉子『原理によるみ言の証』「お母様はお父様の偉大な傑作品」251~252頁

この証言が示す方向は、独生女論テキストの説明とは明らかに異なります。

独生女論テキストでは、

韓鶴子総裁は誰かが教えなくても、天の父母様のみ意を自ら知っていた。

とされます。

しかし、史吉子先生の証言では、

文鮮明師が韓鶴子総裁を真の母として育て、教育し、摂理的立場に立てるために苦労した。

という理解が示されています。

この違いは小さくありません。

前者では、韓鶴子総裁は「生来的に完成方向を知っていた独り娘」です。
後者では、韓鶴子総裁は「文鮮明師によって真の母として教育され、育てられた存在」です。

つまり、ここには二つの異なる真の母理解があります。

生来的独生女論

教育・成長による真の母論

です。

この対比は、第四の中心教理を検討するうえで避けて通ることができません。

 


第四の論点
統一原理の「成長期間」と矛盾しないのか

統一原理では、人間には成長期間があり、責任分担があります。

アダムとエバも、創造された瞬間から完成していたのではなく、神のみ言を守り、成長期間を通過して完成すべき存在でした。

イエス様についても、統一原理的理解では、神の子として誕生したとしても、成長し、使命を自覚し、公生涯を歩む過程があります。

そうであれば、韓鶴子総裁についても、

生まれながらに原理と摂理をすべて知っていた

とする説明は、統一原理の成長期間・責任分担の原則とどのように整合するのかが問われます。

もちろん、独生女論も、韓鶴子総裁に成長期間があったこと自体は認めています。
しかしその成長は、「学習」や「教育」によるものではなく、天の父母様との一問一答、直感、感性、心情的共鳴によるものとして説明されます。

ここで問題となるのは、

成長期間とは、み言を学び、責任分担を果たす過程なのか。
それとも、独り娘に限っては、生来的に知っている内容を自然に確認していく過程なのか。

という点です。

この問いは、独生女論が統一原理と本当に整合しているのかを検討するうえで重要です。

 


第五の論点
「自ら決断し、聖婚の位置に進む」という説明が、文鮮明師の主体性を薄める

【天の摂理から見た真の父母様の位相と価値】第四章では、韓鶴子総裁について、次のような説明が繰り返されます。

自ら判断し、決断して、聖婚の位置に進まれた。
「私がやる」と決心された。
真の父母は、独り娘の決断によって顕現した。

この説明は、韓鶴子総裁の責任分担を強調するものです。

しかし同時に、聖婚における文鮮明師の主体性を相対化する効果を持っています。

従来の理解では、文鮮明師が再臨主として天の摂理を切り開き、韓鶴子総裁を真の母として選び、立てたとされてきました。

ところが、独生女論では、

韓鶴子総裁が天の心情を知り、自ら決断し、聖婚の位置に進んだ

という点が強調されます。

その結果、聖婚の意味が、

再臨主が真の母を迎えた出来事

から、

独り娘が自ら決断して、真の父母を顕現させた出来事

へと読み替えられていきます。

ここにも、再臨主中心から独生女中心への転換が見られます。


第六の論点
「ホーリーマザー・ハン」は、真の母論をさらに独生女論へ押し進めている

第四章第三節では、韓鶴子総裁について、次のように説明されています。

実体の天の母
ホーリーマザー・ハン
天一国時代の中心
人類が一つになるべき母
韓民族選民の新しい始祖


ここで注目すべきは、「ホーリーマザー・ムーン」ではなく、「ホーリーマザー・ハン」とされている点です。

これは単なる呼称の問題ではありません。

「ムーン」という姓ではなく「ハン」という姓が強調されることで、文鮮明師との夫婦的一体性よりも、韓鶴子総裁自身の出生、血統、韓氏・韓民族選民との関係が前面に出ます。

つまり、ここでは真の母論が、真の父母論の内部にとどまらず、韓鶴子総裁自身の独自位相を強調する独生女論へとさらに進んでいます。

この点は、独生女論が「真の父母論」の補足なのか、それとも韓鶴子総裁を中心とする新しい権威体系なのかを考えるうえで重要です。



結論:第四の中心教理が示すもの

第四の中心教理が示しているのは、韓鶴子総裁の信仰的資質の高さそのものではありません。

より本質的には、韓鶴子総裁の位相を、教育や成長を超えた生来的・本質的なものとして絶対化する神学構造です。

【天の摂理から見た真の父母様の位相と価値】第四章では、韓鶴子総裁は、誰かに教えられたのではなく、天の父母様と一問一答しながら、生まれながらに摂理を知り、自ら判断して聖婚の位置に進んだ存在として描かれています。

しかし、初期証言には、文鮮明師が韓鶴子総裁を真の母として立てるために教育し、導き、育てたという理解も存在します。

この二つの説明は、同時に成り立つのでしょうか。

韓鶴子総裁は、文鮮明師によって育てられた真の母なのでしょうか。
それとも、文鮮明師から教えられる必要のない、生来的に完成した独り娘だったのでしょうか。

ここに、独生女論の第四の問題があります。

それは、真の母の成長と教育の歴史を後景に退け、韓鶴子総裁の出生そのものを絶対化することによって、文鮮明師の教育者・導き手としての役割を相対化してしまう点です。

問題は、韓鶴子総裁が霊的に優れていたかどうかではありません。

問題は、「学ばなくても知っていた」という独生女論が、文鮮明師による教育と養成の歴史を後景に退け、韓鶴子総裁の出生そのものを絶対化する構造を持っている点にあります。

もし真の母が、成長し、教育され、責任分担を果たして立てられた存在であるならば、それは統一原理の成長期間論と整合します。

しかし、生まれながらに原理と摂理を知っていたとするならば、韓鶴子総裁だけが通常の成長期間論を超えた特別存在として扱われることになります。

この点こそ、第四の中心教理を検討するうえで、最も重要な問題です。

(第六回:おわり)

 
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