「家庭連合」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●再臨主はキリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

連載02【ソンデオTV】第2話 荒野路程を正しく知るべき理由1

【統一と家庭の為の談論】第2話 荒野路程を正しく知るべき理由1

 

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皆様、こんにちは。ソン・デオです。

今週も統一家には不快で息苦しいニュースが次々と飛び込んできますが、そんな中でも前回の第1話動画が公開されると、視聴回数が数千回を超え、数多くの「いいね」コメント、チャンネル登録者が今も続いています。

特に多くの方々が書き込んでくださったコメントには、ソン・デオTVへの暑い応援と励ましのメッセージが寄せられ、私にとって大きな力となりました。視聴者の皆様には深く感謝の意を表します。

多くの食口の皆様が、私たちが何をどう省みるべきかを考えるきっかけとなることを期待しています。天がそう私たちを導いてくださるでしょう。

本日の本題に入る前に、一つ質問をさせてください。

皆様、最近流行りのジェミニやチャットGPTという人工知能チャットを使ったことはありますか?かなり多いのではないでしょうか。


最近のAIは本当に賢いですね。質問するだけですらすら答えてくれます。AIに関する様々な炎上が多く、特に価値観・人生観。世界観などに関する哲学では、統一原理的な観点から指摘され、補完されるべきだと考えます。

ところが、この最先端AIが作動する核心原理が、まさに「温故知新」の方法論と非常に似ているというのです。

AIは温故知新を模倣しているというわけです。温故知新って私たちが小中学校時代に学んだ四字熟語ですが、これは新約聖書を中心に受け継がれているユダヤ・キリスト教の原理とそのまま通じている点に注目する価値があります。

『古いことを学び、それを推し量って新しいことを知る』という意味です。

この言葉は孔子の『論語』為政篇に出てくる言葉です。なんと古臭い論語の話かと思うでしょう。原文は漢文ですが、若者たちのために現代語で書き換えてみます。孔子曰く、故きを温めて新しきを知れば、もつて師たるべし。という孔子の言葉です。

孔子は、古い学問(歴史、伝統、文化、知識など)と道理を単に知って暗記することを超え、これを深く理解し体得し、今日の新しい現実に合わせて適用し悟りを得ることができる人だけが他人を教える資格があるということを強調したのです。

この2500年前の古典の知恵が、最先端人工知能の核心原理である「深層学習」と同じ概念だというのです。AIが絵を描き文書を書けるのは魔法ではありません。数千年かけて蓄積された人類の文献と資料、情報を狂ったように学習し訓練したからこそ、人間の質問に合った新しい答えを出せるのです。

つまり、過去のデータを勉強しないAIは何もできない「空っぽ」だということです。

ここでの「温」の字は、学習する、繰り返し学習するという意味です。古いもの、つまり冷めたご飯を温めて食べることを連想しても良いです。

さて、今、視線を今日の私たちに向けましょうか?

私たちは2025年を生きる統一教会員です。毎日、新たな問題、新たな悩みと向き合っています。3日前にも天正宮や協会本部など十カ所もの場所で、一日中警察の家宅捜査を受けました。私のもとには、頻繁に外部の知人から教会を心配する電話がかかってきます。皆様も同じことでしょう。

こんな緊迫した時局に、私たちが神様の御旨を知りたいと祈っても、時には途方に暮れることがあります。百日千日、天心苑で全食口が徹夜精誠を尽くしても、どうしても答えが出ません。なぜでしょうか?

恐らく私たちの中にも「データ」が不足しているからでしょうか?

それとも「データ」は溢れんばかりにあるのに、的外れな質問をするから的外れな答えばかりではないでしょうか?

皆様、これから私たちは旧約時代のイスラエル民族の出エジプトと荒野の路程を考察しますが、これは単に数千年前のイスラエル一国の過ぎ去った歴史の話ではありません。
これは神様がイスラエル民族と共におられながら示された愛であり、救援摂理の生きている「超巨大ビックデータ」なのです。

皆様、人工知能の世界には「AIの幻覚」という用語があります。データ学習が不足すると、AIが存在しない言葉をでっち上げて嘘をつく現象です。

私たちの信仰も全く同じです。復帰摂理歴史という巨大かつ厳格な「神様の役事のデータ」を正しく見極められなければ、私たちは神様を勝手に、お父様を勝手に、原理を自分勝手の思い通りに想像し、批判します。信仰の基礎である御言葉に対する霊的な「幻覚」を見るのです。

先に孔子が温故知新で「師の資格」を論じたように、過去の伝統や知識・経験など、そのすべてが積み重ねられた基盤を新たなものを悟ることも、教えることもできないのです。そんな者は幻覚に囚われた者であり、真の師となれません。

もしこんな者たちが他人を教えようとするならば、それは偽りの師となるに違いありません。ここで真の師の道は「温故知新」であるとまとめられるならば、弟子の道、即ち継承者の道については「述而不作」、つまり昔の聖賢の教えを伝えるだけで、恣意的に作り出さないという言葉もあることも覚えておいてください。この点については、後ほど触れる機会があるでしょう。

イエス様はこう言われました。「私は律法を廃するためではなく、成就するために来たのである(マライ5:17)」。イエス様も旧約という基盤の上に、新しい復員の時代を開かれたのです。イエス様こそが旧約を正しく習得・実践し、その基盤の上に福音を伝えた「温故知新」の精神を体現された方です。

人類の真の師である真のお父様もまた、六千年にわたり無数の先知先烈が義性を払った歴史の土台の上に、その結実としてこの地に再臨主・真の父母として来られた方です。
その方は私たちに統一原理の後編である復帰摂理を教え、蕩減復帰の救援摂理史の教訓を得られるよう目覚めさせてくださいました。

そこで本日、私たちは復帰摂理史という「神のビックデータ」をディープラーニングしようと思います。

この古い御言葉に隠された神の教えを覚え【温故】、それを通して現在の統一家に向けた神の御旨と心情を発見する【知新】時間となればと願います。

それがまさに本日の講義の目的です。退屈な歴史の勉強ではなく、皆様の霊的なアルゴリズムを更新する時間となりますように。

さあ、それでは旧約の世界へ入りましょう!

私たちは旧約の歴史、中でもイスラエル民族の出エジプトの路程と荒野での40年間の漂流に関する話を共有しようと思います。その理由は、今日の統一家で疫病のように蔓延している「お父様の原理と御言葉は荒野時代の論理である」という荒唐無稽な主張と、今日扱う内容が密接に関連しているからです。

ソン・デオTVの1回あたりの配分時間は20分程度です。

本日は序論が長いため、この談論が結論に至るには今後あと2回ほど継続する必要がありそうです。

それでは、出エジプトの路程について見ていきましょう。出エジプトの路程の核心は、荒野時代40年にあります。その荒野時代40年は、地図を見てみましょう。


ラメセスはエジプトの首都でした。ここにモーセが80歳の時、再びファラオの宮廷に戻り、ファラオにイスラエル民族の解放を要求し、その解放を得て紅海を渡り、マラ、エリム、レフィディムを経てシナイ山のふもとまで来るのに3ヶ月かかったと言われています。

シナイ山に到達し、石版を受け取り幕屋を建てるまでに11ヶ月。

その後ガデシ・バルネアまで上り、カナン偵察に12氏族代表が派遣されました。40日間の偵察でしたが、12人の中で2人を除く全員が不信仰に流れたため、40日が40年になる蕩減を受け、苦難の漂流生活を送ることになります。

その後、モーセは再びイスラエル民族を率いてモアブ平原まで行き、モーセの生涯はそこで終わります。そしてヨシュアが二世たちを率いてカナンの地に入るという路程です。

この40年間、モーセにした従った20歳以上の者たちは、全員この40年の荒野の放浪の間に皆倒れていきました。

荒野で生まれた二世たちを率いてカナンの地に入ったのです。こんな歴史の進展を知り、モーセの路程を見なければなりません。

では、その路程の具体的なコースを軽く見てみましょう。

エジプト脱出からシナイ山到着まで3ヶ月かかりました。ラメセスを出て紅海を渡り、ラマで苦い水が甘い水に変わりました。またエリムでオアシスを、シン荒野でマナを神様が降らせてくださり、食糧問題を解決しました。

レフィディムでは渇いたイスラエル民族に岩を打って水を出させ、飲ませました。アマレク異邦の民を打ち破りながらシナイ山に到着する3ヶ月コースです。

そのコースを終え、これからシナイ山で11ヶ月滞在することになります。

この写真はシナイ山の姿です。


別名ホレブ山とも呼ばれます。ところでこのシナイ山の標高は2285mです。北朝鮮の白頭山は2744mです。白頭山より500m低いですが、このように険しい山です。この山の麓にイスラエル民族が集まって住みました。

ここでの主な出来事です。神がモーセをシナイ山の頂上へ呼びます。そこでモーセは40日昼夜、雲の中で心を込めて祈りを捧げ、神様に会うために精誠を尽くしました。その後、神様はモーセに十戒をこの石版に刻ませます。十戒以前にもシナイ山で数々の戒めを受け、イスラエル民族は「これをそのまま従い守ります」と約束しました。
よって、モーセを再び頂上に登らせ石版を受け取らせたのです。

モーセが石版を受け取って下山すると、イスラエルの民は約束したにもかかわらず、モーセが山頂で苦労しながら石版を受け取っている間、「モーセが見えない」と不信に流され、「エジプトから我々を導き出したのはモーセでも神でもない」と言いながらアロンを扇動し、金の牛の偶像を作り、それを囲んで踊り、歌い、淫行にふけりました。

下山したモーセはこの呆れた光景を見て怒りを抑えきれず、石版を投げつけて粉々に砕いてしまったのです。

この事件で神の怒りがどれほど大きかったか・・・。イスラエル民族に対する裁きと呪いを大きく下されました。この事件のためイスラエル民族三千人が死にました。

しかしモーセは彼らが皆死ぬのではないかと、どれほど心配したことでしょう。

モーセはまた登り、神様に祈り、さらに祈って「彼らを助けてください」と言いました。神様は「それならお前が再び40日間の断食をし、今度は石版2枚彫って持って来い。そうすれば、私がそこに十戒を再び刻んでやろう」と言われ、この第二の十戒の石版を受け取って降りてきました。その後、この二枚の石版を中心として幕屋を建設しました。

この幕屋は不変の信仰の中心として、神様がイスラエルの民に与えられたものです。この幕屋に忠実に仕えることによって、カナンの地に入るまで信仰の中心となるようにされたのです。

皆様、ここで一つ考えてみましょう。

モーセは80歳の老人でシナイ山は2285mですが、シナイ山の頂上に何度登って神様に会ったでしょうか?石版のことが1度、2度だから「ああ、二度だけの登ったのか?」と思うかもしれませんが、実はそうではありません。その間にも何度も山頂で神様が「ユダヤ民族に私の意志を伝えよ」と言われると、下山して伝え、モーセが報告するとモーセ
に何かを命じたり。また登ることを繰り返したのです。

このように七回から八回往復したというのです。

皆様、80歳の老人モーセが七回八回、2285mの山頂を登ったり降りたりしながら、ユダヤ民族の信仰を導いていったこの姿。それにもかかわらず、ユダヤ民族は常に不信に陥り、モーセの心情を傷つけ、神様を怒らせた、こんな不信のイスラエル民族の姿を決して忘れてはなりません。

次回に続きますので、本日はこの辺りで講義を終わらせていただきます。

ありがとうございました。

(第三回に続く)

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