
はじめに
ソンデオTV第3話を転載させていただきます。
先生の講話は、文鮮明師の伝統に忠実に、現在の「統一家」再建の道しるべとなるものです。多くの方々の視聴をおすすめします。
【統一と家庭の為の談論】第3話 荒野路程を正しく知るべき理由2
皆様、こんにちは。
2025年を締めくくる最後の放送です。困難で複雑な時代ではありますが、天は必ず私たちの進むべき道を照らしてくれます。元気を出して、希望に満ちた信念を迎えましょう。
今日は前回の第2話「荒野の旅路を正しく知るべき理由1」に続いてお話しします。
第2話をご覧になった方々から、コメントやメッセージで多くのお便りをいただきました。その中の一人が送ってきたメッセージを皆様と共有したいと思います。
現在、統一家で特別検察と警察の継続的な捜査を見守る兄弟たちの心情をよく代弁していると感じられるからです。
『連日雨が降っています。清平ダムの水門が開けば、水はためらうことなく流れ落ちます。最近メディアを埋め尽くす統一家のニュースもまさにそれです。滝のように、いや、耐えきれない洪水のように連日押し寄せてきます。教会の食口たちは息をつく暇さえありません。本当に胸が痛むほど哀れです。日々がただ耐え忍ぶ時間となり、何事もなかったかのような顔で日常を過ごすことさえ今では大きな苦役となり、ただどこかに隠れたくなります。何度も自問せずにはいられません。私たちが、いや私が何をしたというのか、統一家がここまでなってしまったのでしょうか?このように四方が真っ暗闇の時代に、お父様が降りてこられる光明の希望の光を見い出せると説く「ソンデオTV」の出現は、私たちの皆の息抜きになる福音です。最後までお力添えください。私たちが共にします。」
登録者の皆様の期待と心情を胸に抱きながら、第2話に続く今日の話を始めます。
本日の続きは原理講義ではありません。神様とモーセとイスラエルの三者関係における原理的・摂理的意味を再認識する精神について語るものです。
モーセの指揮と統率のもと、エジプトを脱出したイスラエル民族は、紅海を渡り、3ヶ月後にシナイ山の麓に到着しました。シナイ山で神様から十戒と律法を受けるまでの3ヶ月、幕屋を完成させるまでの8ヶ月、計11ヶ月間滞在します。
これまでイスラエルの民は、上や乾きを訴え、モーセを不信し、決定的な瞬間に金の子牛の偶像まで作って神様の契約を裏切り、そのたびに神様の厳しい裁きと懲罰をうけるなど、紆余曲折を繰り返してきました。
モーセは、彼らの不信によってもたらされる神様の懲罰の前に、イスラエルを救うためにあの高い標高2,285mのシナイ山頂に八度も上り降りし、神様と対面し、イスラエル民族の状況を報告し、彼らの不信仰と背信に対する神様の許しを請う執り成しの役目を忠実に果たしました。
神様の怒りと人間の不信仰と罪悪の間で執り成しの使命を担わなければならぬ指導者モーセの苦しみと苦悩、 その肉体の疲労はいかばかりであったでしょうか?
80歳を超えたモーセが、あの高い高地の山頂を100日余りの期間に8回も上り降りしながら、40日断食を二度も行ったとは想像しがたいほどです。従う者たちが神に罪を犯せば、摂理の中心人物が全ての蕩減を代わりに受けるという原則を見ます。
イエス様の十字架の苦難も、真のお父様のが受けられた苦難と迫害も、救うための中心人物たちの贖いであったのです。
第二の石版を受け取った後、始まった幕屋の建設が8ヶ月後に完成したことで、神様はもはやシナイ山の頂上に留まらず、幕屋に降りて、イスラエルの民の間に住まわれるようになりました。神様の啓示の場所は、シナイ山の頂上から幕屋に移されたのです。
出エジプト記25章22節に記されています。「その所でわたしはあなたに会い、ここで「わたし」は神様、「あなた」はモーセを指します。贖罪所の上から、あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう。」
こうして建てられた幕屋は、後代のソロモン王の時代に神殿へと発展し、その後、実体の神殿であるメシヤ・イエスの降臨によって完成されます。
この過程において、幕屋は象徴的なメシヤ、神殿は形象的なメシヤ、イエス様は実体的なメシヤとしてそれぞれ位置づけられます。
三段階の幕や摂理の始まりは、このように準備され、始動したのです。
幕屋を奉るようになったイスラエルは、今や12部族ごとに人口調査を行い、陣営を整えた後、シナイ山を離れ、約束の地カナンを目指して行軍し、ガデシ・バルネアまで向かいます。実際の距離は250~300㎞程度、徒歩で11日ほどですが、軍隊と家畜を伴っても2~3週間で到着可能です。
このように最初のガデシに到着する短い期間にも、イスラエルは不平不満や肉への執着で神の怒りを買い、その度にモーセの切なる嘆願によって赦しを請い、ウズラの恵みも授かることになります。この旅路の途中、ハセロットで、モーセの姉ミリアムと兄アロンは、モーセが異邦人の女性と結婚したことを咎め、「神様はモーセとだけ話されるのか?私たちも預言者として神様と話しできる。」と、傲慢に陥ったのです。
この事件の主導者として天の怒りを買ったミリアムは、7日間ハンセン病にかかり陣営の外に追放され隔離されましたが、モーセの切なる執り成しによって漸く神様の赦しを得たのです。
この事件は、神様の権威によって立てられた唯一無二の地位の中心人物に対して、人間的な不平不満から倫理的な物差しなどを口実に、軽々しく誹謗したり挑戦したりする傲慢な者が、その身にどんな懲罰を受けるかを極めて明確に示しています。
そして、その懲罰の解消は、自分が避難したまさにその中心人物が神様に節に請願してくださる時に成し遂げられるという事実をはっきりと教えています。
今日の統一家で起きている一連の事態に与える他山の石の教訓と言わざるを得ません。
神様が立てられた再臨主、文鮮明・真のお父様の権威に唯一無二性を、統一家の内部で軽々しく窺ったり軽視したりする傲慢な者は、ミリアムのような天の懲罰を免れないという厳粛な教訓です。
こんな重大な内部秩序の崩壊を収拾し、イスラエルは直ちに行軍を続け、数日後にはバランの荒野のガデシ・バルネアに到着します。
ここで神様はモーセに、あの有名な12部族の代表者たちによる40日間のカナン偵察を命じられます。ご存知のように、ヨシュアとカレブを除く10人は偵察を終え、全員が神様のお約束に対する不信に陥ってしまいました。
エジプトから彼らを解放し、あらゆる奇跡と懲罰と恵みを体験させ、十戒と律法で教育し訓練し、雲の柱と火の柱で導き守ってくださった幕屋の主なる神様を腐心したのです。裏切ったのです。
カナンの地への入植を放棄し、モーセ外の指導者を立ててエジプトへ戻ろうと、民全体が叫び声をあげ、夜通し泣き叫ぶ事態に至ってしまったのです。
これに対する神様の怒りはイスラエルを全滅させたいほどであったが、モーセの切なる嘆願と執り成しにより赦しを与えました。
しかしエジプトを出発した当時の20歳以上の成人はヨシュアとカレブ二人のほかは皆カナンに入ることができず、荒野で40年漂流して死に、20歳以下や荒野の放浪中に出生した幼い世代のみがカナンに入ることが許されました。
40日間のカナン偵察における不信が、40年の荒野放浪路程によって蕩減復帰させる事態が生じたのです。
ここからいわゆる荒野の40年間の漂流が始まります。
バランの荒野周辺を40年近く彷徨った後、再びガデシ・バルネアに戻る路程は、その期間に比べ記録は多くありません。この期間の出来事としては、コラの一味の反乱事件、ガデシ到着直後にミリアムが死亡した事件がありました。
ところがこの最中、イスラエルは再び「水もない、イチジクも葡萄もザクロもない」と不平を言いました。神様は「岩に水を出せと言え」と命じましたが、モーセは民の不満に血気を抑えきれず、岩を二度も売ってしまいました。
このため神様は「イスラエルの子らの目の前で、神を信じず、神を聖なるものとして崇めなかった」として、モーセのカナン入植を許さなかった事件が起こったのです。
ガデシを出て次の目的地であるモアブ平原に向かう行軍には約10ヶ月を要しました。
途中のホル山に至り、アロンが死去しました。火の蛇と青銅の蛇の事件が続きました。その後、ヨルダン川東岸の異邦の王たちを打ち破り、荒野の世代が勝利を収める初めての経験をします。
バラム・バラク事件に続き、バアル・ペオルでの淫行事件は2万4千人が災いを経験し、ついにモアブ平原に到着します。そこで二度目の人口調査を実施し陣営を再編成したところ、出エジプト世代がほぼ全滅したことを確認します。
これにより、バラン荒野での38年間の漂流は信仰訓練コースではなく、不信仰な世代が消滅する期間であったことがわかります。
ここまでがモーセの出エジプトの40年の期間です。
事件も多く、事情も複雑な物語を整理してお話しする私も忙しく、お聞きになる皆様も忙しかったことでしょう。
この時点でついにモーセの別れの説教であり、モーセ五書最後の書である『申命記』が登場するのです。
これから、神様がモーセの120年の生涯を終えさせながら、申命記の御言葉を通してヨシュアを中心とした次世代に神の御旨をどのように継承させたのかを考察する番です。
今日の話の最も重要な核心ポイントです。
言い換えれば、荒野時代40年が次世代にどのように関連して進んでいくのかを考察しようということです。
今日、統一家では「荒野時代とは後世と断絶すべき時代であり、」忘れ去られるべき時代である」という認識を広める者たちが教団のマイクを独占する事態が起きているため、荒野時代の原典であり主人公であるモーセの『申命記』とその後継者ヨシュアが記した『ヨシュア記』から荒野時代の意味を探り明らかにしようというのです。
まず申命記の「申」は「繰り返す、再三行う」という意味です。したがって『申命記』とは戒めと律法を繰り返し、再三にわたり復習し、伝えるという意味です。英語の「Deuteronomy」も繰り返し伝える律法という意味です。
申命記は、シナイ山で神様が与えた律法の言葉を直接聞けなかった、カナンに定着する新世代のために、神様がモーセに霊感をもって与えた言葉です。
モーセは新世代に、過去にシナイ山で受けた律法をもう一度復習させ、詳細に説明しながら、カナンで神の祝福を享受するためには、どんな条件のもとでどのように行動すべきかを詳しく伝えています。
モーセは申命記において三度にわたる説教と死を前にした最後の願いを述べます。
その最初の説教は荒野の旅路と回顧の教訓を記録しました。
第二の説教では律法を再宣言し詳細に解説します。第三の説教では神様との契約を新たに誓い、従順には祝福、不従順には訓戒を下すものです。
最後に、最後の願いを全てイスラエルの民衆の前で、ヨシュアを立てて「強く、雄々しくあれ。あなたがたの先祖に与えると誓われたカナンの地を相続せよ」と命じ、そのために神様の律法を守り、学び、心に刻み、石に刻み、命を尽くして実践すれば神様の祝福が臨むと遺言し、ネボ山で息を引き取りました。
イスラエルは30日の喪でモーセを見送りました。
モーセから指揮権を受け継いだヨシュアは、神様の命令を受けます。ヨシュア記1章7~8節を引用します。
「ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲がってはならない。
それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。」
とおっしゃいました。
実際、ヨシュアは祭壇の石の上にモーセの律法の写しをイスラエルの子らの前で書き記し、律法のすべての言葉を朗読しました。モーセが命じたことは、ヨシュアがイスラエルの全会衆と女と子供たち、そして彼らと共に住む外国人たちの前で朗読しなかった言葉は一つもなかったとあります。
神様がモーセに命じられたことを、モーセはそのままヨシュアに命じ、ヨシュアはその命令を一つも実行しなかったことはなかったと記されています。
ついにヨシュアもカナン入植の使命を終えた後、最後の別れの演説を行いながら、イスラエルの後世の人々に遺言します。
「それゆえ、あなたがたは堅く立って、モーセの律法の書にしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない、それを離れて右にも左にも曲がってはならない。」
モーセがヨシュアを指導者として立てる際に下した言葉をそのまま後世に伝えながら、これから占領するカナンの地で異教の神々を崇拝すれば、神様から恐ろしい災いを受けるという警告の言葉を授け、110歳で死を迎えます。
皆様!私がなぜ「荒野の時代を正しく知るべき理由」という題で談論を始めたか、お察しいただけるでしょう。
荒野の時代は繰り返し学び、記憶し、心に刻み、変化する時代的環境を超越して伝承すべき中心に神様の御言葉があります。その御言葉を共同体の記憶から消し去ったり、伝承を断絶させたりすれば、神様のご厳重な介入を招くのです。
その時における神様のご介入は厳格な審判であり、祝福ではなく恐ろしい懲罰となります。記憶を蘇らせ、伝承せよという鞭なのです。申命記はまさにそんな書物です。
決して忘れてはならない神様の言葉を記した書であるゆえ、繰り返し刻み込み、後世に伝承すべき言葉なのです。モーセの申命記はヨシュアとその当時の追随者たちだけの律法の御言葉ではありませんでした。
その後、イエス様が来られるまでの旧約時代1500年間の基盤であったのです。
皆様、私たちがよく知っているイエス様が荒野でサタンから三つの試練を受けられた時、そのサタンを退けられた御言葉がすべて申命記の御言葉から出ていたことをご存知でしたか?
即ち、最初の試練への答えです。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るすべての言葉によって生きる」この御言葉は申命記8章3節の御言葉です。第二の試練への答えは、「あなたは、あなたの神様、主を試してはならない」この御言葉は申命記6章16節の御言葉です。
第二の試練への答えは「あなたは、あなたの神様、主を拝み、主にのみ仕えなさい」この御言葉も申命記6章13節の御言葉です。
この重大なメシヤ・イエス様のサタンに対する三大試練の勝利も、荒野の時代を代表する申命記の御言葉によって勝ち取られたという事実を、私たちは忘れてはなりません。
本日はここで締めくくります。
信念の初放送で私がどんな話を続けるか、天に祈りながら準備いたしますが、今、統一家で起きている荒野時代の論争がどれほど深刻な事態を招くことになるのかを、広く扱われることを期待しております。
新年おめでとうございます。ありがとうございました。
(第四話につづく)
●この記事がたくさんの人が見れるように
クリック支援をお願いします。