
ソンデオTV 第七回
◆成約人のための「初心不忘のメシアのための基台」②
皆様、こんにちは!お会いできて光栄です。
◆第六回への反響
先週公開された第六回の映像「成約人のための初心不忘のメシアのための基台シリーズ①――なぜ再びメシアのための基台なのか」をご視聴くださった皆様のご声援に感謝申し上げます。
お父様の原理の御言を正確かつ深く勉強すべきだという刺激を受け、これまでしまっておいた『原理講論』を再び開いて勉強し始めたという方が多く、大変喜ばしく思っております。
そのうちのお一人の方は、次のような思いをコメント欄に投稿してくださいました。
【「毎週語られる談論のおかげで、揺らいでいた柱がまっすぐに立てられています。おかげで、原因不明の怒りの炎を鎮めることができました。いつか一度は告白したかった真実、ありがとうございます。感謝いたします。」】
また、ある方は、英語圏の食口たちにもこの内容を伝える必要があるとして、英語字幕も付けようと提案してくださいました。
◆MBC「ストレート」の報道を見て
このように恵み深い雰囲気に鼓舞されていた中、去る18日の日曜日の夜、MBCストレートで放映された報道映像を見ることになりました。約35分に及ぶその映像を見て、私は憤慨と虚脱感に一日中苦しみました。
映像の中の統一教会の姿はあまりにも恥ずかしく、胸が痛み、目と耳を塞ぎたいと思いました。お父様の聖和後に起こった真の家庭の分裂相と母子の確執、そして、お父様の教えと生涯の偉業を無に帰す自称「独生女」発言などは、とても耐え難い苦痛でした。
皆様はいかがでしょうか。どうか、この混乱の中でも健やかでいらっしゃいますようお祈りいたします。
◆嘆くだけでなく、混乱の原因を問う
しかし皆様、私たちはこのように嘆いているだけではいられません。お父様が生前、40年荒野路程を大勝利で終えられたのに、なぜ今日、私たちの現実はこれほどまでに惨憺たるものなのでしょうか――という問いに、私たちは答えられなければなりません。お父様は天の勝利圏を完璧に築いてくださったにもかかわらず、その基盤を受け継ぐべき私たちがメシアのための基台の原理的本質を見失ったために、このような逸脱が起こったのではないかと痛烈に反省しなければなりません。
現実の危機が深まるほど、私たちは心身を整え、お父様の教えを正しく学び、その価値を世の中の前に正確に伝えなければなりません。それが今の難局を打開する唯一の道だからです。この文脈から見れば、先週紹介した1974年12月21日のメモ、すなわち「メシアのための基台」の御言は非常に重要です。
◆1974年12月21日の御言と1993年の結実
1974年末は、40年荒野路程(1952~1992年)の後半期を決定づける歴史的な分水嶺でした。お父様が第2次7年路程を終えられ、1975年から始まる第3次7年路程の方向と備えるべき心構えを示してくださったのが、まさにこの日の御言です。この時蒔かれた勝利の種が、19年という歳月を経てどのように実を結んだのかを示す決定的な記録が、まさに『御言選集』第243巻です。
◆『御言選集』243に記された勝利の報告
こちらが『御言選集』第243巻です。この本には、1993年1月の1ヶ月間語られた六つの主題の御言が収められています。これは、1974年のあの熾烈な決意が、どのように「信仰の基台」と「実体基台」を経て、ついにメシアのための基台の完成へと繋がったのかを詳細に説明する、再臨の真のお父様による生々しい証しであり、勝利の報告です。
たとえ御言の中でその用語を直接言及されなかったとしても、その実践過程がどのように展開され、どのような結果を結んだのかを詳細に明らかにしてくださいました。
特に解放直後、荒野へと追いやられたお父様が、40年間摂理の中心人物として受難の十字架を背負い、失われたカインとアベル、そして母エバを世界的次元でどのように復帰し、再創造してこられたのかを生々しく説明してくださいました。
これは、原理で言う「メシアのための基台」を実体的に復帰された、再創造摂理史の真髄であると言えるでしょう。お父様は1952年から1992年までの40年間、熾烈な荒野漂流蕩減路程を大勝利で終えられたことにより、初めて1993年「成約時代」という新しい摂理の門を開くことができたのだと強調されました。
その中で、第4話の放送でも引用した1月3日の「摂理史的回顧と成約時代」の御言は、なんと112ページにも及び、これは『御言選集』全615巻の中で、単一の説教としては最も膨大な分量でしょう。
皆さん、これを見てください。この御言です。「摂理史的回顧と成約時代」。画面で見えるか分かりませんが、ここ72ページから始まり、なんと72ページから184ページまで、112ページ分の分量です。先ほど申し上げた通り、615巻の中で最も膨大な量の御言ではないかと思います。
◆ 「再臨メシアの再臨」とは何か
これと共に収録されている「再臨メシアの再臨と成約時代」(1993.1.10. ベルベディア修練所)ですが、1月3日は韓国で語られ、アメリカへ渡られてからアメリカのベルベディア修練所で「再臨メシアの再臨と成約時代」という御言を語られたのです。また、そのすぐ後に「新しい家庭と成約時代」もベルベディア修練所で1月17日に語られました。これらを通して、成約時代発足の意義を集中的に説かれました。
皆さん、上記の御言の中の「再臨メシアの再臨と成約時代」というタイトルを見て、皆さんはどのようなことを思いますか?タイトルは「再臨メシアの再臨と成約時代」です。
このタイトルは、お父様の荒野路程40年の苦難と勝利を一言でまとめたタイトルです。再臨されたメシアが再び現れる、という「再臨」という言葉は、再び現れるという意味ではありませんか?再臨されたメシアが再び現れて成約時代を開門するという意味です。お父様がこの御言を始められる際、導入部でこのように語られました。
(板書しながら)「再臨メシアの再臨」がどういう意味か分かりますか?本来は第二次世界大戦直後にすべての願いが成就すべきでしたが、40年を再度蕩減しなければならなかったため、蕩減して再び出てきたので「再臨」と言うのです。第二次世界大戦後、再び40年を蕩減して出てきたのです。だからこそメシアを宣布し(1992年7月3日)、そのようなことが起こったのですよ。」 (243-185, 1993.1.10, ベルベディア修練所、 「再臨メシアの再臨と成約時代」)
◆氏族的メシアに託された「全権」
また、第243巻の最後の御言である「統一世界と終わりの日の使命」は、ニューヨーク世界宣教本部での真の父母様ご聖誕日の敬拝後の御言で、1993年1月28日でした。その時がご聖誕日でした。その時の最後の御言は、結論をこのように下されました。「先生がこの事を誰も知らない中で内容を知り、実践してすべて成し遂げたという事実を説明しているのです。分かりますか?世の中のすべての理論の提案は簡単ですが、実践するのは難しいのです。
先生はこのような意味を知り、誰も知らないうちに一人でこれをすべて実践し、教えているのです。この場は、皆さんにその勝利的な栄光の結実を伝授する場であるので、氏族的メシアは先生に代わる全権を持って、氏族的メシアの責任だけを果たせばよいのです。」 (243-330, 1993.1.28. 午前7時, 真の父母様ご聖誕日敬拝後の御言, 「統一世界と終わりの日の使命」, ニューヨーク世界宣教本部)
その御言が、この第243巻の六つの主題の御言の中で最後の最後の御言で、その最後のページの最後の部分です。最後のページでこの御言を語られました。一人で知り、一人でそのすべてを実践し、そしてそれを40年後に皆さんにこのように教えてくださると言われたのです。この御言の中に「全権を与える」という言葉が出てきましたね?ここで語られるこの全権は、原理を無視した無制限の権力(絶対的な権力)を与えたという意味ではありません。
お父様が築いてくださったその勝利的な原理基盤を代わって相続する権限です。
◆ 復帰摂理の歴史を骨身に刻む
その成約の勝利圏を血と汗と涙で再創造してこられたお父様の歴史を、私たち成約人は必ず骨身に刻まなければなりません。「歴史を忘れた民族に未来はない」という言葉のように、お父様の復帰摂理の歴史、その路程を正しく知らない統一教会には未来がありません。それを知らずに越権行為と逸脱を犯してきたために、今日のこのような悲劇が起こっているのです。したがって、お父様の復帰摂理の歴史を正しく知ることこそが、今の混乱を克服し、お父様のご遺業を正しく相続する第一歩となるでしょう。
◆ 本シリーズの典拠
まさにこのような脈絡から、『御言選集』第243巻は、私がこれから続けていく「成約人のための初心不忘のメシアのための基台」談論の最も確かな、そして大切な典拠(御言の根拠となる文献上の出典)となるでしょう。これが、その典拠となる文献です。
視聴者の皆様にお願いですが、私の談論を聞きながら、『御言選集』第243巻も必ず一緒に読んでください。(Daumカフェの「天一国経典房」でもご覧になれます。)本がお手元にあれば幸いですが、もしお持ちでない方は、Daumカフェに入って「天一国経典房」に行けば、この御言を見つけることができます。私自身も、お父様の御言をただ表面的に接して通り過ぎてきたのではないか、最近毎日悔い改めていることを皆様に告白いたします。
◆ 立ち返るべきは、お父様の御言
統一教会が内外両面で危機局面にある今こそ、私たちが立ち返るべきところは、ただお父様の御言しかありません。お父様の原理と生涯路程を正しく知り、侍る私たち皆となることを心から訴えます。
本当に私自身も、お父様の御言を再びこのように読んで勉強しながら、どれほど悔い改めの心が湧き上がるか分かりません。お父様は、このようにご自身の権限を通して勝利された、40年荒野路程で勝利されたそのすべての勝利の蕩減復帰原理的な御言を、そのように詳細に私たちに噛み砕いてかみ砕いて教えてくださったにもかかわらず、私たちはそれをきちんと受け入れることもできず、記憶することもできず、その皮相的な部分だけを見て通り過ぎてしまい、お父様の御言をすべて見失っています。
私自身がそのような姿を感じています。皆さん、私たち皆、お父様の御言をもう一度大切に勉強し、骨身に刻むような心構えを持つべきです。本来の初心に立ち返り、お父様の勝利を私たちの実体的勝利として相続していきましょう!
◆ ◆本論――復帰の基本公式
それでは、今日の談論を始めていきたいと思います。今日の談論の序論です。まず、復帰の基本公式について少し考えてみます。
◆『原理講論』に示された復帰の骨子
『原理講論』234ページを見ると、このように書かれています。
「復帰原理」のその序論に、堕落人間がサタンを分立し、堕落以前本来の人間に復帰しようとすれば、原罪を脱がなければならない。しかし、この原罪は人間が真の父母として来られる『メシア』によって重生されなければ脱ぐことができない。ゆえに、堕落した人間はサタン分立の路程を通して、アダムとエバが成長した基準、すなわち長成期の完成級まで復帰した型を備えた土台の上で『メシア』を迎えて重生することにより、アダムとエバ堕落以前の立場に復帰された後、『メシア』に従ってさらに成長し、創造目的を完成する立場に到るようになるのである。」
とあります。
この簡潔な内容の中には、復帰原理の骨子がよく表れています。この内容だけをよく把握すれば、復帰の基本公式がどのようになっているかを容易に知ることができます。すなわち、堕落人間という時、自分自身を堕落人間と見なすと理解しやすいでしょう。堕落した人間、すなわち自分自身が創造目的を完成した人間に復帰していく原理である信仰路程を正確に知ることができるのです。
この公式的な復帰原則をよく知らないと、信仰の成長と成熟は不可能であり、信仰の旅路で多くの混乱を感じることもあります。それでは、この数行にすぎない基本公式を、これからできるだけ詳しく解説してみたいと思います。復帰摂理路程と原理的信仰成長路程にどのような関係があるのかを見てみます。
6000年の復帰摂理史全体も上記の図表のような公式的な路程でしたが、今日原理を知って統一教会に入教した私自身の行く道も、結局はこの路程を縮小して自分の生涯において歩む復帰路程なのです。
◆復帰摂理歴史と私
6000年の復帰摂理史全体も上記の図表のような公式的な路程でしたが、今日原理を知って統一教会に入教した私自身の行く道も、結局はこの路程を縮小して自分の生涯において歩む復帰路程なのです。講論251ページの「復帰摂理歴史と私」という項目には、このようにあります。
「復帰摂理の御旨を成し遂げるために去来したすべての先人たちが歩んだ道は、今日、私たちが再び繰り返し歩まなければならない道なのである。その上、私たちは彼らがすべて歩み終えることができずに残した道までも、すべて歩まなければならない」
と書かれています。すなわち、アダムが堕落さえしなければ、アダムの当代に創造目的を完成した世界が成就していたはずなのに、堕落したことによって復帰摂理路程になったのです。
◆歴史延長の原因と人間の責任分担
復帰摂理路程においても、各時代の中心人物が、この公式的な復帰原理通りの責任だけを果たしていたならば、アダム家庭の時、あるいはノア家庭の時、あるいはアブラハムの時、ソロモンの時、イエス様の時に、その当代、当代に上記のような公式路程で成就していたでしょう。そうであったならば、罪悪歴史すなわち復帰歴史ははるかに短縮されたでしょう。
しかし、カインが、ハムが、アブラハムが、ソロモンが、ユダヤ民族が責任を果たせなかったので、延長されて下って来た歴史が、今や再臨の一日を期して完成を望むようになったのです。しかし、神様の公式的な救援摂理は、各時代の中心人物の当代であろうと歴史全体であろうと、全く同じ公式原理で現れるのです。したがって、6000年の摂理歴史路程は、神様の予定的な摂理ではなく、人間の責任分担による摂理路程なのです。
それでは、サタン分立路程、すなわち復帰摂理全体路程と堕落人間の個人的な復帰路程を対比しながら、この基本公式の理解を理解を深めてみましょう。
◆図表で見る摂理歴史と個人の復帰路程
再び理解の便宜上、図表を一度描いてみましょう。
図表2と図表3を対比して見る時、私の生涯において、過去の先知先烈たちが歩んだ道、彼らが歩みきれなかった道までも歩まなければならないという御言の意味をはっきりと知るようになります。
◆ AからBへ――無原理圏から原理圏へ
すなわち、図表2における堕落した男女の位置Aは、図表3における堕落したアダムとエバの位置と同じです。したがって、今日、私自身がまさに神の御言に背いて堕落したアダムでありエバであるという自覚が徹底してこそ、真の路程の信仰が出発となるのです。
無原理圏に落ちたアダムに対して、二千年の間、救援摂理をされた後、アブラハムの時にようやく原理圏に上げられた、という意味ですね。
これは、今日の原理信仰者たちが、御旨と原理を知らない状態で、神の摂理によって御言を伝える伝道者を通して御言を聞き始め、悟りを得て、「私は今から原理の道を歩む」と決心し、入会願書を提出し、教会に出てくる教会員として出発する位置、図表2のBに該当します。
二千年の基台摂理を、私たちはたった一日、あるいは一週間、一か月、または一年などの期間ですべて経験することになるのと同じことです。
◆BからDへ――祝福に至る路程
すなわち、原理を聞き、伝道される期間に該当するのが図表2のAからBまでの期間です。入教後、本格的な蕩減復帰の道を歩み始め、一定期間、図表2のBからDまでですね。その期間、変わることなく着実な信仰生活をすることによって祝福を受けるようになり、Dの位置で祝福を受けた後には、真の父母と心情的に一つとなり、完成期を経て進み、完成人間として復帰されるようになるのです。
この路程は、図表3におけるアブラハム以後、イエス様を経て、再臨主がお越しになる時まで、四千年の蕩減復帰摂理およびその延長時代を蕩減することになる路程なのです。この路程は、アダムとエバが堕落前に成長した基準である長成期完成級まで復帰する路程に該当します。
◆ 長成期完成級へ進むための課題
しかし、ここに問題が一つあります。それは、アダムとエバは何の罪もなく、神が創造されたその状態のまま長成期完成級まで成長しましたが、私たち堕落した人間たちは、罪、自分が犯した罪、自犯罪、遺伝罪、連帯罪、原罪などをすべて持っています。罪がある状態でいるので、罪のない状態で長成期完成級まで上がったアダムとエバのその成長期間と同じように上がるということは、根本的に復帰が不可能なのです。
◆「復帰の頂上」の御言
ですから、御言158号 「復帰の頂上」という御言を見ると、このように言われました
「復帰の頂上」ということを考える時、ここには私たち堕落した人間としては直接行く道はありません。もし皆さんが先生を中心として行く通りに、先生だけについて行けば良いと思いがちですが、そうではありません。皆さん自身が背負うべき十字架はそのまま残っているからです。神の息子娘であるということは、サタン世界に打ち勝った者でなければ、神の息子娘にはなれないのです。
この御言はですね。この長成期完成級まで行くというのが復帰の頂上までだ、ということですね。そこまで進むには、自身の十字架を脱ぐための蕩減条件を立てながら進まなければなりません。アダムとエバと異なり、堕落人間には罪、自犯罪、遺伝罪、連帯罪、原罪などがあるため、その基準まで進むことはできません。神の条件を通した蕩減復帰の原則に従ってこそ復帰可能です。ここに神の条件を通した救援摂理、すなわち蕩減復帰の原則が適用されているのです。
蕩減法がなければ、人間に対する救援摂理は不可能です。条件を立てれば、本来の位置と状態に戻ったと見なしてくださる神の愛に、私たちはもう一度深く感謝すべきだと信じます。
◆ 蕩減条件と「復帰した型」
これがすなわち復帰した型であるということです。再臨主がお越しになる時までの歴史は蕩減歴史であるという御言と、今日の原理を知る人が祝福を受けられる資格を備えるのに必要な様々な条件。
例えば、入教三年、あるいは七年、信仰の子供最小三人、七日断食、蕩減金。最近はこのような様々な条件がずいぶん緩和されましたね。私たちの初期には、すべてそのような厳格な基準がありました。このような様々な条件は、単なる形式的な蕩減条件ではなく、蕩減復帰原理の道を着実に歩んだという証拠であり、自身の十字架を克服しながら長成期完成級まで成長したという復帰した型を備える内容が、まさにこのような条件であるのです。では、そのような復帰した型を備える条件は何でしょうか。
◆人間始祖が失った三つのもの
では、復帰した型の内容について見てみます。人間始祖アダムとエバが脱線した時に失った三つのこと。
1. 取って食べるなという御言に対する信仰の喪失
2. するなという御言に従う実践の喪失
3. 神と一つになる心情(愛)の喪失
三つのことを「一度に」失ってしまいましたが、「段階的に」取り戻すしかありません。
1) 中心存在をまず探し、2) その方が三つのことを段階的に蕩減復帰。その一つ目は、取って食べるなと言われた神の御言に対する信仰の喪失でした。二つ目は、取って食べるなという御言に従う実践をしなかったこと。三つ目は、神お一方だけを対する心情的な枠組みとして、神の心情と神の愛と一つになれなかったことでした。
ロサンゼルスの御言で人間の脱線内容を語られながら、その一つ目が信仰がなくて脱線した、二つ目は実践がなくて脱落した、三つ目は心情で一つになれなかったために堕落した、と語られました。
◆ 失ったものは段階的に復帰する
したがって、堕落した長成期完成級まで成長した心情基準を復帰した型を備えるためには、上で述べた三つのことを蕩減復帰しなければならないのです。そうするためには、まず中心存在、アダムに代わる人物ですね。中心存在を探さなければならないのです。堕落した時に上の三つのことを一度にすべて喪失してしまいましたが、取り戻す時は一度にすべてを取り戻す道はないのです。そこで、中心存在を見つけ出した後、その中心存在はこの三つのことを段階的に蕩減復帰していくのです。
堕落した時にアダムは神の代わりにサタンを中心として、信仰と実体と心情を一つにしてしまったので、中心人物たちはこれらを神を中心として、その逆に取り戻さなければならないのです。サタンは変化することを得意とするものです。しかし、復帰は、変わることのない絶対的な信仰、絶対的な実践、絶対的な神の愛を受けることができ、なしうる立場に立たなければ不可能なのです。
◆信仰・実体・心情の三つの基台
ここで私たちは図表2を参照してみる時、復帰した型を備える路程がすなわち蕩減復帰原理路程であり、サタン分離および屈服路程となることを知ることができます。その内容は、第一に御言不信に対する蕩減条件を立てなければならないので、信仰の基台を蕩減復帰しなければならないということ。第二には、御言実践の蕩減条件を立てなければならないということ。これが実体基台となるのですということです。
その第三は、心情的に神と一つになれなかったことを蕩減しなければならないメシアのための基台、すなわち心情基台がまさにそれであるということです。やはり同じ御言で、ロサンゼルスの御言という意味です。同じ御言で、メシアのための基台とはすなわち心情基台であると語られましたが、これは原理理解の新しい次元を私たちに教えてくださったものだと感じられます。
◆復帰摂理の順序
では、復帰摂理の順序はどのように進められたのかということについても一度見てみましょう。堕落人間が真っ先に探し立てなければならない条件は、まさに信仰の基台であることを私たちはもう知りましたね。では、神が堕落人間がその不信を蕩減復帰する信仰の基台を立てるようにされた摂理の内容が何であったのかを解明しなければなりません。
◆ 復帰摂理は再創造摂理
復帰摂理は再創造摂理であることを私たちは知っています。したがって、復帰摂理の順序は創造の順序で、神の創造の順序は物質世界の外的なものから内的なものへ、すなわち、物質世界を先に創造され、その物質を型として人間の肉身を創造されましたね。肉身がすべて創造された後、神が人間の鼻に生霊を吹き込み、生気を吹き込まれました。神の心情を注入してくださいました。
したがって、再創造摂理を進められるのも、このように外的な万物復帰から始めて、人間の肉身復帰、その上に人間心情復帰の順序で進めてこられたのです。
◆ 三つの摂理期間
それがまさに信仰の基台、実体基台、メシアのための基台などを蕩減復帰する内容となっている象徴期間、実体期間、心情期間であるということです。ロサンゼルスのその御言で、メシアのための基台はすなわちメシアの前に花嫁となることを意味すると言われながら、心情基台だと仰いましたね。その心情基台はまさに心情期間を通して成し遂げられる、ということなのです。はい。
◆旧約・新約・成約の三時代
したがって、復帰摂理歴史六千年を縦的に見てみても、真っ先に旧約時代は万物復帰時代であり、次の新約時代は人間肉身復帰時代、キリスト教徒たちは人間肉身が復帰された、養子段階だ、ということですね。最後の成約時代は心情復帰時代、心情を復帰された時代の人々が真の子女として復帰される時代だ、ということなのです。このような順序でなされるのです。
◆ 「信仰の基台+実体基台」の意味
メシアのための基台を機械的に理解すると、信仰の基台プラス実体基台は、まさにこの過程でメシアのための基台が成し遂げられた、信仰の基台が立てられ、実体基台が成し遂げられれば、それがまさにメシアのための基台だ、このように私たちはこれまで多く理解してきました。しかし、そうではない、ということなのです。
この場合は、信仰の基台プラス実体基台が直接メシアのための基台となったのではなく、信仰の基台が成し遂げられ、プラス実体基台が成し遂げられれば、メシアのための基台へと進む条件が成し遂げられたということです。すなわち、信仰の基台プラス実体基台はメシアのための基台へと進む条件が成し遂げられたということです。
◆ 絶対信仰・絶対服従・絶対愛
また、お父様がこれほど強調される絶対信仰、絶対服従、絶対愛というこの三大生活指針も、その根拠を探してみると、信仰の基台、実体基台、メシアのための基台と繋がっていることが分かります。すなわち、信仰の基台は絶対信仰を、実体基台は絶対服従を、メシアのための基台は絶対愛を、必須的に要請しているのです。神も絶対性と完全無欠性を、ご自身が立てられた創造原理に付与するために、その創造原理の前に、神ご自身が創造原理を絶対信仰し、絶対服従し、絶対愛されると語られます。
ですから、誰もあえて絶対信仰、絶対服従、絶対愛を離れて存在できる者は誰もいないということです。
◆次回に向けて
これは本当に、今日は思ったより御言を真剣に話し始めたら、私も知らぬ間に時間がこんなに長く進んでしまいました。今日はとりあえずここまでお話しし、来週に御言を再び続けて講義を進め、説明を続けていきたいと思います。皆さん、非常に寒い期間です。皆さんお元気でお過ごしください。ありがとうございます。
(第七話:おわり)
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