「家庭連合」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●再臨主はキリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

ソンデオTV 第八話 ◆成約人のための「初心不忘のメシアのための基台」③

ソンデオTV 第八回
成約人のための「初心不忘のメシアのための基台」③―信仰の基台と実体基台―

www.youtube.com

 

◆ご挨拶

皆様、こんにちは。もう1月の最終週になりました。今週は国内外で複雑な情勢の中、国民の心も落ち着かないようです。

私たち統一家では、ユン・ヨンホが実刑判決を受ける出来事もありました。

しかし、私たちの中心はお父様の原理と御言葉にあることを忘れず、動揺なさらないようお願いいたします。


◆第七回への反響

先週の第七回で、私は「御言選集243巻から成約人の正道を見つける」というお話を引用して投稿しました。

その映像をご覧になった方々は、私が「成約人のための初心不忘のメシアのための基台」という題名の談論を進めていることを感謝しつつ、多くの方々がコメントやメッセージ、電話でその気持ちを伝えてくださいました。

お父様が八大教材・教本を地上と天上の経典と指定し、この経典を家庭と教会で訓読する伝統を継承するよう繰り返しお示しになったお心を改めて深く悟ったというのです。


◆ある二世から寄せられたメッセージ

ある二世の方からいただいたメッセージです。

『映像ありがとうございます。よく視聴しました。絶対信仰、絶対服従、絶対愛について、単純なスローガンではなく、明確な原理的価値と復帰の順序が存在するという点を深く悟りました。

一人の人間として真のお父様を通して、この原理とその実践の歴史が流れ出ていることが非常に神秘的に感じられ、御言選集はまさにそれを証していると存じます。特に1993年ベルベディアでの御言葉の中で「再現」という表現を用いられ、お父様が明確な歴史観を示された点が印象的でした。

これは誰が見ても変更できないと判断できる、あまりにも明白な証拠だと感じられます。また原理は信仰の成長について非常に具体的に教えているという点を改めて学びました。』

 

◆三万家庭の一世から寄せられたメッセージ

もうお一人からのメッセージを共有します。この方は、三万家庭と自己紹介された一世の方の投稿です。

「会長様がYouTubeに投稿される真のお父様に関する摂理の御言葉の動画を拝見し、深い感動を受けております。私も改めて『原理講論』を読むようになり、私たち家庭連合の正統性とは何か、真に追求すべき正当性について改めて気づかされます。会長様はお忙しいでしょうが、これからも引き続き原理の御言(真のお父様の復帰摂理の御言)、私たち統一一家が向かうべき方向性について、多くの教えをお与えください。忠実に学び従ってまいります。本当に感謝しております。」

この他も多くの方々が応援のメッセージをお送りくださいました。

心より感謝申し上げます。では本日の談論へ進んでまいります。


◆◆本日の主題―信仰の基台と実体基台

先週、私たちはお父様が40年の荒野路程の勝利の上に成約時代を宣布されたことを確認しました。

そうだとすれば、その勝利の具体的な内容とは何でしょうか。

それは復帰の基本公式である「信仰の基台」「実体基台」、そして「メシアのための基台」を確立する過程でした。

今回の第八回では、信仰の基台実体基台を通じて、いかにしてメシアのための基台へと至るべきか、その復帰摂理の絶対公式を共に考察してみたいと思います。


◆◆第一部 信仰の基台

まず、信仰について、信仰の基台について学びましょう。

◆なぜ信仰の基台が必要なのか

アダム型の中心人物は、アダムの不信に対する蕩減条件を立てなければなりませんが、これが信仰の基台を蕩減復帰しなければならない理由です。

神はアダムの代わりに中心人物を探し、まず信仰の基台を蕩減復帰するように摂理されました。

では、その中心人物はどのような条件を立てればよかったのでしょうか?

それは、神が創造した万物世界をまず復帰する条件となる象徴献祭を捧げる条件でした。象徴献祭とは、上記のように万物からサタンを分立させる条件となるものです。


◆象徴献祭と万物復帰

神が創造したすべての万物が、その主人公である人間の堕落によりサタン主管圏に渡ってしまったため、人間を再創造するにはまず万物を復帰しなければなりません。なぜなら、神は人間を創造する前に、まず人間の生活環境となる万物世界を創造し、その万物の物質を材料として人間の肉身を造られたからです。

したがって、再創造摂理もまず人間を創造する材料となる万物を再創造、すなわち復帰しなければ、人間を復帰することはできません。神と人間と万物が一つにならなければ、再創造は始まり得ないのです。

したがって、象徴献祭とは、中心人物であるアダムの立場にある者が、万物をサタン主管圏から取り戻すための摂理なのです。


◆三つの供え物――鳩・羊・雌牛

象徴献祭が成功すれば、次の段階である人間の肉身を再創造できる条件となるのです。

では、象徴献祭をどのように捧げればサタンが分立されるのかは、極めて重要な事柄です。神が創造されたこのすべての万物世界は無限であるのに、どうすればこの無数の万物から一つ一つサタンを分立させることができるというのでしょうか?

この無数に多い万物世界も、結局は3段階成長期間の原則で成り立っているため、動物、植物、鉱物は三つに大別され、蘇生、長成、完成の3段階に集約することができます。

そのため、この三つの万物、すなわち蘇生、長成、完成を代表する鳩、羊、雌牛という三つの大きな供え物が象徴献祭の基本的な代表となったのです。


◆万物の讒訴とは何か

供え物は、すなわち万物を代表する立場であり、人間に代わってサタンを分立させる最先端に立つ存在なのです。

しかし、万物がサタン主管下にあるということは、何を意味するのでしょうか?それは、まさに万物が人間に対して讒訴する立場に置かれていることを意味します。

すなわち、ローマ書8章19節から22節にあるように、被造物が苦しみ、嘆きながら、朽ちることの奴隷状態から解放され、神の子が現れることを待ち望んでいるという御言葉は、人間に対する万物の讒訴を意味するのです。


◆供え物を愛する中心人物の責任

中心人物がこのような万物の讒訴を阻む立場を確立するには、まさに万物がサタンと分立されたという条件が立てられなければなりません。

万物は堕落した人間に対して、「私たちは神の創造目的と理想のために造られたが、人間の堕落によりこれまで一度も本来の価値を現すことができず、さらに本来完成した人間から愛を受けることもなかった」と讒訴しているのです。

この讒訴を免れるには、堕落した人間が万物を神の御心を中心として完全に愛し、その解怨を万物にもたらさなければ解決されません。万物の讒訴こそが、サタンが万物世界を主管する条件となっているのです。

したがって、アダムの立場にあるその中心人物は、万物の代表である供え物を、ある期間愛さなければなりません。人間が堕落せずに万物を愛したという、その以上の愛をせずには、万物の讒訴から逃れることはできないのです。

それゆえ、人間は供え物に対しては、神の御心を中心とし、自分の体以上、自分の命以上で愛し、完全に一つにならなければ、サタンはその供え物から離れないのです。

人間がこのように供え物を愛したとき、その供え物は死んでも主人を離れず、主人のために死にながらも「ありがとうございます」と言える立場に立ってこそ、その供え物からサタンが分立され、神が受け取ることができるようになるのです。

もし供え物が死にながら「私は理不尽に死ぬのだな」と感じれば、その供え物はサタンのものであり、天が受け取ることはできないのです。サタン分立をさせるには、第一に、このように供え物を捧げる人間の自己犠牲的な愛が先行しなければ不可能であることをまず知っておくべきです。

すなわち、サタン分立の責任は、一次的には人間にあるのであって、万物にあるのではないという点です。サタン分立の蕩減条件は、中心人物が責任をもって立てることになるのです。では、供え物となるのが、なぜ数多くの万物の中から鳩、羊、雌牛などと定められたのかを少し考えてみなければなりません。

ここには、まさにサタンを完全に分立させるのは、いずれか一方の責任だけで完結するものではないということを示す重要な教訓が隠されていることを知るべきです。


◆なぜ鳩・羊・雌牛が選ばれたのか

供え物となるということは、神が受け入れることができる供え物になるという意味ですが、まず神が鳩、羊、雌牛を供え物として捧げるよう命じられた意図を考察しなければなりません。

神はなぜ蛇や豚、猛獣などを供え物とせず、鳩、羊、雌牛を選ばれたのか考えてみましょう。

それは、神が最も好まれる性品をこれら三つの供え物が持っているという意味です。サタンが離れやすい、神の性品を最も多く似ているからです。

まず、鳩、羊、雌牛は皆平和な動物であり、主人を認識します。主人のために従順であり、犠牲を払い、奉仕し、献身する存在です。自分のために他人を利用したり、他人を苦しめたりすることを知りません。ただ主人の仕事のためにすべてを捧げる存在です。

それでいて、反抗したり、恨んだり、不平を言ったりしません。したがって、鳩、羊、雌牛はサタンが最も近づきにくい存在なのです。

なぜなら、サタンは常に自己中心的で利益を求め、自己中心的で利益や喜びがなければすぐに恨み、不平を言い、反抗する存在だからです。したがって、神は供え物となる資格をこの象徴献祭を通じて人々に明確に示されているのです。豚を供え物として捧げると考えてみてください。豚は主人の愛を知るでしょうか?

ひたすら主人であろうと誰であろうと、その手に食べ物があるかどうかだけがまず関心事であり、それを確認するのです。主人のために感謝しながら死のうとするものはありません。

最後まで反抗し、もがき苦しみ、死にたがらないのが豚です。豚に似た人は、神との関係が遠いということを簡単に知ることができます。


◆象徴献祭が示す実体献祭の原則

このように見ていくと、この象徴献祭は、次の段階である人間実体の復帰である実体献祭において、アベルとカインがどのような態度を取るべきかを示す驚くべき教訓を教えていることを知るべきです。

お父様がロサンゼルスでくださったメモの御言葉で、実体献祭とは人間と人間同士、すなわちアベルとカインの間において、祭主と供え物の立場に立つことを言う、アベルは祭主でありカインが供え物であると明確にされたのです。

堕落した人間よりも神の前に近い本来の性品をそのまま持っている万物の代表が、供え物となった鳩、羊、雌牛で表されていたのです。

それゆえ、堕落した人間の前では、鳩、羊、雌牛は単なる万物の一つではなく、私たちの本性を教えてくれる師のような役割を果たし、またそのような心の性品に似たこれらの供え物を象徴献祭を通じて手本としなければならない、私たちの道しるべとなる、という意味です。


◆供え物となることの意味

供え物となることは、犠牲の場であるだけではありません。

それは第一に、主人の愛を完全に受けたという立場になるということです。第二に、サタンが真っ先に分立された場所が供え物の場所であるということです。

したがって、供え物となることほど幸福な立場はないという意味です。

すなわち、供え物とならずしては、万物であろうと人間であろうと復帰され得ないことを知らなければなりません。

それがまさに、象徴献祭、実体献祭、心情献祭として、供え物を通じてサタンを分立させる根本的な復帰の骨子・核心となっている理由なのです。


◆信仰の基台を持つ人とは

そうだとすれば、今や信仰の基台を象徴献祭として成功裏に立て、捧げた後には、信仰の基台を持つ人となります。

その信仰の基台を持つ人が、公的に信仰の基台を持ちながら、自分が信仰の基台を持った分だけ成長した人であるかどうかを、何によって知ることができるでしょうか?

この問題に答えるために、私たちは

図表2――原理的信仰成長

図表2番です。「原理的信仰成長図表」を参照するとよいでしょう。

その図表をご覧になりながら、私の説明を聞き進めてください。

すなわち、信仰の基台を持つ人は、御言葉あるいは自分よりも善なる主体者の前で明確な対象の立場に立ち、自分の言動や心情をその御言葉や主体者に照らし合わせ、律して生活する人です。

言い換えれば、明確な自分のアベル的存在を敬って生きる人が、信仰の基台を持つ人であるということです。


◆信仰生活に一貫性を持つ

恣意的に考え、行動する人ではなく、また放縦に自分自身を追求する人でもないのです。そのため、このような人はすべての律法的な、条件的な、制度的な生活を大切にし、それを疎かにしないのです。

礼拝する生活、献金する生活、儀式を守る生活などを徹底して守るようになるのです。
一言で表現するなら、信仰生活に気まぐれを起こさない、一貫した人を指します。

この場合、天を主人と仰ぐ僕の立場に立つと言えるでしょう。善なる主人を持つ幸福な僕と言えるでしょう。僕の僕の立場から脱し、天と主従関係を持つようになるのです。僕は主人の指示と命令を仰ぎ、従順であるときに主人から信頼を得るのです。

したがって、私が天の御言葉や命令に対して絶対的に従順できる人となれば、信仰の基台を持つ人となるのです。このような人はもはや勝手気ままに生きないため、自犯罪を清算できるのです。

自犯罪とは、自分よりも善なる主体者の御言葉に従わず、放縦に生きるときに犯す罪です。信仰の基台を明確に持つ人は、確かな価値観、すなわち善悪を区別できる御言葉をその内面に抱くため、御言葉による審判を通過できるようになります。

しかし、この段階での復活のレベルは蘇生段階であるため、外的な制度的復活の程度に留まっていると見るのです。

引き続きこの図表をご覧になりながら、私のこの説明をお聞きください。

歴史的に信仰の基台を復帰した人物を探してみるなら、その代表者はノアとアブラハムとイサクであると言えるでしょう。ノアやアブラハムは、神の指示の一言に命を懸けて信じ従い、あらゆる試練と苦痛を経験しながらも一度も気まぐれを起こしたことはないでしょう?


◆ノア・アブラハム・イサクの模範

イサクも同様に命を捧げて天の命令に服従したのです。こういうことこそが模範です。

成約の民が決してノアやアブラハム、あるいはイサクの信仰に劣ることはできないのではないでしょうか?

父君はアメリカで「六千年歴史を突き抜けよ」という題目の御言葉の中で、このような内容を強調していらっしゃいます。


◆信仰の基台が私たちに問うもの

私は果たして御旨の前に気まぐれを起こしていないか、信仰の基台という公式が私たちに問いかけています。

「あなたは、尊敬するアベルをいただいているか否か」と。もしそうでないなら、あなたはまだ放縦な人、習慣的な人、気まぐれを起こしやすい人です。したがって、信仰の基台もなく御旨に従う愚かな人となってしまいます。


◆◆第二部 実体基台

さて、次は実体基台に関する話に移りますが、今回の講義も前回の講義もストーリーテリングをするような内容ではないため、皆さんが復帰原理の原則に関する話を聞いていると、かなり堅苦しい話になりますね。

皆さんが図表を見ながら、そのPPT資料を見ながら、私のこの解説についてきてくださるようお願いします。

それでは、実体基台について考えてみましょう。


◆実体基台の中心人物――アベル

実体基台の中心人物は次子、すなわちアベルの立場にある人となります。しかし、このアベルもよく見ればアダムの代身存在なのです。

アダムが神の御言葉を不信した結果、サタンの言葉、その誘惑のままに行動し、堕落性を帯びた実体となり、サタンの主管を受けるようになってしまったのを、本来の立場と主管性を回復するための本来の立場と主管性を回復するために、実体基台を復帰しなければならないという意味です。

したがって、実体基台を造成するには、まず天から切り離すことのできない愛の関係を結ぶことによってアベルの立場を確立しなければなりません。すなわち、信仰の基台を忠実に持つようになれば、アベルの立場を確立する場へと進むことになるのです。

言い換えれば、神お一方のものであり、サタンが分離された立場となればアベルの立場を確立することになります。その後、カインを屈服させることによって、そのカインと同じ立場にいる人々が私を天への道を歩む仲保者として尊敬し奉るようになり、堕落性を脱ぐ蕩減条件を立てるようになり、私も天から堕落性を脱いだという公認を受けることになり、また、サタンに対する主管性を復帰したという立場に立てられることによって、実体復帰、すなわち自分自身の肉身の復帰における蕩減条件となるのですが、これは実体献祭を御旨に適うように捧げるときに成就することになるのです。

 

◆実体献祭とは何か

実体献祭は、象徴献祭を御旨に適うように捧げることによって信仰の基台が立てられた後に捧げられる供献です。

象徴献祭は万物復帰の蕩減条件であり、人間を復帰するための象徴的蕩減条件だったのです。したがって、実体献祭とは、信仰の基台を復帰することによってアベルの立場を確立した人が立てる実体復帰、すなわち肉身復帰を指します。実体復帰のための蕩減条件なのです。

堕落によって人間は御言が肉身となるその受肉をすることができず、偽りの御言の実体となることによって、この人間の肉体の中に堕落性を帯びた存在となってしまったのです。したがって、サタンはこの堕落性を通して私たちを非原理的に主管しているのです。私たちの身体をサタンが主管するということです。

そのため、この堕落性を克服することによって、サタンの非原理的な主管から脱し、サタンを原理的に主管することができなければなりません。そうなれば、アベルの立場にある人物は、その肉身を天のものとして復帰した立場に立てることができるのであり、これこそが実体献祭なのです。

 

◆自然屈服の責任はアベルにある

実体献祭が御旨の前にまさに合致するためには、カインとアベルの間で、アベルがカインを自然屈服させるときにそれが成就するのです。

この言葉は、実体献祭を成功させる責任は一次的にアベルにあるという意味です。

したがって、アベルはあたかも象徴献祭における中心人物である祭主と同じ立場にあり、供え物を捧げる供献を捧げる主人であるということです。これがアベルであるということです。カインはその供え物と同じ位置にあると言うことができるのです。

ロサンゼルスの御言葉でも、人間同士が供え物の立場に立つのが実体基台であり、アベルがカインを供え物として立てるためには、自分自身よりもカインをさらに愛さなければならないと仰せになりました。

カインは天使長と同じ立場にいるため、アダムの立場にあるアベルに対して、初めから讒訴する心を抱きやすいのです。怨恨と不平を持ち、讒訴しようとする心が生まれるということです。

しかし、実体献祭が成功してカインからサタンが分離され、彼がアベルに対して堕落性を脱ぐ蕩減条件であるこのカインがアベルを愛し、カインがアベルを仲保者として立てて主体者へと進もうとし、カインがアベルに屈服し、カインがアベルを通して御旨を受け継いで何かをするということですね。

その愛重と屈服を通して、象徴献祭がどのようにして御旨に適うように捧げられたかを考えれば、この愛と屈服がどのようにして成し遂げられるかが分かるのです。

祭主である中心人物が鳩、羊、雌牛などの供え物を自分の体以上に愛さなければならなかったように、アベルはカインに対して自分の体のように大切にし、カインを自分以上に愛さなければならないという、このような原則があるのです。

カインを神が受け入れられる供え物として立てるために、アベルは自分自身よりもカインをさらに愛さずにはいられないという意味です。

そうするとき、カインはアベルに対して何の讒訴条件も見つけることができず、かえってアベルのために自分の命を懸け、死の場にさえ進むようになるということです。その場合、アベルはアダムの立場において讒訴感を抱いていた天使長の讒訴を完全に満たしてあげたため、彼を原理的に主管できる資格を備えるようになるという意味です。

 

◆カインも供え物とならなければならない

ここで私たちは見過ごしてはならない点を一つ見いだすことができます。

カインの正しい態度は、自分自身が供え物とならなければなりません。

カインも神の許に帰らなければ、彼の幸福と人生の価値を実現することはできません。しかし、そうなるためには、自分がサタンの束縛を脱し、天の側へと移らなければなりません。すなわち、供え物にならなければならないという事実です。

ここで私たちは、神が象徴献祭の供え物として選ばれたこの万物の代表が、鳩、羊、雌牛などの怨恨や不平を知らない服従犠牲型であったのかを考えてみると、重要な教訓を悟ることになります。

供え物のその信仰でなければ、私はこの罪悪世界を抜け出す道はないということを教えてくれるのです。


◆イエス様とイスラエル民族

その良い例は、イエス様の前に立ったイスラエル民族でした。

イエス様は、洗礼ヨハネが失敗するや、メシアの位に進む前に、まずアベルの立場から摂理を責任持たれることになりました。その時、イスラエル民族はイエス様の前に、鳩、羊、雌牛が供え物を捧げるその祭壇に捧げられたのと同様の態度を取らなければなりませんでした。

すなわち、象徴献祭を捧げるとき、供え物と同様に死んでもイエス様の懐で死に、イエス様の前に服従屈服しなければならなかったのです。しかし彼らは、かえってイエス様を死に至るまで迫害しました。しかし、イエス様はそのイスラエルを最後まで愛されました。

アベルとしてカインをあなたの命以上に愛さなければならないという、サタン分離自然屈服の原理原則をそのままイエス様が実践されたのです。

ロサンゼルスの御言葉で、イスラエル民族がイエス様を十字架につけて殺したことは、あたかも祭壇に上っていた雌牛や羊が飛び降りてきて祭司を突き殺したことと同じであると、父君は仰せになりました。イエス様は最期の運命の瞬間まで敵を愛する模範をお示しになったのです。

その結果、復活して再び第二イスラエルを復帰することができたのであり、復活されたイエス様に命を捧げて従った弟子たちをはじめとするキリスト教の殉教者たちが、まさにイエス様の前に復帰されたカインたちとなったのです。

しかし、亡くなられたイエス様の前でそうであったとはいえ、霊的基準に過ぎないのです。しかし、イエス様はサタン分離の原理から見れば、イエス様ご自身の責任は全て果たされたのです。イエス様としては、なし得ることは全てなさったのです。

自分を十字架に架けて殺す敵までも愛し、祝福を祈ってくださったことこそが、イエス様が「全て成し遂げられた」とヨハネによる福音書19章30節で仰せになったその内容であることが分かるのです。


◆実体基台を持つ人とは

そうだとすれば、実体基台を成功させてみれば、その実体基台を成功させた人、実体基台を持っている人はどのような立場にいるのか、一度調べてみましょう。

復帰の基本公式によって第二段階として、もはや持っていなければならないその基台こそが実体基台です。

信仰の基台を持っている人であっても、実体基台を復帰する責任を果たさなければ、信仰の発展や霊人体成長は停止状態にあることを知らなければなりません。

そうすれば、信仰の基台を復帰した人が次の段階である実体基台を持つ人として決定されるには、どのような責任を果たさなければならないでしょうか?

ここでは御言葉を信じる段階、服従する段階ではなく、実践する段階、生活する段階であることを強調せざるを得ません。


◆御言葉を生活で実践する

ここでも私たちのPPT資料をご覧になりながら、じっくりと話を聞いていただければ幸いです。

御言葉通りに実践するということは、まさに神がお示しくださった通りに私もその事情を抱いて行うという意味なので、人類救援の労苦多い歴史に同参することによって天使長カイン屈服の辛い路程を行くという意味です。

したがって、私よりも天を遠ざけている人々のために涙を流し、憐れみ深い心情で彼らを救うための伝道の道、犠牲奉仕献身の道を行かざるを得ないのです。


◆伝道・氏族復帰と再創造

信仰の子女を12名以上持つことや、氏族復帰を強調せざるを得ない理由がまさにここにあります。

自分の心情を移して繁殖体を作り出すこと、再創造の役事をすることによって、天が私を再創造なさった時にどれほど苦労なさったかを感じるようになることによって、事情的長成復活を成し遂げることができるのです。

そのことによって、天の前に私よりもより外的な僕の立場を超えて養子圏へと入っていくことになり、より内在的な関係に回復し、相続者の要件を備え進んでいくことになります。


◆連帯罪の清算と人格審判

また、私を救い、大切にし、祝福を授けてくれることによって、歴代の私の祖先たちが他人と天の前に残した罪悪の負債を返済することと同じであるため、実体基台を与え、多くのカインたちに忘れられない徳を施した人は、その祖先たちの罪と親戚たちの罪を代わりに償うことができるのです。

連帯罪までも償われるということです。

そうなることによって、多くの人々が彼によって救いを得て、天の祝福を受けることによって、彼を尊敬し、従わずにはいられなくなるのです。このような人は人格審判の関門を通過することになるのです。

歴史上、実体基台の模範的人物としては、ヤコブとヨセフ、そしてイエス様のような方々です。ヤコブのその苦難の路程、ヨセフの茨の道、兄弟たちに売られてエジプトに行き、奴隷生活を送るうち宰相となり、その兄弟たちを後に皆自然屈服させたあのヨセフ、創世記に出てくるヨセフの話です。

ヨセフが茨の道を行くその姿。それは避けることのできなかった道であり、甘んじて受け入れ、最後まで歩み続けたときに、天の栄光と化したその祝福の人生となりました。


◆実体基台が私たちに問うもの

私自身は今、どれほどのカインを従えているのか?

すなわち、私を命の恩人として知り、深い感謝と尊敬の念を持って接してくれる何人かのために、私は生きてきたのか、そして今生きているのか?

このような事実を実体基台は私たちに問いかけています。


◆◆結びにあたって

皆さん、私がこの談論を始めるにあたって20分程度で終えると言っておきながら、まことに20分以内に一つの主題を整理して終えることがなかなかできず、少しずつ時間がオーバーしています。

今日も少し時間がオーバーしていますが、そろそろ終えなければなりませんね?


◆七七七家庭聖酒式で語られた御言葉

今日の談論を終えるにあたって、お父様が1970年10月に777家庭祝福結婚約婚者聖酒式で下さった御言葉の最後の段落を引用しながら、今日の談論を締めくくりたいと思います。

信仰の基台、実体基台、メシアのための基台があるということをご存じでしょう?
私たちは今や、原罪をすっかり脱ぎ捨てて昇っていくのです。

これは公式です。

神はこれゆえに、この一時期を探し求められるために六千年苦労なさいました。

そしてイエス様以降2千年の間、数多くの国の数多くの人々がこの道を追い求めてきているのです。

今日、皆さんがここに座って短時間のうちにこのような事実を知ることができるというのは、驚くべき恩賜なのです。

このように実を結ぶことのできる勝利の一団体が、このアジアの韓国の地を中心に立てられたという事実は、驚くべき事実であると言わざるを得ません。

御旨を中心として世界の様々な国の人々がここ韓国に来て結婚するということは、驚くべきことなのです。


◆御言葉の出典

御言選集35巻214ページにあります。聖酒式と血統復帰という主題の御言葉です。
1970年10月19日、中央修練所でお話しになられましたね。


◆六千年摂理の結実を相続する

皆さん、この御言葉のように私たちが、信仰の基台、実体基台、メシアのための基台という復帰の公式を知ることは、単純な知識ではなく、六千年摂理の結実を相続する驚くべき恩賜でもあるのです。

この恩賜を大切に心に刻み、試練の時であるほど成約の民の正道を歩む私たち皆となることを願います。


◆次回に向けて

来週は今回の談論、『成約の民のための初心不忘のメシアのための基台』の結論が導き出されることでしょう。

皆さんの原理と御言葉に対する渇きを潤し、新たな悟りの喜びをお届けすることでしょう。多くの方々がこの喜びを共にできるよう、皆さんの協力が求められる統一教会の試練期です。

皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございます。
さようなら。また来週お会いしましょう。

(第8論題:おわり)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村●連絡がとりたい方はメールでお願いします。maile-address: kawahara@yui0123.com