「家庭連合」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●再臨主はキリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

ソンデオTV 第九話 ◆成約人のための「初心不忘のメシアのための基台」最終編

ソンデオTV 第九回
成約人のための「初心不忘のメシアのための基台」最終編

www.youtube.com

◆最終編を始めるにあたって

皆さん、こんにちは。
今日は「成約人のための初心不忘のメシアのための基台」その最終編です。

過去4回にわたる談論の結論を述べ、今日私たち統一教が直面しているこの難局を解決できる道も一緒に見ていきたいと思います。

それでは、すぐに談論を始めます。


◆メシアのための基台は「心情基台」

前回お見せした図表2をもう一度見てみましょう。
人間は信仰の基台と実体基台を立てると、成長期の完成級まで復帰することになります。

本来、人類始祖アダムとエバは、この成長期完成級で神を絶対的な愛の主体としてお迎えし、その対象の立場に立つことによって「完成」に至らなければなりませんでした。

しかし、彼らは神ではないサタンと血縁関係を結ぶことによって、神の心情を裏切ってしまいました。したがって、堕落人間が復帰されるためには、信仰の基台と実体基台を立てるだけでなく、神を裏切ったその「心情(愛)」を必ず復帰しなければなりません。

これこそがメシアのための基台、すなわち「心情基台」を立てることに他なりません。
そのために、どのような条件を立て、どのような心構えと愛を抱かなければならないかを知る必要があります。

◆ 新郎を迎える花嫁の準備

「メシアを新郎としてお迎えできる花嫁になること」、これが聖書66巻の結論であり、イエス様の教えの核心です。同時に、イエス様の再臨を待ち望んできたすべてのキリスト教徒の最後かつ最大の希望でもあります。

聖書はこれをいくつかのたとえで説明しています。
マタイによる福音書25章の賢い乙女たちは「心情のともしび」を灯して新郎を迎え、黙示録19章の「小羊」の花嫁は清らかな心で身支度を整え、婚礼の宴を準備しました。

このように、メシアのための基台は、単に実体基台の条件を立てるだけで終わるものではなく、その土台の上に、来られるメシアを新郎としてお迎えする花嫁の心情的な準備が整って初めて形成されるものです。

したがって、従来の認識のように「信仰の基台+実体基台=メシアのための基台」という公式で理解してはなりません。

信仰の基台と実体基台を立てることによって、次の段階であるメシアのための基台を立てることができるようになるのです。

信仰の基台と実体基台を立てる究極的な目的は、メシアと心情的な関係を結ぶことができる位置に到達するためです。すなわち、メシアの前に清らかに身支度を整えた花嫁として、新郎と心情一体となる準備をすることが「メシアのための基台」が持つ真の意味です。

◆お父様が語られた「心情で迎える準備」

お父様はこのようにおっしゃいました。

 「キリスト教は今まで二千年間、花嫁としてお迎えする生活ができる準備をしてきました。では、どのような準備をしなければならないのか? 御言の準備でもなく、信仰の準備でもなく、生活の準備でもありません。心情を通い合わせることができる準備をしなければならないのです。」

準備された心情の所有者を探すために、心情を通じてお迎えするための準備をする者を探すために、天は六千年の間、苦しんできたということを皆さんは知らなければなりません。花嫁とは何か? 花嫁とは、新郎のために、新郎が考える一切を具備した一つの完全な対象として現れることができる人を言います。

その花嫁は実体としての身と心があって、そこに対応する環境が用意されていなければなりません。(中略)それゆえに花嫁は自分に属することも自分のものだとは言えません。自分のものではあるが、思い通りに処分することはできないということです。
今、そのような路程にあるキリスト教の思想は、新郎新婦の思想を物語っています。新郎をお迎えするために準備する乙女のように、あらゆる誠を尽くし、またその身に染み込んだ情熱が血と共に沸き立つ時に、初めて彼の花嫁となることができます。また、最初であり最後の者として抱かれることができる場所を探し求めるのが、花嫁が進む道です。」

これは御言選集第8巻に収められている御言です。

お父様とお会いして、聖婚式をする二か月前のことです。1960年2月14日、以前の本部教会での説教のテーマが「天は心情でお迎えする者のもの」という御言の中で、このような御言をされました。

◆ 心情献祭によるメシアとの直接的関係

このような心情基台は「心情献祭」を通じて完成されます。すなわち、新郎であられる主なる神に、私の心情と愛を花嫁の心で完全に捧げることです。

ここで私たちが看過してはならない事実があります。「信仰の基台」と「実体基台」がメシアをお迎えするための準備段階だとすれば、「メシアのための基台」はすでに準備を終えたアベル的立場の人物たちが、メシアと直接的な関係を結ぶ段階であるという点です。

アベルの立場を復帰した人物が、自分自身の物質・肉身・心情を総合して、自分自身を主の前に生贄として捧げることを意味します。

◆洗礼ヨハネの失敗が残した教訓

歴史的事例を見れば明確に分かります。バプテスマのヨハネ以前の人物たちは、信仰の基台と実体基台を立てる準備段階に留まりましたが、バプテスマのヨハネとユダヤ教の指導者たちは、イエス様の前で直接「メシアのための基台」を立てなければならない立場にありました。

彼らは賢い乙女たちのように花嫁の身支度を終えた後、来られたイエス様を迎え入れなければなりませんでした。しかし、残念ながら彼らは「心情のともしび」を灯すことができず、目の前のメシアを認識できないという悲劇を招きました。

この教訓は、再臨の時のキリスト教指導者たちにも同様に適用されます。

◆心情基台を妨げる二つの危険

すでに花嫁として準備された立場であればあるほど、必ず「心情基台」を備える必要があり、特に次の二つを厳しく警戒しなければなりません。

一つ目は、自己中心的な信仰と自慢心です。バプテスマのヨハネのように多くの弟子を従え、尊敬される立場にいると、知らず知らずのうちに功名心と自慢心に陥りやすいものです。

過去の栄光に安住する瞬間、来られる主なる神をお迎えする心情的な空間は消え失せてしまいます。

二つ目は、主客転倒の姿勢です。「メシアが来られれば当然、自分をまず見つけて訪ねてくるだろう」という考えは危険な錯覚です。

自分がメシアを探しに出ることを考えず、メシアが自分を正しく認めてくれるのをただ待ち続けるのは、信仰的な傲慢です。むしろ花嫁は謙遜な心で新郎に会い、その方に対して自分が依然として未熟で不十分な点があれば、絶え間ない悔い改めによって花嫁の身支度を正しく整えなければなりません。

◆栄光の主を迎えられなかった場合

もしバプテスマのヨハネのようなキリスト教指導者たちが、完全な心情基台を立ててメシアを迎え入れていたなら、主は苦難ではなく栄光の主として降臨されたことでしょう。そうであったなら、世界の救援摂理はすでに終結し、天の創造理想はこの地上に即時実現されていたことでしょう。

しかし、すでに実体基台まで立てた指導者たちが、過去のバプテスマのヨハネと同じ過ちを繰り返すならば、状況は完全に変わります。来られる主は再び苦難の道から出発し、辛い再蕩減の十字架を背負わなければなりません。

そして、その方を慕う成約人たちもまた、主が進まれるその険しい路程を宿命的に後を追うしかありません。皆さん、今日私たちはこのような厳粛な原理路程を歩んでいます。

◆祝福後に問われるメシアとの一体

信仰の基台と実体基台を通じて、私たちはカインからアベルの立場へと成長します。さらに、新郎であられる主の前に花嫁であり、真の子女の立場へと進んでいくのです。アベルの立場が確定した時、私たちは初めて原罪を清算される「祝福」という途方もない至福の立場に入ることになります。この決定的な時に、私たちは雌牛のように天の前に「生贄となる心情」を持たなければなりません。同時に、新郎をお迎えし、従順する「花嫁の心情」を持ってメシアと一体とならなければなりません。

これについて「原理講論」は次のように教えています。
「堕落人間は、このように『メシア』を迎え、原罪を脱ぎ、人間始祖の堕落前の立場に復帰された後、神の心情を中心として『メシア』と一体となり、人間始祖が堕落したことによって歩むことができずに残っていた成長期間を全て過ぎて初めて『完成実体』となるのである。」(「原理講論」後編序論 Ⅰ-2-(2) 実体基台)

ここで私たちが心に留めておくべき点があります。

たとえ祝福の場に進んだとしても、メシアと考え(価値観)、その人格、そしてその方の心情と一体になれず、自己中心的な立場に留まり続けるならばどうなるでしょうか?それは実体基台を立てていながらもメシアを裏切ったバプテスマのヨハネの轍を踏むことと同じです。メシアよりも自分自身を愛したり、自分の観念を優先する態度は、自ら花嫁の立場を捨てる行為です。

原理的な観点から見ると、このような姿は「信仰的な娼婦」と変わらない危うい立場に置かれることを知らなければなりません。私たちはここで段階別の信仰路程の違いを明確に認識する必要があります。

信仰の基台と実体基台を復帰する段階では、たとえ間違いがあったとしても、加重された蕩減条件を通じて再び機会を得ることができます。しかし、完成の基準に臨む成約人の信仰路程は異なります。この段階は真に慎重かつ恐ろしい道です。一度崩れると二度と復帰することが困難だからです。私たちはその厳粛な完成の基準の前に立っています。この事実を骨の髄まで刻み込む必要があります。

私たちが歩むべき道は明確です。自分の考えを優先するのではなく、神の心情を中心としてメシアと完全に一体となる生活を送ることです。このような生活基準だけが、天の前に捧げられる真の「心情献祭」となり得ます。

◆心情基台を備えた成約人とは

さて、最後に、一体どのような人が「心情基台」を備えた成約人として立つことができるのか、具体的に見ていきましょう。私たちが最もまず心に留めるべき事実は、心情基台を持つ人は、蘇生的な「信仰の基台」と成長的な「実体基台」をすでに勝利した人でなければならないという点です。

その二つの期待すら備えていない人は、決して心情基台の段階に突入することはできません。これはまるで、中学校・高校の課程を修了せずに大学に入学できないという教育の原理と同じです。それでは、どのような人がメシアの前に花嫁としての資格、すなわち心情基台を備えた人となるのでしょうか?

これを確実に理解するためには、神の三段階成長期間を原則とした復帰摂理の歴史を全体的に把握する必要があります。

◆旧約・新約・成約時代の三段階

人類歴史六千年の流れの中で、復帰摂理は三段階を経て発展してきました。旧約以前の時代は、象徴献祭を通じた「物質復帰」の時代であり、律法中心のユダヤ教信仰をしていました。

次に新約時代は、実体献祭を通じた「実体(肉身)復帰」の時代であり、福音と愛中心のキリスト教信仰をしていました。次に成約時代は、心情献祭を通じた「心情復帰」の時代であり、新しい御言を中心として再臨の主をお迎えする「侍義の信仰」を完成する時代です。

したがって、今日、再臨の主をお迎えする成約人たちは、六千年間展開されてきたすべての縦的な蕩減条件を、自分の時代に「横的」に一挙に復帰しなければならない厳重な立場にあります。

これは、一人の内面に信仰・実体・心情の期待が同時的に確立されなければならないことを意味します。自然と万物を慈しみ、人類を愛し、神とメシアと心情一体となる人生でなければならないということです。

◆物質・肉身・心情を神に返す道

図表4の原型で示される私、すなわち成約人は、堕落によって失われた物質と体、心情を再び取り戻さなければならない立場にあります。サタンが奪い去った経路を逆の順序で蕩減復帰し、自分自身を否定して完全に神の所有に戻らなければなりません。

私の所有物と肉身、そして心情までも完全に神に生きる生贄として捧げるのです。このようにすべてを投入してサタンと分離される時、神は初めてそのすべてを私たちに再び許してくださいます。

その時に初めて、そのすべての所有と体と心情が神のものであり、真の「私のもの」として生まれ変わるのです。私たちは中心人物が生贄を捧げる時、サタンが分離され屈服するという原則をよく知っています。

今、私たち成約人たちは、すべての生贄摂理の最終的な結実体として、祭司であるメシアの前に置かれた「生ける生贄」とならなければなりません。六千年間累積された縦的な罪悪の歴史を、私の時代に横的に蕩減復帰できるこの驚くべき立場に召されたことを、もう一度深く自覚しなければなりません。

◆生ける供え物として歩む

では、生ける生贄となった私たちが進むべき道とは何でしょうか?それは、サタンに包囲されて死にかけていた私を天の前に捧げるために、メシアが経験された苦難、そして神と預言者たちの犠牲を心深く体得することから始まるでしょう。私一人を見つけ出すために、神は六千年間をさまよい、イエス様は死を超えてまで探しに来られ、お父様は生涯を捧げてすべてを犠牲にされました。そしてそのすべてを私たちに相続してくださいました。

「生贄は所有観念と存在意識を超越しなければならない」という御言をしっかりと掴み、私たち自身を絶えず自省しなければならないでしょう。

真のお父様をお迎えし、従う祝福家庭は、「小羊の宴」に招待された花嫁の心情を備えた主人公たちです。私たちはすでに信仰の基台と実体基台を超え、「メシアのための基台」の上に立っている子女たちです。

今、私たちはお父様の前に、信仰的にも実体的にも花嫁の身支度を整えなければなりません。いかなる試練にも揺るがない不変の忠・孝・熱を備えた存在として、真の花嫁の資格を証明しなければなりません。

◆実体の花嫁として選ばれた韓鶴子様

花嫁を探しに来られる新郎の路程が復帰摂理の中心核であるならば、実際にその新郎を迎えなければならない実体の花嫁となる特定の女性はどのような方でしょうか?その花嫁は、すべてのキリスト教の聖徒と成約人の代表として、来られる主の選択によって、その主と小羊の宴を通じて全人類の真のお母様となられる方です。

天が準備されたその実体の花嫁こそが、まさに韓鶴子様でした。聖婚を二か月後に控えた1960年2月頃、予備の花嫁であった韓鶴子様が受けられた天の啓示証言を少しお伝えします。

◆『愛の世界』に記された聖婚前の啓示

まさにこの本です。「愛の世界」韓鶴子夫人御言選集と聖和社から1987年に発行された本ですが、この本にお母様が私にもこのようにサインをしてくださったのです。

それほどお母様が本当に誇りに思い、ご自身の心をよくここに込めたと思われた本です。

この本に収められている韓鶴子お母様のその啓示の言葉を少し引用させていただきます。

聖婚式の一か月前に、お父様が夢の中に現れ、神からの特別な啓示がありました。


「その日が近づいたから準備しなさい」と啓示が下りました。私はその時、天の摂理でなければ、そのような大事を判断できる能力がなかったので、無我になるしかなかったのです。そして、祈らずにはいられませんでした。
 「これまでも私は御旨のままに生きてきました。今、神の御旨が何であっても、神の摂理の目的が何であっても、私はあなたの僕として、どのようなことでも命じられるままに従います」この啓示に対して、私の心はそのように応えを示したのです。それは私が満17歳の春、2月頃のことでした。私は完全に無我の立場になって準備していたため、その事情を分析したいとは思いませんでした。神の御旨のまま、全面的に身を捧げることをひたすら願っていました。」
 私はひたすら全身全霊を捧げることを願っていました。

この啓示内容は、1977年5月3日、つまりこの本を出す10年前にですね。ベルベディア修練所で、アメリカの指導者たちにこのような回顧を証しされたものを、10年後にこの本にその啓示文を載せたものです。

◆一九六〇年の聖婚と心情基台の結実

このように、小羊の婚宴の花嫁の準備は、韓鶴子予備花嫁の切実な心情が天の前に余すところなく捧げられることによって、完璧に成し遂げられました。

そして1960年4月11日、皆様がご存じのように、全宇宙が喜ぶ中で歴史的な聖婚が成就されたのです。

このように、創世以来六千年ぶりに天辛万苦の末に復帰されたメシアのための基台は、韓鶴子花嫁の力強い心情献呈によって美しい花が咲き、実を結ぶことになったのです。
真の父母様お二方を合わせた真の家庭は、全ての人々にとって神様の創造理想を実現するロールモデルでした。

◆「お母様は愛の勝利者」

その17年後に、聖婚されて17年後に、真のお父様が真のお母様について証しされた御言があります。「お母様は愛の勝利者」という御言です。その御言も、この本に共に載せました。

その御言はこう書かれています。
「女性は誰でも、主の花嫁として使命の一部を成し遂げていると言うことができます。ですから、ある人が使命の一部を成し遂げていると認められると、神様は『あなたが主の花嫁候補者である』と言うことができるということです。… お母様に対して先生は次の三つの点で特に感謝しています。第一に、お母様は霊的に非常に繊細で敏感であり、全てのものを霊的に明確に読み取ることができるということです。第二に、先生に対する絶対的な忠誠と献身であり、先生がどのような方向に導いても喜んでついてきてくれます。第三に、自分の全ての所有物は神様と天宙のものであり、万物は天宙と享受されるべきものですから、どんな貴重なものでも誰かに与えて誰かを喜ばせたいという、私心のない 無私(むし)の生活観を表明しているという点です。… お母様はこの点において、勝利的な女性ですが、誰がこの完成された勝利的な女性を創造したと思いますか?それは先生によってです。」

皆さん、最後の言葉に注目すべきでしょう?このように、お母様が勝利した女性として、はい?堂々と立たれたのは、先生によって創造されたからだ。という御言です。

はい。つまりこの御言は、1977年2月23日、ベルベディア修練所で語られた御言として、真の父母様聖婚17周年記念式において、お母様は愛の勝利者であるというお父様の証しの言葉です。

◆四十年荒野路程と世界的勝利

前回の第4話「荒野時代の歪曲と真実」の映像でお話しした通り、お二方が一つになられ、荒野40年の路程でモスクワのゴルバチョフ大統領、平壌の金日成主席に会い、勝利するまでの摂理路程は、筆舌に尽くしがたい膨大な出来事が積み重なっていたのです。

その後、1992年4月10日の世界平和女性連合創設に続き、再臨主宣言、1993年9月7日には国連本部で韓鶴子総裁が
 
「私の夫、文鮮明牧師の原理思想と生涯、その業績はまさに彼が再臨のメシアであり、キリスト教徒が待ち望んできた新郎であることを示しています。」

再臨主の花嫁として、『メシアのための基台』のための心情献呈、心情基台を、全世界のキリスト教徒と成約者を代表して捧げたのでした。

お父様はこの基台の上で、『世界キリスト教統一神霊協会』の40年の歴史を終え、『世界平和統一家庭連合』を創設することができたのです。

したがって、再臨主真のお父様の花嫁である真のお母様の使命、すなわち「心情基台」は、お母様がその生を終える瞬間まで、いかなる困難があろうとも保護され、守られなければなりません。

億兆蒼生の恨みが込められた摂理史の曲折を一つ一つ解き明かしてこられたお二方の労苦と事情を、私たちがどうして全て推し量ることができましょうか?

◆ 聖和後に台頭した独生女論への批判

ところが、2012年9月3日の真のお父様聖和以降、突如として噴出し始めた正体不明の詭弁が、今、統一教会を席巻しています。

無原罪 初臨 独生女 ホーリーマザー韓」、そしてこれとごまかされた「真の父母論」や「韓民族選民大叙事詩」などは、天の前に非原理のバベルの塔を築く虚しい行為に過ぎません。

最近出た「韓民族選民大叙事詩」という本も、皆さん一度ご覧になってください。非常に壮大な画報と共に、このように出ています。これについても、私たちは考える必要があります。

これは、お父様の原理の御言と、自ら歩まれた畢生(ひっせい)の蕩減復帰摂理路程に反する非原理の雑説であり、韓鶴子花嫁の初心を蹂躙するだけでなく、私たち成約者たちの心情の言葉を分裂させ、天との疎通さえ断ち切る妖説(ようせつ)に他なりません。

かつての洗礼ヨハネのように、イエス様を証ししながらも結局一つになれなかった過ちを、再臨主の花嫁である真のお母様が繰り返すのをただ見過ごすわけにはいかないではありませんか?

もしこのような事態が継続するならば、六千年復帰摂理史の結実である「メシアのための基台」は、むなしく崩れ去ってしまうでしょう。

真のお父様聖和13周年を過ぎ、危機のどん底に落ちた統一教会が、この事態を正すこと以上に緊急なことはないという天聖人語、天の声と人々の言葉に耳を傾けるべき時です。

◆「初心不忘の花嫁」への切なる願い

私たちは今、切に願います、お母様!お父様の「花嫁」として初めて召された、あの麗しく純潔な「初心」を最後まで持ち続けてくださることを、切に願い続けます。

なぜなら、お母様こそが再臨された主の実体聖霊の花嫁として、主を絶対信仰、絶対服従、絶対愛するロールモデルであるからです。

そして、成約者と全世界のクリスチャンを代表し、全人類のために「メシアのための基台」を万古不変の礎石として立ててくださる方であるからです。

明日では遅すぎます、お母様。地上にいらっしゃる間が、そのデッドラインではないでしょうか?

聖婚当時、「初心不忘の花嫁」として、万人の称賛と尊敬、そして羨望を永遠に受けられていた花嫁、妻、真のお母様本来の場所に戻ってくださることを心から祈ります。

◆結論を支える三つの御言

映像を今日終えるにあたり、今回の談論の焦点となる真のお父様の尊い御言を共に思い起こさずにはいられません。

本来は、再臨主の前の女性たちは「母の候補者である」という御言も、私が直接読み上げたいと思います。しかし、以下のいくつかの箇所の御言を、この映像の後のコメントに詳しく書いておきました。

皆さん、これらの言葉をぜひ読んでください。
「エバの再創造はお父様の使命である。アダムがエバを産むのが創造の法度である。母を先に立てれば罰を受ける。メシアが男性である理由。お父様の教えを変えようとする者たちは悪魔の皇族である。」など。

読み上げたい御言はたくさんありますが、時間の都合上、三つだけ紹介し、残りの御言は動画下の固定コメントに残されていますので、ぜひお読みになり、復帰原理の核心を正しく理解されることを期待します。

◆第一の御言――アブラハムとサラの絶対的一体

最初の引用したい御言は、アブラハムとサラの絶対的な夫婦関係、その夫婦関係がもたらした勝利の奇跡に関する御言です。皆さん、夫婦が絶対的な信仰で一つとなり、天の前に立つとき、どのような歴史が起こるかご存じでしょうか?聖書創世記12章と20章を見ると、アブラハムとサラは神の命令に従って、慣れ親しんだ故郷を離れ、見知らぬエジプトとゲラル地方に入らなければなりませんでした。

当時、異邦の王たちに妻を奪われ、命まで失うのではないかと心配したアブラハムは、サラに妻ではなく「妹」だと話すよう頼みます。夫としてはとてもできない提案でしたが、サラはアブラハムの意図に一言の不平もなく、絶対的に従順し、一致したのです。その結果、何が起こったでしょうか?エジプトのパロ王とゲラル王アビメレクがサラを奪おうとした時、神が直接現れて彼らを厳しく叱責されました。むしろ、数多くの財物と奴隷までアブラハムに捧げ、その前に祝福し、屈服するようになりました。

これこそが、夫婦一体がもたらした偉大な勝利なのです。これについて、お父様は次のように尊い御言をくださいました。

「そのような受難を乗り越えて出てくる中でも、サラはアブラハムの希望の道と一致することができ、何の矛盾もなく一つになることができたのです。そうでしょう?理想的な主体であるアブラハムの前に理想的な相手が現れたのに、その理想的な相手に手をつけようとする時は、神様が『おい、こら!』と言われることができるのです。なぜパロの宮中に神様が現れて、パロの行動を止めさせられたのか?絶対的な中心主体の前にある絶対的な相手は、保護してあげるべき存在であるから、神様はパロが接近しようとした時に『こら!』と制止されたのです。理想的な夫を持っていれば、損をするのではありません。そこに関係している分だけ奪い取るのです。」

◆今日のお母様に求められる内的条件

皆さん、この原理は今日私たちに厳重な示唆を与えてくれます。皆さん、ご存じの通り、お母様は今、拘置所に収監された状態で裁判を受けている驚くべき状況ではないでしょうか? 巨額の弁護費用を支払い雇われた大規模な弁護団が無罪弁論をすべきですが、より根本的で内的なお母様を救出する唯一の方法は何でしょうか? 霊界から天の憐れみを受け、真のお父様の役事(働き)がなければならないことではないでしょうか? 天心苑で徹夜祈祷を1500回も行っているのも、このためではないでしょうか?

しかしそれは、お母様がサラがアブラハムを絶対的に信じたように、神様と(真の)お父様に絶対服従し、本然の花嫁の位置を確立しなければ、絶対中心、神様と真のお父様に絶対信仰、絶対服従、絶対愛で一体となった本然の花嫁の位置を守るところで初めて可能なことなのです。

そのような心情基準さえ確立されていれば、世の誰もがお母様を讒訴(ざんそ)することはできなくなるでしょう。お母様が今日これほど危うい状況に置かれることになった根本原因はどこにあるのでしょうか?結局、そのような心情基準を初志貫徹できなかったために、教会内部の奸悪な追従者たちに利用され、最終的には外部の弱い勢力による侵犯と讒訴が許されたのではないでしょうか?

主体と対象が「絶対的一体」を成して初めて、天の保護と勝利が始まるというこの厳重な原則、アブラハムとサラに見られるあの実例のように、この原則こそが今私たち成約者が歩むべき正道(せいどう)の核心であることを忘れてはなりません。

◆八大教材教本への帰還宣言

今、獄中のお母様が、私たちすべての成約者と世の中の前に発表すべき御言は、
 「お父様聖和以降に出た私の独生女に関する発言はすべて棚上げし、今から私たち全員が文鮮明総裁が残された原理と御言、すなわち『八大教材教本』とその教えに戻らなければなりません」
という宣言です。

◆第二の御言――お父様が求められた絶対的な花嫁

次に、お父様の二つ目の御言は、お父様が願われた絶対的な花嫁についての御言です。

つまり、その息子が絶対的な花嫁を捜し求めるのです。何年か信じた後で自分の主張を押し通し、「ああ、あなたは一体何なの?私の思い通りに…」というような花嫁ではありません。相対的な立場から主体が必要とする、相対的な基準を中心として主体と絶対的に一つになれる立場に立つ花嫁を捜し求めるのです。…
 一度約束したら、死の道であっても進む花嫁。二言を言わない花嫁ではありません。決心した心を中心として行動するにおいては、食い違いのない、ただ一つの道しか知らない花嫁を捜し求められるのです。」
御言選集49巻に、1971年10月3日、元の本部教会で語られた御言です。

◆第三の御言――真の父母の基準点

三番目にお父様が語られた御言を引用するとすれば、この御言です。

真の父母様の基準点は特定の一人の男性である。
「真の父母の基準点は特定の一人の男性です。その男性は、六千年の復帰摂理歴史の過程で、あらゆる国家、あらゆる民族を中心として、その過程で過ちを犯した数多くの男性を代表して、勝利の決定権を持たなければなりません。このような絶対的な基準を立てた土台の上に、一つの相対的な基準を立てなければなりません。言い換えれば、エバがサタンに引きずられて失ったものを、すべて再び見つける歴史をしなければならないということです。アダムを通してエバが造られたのと同じように、その男性の相対者が再び造られなければならないということです。」

真の父母様のお二方のうち、「基準は男性である真のお父様である」ということです。「真のお父様、その男性が相手である花嫁を造られる」ということです。今や、このような原則の原理と、お父様の御言を私たちが混同すれば、今日起こっているこのような混乱を収拾する道もなく、この教会がお父様の御心とはかけ離れてしまうということです。

◆結び――初心を忘れない花嫁の位置へ

どうか真のお母様が、このような初心を忘れない絶対的な花嫁の場所に戻ってくださることを、切に願い続けます。

全ての統一家庭の食口たちが、そのように願う成約者となることを祝願します。

動画の下部に記載されているお父様の御言を、ぜひ最後までお読みくださるよう改めてお願いし、本日はここまでとさせていただきます。

皆さん!さようなら。
来週は、今日お話したことに関連しつつも、新しいテーマとなる談論でお会いしましょう。
ありがとうございます。

(第九話:おわり)

●この記事がたくさんの人が見れるように
クリック支援をお願いします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村●連絡がとりたい方はメールでお願いします。maile-address: kawahara@yui0123.com