
ソンデオTV 第11話
『真の父母論』の神学的基盤を検証する
皆様、こんにちは。困難な時期ではありますが、旧正月の連休を、ご家族・ご親戚と共に安らかにお過ごしになられたことと存じます。
◆ 前回の振り返り――金振春の「恥ずべき尻尾論」
前回、私たちは金振春の「お父様の恥ずべき尻尾論」とは何か、そしてその不純な論理がどのように本書『天の摂理から見た真の父母様の位相と価値』(以下「真の父母論」)の骨子でありガイドラインとして包装されたのかを考察しました。
本書の面々を見ると、本書の編纂・執筆陣を見ると、編纂委員長には文妍娥、鄭元周、宋龍天が名を連ねています。
諮問委員には金振春を主役とし、秦聖培など6名を飾り立てていました。そして執筆委員としては、いわゆる「真の父母神学学会」所属の教授である呉沢龍、朱載完、黄珍修、金敏志、安妍姫、李基植らが名を連ねています。
◆ 『真の父母論』から隠された「尻尾論」
ところで皆様、彼らが作った『真の父母論』は、その骨格が金振春の「恥ずかしい尻尾論」であるにもかかわらず、肝心の本文ではお父様の「恥ずべき尻尾論」といった露骨な表現は徹底的に隠されています。
その代わりに、ただお母様の御言だけを繰り返しているのです。お母様の御言を一度見てみましょう。
「繰り返しますが、原理講論は荒野時代の理論です。…摂理の観点から見れば、私でなければならず、53年間皆さんが知って来た原理は荒野時代の路程と同一です。(『真のお母様御言集(2023)』38、44頁)」
この御言のように、彼らの主張は一つに帰結します。
「原理講論は荒野時代の遺物である。今は天一国時代であり、独生女の『新しい御言葉』の時代だ。従って独生女・真のお母様だけが摂理完成の中心軸である!」この言葉だけを復唱しています。
お父様の原理講論は有効期限が終了した過去の遺物であり、その地位を彼らの真の父母論が代替するという主張です。
そしてついに彼らは『ホーリー・マザー・ハンによる神学』という書籍まで出版しました。
『お母様御言集』の画一的な内容と「ホーリーマザー・ハンの御言」を寄せ集めて並べたものが、果たしてどのような神学になるのか疑問です。そこで本日は、『真の父母論』の神学的基盤がいかに貧弱で矛盾に満ち、また非原理的であるかを、原理と御言を中心に触れてみたいと思います。
◆『原理講論』総序の「より深い真理」をどう読むか
皆様、まず『真の父母論』はその出発点である大前提から明らかな歴史歪曲に基づいています。『原理講論』総序の最終章の一節から出発します。
こちらの『原理講論』です。問題となっているのは、総序18ページの最後の一節です。
ここに「時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」(『原理講論』総序p.18)
この文章をめぐって呉沢龍グループは実に狡猾な手口を使います。『原理講論』が再臨論で終わっているから、「真の父母論」が抜け落ちた未完成版だとこっそり穴を掘っておくのです。
そしてその空白を埋める『より深い真理』と『新しい御言』が、まさにホーリーマザー・ハン独生女による『天一国真の父母論』だと強弁します。
皆様、これがまともな主張でしょうか?真実を確認するため、『原理講論』の該当原文を改めて読み直してみましょう。
「神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。そのお方こそ、すなわち、文鮮明先生である。…先生は単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと闘い、ひそかに神と霊交なさることによって、天倫の秘密を明らかにされたのである。ここに発表する御言はその真理の一部であり、今までその弟子たち(his disciples)が、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」とあります。」
皆様、これらの文の主語は誰でしょうか?億万のサタンと戦い打ち勝ち、天倫の秘密を明らかにされた方!まさに文鮮明先生、私たちの真のお父様ではありませんか?
人類歴史終末論で言及された新しい御言の主人公も、文法的にも文脈的にも当然真のお父様であることは、三尺の童子でも分かる明白な事実です。
英語版をはじめとする翻訳版にもすべて「his disciples」とあり、「her」という言葉はどこにもありません。
ところで誰が、どんな権限でこの明白な主語をすり替えるのですか?
皆様、本物の真の父母論は他にあるものではありません。
お父様が生涯を捧げて明らかにしてこられた御言、すなわち8大教材教本と自叙伝『平和を愛する世界人として』こそが真の父母論そのものではありませんか?
それなのに、よくもまあ、こんな言動を働きますね。呉沢龍の解釈に従うならば、真のお父様は1966年『原理講論』出版以降、聖和された2012年まで、その46年という長い歳月において「より深い真理」と「新しい御言」は一言も語らず、ただ沈黙を貫かれたという荒唐無稽な話になります。
◆ 八大教材教本は「過ぎ去る文書」ではない
しかし実際の歴史は正反対です。真のお父様はすでに地上におられた時に、人類が永遠に訓読すべき経典である『8大教材教本』を完成されました。
特に2010年2月7日には8大教材教本を神様に奉献され、同年7月8日には天正宮を皮切りに全世界を巡回されながら『天地人真の父母定着実体御言宣布天宙大会』において8大教材教本を人類の永遠の訓読教材として宣布されました。
お父様は以下のようにはっきりと御言をお述べになります。
「天の御言も教材として全て完成しました。先生がいないとしても、この教材は千年万年続くものです。これを知らない者は天国に行けません。憲法よりもこれが基礎となっているため、皆様や祖先はこの教材と一つになって、息子や娘を教育すべきです。過ぎ去る文書ではありません。」(615-9, 2009.08.16, 天正宮)」
◆「御言の三区分」という主張
「1960年の聖婚以前は『先生の御言』、1960年の聖婚以降から2013年の天一国基元節以前までの荒野時代は『真の父母様の御言』、天一国基元節以降は、真のお母様を通して宣布される『天地人真の父母様の御言』と言います。」
皆様、この奇妙な「御言の分離」の意図は何でしょうか。「先生の御言」と「真の父母様の御言」を巧妙に分離し、まるでお母様もまた御言の主体であるかのように割り込ませようとしているのです。特に「天地人真の父母様の御言」と語る部分は、呆れるばかりです。
呉沢龍に問います。
2010年7月8日、お父様ご自身が原稿を書き、全世界に宣言された「天地人真の父母定着実体御言宣布天宙大会」の御言は、いったいどなたの御言でしょうか?
これも基元節以降、お母様の「天地人真の父母様の御言」だと強弁するつもりでしょうか?
両目と耳が明瞭に開かれた食口たちの前で、このように堂々と「御言の窃盗」を平然と行う詐欺行為を、天がただ見過ごされるでしょうか?
「天地人真の父母」を初めて宣布されたのは、2003年10月25日、第44回真の子女の日でした。2009年1月30日、真のお父様の90歳の御聖誕を記念して、『後天時代と天地人真の父母』という書籍が協会から出版されました。そこには、はっきりと「後天時代と天地人真の父母」と記されています。
「天地人真の父母」という言葉は、すでにこの時期に用いられていました。それ以降、天地人真の父母として下された数多くの御言と祝福、執り行われた多くの儀式は、いったいどの時代に、誰が行ったものだと言うのでしょうか。
このように目も瞬かせず平然と御言を盗み取る呉沢龍、そしてその偽りの手先に従ういわゆる「真の父母神学学会」教授一味!
彼らが積み上げた論旨は、偽りの上に築くバベルの塔に他なりません。
彼らはお父様を中心に両位が共に経綸してこられた復帰摂理の聖なる歩みを完全に踏みにじり、ただ「無原罪初臨独生女」という虚構の枠の中に真の父母を閉じ込めようと歪曲しています。
さらに呆れるのは、彼らが真の父母聖婚以降から基元節までの輝かしい53年間を「荒野時代」という言葉一つで格下げしてしまった事実です。
皆様、お父様が明らかにされた荒野時代はいつでしたか?
◆御言を理解する絶対的基準は『原理』
このように彼らが明らかな摂理の歴史を歪曲し、御言をめった切りにすることができるのは、お父様が遺された御言の海があまりにも深く広大だからです。(2009年9月以降未出版の御言、アメリカでされた御言も多く欠落しています。)
その他の出版物まで合わせれば数千巻に達するでしょう。
それゆえ、先に考察した原理講論の事例のように、誰かが特定の句節だけを前後関係なく切り取って、自分の都合で誤用するならば、食口たちはそれが真実であるかのように惑わされる危険性が大きいです。
では、私たちは何を御言理解の絶対的な基準とすべきでしょうか?
御言の解釈と理解の絶対的な基準は必ず『原理』でなければなりません。
私たちが創造原理と復帰原理を徹底的に学ぶべき理由はまさにここにあります。
原理を知らなければ御言の真意を見失い、道に迷って御言を弄ぶ者や盗人たちに弄ばれやすくなります。
◆ 創造原理の核心――主体と対象の関係
では、その創造原理の核心は何でしょうか? まさに主体と対象の関係です。
原理講論チャートの次の図表を見るとわかるように、全ての存在は、対象が主体を中心として円形運動をするとき、初めて一つになります。
しかし、これと同じ原理で、その主体もまた、より大きな主体である神の対象となり、神を中心として回り、彼と一つにならなければならないのです。
言い換えれば、主体であるアダムがまず神と一つになり、その後を継いで対象であるハワがアダムを中心に一つになる時、初めて神の対象として完成するのです。原理講論35ページにある御言です。
同じ文脈で創世記2章22節にも「アダムの肋骨を取って女を作った」と記されています。つまり原理的に見れば、男性は神の絶対性の骨髄である主体格「精子」の実体として造られ、女性はそれを受け入れる対象格「卵子」の畑として造られたということです。その二人が愛し合い一つの家庭が生まれることこそが神様の望みでした。
堕落による復帰摂理もまた再創造の摂理であるため、主体である男性が対象である女性を再創造していくことが基本骨格です。
真のお父様の対象として選ばれた真のお母様も同様です。
主体となったお父様とは無関係に、独りだけ独生女として生まれることができますか?主体となった無原罪の独生子の前に、対象として決定されてこそ、独生女として復帰、すなわち再創造されることができるのです。
この不変の原理を中心に据え、呉沢龍グループが無原罪独生女論の根拠だと掲げるお父様の御言を検証してみましょう。
◆「純粋な血統」と「堕落圏」の御言をどう理解するか
「主が探し求めておられる新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統を持って誕生した方を探し求めるのです。その母は、堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。」(35-217, 1970.10.19, 中央修練院)」
(これ以降、御言の出典は省略します。資料画面を参照ください。)
この御言を一見すると、お母様が原罪なくして生まれたと思われるかもしれません。しかしこれとは正反対の御言の方がはるかに多いのです。見てみましょう。
『お母様は堕落圏内にいて、新しい血を中心として復活圏に立つことができませんでした。(473-18、2004年10月12日、龍平リゾート)』
『エバを堕落圏から復帰し、再創造して善なる娘として立てたという基準に立たなければ、アダムの完成圏を復帰することはできません。イエス様は地上に来られて娘を奪い取り、女はいくらでもいました。(『御言選集(日本語)』、1972年4月30日、日本東京教会)』
「イエス様の妻となる者も、堕落した世界の根から生まれた女性しかいません。(『祝福』日本語版、1990年冬号、45頁)」
「お母様は生まれながらに王女様のように生まれ、お母様として、再臨主の夫人として生まれたとお思いですか。堕落した血筋を受けて生まれたのです。」
『独生子は生まれましたが、独生女はいません。なぜなら、エバは堕落したため、サタン世界から探し出さなければならないからです。(348-55、2001年7月6日、韓国ソウル・ロッテワールドホテル)』
一見、相反するように見えるこれらの表現を、私たちはどのように理解すべきでしょうか。原理を物差しとして当てはめれば、その答えは矛盾なく解けます。
「お母様を堕落圏から復帰した」という御言は、お母様の「原罪のある誕生」を指摘されたものであり、「堕落圏で探す新婦ではない」という御言は、新婦候補者として準備されたお母様個人と家門の清らかさを称賛されたものです。
準備された母個人と家門の貞潔さを称賛してくださったものです。
続く御言で、堕落した世界のアベル的な母の基盤だとおっしゃったのが、まさにそのような基盤を表す言葉なのです。
母の純粋な血統というキーワードも、やはり母の家柄の環境権を意味すると見るのが適切です。次のお父様の御言を見れば、すぐに理解できます。
「女性を選ぶ上では氏族が問題になります。血統が問題になります。過去において神の摂理に一致し、現在においても神の摂理に一致し、未来においても一致する祖先、あるいは現在の親族関係を持つその期待から選び出さなければ、真の女性を輩出することはできません。」
このように花嫁を選ぶ上で、その家柄の家風、そして花嫁個人の貞潔さが求められるという意味であることをよく理解できる御言です。
◆ 三代独生女・七代独生女の意味
三代独生女というのも同じ脈絡です。
お父様は、統一と摂理に外戚が介入することを憂慮して、外戚のいない一人娘である母を選ばれたのです。
次の御言を見てみましょう。
「お母様の家庭では、三代にわたって娘が一人です。男子がいても長男まではよいが、兄弟が二人以上いてはいけないということです。」
「なぜか?余計な者が多いと、統一教会の母だからといって、いかに韓国の歴史において女たちが政治の匂いすら嗅げなかったかをご存じでしょう?取り憑いて盗みを働き、あらゆることをして台無しにするからです。」
「本来は七代独生女のような家柄を選ばなければならないのです。」
「その時、どれほど女性が多かったですか? 博士の女性はいなかったのか、修士の女性はいなかったのか。しかし、何も知らない母をお迎えして教育してきたのです。」
「その母の家には一族が多くあってはいけないのです。親戚が多くあってはいけません。まさに今の母がそのような母なのです。」
上記の御言のように、聖婚当時、梨花女子大や淑明女子大など高学歴の女性食口が多くいたことを物語っているのではないでしょうか?
それでもお父様は、中等学歴の韓鶴子(ハン・ハクチャ)母を選ばれた理由があります。
それはお父様が自分を主張せず、完全に服従できる花嫁を探しておられたからです。
三代独生女、七代独生女を望まれたのも、これと同じ理由によります。
次の御言を聞いてみましょう。
「母も羊のように従順でなければなりません。全的に夫のために犠牲にならなければなりません。母が家庭も良く、自慢できる条件を備えていると傲慢になります。」
また、三代独生女の家庭は、韓鶴子お母様の他にもいくつかの家庭が準備されていたともおっしゃっています。
「女性たち、何だかんだと3代が繋がって、祖母、母、娘と3代が独生女です。そのような家庭があるのです。いくつかの家庭があって、そのような準備を全てさせたのです。」
これらの御言は、16歳という花の盛りでお父様に選ばれ、黙々と従い出てこられた真の母を配慮し、その威厳を立ててくださろうとするお父様の心情を知ることができる部分です。
しかし、そのような家門の条件が、神の独生子として誕生されたイエス様の祖先の血統蕩減復帰歴史のような、神の無原罪初臨独生女の出生のためのものとは全く違うということです。
◆聖婚前の歴史から考える
皆さん、常識的に一度考えてみましょう。
本当に韓鶴子お母様が生まれた時から予定された無原罪独生女であり、真のお父様は必ずその方とだけ結婚しなければならない運命であったならば、どのようなことが起こっていたはずでしょうか?
当然、天は趙元模外祖母や洪順愛大母様にあらかじめ啓示を下してでも、お父様を捕まえさせたはずではないでしょうか?
あの人が韓鶴子の相手だから絶対に逃すな、あるいは崔善吉(チェ・ソンギル)女史との聖婚を止めろと騒ぎ立てたはずではないでしょうか?
ところが実際の歴史はどうですか?実際に大母様も聖婚直前まで、韓鶴子娘が母になるとは夢にも思わなかったそうです。
大母様の証言を一度見てみましょう。
「統一教会に入ってからも、韓鶴子さんを何とか中学校を卒業させては原理をよく武装させて、統一教会で最も立派な働き人を作ろうと考えていた。母になられるとは夢にも思わなかった。」
「お母様も、私と結婚するという考えもなく来て、どういうわけかそうなった。」
聖婚の当事者である母ですら、ご自身の聖婚を予想できませんでした。もし母が準備された独生女であったなら、当事者がこれほど鈍感であり得るでしょうか?
それだけではありません。
事実、お父様が個性完成を成し、聖婚の大業を迎える24歳前後の時期を考えてみましょう。
実際、お父様は24歳の時、崔善吉女史は19歳の時に聖婚されましたよね。その時期、母は1、2歳になる乳児でした。
そのような乳児を再臨メシアの花嫁だと見抜き、成熟するまで待たなければならなかったということでしょうか?
◆「初臨独生女」という言葉そのものの矛盾
皆さん、それではもう一歩踏み込んで考えてみましょう。
彼らは母を指して初臨独生女と呼びます。
しかし皆さん、「初臨」という言葉自体が再臨を前提とする区別法ではないでしょうか? 人類史上ただ一度きりの唯一無二の独生女摂理ならば、「初臨」という単語はそもそも使うべきではありません。
では、真の初臨独生子と独生女は誰でしょうか?
まさに人類始祖アダムとエバでした。
お父様はこのように語られました。
「人類の祖先アダムが独生子でした。エバは独生女でした。」
たとえアダムとエバが創造理想完成には失敗しましたが、神は彼らを独生子独生女の価値を持つ実体対象として創造されました。その心情的な縁がそのままあるために、神は人類を見捨てることができず、再び探す復帰摂理を始められたのではないでしょうか?
そのような観点から見ると、イエス様とその花嫁は後アダムと後エバであり、アダムとエバの再臨摂理なのです。
だから、「初臨」だの「再臨」だのと等級を分けること自体が、原理的には何の意味もありません。
それにもかかわらず、独生女神学の教授たちは、とんでもない言いがかりをつけています。「神は独生子独生女をたった一度だけ創造される。第二の独生子は誕生し得ない」と言って原理を否定します。
◆イエス様の時代に独生女は送られなかったのか
呉沢龍一派はまたこのように主張します。「イエス様の時に独生女を送れば、不信を受け命を失う可能性があったため送れなかった」と。
皆さん、これはどれほどつじつまの合わない矛盾でしょうか?
同じ時代に生まれる独生子の誕生環境は準備されたのに、独生女の環境だけが整っていなかったから送れなかったということが、話になるでしょうか?
神は常に、来られる方のための必要な環境と条件を準備されます。
ただ、当時の人間たちが責任分担を全うできなかったために、来られた方を迎えることができなかっただけです。
原理講論は明確に教えています。
「メシアを送られるのは神の責任分担ですが、彼を信じるか信じないかは人間の責任分担である。」
実際にイエス様の時にも、彼の聖婚のために準備された花嫁候補、独生女摂理は確かにありました。
洗礼ヨハネの妹に関するお父様の御言と、原理原本に出てくるイスカリオテのユダの妻に関する言及が、まさにその内容です。これらの花嫁候補の女性たちは無原罪の独生女だったのでしょうか?
イエス様の時は独生女が不信を受け、命を失うかもしれないから独生女を送れなかったと?誰がこんなデタラメを言っているのですか?
だとすればイエス様は生まれた時から、一人で十字架にかかって死ぬために来たということですか? 死ぬように予定されていたイエス様だったと原理は教えているのでしょうか?
このような主張は、お父様が『原理講論』第4章で明らかにされた、メシア降臨と再臨の目的を覆すものです。
皆さん、事実がこうであるにもかかわらず、母を歴史上唯一無二の無原罪初臨独生女だと偶像化する彼らの意図は、一体何でしょうか?
先に述べたように、お父様に恥ずかしい尻尾が付いているという金振春(キム・ジンチュン)の暴言をまとめて包装して、お父様には原罪があり、母には原罪がないという反原理的で不道徳な主張を正当化しようとする策略なのです。
「一男一女の創造原則から見れば、イエス様以降に独生子は再び生まれない。イエス様が再び来られる時には、独生子イエス様の代わりに、別の独生子が誕生することはできない。」
しかし、原理を歪曲して立てられた偶像は、結局、真実の光の前でその正体が暴かれるしかありません。
◆ 二種類の『真の父母論』と第1章「総序」
愛する食口の皆さん、一釜の飯を全て食べてみて初めてその釜の飯の味が全てわかるわけではない、という言葉があります。
一、二口食べてみれば、その釜の飯の味が全てわかるという意味です。
実際、無原罪初臨独生女という虚構の非原理でごまかされた彼らの真の父母論を全て読んで批判することは、無価値な時間の浪費にすぎません。
彼らが語る『真の父母論』には、家庭連合名義で刊行された初版と、天舞苑名義の調整改訂版があります。
初版は全6章、調整改訂版は全7章で構成され、改訂版には「ホーリーマザー韓」の章が追加されています。執筆者は6~7名です。
執筆者たちは同一の問題意識の下で結束しており、互いの間に異見が見られない集団著作となっています。
したがって、今日検討した呉沢龍執筆の第1章「総序」の主張は、『真の父母論』全体の方向性を示す最初の一匙に当たります。
これらの本では、冒頭の「総序」と結論を呉沢龍が執筆しています。
◆呉沢龍に関して語られた御言
ここで私たちは、『真の父母論』の総序と結論を執筆し講義する呉沢龍に関して、お父様が30余年前に語られた厳重な警告を振り返らざるを得ません。
なぜ、お父様が警告された「御言の盗み」が、今日このような形で堂々と行われるようになったのでしょうか。
「その隙に呉沢龍が割り込んでやろうと考えています。UTSに来て教えることが、誰かの命令で教えていることを私は知りませんでした。系統を踏まずに飛び込んできて、イーストガーデンを自分の活動舞台のように使っています。挨拶もなしに、ですよ。自分の思うがままです。先生の御言を誰が記録しろと言った?泥棒のような心を持てば、売り飛ばすこともでき、あらゆることをすることができるのです。裏口から入ってきて、ですよ。」
「そのような考え方をしていると、国をも売り飛ばし、皆そうです。どこへ行っても道が閉ざされてしまえば、売り飛ばすようになっています。これは「御言選集」295巻56ページ、1988年8月17日、コディアック・ノースガーデンでなされた御言です。」
これは『御言選集』第295巻56ページ、1988年8月17日、コディアック・ノースガーデンで語られた御言です。
「先生がそれを知っているから、呉沢龍というこの野郎が間違えれば、統一教会を台無しにすると見ているんだ。だからイーストガーデンから追い出したのだが、追い出しても、また戻って来るんだ。」
この御言は、『御言選集』第399巻213ページ、2002年にイーストガーデンで語られたものです。
30年が過ぎた今、この御言を振り返ると、「国を売り飛ばす」という言葉は、天一国を売り渡すことを意味していたのではないかと感じます。
なぜなら、天一国建国の主人公であり元祖である、天一国真聖徳皇帝・真のお父様の国は、一途に天一国だからです。
ここでいう「国」とは、地上の国家ではなく、天一国を指すのではないかと私は考えます。
◆後輩神学者たちへの忠告
無原罪初臨独生女論を執筆し講義する金振春、呉沢龍、朱載完、黄珍修、金敏志など、多くの後輩たちに私がこのような厳重な指摘をするのは、私自身が望んでいることでも、愉快なことでもありません。
彼らを大切にしてきた先輩として、間違った体制宣伝の御用ラッパ吹きはやめて、真理を擁護し伝授する知性となることを心から願う私の忠告です。今からでも本心に問うてみれば、お父様の教えが答えてくださるでしょう。手遅れになる前に回心するよう勧めます。
◆ 結び―お父様の教えに立ち返る
御旨を愛する食口の皆様。これ以上、彼らの非原理的な主張を聞き続ける忍耐力が残っているでしょうか。
私が繰り返し、お父様の教えに戻る道だけが、危機に瀕した統一家庭の希望であると力説する理由を、皆様はどのように受け止められるでしょうか。
今日はこのくらいで終わります。来週お会いしましょう。
さようなら。ありがとうございました。
(第十一話:おわり)
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