
韓鶴子総裁に特別検察側からの13年の求刑という暗い世相の中で、ソウル拘置所に収監中(実際は病院ですが・・・)の韓鶴子総裁とトランプ大統領のホットラインで電話会談実現という内容動画がありました。
今回は、この(仮想プロジェクト)の第①作目をご紹介します。
◆動画内容は下記バナーをクリックしてください。
●この記事がたくさんの人が見れるように
クリック支援をお願いします。

韓鶴子総裁に特別検察側からの13年の求刑という暗い世相の中で、ソウル拘置所に収監中(実際は病院ですが・・・)の韓鶴子総裁とトランプ大統領のホットラインで電話会談実現という内容動画がありました。
今回は、この(仮想プロジェクト)の第①作目をご紹介します。
◆動画内容は下記バナーをクリックしてください。
●この記事がたくさんの人が見れるように
クリック支援をお願いします。

皆さん、こんにちは。
ずいぶん暑くなりました。
前回まで、第18話「父様の自叙伝を捜します」、第19話「真の妻と母よりも聖なる位相とは何か」、そして第20話「ソン・デオTVが不快な方々のための父様の肉声メッセージ」と、真のお父様の自叙伝に関連する内容を続けてお届けしました。
これらの映像をご視聴くださった皆様、そして新しくソン・デオTVを訪ねてくださった皆様のために、今日は特別な談論を準備しました。
今日のテーマは、文鮮明総裁の評伝出版に関するニュースです。
実に不思議なことですが、私が真のお父様の自叙伝廃棄問題を公論化して以降、真のお父様の評伝を執筆した作家の方々が、相次いで私を訪ねてこられました。
その方々と対話する中で、これまで私たちが知らなかったこと、あるいは人々の目から隠されようとしていた、さまざまな秘話を知ることができました。
今回、私がお話を伺った評伝の著者は、合計四名です。
そのうち二名は、私たちの教会の食口ではない外部の文筆家であり、私とは、それまでまったく面識のなかった方々です。
もう一名は、外国出身の著名なジャーナリストです。
そして最後の一名は、私たちの教会で長年活動してきた重鎮の食口です。
このような出会いが続いたことは、決して偶然ではないと思います。
時を得て、天が導いておられるのだという強い印象を受けました。
私は、この内容を食口の皆様と共有すべきかどうか、天の前に祈り、問いかけました。
すると、
「そのようにしなさい。今は、すべての真実が明らかになる時である」
という答えを受けたように感じました。
そのため、今回の第21話の談論として取り上げることにいたしました。
本論に入る前に、自叙伝、回顧録、伝記、評伝の違いについて、簡単に説明しておきたいと思います。
自叙伝は、英語で「Autobiography」といいます。自叙伝と回顧録は、いずれも本人が自分自身の生涯について記述するものです。
自叙伝は、出生から現在に至るまで、自分の人生をおおむね年代順に叙述します。
これに対して回顧録、英語では「Memoir」といいますが、必ずしも人生全体を年代順に記述するものではありません。
著者の生涯の中で、最も強烈だった特定の時期、事件、人物、あるいは一つのテーマに焦点を当てて記述する点で、自叙伝とは異なります。
次に伝記です。英語では「Biography」といいます。
自叙伝と回顧録が本人によって書かれるのに対し、伝記と評伝は、第三者が特定の人物の一代記を記録するものです。
伝記は、その人物の生涯を、できる限り事実を中心として再構成します。
評伝は、英語で「Critical Biography」といいます。
評伝は、伝記的な事実を記録するだけではありません。
伝記や自叙伝に記された内容を踏まえ、第三者である著者自身の批評、分析、判断、評価を加えた人物論です。
要約するならば、ある人物の人生と心情を最も親密に知り、感じたいのであれば、自叙伝や回顧録を読むのがよいでしょう。
その人物の人生において、いつ、どのような出来事が起こったのかという事実を一目瞭然に知りたいのであれば、伝記が役立ちます。
そして、その人物が歴史や社会にどのような影響を与えたのか、功績と限界、光と影を含めて理解したいのであれば、評伝を読むのがよいとされています。
皆さん、今日ご紹介する四冊の文鮮明評伝は、単なる批評書ではありません。
真のお父様の真実の姿を世に知らせるために、著者たちが汗を流して取材し、調査し、夜を徹して記録した貴重な証言です。
私は、これらの評伝が、真のお父様の自叙伝さえ隠そうとする現在の教団指導部に対して、天が送られた警告状のように感じられるのです。
それでは、出版された時期の早い評伝から順に紹介していきましょう。
最初にご紹介する本は、1997年にイギリスで英語版として出版された、マイケル・ブリーン氏の評伝です。
書名は、
『SUN MYUNG MOON, The Early Years, 1920–53』
です。
まさに、この本です。
外見は小さな本ですが、非常に細かい活字で約二百ページにわたり、内容がびっしりと記されています。
また、真のお父様の初期路程に関連する写真資料も数多く収録されています。
真のお父様だけでなく、その周囲にいた初期の弟子たちの写真まで豊富に活用しており、想像していた以上に充実した内容です。
真のお父様の誕生から、1953年頃までの歩みが英語で記録されています。
この本は、今から約三十年前、文鮮明総裁がまだ地上におられた時に出版されました。
外国人によって海外で出版された、最初期の本格的な文鮮明評伝の一つではないかと思います。
著者のマイケル・ブリーン氏は、イギリス出身の著名なジャーナリストです。
1982年にソウル特派員として韓国に赴任して以来、アメリカの『ワシントン・タイムズ』、イギリスの『ガーディアン』紙や『タイムズ』紙などで活動しました。
また、ソウル外国記者クラブの会長も歴任しました。
第一線を退いた後も、韓国の有力メディアにコラムを寄稿している方です。
ブリーン氏は、この評伝において、ジャーナリストとしての客観的な視点から、文鮮明総裁の生涯を非常に緻密に調査し、取材しました。
真のお父様の誕生、幼少期の成長、青年期の学業、朝鮮半島の解放と分断、平壌での宣教と拘禁、興南刑務所での受難、朝鮮戦争と避難の道に至るまで、その初期の険しい受難の路程を鮮やかに描き出しています。
この本は、単に真のお父様の経歴を記録した本ではありません。
当時、真のお父様に従った初期の弟子たちの証言も数多く収録されています。
その意味で、初期統一教会史の貴重な証言録でもあります。
ブリーン氏が文鮮明総裁に対して深い敬慕と愛情を持っていたからこそ、これほど充実した記録を、早い時期から残すことができたのではないでしょうか。
最近、私はブリーン氏と電話で話をしました。
その中で、彼はこのように語りました。
この本を書き始めたのは約四十年前であり、自分が三十代半ばの時だったということです。
ブリーン氏は、現在、突然現れた独生女教義によって統一教会が四分五裂している現実を見て、非常に胸を痛めていると語りました。
しかし同時に、
「統一教会は、遠からず必ず文鮮明総裁の本来の教えに戻るだろう」
と、力強く語りました。
皆さん。
外国人ジャーナリストであるブリーン氏でさえ、文鮮明総裁の偉大さを確信し、いつか必ず総裁の本来の教えに戻る日が来ると信じています。
それなのに、真のお父様の教えと恩恵を最も多く受けた私たち統一家の食口は、今、いったい何をしているのでしょうか。
二番目にご紹介する本は、2015年に出版された、キム・ホギョン氏の
『人類を愛した平和の聖者―文鮮明評伝』
です。
図書出版「海運」から出版されました。
表紙には、真のお父様の御写真とともに、
『人類を愛した平和の聖者』
『文鮮明評伝』
『キム・ホギョン』
と記されています。
約五百ページに及ぶ、非常に分厚い本です。
出版されてから、すでに十年以上が経過しています。
しかし、この本は一般の食口たちには、ほとんど知られていません。
そして、この本が知られてこなかった背景には、私たちが知らなかった事情と秘話が隠されていました。
キム・ホギョン氏は、1997年、長編小説『見知らぬ天国』によって「今日の作家賞」を受賞した作家です。
その後、一千万人を超える観客を動員した映画の原作小説に関わり、『鳴梁』『国際市場で逢いましょう』『懲毖録』など、歴史と社会を題材にした作品を執筆してきた中堅作家です。
キム氏本人の話によると、彼が自ら文鮮明評伝を企画したわけではありません。
最初に依頼してきたのは、統一教会側でした。
教会側と契約を結び、執筆することになったというのです。
その契約を主導したのは、アメリカで活動していた韓国人のJ某幹部でした。
最初の契約における執筆の名目は、文鮮明総裁の自叙伝の続編でした。
契約が結ばれたのは、2012年、文鮮明総裁が聖和される二、三カ月前のことだったそうです。
キム氏は当初、疑問に思ったそうです。
文鮮明総裁の自叙伝『平和を愛する世界人として』は、すでに出版され、世界各地で高い評価を受け、広く普及されていました。
それなのに、なぜ改めて自叙伝の続編を執筆する必要があるのかという疑問です。
契約主体側からは、
「既存の自叙伝では十分に扱われていない、北米と南米における活動を、より詳しく補完するためである」
という説明があったそうです。
そのため、キム氏はアメリカのアラスカ州コディアックから、南米のブラジル、パラグアイなどに至るまで、文鮮明総裁の足跡をたどるために何度も現地を訪れました。
広大な地域を取材し、多くの関係者から証言を集めました。
ところが、その執筆期間中に、文鮮明総裁は聖和されました。
原稿がほぼ完成に近づいた頃、最初に契約していたアメリカの幹部は、突然その仕事から手を引きました。
その後、別の韓国人幹部に業務が引き継がれました。
キム氏は、二年以上にわたって、ただひたすら執筆に没頭しました。
そして完成した原稿を、業務を引き継いだ幹部に渡しました。
キム氏は、
「もうすぐ印刷され、立派な本として出版されるだろう」
と、固く信じていました。
ところが、その期待を打ち砕く知らせが届きました。
韓鶴子総裁から、
「文総裁の自叙伝は、これ以上出版してはならない」
という厳しい指示が下されたというのです。
二年以上の歳月を投入し、現地取材を重ねて完成させた原稿が、一夜にして紙くずとなる危機に直面しました。
キム氏は、あまりにも残念で、呆然としたそうです。
しかし、長く苦悩した末に、キム氏は重大な決断をしました。
契約違反を問われる危険を覚悟の上で、その原稿を自分の名前による『文鮮明評伝』として出版することにしたのです。
もともとの原稿は、真のお父様が語っているような一人称の自叙伝形式で書かれていました。
それを出版するために、キム氏は全文を三人称の評伝形式に書き直しました。
大変な修正作業を経て、2015年8月、
『人類を愛した平和の聖者―文鮮明評伝』
が世に出ることになったのです。
キム氏は、なぜそれほどの危険を冒してまで出版を強行したのでしょうか。
文鮮明総裁の足跡を追い、現地を取材し、執筆を続ける中で、キム氏の中に一つの確固とした判断が生まれたからです。
それは、
「文鮮明総裁は、朴正煕大統領、鄭周永・現代グループ創業者と共に、大韓民国の発展を導いた三大英雄の一人である」
という判断でした。
キム氏は取材を続ける中で、文鮮明総裁に対する世間の認識が、実際の人物像や業績とあまりにも大きく異なっていることを痛感しました。
自ら取材し、集大成した偉大な生涯の記録を、どうしても葬り去ることができなかったのです。
一言でいえば、キム氏は自らの良心の声に従うほかなかったということです。
キム氏が最も理解できなかったことは、教祖の業績を記録するために、外部の専門作家へ正式に依頼し、膨大な時間と費用をかけて完成させた成果物を、なぜ教団自らが否定し、なかったことにしようとするのかという点でした。
この驚くべき矛盾を、キム氏はどうしても理解することができませんでした。
この評伝が出版されると、教団上層部では大きな騒ぎになったそうです。
文鮮明総裁の記録を表に出さないようにしようとしたにもかかわらず、結果として、より客観性のある評伝として世に出てしまったからです。
この事態を収拾するために現れた人物が、ユン・ヨンホ氏でした。
ユン氏はキム氏に会い、次のような提案をしたそうです。
「すでに出版された評伝は、教団がすべて一括して購入します。その代わり、今後はこれ以上、増刷も販売もしないと約束してください」
結局、キム氏はその要求を受け入れざるを得ませんでした。
その後、意外にもユン・ヨンホ氏は、韓鶴子総裁の自叙伝を執筆するよう、キム氏に依頼しました。
このような経緯を経て、キム氏が草稿の執筆を担当し、2020年2月、韓鶴子総裁の自叙伝『平和の母』が出版されることになったのです。
キム氏が草稿を完成させると、教団側が選んだ四名の編集委員が内容を検討し、修正を加えたそうです。
そのため、現在の『平和の母』には、キム氏自身が執筆したものではない文章も、かなり含まれているといいます。
編集委員は四名で、K氏、J氏、K氏、L氏であったとのことです。
この場では、実名を明らかにすることはいたしません。
ただ、『平和の母』が、どのような過程を経て出版されたのかを知りたい方々のために、この秘話をお話しするものです。
最近、キム氏は家庭連合の公式ホームページにある「創始者自叙伝」のページを確認しました。
そして、困惑を隠すことができなかったそうです。
文鮮明総裁の自叙伝『平和を愛する世界人として』はどこにもなく、韓鶴子総裁の『平和の母』だけが掲載されていたからです。
キム氏はそこで初めて、自分が二年間をかけて執筆した文鮮明総裁自叙伝の補完版が、あれほどむなしく出版を拒否された本当の理由が何であったのか、今になって明確に理解できたと語りました。
この本は、当初、自叙伝の続編として執筆されました。
しかし、さまざまな曲折を経て評伝として出版され、最終的には教団によって増刷と販売が止められることになりました。
この評伝をめぐる驚くべき物語については、ひとまずここまでにしたいと思います。
この本は現在、絶版となっています。
しかし、キム・ヒョンス氏が運営するインターネット上のDaumカフェ「天一国経典房」にある「文鮮明評伝」の項目で、全文を読むことができるそうです。
多くの皆様に関心を持っていただきたいと思います。
次に、三番目の評伝をご紹介します。
イ・ジュソン氏の『超巨人』、そして『宇宙文明人』です。
こちらが『宇宙文明人』です。
『超巨人』は、その約二カ月前に出版された初版にあたり、『宇宙文明人』は『超巨人』の内容を補足、改訂した版と見ることができるでしょう。
二冊は、2024年2月と4月に相次いで出版されました。
この評伝を執筆したイ・ジュソン氏は、北朝鮮を脱出し、大韓民国で約二十年間生活してきた方です。
本に掲載された著者紹介には、次のように記されています。
自由北朝鮮人が見た文鮮明メシヤ様の生涯と活動業績
この本『宇宙文明人』は、北朝鮮朝鮮労働党中央委員会宣伝扇動部の唯一の海外貿易機関であった文心国際貿易会社を設立し、社長、オーナーとして勤務していたところ、予期せぬ事件によって北朝鮮を離れることになり、大韓民国に定着して暮らしながら、現代韓国政治史を変えたベストセラー『紫色の湖』をはじめ、十数編の長編小説を執筆した、韓国芸術総連合会文学大賞受賞作家による文章です。
大韓民国に定着して以来、十数編の長編小説を発表し、文学賞を受賞した脱北作家が、文鮮明総裁の評伝を書いたという事実は、私の強い関心を引きました。
次のページには、次のように記されています。
大韓国民を地球村の頂点に堂々と立たせてくださったアリラン民族の表象、文鮮明「宇宙文明人」の生誕104周年を迎え、謹んでこの評伝を捧げます。
続くイ・ジュソン作家の献辞ともいえる文章も、非常に感動的です。
そのまま読み上げます。
ありがとうございます。
暗闇の中で進むべき道を見失い、さまよっていた自由世界を、千里万里の先を見通す霊的真理によって目覚めさせ、共滅の墓場へと進んでいた韓民族と人類を、天才的な知略によって救ってくださった、苦難と曲折の多いアリラン民族の表象、文鮮明メシヤ様。
あなたの生涯は、地球村の平和と安寧を築いた不滅の叙事詩です。
人々の傲慢と無知、愚かさがもたらす厳しい風雨を、その身一つで受け止めながら、海のように広大に注がれたその恩恵。
限りない感謝の念を、広大無辺の大海原に、全世界が仰ぎ見る永遠の姿として高く掲げ、末永くお祀りいたします。
その偉大な生涯と功績を、太陽が輝く青空に金文字で刻み、子孫万代に伝えたいと思います。
皆さん、いかがでしょうか。
イ・ジュソン作家の文章を読んでいると、その胸の奥深くに、熱い思いの塊があることを感じます。
実は、この作家が最近、この本を持って直接私を訪ねてきました。
そして、本を出版するまでに経験した出来事や、出版後に起きた悲しい出来事について話してくれました。
イ・ジュソン氏は、北朝鮮にいた時、文鮮明総裁が訪朝し、金日成主席と会談する場面に接しました。
その時から、文総裁に対する深い憧れと敬意を抱くようになったといいます。
ところが、自由な大韓民国に来てみると、予想に反して、文鮮明総裁に対する偏見、無知、迫害、反対が非常に強いことを知りました。
イ氏は、その現実に大きな衝撃を受けたそうです。
そのため、文総裁の思想、ビジョン、世界的な業績を一般の人々に正しく知らせなければならないという決意を、さらに強く持つようになりました。
評伝を書き終えた頃、イ氏は自然に統一教会側を訪ねました。
自分が書いた文鮮明総裁の評伝の内容について検証を受けたい。
また、教団側に出版する意思があるのかも確認したい。
そのように考え、数名の教団関係者に接触したそうです。
ところが、原稿を持ち帰った教団関係者からは、二十日が経過しても何の反応も連絡もありませんでした。
最終的に返ってきた言葉は、
「ノーコメント」
という冷たいものでした。
皆さん、少し考えてみてください。
2023年から2024年頃は、家庭連合が「天の父母様聖会」という名称を前面に出し、教団内部が急速に「無原罪初臨独生女」の世界へと傾いていた時期でした。
そのような状況の中で、文鮮明総裁の評伝原稿を、どの幹部が落ち着いて読み、評価する余裕があったでしょうか。
統一家内部の信じがたい雰囲気をまったく知らなかったイ氏は、残念な思いを抱えながら帰るしかありませんでした。
その後、少しずつ統一家の内部事情を知るようになったそうです。
文鮮進氏のグループや、文亨進氏のグループにも接触してみました。
そして、統一家内部が深刻な混乱と分裂に陥っている現実を目の当たりにし、嘆くばかりだったといいます。
そのような中で、ソン・デオTVの映像メッセージに接し、私を訪ねることになったのです。
イ・ジュソン作家と話をしながら、私は本当にこの兄弟に申し訳なく思い、限りなく恥ずかしく感じました。
どうして私たち統一家が、ここまでの状態に陥ったのでしょうか。
私は、天の前に悔い改めざるを得ませんでした。
本当に面目がありませんでした。
「脱北自由人」という重い背景を背負った兄弟を、私たちは誇らしく迎え入れるべきでした。
世界を包容し、導く統一家の姿を見せるべきでした。
ところが、内部では四分五裂し、外部では最高指導層が司法当局の被告人となり、裁判を受け、社会から非難される立場に追い込まれています。
これほど腹立たしく、恥ずかしいことがあるでしょうか。
それでは、『宇宙文明人』を書いた脱北自由人、イ・ジュソン作家の生々しい証言を、直接聞いてみましょう。
イ・ジュソン
金日成が内部で語った話です。
文メシヤ様との会談をすべて終え、文総裁が帰られた後、金日成は、
「どうして北朝鮮から、このような人物が出てきたのか」
と驚いていたそうです。
そして、
「私が文鮮明総裁と何かをやってみるから、お前たちは見ていろ」
と言いました。
何をしようとしたのか。
統一です。
金日成はその時、本当に文メシヤ様を信じ、統一を進めようとしていました。
私よりも高い地位にいた党中央の部長などに、
「文メシヤ様とは、どのような方なのですか。なぜ私たちの首領が、あれほど関心を持ち、理解したのですか」
と尋ねたことがあります。
すると、
「話してみろ。教えてやろう」
と言われました。
北朝鮮に来て、金日成の前で机を叩き、指を差しながら堂々と語ることは、誰にも想像できないことでした。
文メシヤ様は、
「神は見えないでしょう。それなら、神を見せてほしいと言うが、あなた方には心がありますか、ありませんか」
と問いかけました。
人々は驚きました。
「心はある。しかし、心を見たことがあるのか」
と語られたのです。
金日成は、
「一度、会ってみたい」
と考え、会談の準備を命じたのです。
会談の場所に行くと、文メシヤ様は怖がるどころか、金日成の前に堂々と立っておられました。
皆さんも、その映像をご覧になったことがあるでしょう。
そして、すぐに金日成を抱きしめました。
金日成は完全に驚きました。
「私と度胸が同じだ」
と思ったのでしょう。
そこから会話が大いに盛り上がりました。
当時、金日成は、
「死んでも国際原子力機関には加盟するな」
と言っていました。
ところが、文メシヤ様は、
「首領、私の言うとおりにしてください」
「まず国際原子力機関に署名してください」
「そうすれば、アメリカが北朝鮮を攻撃する理由がなくなります」
と語られました。
その言葉を聞いた金日成は、部下たちに国際原子力機関へ署名するよう命じたのです。
もし文鮮明メシヤ様がそのように語らず、金日成、金正日が頑なに核開発を続け、アメリカが北朝鮮を攻撃していたならば、その後、韓国はどうなっていたでしょうか。
大韓民国の国民も、大きな被害を受けていたでしょう。
私が文メシヤ様を高く評価する理由の一つは、韓民族を救った方だからです。
また、文鮮明メシヤ様がいたからこそ、東西冷戦も終結しました。
その意味で、人類を救った方なのです。
キリスト教、仏教、カトリックの方々や、多くの文学関係者たちと話している時、文メシヤ様の話題が出ました。
ところが、皆が根拠のない、おかしな話ばかりしていました。
北朝鮮で神のように崇拝されていた金日成でさえ、文総裁に頭を下げ、本当に尊敬していました。
それなのに、韓国の一般の人々が文総裁についてひどいことを言うのを聞き、私は腹が立ちました。
その人々と大げんかをし、ストレスを抱えて家に帰り、文章を書いていました。
少し眠ってしまったのですが、昼間に文メシヤ様のことを考えすぎたからなのか、本当に何かを伝えようとされたのかは分かりません。
しかし、文メシヤ様が夢に現れたのです。
夢の中で、文メシヤ様は私にこう言いました。
「おい、ジュソン。そんなに気を遣わなくてもいい」
「君は、普通ではない経緯で北朝鮮から来たのだろう」
「君が北朝鮮から韓国に来るようになったのは、私が君を使おうと思って連れてきたからだ。そのように考えておきなさい」
その言葉を聞いて、私はすぐに目を覚ましました。
もう少し眠っていたならば、メシヤ様がもっと多くのことを語ってくださったかもしれません。
ずっと心の中で憧れていた方が夢に現れたので、
「これは、いったい何だろう」
と考えました。
そして、
「私は何かを書かなければならない」
と思いました。
文メシヤ様が、自分にそのように語ったのだと受け止めたのです。
現在の韓国と統一家は、非常に悲しい状況にあります。
派閥に分かれて争っているという現実を知りました。
私は、文メシヤ様が、
「私のことを、もっと広めなさい」
という意味で、私に語りかけたのだと思いました。
私は文章を書く者です。
だから、
「文章を書かなければならない」
と決心しました。
その後、最初に『超巨人』を書きました。
そして、先ほどソン博士が話したように、天苑宮の関係者にも原稿を送りました。
私は、文メシヤ様に仕えている人々ならば、私を特別待遇してほしいとは思わないまでも、少なくとも敬意を持って接してくれると思っていました。
ところが、感謝の一言もなく、ぞんざいに扱われました。
その姿を見て、
「何か問題がある」
と思いました。
調べてみると、いくつもの派閥に分かれ、互いに争っていました。
私は、
「本当に大変なことになっている」
と思いました。
人類を救った方が無造作に踏みにじられ、冒瀆されています。
私は、食事を用意してほしいと言ったのでしょうか。お金を求めたのでしょうか。
私には、教団との利害関係は何もありません。
それでも、
「これはおかしい」
と思ったのです。
私は自由人として、また北朝鮮出身者として、自分が見た統一家の姿を、食口たちと世界の人々に正直に書きました。
私には、個人的な恨みはありません。
ただ、このような偉大な世界的人物を、正しくお祀りしなければならないと思ったのです。
この方を、もう一度世界に広く知らせる契機を作らなければならないと考え、この本を書きました。
私が最後に申し上げたいことは、これです。
「文メシヤ様を中心として、私たちは団結し、その後、前進しなければならない」
ということです。
皆さんは、文鮮明メシヤ様と同じ時代に生き、身近にお迎えし、共に歩んできたのではありませんか。
それならば、イエス様の時代の人々よりも、はるかに多くの証言を持っているはずです。
どこへ行っても、堂々と語ることができるのではありませんか。
イエス様が世界的な人物となり、キリスト教が地球全体に広がったように、これからはイエス様や釈迦を超えて、文メシヤ様の思想と理論が、世界へ広がっていくでしょう。
文鮮明再臨主の思想と理論は、未来の人類を救う思想であると、私は考えます。
私が評伝に書いたとおり、
「文鮮明主義」
によって地球が動き、人類が動いているということを、私たちは知らなければなりません。
そのことを申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
皆さん、映像をご覧になっていかがでしたか。
それぞれの胸の奥に、さまざまな思いが押し寄せてきたのではないでしょうか。
それでは、今日の談論の最後の順番です。
去る5月27日、一昨日のことです。
『文鮮明先生評伝』第1巻、第2巻が世に出ました。
まず、ご覧のとおり、その分量が非常に膨大です。
第1巻の題名は、
『文鮮明先生評伝1―天命の人生と人類救援の夢』
です。
第2巻も、ほぼ同じ分量です。
各巻がおよそ八百ページ、全二巻を合わせると約千六百ページに達する大作です。
著者は、皆さんにもよく知られているクォン・オムン作家です。
クォン氏は早い時期に家庭連合へ入教した、六千家庭の祝福家庭です。
『世界日報』の文化部長、論説委員などを歴任し、長期間にわたり取材現場で直接経験し、発掘した貴重な資料を持っています。
宗教界、文化界に関する優れた著作も数多く発表してきた中堅作家です。
クォン・オムン作家が、『文鮮明先生評伝』を書こうと決心したのは、2006年頃だったそうです。
それ以来、約二十年間にわたって、黙々と資料を集め、分類し、執筆を続けてきました。
そして、ついにこの巨大な大作が世に出ることになったのです。
皆さん。
クォン・オムン兄弟のこれまでのご尽力と、決して折れることのなかった信念に対して、拍手をもって激励と祝福を送ってくださるよう、心よりお願い申し上げます。
拍手をお願いいたします。
私は、この本が出版された5月27日の午後を、忘れることができません。
著者が、印刷を終えたばかりの本を、直接私のところへ届けに来てくれました。
ずっしりと重い二冊を手にした瞬間、私は思わず目頭が熱くなりました。
クォン作家は、その日に出版された本を、ソウル郊外に借りた倉庫へ運び、保管してから帰る途中でした。
第1巻と第2巻、それぞれ五百部ずつ、合計千冊を印刷したということです。
その話を聞いた私は、クォン作家の両手を握りました。
そして、心から感謝を申し上げ、
「本当にご苦労さまでした」
と、頭を下げてお礼を申し上げました。
教団や、その周辺の誰からも支援を受けることなく、たった一人で、この膨大な大作を出版したのです。
これは、天と真のお父様が共に歩んでくださったからこそ成し遂げられた、奇跡ではないでしょうか。
クォン・オムン著者が、この本の出版を知らせるために書いた文章を見てみましょう。
聖和14年ぶりに会う『文鮮明先生評伝』
―生涯を総括した全二巻、各八百ページの大作が刊行―文鮮明先生は、私にとって誰なのか。
私は果たして、先生についてどれほど知っているのか。
先生の地上生涯を総括した書物としては、御聖和から14年ぶりに初めて、『文鮮明先生評伝』が出版されました。
一生を通じて、メシヤ、真の父母、聖者の道を歩んでこられた先生の、血と汗と涙の天路歴程を収めたこの本は、統一家はもちろん、全人類が読むべき必読書です。
二十年以上にわたる各種資料の収集と執筆の末に完成したこの本は、第1巻、第2巻、それぞれ約八百ページの大作であり、先生のすべての活動を集中的に照明しました。
皆さん。
クォン・オムン兄弟による、この大作の出版について、これ以上長く説明する必要はないと思います。
私たち統一家のすべての兄弟姉妹の家庭に、この『文鮮明先生評伝』が置かれなければなりません。
各家庭において、確固たる位置を占め、広く読まれる時にこそ、天の大きな祝福が共に臨むと申し上げたいと思います。
視聴者の皆様。
今日は長時間にわたって、四つの文鮮明総裁評伝にまつわる秘話と、その意味についてお話ししました。
私自身、今日ご紹介した四つの評伝を、まだすべて最初から最後まで精読し、完読したわけではありません。
しかし、全体の内容を幅広く確認する中で、一つの事実に気づきました。
それは、この四つの評伝すべてが、真のお父様の自叙伝『平和を愛する世界人として』を、その骨格、生涯の総論として置いているという点です。
その共通の骨格の上に、著者自身の視点、置かれた環境、時代的状況に応じて、それぞれ異なる関心と強調点が加えられています。
それぞれの評伝に、独自の特色が現れているのです。
全体的に見れば、真のお父様の生涯という巨大な総論を、細かく分割し、拡大し、深く掘り下げた力作であると感じます。
言い換えれば、再臨主、真の父母であられる真のお父様の生涯と、摂理的な足跡を立体的、総体的に理解する上で、これらの本は互いに補い合うものです。
相互に補完し合う、優れた道しるべであり、教科書となるのです。
現在、家庭連合の上層部では、真のお父様の自叙伝を隠し、その足跡を消そうとする愚かな行為が行われています。
しかし、今日、私たちがこの目で確認したように、真実を求め、記録しようとする義人たちは、国境や思想、立場を超えて、絶え間なく現れています。
真実は、決して隠すことができません。
真のお父様の真の姿を求め、記録しようともがく「真実探求隊」の行進は、現在の暗い時代を超え、私たちの後世へと続いていくでしょう。
私は、そのことを確信しています。
どのような闇の勢力が現れても、真実を永遠に隠し続けることはできないからです。
視聴者の皆様。
真のお父様は、自叙伝『平和を愛する世界人として』を八大教材教本と共に、後世に伝える永遠の訓読教材とするようにと言い遺されました。
その遺言を基準として、伝記であれ評伝であれ、真のお父様に関する、より豊かな証言があふれ出る時代が、必ず到来すると固く信じています。
その希望の世界に向かって、私たち皆で力強く歩みを進めましょう。
本日、長い談論を最後までご清聴くださった視聴者の皆様に、心から感謝申し上げます。
次回、またお会いしましょう。
(第21話:おわり)
●この記事がたくさんの人が見れるように
クリック支援をお願いします。

皆さん、こんにちは。
前回、第19話の談論「真の妻と母よりも神聖な地位とは何か」をご視聴いただいた皆様の、熱いご声援と共感に感謝申し上げます。
その中でも特に、ドゥ・ソンヒョン本部長の反原理的、反摂理的な記念辞を厳しく指摘した箇所について、
「大きな衝撃を受けた」
「新たな気づきを得た」
という方が、多くいらっしゃいました。
視聴回数も六千回に達しています。
サムネイルに掲げた、
「統一教会のハヨガとタンシムガ」
というテーマも、視聴者の皆様の心に深く響いたようです。
最近では、ソン・デオTVの映像メッセージを、さまざまなグループチャットで共有してくださる方も増えています。
ところが先日、あるグループチャットで、興味深い出来事があったそうです。
ある方が第19話の動画を投稿したところ、一人の方が、
「この方の動画は非常に不快です。削除していただきたいです」
と異議を唱えました。
それに同調する何人かの人がいる一方で、
「世の中には、不快なこともあるのではないでしょうか」
と反論した方々もおり、意見が分かれたというのです。
このような興味深い状況を踏まえ、今日の談論は、ソン・デオTVの映像メッセージを不快に感じる方々のために進めたいと思います。
今回は、私の説明を長く聞いていただくのではありません。
真のお父様の御顔を直接見ながら、その生々しい肉声によるメッセージを視聴していただきます。
皆さん、「不都合な真実」という言葉を聞いたことがあるでしょう。
私の映像メッセージを不快に感じる方々にとって、これほど的確な表現はないのではないでしょうか。
いったい、何がそれほど不快なのでしょうか。
論理的に反駁することはできない。
しかし、自分たちが隠しておきたかった真実が、次々と明らかになっていく。
そのために、心がねじ曲がるほど不快になっているのでしょうか。
特に、第18話、第19話と続けて、真のお父様の自叙伝に関する痛ましい事実が明らかになったため、さらに不快に感じたのではないでしょうか。
そのような方々は、前回の映像のテーマであった「ハヨガ」と「タンシムガ」を、もう一度思い出す必要があります。
表面では絶対信仰を叫びます。
天心苑では毎日のように、
「天の父母様、真のお父様、役事してくださいますように」
と叫びます。
しかし、それだけで何になるのでしょうか。
実際には「ハヨガ」を歌い、再臨主である真のお父様に対する一片丹心はどこにもない。
それどころか、真のお父様を侮辱し、貶めるような発言が日常的に行われているのではないでしょうか。
聖書に出てくる「白く塗った墓」は、ほかのどこかにあるのではありません。
天国の門を閉ざし、自分たち自身が入らないだけでなく、ほかの人々までも入れないようにしている者たちは、いったい誰なのでしょうか。
「お父様には原罪があり、お母様だけが原罪のない独生女である」
という非原理的な独生女論を盲信し、それに従ってきた人々がいます。
「これではどうか、あれではどうか。万寿山の葛が絡み合ってもよいではないか。私たちも、このように絡み合って百年まで楽しもう」
と、ハヨガを歌うように都合よく生きてきたのです。
その変身と妥協を揺るがされるから、不快に感じるのではないでしょうか。
真のお父様を消し去ることが日常になっても、何とも感じなかった人々がいます。
しかし今、
「独生女の御言葉を捨てて悔い改め、原理と真のお父様の御言葉、八大教材教本に戻ろう」と叫ぶと、それを聞くことがひどく不快になるというのです。
それならば、私はこう問い返したいと思います。
自分の心が不快であるという理由で、いつまで両目を覆い、摂理の真実から目を背けるつもりですか。
現在の統一教会で行われている驚くべき振る舞いをご覧になる真のお父様のお気持ちが、どれほど不快であるかを考えたことがありますか。
今こそ、真のお父様の御言葉に改めて耳を傾けるべき時です。
今日、統一教会が直面している危機は、単に外部からの司法的圧力だけによって生じたものではありません。
真のお父様の聖和後、私たちが、それまで立っていた本来の場所から逸脱し、別の道へと進んでしまったことが大きな原因です。
明日では遅すぎます。
まさに今日、この場で「不都合な真実」と向き合ってください。
今日は「以熱治熱」の知恵を用いて、不快になった心を正しく癒してくれる、真のお父様の肉声映像メッセージを直接聞いてみたいと思います。
真のお父様の御言葉を、その鮮やかな映像と肉声を通して聞くことほど、私たちの心情を解き放ち、解放し、釈放してくれる処方はありません。
真理が、私たちを自由にするのです。
真のお父様の肉声を聞いてもなお、心が不快であると感じるならば、その人は御言葉よりも、現実の利害関係を優先しているのかもしれません。
偽善的な権力者の顔色をうかがいながら、生計を立てるために「ハヨガ」を歌うような立場であるならば、私はその人を度外視するしかありません。
つまり、そのような人には、これ以上関心を持たないということです。
それでは、真のお父様の御言葉映像から、いくつかの段落を一緒に視聴しましょう。
今回ご覧いただくのは、真のお父様御自身が、原罪のないメシヤとして誕生されたことを語られた御言葉です。
もし真のお父様が原罪を持って生まれたのであれば、真の父母となることはもちろん、救世主、メシヤとなることもできません。
復帰も、救いも成り立たなくなります。
真のお父様は、現在の状況を予見されたのでしょうか。
聖和の三年前にあたる2009年頃から、御自身が原罪のない血統をもって誕生されたことを、自ら明らかにし、何度も強調されました。
今日は、その中から七編を続けてご覧いただきます。
合計で約九分です。
堕落とは、百八十度反対です。
神は、サタンの告発を受けない新しい種を持った者を失いました。
したがって神は、サタンの告発を受けない新しい種を持つ息子を、再び探さなければなりませんでした。
復帰摂理によれば、神は堕落と関係のない息子を準備しなければなりません。
メシヤは、サタンの支配下にある堕落した血統を持つ人々の罪深い生活を清めるために来ます。
メシヤは、単に奇跡を起こす超人として現れるのではありません。
真の人間として来るのです。
メシヤは、第二アダムとして来ます。
メシヤは神に根源を持ちますが、アダムが引き起こした問題を解決するために、第二アダムとして来るのです。
再臨の主は、イエス様が未完成に終えられた神の復帰摂理の基盤を完成するために来ます。
本然の真の子の種として来て、真の愛、真の生命、真の血統の源である真の父母の理想を完成します。
イエス様の時代までに、神側が達成したすべての勝利の基盤の上に立ちます。
イエス様の勝利的基盤の上に立つために来るのです。
皆さんも、これを知らなければならない。
真の父母、すなわち真のお父様というお方は、サタン世界の血統とは関係がないのだ。
これを、今まで解決しようとしても、解決することができなかった。
真のお父様まで堕落の血筋を持って生まれたというのであれば、なぜ復帰が必要なのかということだ。
十六歳、十七歳まで、神と一つになって成長してきたのだ。
その場で神と連結されているからだ。
エバは反対の立場になったため、この道を行くことができない。
しかし、アダムはこの道をそのまま延長して行く。
男性格主体であられる神の懐で育ってきたのだ。
誰が中心の座なのか。
誰が中心なのか。
中心がなければならない。
核は先生だろう。
先生が現れてこそ、神も先生を通して動かなければならない。
エデンで堕落した時に、すぐに立ち直っていたならば、すべてがうまくいったはずだ。
しかし、その途方もない問題を、人々は知らないでいる。
先生に対して犯した罪、先生が八段階を越えながら流した涙、そのすべてを否定しようとするから、一気に捕らわれるのだ。
だから、自分自身の存在意識を先に持ってはならない。
封分王とは誰なのか。
天使長側のアダムだ。
再臨の主とは関係がない。
血筋が違うのだ。分かるか。
再臨の主が封分王の血筋と同じであるならば、堕落の血筋を受けた人が、どうして再臨の主になることができるのか。
天が教えてくださったのではないか。
ほかのことも、すべて教えてくださったのではないか。
統一教会の原理原則が、先生が自分の頭だけで具体的に考えて作り出したものだと思うのか。
夢にも思ってはならない。
「先生も五パーセント、七パーセント、三パーセントまで蕩減条件を立てて……」などと言う。
しかし、自分自身の原罪を清算するために蕩減条件を立てなければならないのであれば、救世主になることはできない。
十七歳の時まで堕落した血筋をそのまま受け継いでいた、というのではない。
エバは追い払われたけれども、アダム側は再び天の懐、天の胸に抱かれて育ってきたということだ。
そのように育ってきたからこそ、先生が来るべき時代に、その一時を合わせるために、数千万年の歴史を持つ神をお迎えする平和の主人となるのだ。
原理を知らないから、皆が愚かになった。
原理の道を行かなければならない。
このことは、私しか知らない。
なぜか。
堕落を知り、堕落の凹凸がどうなっているのか、その病んだ事実を知っている人は、私しかいないからだ。
皆さん、この根本を知らなければならない。
先生以外に、堕落を知る人はいない。
先生の血筋が間違っているということはない。
なぜか。
先生は堕落していない。
血がそうなのだ。
統一教会の信者たちの中にも、
「先生も堕落の血統を受けた。アダムとエバが九十三パーセント、九十七パーセントまで完成していたとしても、悔い改めなければ神側に戻ることはできない」
と考える人がいる。
違う。
先生は、堕落の血統を受けていないということだ。
三歳の時から神に侍ることを教えられ、「絶対音」を聞いてきたのだ。
お前たちが知らなければならないのは、先生が罪の根源と関係があるのか、ないのかということだ。
罪の根源と関係があるならば、救世主になることはできない。
これを知らなければならない。
先生は、堕落した世界の血筋と関係がなく、サタン世界全体に属する国民でもない。
その国民になることはできない。
堕落した世界の国民となった人が、どうして人類のための遺言をすることができるのか。
これは、目に見えない神側の問題なのだ。
これを知らなければならない。
人類のために、誰もが遺言できるわけではない。
アダムとエバが完成して結婚したとしても、その家庭について、国や世界が勝手にあれこれ言うことはできない。
カインとアベルだけの問題ではない。
アダムの家庭で何が問題なのか。
結局、サタンが入り込んだことが問題なのだ。
サタンがいなければ、今、蕩減復帰だとか何だとか、悲しみの涙や苦痛、苦海という言葉はあり得ないのだ。
このことを、今まで誰も知らなかった。
そのすべてを、先生がたった一人で突き止めた。
幼い頃から、先生は堕落の血とまったく関係がないということだ。
それを知らなければならない。
「先生は堕落した血統に生まれた」などという考えを抱く者たちは、原理を分かっていない。
神の心情的な本来の血筋に接する道がないという者たちは、自分がメシヤになろうとしてきた。
なぜこのような話をするのか。
これを知らなければならないからだ。
分かったか。
皆、分かったか。
聞きなさい。
皆、泥棒のような者たちだ。
清く従う息子、娘になることができない。
原理が、このように教えている。
私が歩んできたことを批判して、どこか間違ったところがあるのかと探している。
それならば、自分自身を鑑定し、その内容について責任を負ったことがあるのか。
何もないではないか。
主人よりも優れた者、文総裁よりも優れた者を立てようと考えた者が、一人でもいるのか。
「私たちなら、それでよい」と言うのか。
勝手に考えてはならない。
後ろでこそこそ言うだけではいけない。
すぐに前に現れて、
「文総裁、私の話を聞かなければなりません」
と言う者が出てきなさい。
お前が望むとおりに、私が望むとおりに現れることのできる内容を、お前は持っているのか。
私は持っている。
お前たちにはない。
すべては、すでに終わったことだ。
先生が、このように気分がよくない。
このような祝賀の日に集まって、一つくらい褒め言葉を聞けるかと思ったのに、それができる者は一人もいないと結論を下す先生の前で、不平を言う者がいるならば立ち上がりなさい。
不平を表明しなさい。
お前たちは文鮮明師を知って反対するのか、知らずに反対するのか。
答えなさい。
知って反対するということはあり得ない。
知らないから反対するのだ。
知らない者たちが、一部で騒いでいるだけだ。
私ならば、すぐに反問する。
「この問題は、どうするのだ」
と。
しかし、彼らは知らないではないか。
真夜中に灯りがなくても、ホタルの光がちらちらと現れれば、それを見ることのできる者、感じることのできる者だけが、ついてくるようになっている。
ホタルの光に照らされたものについていく方法を知らなければならない。
それを知らなければ、死ぬ。
分かったか。
文鮮明師についていく一体圏に、いったい何人が入るのか。
その何人を残すのかという結論を求めて、私はこのように話している。
その何人の中に入る自信があるのか。
皆、決心しなければならない。
自分の本心に問いなさい。
心と体が争っているだろう。
平和を備えることができない者は、先生の前に現れてはならない。
居場所もなくなり、空気や水のように消え去るべきだ。
そのような者たちを相手にして、先生が生きるのではない。
違う。
お前たちと私とでは、生き方が違う。
先生の御言葉に生涯を捧げてまとめられた説教集の中には、ない言葉がない。
それを百回、千回読んで、自分のものにしなさい。
先生の説教集を持っている者は、手を挙げてみなさい。
何人もいないだろう。
お前たちの父親の家に先生の説教集がなければ、神が追い出すのだ。
そのような状態で、祝福を受けて暮らすことができるのか。
皆さん、真のお父様の響き渡る肉声を直接お聞きになって、いかがでしたか。
真のお父様が訓読会で一度叱責されると、気が引き締まり、全身に気合が入るのを感じたのは、私たちではなかったでしょうか。
私たちは、その恐ろしくも感動的な感覚を、あまりにも長い間忘れて生きてきました。
そのために、私たちは傲慢になり、増長してしまったのかもしれません。
真のお父様が地上におられた時には、とても口にすることができなかったであろう人々が、真のお父様が聖和され、肉眼で見えなくなったという理由で、
「お父様は有原罪であり、お母様は無原罪である」
という反原理的な説を、ためらうことなく語っています。
真のお父様が地上におられた時にも、御本人の前で、そのような無謀な発言をすることができたのでしょうか。
真のお母様を、真の母の位置において高め、称賛することに、何の問題があるでしょうか。
それは当然のことです。
しかし、お母様を高めるために、真のお父様の原理の御言葉を歪曲してはなりません。
真のお父様の誕生の位相と、生涯の真実を偽りによって貶め、侮辱してはなりません。
それは、真の父母両位を分離し、分断する、とんでもない行為です。
そのような方法によって、さらに高い栄光の座へ上げようとするならば、かえって逆さまに転落することになるでしょう。
自分を謙遜に低くし、真のお父様の栄光を高める立場に立つ時こそ、その人自身も高い御座に上ることができるのです。
それが原理です。
この原理には、例外はありません。
お母様を含む直系の子女たちこそ、この原理のロールモデルとなるべきではないでしょうか。
皆さん。
真のお父様が、私たちの肉眼に見えないからといって、存在しなくなったのでしょうか。
真のお父様は今も、私たちのそばにおられます。
私たちの心の中はもちろん、この世界のすべてをご覧になっています。
それにもかかわらず、まるで真のお父様が存在しないかのように、傍若無人に軽挙妄動しています。
特に、真のお父様と直接対面する機会がほとんどないまま成長した二世、三世たちが、このような過ちを犯さないようにしなければなりません。
そのためには、二世、三世が真のお父様の肉声映像メッセージに、より多く接することができるよう、私たち一世の父母が、勤勉に努力しなければなりません。
先日お会いした、ある元老牧師夫妻の話を思い出します。
その方が所属する教会の若い二世の教会長が、礼拝説教の中で、
「真のお父様の自叙伝を廃棄せよという指示が下りてきた」
と語り、自叙伝を回収すると平然と発言したそうです。
その元老牧師夫妻は、礼拝が終わって帰宅した後、一日中憤慨し、悩み抜きました。
そして翌朝早く、教会長を訪ね、厳しく問いただし、叱責したそうです。
その結果、教会長から謝罪を受けたと話していました。
その元老牧師は、
「今回、ソン・デオTVが真のお父様の自叙伝廃棄の問題を取り上げてくれて、本当に感謝しています」
と言いながら、目頭を潤ませておられました。
皆さん。
真のお父様の肉声映像メッセージをいくつかお聞きになって、今、心が少し楽になりましたか。
それとも、さらに不快になりましたか。
良心が痛んでいるにもかかわらず、偽りの安らぎの中にとどまり、真実を不快に感じ続けるのか。
それとも、自分の心の自由を守ってくれる真実の道、原理と摂理の正道へ戻るのか。
その選択は、私たち一人一人の責任です。
これ以上、現実の利害関係や権力者の顔色をうかがいながら、非原理的な摂理の歪みに沈黙してはなりません。
今日お聞きになったような、真のお父様の消すことのできない数多くの肉声の教えと、八大教材教本だけが、私たちが戻るべき唯一の羅針盤です。
今日の談論を締めくくりながら、一つの歌を一緒に聞いてみたいと思います。
最近、ある方が作詞、作曲した歌で、統一教会の食口たちの民心を映し出していると感じました。
題名は、「なぜなぜなぜ」です。
私はこの歌を、天の声が人の言葉と歌詞を通して伝えられた、
「天声人語曲」
であるように感じています。
天の声が、人の言葉と歌となって伝えられてきた、という意味です。
なぜなぜなぜ
天を信じると言いながら
お父様の涙を見ず御言葉を知っていると言いながら
真実から目を背けた旗を高く掲げて
正義を叫んでみても一隻の船が傾いているのに
誰も何も言わないなぜ なぜ なぜ
唇を閉ざしているのですか知らなかったと背を向ければ
良心は安らぐのですかなぜ なぜ なぜ
信仰はどこへ行ったのですか船が水に沈んでいるのに
目を閉じて生きるのですかお父様
これからは叫びます破れたその旗を
再びまっすぐ立て直します祈祷院の明かりの下で
膝はすり減り涙で夜を明かしても
天は遠いばかり本当に足りないのか
祈りが足りないのか天が共にいるならば
この涙は何なのか御言葉に従うと言いながら
御言葉を捨てたまま見せかけの旗を振りながら
互いを引き裂いているなぜ なぜ なぜ
誰も何も言えないのか腐りゆく綱をつかんで
笑いながら生きているのですかお父様
今になって気づきました御言葉がまず生きてこそ
信仰も生きるのですねなぜ なぜ なぜ
ついに泣きながら尋ねます天の御旨に従うならば
まず御言葉を生かすべきでしょうこれからは
元老たちが立ち上がります
本日は、ここで失礼いたします。
本当に心が安らぐ道がどこにあるのか。
私たちの本来の良心が、最もよく知っています。
真のお父様と共に歩む道。
天が祝福する、堂々たる道。
その道を、私たち皆が揺らぐことなく歩んでいきましょう。
ご視聴いただき、ありがとうございました。
失礼いたします。
(おわり)
●この記事がたくさんの人が見れるように
クリック支援をお願いします。