「成約摂理」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

■天聖經(53) 第10巻「成約人への道」 第2章 家庭観

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第二章 家庭観

1)理想的な家庭とはどのような家庭か
2)家庭は天国完成の基本単位
3)真の家庭の理想と価値
4)天国は家庭単位で行く所
5)家庭盟誓

 

 

1)理想的な家庭とはどのような家庭か

 ①なぜ家庭が良いのか

 

 家庭とは、神様の理想が顕現し得る起点であり、人類の幸福が顕現する起点なのです。人間におけるすべてのことが果たされる場であり、神様においても、すべてが完成する場なのです。なぜ家庭が良いのでしょうか。それは、父母の愛を中心とした自由な活動の基地となるためです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-934)

(2022.5.10:写経奉献)

         

 神様を中心とした永遠の父母の愛、永遠の夫婦の愛、永遠の子女の愛、この三つの愛があるのが理想的家庭です。(90-201,1977.1.1)

            

 人は必ず家庭をもたなければなりません。家庭を中心に見れば、家庭には父母がいて、子供がいて、物質があります。旧約時代、新約時代、成約時代における縦的な歴史のすべてを、代わりに横的に展開できる実体とは何でしょうか。万物と子女と父母です。すなわち、父母と子女と、その所有物です。これらが、家庭という一つの囲いの中で必要とされるものです。(29-157,1970.2.27)

            

 統一教会の理想は、どこか別のところにあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です。いまだ、この問題を解決した者がいないので、それを願ってきました。
 そして、そこに幸福があるがゆえに、これを体系化し、天宙化して無限の価値を現したので、「統一主義」が公認されたのです。
 したがって、この主義を嫌う者がなく、皆が頭を下げて好むようになれば、世界は、自動的に統一されるのです。(26-103,1969.10.18)

            

 聖書66巻はすべて、理想的な家庭を願ったみ言です。
 また、万民が願うこととは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。「そうではない」と言う男性がいるとすれば、それは人ではありません。
 また、女性として生まれた者の一番の願いは、理想的な夫に出会うことです。女性は、たとえ博士になって世界に向かって大きなことを言ったとしても、その願いは、理想的な男性に出会うことです。愛し得る理想的な男性に出会って、福々しい息子、娘を生むことです。これが幸福の根本です。
 このように統一教会の教理を家庭に打ち込んであるので、これを取り除く者はいないのです。(26-103,1969.10.18)

            

 天国は、どこから成されるのでしょうか。私たちの家庭からできるのです。では、私たちの主義は、何主義でしょうか。家庭主義です。私たちの標榜する天宙主義とは、「天」という字に、家を意味する「宙」という字、すなわち天の家主義ということです。このように見れば、天宙主義という意味がはっきりするのです。(26-103,1969,10.18)

            

 家庭とは、小さな社会に立脚した小さな国家です。「小さな国家であり、小さな世界であり、小さな天宙だ」と言うことができます。ですから、家庭を離れては何もできません。このような家庭というものを教えてくれるので、統一教会は偉大だというのです。(24-230,1969.8.17)

            

 家庭は、万古不易(いつまでも変わらないこと)の起源であり、礎です。それは父親にも直すことはできず、兄弟にも直すことはできず、どの国のいかなる制度によっても直すことはできません。また、世界的にも直すことはできず、天と地も、神様にも直すことはできません。ですから、家庭というものには、「革命」という名詞が永遠に必要ないのです。(25-87,1969.9.30)

            

 人の一生の中で、最も重要な時とはいつかというと、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。それでは、生まれる時は、どのように生まれるべきでしょうか。正しく生まれなければなりません。私たち統一教会でいう、「心情の因縁」を中心として生まれなければなりません。次は、結婚する時です。結婚というのは、生きるためにするものです。すなわち、四位基台をつくるためにするのです。このような宇宙の公法を地球上に立てて初めて、神様のみ旨が果たされ、人間の志が果たされるのです。そのように、宇宙の法度が志向する内容を備え、その形態を整えるところが家庭です。(24-230,1969.8.17)

            

 世界は、家庭に倣ってできました。どんな世界もみなそうです。今後、理想世界は三位基台、家庭の三位基台を中心として成されなければなりません。それでは創造目的とは何でしょうか。四位基台を完成することです。人間がまず四位基台を完成しなければならないので、誰もがみな、家庭を築くのです。
 人間は神様に似ていて、人間を中心とした社会は、神様を中心として人間に似ているのです。統一教会の先生は、今、世界に統一教会を立てて、そうなるようにしています。世界が、すべてそうなるべきだと知っていながらも、それが表に現れてはいません。しかしながら、そのような原則を通して、世界は、そうなっていくのです。理想世界というものは、全世界が一人の人の形を形成する世界です。そこにおいては、国家と民族を超越するのです。(26-190,1969.10.25)

            

 家庭というのは、世界を縮小した横的な基盤です。ここから国家と世界が始まるのです。家庭とは何でしょうか。家庭とは、世界の横的な縮小体であり、絶対的な中心の前に相対的な基準です。では、私というのは何でしょうか。絶対的な中心が、とどまることのできる足場です。(26-258,1969.11.9)

            

 この世界を審判することのできる絶対的権限をもつものは、個体ではありません。真なる家庭です。サタンも、何を打ってくるのでしょうか。家庭を打ちます。それゆえ、家庭をもって一つとなれなければ破綻するのです。親子の間に、夫婦の間に、家庭全体に破綻をもたらすのです。そして、家庭をもったのに、その家庭が破綻したならば、その人の傷は、永遠にいやされないのです。その人をいくら慰めたとしても、どうにもならないのです。(30-85,1970.3.17)

            

 私たちは、神様の願う家庭を中心とした父母、夫婦、兄弟とならなければなりません。(24-306,1969.9.7)

            

なぜ、家庭が良いのでしょうか。家庭には、お互いに、自由に愛を授け受けできる基台があるからです。それゆえ、人は故郷を慕わしく思い、父母、兄弟のいる所を慕わしく思うのです。(38-328,1971.1.8)

            

 父親が喜べば、家庭全体が喜ぶのであり、妻が喜べば、家庭全体が喜ぶのであり、子供が喜んでも家庭全体が喜ぶのです。一時に宇宙全体が喜ぶことのできる場が、家庭というところなのです。(30-85,1970.3.17)

            

 心と体を収拾して完全な個人となり、夫婦が一つとなって完全な家庭を築かなければなりません。(30-246,1970.3.24)

            

 お母さんとお父さんが一つとなれば、その家庭は発展し、子供と親が一つとなれば、より次元の高い家庭へと発展することを知らなければなりません。それでは、家庭と親戚の間で一つとなればどうなるでしょうか。そこには、新しい民族正気がわき起こることでしょう。それがより高い次元に向かっていこうとするならば、すべて環境的に結束し、国家基準にまで忠臣の血統として残り得ることを忘れてはなりません。(74-313,1975.1.1)

            

 天国の家庭は、無理強いしてできるのではなく、喜びの中で自動的にできるのです。愛するときも、受けようとばかりするのではなく、互いに授け受ける作用をしてこそ、理想的な愛が成立するのです。(66-123,1973.4.18)

            

 幸福な家庭とは、夫が帰ってくれば、外であったことを妻と話し合い、新しく開拓し得る要因を発見する家庭です。互いに力を合わせて研究する家庭が、幸福な家庭だというのです。父母がそうなれば、子供たちもそこに加担して、「自分たちも、そのような家庭を築こう」と同調するようになるのです。(29-113,1970.2.25)

            

 真の家庭とは、妻を母親のように思って愛し、「ため」に生き、夫を父親のように思って愛し、「ため」に生き、妹と兄のようにお互いに愛し合う所です。さらには、自分の妻を神様のように愛し、自分の夫を神様のように愛し尊敬する世界が、理想家庭の暮らす天国です。そのような伝統が、この地球上に立てられなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-920)

 

 母親と父親は、愛なしには一つになることさえできないのです。皆さんは、なぜ愛が好きなのでしょうか。好まずとも、好まざるを得ないようになっているからです。両親が互いに愛し合う力が、自分のことを思う力よりも強ければ強いほど、理想的なのです。お母さんとお父さんを完全に一つに結びつけるものは、愛の綱です。鉄でできた綱は、時間がたてばさびついて切れてしまいますが、愛の綱は永遠です。また、親と子の間は、食べ物によっても、お金によっても結びつけることはできません。唯一、親子の関係は、愛でのみ結びつけることができます。(18-329,1967.8.13)

            

 革命の要素を加えることのできない、そのような礎の上にできた家庭は、いかなる主義や思想にも吸収されることはありません。むしろ主義や思想を支配し、凌駕します。そのような基準が立てられた家庭は、10年、100年、1000年たっても永遠に変わることはなく、民族と国家の形態が維持されるのです。(25-97,1969.9.30)

            

 愛のふろしきとは、どんなふろしきでしょうか。本郷の国へ行って、そのふろしきを開いてみると、理想的な夫が飛び出してくるし、理想的な妻が飛び出してきます。
 また、理想的な家庭が飛び出してくる福袋です。ここから出てくるものは、1等復帰です。ですから、個人も1等、家庭も1等、氏族も1等、民族も1等、国家も1等、世界も1等なのです。すべてが1等ならば、高い低いということはありません。ですから、兄弟も、家庭も復帰されるのです。このように統一的基盤を造成していくために、宝の壺である愛のふろしきが必要なのです。(19-295,1968.3.10)

 

 ②家庭において社会愛、民族愛、人類愛が芽生える

 

 神様を中心として一つとなるとき、千態万状の様相で回るようになるのです。それゆえ、兄弟の間で愛するときも、親が子を愛するのに倣って、兄が弟を愛さなければなりません。そのように愛して一元化した家庭には、家庭愛の花が咲きます。そして、これが社会愛にもなります。そしてさらには、これが民族を愛する民族愛となります。このように愛すれば、世界になるのです。ところが、今日それが漠然としているのです。(28-170,1970.1.11)

            

 子女の間の愛とは、どのようなものであるべきでしょうか。何を基準として愛さなければならないのでしょうか。お父さんとお母さんが愛するように、兄弟も愛さなければなりません。愛は、誰から学ぶかというと、両親から学ぶものなのです。(66-120,1973.4.18)

            

 理想的な愛は、家庭から生まれます。しかし、神様は、真の息子、娘をもつことができませんでした。真の兄弟をもつことができず、夫婦をもつことができず、また、父母となることができませんでした。それゆえ、それを成そうというのが神様のみ旨なのです。そのようなところであってこそ、愛がとどまるのです。そのような愛のある所には、人々がこの世のすべてを捨てて、やって来るのです。(19-314,1968.3.17)

            

 真の愛とは何でしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。愛は、互いに犠牲となる伝統が備わっていなければ、長く続くことなく壊れてしまうものです。父母は子供のために犠牲となるので、父母が子を愛する因縁は壊れることがないのです。
 そうして、真正なる父母の愛を受けて育った息子、娘であるならば、絶対に自分の父母に親不孝をすることはできないのです。また、夫は妻に、妻は夫に対して、「あなたは私のために生きた」という立場で、よりお互いのことを思い、より犠牲となる立場が広がれば、その家庭は恵みを受けるのです。そのような家庭が、神様の訪ねてこられる福地なのです。(43-323,1971.5.2)

            

 一つの家庭を中心として、最も良いものとは何かというと、皆さんの子女に結晶するものではありません。それでは、家庭における最高の価値とは何でしょうか。父母です。一人の個人を考えてみても、皆さんにとって権力や知識、あるいは名誉やお金も貴いものかもしれませんが、そのどれにも勝って良いものは、「父母」以外にはないのです。その次には、皆さんの妻や夫が良く、皆さんの子女が良いことでしょう。
 実際、皆さんの家庭において皆さんの父母や妻、そして子女よりも大切で価値あるものがあるでしょうか。ないのです。それでは、なぜ父母が良いのでしょうか。そしてまた、夫と妻、子女がどうして良いのでしょうか。「愛」があるからです。
 父母の愛、これは子供にとって絶対的に必要です。夫婦の愛、これは、夫と妻にとって絶対的に必要なものです。そして、兄弟の間の友愛や、子女が父母に対してもつ孝誠の心も、一つの家庭に絶対的に必要なものです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-915)

            

 皆さん、誰が、家で一番良いですか。お父さん、お母さんですね。なぜ父母が一番良いのでしょうか。愛を中心として一生の間関係を結べる、最も近い立場にあるからです。その次は、愛する夫と妻でしょう。その夫と妻の、ある条件的な愛ではなく、無条件の愛です。その愛が、絶対的に天によって与えられた永遠の愛と密接に関係した愛ではなかったとしても、夫婦間の相対的な関係において結ばれる愛であるとすれば、その家庭に幸福と和睦をもたらす最も良いものではないかと考えられます。
 その次は、父母に対する子女の愛、父母を思いやる子女の愛です。絶望ではなく、あすの希望として芽を出せる理想的な環境を慕いつつ、明るく肯定的な姿勢で子が親のために犠牲となり、愛することができるとすれば、その子女の愛は、その子の幸福のための、純粋で真実な価値をもつ愛となることでしょう。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-914)

 

 このように、父母の真の愛と夫婦の真の愛、そして子女の真の愛を完璧に具備した家庭があるとすれば、その家庭は、私たち人間世界で、最も理想的な家庭だといわざるを得ないでしょう。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-914)

            

 一つの家を考えたときに、その家の中心になる人とは誰でしょうか。年を取った方、すなわち、曾おじいさんがいるとするならは、その曾おじいさんが中心です。亡くなる時が近づいたからといって、家族がそのおじいさんを無視したとすれば、それは縦的な世界を無視するのと同じです。たとえぼけているとしても、その家庭の中心は曾おじいさんです。何か食べ物があれば、まずおじいさんに差し上げなければなりません。たとえお父さんがその国の大統領だとしても、先におじいさんに差し上げなければならないのです。なぜならば、息子は横的だからです。(34-242,1970.9.13)

            

 不幸は、どこから出発するのでしょうか。愛の安息所がなくなるところから始まるのです。幸福な家庭とは、その家の囲いとなる父母に仕えて生きる家庭です。そのような家庭は、上には天を代表する父母に侍り、横的には家庭を代表した他人同士がその因縁の愛を夫婦として結び、この夫婦が天倫の法度に従って、その代を継いで生きる家庭です。(19305,1968.3.10)

            

 家庭には必ず、父母がいなければならず、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の基台となるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様ご自身の幸福を模索するためであったに違いありません。それゆえ、神様ご自身が幸福の基台を求めようとしても、人間を離れたところにはそのような理想はあり得ないのです。人間と関係を結んでこそ、一致点をもたらせるのです。私たちが家庭において、情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはり、そのような立場で幸福を感じようとなさるのです。(32-198,1970.7.15)

            

 「これほどならば、天上天下にうらやむものはない」と幸福を謳歌する人がいたとしても、「そのような外的なことで幸福だ」と言うことはできません。幸福を求めるための条件にはなっても、幸福それ自体にはなり得ないのです。それでは、何が決定されれば幸福を感じられるのでしょうか。愛する父母がいて、夫婦がいて、子女がいなければなりません。このことは、誰にも否定することができません。その中の一つしかなければ、その人は、それに該当する比例的な悲しみを感じ、比例的な不満がその胸の中に残るのです。(21-140,1968.11.17)

            

 人間祖先を通じた神様の理想は、男性と女性が結合し、理想的な家庭を築くことでした。そうなれば、理想的な家庭の中心は男性でもなく、女性でもありません。家庭というのは、父母と子女、夫婦の結合による一つの結びつきなのですが、その結ばれたものの中心は、正に神様の愛です。神様の愛を中心として家庭を完成することが、神様のみ旨であるという結論になります。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-301)

            

 父母と子女、夫婦、そして兄弟姉妹が真の愛を中心として一つになることを願うのが、私たちの理想家庭です。ここから永遠の世界的平準化が始まることによって、地上天国が出発するのであり、天上天国も自動的にできるのです。(300-226,1999.3.14)

 

 神様は真の愛の本体なので、真の愛に連結されれば、みな同じ体になります。父母は神様に代わる、生きた神様であり、夫と妻は互いにもう一方の神様であり、息子、娘もまた、一つの小さな神様です。このように3代が、真の愛を中心とする家庭の組織が、天国の基盤です。そのような基盤を築かずしては、天国はできません。家庭というのは宇宙の中心です。家庭の完成は、宇宙の完成の基礎となるがゆえに、家庭において愛するがごとくに宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。その場合、神様は、宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の位置にいらっしゃるのです。(298-306,1999.1.17)

            

 神様を中心とした創造本然の家庭的基台には、男性の愛、女性の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛が、すべて含まれています。このような消化された立場で、父母を愛し、夫を愛し、息子、娘を愛すれば、誰でも天国生活をすることになるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-946)

 

「家和万事成」という言葉があります。家庭が平和であれば、万事がうまくいくという意味です。完成した家庭は、平和の家庭であり、それは天国の基礎です。家庭の原動力は、真の愛です。自分よりも神様を、そして相手を、生命のように愛するという純粋で美しい愛、それが真の愛です。神様は、この宇宙に、真の愛の力よりも強い力は創造されませんでした。真の愛は、神の愛です。(219-118,1991.8.28)

            

 人間は、父子の関係がなければならず、夫婦関係、兄弟関係がなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点になければなりません。その中心点は、一つです。上下、左右、前後の中心が異なるようではいけないのです。その中心点が違えば、上下、左右、前後関係の均衡がすべて崩れるのです。それで結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点までの7数になるのです。そのような7数を成すということは、すなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つとなって、そのすべてが完全に球形となり、調和し、統一された家庭になるということなのです。(287-21,1997.8.10)

(2022.5.11:写経奉献)


2)家庭は天国完成の基本単位

 ①家庭は地上・天上天国の礎石

 

 家庭から天国を成さなければならないのですが、イエス様も家庭を築くことができなかったので天国に行くことができず、楽園にいらっしゃるのです。楽園は、天国へ行くための待合室のような所です。地獄は、人間が堕落したがゆえに生じたものです。神様が始めからつくられたものではありません。(21-199,1968.11.20)

            

 四位基台は、地上天国と天上天国の礎石です。天国は、一人ではつくることができません。それゆえ、イエス様も一人でいてはいけないので、聖霊が降臨しなければならないのです。(13-67,1963.10.17)

            

 天国の起点は、個人でもなく、国家でもありません。家庭なのです。それゆえイエス様は、新郎新婦の因縁を求めてこの地に来られるのです。個人が天国の起点でしょうか。家庭が天国の起点なのです。(30-83,1970.3.17)

            

 家庭は、天国完成の基本単位です。天国は、一度行けば、帰りたくなくなり、10回、100回会ってもまた会いたい、そのようなお方のいらっしゃるところです。万民が共通にそこに行きたいと思い、そのお方に会いたいと思い、そのお方と共に生きたいと思うならば、世界は統一されることでしょう。そこを目指して進んでいるのが統一教会です。
 しかし、それは一度に成されるのではありません。まず、個人の基台ができ、次に家庭の基台ができ、民族、国家、世界へと順次、広がっていかなければならないのです。(12-180,1963.4.1)

            

 家庭天国は、男性と女性が完全に一つとなってこそ完成するのであり、個人天国は、体と心が完全に一つとなってこそ完成するのです。家庭天国は、神様のみ旨を中心として夫婦が一つとなり、子女と一つとならなければなりません。そのみ旨の目的は、万民のためのものです。そして、そのみ旨の中心は神様です。それゆえ、神様を中心として万民のために生きるところから、家庭天国が連結されるのです。神様のためだけに生きるのではなく、神様を中心として万民のために生きなければなりません。
 神様は、そのような家庭を探し求めていらっしゃるのです。世界が復帰されるときまで、そのような家庭を探し立てなければ、万民を救うことができず、万国を救うことができず、万家庭を救うことができないがゆえに、そのような家庭をつくるために祝福家庭を立てたということを、皆さんは知らなければなりません。(100-310,1978.10.22)

            

 統一教会の「原理」でいう四位基台とは、3代愛圏を意味するものです。3代が一つの家で暮らしながら愛によって和睦し、「幸福だ」と言うときに、天地創造の理想が実現されるのです。夫婦が愛すべきことはもちろんですが、子女たちを愛で祈祷してあげ、精誠の心で育ててあげてこそ家庭が和睦でき、幸福になるのです。これが縦的に成され、横的に連結されるとき完全な愛が完成するのです。いとこや、6親等のいとこまで、愛で一つとなって初めて愛の円形となり、完全なものとなります。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-947)

            

 私たちの家庭と、天国は、その形態が同じです。私たちの家には父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、兄弟がいます。私たちの家は、愛で一つになることができます。ここでは統一がなされ、生命が連結することができ、理想を実現することができます。ですから、皆さんが夫婦の愛を尊重することができ、父母の愛を尊重することができてこそ、天国へ行ける資格者となるのです。
 祖父母は父母の前に愛を相続し、父母は夫婦の前に愛を相続し、夫婦は子の前に愛を相続しています。ここで、どの愛一つを否定しても、天国は成り立ちません。夫婦同士で愛する以上に両親を愛し、自分の両親を愛する以上におばあさん、おじいさんを愛すべきだという結論になります。それが、天国の核心となり、理想的モットー(信条)となるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-946)

            

 神様の創造理想世界とは、どのような世界でしょうか。真の父母圏を通じて地上天国と天上天国が成される世界です。天国は、愛の基盤を通じてのみ成されます。堕落した世界には、真の父母の愛を受けたことのある人は、誰一人としていなく、現れた痕跡すらありません。霊界も同じです。真の父母の愛を受けて逝った者がいないからです。神様を中心とした創造本然の家庭的基台には、男性の愛、女性の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛がすべて入っています。このような消化された位置で、父母を愛し、夫を愛し、息子、娘を愛すれば、誰でも天国生活をするのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-946)

            

 天国は、どこにあるのでしょうか。空中から、どかんと落ちるのではなく、父親と母親、そして子供の間で授け受けるという生活的な舞台を育て、また、その中にあるすべての被造物を私たちの生活に利用し、私たちの理想の条件として利用する楽しさ、その楽しさを100パーセント享受し得る所が天国です。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-945)

            

 今後、先生は、家庭に関する規範、天国家庭としてもつべき、生活に関する規範を教えてあげなければならないと感じています。ところで、復帰の路程を歩んでいくべき人は、原理を中心として教えてくれる人がいるので、その人を通して教わらなければなりません。先生がそのような問題に、直接責任をとる時代は過ぎました。
 家庭一つ一つを中心として、再度、収拾しなければなりません。私たち統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を主としているのです。個人を主としてきたものを、家庭を主とするのです。(22-334,1969.5.11)

            

 み言の時代を経て、実体の時代を経て初めて、相逢(注:相まみえること)の日を迎えるのです。そして相逢の日を迎えてこそ、天国生活ができるのです。
 相逢の日には、相手の心が私の心であり、相手の心情が私の心情であり、相手の姿が私の姿であり、相手の困難は私の困難であり、相手の傷は私の傷として感じられる境地にまで入らなければなりません。そのような境地に入って相手の心も私の心であり、相手の心情も私の心情となってこそ、天国家庭ができるのです。それがこの地で完結されてこそ、天国家庭ができるのです。(19-251,1968.1.15)

            

 天国生活は、どこから始まるのでしょうか。家庭です。他の所から始まるのではありません。天国とは、家庭を立体的に拡大したものにすぎず、家庭圏を離れたものではないのです。それゆえ、皆さんは自分の妻や夫を抱くとき、それが世界の男性と女性が一つになることだと考えなければなりません。そのように、世界人類を愛したという条件を立てられる場が、すなわち家庭なのです。(30-83,1970.3.17)

            

 天国は、家庭を中心として成されます。家庭の家族として守るべき(誇り)を忘れてはなりません。(21-77,1968.10.20)

            

 これからは、私たち統一教会で礼拝を捧げるときも、説教の形式ではなく、報告の形式で行わなければなりません。報告の内容は、その家庭が誇ることのできるものでなければなりません。それゆえ、家庭全体で来て礼拝を捧げなければならないのです。そうして、良くやっている家庭を見ては見習い、そうでない家庭には、うまくいくように導いてあげなければならないのです。そうして家庭天国を建設しようというのです。まず家庭天国ができなければ、地上天国はできないということを、はっきりと知らなければなりません。(23-63,1969.5.11)

            

 今、私が教会を建てないのは、それなりの考えがあってのことです。教会に多くの人が必要ではないからです。天国は、教会からできるものではなく、家庭から始まるものです。家庭、すなわち新郎新婦から始まるのです。
 女性は男性に出会うために生まれ、男性は女性に出会うために生まれました。赤ん坊が眠りから覚めて、まず呼ぶのが「お母さん」です。赤ん坊が母親を呼ぶ以上に、夫は妻を呼ばなければなりません。そのように呼んだことのない人は、かわいそうな人です。また、妻も夫以上に、そのように呼ばなければなりません。お互いに、そのような夫婦として接しなければならないのです。琴瑟之和(注:夫婦の仲がごくむつまじいこと)の夫婦として、お互いにそのように呼び合って暮らさなければならないのです。
 そのように千年、万年暮らしたならば、老いても青春をうらやむということはないのです。今後、祝福家庭の夫婦が80歳の老人になったならば、先生が世界一周をさせてあげようと思います。(23-55,1969.5.11)

            

 昔、先生が統一教会を始めた時のように、友達が家に来れば、「自分の家よりもここのほうがいい。麦飯を食べたとしても、粥を食べたとしても、うちの御飯よりもおいしい。もう一晩だけ泊めてくれないか」と言う、そのような家庭を築きなさいというのです。
 訪ねてきた人、訪ねてきた友達がみな、自分の家を捨ててその家に来たいと思うような家庭になってこそ、その家庭は、天国の家庭となるのです。(16-328,1966.7.31)

            

 神の愛を中心として二人が一つとなってこそ、夫婦の天国ができます。一つとなったものは誰にも離すことはできず、分かれたり離れたりする心配はありません。皆さんは、どのような愛を見いだしましたか。神様の愛を見つけたとするならば、皆さんの心と体が完全に一つとなり、神様の愛がそこに臨在できなければなりません。そして夫婦の天国が生じ、家庭天国を成さなければなりません。お母さんとお父さんが完全に一つとなって愛し、その息子、娘も両親のように相手を得てこそ、家庭天国が実現するのです。父母がプラスとなり、息子、娘がマイナスになれば、家庭天国となるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-943)

            

 夫婦のうちで、男性はどうあるべきなのでしょうか。男性は、教会と関係をもたなければなりません。また女性は、物質と関係をもたなければなりません。環境的にはそのようになっていますが、家庭的にはどうでしょうか。父親と母親と息子、娘、この三者が一つとならなければなりません。そこから家庭天国が始まるのです。それゆえ、愛を中心とした天国を成すためには、四位基台を成さなければなりません。(26-101,1969.10.18)

 

 ②家庭は真の愛の訓練道場

 

 天宙主義というのは、体と心を合わせたのち、神様の愛の本体となる家庭を成し、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」の字は「家」という意味です。家の宙、ですから天宙主義という言葉を使うのです。天宙は、無形世界と実体世界を合わせたものです。それが私たちと、どのような関係があるのでしょうか。私たちには、家庭が必要です。皆さんが家庭で一つになれないとすれば、天宙主義とは関係がないのです。家庭が、天宙主義を完結するための最終基準なのです。そこで平和の歌を歌うことができず、幸福を賛美することのできない人は、地上でも、霊界へ行っても不幸な人となるのです。(26-190,1969.10.25)

            

 愛は永遠に続くものです。愛は、最高の願望なので、万民がもろ手を挙げて相続しようとします。その愛を残すことによって、霊界でも神様の前に堂々と進むことができます。そのような愛を完遂し得る所が家庭です。家庭を通して天国に行くということは、すなわち愛の一体圏ができるということです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-937)

            

 天があれば地があり、天と地があれば、これを象徴する男性と女性がいて当然です。それが立体的な面で一つとなり得る心情的な基準が、家庭です。その家庭は、目的世界のための絶対的な基準をもって突き進むことができます。そこから新しい歴史、新しい世界、新しい天宙の基盤が築かれるのです。(25-148,1969.10.3)

            

 家庭を中心として天宙主義を成さなければなりません。天宙とは、天と地を総合したものです。天と地は、人間における心と体のようなものです。心と体が一つにならなければなりません。一つの主体があれば一つの対象が必要であるように、一人の男性には一人の女性が必要なのです。男性と女性が一つとなるのが家庭です。(26-189,1969.10.25)

            

 一つの家庭は、社会の倫理的基盤であり、人間世界において最も手本となり、根源的で、一次的な組織です。そのような家庭において、「愛」が最善の価値基準になるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-930)

            

 人間の価値をどこに置くべきかといえば、理想世界に置くのではなく、理想の人に置かなければならないのです。ですから世界を愛そうとするならば、人を愛さなければならないのです。どのように愛するかというと、男性(夫)が女性(妻)を愛するように、女性(妻)が男性(夫)を愛するように、愛さなければならないのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-929)

            

 神様の息子になろうとすれば、神様の心情に似なければなりません。神の心情は、世界に植えられています。
 ですから、世界の人を愛さなければなりません。距離が離れている関係で愛せないというならば、その国を愛し、氏族を愛し、家庭を愛し、父母を愛さなければなりません。なぜなら、父母は神様、夫婦はアダムとエバ、子女は世界の人類を代表した立場にあるからです。(24-308,1969.9.7)

            

 理想世界とは、どのようなものでしょうか。理想的となるには、単色よりも色とりどりなのが理想的です。そのような意味から考えると、五色の人種が一つとなって暮らすのが理想的でしょうか、五色の人種が別々に暮らすのが理想的でしょうか。みな一緒に1箇所で交わって暮らすのが理想的です。
 ですから、そうなっていないとすれば、直さなければなりません。レバレンド・ムーンが現れてそれを直すのを、神様は嫌がるでしょうか、喜ぶでしょうか。神様は、そのような人を後援しようとするのです。ですから皆さんは、神様のような心をもって、その父母の伝統を継承して人類を愛する天の家庭的なこの心情の絆を、いかにして拡大するかということに力を注がなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-928)

 

 この中で、年を取ったおばあさん、おじいさんが好きだという人は手を挙げてみてください。それでは、好きではないという人、手を挙げてみてください。手を挙げない人が多いです。皆さんに500歳になるおばあさん、おじいさんを任せたとすればどうしますか。それでもよいですか。年が多ければ多いほど好きだという人は、神様のことが好きな人、ということになるのです。
 なぜかというと、この世界で最も年を取ったおじいさんが、神様だからです。ですから神様を愛する人であるならば、その中にいる年を取っていないおじいさん、おじさん、息子を問わず、みな愛さなければなりません。
 すなわち、神様の家庭を愛さなければなりません。神様の家庭には、日本人でも韓国人でもアメリカ人でも、どの国の人でもみな入っているのです。人種差別をする人は、神様の家庭を愛していない人だということになるのです。その差別がなくなってこそ、理想世界なのではないでしょうか。
 もし父母の愛を受けている子女が、外でお父さん、お母さんのような人に出会ったならば、その人にとても親近感を感じ、話をして、助けになりたいと思うことでしょう。
 また、兄弟姉妹の間で美しい絆をもった人が社会に出れば、周りの人とより親密な関係を保ち、うまく交わることでしょう。自分の兄弟姉妹と仲の良い人が外に出て異性と交際するときも、ごく自然に交際することでしょう。肉欲的、あるいは不健全な感情をもつことなく、兄弟姉妹のような感情をもつようになります。地上天国とは、神様を中心として、そのような関係を経験できる家庭をいうのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-927)

            

 健全な家庭生活とは、祖父母、父母、子女が共に生活することです。もし、一つの世代が欠けているとすれば、その家庭は、体の不自由な人間のようなものです。そこで理想家庭を成すならば、その家庭は、地上天国を築く煉瓦として奉仕しなければなりません。
 私たちは、その理想家庭を地上に築くべき使命をもっています。祖父母の深い愛を享有する子女が社会に出れば、例えばその人がニューヨークの街に行けば、お年寄りにとても親近感をもつのであり、お年寄りはその人に対し、自分の孫のごとくに接することでしょう。とにかく、お互いに話をしたいと思うし、親近感を感じることでしょう。家庭で祖父母に仕えたことのある若者は、助けが必要なお年寄りを見ると、走っていってでも助けてあげることでしょう。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-927)

            

 父母、夫婦、子女で形成された家庭は、世界の縮小体です。家庭的愛を拡大してすべての人を愛するのが、人類の生きていくべき道であることを知らなければなりません。
 年を取った人は自分のおじいさん、おばあさんのように、中年の人は自分のお父さん、お母さんのように、自分より少し年上のような人はお兄さん、お姉さんのように、年下に見える人は弟妹のように思って愛さなければなりません。
 ですから真の人というのは、自分の父母と年の似通った人は親のように思い、お兄さんと年の近い人はお兄さんのように思い、お姉さんと年の近い人はお姉さんのように思うというように、すべて自分の家族のように思い、すべての世界的な障壁と境界線を超越して人類を愛し得る心情をもった人のことです。そうしてこそ、本当の意味で父親、母親を愛し得る資格をもつことになるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-926)

            

 皆さんはどこへ行っても、すべての人を他人ではないと思わなければなりません。皆さんの家族だと思わなければなりません。お年寄りを見れば自分の親のように思い、その人に悲しいことがあれば、その人を抱いて痛哭し得る心を常にもたなければなりません。(16-314,1966.7.31)

            

 真なる家庭は、自分の母のように妻を愛して「ため」に生きながら、自分の父のように夫のために生きて愛しながら、兄と妹のように互いを愛する所です。その次には、神様のように自分の妻を愛し、神様のように自分の夫を愛し、尊敬する世界が、理想世界が生きる天国です。このような伝統が、この地球上に立てられなければなりません。
 自分の妹やお兄さんを捨てることはできません。自分の母親も捨てることはできません。誰も捨てることはできません。ですから、離婚ということはあり得ません。夫は父親に代わり、兄に代わるものなので、父親を捨てることはできず、兄を捨てることはできないので、妻も夫を捨てることはできません。そのような愛を抱いて、世界を愛さなければなりません。父親と同じような年の人を見れば、父親のごとくに愛し、母親と同じような年の人は、母親のごとくに愛さなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-926)

            

 皆さん、家庭がなぜ良いのでしょうか。それは、父母の愛を中心として自由な活動の基地となるからです。同じように、神様が自由に活動できなければなりません。いくら、見た目にはみすぼらしくても、輝く愛の核をもつ、そのような内的な人間から成る社会となったならば、神様は自由なのです。皆さん、そうではありませんか。人の家に客として行けば、何か不自然です。なぜでしょうか。それは愛の因縁がないからです。愛の因縁に四方性が備わっていないので、ぎこちないのです。ですから私たちの行くべき道は、人格の道です。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-925)

            

 統一教会では、天国は氏族圏の中からできると見るのです。おじいさんを中心として父母と兄弟が一つとなり、いとことその子供まで一つに結ばれれば、完全な3代ができます。このような氏族圏の愛が地に立てられ、神様と一つとなったならば、世界はすべて神様と一致する愛の世界となり、天国となるのです。女性が嫁に行っても同じです。婚家のおばあさんとおじいさんは、神様に代わる位置にあり、夫に代わる位置にあるので、愛をもって仕えなければなりません。
 また、夫の兄弟姉妹とも、愛によってむつまじく暮らさなければなりません。そのような愛の関係が社会に拡大し、民族と国家、世界に拡大するならば、この世界は、罪悪と戦争に代わって、平和と愛に満ちるようになります。そうなれば、その世界こそが神様の理想が実現した一つの天国であり、理想世界なのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-947)

            

 この宇宙の中心は、どこにあるのでしょうか。家庭にあります。真の愛が定着し得る基地とは、どこでしょうか。皆さんの生きている、皆さんの家庭だというのです。それゆえ、本来の家庭は宇宙愛を掌握し、宇宙の保護様相を体得しながら宇宙愛圏を拡大して、家庭を越えて国家を愛する愛国の道を行くべきであり、さらに民族と国家を越えて世界を愛する道を行かなければなりません。
 家庭を愛する人を「孝子」あるいは「烈女」と言い、国を愛する人を「愛国者」と言うならば、世界を愛する人を何と言うのでしょうか。そのような人のことを「聖人」と言うのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-925)

            

 神様は、家庭の中心となるお方であり、この世界は、神様の国とならなければなりません。祝福家庭は、神の国を連結し得る家庭となるように努力する生活をしなければなりません。神様に代わって「ため」に生きる生活をするところから氏族が生まれ、民族が生まれ、国家が形成され、世界が形成されます。ですから家庭は、神様を中心とした世界を形成する責任を果たさなければなりません。
 先生を中心とした統一教会は、一つの氏族のようなものであり、一つの民族のようなものです。五色の人種が合わさって単一民族を形成し、誰よりも世界のために生きる国家を形成するのが、統一教会の目的です。それが先生の目的であり、神様が先生を通して果たそうとされる目的です。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-947)

 

 家庭というのは、人類愛を教育する代表的な修練所です。心情の中心を立てる、代表的な広場です。そこで互いに信頼し、幸福な生活を営むならば、全宇宙の中心として立ち、幸福を享受するようになるのです。それが理想圏の始まりです。愛なしには、存在する意味は何もありません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-925)

            

 家庭は、天国を成すための教材としてつくられたものです。おじいさんのような年格好の人を自分のおじいさんのように愛するならば、その人は天国へ行くようになっています。自分の親と同年輩の人を、自分の親のように愛するならば、万国共同で、霊界でも境界線が生じません。
 息子、娘と同じような年のアメリカの若者を、自分の息子、娘だと思える心さえもっていれば、天国のどこへでも行くことができます。天国には12の門があり、方向があるのですが、どこへでも通じるのです。家庭というのは、天国全体に因縁を結ばせる教材です。すなわちテキストブックだということです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-924)

 

 家庭において父母は、縦的な軸を完全に継承し、そこに合わせなければなりません。次に夫婦は、軸に対して横的に90度の角度に合わせなければなりません。その基準は、国家においても同じです。愛の軸の位置は一つしかありません。
 それゆえ、その軸を中心として、家庭は小さいのですが、氏族、民族、国家、世界へとだんだん大きくなります。愛の軸を中心として拡大するようになっています。拡大、縮小の因縁関係をすべて四方に拡大するところから理想圏が生じるのです。ですから今、世界を一つにするために私のしていることは、軸を正すことです。
 ですから方向を設定するためには、思想的王子の立場を占領しなければなりません。占領するにおいて、強制ではなく、愛で消化しなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-924)

            

 皆さんの家庭は、天国の主権を代表(身代わり)した立場にあることを知らなければなりません。父母は主権を代表し、子女は国民を代表し、物質はその国の地を代表したものなので、父母に孝行することが、国に忠誠を尽くすことであり、父母に孝行することが、聖人の道理を果たす道に通じるのです。今、家庭がありとあらゆる醜態の起源となっていますが、神様は家庭が聖なる基台となることを願っていらっしゃいます。
 それゆえ、堕落圏内にある腐敗した家庭を収拾すべき使命が、私たちにあるのです。この地の家庭は破損していますが、その家庭を否定し得ない立場にあることを知らなければなりません。(35-306,1970.10.30)

(2022.5.12:写経奉献)


3)真の家庭の理想と価値

 ①真の父母、真の夫婦、真の人

 

 神様は人間にとって、真の愛をもった縦的な父母です。その縦的な垂直関係というものは、一つしかありません。絶対的です。二つとあり得ません。その縦的父母だけをそのまま置いたのでは倒れてしまいます。ですから横的父母を探し立てて連結しなければなりません。それを詳しく説明するならば、創造主は真の愛の縦的父母であり、創造されたアダムとエバは、子の立場でありながら神様の体である横的な父母の立場に立ちます。それらが内外一つとなることによって、内外の共鳴体となって授受作用をすれば、中心が生じると同時に、その内外の共鳴圏の中心が植えつけられるのです。それが、皆さんの生まれた生命の根源です。(183-40,1988.10.29)

            

 縦的な父として一つとなった中に、横的な父が必要です。なぜでしょうか。球形を成さなければならないからです。球形を成そうとするときに、そのままで球形になることはありません。必ず垂直を中心として、また横的なものを中心として、前後、左右が連結されて初めて球形ができるのです。球形を成し、勝手には動き回らなくなるのです。
 宇宙は軸を中心として、この宇宙の大軸の前に相対として編成された立場で、軸を中心として回るのです。それゆえ、同位圏に立っているのです。そして、この宇宙の神の創造的真の愛というのは、一つです。軸は、一つです。二つではありません。(182-143,1988.10.16)

            

 既成の神学では、創造主は聖なるものであり、被造物は俗なるものとされています。被造物を罪人扱いしたのです。しかし、それは間違って理解しているというのです。神様がなぜ創造をしたかというと、愛のゆえです。
 神様が縦的な愛の主人であるとすれば、縦的な神様の愛をもったそのお方が子女を生んだとすれば、長い1本の筋にしかならないのです。それをいかにして横的に展開するのでしょうか。それゆえ、子を生むのは神様がするのではないのです。真の父母を通して生むのです。横的な真の愛の父母の位置に立ったお方が誰かというと、真の父母です。神様の縦的な愛を中心とした真の父母の前に、90度の角度にある横的な愛をもったお方が真の父母なのです。
 それゆえ、二つの父母の愛が必要なのです。一つは創造主としての父母であり、一つは被造物としての、神様がその対象として理想を描きながらお造りになった体的な父母です。それゆえ、神様は心的な父母の立場にあり、真の父母は体的な父母の立場にあります。このように、縦的な愛と横的な愛を中心として生まれるべきだったのが人間です。(182-258,1988.10.23)

            

 なぜ子女を生まなければならないのでしょうか。神様がアダムとエバを喜びをもって創造した、その内容を体恤させるためなのです。それゆえ、息子、娘を生んだことのない人は、父母というのが分からず、夫のことが分からず、妻のことが分からないということになるのです。過去と現在において愛したけれども、未来を開くことができないのです。おじいさん、おばあさんは過去の時代を代表し、お母さん、お父さんは現在の時代を代表し、息子、娘は未来の時代を代表するのですが、この三つが一つとなれる所が家庭だということです。(216-192,1991.3.31)

            

 エバは神様の外的新婦です。それでは、神はなぜ、アダムとエバを創造したのでしょうか。それは、繁殖のために創造したのです。子孫を殖やすために創造したのです。子孫を繁殖してどうするというのでしょうか。それは、天国の国民を莫大な人数に増やすためなのです。霊界に行っても繁殖が可能でしょうか。絶対に不可能です。なぜならば、神様の愛は垂直的なので、たった一点しかありません。神様の愛は、一点に立つ垂直的な道を降りてくるのですが、垂直には繁殖の道がありません。
 それでは、なぜ繁殖の横的な基準であり、愛の基台であるアダムとエバを創造したのでしょうか。それは水平なので、東西に回るようになるからです。180度の平面圏は、無限に存在するのです。ですから繁殖は、すべての方面で可能なのです。膨大な平面圏において繁殖させた者たちを霊界に連れていって、天国の国民にするのです。永遠な国民をつくるために繁殖が必要なのです。しかし、その生産地は地上です。男性、女性の体を借りてできるのであり、霊界では子女を生むことはできません。(213-265,1991.1.21)

            

 天国の民は、霊界で生まれるのではありません。神様は何ゆえに実体を創造したのでしょうか。天国の民を繁殖させるためなのです。実体でなければ繁殖できません。縦的な愛には一点しかありません。横的な基準を中心として回ることによって360度の球形体が生じるのです。その球形体には、定着し得る空間がいくらでもあります。ですからその息子、娘が地上に生まれるようになっているのです。その息子、娘がたくさん生まれるということは、不幸なことではありません。
 地上で多くの息子、娘を生むということは、天上世界における天国の民をたくさん繁殖するということになります。神様が願うのは、限りない世界です。広大な世界に空いた所があってはなりません。それを、すべて埋められる民が必要なのです。(218-130,1991.7.14)

            

 原点は何でしょうか。真の父母権、真の王権、真の長子権です。それが、アダムとエバが出発すべき原点だったのです。それが、神様の本宮です。そこに神様の王宮があるのです。神様の王宮がそこにあり、神様の愛がそこにあります。人間と創造主、被造物と創造主が一つに結ばれて、真の愛の基盤となるのです。その出発点が神様のセンターです。それが、完成した本然のアダムの家庭基盤であり、神様が永遠に臨在できる王宮です。(218-189,1991.7.28)

            

 私たち人間が寝て、朝、目覚めたときに願うこととは何でしょうか。朝、起きて朝食を取るのが問題ではなく、出掛けていって働くのが問題ではなく、世界のことを心配するのが問題ではありません。夜も昼も、春夏秋冬、変わることなく、一生変わることなく愛の心をもつことを願うのです。そのような男性、そのような女性が完全に水平線を成して、縦的な神様に完全に90度の角度で連結され、人情と天情が合わさり得る、そのような立場における愛、そこに結合し得る愛の理想の境地、そのために神様は、天地を創造されたのです。(213-157,1991.1.20)

            

 私が生まれる時に、何を動員して生まれたのでしょうか。本来、創造理想である神様の愛を中心として愛を通して造られた実体である、母親と父親の生命が激動して、完全に100パーセント沸き立ち、一つになって生まれました。これを煮え立たせたのは何でしょうか。愛を通して男性と女性が完全に和合するのです。細胞が完全に沸き立って、その父母の愛を根拠とした生命と血統、血を受け継いで私が生まれたのです。それゆえ、私という存在は何かというと、父母の愛の結実です。私は両親の愛の結実だということです。(213-157,1991.1.20)

            

 神様の創造原則において、女性が生まれたのは男性のためであり、男性は女性のために生まれたという根本を知らなければなりません。互いのために生まれたのですから、その中心は何かというと相手です。自分ではありません。男性にとっては女性が中心であり、女性には男性が中心なのです。自分によって生まれたのではありません。自分から出発したのではありません。
 なぜ神様が創造したかというときに、「愛のゆえに創造した」と聞いたならば、宇宙がどれほど平和になり、どれほど近く感じられることでしょうか。つまり、神様の絶対的愛をもっているのですから、その相対は、永生するのです。それが最も貴いことなのです。(215-300,1991.2.21)

            

 神様が天地を創造したように万物が結婚するならば、どれほど美しいことでしょうか。万物も、自分のように愛を通して生きているということを見るときに、神様が創造のあらゆる根源的な感覚を再現し、すべての万物と共に、その相対と共に統一的感情を感じられるもの、それが愛なのです。
 神様が創造するときの根源的なものを感じるのです。天地の万物を造るときに神様が感じたすべての理想型を、私は何もかも受け継いだ被造物だというのです。真の愛をもって引きつければ、天地がすべて引かれてくるのです。いくら遠いものでも真の愛が引けば引かれてくるし、いくら近い所にあったものでも、遠くに見えるようにしようとすれば、真の愛によって遠くに行かせられるのです。(216-192,1991.3.31)

            

 絶対的な神様の一つの文化世界において生まれる息子、娘は、王子であり、王女です。神様の王宮における王子と王女は、人間です。そこは、創造主、神様を中心とした王宮です。王の中の王である創造主を中心とした皇族が、私たちなのです。(218-198,1991.7.28)

            

 男女の生殖器官は、創造主から受け継ぎ、先祖から受け継いだ、変わらずにそっくりそのまま連結された礼物です。神様も侵犯なさらない貴い礼物です。先代も背くことのできない貴い礼物です。これを侵犯する者は、天理の大道の中心である愛の本宮を破綻させる悪魔の血肉です。純粋な、本質としての永遠の真の愛を中心とした、その基台の上に生まれたのが、生命の本宮です。また、新しい血統の本源の地です。生殖器は何ゆえに生じたのですか。天地の大道のために、天地の大摂理的経綸のために、私に与えられたものです。(193-147,1989.10.3)

            

 神様が創造するときに、生殖器を表象して男性と女性を造り始めました。それゆえ生殖器を動かすところには、人間全体の構成要素がすべてついているのです。ですから男性と女性が愛して、その二人が一つとなって子を生むのです。一つとなって生むということはどういうことですか。何に似るのでしょうか。神経系統がすべてついているので、従ってくるのです。根がないのに枝が出てくるでしょうか。それを否定することはできません。
 それゆえ愛が激動するときには、体と心が一つとなるのが原則です。これは理論的です。では、愛を代々に連結できるところ、その生命を代々に連結できるところ、自分の血統を自分の子に代々連結できる、その器官とは何でしょうか。それは男性、女性の生殖器官です。
 それでは、愛が貴いか、生命が貴いか、それが問題となります。このごろ、心が先だとか、体が先だとか、唯物理論の哲学思潮が入って世界で問題になっているように、愛が先か、生命が先か、これが問題です。どちらが先でしょうか。先か後かを明らかにしなければなりません。愛が先です。
 神様が創造理想を立てるとき、神様を中心として立てたのではありません。愛を中心として立てたがゆえに、相対世界の創造を始めたのです。これは理論にかなっています。(193-145,1989.10.3)

            

 男性と女性はどこから来たのでしょうか。創造主がいるとするならば、創造主から始まったことでしょう。そうだとすれば、その創造主が男性と女性を造った目的は何でしょうか。何ゆえに造ったのでしょうか。なぜ造ったのでしょうか。愛のゆえに造ったのです。どんな愛でしょうか。真なる愛です。真なる愛とはいったい何でしょうか。真の愛とは、永遠で、変わらない愛のことをいいます。たとえ時代が変遷し、いくら環境が変わっても、その愛は変わらないのです。
 その本質において唯一で永遠、不変性をもった真の愛の理想を果たすために、男性と女性を造ったのです。それは人間を中心として創造したのではありません。根となる神様を中心として創造が始まったのです。それゆえ、この被造世界は、すべて愛ゆえに生じたと考えられるのです。(213-156,1991.1.20)

 

 真の愛によって成熟した真の家庭は、神様の愛の巣です。(173-166,1988.2.14)

            

 神様の恨とは何かというと、子女を教育できなかったことであり、兄弟を教育できなかったことであり、夫婦を教育できなかったことであり、父母となるための教育ができなかったことです。(228-34,1992.3.1)

 

 ②真の家庭の理想と価値

 

 四大心情圏と三大王権を復帰して、皇族の愛をもっていくべき祖国が天国です。死んでみれば分かります。いくら偉い人でも、みなそこに引っ掛かります。その時になって、「文総裁の言うことを聞けばよかった!」と後悔するのではなく、早く決めて祝福を受ければよいのです。それが最も早い解決方法です。(239-76,1992.11.23)

            

 四大心情圏と三大王権をサタンが蹂躙したのです。天の国を破壊し、未来世界を破壊して、三世界の王権を破壊しました。それゆえ、私たちが天国に行くには、四大心情圏の完成実体となり三大王権をもった愛の王子、王女の基準で、皇族の愛を受ける人とならなければなりません。そのような人が天国に行くことは元亨利貞(注:事物の根本となる道理)です。(239-74,1992.11.23)

            

 堕落によってこれを一遍に失ったので、その本体に会えば、娘の心情を感じ、妹の心情を感じるのです。そのように新婦の心情を感じ、母の心情を感じ、新しい息子、娘の心情までも感じるようになるのです。ですから先生を見ると、自分の子女にしたいという思いになるのです。そのような心情圏を回復することにより、善悪を判断し、天の側に帰ることにより、すべてが解怨成就するのです。心がそのように作用するのです。それは、どうすることもできません。
 皆さんは、愛の家庭をもたなければなりません。神様の愛の圏で完全に統一された王族、天国の王子、王女の王族圏を中心として、愛の体験をした皇族の行く所が天国であることを知るべきです。アーメン。皆さんが生きている間、この原則を中心として合わせなければなりません。あの世へ行っても、これに合わせるために身もだえしなければならないのです。ですから私は一生の間、他のことを考えたことがありません。(238-262,1992.11.22)

 

 皆さんは家に帰り、おじいさん、おばあさんを神様のように思って侍らなければなりません。お母さん、お父さんを家庭の中心である王のように、王妃のように侍らなければなりません。そのお父さん、お母さんの息子、娘として、私は王子、王女の道理を受け継いで育ち、未来の王権を伝授されて世界を導いていくべき王子、王女なのです。
 今後、統一教会員は、そのような考えを中心として、そのような愛の秩序に拍子を合わせていかなければならないのです。そのような家庭の父母となり、そのような家庭のおばあさんとなり、そのような家庭のおじいさん、そのような家庭の息子となるときには、そのまま天国へ行くのです。そのような天国の皇族の愛を体験した人の行く所が、天国なのです。(221-309,1991.10.26)

            

 私たち統一教会の信徒同士は、自分の兄弟よりも近いのです。そのように今後、世界は、前後の世界が一つとなり、その次には夫婦が一つとなり、左右の世界が一つとならなければなりません。上下、前後、左右が一つとならなければなりません。上下は子としての道理、前後は兄弟としての道理、左右は夫婦としての道理、そのようにして完成すれば、霊界の神様の位置に上がって神様化するのです。
 神様へと帰っていくのは、真の愛だけにできることだ、ということを知らなければなりません。他のものではできません。真の家庭とは、このような公式的基準で訓練された、完成したアダム家庭を拡大したものなので、この世界を拡大すれば、東西が一つとなり、男性と女性が一つとなるのと同じことです。男性を中心として、主体を中心として相対が一つとなり、前後が一つとなり、上下が一つとならなければならないのです。そうなることによって、一つの世界が、間違いなく原理的な内容を中心として、真の愛によってすべてのものが完成し、完結するでしょう! アーメン!(222-321,1991.11.6)

            

 今日の人生の行路は、旅人の航路なのですが、そこで備えるべきものとは何でしょうか。愛を体恤していかなければならないのです。父母の愛をよく受けられなかったことが堕落なので、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の息子、娘の愛を中心として、縦的な家庭を築き、横的な環境を、東西南北にたくさんの家庭を広めなければなりません。そして、それらが縦横を連結できる真の家庭の形態を成して、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏へと連結するとき、愛で結ばれたその世界のことを、すなわち天国というのです。(139-212,1986.1.31)

            

 子女の愛、兄弟の愛、父母の愛を拡大しなければならないのです。拡大してそれが公式化され、広がることによって、縦的な国と、横的な国を受け継いだ天地の完成的家庭となるのです。神様の内的な心情と、アダムとエバの外的な実体のすべてを体験し得る家庭的な生活をした人が、天国の皇族圏に属するのです。簡単なことです。先生の言うことに間違いはありません。(240-17,1992.12.11)

            

 真の父母の愛、真の師の愛、真の主人の愛です。この三大主体思想の中心の位置は、一つです。真の家庭の父母を中心として一つです。先生も、夜になれば家に帰ります。大統領でも、夜になれば家に帰らなければなりません。それゆえ、父母の愛を中心として父母の代わりに教育するところが学校であり、父母の代わりに父母の愛で国を治める者が大統領なのです。(213-124,1991.1.16)

            

 真の愛とは、どのようなものでしょうか。自分の理想を投入して忘れるのが、真の愛です。愛国とは何でしょうか。自分の命を投入して忘れることです。真の夫とは、自分の妻のために自分の命を投入し、また投入しても、永遠に投入しようという人です。そのような立場に立つのが真の夫の行く道であり、真の妻の行く道であり、真の息子の行く道であり、真の兄弟の行く道であり、真の父母の行く道であり、真の家庭の行く道なのです。おじいさんがそうであり、おばあさんがそうであり、お母さん、お父さんがそうであり、自分の夫、妻がそうであり、息子、娘がそうであるという家庭は、神様に「来ないで下さい」と言っても、自動的に来ていらっしゃるのです。なぜでしょうか。神様に似ているからです。(240-17,1992.12.11)

            

 お金がたくさん必要なのではありません。お金というものは流れていってしまうものです。知識というものも流れていってしまいます。すべては流れていってしまいます。しかし、真の愛を中心とした真の家庭の伝統だけは、霊界にまで永遠に残るのです。それが最も貴いものなのです。(215-160,1991.2.17)

            

 アダムとエバが、息子から兄弟、夫婦、父母にまでなったとすれば、アダムの息子、娘たちもそうなったことでしょう。しかし、アダムの息子、娘は、神様の愛の圏内にまで至ることができませんでした。堕落していないアダムの息子、娘となったならば、すべてが横的に結ばれる地上天国ができたのですが、縦横が連結されなかったので、天国はできなかったのです。ですから、二つの国を受け継がなければならないのです。息子、娘は、二つの国を受け継がなければなりません。
 天の国と地上の国、縦的な国と横的な国、縦的な父母と横的な父母の血統を受け継いだので、縦的な父母の内的なものすべてと、横的な父母の内外のすべてを伝授されるのが息子、娘なのです。皇族というのは、二つの国を受け継いだ生活を実際にするのです。皇族になれば、二つの国でいつでも受け入れられる、そのような完成的な基盤の上に立つのです。(240-17,1992.12.11)

            

 父母の愛は、全世界の男性圏、女性圏を代表した花であると同時に、香りとなり、実の基準となるものです。代表なのです。母親と父親は、人類の女性と男性を代表した存在なのです。では、自分の息子、娘は何でしょうか。後代に数千万の人類が生じ得る、そのような子孫の代表者なのです。
 ですからこの三者が一度に神様の愛と化して、下の者が上の者のために、上の者が下の者のために生きる愛になるのです。自分のためというのではありません。神様の創造本性とは、「ため」に生きるということです。(214-270,1991.2.3)

            

 おじいさん、おばあさんは神様の代わりとなり、母親、父親は世界の大統領の代わりとなり、その息子、娘は、天国の王の息子、娘のように王子、王女として生きるのが家庭の理想であり、創造主であられる神様の愛の本来的な家庭です。家庭は天国の王宮であり、その構成員は天国の王族を代表するものです。おじいさんは神様から見れば、王子、王女の代表です。
 皆さんの両親は、すべての国家、世界の王子、王女の代表です。そうではないでしょうか。誰もがそのような欲心をもっていますね。同じなのです。子供は、未来の全宇宙の王子、王女の代表です。これほど価値ある場の中心が、私たちの家庭です。本当に誇るべきことです。そのような素晴らしい理論の基盤の上に私たちが立っているというのは、本当に貴いことなのです。
 「私は神様を誇ります」と、皆さんがそう言えば、もちろん神様も同じです。「私は中心家庭として、理想的夫婦の代表的な家庭であることを自負しています」と言うことができれば、すべてが、未来のすべての万物までもが歓迎するのです。そのような価値ある家庭、歴史的家庭の背後を知っていますか。それは神様の創造された理想家庭の組織です。皆さんが、その立場に出なければならないのです。神様は、おじいさんの立場です。その立場に立てば、誰もがその前で敬拝するのです。(216-299,1991.4.14)

            

 おじいさんを愛し、おじいさんを尊敬するということは、過去をすべて受け継いで、過去の世を学ぶことです。父親からは現在を学ぶのであり、子女を愛するということ、子女を大切に思うことは、未来を学んでいくことです。おばあさん、おじいさんを通して、お母さん、お父さんを通して何を受け継ぐのか、どんな血統を受け継ぐのかというと、真の愛です。真の愛を受け継ぐのです。
 おじいさん、おばあさんが年を取っていても、二人が真の愛で一つとなっていて、お母さん、お父さんが一つとなっているので、私たちもそのようになり、未来を受け継ごうというのです。未来を受け継ぐためには、絶対に真の家庭とならなければなりません。そうならなければ未来を受け継ぐことができない、ということを知らなければなりません。
 家庭の中にこの三者がいるならば、それは宇宙があるようなものです。宇宙の愛は、神様からの歴史全体、現在と未来を代表した真の家庭にあるのです。真の家庭でおばあさんを愛し、お母さんを愛し、お姉さんを愛するのです。動物の世界を見ても、雌を愛し、雄を愛するというように、すべてがそうなっているのです。
 それはなぜかというと、宇宙の愛を学ぶ教科書だからです。おばあさんがいなければ不安定なのです。おじいさんがいなくても不安定で、誰かほかの方がいなくても同じです。そのようになってこそ、そのまま天国に移っていくのです。祖父母、母、父、子女がそのまま天国へ行くのです。
 真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国へ行くのです。その模型の教科書が家庭です。そう考え、神様を考えると、永遠の未来になるのです。神様を愛しながら「私の愛は未来のために行く」というとき、永遠の未来となるのです。(162-140,1987.4.5)

 

4)天国は家庭単位で行く所

 

 家庭は国の中にあり、国は世界、世界は宇宙の中にあるので、家庭や世界を捨てたとしても、神様のために愛したとすれば、すべてを愛したという位置に立つのです。
 ですから統一教会の皆さんは、世界のために生き、神様のために生きるべきなのです。皆さんが先生のことを好きだというくらい、世界を愛し、人類を愛したとすれば、天国へ行くことができるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-954)

            

 父なる神様というように、神様は親です。本来、堕落しなかったならば、アダムとエバが父母であると同時に、国の王となるのです。天国の王になるのです。宇宙の王になるのです。ですから愛する孝子は、天国へ行けるというのです。愛する忠臣と孝子は、天国へ行けるということです。
 夫を神様のように、主のように、王のように思って仕え、真の愛をもって生きる人は、天国へ行けるのです。父母を愛し、その国と世界を愛することなくしては天国へ行くことができないという論理が、そこで成り立つのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-954)

            

 人間の堕落とは何でしょうか。堕落した子女とは何でしょうか。彼らは、神様が自分の父であると切に感じることができません。彼らは心の中に、神様という概念をもっていないのです。皆さんは、次のようなことを体験し、悟らなければなりません。即ち、「私は、新生して新しい生命を得て、真の父母によって新たな生活を営んでいる神様の息子、娘である」という事実を実感しなければなりません。
 第2には、「私は、神様の国に住む資格をもった市民である」ということを実感しなければなりません。第3には、皆さんが国と世界を見るときに、神様の愛を感じなければならず、「神様がこの世界を遺産として下さったので、神様の子女としてこの世を所有する権利がある」と思わなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-953)

            

 私一人では、天国に行けません。そのような意味で、一人の男性は一人の女性と一つにならなければなりません。また、そのような過程を経るためには、一人は必ずカインと一つにならなければなりません。相対的環境を必要としているのです。父母を迎える前に、もしくは夫婦を迎える前に、兄弟の間で一つの相対的基準をもっていなければ(天国へ)行くことができないというのが、「統一思想」なのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-953)

            

 皆さんが知らなければならないことは、地上で天国の愛を体験できなかったならば、天上に行くことができないということです。
 カイン的な人を本当に愛したことがありますか。天国へ行くにはサタン世界における父母の愛、夫婦の愛以上の愛で愛さなければなりません。もし、堕落世界で父母が子女のために命まで捧げたとすれば、私たちはそれを超越した愛で愛さなければならないのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-953)

            

 皆さんの心の中に、皆さんの生活の中に神様の愛があふれて、ぽたぽたと滴るようでなければなりません。愛がぽたぽたと滴れば、希望がありますが、愛が乾いているとするならば、皆さんとその家庭は、滅びるしかないということを知らなければなりません。愛の乾いた人は、愛の国の国籍から除名されるという事実を知らなければなりません。愛の伝統の世界から除外されるしかない運命になる、ということをはっきりと知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-952)

            

 皆さんは、夫婦の愛と父母の愛を尊重できてこそ、天国へ行くことのできる資格者となるのです。自分たち夫婦が愛し合う以上に、両親を愛し、自分の両親を愛する以上に、おばあさん、おじいさんを愛さなければなりません。それが天国の核心であり、理想的モットーとなるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-952)

            

 天国に行く人とは、どのような人でしょうか。神様よりも自分の息子をより愛する人は、天国に行けないのであり、神様よりも妻や自分自身を愛するようでは天国に行けないのです。(35-305,1970.10.30)

            

 「私は劉孝元です。地上では先生の一番弟子として長い間、協会長を務め、み言を受けて『原理講論』を執筆し、世界的経典とならしめたので、霊界では最も高い地位を占めるだろうと思っていました。ところが、先生が霊界の三位基台を編成なさったのですが、李起錫、劉孝元、朴鍾九の順でした。私は失望して、不平を言いました。先生は、『ここは愛の世界であり、知性を競うのではなく、愛を競うところである。李起錫のほうが愛をより多く所有していたのだ。だから李起錫が三位基台の一番上の兄になったのだ』と説明してくださったので理解できました。私は、いまだ天国へ行くことができずにいます。今、行く途中です。これまでは知性的な面に傾いてやってきましたが、地上にいる妻と共に、懸命に心情的に働こうと思います。
 現在、天国には興進様がいらっしゃいます。興進様も祝福を受ける前は、天国にお入りになることができなかったのですが、四位基台を立てて天国へ行かれました。霊界は、愛の世界です」(祝福家庭と理想天国Ⅰ-952)

            

 天国には、独り者は決して行くことができません。独身者にとって天国は絶望の山河です。寂寞の山河には希望がありますが、絶望の山河というのは希望すらない状態ではないですか。(注:韓国語では「絶望」と「寂寞」の発音が似ている)(祝福家庭と理想天国Ⅰ-951)

            

 皆さんは、天国とはどのような所だと思いますか。天国は、一言でいうと、完成した人が行って暮らす所だということができます。
 天国は真なる愛をもった完成した人の行く所だとすれば、その真の愛をもった人というのは、どのような人なのでしょうか。人間には男性と女性がいます。神様の理想的愛が地上でどのようにして完成するかということを考えると、男性と女性を離れては完成されないという結論に至ります。完成した愛の主体性をもった男性と女性でなければ、神様の愛は完成されないのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-951)

            

 天国復帰は誰がするのでしょうか。み旨のためならば十字架の道も感謝することができ、絶対夫婦、絶対信仰、絶対実践、絶対心情を主張する夫婦から、初めて天国の門が開かれるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-951)

            

 「天命を受け、この怨讐の世界において手本となるような家庭になってほしい」というのがお父様の願いであることを思えば、天国に行くためには、家庭を通さずしては行けないということを知らなければなりません。(29-9,1970.2.15)

            

 天国へは一人では行くことができません。祝福は、天国の門をさっと越えるということなのです。天国は、家庭的に行くところです。3代の因縁をもって行くところです。ヤコブの70人の家族も、3代が合わさったものです。そのようにしてエジプトに行ったのです。(12-266,1963.5.25)

            

 本来、創造原則による天国とは、家庭を中心として行く所です。父母が行って、子供が行って、自分の家門全体が行ってこそ幸福なのであり、父母は地獄へ行き、子供だけが天国へ行ったとするならば、どうして「天国だ」と言えるでしょうか。ですから、統一教会が今後、天国へ行ける道を築くにおいて、家庭的な基準を立てなければなりません。そうしなければ天国へ行けません。家庭を中心としてサタンが讒訴し得る基準を脱しなければなりません。歴史的な讒訴基準、時代的な讒訴基準から脱しなければなりません。(21-63,1968.9.1)

            

 一人では天国に行けません。一人では絶対に天国へ行けません。アダムとエバが二人で堕落して地獄の門を開いたので、一人では天国へ行くことはできないのです。ですから、イエス様も天国に行けず、楽園にいるのです。
 イエス様も、新婦を迎えて初めて天国へ行くようになっているのです。今日のキリスト教信徒は、このようなことを知りもせずに、みな「イエス様についていく」と言います。そうなれば、彼らは行って、再び戻ってこなければなりません。家庭を築き、家庭的な復帰の基準を立てなければ、天国へ行けないのです。ですから、統一教会で祝福をしてあげるのです。(23-315,1969.6.8)

            

 女性が先に罪を犯したので、女性神である聖霊が来て母の実体として現れ、罪を洗い清め、世の中を清めたならば、イエス様は、新郎として新しい種をもって再臨しなければなりません。再び充電して、新たな天地の真の父母の血族として、神様を中心とした新しい世界をつくろうというのが神様の目的です。そのような世界ができてこそ、神様の計画がみ意のままに成されたといえるのです。目的もなく6000年の間、摂理してこられた神様だとすれば、そのような神様は信じる必要すらないのです。(21-199,1968.11.20)

            

 天国とはどのような所でしょうか。男女が共に家庭を築いていく所です。ところが、イエス様は、この地に来られて新婦を取り戻すことができず、息子、娘をもてずに亡くなられたので、今まで楽園で2000年間、祈祷しながら、聖霊に役事させていらっしゃるのです。(21-199,1968.11.20)

            

 本来、神様は、夫は天国に、妻は地獄に行くというように創造されたのではありません。創造当時の理想の主人公たち、すなわち父と母と息子、娘が氏族を成し、民族を成し、国を成そうとしたのでした。そうなるべきではないでしょうか。ところが、人間が堕落したので地獄が生じたのです。(16-33,1965.12.26)

            

 統一教会でいう天国とは、一人で行く天国ではなく、家族が共に行く天国です。神様の創造理想から考えると、男性と女性が分かれていくところが天国でしょうか。そうではありません。二人で行く所が天国です。父親が行けば母親も行き、両親が行けば子供も一緒に行く所が天国なのです。天国へは、お父さん、お母さんが一緒に行かなければなりません。お父さんは天国に行くのに、お母さんは地獄に行くのでは、「天国だ」と言えるでしょうか。このような立場から、私たち統一教会は、歴史的な宗教です。(34-209,1970.9.6)

            

 天国というのは、人間が堕落せずに、この地上で神様の愛の懐で成婚し、神様の喜ぶ息子、娘、神様の喜ぶ孫を得て神様の愛を受け、その家庭がみな一緒に行く所です。子供が行けなくても、自分さえ行ければ良いというのは天国でしょうか。ところで、楽園というのは、いくら仲の良い夫婦や親子でも、別れて行くのです。家庭とは何の関係もありません。そのような所が天国でしょうか。両親と共に家族全員が行って、神様を中心として授け受けする、そのような世界が天国です。息子は地獄で死にそうだとあがいているのに、親が天国で良い暮らしをすることができるでしょうか。そのような所を「天国だ」と言えるでしょうか。(19-105,1967.12.31)

            

 天国へは、個人的には絶対に行くことができません。先生が知っているところでは、天国は、これまでキリスト教徒が信じているような妄想的な所ではありません。本来、天国は、家庭単位で行くようになっています。家庭が行くようになっているのです。家庭が行くのです。
 お父さん、お母さん、息子、娘が一緒に行って神様を中心として、共に生きられる所が理想的な世界なのです。ところが、父親は地獄へ行き、母親は天国へ行き、姉は地獄へ行き、弟は天国へ行くというのでは、自分が天国へ行ったとしてもうれしいでしょうか。天国へは、家庭単位で行くのです。家庭が行くのです。(22-271,1969.5.4)

            

 天国へ行く秘訣とは何でしょうか。天国へは個人で行くのではありません。家庭的に行かなければなりません。家庭的に行かなければならないというだけではなく、一族を率いていかなければなりません。この地で、神様の前に多くの一族がいるということは恵まれたことです。家庭にたくさんの息子、娘がいて富裕であれば、恵まれた家庭だといいます。そのように恵まれて天国へ行こうとするならば、個人が一人で行くのではなく、家庭的に行かなければなりません。(22-168,1969.2.2)

 

5)家庭盟誓

 ①家庭盟誓を唱えることができる者

 

 家庭盟誓をすることができる家庭は、心と体が一つになった立場にある家庭です。心と体が一つにならなければ、家庭盟誓を唱えることができません。これを毎日のように唱えながら祈祷するとき、ここに不合格のすべてのものを除去し、そこに合致し得るものを加え、解放の心身統一圏を備えなければなりません。その立場でするのです。(261-143,1994.6.9)

            

 成約時代は家庭盟誓のとおりにならなければなりません。この家庭盟誓を唱えるにおいて、「私たちの家庭は真の愛を中心として」、これが標題です。それは、堕落圏を越えたということです。偽りの父母の愛と、偽りの生命と、偽りの血統を中心として分かれたものが、統一されることをいいます。
 「真の愛を中心として」と言うときは、心と体が一つになった立場で唱えなければなりません。その次には、男性と女性、心と体、夫婦が一体となった立場で、その次は、息子、娘が一つになった立場で唱えなければなりません。息子、娘を中心としてカインがアベルの血を流すようになった歴史的暗礁を、すべて消化しなければなりません。
 このようにすべて統一されて、心身統一、夫婦統一、子女統一の基盤の上で唱えるべきなのが、この盟誓文だということを知らなければなりません。(264-192,1994.10.9)

            

 家庭盟誓は、どんな人がすることができるのでしょうか。サタン世界の偽りの父母による偽りの愛と、偽りの生命の因縁をもった人は、できないようになっています。本然の世界に帰って、神様と堕落していない真の父母と一つになって、真の愛によって心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになれる基準に立った人だけが、この家庭盟誓をするようになっているのです。(264-213,1994.11.3)

            

 天国には、どんな人が入るのでしょうか。天国は、誰でも入る所ではありません。心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになって、3代が暮らす家庭の四位基台基盤を成してから入る所です。ですから天国に入るには、出発できる基地である家庭を中心として、完全に統一しなければなりません。そのようにできる人々が唱える盟誓文が、家庭盟誓だということを知らなければなりません。
 ですから毎日、朝食、昼食、夕食を食べる時ごとにチェックしなければなりません。そして、朝、起きる時と夜になれば、必ずチェックしなければなりません。自分の心身が一つになれず、サタン的因縁を再び誘致させる立場に立たなかったかを常にチェックしなければなりません。
 夫婦げんかはあり得ないのです。夫婦がけんかするのは問題になるのです。今まで自分勝手に生きてきましたが、これは将来、天法によって治められるべき時が来るというのです。厳格です。そこには許しがありません。女性は特に、もっと注意しなければなりません。堕落した女たちは、口をよく主管しなければなりません。口を慎めというのです。女性が重要な責任を負わなければなりません。女性がすべての責任を取らなければならないのです。(264-214,1994.11.3)

            

 家庭盟誓は、一般の人がするのではありません。家庭盟誓は、誰でもたやすく唱和できるようにはなっていません。家庭盟誓の八つの項の初めには、「私たちの家庭は真の愛を中心として」というのが前提になっています。それは、サタン世界と関係のない基盤で言う言葉です。(263-195,1994.10.4)

 

 ②家庭盟誓の内容

 

-第1条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
本郷の地を求め、
本然の創造理想である
地上天国と天上天国を
創建することをお誓い致します。」

 

 第1番は、「天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建する」です。私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建するという言葉は、地上天国と天上天国を私がつくるということです。家庭を失ったので、家庭をつくらなければならないという言葉です。
 私たちの家庭は真の愛によって、本郷の地を中心として、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建するというのです。本郷の地です。家庭を中心とした本郷の地です。国ではありません。それで故郷に帰らなければならないというのです。
 皆さんにそのような家庭があれば、故郷の地に帰って、地上天国と天上天国を成就しなければなりません。もう故郷さえ取り戻せば、自然に国、世界、すべてが一つになるのです。心配する必要がありません。地上天国、天上天国が自然に築かれるのです。それは、家庭で始まるのです。(260-157,1994.5.2)

            

 それで盟誓文の第1は何ですか。「真の愛を中心として本郷の地を求め」、その地を求めていかなければなりません。「神様の創造理想である地上天国と天上天国」を完成することを誓うのではありません。創建しなければなりません。私の手でつくらなければならないというのです。悪魔の世界から完全に取り戻してこなければなりません。サタンの世界圏を完全に回復しなければなりません。分かりますか。ですから完成ではなく、創建です。(261-88,1994.5.22)

            

 第1番は何かと言えば、本郷の地を求めて、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建しなければなりません。失ったので、復帰しなければなりません。つくるのは、神様がつくってくださるのではなく、私たちが取り戻さなければなりません。(263-148,1994.8.21)

 

 

-第2条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
神様と真の御父母様に侍り、
天宙の代表的家庭となり、
中心的家庭となって、
家庭では孝子、国家では忠臣、
世界では聖人、
天宙では聖子の道理を
完成することをお誓い致します。」

 

 2番目は、「私たちの家庭は、真の愛を中心として」、真の愛を離れてはいけないのです。「神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子」、父も孝子になり、息子、娘も孝子になり、すべて孝子にならなければなりません。孝子の伝統を受け継がなければならないのです。「国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の(家庭の)道理を完成する」というのです。
 「私たちの家庭は、真の愛を中心として、神様と真の御父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の(家庭の)道理を完成する」です。
 父母になって、息子、娘をよく育てなければならないというのです。「聖子」と言うとき、息子の「子」の字ですか。息子を言うのです。聖子とは何かといえば、天の国の宮法と、天の国の法と、地上の宮法と、地上の法とを、みな守ることです。二つの世界をいうのです。
 天の国に王権があり、民がいれば、どちらもこの法を守らなければならないのです。霊界も王権があり、プラス・マイナス、二つの世界のプラス・マイナスになるのです。(260-157,1994.5.2)

            

 神様と真の御父母様に侍って、代表的な家庭となり、中心家庭となって、家庭では孝子、孝女、国では忠臣、烈女、世界では聖人、天地では聖子の道理を、天が願ったすべてのことを私たちの家庭で完成しようというのです。父母として子女教育をなし、国家では国民教育をなし、世界と天地では、その天の国の一族、家庭、食口としての合格者になれるようにしようということです。(260-190,1994.5.8)

            

 2番目は何ですか。代表的家庭です。「神様と真の御父母様に侍り、代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の(家庭の)道理を完成すること」を誓わなければなりません。
 今まで歴史時代に神様に不忠、親不孝だった、逆賊となったこと、これをすべて片づけなければならないというのです。家庭にもそのような群れが多く、国家にもそのような群れが多く、世界にもそのような群れが多く、天地にもそのような群れが多かったというのです。多かったのですが、そのすべてのものを代表して真の父母と一つになり、このような家庭を完成しなければならないというのです。(261-88,1994.5.22)

            

 その次は、孝子の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の(家庭の)道理を、すべて愛を通して連結させなければなりません。アダム・エバの代表的家庭です。一番頂上の家庭です。頂上で結婚すれば地上に着陸するのです。
 天上で愛を中心として着陸すれば、中心家庭になるのです。それは聖子の家庭であり、聖人の家庭であり、忠臣の家庭であり、孝子の家庭だというのです。
 永遠にそれが種になります。実は同じです。千代、万代この原則に立脚した人になることによって、間違いなく天の国の民になるのです。(263-149,1994.8.21)

(注:「聖子の家庭の道理」という表現は、のちに付け加えられたものであり、当時のみ言にはない)

 

 

-第3条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
四大心情圏と三大王権と皇族圏を
完成することをお誓い致します。」

 

 3番目は、「私たちの家庭は。真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」です。
 皆さんは四大心情圏と三大王権をみな知っています。それは堕落する前のアダムとエバが、四大心情圏と三大王権を成して、皇族になることでした。それでこれは、復帰された皇族をつくって入ることを言うのです。私たち祝福家庭がこれを成さなければなりません。
 女性が男性の愛を受け、男性が女性の愛を受けるためには、この立場に立たずしては愛することができないようになっているのです。夫婦関係で愛するのは、四大心情圏と三大王権の立場でするようになっているのです。愛がなければ、四大心情圏と三大王権があり得ないのです。
 ですから、男性が女性に絶対に必要であり、女性が男性に絶対に必要なのです。祝福家庭は、これを標準として、毎日のように努力しなければなりません。実際問題です。みな目の前にいるのです。(260-190,1994.5.8)

            

 3番目は、「私たちの家庭は、真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成する」です。これはアダムとエバが初愛を中心として成すべきことを成せなかったので、これから本然にこれを成すのです。聖子などは、みな復帰的内容があるので、それを育ててこのように越えていかなければなりません。
 「四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成する」、これです。皇族圏というものは、これから来られる再臨主の直系の子女たちであり、蕩減条件がないのです。蕩減条件に引っ掛かりません。
 これは何かといえば、直系ではなく、地上でカイン圏の女性とカイン圏の息子に残してあげるのです。お母様を中心として見ても、そのようになっているのです。聖進のお母様と聖進を中心として、そのようなことが起こるのです。
 それは何かといえば、カイン圏をみな皇族圏として認定することです。弟として、復帰された弟の立場に立て、皇族扱いすることによって、サタンが讒訴する道がなくなるのです。サタンがなぜ認めるかと言えば、「自分の息子だ」と言える条件ができないからです。皇族圏というものを認めなければ、堕落したサタン圏内に皇族を離れた群れがいるということになるので、サタンが残るというのです。しかし、皇族圏を認定するので、サタンがいなくならなければならないのです。これは重要な言葉です。(260-158,1994.5.2)

            

 四大心情圏と三大王権を完成しなければなりません。おじいさんは、神様の代身です。お父さんは、二世の中心になっているので、この世界家庭の王になるのです。お父さんとお母さんには、王と后のように侍らなければなりません。おじいさんには、神様のように侍らなければなりません。それで二つの愛を迎えることによって、神様の代わりにお母さんとお父さんの二つの愛を受けることにより、孫の時代に入って地上天国と天上天国の拡大世界に越えていくのです。(264-195,1994.10.9)

            

 それをすることによって初めて、神様の本然的理想型、堕落していないアダムの本然的理想型である四大心情圏と三大王権を完成するようになるのです。
 「真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」。そのようになった家庭が、そうできる立場に出ていくのです。神様と真の父母様に侍り、天下の代表、イエス様のような世界完成した立場に立ち、神様に対するようになるとき、サタンと永遠に関係がなくなるのです。
 今まで世界の人が怨讐になり、長子の立場で天の側であるアベルを殺してきましたが、殺してしまうことができないというのです。知ってみると、お兄さんだったというのです。お兄さんの立場から弟の立場に入れ替わっただけであって、兄弟です。ですから、このような群れを、世界の人々を、皇族として扱うのです。
 統一教会アベル的皇族なら、サタン世界はカイン的皇族です。この統一教会の教会員たちは、カイン的皇族を一つにしなければ、天国に入れないということです。父母様と一つになり、これをしなければなりません。ここには反対がなく、順理的にみな従っていくようになっています。(261-88,1994.5.22)

 

 

-第4条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
神様の創造理想である
天宙大家族を形成し、
自由と平和と統一と幸福の世界を
完成することをお誓い致します。」

 

 4番目は、「私たちの家庭は、真の家庭を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と幸福の世界を完成する」です。「私たちの家庭は、真の愛を中心として」、これは同じです。「神様の創造理想である天宙大家族を」、どんなに大きな家族でも一つの家庭です。霊界に行けば、一家庭だというのです。「形成し、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成する」です。
 そこに形成することによって、天宙的な自由、天宙的な平和、(天宙的な統一)、天宙的な幸福が宿る世界を完成するという意味です。(260-158,1994.5.2)

(注:「と・・・と統一と」という表現は、のちに付け加えられたものであり、当時のみ言にはない)            

 

 「私たちの家庭は、真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し」、神様の理想は、世界がみな一つの家庭です。一家です。四大心情圏と三大王権を完成した人々が(家庭盟誓を)唱える立場なので、神様を中心とした一つの家庭であって、二つの家庭になることができないというのです。創造理想である天宙大家族を形成し、私たちは、世界が一つの家族です。(260-191,1994.5.8)

            

 「天宙大家族を形成し、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成することをお誓い致します」、自由というのは、個人の自由ではなく、全世界の大家庭にいる人々の自由であり、大家庭の平和であり、大家庭の幸福です。全人類がみな幸福だということです。(260-192,1994.5.8)

            

 その次に、4番目は何ですか。神様の真の愛を中心として何ですか。「創造理想である天宙大家族理想を形成し、自由と平和と(統一と)幸福・・・」、このような基盤があって、神様が願う創造理想は大家族です。カイン、アベルの世界が大家族です。本然の理想を、初めて四大心情圏と三大王権をすべて成したその場に大家族理想を完成するのです。そのような立場に立つことによって、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成することをお誓い致します。これがこのように順理的になっています。(261-89,1994.5.22)

 

 

-第5条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、毎日、
主体的天上世界と対象的地上世界の
統一に向かい、前進的発展を
促進化することをお誓い致します。」

 

 5番目は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化する」です。前進的発展は、毎日のように発展することです。ストップしないのです。ストップすれば、すべて地獄と連結されるのです。前進的発展をしなければなりません。前進的発展を促進化するというのです。  
 私たちの信仰生活は、毎日、天と霊界に関心があります。今まで統一教会の教会員たちが霊界を中心として毎日の生活をしなければならないのに、そのようにできないのが問題です。この世に関して先に考え、霊界に対する考えは後回しです。その反対にならなければなりません。
 私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって、一つにならなければなりません。ストップするのではなく、前進的発展をしなければなりません。生きているものは発展するし、死んでいるものはストップするのです。また促進化するというのです。止まるものは地獄と連結され、成長は繁栄と連結されるのです。天国に連結されるというのです。私たちに止まるということは必要ありません。
 皆さん、統一教会に入るときは喜んだのに、今まで10年、20年たってみるとどうですか。ストップは下がっていくのです。ストップは地獄に連結され、成長は天国に連結されます。ストップはサタンが一番願うことです。ですから毎日、一つずつプラスしなければなりません。重要な言葉です。これまでこの世では、みなお金を集めようと必死ですが、私たちは、一人の生命を救うために必死にならなければならないのです。(260-159,1994.5.2)

            

 私たちの家庭は毎日、主体的天上世界、主体的な大きな天上世界があるということを知らなければなりません。どこがプラスかと言えば、霊界がプラスです。心がプラスであるのと同じです。体は世界を代表し、心は霊界を代表するのです。心はプラスのようなもので、体はマイナスのようなものです。ですから主体的心の世界が分からない生活をしたならば、地獄に行くようになるのです。体が心を打つのと同じように、心を否定してきましたが、これを反対にしなければなりません。
 それで「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一」、主体世界と対象世界が統一されなければならないのです。「統一に向かって前進的発展」、前進していく発展です。「前進的発展を促進化することをお誓い致します」、促進化、早く、早く、早くさせるのです。停止してはいけません。停止すれば、落ちるのです。地獄と通じ、死亡と通じるのです。停止は下がっていって地獄と通じ、促進は発展と通じるのです。
 促進、急ぐのです。寝てばかりいて、怠けて食べ、楽しみ、そんなものは歴史にないというのです。忙しいというのです。人生は短いのです。宇宙が大きいですが、焦点は一点と同じように、焦点が1周回れば、これも1周回らなければならないというのです。同じように回らなければなりません。ですから焦点を合わせなければならないというのです。
 それで「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。休まずに走れというのです。先生のようにです。寝もせずに走れ走れ、というのです。私が考えたその世界と関係を結ぶのであって、考えもしない世界に関係をどうやって関係を結びますか。一緒に考えてあげなければなりません。相対的に考えてあげなければならないのです。(260-194,1994.5.8)

            

 家庭盟誓の5番は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」。これは、世界がみな同じ家庭だということです。天地にすべて主体的天の国の相対的立場で一つにならなければなりません。一つになるだけでなく、地上に地上地獄分野、サタン圏が残っているので、これ(前進的発展)を早く促進化させなければなりません。1日も早く急がなければならないのです。(264-202,1994.10.9)

 

 

-第6条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
神様と真の御父母様の
代身家庭として、
天運を動かす家庭となり、
天の祝福を周辺に連結させる家庭を
完成することをお誓い致します。」

 

 6番目は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成する」です。自分だけ良い暮らしをしようとしてはいけないというのです。「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として」、ですから天運が神様と真の父母様と共にあるのです。天道を動かす、天運を動かす家庭となって、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成するというのです。その言葉は、どこに行っても私たち祝福家庭は、全体に福を分けてあげられる中心家庭になるということです。(260-160,1994.5.2)

            

 6番目は、「私たちは真の愛を中心として・・・・・・」真の愛を知っているでしょう。いつも考えなければなりません。「神様と真の御父母様の代身家庭として・・・・・・」、神様の家庭と真の父母の代身家庭です、皆さんが天運を動かす家庭となるのであり、神様と真の父母の代身家庭は天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。私だけが祝福を受けて、良い暮らしをしようというのではありません。結局は王族となって、全体の人々を国民につくらなければならないということです。
 真の愛を中心として、神様と真の父母の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、神様と真の父母の代身家庭は天運を動かすというのです。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。天のすべての祝福を万民の前に平等に分けてあげる家庭的福の基になろうというのです。神様と真の父母の家庭は、一つの家庭です。一つの家庭ですが、祝福家庭が多いので、全世界に広がって、神様の家庭と真の父母の家庭の代身として福を受ける機関となって、分けてあげる家庭にならなければならないということです。(260-195,1964.5.8)

            

 天運を動かすのが6番でしょう。「真の愛を中心として真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭」になるのです。真の父母様が受難を受けたすべての受難は、自分が良い暮らしをするためのものではありません。全人類を自分が解放し、天運を分かち、天運を移してあげるためのものです。真の父母についてくる天運を、ただそのまま渡してあげなければなりません。福の機関になれということです。分かりますか。どんなに促進化され、一つになっていても、その人が地上に来て、自分なりの福だけを受けて行ってはならないのです。地上に功績を立てて、すべての人が満足して、大きな天運の恵沢を受けられるものを渡してあげてから、行かなければなりません。
 先生が今まで幸福と自由の環境で、天下を動かすことができ、福を受けられるこのような環境で、父母のみ旨を立てるために、反対の道をすべて経て、万民にまで天運をつないであげるためにやってきたので、真の父母の家庭の代表者として、皆さんも天運を分配してあげる家庭になってこそ、真の父母のあとに従い、天の国で呼吸を共にし、面と向かって暮らせる面目が立ち得るということをいうのです。(261-91,1994.5.22)

            

 その次は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。福の機関になれというのです。そうしてこそ天と地の一つとなったすべてのものを備えて、その場を中心として、神様が下さった福の機関になるのです。分かりますか。福のセンターになれというのです。(264-202,1994.10.9)

 

 

-第7条-

 

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
本然の血統と連結された
為に生きる生活を通して、
心情文化世界を
完成することをお誓い致します。」

 

 

 7番目は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成する」です。「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された」本然の血統です。血統が重要です。血統が変わってはならないし、汚してはいけないのです。心情文化世界の形成を完成するというのです。心情文化というものは、すべての生活において、真の愛によって為に生きる思想が入っていなければならないのです。心情文化世界というときは、全体を代表した一つの囲いを言うのです。心情圏の氏族(宗族)を言うのです。(260-160,1994.5.2)

            

 心情文化世界が何か分かりますか。神様の心の世界も、天上世界も、地上世界も、真の父母の心の世界も、一つだというのです。それで「心情文化世界の形成を完成することをお誓い致します」、これが私たちの理想です。文化が二つではありません。堕落した世界は文化が複雑多端なのです。それを通してこそ個人天国、家庭天国、氏族天国、国家天国、天上天国、永遠の世界の天国へと連結されるのです。その心情でなくては、個人、家庭、氏族を連結することができません。心情文化世界でなければ、個人から天宙まで連結することができないのです。(260-196,1994.5.8)

            

 私たちの世界は心情文化世界です。神様のただ一つの愛を中心とした統一家族、一家族です。高いもの低いものがなく、五色人種が一つの家族生活をしなければなりません。将来、そのような時が来ます。全世界で動員して平均的な生活を定めよう。世界の公義がそのようになったら、どのように定めるのか。どの国を中心として定めるのか。このように言うときは、北韓があのように貧しければ、貧しい北韓を中心として基準にするのです。アフリカではありません。日本の国ではありません。アダム国家を中心として一番貧しい人を基準にするのです。(261-93,1994.5.22)

            

 心情文化世界は本然的神様の文化世界であり、堕落していない完成したアダム文化世界です。文化が二つではありません。一つしかありません。言語も一つであり、風習も一つであり、伝統も一つしかない、このような統一の世界になることでしょう。そこにおいてのみ神様が個人にも共に住み、家庭にも共に住むということを知らなければなりません。(261-95,1994.5.22)

            

 その次には、「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された心情文化世界を完成することをお誓い致します」。心情世界です。真の愛が表面化された世界です。どの町に行っても、道の要所で夫婦がお客さんを迎えるために待ちわびる世界にならなければなりません。ごちそうを作ったなら、それを世界の兄弟の前に分けてあげるために、道に出て待ち、迎えて入るのです。自分の兄弟のように自分の家に世界の家庭を迎えて、多くのものを食べさせ、たくさん奉仕する時代に入っていくのです。
 こうして心情を表面化させて、世界化させる時代になることによって、統一の心情文化世界、単一文化世界、統一文化世界が来るのです。戦争がなく、紛争のない一つの世界、地上天国と天上天国世界になるのです。心情文化世界になれば、終了だというのです。(264-202,1994.10.9)

 

 

-第8条-

天一国主人、私たちの家庭は
真の愛を中心として、
成約時代を迎え、
絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、
神人愛一体理想を成し、
地上天国と天上天国の
解放圏と釈放圏を
完成することをお誓い致します。」

 

 8節は何ですか。「私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏(と釈放圏)を完成することをお誓い致します」。それが何かと言えば、エデンの園の神様が創造するその当時の内容です。
 成約時代を中心として絶対信仰、絶対愛、絶対何ですか。絶対服従によって地上天国と天上天国が神人愛一体圏となって、神様のような息子、娘のすべての権限も自由に行使することができ、自由奔放な世界どこでも通じる、活動できる能力者になって、初めて神様を解放させられるのです。地上天国と天上天国の解放圏です。(301-85,1999.4.16)

(注:「・・・・・・と釈放圏」という表現は、のちに付けられたものであり、当時のみ言にはない)

            

 神様が創造するとき、神様ご自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従する位置にあったのですが、その相対的な家庭を成すことができず、すべてが地獄に落ちたのです。真の父母の勝利圏によって一つになったすべての基盤において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、アダム家庭で失ったものを世界的に越えていくこの時であるがゆえに、統一教会は真の父母を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりません。真の父母は神様の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の伝統を受け継いできたので、それを伝授されなければなりません。分かるでしょう。天の祝福が共にあることでしょう。(1996.11.3)

            

 宿命的課題と運命的課題であるすべての父子の関係の因縁が一つにならなければなりませんが、何を中心として一つになるのでしょうか。骨髄から、赤ちゃんの種から、真の愛を中心として一つにならなければなりません。それで生まれて今、心と体が大きくなって、世の中をすべて抱いて、父も抱いて母と一つになるのです。
 父母様が言うそこには、絶対信仰、絶対愛、絶対服従、おじいさんが言う時は、孫も絶対信仰、絶対愛、絶対服従。お父さんも絶対信仰、絶対愛、絶対服従、同じです。
 永遠に伝統的に相続されていくというのです。宿命的提案解怨! こうしてこそ第8盟誓においての成約時代を迎えて、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体、神様と人間が一体、愛によって一体になるのです。一体を成して、その次には、そこから地上天上天国の解放圏です。(1998.8.28)

 

(2022.5.16:写経奉献)

 

 

 

■天聖經(52) 第10巻「成約人への道」 第1章 人生観

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第一章 人生観

1)人生とは何か

2)人間は原因たる存在ではない

3)人間の価値は偉大である

4)人間本性の真なる生活

5)真の人間が行く道

 

 

1)人生とは何か

 ①今まで人生問題は迷路

 

 私がなぜ生まれ、なぜ生きなければならず、どこに行かなければならないのでしょうか。生まれたことを、皆さんが自分で生まれたと考えてはいけません。生まれはしたけれど、どのような動機で生まれ、何のために生まれたか、私を生まれさせた動機と目的が分からない私たちです。
 生まれるには生まれましたが、私が生まれようとして生まれたのではなく、生きるには生きるのですが、私が生きようとして生きるのではなく、死ぬには死ぬのですが、私が死のうとして死ぬのではないというのです。ところで、私の何を誇るのでしょうか。自分自身が生まれようとして生まれることもできず、自分自身のその何かをもって生きることもできず、死ぬ道を避けることもできない自分の何を誇ってみても、哀れで物悲しいだけです。生まれたので生きなければならない運命であり、またそのように生きていかざるを得ない運命です。(7-178,1959.9.6)

 

 今日まで哲学は、歴史時代を通じて人生問題を解決するために苦心してきました。真の人間の価値、人間がどのように完成することができ、人間自体から勝利して万宇宙に誇るる勝利の完成した姿を、いかに成し遂げるかという問題を中心として、数多くの哲人たちが現れ、苦心しながらありとあらゆる主張をしました。それが今となっては、人間を通じて思想体系を立てたすべての主義主張が、もはや実験をすべて終え、既に落第してしまったというのです。みな脱落してしまいました。(141-125,1986.2.20)

 

 なぜ人間が、このように特別することもなく生きながらも、死ぬことを嫌い、「なぜ生きるべきか。根源がどのようになっているのか」と、皆さん、疑問が多いでしょう。そのすべての疑問は、人間の哲学書籍を通しては解決できません。哲学というものは、今まで神様を探していく道を開発したものです。宗教とは何でしょうか。神様を知って、共に生きる生活から始めるのが宗教生活です。(186-12,1989.1.24)

 

 人生をこのように生きて行く目的とは何でしょうか。この問題を、もう一度考えてみなければなりません。動機が私によるものではなく、目的も私だけのものではないことに間違いありません。生きる上において、幸福な場を嫌う者がどこにいて、豪華絢爛な場で生きたいと思わない者がどこにいるでしょうか。しかし、思いどおりにできないのが私です。それでも自分を誇り、思いどおりに生き、思いどおりに残りたい私です。このような心情の交差点をもった私だというのです。(7-178,1959.9.6)

 

 皆さんが80年ほど生きたとします。その中で、夜寝る時間を除けば40年になります。半分に減るということです。寝ることも生きることでしょうか。寝ることは死んでいるようなものです。寝ることは死んだ命です。ですから、24時間の間で生きようともがく時間は、半分にしかなりません。
 また、そこからご飯を食べる時間を一時間ずつ切り捨てたらどうですか。ご飯を食べる時間を1時間は見ないといけません。また、その中で友達の宴会の日、近所のお年寄りの還暦を祝う日、誰かが亡くなった日、葬式を行う日、病気になって寝ている日、すべての日を全部差し引くと、一生の中で生きているという日が半分にもなるでしょうか。この間、計算してみたところ、生きているという日が7年と出ました。その7年の中で、「本当に生きた」と言える日が何日出てくるかというのです。(49-336,1971.10.24)

 

 一生というものは早いのです。物心ついて、この世の物情を知り、あれこれしていて40を越えたら50であり、もう10年はあっという間なのです。そして10年たてば60があっという間であり、60になれば70があっという間であり、私も、静かに考えてみると、一場の春夢(注:人生のはかないたとえ)という言葉を実感するのです。(188-38,1989.2.16)

 

 自分が運を100ほどもって生まれたのに、120ほど生きて死ぬ人は、その子孫が滅びるのです。人の運は、ゴム紐と同じでピンと張るというのです。しかし80ほど生きて死ねば20ほどの福を残し、その運勢を子孫に相続してあげて逝けるというのです。(78-333,1975.6.10)

            

 運命は変更することができますが、宿命は変更できないのです。大韓民国の人として生まれたことは、変わり得ますか。自分のお父さんの息子、娘として生まれたことは、変わり得ますか。その国の主権がどんなに強く、その国の慣習がどんなに強くても、お父さんの息子、娘だということは変更できないというのです。そのように復帰の道は、宿命的な道です。(172-55,1988.1.7)

            

 出発を誤れば、とんでもない所に行くというのです。ですから、船が大海を航海するにしても、出発した港から羅針盤を中心として行くべき目的地に向かい、方向性を描いてこそ行けるというのです。それでは、人間が出発した港とはどこなのでしょうか。分からないでいます。羅針盤をもって彼岸の世界に到達することのできる目的地を描き、行き得る方向性がどこにあるのでしょうか。ないというのです。これがくねくねと、自分勝手に行ったり来たりしました。このように見るとき、人間は、どんなにやったとしても人間で終わるのです。(172-28,1988.1.3)

 

 ②私たちはどこに行くべきか

 

 一生を経たのちに、私は、どのような所に行くのでしょうか。これが、人間たちが解決しなければならない重要な問題です。宗教もこの問題を解決するために、哲学も歴史もこの問題を解決するために動員されています。それで皆さん自身も、このような運勢に捕らわれて導かれていっていることを否認できないのです。
 それならば、どうせ行かなければならない私自身であるとすれば、この体は、どこに行こうとするのでしょうか。この心は、どこに行こうとするのでしょうか。またこの生命は、どこに向かって傾いていて、私の心情は、どこに行こうとするのでしょうか。私の所願あるいは所望と理念は、どこに行こうとしているのでしょうか。この問題を解決できないとしても、私たちは、いずれ行かなければならない運命に置かれているのです。
 私たちが生きて、そして死ぬ日、この体は、土に埋められることによって終わるのです。それならば体が埋められるその日、この心も、この生命も、この心情も、この理念も、あるいは所願までも一緒に埋められてしまうのでしょうか。消えてしまうのでしょうか。ここに確実な内容と、確実な解決点と、確実な目的観を立てておかない限り、これは不幸な人間でしかあり得ないのです。(8-194,1959.12.20)

 

せみの卵がせみになるためには、赤ちゃん時代、幼虫時代があります。幼虫時代には水たまりに棲み、あるいは地面のくぼみにある穴の中に棲むとしても、それらが行かなければならない道は、そこではありません。
 大空を飛んでいく道を行かなければならないのです。飛ぶためには、どんなに地面の穴を掘り入って入り、水の中で泳ぎ回ったとしても、その過程で何かを準備しなければなりませんが、それが絶対条件だというのです。なくてはならない条件だというのです。
 幼虫時代から成虫時代に越えていくためには、幼虫時代において、飛ぶための万端の体制が準備されなければならないのです。そして、反対の要素である皮を脱いで整備する一時を、必ず通過しなければなりません。殻を脱がなければなりません。水の中で棲むのならば、魚のように平べったい姿のほうが水面に出たりするのにちょうど良いのですが、空中で飛ぶのならば、それではいけないというのです。そこに合うように、すべてのものが整えられなければなりません。(120-222,1982.10.17)

 

 私たちは、何を中心として生まれ、何を中心として行くべきであり、何を目的として行かなければならないのでしょうか。このことは、神様抜きには絶対駄目なのです。神様を抜きにしては、動機のない因縁になるのです。
 動機をもつことができない人は、どのようなことを成就しようとしても、その結果は収められず、価値が認定されることはないのです。ある建物を建てるときは、設計者が設計した設計図に従って建築するようになります。設計の原本もなく建てられた建築物は、設計者が目的とした建物になることはできないのです。(21-100,1968.11.17)

 

 秋の季節が来たという事実は、冬が近づいているということを意味します。冬は、生命があるものだけが通過することができる路程です。生命をもてないものはすべて、ここで後退するしかありません。それで、冬が来る前に新しい生命を注入しなさいというのです。新しい生命は、新しい愛を中心とした新しい主義と思想、そして新しい人生観、新しい世界観、新しい宇宙観をもたなければなりません。そうでなくては、冬の季節を通過することはできません。冬の季節を通過し得る生命力をもつようになれば、それを通過する過程には苦労が多いのですが、行けば行くほど春の日が近づくのです。春の日が訪ねてくるのです。統一教会は、その道を行くのです。(35-68,1970.10.3)

(2022.5.7:写経奉献)

 

2)人間は原因たる存在ではない

 ①本来神様の愛によって生まれた人間

 

 本来、私たち人間は、自分の意志によって生まれたのではありません。また、父母なら父母自身がこれこれこのような息子、娘を生もうという計画のもとで生んだのでもありません。このように私たちは、父母の要求によって生まれたのではないというのです。神の摂理を中心として、私たちが存在するようになった根源を掘り下げてみるなら、私たち人間は、摂理の起源と一致し、その起源を中心として動いていく歴史と関係を結ぶ、重大な責任をもつための一つの生命体として、この地に送られたとしか考えようがないのです。それゆえ、歴史過程にある私自身、その中で生きている私たち個体がどんなに小さいとしても、一つの個体として終わるのではありません。(34-155,1970.9.6)

 

 人間自体が、自分で生まれたのでしょうか。自分を主張できる起源は、どこにあるのでしょうか。この大宇宙の原則の前に人間を主張できる起源を、どこから探さなければならないのでしょうか。私たち人間は、生まれた結果的存在なのに、結果的存在が原因を知ることはできないのに、自分を主張しようとする人、そのような人たちは、正気ではない者たちです。全部が狂った人です。(83-191,1976.2.8)

 

 生まれたことについて、なぜ生まれたかという問題、神様が人間をなぜ造り、天地万物をなぜ造ったかという問題、その結論は簡単です。神様も愛の対象が必要なので、愛の対象として人間を創造されたのです。
 皆さんは今、「何でもない姿の私のような存在は、いてもいなくても同じだ」と考えるでしょう。それではいけません。神様の愛の対象になるのに、父母は、子供が優れているからといって愛するのではありません。子供であれば、優れていようがいまいが愛するというのです。障害のある子供をもつ父母の胸がより痛むのと同じようにです。
 天地の中心であられる神様の愛の心は、皆さんが優れているとかいないとかいうことを超えているのです。本性の愛の、その根本をもっているかいないかということが重要です。ですから、私がなぜ造られ、宇宙がなぜ創造されたかということを知らなければなりません。愛の理想を完成させるために造られた、という事実を知らなければなりません。(130-44,1983.12.11)

 

 神様がなぜ天地万物を造り、神様が私をなぜ造ったのでしょうか。愛のためです。私がなぜ生まれたのでしょうか。神様の愛ゆえに生まれたのです。神様の愛の中で生まれ、神様の愛の中で生きるために生まれたのです。
 「神様と共に私の家庭で愛することができる人だ、神様と共に私の社会で愛することができる人だ、神様と共に私の国で愛することができる人だ、神様と共に私の世界で愛することができる人だ」と言える人になるために、神様の愛の中で生きなければならないのです。(97-266,1987.3.19)

 

 私というものは、父母から何を受けて生まれたのでしょうか。生命の連結体として生まれた、このように見るのです。お母さん、お父さんが一つになる所から、お母さん、お父さんの生命力の価値をもって生まれたというのです。その生命力は愛によって、その生命力と愛は、宇宙の目的を完成するためにと、このようになるのです。目的を完成するために生まれたというのです。男性なら男性、女性なら女性としてのある目的、大宇宙目的の協助体としての自らを完成するために、このような生命力を中心とした結合によって生まれたというのです。(110-72,1980.11.9)

 

 私たちが生まれたのは、なぜですか。何のために生まれましたか。神様のゆえに生まれたというのです。ここで「ドカン!」といえば、神様の頭に「ガン!」と通じる、その愛だというのです。皆さんが何かを持って池に「ポン!」と投げれば、波紋が池全体に広がるのと同じように、この宇宙の中で愛を「パーン!」と投げれば、全宇宙に波紋が生じるはずだというのです。そのようなことをしているのです。皆さんが、何によって大きな波紋を起こすかが問題だというのです。(103-254,1979.3.4)

 

 神様とは、どういうお方でしょうか。創造主です。創造主とは、どういうお方でしょうか。宗教世界での概念では、「神様は私たちのお父さんだ」、「私たちは神様の子女だ」と言うのです。では、そのお父さんは、どんなお父さんですか。どのようなお父さんだというのですか。これは漠然としているというのです。借りてきたお父さんですか、隣近所のお父さんですか、あるいは養父ですか、どんな父母ですか。そうでなければ妻の父母ですか、嫁ぎ先の父母ですか。「お父さん」という言葉はたくさんあります。根本を解決できずしては、どんなに環境が拡大されたその世界で解決しようとしたところで、解決は出てこないのです。千万年行っても解決ができないというのです。
 それならば、人間と神様が問題です。「神様が私たちのお父さんだ」と言うとき、皆さんは、神様がお父さんだと感じられますか。私よりも、私がいる前にもっと確実なのがお母さん、お父さんです。お母さん、お父さんが私より先にいるので、私がいるということを前提とする時は、私がいるということを主張する前に、私たちのお母さん、お父さんがいると主張しなければならないのです。それが正しい定義です。お母さん、お父さんをのけ者にして、私がいるという主張は、愚かな主張なのです。(188-190,1989.2.26)

 

 人間は、第1の原因的存在ではありません。第2の結果的存在だというのです。ですから私がいるということを語る前に、お母さん、お父さんがいることを語るべきなのです。このように見れば、根本に帰って宇宙の根本となる神様という問題を、根本的に、最初に解決しておかなければならないのではないかというのです。お母さん以上、お父さん以上、先祖の先祖といって上がっていけば神様になるでしょう。このような論理を追求すれば、私を主張する前に神様を決定しなければなりません。神様は、どんな方だ、彼は、私のお父さんだ、そのお父さんは、どんなお父さんだということを。それで私たち統一教会は、これを教えてあげるのです。(188-190,1989.2.26)

 

 「本然の出発点を正しくつかめ」、「正しく求めよ」というのです。人間は結果的存在なので、「原因の起点にもっていって合わせろ」というのです。原因の起点に合わせますが、その起点が盲目的起点になってはいけません。神様が人格をもっているので、人格をもった人間においても、知情意のすべての良心的作用の内容を持ち合わせているのです。ですからその動機も、原因的内容以上の動機でなければならないというのです。それでいて、絶対的でなければいけません。一度、出発したものが誤ったなら、永遠に是正することはできません。(172-32,1988.1.3)

 

 ②人間が生まれた本然の目的

 

 神様は、宇宙の第1原因であられ、森羅万象の創造主です。そして、私たちの愛するお父さんであられます。神様は、特別なみ旨を成し遂げられるために万物を創造されたのであり、その目的は、正に愛の具現にあります。
 神様は、真の愛の根源であられますが、どんなに全能な神様であられるとしても、一人では決して愛の喜びを感じることができません。神様は、愛の対象が必要であり、その対象から自発的な愛が帰ってくることを願っていらっしゃいます。その対象としての最高の被造物が、正に私たち人間です。そのような理由で、人間の生命には目的があるのです。
 人生の目的は、成熟し、神様と永遠の真の愛の関係を実現するところにあるのです。正にこれが、神様と人間の間に平和をつくり上げる根本原理なのです。(166-131,1987.6.1)

 

 豊かに生きることも重要で、何かをすることも重要ですが、まずは縦的な天の父母の前に孝の道理を立てなければなりません。縦的天の父母の前に忠の道理を立てなければなりません。縦的な天の父母の前に聖人以上の道理を立てなければならないというのです。それが、人間が生まれた本来の目的です。また、そのような人に出会うために神様が人を造ったのです。そのような目的があるというのです。(58-231,1972.6.11)

            

 人生が真実に行く道とは、どこでしょうか。人間は、どこから生まれたのでしょうか。愛から生まれました。人生は、どんな道を行くべきなのでしょうか。愛の道を行かなければなりません。どのように死ぬべきなのでしょうか。愛のために死ななければならないという結論が出てきます。その愛とは、どんな愛でしょうか。大宇宙が歓迎し得る愛です。小宇宙ではないというのです。神様が公認し、天使世界が公認し、万物が公認し、すべての人が公認し、私たちの父母が公認し得る大宇宙の中で生まれ、その中で生きて、その中で愛し、その中で死んでいくことが、人生の目的だと見るのです。(83-164,1976.2.8)

        

 人は、自分が良いときは、父母、兄弟、親戚を訪ねて、一緒に楽しもうとします。良いことは、幸福なことなのです。幸福は永遠なものであり、永遠なものは心情です。宇宙の中心は何でしょうか。それは、父母と子供だというのです。すなわち父母と私です。神様と私だというのです。神様はお父さん、私は息子です。人生の究極的な目的は、父を訪ね求め、切ることのできない関係を結んで喜びを感じることです。(12-104,1962.12.16)

            

 先生はいつか、道を行く途中で、年を取ったおじいさんと話をしたことがありました。そのときおじいさんに、「どこに行かれますか」と尋ねると、「どこに行くも何も、うちの息子の家に決まってるでしょう」とおっしゃいました。「そうですか。行って何をされるんですか」ともう一度聞いてみると、「出されるご飯を食べて、たまに鶏でも出してくれるなら、鶏もおいしく食べるんだよ」と言うのでした。また、「それなら食べたあと、何をされますか」と聞いてみると、「食べたあとは、特にないよ」と、このような答えでした。私たちの人生を、このように送ってもよいのでしょうか。(19-289,1968.3.10)

            

 家計の帳簿を整理するときにも、収入がいくらで支出がいくらかを正確に決算します。このように帳簿を整理するときにも、収支計算を徹底してやるのに、皆さんの人生はどうですか。一生の間、生きたことを収支決算してみましたか。赤字ですか、黒字ですか。赤字ならば地をたたいて痛哭しなければなりません。
 人は死ぬ場において、楽しく歌を歌って死ぬことができなければなりません。ところで、死を前にして生きようともがくことは、赤字の人生だという証拠です。私たちは、絶対性を中心として、心情の世界において黒字の人生を生きなければなりません。(19-289,1968.3.10)

 

 人間は、誰のために生きるのでしょうか。「私のために生きます」と言えば落第です。自分のために生きる人の前に、家庭が存在できますか。希望の家庭がないのです。国が存在できますか。国は出てきません。そこに世界が存在できますか。世界が存在できません。世界が出てこれる場がないのです。天地の公約は、「この個人主義の悪党よ、立ち去れ」と制止するのです。個人を第一とするのに、そこに家庭が入れますか。そこにある理想的な国が入れますか。錐の先のような狭い所に入れるかというのです。どんなに入ろうとしても、入っていくけないというのです。(57-66,1972.5.28)

 

 皆さんは、愛を知らなければなりません。すべてのものが移動する目的、存在する目的は、愛だというのです。愛を求めて動き、愛を求めて存在しているというこの鉄則を、皆さんは、いつももっていなければなりません。鳥たちがお互い好きになり、「チュッチュ」とさえずりながら飛び回ることも愛ゆえであり、磁石のプラスとマイナスがお互い合わさることも愛で一つになるためだというのです。人がみな、誰かに会おうとするのも一つになるためなのです。(67-159,1973.6.1)

 

 ③愛のために生きる

 

 人生は、どのように生きるべきでしょうか。人間は、どこから、なぜ生まれ、どのように生きていくべきでしょうか。簡単だというのです。愛(神様を中心とした)ゆえに、愛によって生まれたので、愛の道を求めて、愛の目的地に行くのです。そうすれば、循環法度上で、永遠に回れるのです。愛は、永遠の概念なので、愛を求めて、この中心に来るのです。それは、愛でのみ成立するのです。(125-65,1983.3.6)

 

 私が一生の間、生きるのは、私のために生きるのではありません。神様の愛のために生きるのです。その目的のために移動しながら生きるというのです。それが、どれだけ素晴らしいことでしょうか。そのように生きる人は、絶対滅びないのです。そこに大変なことがあり、涙もあり、時には悲惨なことがあったとしても、それは神様の愛ゆえなので、悲惨ではなく、悲痛でもなく、悲しみでもないというのです。その原則を知らなければなりません。(67-159,1973.6.1)

            

 私たちは、何のために生きるのでしょうか。絶対的な真の愛、真の愛のために生きましょう! ここに、すべてが入っているのです。ですから、私のポケットにあるハンカチも愛のためにあり、私が仕事をするのも、汗を流すのも愛のため、真の愛のためにするというのです。私が話すことも真の愛のため、食べることも真の愛のため、遊ぶことも真の愛のため、すべてがそうだというのです。(107-205,1980.5.1)

 

 人間は、何を目的としなければならないのでしょうか。個人を目的とすることより、家庭を目的とすることより、団体を目的とすることより、国家を目的とすることより、世界を目的とすることより、天地を目的とすることより、神様を中心として神様と人間が合わさった目的に向かって進んでいかなければならないのです。
 そうすれば、どの目的が最後に残るでしょうか。個人を主としたものは流れていき、家庭を主としたものも流れていき、団体を主としたものも流れていき、国を主としたものも流れていき、世界を主としたものも流れていくのです。しかし、最後まで残る一つの目的があるとすれば、それは神と人間が共同で追求する目的です。そのような目的だけが、人間の歴史の最後まで残り得るものなのです。(41-323,1971.2.18)

            

 皆さんの心が最後に安着できる終着点とは、どこでしょうか。神様を求めて自分のものにしたとしても、そこに皆さんの心は、安息しようとしません。心の最後の終着点は、神様を占領し、神様の愛を占領する所です。ですから、皆さんが神様の愛を占領することができなければ、万事がむなしいのです。(24-17,1969.6.22)

            

 人生の最後の目的は、神様を中心として天の中心たるその方と出会うことではありません。その方と一緒に住むことが問題となります。その方と会うのにどのような場所で会うか、生きるのにどのような場所で生きるのかということが問題です。その方とは中心の場所で会い、中心の場所で生きようというのですが、その中心の位置は、神様の愛の位置なのです。ですから、人類の良心が指向する最高の目標は、天運に従って神様と一致し、神様の愛を私のものにしようというのです。結論はそれです。(24-17,1969.6.22)

            

 人間が最後に到達したいのは、最高であられる方の愛の対象者になることです。その最高の方とは誰かというと、私たちの父であられると同時に、神様だというのです。(65-46,1972.11.13)

            

 本来、人間の特権は、誰彼問わず、天上王国世界において皇太子として生まれる権威をもっているのです。お姫様として生まれる権威をもっているのです。それが人間の価値です。それが本来の人間の権威だったのです。(68-326,1973.8.5)

 

 心情が通じるようになれば、みんなが神様の子女になります。文化の背景や歴史的環境、あるいは時代の位置いかんによって人間の価値が左右されるのではありません。そのいかなるものをもってしても、人間の価値を決定することはできません。人間が天を知り、地を知り、天の目的と地の目的と人間の目的を知るところにおいてのみ、人間の価値が決定されるのです。(15-83,1965.9.29)

            

 私たちは、新しい価値観を模索して、それを中心としなければなりません。世界に対する新しい価値、人間に対する新しい価値、理念に対する新しい価値、あるいは愛に対する新しい価値を模索しなければなりません。その価値観が神様のみ意と一致できる内容をもって出発するとき、その価値観は、人間を中心とした価値観とは母体が異なるのです。人間の意志を中心として立てられた価値観とは異なるのです。(44-227,1971.5.23)

 

 今日、この世界において確実な価値観をもたなければなりません。世界観を越えることができる価値観をもたなければなりません。私たち統一教会は、その価値観の中心を神様においているのです。私たちの主張する世界に帰ろう、理想世界に帰ろう、ではないのです。神様に帰ろうというのです。神様に帰らなければ理想世界もないのであり、幸福な世界もないのであり、永遠な世界もないのであり、愛の世界もないのです。そのすべての幸福の要因、私たちが願うすべての要件は、神様によって始まらなければならないからです。それゆえ、神様に帰らなければならないのです。これを懐かしく思い、これを求めてきたのが、人類歴史上に現れた宗教という機関だということを知らなければなりません。(68-138,1973.7.29)

            

 私たち統一教会は、絶対的な価値観を提示するとともに、真の父母様を提示しています。私たちが願う絶対的価値の基準は、どこが終着点なのでしょうか。真の父母の息子、娘になるところです。永遠の生命をもてる、永遠の愛をもてる神様の息子、娘になることです。そのほかには、道がありません。アダムとエバが堕落するとき、神様が許諾した立場で相対理想を結んだのではありません。自分たちが勝手にやったのです。神様が許諾して関係をもって出発することができるのは、父子の因縁しかありません。ところが、それが壊れたので、没落したので、それを標準にし、もう一度、継ぎ当わせなければなりません。(68-138,1973.7.29)

 

3)人間の価値は偉大である

 ①人間の価値は神様的価値

 

 人の価値は、どのくらい大きいでしょうか。神様が杖をついて千年、万年懐かしがることができる存在が人間です。統一教会の文先生が見ると、これが宇宙の根本だというのです。これが内外関係になったので、縦横の愛の世界観が成立するのです。上下関係と左右関係になれば、縦横の愛の世界観が広がるのです。その中心には神様が臨在されるのです。心の深い谷間の位置で一つに固く結んであげられるその場は、縦横の中心地です。これを結んでおかずしては、縦横の基準が愛の理想型として出てこないのです。ですから人を、このように造らずにはいられなかったということを皆さんは知らなければなりません。(48-224,1971.9.19)

            

 神様は、絶対的な創造の観を所有した絶対者であられるので、絶対的な対象としての価値のある存在を追求するのです。これは、この地上における被造万物の中の何を与えられても換えられないものです。価値的に見るならば、相対的存在とは、神様をあげても換えることができない存在です。「相対的価値」という言葉は少し難しい言葉ですが、相対的価値というものは、相対という言葉を中心として、その対象の価値というものは神様をあげても換えることができないのです。神様をあげたところで、神様お独りになられるのです。神様だけが残ってしまうのです。
 ですから、神様自身を投入して、神様自身の力を、エネルギーを消耗するのです。消耗戦をされるのです。ですから、神様をあげても換えることのできない対象であるという、価値的存在として造ったものが人間なのです。このように、絶対的価値の存在が人間だということを皆さんは知らなければなりません。神様がそのような観をもって、価値的存在として人間を造られたのです。(68-134,1973.7.29)

            

 神様は、人間を愛のために造られました。人間は、なぜ造られたのでしょうか。愛のために造られたのです。人間が万物と違うのは、神様の息子、娘として造られたからです。
 神様の直系の愛を受け得る対象者として造られたというのです。これが人間の特権です。(132-245,1984.6.20)

            

 人は、誰に似ましたか。神様に似たというのです。ですから神様が愛を願うのも結局は人と同じだ、とこのように見るのです。愛を中心とした理想の創造世界というものは、実体を中心とした愛の表示が形象として現れ、形象の表示が象徴として現れるのです。統一教会の「原理」は、そのように言っているのです。何を中心としてですか。愛を中心としてです。その実体が喜べば、その形状となるものも自動的に喜び、形象となる存在が喜べば、象徴的なものも自動的に喜べるのです。そのような作用を、何がしますか。愛のみがするのです。(166-48,1987.5.28)

            

 神様が、愛を求めていく対象を造ろうとするとき、誰に似るように造るのでしょうか。神様に似るように造るのです。その神様に似るように造るなら、神様の中にあるもののように男性の性稟がなければならず、女性の性稟がなければなりません。自分に似たので自分の本性相からすべて抜き出し、見えない性相、見えない考えの形態を実体として展開させたものが人間だというのです。ですから聖書の創世記に出てくる、神様が自分の形状のとおりに人間を創造したという言葉は、正しいのです。(170-167,1987.11.15)

            

 見えない神様の形状を、私たちの体中に象徴的にすべて投入したというのです。目は、誰に似たのですか。神様です。ですから顔の真ん中を見てみると、目は深い所にあるのです。そうでありながら、すべてのものを観察するというのです。その次に、鼻はアダムとエバを象徴するのです。これが中心です。その次に、口は万物です。横的です。ですから、48、32(4×8=32)、32個の歯をもっているのです。この世の万物を中心として4数を中心として。その次に、耳は四方を象徴するというのです。この首の上は。天の国です。天の国の情報センターがあるというのです。(201-83,1990.3.4)

            

 顔は、天地創造の主人が自分の形状をすべて取り入れて造りました。ですから、人の中には神様の性稟がすべて入っているのです。この目は何を象徴するかというと、神様を象徴します。ですから生物が生まれるとき、目が最初にできるのです。天地の中心は神様であられるので、目は神様を象徴するのです。ですからどんな人でも、その人の目は、神様を象徴するというのです。ですからどんな人でも、その人の目を見れば、その人が良心的な人なのか非良心的な人なのか、直ちに分かるのです。(39-247,1971.1.15)

            

 いくら真理だと言っても、その真理の核心とは何でしょうか。お金でもなく、権力でもなく、知識でもありません。愛です。本質的な愛は縦的なところにあり、真理的愛は横的に連結されているのです。ですから万物を見て神様が分かるし、アダムとエバは神様の形状なので、アダムとエバを見て神様が分かるのです。アダムとエバは、縦的な真の愛の対象的主体なので、この二人、男女の愛を、東西南北を通して世界の軸に合わせるときには、神様と霊界が通じ、全世界がすべて通じるのです。(179-290,1988.8.14)

            

 皆さんは主体と一つにならなければならず、対象と一つにならなければならないということを知るべきです。主体と対象が一つになれば、繁殖が起こります。与え受ければ、必ず繁殖が繰り広げられるのです。その繁殖きる場は、うれしい場なのです。
 神様自身も、性相と形状の二性性相になっているでしょう。各自が一人の時は、主体ではありません。男性と女性が合わさってこそ、家庭の主体が成立するのです。二人が合わされば、主体になるまいとしても主体になるのです。(42-115,1971.2.28)

 

 人間たち自らが、神様の本然の愛を再現させられる運動、神様を愛する運動、神様に接近できる運動をしなければならないというのです。「汝の体と心を尽くして、主なる汝の神様を愛せよ」と言われた、それが第1の戒めだというのです。愛することが第1です。体と心を尽くして愛さなければならないのです。中間であってはいけません。終わりまで行かなければなりません。それで、神様の形状が現れ得る真実な心、神様と一つになろうとするその心の本性が絶対的であり、それがすべてのものの始まりであり、終わりだと考えられる境地に入っていかなければなりません。そのように愛せよ、ということが第1の戒めなのです。(149-237,1986.11.23)

 

 神様と人間との拍子が合って和動することができる喜びの拍子の前に、すべてのものが自分の姿どおりに音律を合わせることができ、自分の姿どおりにすべてが象徴的、形象的に踊り、すべてがこのようにすることができる、そのような喜びの表示がそうだというのです。そのようになれば、万物も、「ああ、私が生まれたかいがあるなあ」と言うでしょう。例えば、神様と人間が愛の祝宴をするその日に同参ができる因縁をもち、その喜びをお互いに分かち合える存在になったという事実が、被造世界の限りなく小さい万物が望む所願だったのではないだろうかというのです。(166-46,1987.5.28)

 

 このすべての万物は、神様の息子、娘たちを造るための土台なのです。関係を結び、連結するための土台なのです。動物もそうであり、鉱物もそうです。鉱物世界にもプラスとマイナスがあるのです。植物世界にもみな雄しべと雌しべがあり、動物世界にも雄と雌があります。すべて橋を架けて、すべてのものが結集され、創造された最高の傑作品が、人間の内的形状と外的形状です。(144-236,1986.4.25)

 

 それでは神様は、なぜ夜と昼をつくられたのでしょうか。毎日のように一日中、お日様があれば、朝、何の刺激がありますか。光明な朝だ、輝く朝だというとき、光明といっても何が光明で、輝くといっても何が輝くというのですか。おもしろ味がないのです。しかし、すべてのものは、刺激のために、愛という課題をめぐって刺激的な象徴と形象でつづられながら、調和し得る拍子をもっているのです。(124-85,1983.1.30)

            

 皆さんの生命の根は、どこにありますか。堕落していない父母にあります。では堕落していない善なる父母の位置は、どのような位置ですか。神様が二性性相の主体であられるように、神様が自分の二性性相を展開し、神様の形状どおり万宇宙を造り、人間を造ったのです。アダムは神様の男性的性稟を展開させたものであり、エバは神様の女性的性稟を展開させたものなのです。このように見るとき、私たち一般人が普通「天のお父様!」と言うのは、お一人ですからそのように言うのでしょうが、そのお一人という概念の中に「天のお父様、お母様」という概念が入っているというのです。(140-123,1986.2.9)

 

 ②人間は神様が臨在される聖殿

 

 もし人間の先祖、アダムとエバが堕落しなかったならば、どのようになっていたでしょうか。アダムとエバは、神様と一つの体になり、神様と同じ立場に立ち、神様の創造の威厳を継承し、神様が創造後、お喜びになられたのと同じ位置に立つことになっていたはずです。神様と人間の間で、そのような関係を結ぶようになるのです。堕落していない本然の人は、神様の聖殿になるのです。(54-64,1972.3.11)

            

 アダムとエバは、神様の息子、娘であると同時に、神様の聖殿です。彼らが共に成長し、聖殿が完熟するように造られたなら、神様がアダムとエバの中に入ってこられるというのです。そして、完成したアダムとエバが神様を中心として聖なる式を挙げれば、神様と一つの体になるということです。神様は内的な神様になり、私たち人間は実体をもった神様の体になるというのです。
 コリント人への第1の手紙第3章16節を見ると、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」というみ言があります。信じて救いを受ける人も神様の聖殿になるのですが、本然の人類の真なる先祖の位置に進むその方たちにおいては言うまでもないというのです。(54-139,1972.3.22)

            

 神様が父になり、人間は神様の息子になったとしても、父は上にいて息子は下にいる上下関係のような、そのような気分がするのです。そのとき私たち人間は、どのような考えをするのでしょうか。「お父さん、お父さんが座っていらっしゃったその席を、私に一度下さい。私もお父さんの席に座りたいです」という欲望が私たち人間にはあるのです。ここで神様が、「おいこいつ、駄目だ」と言えば、すべて壊れるのです。しかし神様は、そのように言われないのです。むしろ神様は、私たち人間がそのような欲望をもっていることを知っているので、「早く、そうしなさい。早く、そうしなさい」と言われながら、その位置までも私たち人間に下さるのです。その位置まで人間に下さり、神様は私たちの心に臨在され、私たちの心を聖殿として、いようとされるのです。(54-89,1972.3.20)

 

 聖書には、「私たちの体は聖殿である」とありますが、それはどういう意味か、解釈できずにいるのです。それは偉大な言葉です。いくら大きな神様だとしても、その神様と私が愛をささやける愛の対象圏になり、その愛の対象圏と一つになれば宇宙を相続し得る権限が生じるからです。愛という原則基盤を通じて神様が造った世界、霊界、無形世界、実体世界、このすべて、すなわち宇宙の相続権を獲得できるのです。この驚くべき事実を知らないのです。(137-67,1985.12.18)

            

 アダムは、実体をもった神様の体です。コリント人への第1の手紙第3章16節にあるでしょう。あなた方の体が聖殿であることを知らないのかと。聖殿は、神様がいらっしゃる所でしょう。私たちの心に本然の愛が芽生えるその場所を、至聖所としているのです。ですから、アダムの心に神様が宇宙的な愛の聖殿を造り、愛の力を伸ばし、愛の花を咲かせようとするのです。これが、神様がアダムとエバを造り、家庭と世界に繁殖しなさいと祝福してくださった目的であることを知らなければなりません。(121-113,1982.10.24)

 

 一番神聖な所とはどこですか。至聖所とはどこかというとき、エルサレムの聖殿が至聖所ではありません。人間が造った、そこが至聖所ではありません。神様が造られた愛がとどまれる所が、最高の至聖所です。この至聖所を失ってしまったのです。ですから、人間の罪がどれほど大きいでしょうか。(136-310,1985.12.29)

            

 神様が人間を造ったのは、実体の神様の体として造ったということです。コリント人への第1の手紙第3章16節を見ても、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」と言っています。聖殿とは何ですか。神様の家だというのです。アダムとは誰かといえば、神様の体であり、エバとは誰かといえば、神様の夫人だったというのです。このようになっていたならば、その子供は、神様の血統をもって生まれるのです。彼らが神様の血族になるのが原則です。(135-313,1985.12.15)

           

 完成段階に至った人間が霊界に行くと、どのようになりますか。アダムは、神様の体になります。ヨハネによる福音書とコリント人への手紙に、「あなた方は神様の聖殿であることを知らないのか」と出ているのと同じように、神様が臨在できる聖殿です。家です。神様と、どのように似ますか。責任分担完成段階に至り、神様が臨在し一つになれば、愛によってすべての生命の結合、一体化が成し遂げられるのです。生命が和合するのです。男性、女性が家庭、夫婦を成すということは、愛を中心として一体となり、和合するということです。それと同じように、その愛の力は、神様と和合するようになるのです。神様と和合するようになるということなのです。(130-21,1983.12.11)

            

 人間が完成して成年になれば、そのとき、見えない神様が入ってきて愛をつくるのです。神様が好むと同時に、アダムが好む激動的愛を神様ができるというのです。それゆえ愛は、最高の神聖な聖殿です。神聖の聖という字です。ですから真の愛の中には、どこでも神様が入っていらっしゃるというのです。
 なぜ人は、真の愛を好むのでしょうか。真の愛にさえ会えば、神様がここにいらっしゃるというのです。ですからアダムとエバが成年になって愛するとき、アダムとエバの体は、この宇宙を創造した神様がその中に入ってきて最高の神聖な聖殿を築く、神聖なところになるのです。(128-325,1983.10.2)

            

 エバとは誰かというと、アダムの妻です。アダムは、神様の実体です。「あなたの体は神様の聖殿だ」と言ったのです。神様は、アダムの心に臨在している、見えない父です。この二つの父が一つになるのです。合一されるのです。ですから霊的世界、無形の世界と有形の世界の合一の起点がアダムの本性的基準です。その本性的基準は何ですか。お金のふろしき、欲心のふろしきではないのです。純粋な思春期を通じてすべての細胞機能が総動員され、一つの触覚として、アンテナとして現れたその基準を中心として、神様がそこに臨まれることにより、定着するのです。(120-70,1982.10.3)

 

 コリント人への第1の手紙第3章16節を見れば、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」というみ言があるでしょう。これが何かというと、神様の聖殿です。皆さんが神秘的な境地に入って祈祷しながら、「神様、どこにいらっしゃいますか」と尋ねると、答えがとても素晴らしいのです。「ここにいる! なぜそのように大騒ぎするのか」とおっしゃるのです。「朝ご飯を食べられなかったのか。夜遅く、なぜ大騒ぎするのか」と言うのです。「どこにいますか」と尋ねると、「どこにいるも何も、その深い心の奥に立っているだろう! お前の心の中にいるだろう!」と言われるのです。天国がどこにあると言いましたか。心の中にあると言いました。(224-214,1991.11.24)

 

4)人間本性の真なる生活

 ①心に和合した生活をしなければならない

 

 自分の一番近い先生とは誰かと言えば、自分の心です。一番親しい友達よりも貴いものが自分の心であり、お母さん、お父さんよりももっと貴いものが自分の心です。心に尋ねてみるのです。その心には、神様が入っていらっしゃるのです。その心の声を聞くことができなければなりません。その境地まで入らなければなりません。仏教には、自性を清めなければならないという言葉があります。「天上天下唯我独尊」とお釈迦様が言いましたが、それは何かと言えば、私が私に尋ねれば、私に神様が入っていることが分かる、ということです。そのようになれば、できないことがないというのです。(133-178,1984.7.10)

            

 愛する心は、いつも犠牲になろうとするのです。譲歩しようとするのです。与えても、また与えようとするのです。例えば、私にお金が百億あって、道端に出ていって全部分けてあげたとします。それでも心が安らかでないというのです。世界の人類をみな助けてあげられなかったので、お金がもっとあれば、もっと分けてあげたいのです。神様の心は、推し量ることができないというのです。神様の心がそうなのです。ですから自慢することができないというのです。いくら大きいことをやったとしても、心に尋ねると、「もっとやらなければ」と、このように答えるというのです。(133-180,1984.7.10)

           

 自分の心を清めなければなりません。心を清めなければならないというのです。心が先生よりも良いのです。心は、永遠の私の主人です。
 ですから、よこしまな心をもつなというのです。公理に属した、公的立場に立った心をもたなければなりません。(133-178,1984.7.10)

            

 ある人をさっと見れば、その人がどんな人かということを、心は一遍で分かるのです。すぐにもそれが分かるというのです。ですから、一番近い先生が自分の心です。ですから、その心を苦しめるなというのです。心を悲しませるなというのです。それは、先生を悲しませることであり、天宙の主人を悲しませることです。心が私の生涯の主人です。ですから、心を悲しませるのは、私の生涯の主人を悲しませることなのです。心が喜ぶことのできる道を行かなければなりません。(133-180,1984.7.10)

            

 心と楽しむ時間をもたなければなりません。世の中で見れば、寂しい立場のようですが、心と友達になる時間です。心と座り、瞑想でもしてみよというのです。深い祈りの境地に入るでしょう。人知れぬ、深い世界に入るのです。そのようなものが必要です。(133-18,1984.7.10)

 

 ②三位一体を成してこそ完成人間

 

 統一教会では、三位一体を主張しています。それを何によって一体化させるのかといえば、正に真の愛を中心として一つにするというのです。観念と実在に対する問題も深く入ってみると、いろいろな背景があります。それを解明していけば、正にこの道が正当な道だということが分かるのです。それは、体恤してみれば証明されるのです。(227-12,1992.2.10)

          

 良心が正しい、行動が正しい、心身一体圏を成しているというとき、それは何を中心として言う言葉でしょうか。言葉だけではいけないのです。行動だけでもいけないのです。心身一体圏の決着点は、どこでしょうか。「まずは90度になれ。90度になるには、すべての世の中で、水平として中心になれる基準を立てよ。西洋に行っても東洋に行っても、連結できる標準的な人間になれ。それゆえ、歴史的に現在と未来を通して見ても、それは間違いないと言える基準になるべし」これが結論です。(205-49,1990.7.7)

            

 人間の貴重な価値を満点にするのは、真の愛と一体になるときに可能なのです。心身一体とは、良心と肉身が共鳴圏に立っていることをいいます。音叉の周波数が同じとき、一方をぽんと打てば、その反対の音叉が響きます。それと同じように、真の愛によって良心を打てば、肉身が響くのです。真の愛によって肉身をぽんと打てば、良心が共鳴圏をつくるようになるのです。そこには、教育は必要ありません。その真ん中に入れば、教えるべきすべてのことが分かるようになっているのです。(223-355,1991.11.20)

            

 統一教会の勇士は、どんなことがあっても心身一体圏を成さなければなりません。この生涯の間に、心身一体圏をどのように成すのでしょうか。それを成すことができない者が愛を考え、理想を考えるということは恥ずかしいことです。天運に反するのです。そのようなものを完成した自分自身を指向する、そこに新たに希望の道が連結されるのであって、ただそのままの基準においては、新たな希望の天国に連結される道が現れません。(205-45,1990.7.7)

 

 心身一体をどのように成すのでしょうか。歴史を通じて心身が紛争しています。神様がそのように創造されたとすれば、そのような神様は、人間の敵です。自分がそのような立場にいることをはっきりと知って、神様に、「神様自体の心と体が人間のように争いますか」と尋ねたら、神様は、どう答えるでしょうか。そのようななことを考えてみた人がいますか。神様も人間のように、良心と肉身が心身一体できずに闘っているのかと聞いてみれば、神様は間違いなく、そうではないと答えられます。
 皆さんは、そのような境地に到達したことがないので知らないかもしれませんが、統一教会の教主としては、そんな境地をいつでも連結できる道があるので、間違いありません。神様は、心身一体となっていらっしゃるのです。(223-349,1991.11.20)

            

 宗教生活は、体を主管するものです。3年ないし5年以内に習慣性をつくるのです。そのようにならずに、不便な自分を発見できないときには、心身一体をいくら願っても道がないのです。先生の第1目標は、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」ということです。自分自身の統一圏を成せない人が、いくら世界を飛び回ったとしても、自分と関係をもつ道は絶対にないのです。(222-340,1991.11.7)

            

 人間の体は、サタンの血統をもっています。皆さんの良心は、アダムとエバが長成期完成級に成長する時まであった神様の良心の基準にまで、成長しなければなりません。それは信念です。それと反対の愛の力により、この良心以上の力によって、サタンにだまされてしまいました。良心も肉身の方向に従わざるを得なかったのです。良心のほうに、もっと力を与えなければなりません。
 ずっと多くの力を与えれば、肉身がいくら強くても、ついてこざるを得ないのです。そうでなく、良心が肉身より弱ければ、現在の状態よりもっと下に落ちることになるのです。この二つの道しかありません。
 それで、断食とか水行をして、犠牲と奉仕をするのです。それ以外の道はありません。皆さん、そうですか。この道を歩んでいますか。死んでも犠牲と奉仕をしようと誓いますか。それで死ぬ覚悟をして反対の道を行かなければならないのです。宗教の行く道、それは克服の道です。心身が闘うそれ以上の克服の道なのです。その道を行かずしては、心身一体を成すことができないのです。(222-333,1991.11.7)

 

 統一教会に入って長くなったからといって、罪を埋めておいてはいけません。それを清算しなければなりません。手続きを踏んで清算しなければならないのです。私の生涯のすべてのものを白紙化させて、そこから新たに復活してエデンの園で罪を犯さず、神様が造られた心と体が完全に真の愛と一つになれる本然的な私だ、と自覚できる男性と女性にならなければなりません。分かりましたか。そうでなければ故郷へ行くことはできません。
 皆さんは、故郷の家を訪ねていかなければなりません。そこには、神様がいらっしゃるのです。神様がいらっしゃり、本然的父母がいらっしゃり、本然の私たちの家があり、皇族圏生活を中心として万国を治め得る長子権国家の後孫たちが住むべき所なので、そこが新しい私の故郷の家です。自分が生まれたその故郷ではなく、新しい私の故郷の家、本然の家を訪ねていくにはどうしなければならないでしょうか。その故郷に入れる資格を備えなければなりません。そうするには、私自身が心身一体となり、統一圏を備えなければならないということを知らなければなりません。(233-168,1992.8.1)

            

 いくら良くできなかったとしても、「神様、私はこのように良くできませんでした」と、このように率直でありなさいというのです。そのように祈祷しなさいというのです。「本然の心がこうで、父の心がこうで、師の心がこうで、国の民の心がこのようになるべきではありませんか。このような心を神様の愛と連結させようと、忠孝を尽くす私の心は、変わらないでしょう。このような心を哀れに思い、きょうのこの心の前に、すべてのことを許してくださることはできませんか」と言えば、神様が「うんうん」と言われるのです。祈祷する方法も知らなければなりません。分かりましたか。(149-37,1986.11.1)

            

 神様は、いったいどこにいらっしゃるのでしょうか。神様が住まれる所は、いったいどこでしょうか。神様は、最も価値のある愛に定着します。それならこれが男性と女性の二人だとすれば、神様は、どこにいるでしょうか。神様は一体化し、変わらない、統一された愛の最も底に、垂直に住んでいらっしゃるのです。これが何かといえば、男性と女性が一つになった所、それが中心点になるのです。
 皆さんが神秘な祈祷の境地、霊的体験圏に入って、「神様!」と言えば、おなかの中から、「どうして呼ぶのか。ここにいる、ここ!」と答えます。「ここ」というのは自分の心の中です。心身一体となった愛の中心点、垂直の場にいるのです。神様の点を垂直と見れば、これをゼロ点というのです。(224-148,1991.11.24)

            

 心身一体となれば、宇宙の力が保護してくれるのです。宇宙の力が保護してくれる心と体になれば、父母も宇宙の因縁をもった父母、兄弟もそのような因縁をもった兄弟です。みな因縁を結んでいます。民族、国が因縁を結ばなければならないのです。素晴らしい結論です。それで、国を越えて他の国に行っても、そのような一体圏を成せば、そこでも通じるのです。どこでも通じるのです。サッカーをするとき、ボールが転がっていって止まったら、どうなりますか。その表面全体が合わさることができる所は、垂直線を通るのです。それで、球形体を理想的な存在だというのです。
 表面のどんな箇所でも、その垂直線が安着できるのです。それで転がっていくのです。どこで心身一体圏、90度の角度になれば、どこでもみな合うのです。西洋人と東洋人、過去の人と現在の人、未来の人も、どこでもみな合うのです。(205-53,1990.7.7)

 

 ③心が正に師であり、近い神様

 

 心とは誰でしょうか。私の主人です。私の先生です。心は誰かというとき、心に似た体を生んだので、私の体の根源です。ですから平面的に、お母さん、お父さんの代わりです。心は、父母の代身であり、師の代身であり、その次は主人の代身です。(222-157,1991.11.3)

            

 皆さんの心は、師が必要ありません。心は、第2の神様です。師についていかないで、統一教会の先生に侍らないで、皆さんの心に侍りなさい。心はどうですか。朝、早く起きて一人、ねずみの子の音も聞こえず、ハエの音も聞こえない静かな時に、「ああ、私は、こんなことをしなければ。良いことをしなければならない」と言えば、心が「うれしい! うれしい! 早くしろ!」と言いますが、悪いことを考えれば、心が「こいつ!」と言うのです。心が分かるでしょうか、分からないでしょうか。分かるのです。そうだというのです。心は、よく知っているのです。(138-124,1986.1.19)

            

 心の価値、私にとって心がどれほど貴いものかを考えてみたかというのです。心は、体が間違った所へ行こうとすれば、いつでも忠告し、「こうしてはいけない」と、みな制裁するのです。しかし体は、いつも心を攻撃し、無視し、踏みつけて、自分勝手だというのです。迫害を受けながらでも死ぬ時まで、私にとっての戦友のように、師のように、主体的使命を全うすべく犠牲を払っていくのが、私たちの体についている心だ、ということを考えてみたかというのです。(217-91,1991.5.4)

            

 人間の主人は、正に自分の良心です。この良心がどれほど皆さんのために忠告し、昼夜を分かたず悪い考えをすれば、「おい、こいつ!」と言って、疲れずに引っ張って峠を越え、川を渡ろうと、どんなに気をもんだことでしょうか。このように、心は、真の主人の姿をもって私を保護しようとするのに、裏切った体、一つしかない宇宙から貴い師として賜り受けた先生であるにもかかわらず、この先生を手荒にあしらった体、また私の本然の愛の心を引き継いでいけるように、父母の代わりに送ってくださった良心を容赦なく蹂躙したこの体、このように心の怨讐となったこの体を、皆さんは愛しますか。いいえ!(201-353,1990.4.30)

            

 もう、私たちが誰かの言葉を聞く時は、過ぎ去りました。どんな真理よりも、千万倍素晴らしい師の言葉よりも、私の心の声を聞き、聞いてもまた聞きたくて、その心を求めていくべきです。そうすれば、私も分からない無限大の何かが出てきます。それが創造の内容です。(7-201,1959.9.6)

            

 良心が体のために、どれほど犠牲になったことでしょうか。一生の間、蹂躙される良心の事情を皆さんは知っていますか。昼も夜も、私を管理するのにくたびれているのが良心です。それでも疲れずに、体が悪い行動をしようとすれば、やめさせようとするのです。「そんなにやったのなら、もうやめなければならないのではないか。私の言うことを聞かなければならないのではないか」と、そう言うでしょう。自分に一番近い、父母の代わり、神様の代わり、師の代わりの存在が良心です。心自体には、教育が必要ありません。しかし、体には、教育が絶対必要です。(214-282,1991.2.3)

            

 皆さんの心と体を中心として見るとき、心がどれほどかわいそうですか。心は神様の代身です。心は烈祖(注:功績のある先祖)、先祖たちを代表するのです。心は師を代表し、心は王を代表するのです。ところが、これまでこの心をどれほど蔑み、手荒にあしらいましたか。宇宙の中心として真なる父母の立場、真なる師の立場、真なる主人の立場にある、真の愛をもった主体としていらっしゃる方の代身であるその心が、この地上において私一人を収拾するために、どれほど犠牲になったことでしょう。
 (心は)そのように犠牲になりながらも不平を言いますか。(心は)ぞんざいに扱われ、引っ張り回されながら、死んだように見えても、(私が)悪い考えを抱いて夜中にどろぼうでもすれば、「おい、こいつめ!」と再び生き返って忠告するのです。
 皆さんは、そのような心を、どれほど弄びましたか。心は父母の代身であり、心は師の代身であり、心は主人の代身です。心の世界には、公判が必要ありません。皆さんが、皆さん自身を誰よりもよく知っています。第三者、証人が必要ないのです。(209-154,1990.11.28)

            

 私自身に、偉大な師がいることを知りませんでした。心は、偉大なお母さん、お父さんの代身なのです。お母さん、お父さんが心に逆らって訓示するはずはありません。心がお母さん、お父さんのように訓戒するとき、服従できなければなりません。このようなすべての秩序的環境において、起源になり得る道義的な結論が出ていません。そのような公式が出ていないというのです。心を虐待してはいけません。
 皆さんは、二重人格が好きですか。心は、先生の代身、父母の代身、神様の代身です。心を教えられる師は、いません。(207-266,1990.11.11)

            

 すべての人間は、それぞれ自分の中に、最も貴い師を一生の間ずっともっているのです。にもかかわらず、その師を間違って待遇し、踏みにじり、濫用します。その師が、正に人間の良心です。私たちの良心は、常に私たち自身にも、助けになるように言葉を語り、私たちを真の愛と連結させてあげようとします。父母のように私たちの良心は、私たちをして善なる非利己的な人になれと促し、神様のみ意に従って行動するように導いてくれます。
 しかし、各自の心の中にはまた、良心の声にいつも逆らう反乱者がいます。その反乱者が、まさしく肉体なのです。(201-208,1990.4.9)

            

 「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」というのは、悟りの道を開拓したときの標語でした。「宇宙主管を願う前に、この世の万事と何らかの関係をもつ前に、自己主管を完成せよ」と言いました。(201-154,1990.3.30)

 

 貴重な三大お客さんです。主人になれる、師になれる、父母になれるこの方を、私の体が千年、万年仕えても不足だという自分自身を発見するときに、初めてここに天運が臨むのです。心は体のために生きようとするのですが、体は心のために生きません。これが問題です。問題は、私自身にあるのです。社会にあるのではありません。(201-154,1990.3.30)

            

 このように心は、真なる主人の姿をもって私を保護しようとするのに、裏切ったこの体、宇宙から賜った一つしかない貴い師であるにもかかわらず、この先生を容赦なく手荒にあしらったこの体、また私の本然の愛の心を引き継げるように父母の代わりに送られた良心を容赦なく蹂躙したこの体です。このように心の怨讐となったこの体を、皆さんは、愛しますか。いいえ。心と体の闘いをやめさせる前には、天国はないのです。いかなる聖人も、このようなことを考えませんでした。(201-154,1990.3.30)

            

 陰と陽、性相と形状というプラス・マイナスは、相対的であって、相反することができません。
 しかし今日、堕落した人間には心の声もあり、体の声もあります。心と体が一つになっていません。神様に似て生まれるべき男性や女性の心と体が、どのように分かれたのかというのです。これが問題です。
 神様は絶対的な方なので、私たち人間においての標準相である心と体が絶対的に一つになり、神様の全体世界に和合し、一つの中心的な役割をすべきなのにもかかわらず、私たちの心と体がどのように分かれたかというのです。心と体が分かれたのが、心のままになされたことなら、神様はいないのであり、理想や統一や平和や幸福といったものの基地を見いだすことができません。(195-304,1989.12.17)

            

 神様は、遠くにいらっしゃるのではありません。私の中にいらっしゃいます。心が皆さんの主人でしょう。夜にただ悪いことをしようとしても、現れて「行くな」と言い、いつでも現れて主人の役をし、どこででもお母さんのように、先生のように教えてくれるのです。ですから、この体というやつが怨讐です。(201-74,1990.3.1)

            

 神様は誰に似ましたか。私たちに似ました。男性と女性です。皆さん、心は見えないでしょう。心を見たいですか、見たくありませんか。神様も同じです。神様が霊的な立場から見れば、神様も体がありません。今まで体がありませんでした。アダム完成が成されなかったので、体が今までなかったというのです。心のような宇宙に、心のような主人、心のような師、あるいは管理者、心のような父母としているのです。(197-44,1990.1.7)

            

 皆さん、心と体が一つにならなければ駄目なのです。そこに焦点を合わせなければなりません。祈祷するとき、心と体が呵責を覚えるものがあれば、悔い改めなければなりません。
 悔い改めるときは一人ではいけません。東西南北を備えなければなりません。自分に一番近い人、父母に通告しなければなりません。師に通告しなければなりません。
 その次に、自分の息子、娘に、自分の弟子に通告しなければなりません。「私に、これこれこのようなことがあるのだが、許してもらえるか」と言うのです。こうして、心を合わせて後援を受けられる、このような道を行かなければなりません。何のことか分かりますか。(184-301,1989.1.1)

            

 心と体がいつ統一できるのか、それを考えなかったでしょう。これが深刻な問題です。一生の間、心と体が闘うのですが、この闘いをやめさせる者は誰でしょうか。これが問題です。私たちのお母さん、お父さんもやめさせられません。王もやめさせられません。師もやめさせられません。聖人もやめさせられません。この心と体の闘いをやめさせられる主人は、どこにいるのでしょうか。深刻に求めてみましたか。それが真の愛だというのです。(184-211,1989.1.1)

            

 心は、皆さんの番人となって昼も夜も皆さんを守ってくれ、皆さんに休みなく、「善なることをしろ。善なることをしろ」と言うのです。ですから、どんなに疲れるでしょうか。生まれたその日から、意識的に考えることができ、社会環境において、すべての制度を分析できる知能的起源が生じるその日から、生涯をついて回るのです。自分の師もついていくことはできず、お母さん、お父さんもついていってくれませんが、生まれたその日から死ぬ時まで、永遠に良心は、私に対して命令するというのです。
 神様に似なさい、聖人に似なさい、愛国者に似なさい、孝子に似なさい。そのように似ることを願うのですが、「体よ、お前は私に似なさい」と言うのです。(179-311,1988.8.14)

 

 皆さんの心と体の統一も、真の愛でなければできません。ですから心は、体のために犠牲になりながらも忘れ、また忘れ、また忘れるのです。心は、神様の代身としての立場なので、皆さんの師の中の師です。その心は、神様がご自身の代わりに送ってくださった、私の中心です。縦的な私です。(226-60,1992.2.1)

 

5)真の人間が行く道

 ①人間が求めて行くべき道

 

 本性の心が行く道を行けば、宇宙が一つに広がります。そのような何かがなければなりません。そのような境地に入れば、自分の心と話をするようになるのです。そのような境地では、心と話をするのです。何かをしようと思えば、既に答えが出てくるのです。そのような境地まで進むのです。そのような境地にいる人が、自分の行く道が分からないでしょうか。もう行く道が確実で、宇宙におけるすべての作用の力が助けるのです。手を引っ張って試験場へ入れば、既に、すべてのものが協助するのです。そうしてこそ、大きいことができるのです。(120-313,1982.10.20)

            

 偉大な力の背景をもって生きられる人間が、真の人間です。真の人間には、そのように無限の力のバックグランド(背景)があって、自分が指向する方向に無限に後押ししてくれるのです。方向が間違えば、すぐに分かるというのです。皆さんが知っている統一教会は、いい加減な教会ではありません。深い背景、偉大な力のバックグランドをもっているのです。ですから皆さんが努力をしてこのような境地を連結して上がれば、すべてのものがみな解決されるのです。ですからそのような面で、皆さんが行く方向感覚を決定しなさいというのです。それは、自分がしなければなりません。自分が一番よく知っているのです。(120-313,1982.10.20)

            

 自分が行く道を求めていかなければなりません。お金さえもてば、すべてでしょうか。そうではありません。お金が必要なときがあり、また人として自分が行くべき、他の道を行くべきときもあるのです。ですから、自分が行く道は、自分が決めなければなりません。自分自ら、自分の深い心の底から本来、自分がもって生まれた本質と共に和合して、未来の目的を指向できる、天があれば天がその方向を提示するようにして、自ら解決するようにしなければなりません。(120-298,1982.10.20)

            

 磁石は地球の引力を凌駕した作用として現れるようになっていますが、そのような作用は、何によって可能なのでしょうか。それ自体は、地球の重力以下の作用ですが、(主体と対象の関係において)その作用を越えるというのです。ですから、私たちの良心も同じです。生まれたなら、既に、自分が生まれた背景がさっと分かるのです。これは、自分が判定しなければなりません。そのようなものを感覚、判定できなければ、皆さんは将来、大きいことができないというのです。(120-301,1982.10.20)

            

 私たちが自然を見て、「ああ、私には四季が必要ない。私は、春だけ必要であって、夏や秋や冬は嫌だ」と言うかもしれませんが、神様に尋ねてみると、「私は四季がみな好きだ」と答えるというのです。ですから、嫌いでも夏を好むことを習わなければならないし、秋と冬を好むことを習わなければならないというのです。雪が降る冬になれば、神様は白い雪が世界的に積もるのを見るとき、喜ばれるのです。「ああ、私もいい」と言うのです。そうでなければなりません。(133-29,1984.7.1)

            

 神様のような心で、自然を見ることができなければなりません。そのような心をもたなければなりません。洪水が起こり、雷が鳴ったりするときは、「ああ、あれは私は嫌だ」と言うなというのです。神様は、「ほほ、あれはキスして結婚するのだな」と、このように考えるというのです。そして「嫌いだ」と言う人たちに、「はははは、おいこいつ! ならず者たちよ!」と言うのです。(133-29,1984.7.1)

            

 人間を愛さなければなりません。人間の中でも、五色人種をみな愛さなければなりません。「ああ、私は、白人だけ好きだ」と、神様がそう言うでしょうか。それなら、みんな白い服だけを着なければなりません。白人たちは、みんな白い服だけを着なければなりません。色のある服は、全部捨てなければなりません。黒い服を、なぜ着ますか。色のある服を、なぜ着ますか。それは矛盾です。部屋に入れば、色とりどりのものがみなあるのに、ピアノなどもみな真っ黒ですが、どうして置いてあるのですか。黒板のようなものも、どうしてもってきたのですか。その人たちには、夜もあってはなりません。真っ黒な夜もあってはなりません。真っ黒な夜もあってはなりません。どうしてそうですか。白人中心ですか。白人中心が何ですか。それは、滅びる道です。それが何年も続くと思いますか。どれほど続くと思いますか。冬がいくら長くても3カ月しか続きません。永遠のもののために皆さんは、四季をみな愛さなければなりません。ですから白人だけ好んではいけないのです。(133-29,1984.7.1)

            

 神様の愛は、神様のすべてを愛し、人類を愛するだけでなく、過ぎ去った過去、現在、未来の人類を愛してあげる愛です。ですから、地獄へ行った霊人たちまでも解放してあげる運動をする神様だ、ということを知らなければなりません。人は、真理の道を行かなければならず、命の道を行かなければならず、愛の道を行かなければなりません。いくら偉大だとしても、「ため」に生きる基盤がなければ、すべてのものがついてこないのです。このように生きる人は、自然に主体になります。真の命の人になるのです。(133-30,1984.7.1)

            

 皆さん自身が、自分がどんな道を行くべきかを知って、行かなければなりません。方向をすっぱり決めたなら、それを中心としてありったけの精力を、みな投入するのです。疲れて目を開けることができないほど、耳が聞けないほどに、すべてを投入しなければなりません。(120-315,1982.10.20)

            

 統一教会で正常な信仰生活をすれば、自分が何をすべきか、すぐに分かるようになっているのです。しかし、自分を中心として生き、自己の考えを中心として行動する人は、分からないのです。船にいるねずみも、波打てば船が破損することを知り、すぐに縄をつたって、船が出る前に、みな港の荷下ろし場へ出ていくのです。それなのに、人間にそれが分からないはずがないというのです。自分が行く道を知らなければならないというのです。
 ありも、梅雨になることがみな分かるではないですか。ありが引っ越しするのを見たでしょう。行列をつくって。意味のない空想でもしているので分からないのでしょう。自分が自分の分野を知らないという事実は、深刻なことです。重要な一生の問題を、天と共に深刻に話し合うべきです。そして、自分自ら環境的与件に適応しなければなりません。それを、誰がしなければなりませんか。それは、いずれにせよ自分がしなければならないのです。(120-298,1982.10.20)

            

 人は、冷静になれば、心の深いところに心が落ち着く場があるのです。心が眠れる場があるのです。そこまで私の心が入らなければなりません。そこで寝て、目覚めるときには鋭敏だというのです。そのとき、雑多な考えをせずに、精神を集中すれば、すべてに通じます。ですから修養が、祈祷が、必要なのです。(120-306,1982.10.20)

            

 先生も祈祷するのです。精誠を尽くすのです。いつも精誠を尽くさなければなりません。精誠は、一度だけ尽くせばいいというものではありません。刀は常に研がなければなりません。刀を一度使って、研がなければどうなりますか。いつも研がなければなりません。一度、激して怒ったならば、常に研ぎ澄ましておかなければなりません。それが問題です。静かに、心の位置を定めておかなければならないのです。(120-306,1982.10.20)

            

 心情の世界の中央に行けば、下がったり上がったり運動するのです。自動的に運動するのです。これが息をするということです。地球も息をしていることを知っていますか。地球も1メートル近く息をするのです。こうしながら調整しているのです。円形に曲がったところを調整するのです。ですから心情の世界も、中央はすべて軸を中心として上がったり下がったりするのです。運動するのです。(120-308,1982.10.20)

            

 すべての存在物は、球形で形成されています。ですから、心の、心情の中心、真ん中に入ってみよというのです。そこで、無限の力が伝わるのです。それで90度の角度さえつくれば、無限な力を90度で保つことができます。それで修養の道を行かなければなりません。精誠を尽くしてこの世のすべての面で、深い心霊世界を体験しなさいというのです。一生の間生きていくのに、推進力を無限に供給してくれる一つの源泉が必要なので、そのようなことをするのです。(120-308,1982.10.20)

            

 先生も、先生自身が今もっている力より、もっと大きい世界的な仕事をするときは、深刻だというのです。もっと大きい力が必要なときは、それを、どこからもってくるのかということが問題になります。もってこれないときは、それをどこから補うのかが問題になります。もってこれないときは後退しなければならないのですが、そうすることはできません。ですから祈祷が必要であり、神様が必要なのです。心情の世界が、それで必要なのです。愛の世界は、いくら引っ張り出しても終わりがないのです。物質の世界も終わり、知識の世界も終わり、権力の世界もすべてが崩壊し得るのですが、心情の世界は無限なのです。ですから、心情の世界を中心として動かさなければなりません。(120-306,1982.10.20)

            

 神様は、独裁者ではありません。神様も、人間のために投入しました。神様が人間の前にいるのは、「ため」に存在するのです。ですから、千年、万年神様についていこうとするのです。「ため」に生きる天理の宇宙の存在世界で、自分自らの存在位置を維持するためには、「ため」に存在しなければなりません。「ため」に生きることにより、東洋、西洋に通じることができ、古今に通じることができるのです。神様は、昔も今も、東洋にも西洋にもみな同じ愛をもっているので、東洋、西洋を克服でき、過去、現在、未来を克服できるのです。それはどういうことかといえば、過去も現在も未来も克服できるので、いつも発展できるし、東洋、西洋を克服するので、東洋、西洋を統一できるというのです。これは愛でのみ可能なのです。(187-89,1989.1.6)

            

 自己主張するときは、自己破壊、相対破壊、神様破壊、完全に分離されるのです。そこでは、統一的理論を発掘できないことを知らなければなりません。簡単な言葉ですが、重要な言葉です。私たちが理想を求めていく最後には、究極には神様の愛と縦的な統一を要求しますが、その縦的基準が早く来いと催促するためには、互いに「ため」に生きなければなりません。「ため」に生きるところから、完全に統一圏が広がるのです。(187-89,1989.1.6)

            

 どのように統一されるのでしょうか。先生がどのように統一するのでしょうか。何によってですか。こぶしによって、力によって、お金によって、権力によって、知識によってですか。愛を中心とした、「ため」に生きる立場で、万事が解決するのです。結論は簡単でしょう。真の愛を中心として「ため」に生きていくところに、悪魔の世界が天の国へ再創造されていくという結論です。それは理論的です。(182-134,1988.10.16)

 

 ②真の人間の行く道

 

 自分を中心として作用しようというのは悪をもたらしますが、全体のために作用しようというのは発展をもたらすのです。これを知るべきです。全体のために行くところには、すべてのものが門を開くのです。個人も門を開き、家庭も門を開き、氏族も門を開き、民族も門を開き、世界も門を開き、天の国も門を開き、愛の道や、すべての道が門を開いて歓迎するというのです。そのような道とは何でしょうか。これを私たちは、考えなければなりません。それで統一教会は、このような観点で、「ため」に行く道を選べ、「ため」に生きよと、「ため」に生まれたという天理を教えるのです。(133-16,1984.7.1)

            

 真の人生が行く道とは何でしょうか。一つの公理として立てるべきことは、「ため」に生きよということです。これは、どこでも通じることのできる原則ですから、万古不易(注:永遠にかわらないこと)です。過去、現在、未来がないので「ため」に生きよというのです。ここに孔子やイエス様やお釈迦様やムハンマドマホメット)のような、すべての聖者といわれる人の前に神様が現れ、「あなた方はどう思うか」と言えば、「そのとおりです」と言うでしょうか。「それは違います」と言うでしょうか。「正しい」と言います。それが宇宙の法則です。それが、人間が人生において真の姿で生きられる一つの法だということを知るべきです。このような真の道があるのです。(133-16,1984.7.1)

            

 世界的な人物になるためには、どうしなければならないでしょうか。人倫道徳だけを中心としてはいけません。人だけを中心としてはいけないのです。人だけを中心としては、国を越えることができません。国を越えるそのような内容は、天にあるのです。天宙思想をもたずしては、国を超越できないのです。(30-260,1970.1.8)

 

 ですから聖人たちが何を紹介したのかといえば、人間だけを紹介したのではなく、神様を紹介しました。聖人のレベルに同参した人々を見れば、神様を崇拝しましたか、しませんでしたか。神様を抜きにして聖人になった人がいますか。(39-316,1971.1.16)

 

 また聖人たちは、人倫の道理だけ教えたのではなく、天倫の道理を兼ねて教えたのです。(33-291,1970.8.21)

            

 家庭で父母に尽くし、愛する人は、孝子です。国のために生き、愛する人は、愛国者です。世界を愛する人は、聖人です。それでは、先生が教えるものとは何ですか。神様と世界と宇宙を愛する聖子になれというのです。皆さんは、どのような者になりますか。聖子になりますか。孝子、孝女になりますか。そうなるには、神様のような愛を心にもたなければなりません。(129-99,1983.10.1)

            

 神様は、短い生涯を生きて死んでいく人間の前に、一番良い標語、一番良い課題を賦与せざるを得ないので、その課題を「誰よりも神様を愛しなさい」という標語として掲げたというのです。それによって誰もなることのできない神様の息子になれるのです。
 神様の息子になる日には、聖人完成はもちろん、忠臣完成ももちろん、孝子完成ももちろん、すべてのものが完成だというのです。このようになれば、家庭でも勝利した立場に立つのであり、国家的基盤においても勝利者となるのであり、世界的基盤においても勝利した者となるのです。(100-157,1978.10.9)

            

 統一教会は、何をしようというのでしょうか。偉人をつくろうというのではありません。聖人をつくろうというのです。偉人の前には怨讐がいますが、聖人の前には怨讐がいません。偉人は自分の民族だけを愛した人ですが、聖人は人類を愛した人です。それゆえ偉人が神様の前に出ていくとき、「お前は、お前の民族は愛したが、私が愛する、私が求める世界人類を愛することができなかったではないか」と言われれば、出ていくことができませんが、聖人の道理に従っていった人は、神様の前に直行できるのです。統一教会は、何をしようというのですか。偉人をつくろうというのですか、聖人をつくろうというのですか。(38-263,1971.1.8)

            

 宇宙を造った神様とは、宇宙の法度を立てた神様とはどんな方でしょうか。全宇宙を通じて、誰よりも「ため」に生きる代表的な立場に立った方です。その方が神様だというのです。ですから、その方に出会うには「ため」に生きなければならないのです。その方は、知識の大王であられながら、「知識をもって神様の前に来い」とは言いません。能力の大王ですが、「能力をもってこい」とは言われません。権力に対する、お金に対する、物質に対する主人であり、大王ですが、「それをもってこい」とは言われないのです。「ため」に生きてくれば、すべてがついてくるというのです。(133-16,1984.7.1)

 

 ③「ため」に生きる法度を立てた理由

 

 私たちが思うに、愛とか理想とか幸福とか平和とかという言葉は、一人では成立しません。これは、相対的な関係で成立する言葉なので、いくら絶対者、神様がいらっしゃるとしても、その神様が願う理想と幸福と平和は、一人で成すことはできないのです。神様の理想を成就させることができ、神様の愛を成就することができ、神様の幸福と平和を完結させられる対象が人間だ、という事実を私たちは考えることができなかったのです。神様独りで愛すれば何をし、神様独りで理想をもって何をしますか。相対的な人間を通じずには、このような要件を成就させられないというのは、当然の結論です。(75-315,1975.1.16)

            

 知恵の王であられ、全体の中心であられる神様の真なる愛や、真なる理想や、真なる幸福や、真なる平和の起源を主体と対象、この両者間のどこにおくのでしょうか。これが問題にならざるを得ません。主体がいらっしゃる反面、対象がありますが、主体のために生きる道と対象のために生きる道、この二つの道の中で、理想の要件をどこにおくのかということが、創造主であられる神様として、問題とならざるを得ません。
 それで真なる理想、真なる愛、真なる平和を成すにおいて、主体を中心として対象が主体のために生きるところに理想的起源をおくのか、対象を中心として主体が対象のために生きるところに理想的起源をおくのか、という問題を神様は考えられました。その理想的起源を、対象は主体のために生きよという立場に立てるならば、神様がそのようになります。と同時に、すべての人も、自分がある対象をもち得る立場に立つならば、そのようになるでしょう。そうなれば、一つになる道がふさがってしまいます。これを知るべきです。(75-318,1975.1.16)

            

 一つになることができ、平和の起源になる道は、どこにあるのでしょうか。神様ご自身だけでなく、真の人間も「ため」に生きる存在だ、という原則を立てざるを得なかったのです。
 ですから真の愛は、「ため」に尽くすところから、真の理想も「ため」に尽くすところから、真の平和、真の幸福も「ため」に尽くす立場で成り立つのであって、「ため」に生きる立場を離れては見いだすことができません。これが天地創造の根本だということを、私たち人間は知りませんでした。(75-318,1975.1.16)

            

 男性と女性が生まれたのは、どうしてでしょうか。男性は男性のために生まれたのではなく、女性のために生まれたのであり、女性は女性のために生まれたのではなく、男性のために生まれたのです。生まれるのに、自分のために生まれたのではありません。自分のために生まれなかったのに、自分を主張するのです。「私、私」というこの思想を壊してしまわなければなりません。これさえ壊してしまえば、統一の世界が展開するというのです。(61-266,1972.9.1)

            

 自分の価値を自分から追求するよりも、相対から、すなわち相対的基準からその価値を追求する道を探求する人は、不幸な人ではありません。いつでもどこでも、心情の土台は相対圏をもっているので、どこに行き来しても、彼は寂しくなく、幸福であり得るのです。(59-200,1972.7.16)

            

 神様は、なぜ「ため」に存在する原則を立てざるを得なかったのでしょうか。まず皆さんに尋ねますが、もし皆さんのために誰かが心から生命を尽くし、犠牲になりながら100パーセント恩賜を施した人がいるとすれば、皆さんの本心がその恩に報いるのに、50パーセントはポケットに入れて、50パーセントだけ報いたいですか。それとも、ありったけの恩返しをしたいですか。私たちの本心が、どのように作用しますか。誰でも、より多く報いたいのが本心です。
 与えるままに、心から愛する中でくれたことを知れば、100パーセント以上を返そうとするのです。100パーセントが110パーセントになって帰ってくるし、その110パーセント返ってきたのは、また向こうが心からくれたので、120パーセントを返すようになるのです。このようにすることによって、ここで永遠という概念が設定されるというのです。永遠が始まるのです。ですから、このような原則を立てざるを得ないし、それだけでなく、ここから発展と繁栄が生じるのです。(73-326,1974.8.10)

            

 理想と愛は、人間にとって生命よりも貴いものなのにもかかわらず、今日、人間たちは、このようなものが自分のものとして、自分に現れると思っていること、これが大きな誤解だというのです。愛と理想は、どこから来るのでしょうか。対象から来ます。対象から来るので、「ため」に生きる法度を立てざるを得ないのです。知恵の王であられる神様は、このようなすべての結果を御存じなので、そのような法度を立てざるを得ないということを知るべきです。(73-326,1974..8.10)

            

 永遠という概念、これは自分の「ため」に生きるところでは不可能なものです。皆さんが運動するのを見ても、押してくれ、引っ張ってくれる相対的方向が、大きければ大きいほど早く回るのです。知恵の王である神様が「ため」に存在する法度を立てたのは、永遠であり得るために立てられたということを知るべきです。(75-322,1975.1.16)

            

 私たちの中で、「人に主管されるのは死んでもできない」と考える人たちが多いと思います。さらに、識者層にいる高名な方の中に、このようなことを多く見ます。しかし、一つ知るべきことは、今までの人間たちが、「ため」に存在するその方に主管されて生きることが、どれほど幸せかという事実を夢にも考えられませんでした。霊界の組織を見れば、天地の大主宰であられる神様、その神様は、宇宙万有の存在の中で、「ため」に存在する中心存在なので、その方に支配されるのがどんなに幸せなことか知れません。千年、万年、支配されても、感謝できる理想的統一圏がここに成立することを知っているので、神様は、「ため」に存在せよという原則を立てざるを得ませんでした。(75-322,1975.1.16)

            

 愛は、私から始まったのではありません。生命よりも貴い愛と理想を見つけるには、対象がいなければできません。私たちは、これを考えつきませんでした。この高貴な愛と理想を受け得る、それを見い出し得る存在が対象です。ですから、私たちが謙遜にその高貴な愛と理想を受け入れようとすると、最も「ため」に生きる立場でなければならないので、神様は「ため」に存在せよという原則を立てざるを得なかった、ということを私たちは覚えておくべきです。(75-322,1975.1.16)

            

 愛は、一人では成されません。愛は、どこから出てきますか。私から出てくるのではなく、対象から来るのです。対象から出てくるので、私が頭を下げて、対象のために生きなければならないのです。「ために生きよ」という天理がここから生まれるのです。極めて高貴なものが私を訪ねてくるのですが、それを受けようとするので、高め、「ため」に生きるべきだというのです。「ために生きる哲学」を成してこそ、愛されるのです。(143-277,1986.3.20)

            

 真の愛は、与えても忘れ、また与えようとする愛です。偽りの愛は、与えても付け加えて商売する愛であり、与えたのでお前は、それ以上返しなさいという愛です。これは、サタンの愛です。(138-172,1986.1.21)

            

 私たちの本郷は、神様の「ため」に存在する者たちだけが入る所であり、「ため」に生まれ、「ため」に生きて、「ため」に死んでいった人たちが入る所です。これが、私たちの本郷の理想的構造なので、神様は本郷を訪ねてこさせるために、歴史過程で数多くの宗教を立てて、訓練させてきたのです。
 これまでの宗教が温柔謙遜でなければならず、犠牲にならなければならないと教える理由は、霊界の法度がそうなので、霊界に帰るべき人間たちを地上生活の過程で、その霊界に合うように訓練させざるを得なかったからです。ですから高次元的な宗教であるほど、より次元の高い犠牲を強調し、奉仕を強調するようになったのは、普段の生活を通じて、その世界に一致させようとするところに、その原因があるのです。(75-320,1975.1.16)

            

 しばしばこの世で、「ああ! 人生とは何なのか」と言いますが、人生観、国家観、世界観の確立、その次には宇宙観に対する確立、ひいては神観の確立が問題となるのです。これを、どのように確立するのでしょうか。系統的段階と秩序をどこにおき、その次元的系列をどのように連結させるかという問題は、最も深刻なものです。
 しかし、「ため」に存在するというこの原則に立脚して見るとき、最も価値ある人生観は、私が全人類のためにあり、全世界のためにあり、国家のためにあり、社会のためにあり、家庭のためにあり、妻のためにあり、子女のためにあるという立場から、幸福な自我を発見し得るならば、これ以上の人生観はないと見るのです。(75-324,1975.1.16)

 

(2022.5.9:写経奉献)

 

■天聖經(51) 第9巻「祝福家庭」 第4章 祝福家庭と入籍

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第四章 祝福家庭と入籍

1)祝福家庭入籍と私たちの祖国

2)入籍のための条件

3)四位基台入籍統一祝福

4)入籍時代と私たちの責任

 

1)祝福家庭入籍と私たちの祖国

 ①入籍とは何か

 

 皆さん、入籍とは何でしょうか。嫁入りする女性は、新郎の戸籍に籍を移します。女性は、自分の本然の籍を取り消して、他の籍に移らなければならないのです。(177-302,1988.5.22)

 

嫁入りすれば、人の家に引っ越しすることになるので、戸籍が変わることになるのです。入籍とは何でしょうか。真の愛の根源を中心として結ばれた証票です。(178-207,1988.6.4)

 

 嫁入りした女性は、何をしなければならないでしょうか。婚姻届けを出すだけではありません。その家に入籍しなければなりません。(195-227,1989.11.15)

 

 女性が結婚すれば、夫の戸籍に入籍しますね。西洋や日本の場合、姓はどうなりますか。根本が何もないので、姓が変わります。井上ならば井上、山岡ならば山岡、木下ならば木下というように、みな夫の姓に従って一つになるのです。それは愛の関係を結ぶことを条件として、一つになるのです。愛の力は生命の根源よりも強いので、それを悲しいことと考えるのではなく、当然のこととして、希望をもって喜んで行くのです。(258-244,1994.3.20)

 

 花嫁が輿に乗って新郎の家に行ったとします。新郎の家に行って、自分がその家に入籍するその瞬間、自分を中心とした考えをもっていたのでは通じません。
 それまで自分を中心として、自分の家で育ち、暮らしてきた、そのような行動一切が受け入れられるでしょうか。それが問題です。「受け入れてくれ」と言うことができるでしょうか。「受け入れてくれ」とは言えないのです。自分の行動の一つ、視線、聞くこと、話すことなど、行動の一切が新しい分野において出発するときには、細心の注意をしなければなりません。
 どのように注意しなければならないのでしょうか。いかにして新郎の家門や、新しく出発するその環境とぶつかることなく、そこにプラスになり得る立場に立つかということですが、それはとても難しいことなのです。(142-160,1986.3.9)

 

 これから神様と真の御父母様から歴史がつづられ、入籍時代が来るのです。ですから皆さんが入籍するのです。自信がありますか。神様の息子、娘として、すべての人が神様のように、真の父母のようになりましたか。
 言葉で言うのは簡単ですが、容易なことではありません。寝ても覚めても、そのことを考えなければなりません。食べるときも寝ているときも、どこに行くとしても、それを考えなければなりません。
 そのためには祖国で暮らさなければなりません。ですから韓国語を勉強すべきでしょうか、すべきではないでしょうか。本来、人間には二つ以上の言語はありませんでした。たった一つなのです。(201-234,1990.4.22)

 

 今後、入籍する時が来ます。先生の一族、天の皇族を中心として連結されるところに、皆さんが加入するための入籍時代が来るのです。しかし、入籍時代が来たとしても、氏族復帰ができていない人は、そこに入籍することができません。それを知らなければなりません。12支派と同じことです。氏族復帰をするまでは、入籍できないのです。
 人々が氏族復帰のこの内容を知るならば、統一教会に我先に入ろうと、それこそ群れをなして押しかけてくるのです。入籍する時はどのようになりますか。今までは、神様の愛、人、万物、すべてが神様の所有ではありませんでした。サタンの愛によってサタンのものになったことを、今、神様のみ旨を成した先生を中心として、先生の息子、娘、先生を中心として、先生の息子、娘、先生を中心とした万物を探し立てなければなりません。
また、今、先生には国がありません。そうでしょう? 国を復帰しなければなりません。(208-399,1990.11.21)

 

 今までは、天国への入籍はありませんでした。天国には国がありませんでした。家庭もなく、国もありませんでした。霊界に行けば、父母も何も、10人家族ならば10人がみなばらばらになりました。
しかし、これからはそうではありません。本来、堕落しなかったならば、父母と一族が共に行くようになっているのが天国だということを知らなければなりません。
 真の愛を中心として祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘が一つになって、「ため」に生きる神様の真の愛をもてば、そこでは神様も絶対服従するのです。そのような愛の伝統に服従しながら、「ため」に生きる愛のみをもって動くその世界、「ため」に生きようとするその世界には、平和の基地が願わなくてもできるのです。(210-354,1990.12.27)

 

 入籍時代になって名簿を作るとき、いい加減に作成することはできません。ホーム・チャーチを通過しなければ、名簿に記入されないのです。天国の族譜編成がなされないのです。祝福を受けた家庭であっても、外されるのです。落ちるのです。
そのようなことを知って、天が提示するすべてのことを、急いでしなければなりません。人がするから自分もするのではありません。しなければならないのです。それをせずに霊界に行けば、霊界に行ったあとで、永遠にしなければならないのです。地上で解決することができずに行けば、大変なことになるのです。(143-118,1986.3.16)

 

 この地上でみ旨を成し遂げられなかったイエス様は、時代的な新婦の名を立てて真の父母の因縁を決定し、真の子女を立てて、この地上で、相続権、入籍権、天国の権限をもって入籍させるための基準をつくっていかなければならなかったのに、それができないまま逝ったのです。
 入籍させるとき、僕として入籍させるでしょうか。直系の息子、そうでなければ、せめて養子という名前で入籍させて、初めて神様の前で相続できるのです。相続圏内に同参し得るのです。(155-309,1965.11.11)

 

 私たちは何をしようというのでしょうか。神様の愛を受け、真の父母の愛を永遠に受けられる息子、娘の立場に入籍するのです。これから入籍しようというのです。天国の生命録に入籍するのです。新しい「真の父母主義」、「神主義」を中心として、新しい入籍がなされると同時に、支派編成が行われなければならないのです。イエス様の12弟子、12支派などと同じように、支派編成をしようというのです。(146-230,1986.7.1)

 

 皆さんはこれから故郷に帰って、自分を中心とした血族はもちろん、環境的条件をいかに早く拡大させるかという闘いを繰り広げるのです。競争が起こるのです。ですから、どの支派に属したとしても、故郷に帰ったその根と共に支派編成をするのです。東西南北の枝、その枝がどこに属するかが決められて、本籍への登録が始まる時が来るのです。
 人種の違いによる差別や、文明国や発展途上国というものはありません。どれだけ霊界の善なる先祖を中心に一つとなって、その先祖が地上に来て協助できる基盤をもつかという問題が、今後、皆さんの郷土開発運動の展開を左右するのです。その枝が、どれだけ大きいかということが問題です。幹が死んだとしても、枝が大きければ、それが幹になることもできるのです。
 人は、芽が出て、それから枝になりますが、それが問題ではありません。皆さんが新しい枝を育て、その一族がこの世界に入籍して本郷に帰るか、天国に帰るかということが問題なのです。帰郷の道に立っているということを知らなければなりません。(189-224,1989.4.6)

 

 これから入籍をするのです。南北が統一されれば、世界の統一教会の家族は、祝福を受けた家庭の中で正常な行動をしてきた人は、氏族を越えてすべて入籍をすることになります。
 先生の力によって南北が統一されれば、法をつくって世界の統一教会の忠臣を代表民族として、血統を受け継いだ民族として立てるのです。そのようにしたからといって反対する人がいるでしょうか。
 歴史的にいえば、韓国の独立のために生き、韓国の還故郷のためにこれほど苦労をしたのに、誰が反対するでしょうか。(197-212,1990.1.14)

 

 これからは氏族加入時代が来ます。個人加入時代ではありません。金氏ならば金氏、朴氏ならば朴氏、その時代が過ぎれば、国家入籍時代が来ます。早く来るのです。
 これからは早いのです。あっという間に変化していくのです。今、世界情勢は目まぐるしく変わっています。なぜそうなのでしょうか。文総裁ゆえなのです。原因がほかにあるのではありません。(197-262,1990.1.20)

 

(2022.4.28:写経奉献)

 

 ②入籍は国家祝福時代になされる

 

 統一教会の祝福は、教会祝福であって国家祝福ではありません。世界祝福までの3段階を通過しなければなりません。教会祝福時代を経て、南北を統一して一つの国をもつ天国を中心とした祝福時代が国家祝福時代であり、その次は地上・天上世界が一つになる祝福時代です。3大祝福圈時代を通過しなければなりません。アダム1代でなされるべきことを、再臨時代になって先生の1代ですべて終えなければなりません。2000年までに、世界的な祝福を一度にやらなければならないのです。そうして本格的な入籍となるのです。(290-253,1998.3.2)

 

 統一教会の祝福家庭は婚礼を挙げましたが、その結婚式は教会内の結婚式であって、国家の中での結婚式でも、世界の中での結婚式でもありません。ですから、祝福の日も、教会の祝福、国の祝福がなければなりません。世界の祝福、天国に行って永遠の祝福の式を経てこそ、本然の世界に行く道が開かれるという事実を知らなければなりません。
 皆さんが統一教会の祝福を、先生の知らないところで簡単に、便利に受けたといっても通じません。国家祝福を経なければなりません。そして天上に行って、大入会式とともに入籍式を経て、12支派の編成を終え、神様を中心として真の父母が天国へ行き、定着して初めて、万民も順々に定着するようになるのです。(185-36,1989.1.1)

 

 統一教会の結婚も、3段階を越えていくのです。教会祝福、国家祝福、世界祝福です。ですから、祝福家庭は今までの段階を越えていかなければならないのです。
 本来ならば、蕩減条件のない解放された人が結婚すべきなのですが、引っ掛かっている蕩減条件があるのです。教会の前には迫害する国があり、国の前には世界があるのですが、それを超えなければならないのです。
 ですから、家庭を引き連れて、迫害のない解放された立場に達してこそ、一つの統一された世界のアダム家庭で天が祝福した相続圏ができるのです。解放がなされるのです。
 ですから、教会圏、国家圏、世界圏があるのです。世界的な王権復帰の圏を越えて、サタン世界の讒訴圏を抜け出すことによって、地上・天上世界の解放がなされるなら、その立場にまで行って祝福を受けなければならないのです。そのような立場を3度乗り越えるのです。(285-235,1997.6.5)

 

 祝福家庭が氏族的メシヤになるのは何のためでしょうか。入籍するためです。入籍して国を復帰し、国家的祝福を受けるためです。ですから氏族的メシヤは、氏族的メシヤ同士が一つになって自分の国を求めなければなりません。その国を世界に入籍させることによって、世界祝福を受けるのです。(268-251,1995.4.2)

 

 国を復帰すれば、入籍時代が来ます。神様の国がないので、全人類には、新しく神様の血族に入籍する時代が来るのです。それで、大移動時代が来るというのです。共産主義が資本主義を中心として、完全に一つの破壊的な面で強制的にしましたが、これからは自ら進んでしなければならないのです。(259-223,1994.4.10)

 

 入籍時代が来れば、大韓民国の民という名では通じません。愛を中心としてすべての民族を克服しなければならないのです。
 家庭を否定し、氏族を否定し、民族を否定し、国家を否定し、世界を否定し、天上世界の地獄、霊界の地獄まで否定して、サタンを否定しなければならないのです。
 それを肯定したのが堕落です。そのようにして落ちたので、反対に上がっていかなければならないのです。(259-233,1994.4.10)

 

 今は国がないので、教会の中で祝福しましたが、これからは国に入籍しなければなりません。
 氏族的メシヤの責任を果たしてこそ、国への入籍がなされます。国に入籍し、世界に入籍することによって、真の父母と一つとなり、真の父母が主体だとすれば、全世界の家庭が客体として一つとなり、神様に侍り得る家庭を献納してこそ、天宙的祝福家庭の理想が形成されるのです。それが正に地上天国、天上天国なのです。アーメン! (269-65,1995.4.7)

(2022.4.29:写経奉献)

 

 ③入籍するためには主権国家が必要

 

 国がなければ国籍もありません。国がなければ入籍するための基盤がないのです。
 私たちは、民族を編成して新たな入籍をしなければなりません。この地上に天国を編成して、その国籍をもって愛国、愛族する、真で善なる父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘として、自分の氏族、家族を引き連れて生きたのちに、天上世界の天国に入ることができるのです。それが原理です。(58-143,1972.5.22)

 

 皆さんは天国に登録されていません。国がないので出生届けができないのです。結婚式ができないのです。死亡届けもできないのです。
 ですから、押されれば倒れ、死んでも訴えることのできない恨の道を、宗教人は歩んできたのです。文総裁がその代表的な道を歩んできたということを知らなければなりません。いくら痛哭しても尽きることはありません。無念で悔しくても、耐えなければなりません。(283-222,1997.4.12)

 

 自分が息子、娘として生まれたとしても、入籍する天国がないので保留せざるを得ないのです。天国の夫となることを願い、天国に入籍した民として妻を得て、その家庭で子を生みたいと思わなければなりません。それを知るべきです。そして寝ても覚めても、1日の1時間、1秒を忙しく闘って勝利しなければならないという前提があるということを知らなければなりません。常にそのように生きなければなりません。(122-280,1982.11.21)

 

 皆さんは、出生届けをしますね。入籍というのは、そのようなものです。日本のどこどこに生まれた日本人として登録します。今までは神様の国がありませんでした。本当の真の父母を中心としてできた家庭がなかったので、氏族もなく、国もあるはずがないのです。
 ですからサタン世界、サタンの国からすべて蕩減して、家庭、氏族、民族、国家、世界を取り戻さなければならないのです。宗教圏を中心として、宗教圏以外の世界を一つにして、サタンがもっていたものをすべて神側に還元しなければならないのです。
 そうしなければ、霊界に行って平安な生活をすることができません。霊界に行ってから地上と関係をもつことは、何十倍、何百倍、何千倍も大変なのです。(250-112,1993.10.12)

 

 神様の愛と生命圏と血統圏を伝授するのが、統一教会の祝福です。堕落した万民は、祝福を受けなければ、入籍がなされません。ここにいる人はみな、一人残らず誰もがそうしなければなりません。
 では、どうすれば入籍がなされるのでしょうか。本来は、出生した時から入籍しなければなりません。皆さんは今日、大韓民国に生まれ、大韓民国に入籍しましたね。いつ、どこで、父誰々、母誰々の息子、娘として生まれ、誰々の長女ならば長女、次女ならば次女、長男ならば長男というように、名前をもって入籍します。そうして永遠に大韓民国の民となるのです。皆さんは、天国の民になっていますか、なっていませんか。はるかに及ばないというのです。(211-109,1990.12.29)

 

 神様の国がありません。サタン世界に入籍しているものを、すべてそこから外して、天国に入籍できる時代が来るのです。
 人々は、それを知らずに死ぬので、大変なことになるのです。天国の民として入籍して、天国の家庭として入籍し、天国氏族、天国国家、天国世界に入籍して、地上天国と統一されれば、神様の右腕として二つの世界を愛で統治することができるようになるのです。その世界へ行くには、入籍という手続きをしなければなりません。(287-40,1997.8.10)

 

 今後、皆さんには、入籍する時期が来るのです。祝福を受けるのは、入籍することではありません。それは象徴的な入籍でしかありません。ですから、私たちは入籍するための国を求めていくのです。
 その国は、どんな国でしょうか。主権は父母に代わり、民は息子に代わり、国土は物質に代わって、三位一体をなす国です。国家を形成するためには主権がなければならないし、国民がいなければならないし、国土がなければなりません。宗教も同じことです。(35-282,1970.10.25)

 

 私たちには国がありません。祝福家庭の息子、娘は多くいますが、神様の願う理想国家を立てられずにいます。ですから、皆さんの息子、娘の名前を入籍する所がありません。結婚しても、昇華しても、登録する所がないのです。国がなければ定着はあり得ません。とどまって暮らす所がないのです。皆さんがパスポートをもっていなければ、どこの国でも認められません。一国家の国民として認められないのです。それと同じことです。私たちにも国がないので、パスポートがないのです。
 統一教会のメンバーは、どこに所属していますか。アメリカですか、他の国ですか。神様の国です。堕落した世の中では、「どこから来たのか」と聞きます。聞かれれば、アメリカ、ドイツ、日本といった国の名前を言います。その中で最高の国は、天国です。最も貴い国が天上天国、神様の国です。「どこに属するのか」と聞かれたならば、「私は神様の国に属する」と答えなければなりません。そこから天国なのです。(277-251,1996.4.18)

 

 近い将来、統一教会のメンバーは入籍式をする時が来ます。私たちの国が南北統一されて、天も喜ぶことのできる国になれば、皆さんの入籍時代が来るのです。そのような入籍時代が来れば、たとえ目の見えない人でも、鼻に障害のある人でも、腕に障害のある人でも、先に嫁いできた人が上になるのです。長男の嫁になるのです。遅れて嫁いできた人は、たとえ大卒で年上だとしても、鼻に障害のある人、腕に障害のある人に仕えなければならないのです。そのような時が来ます。
 ですから今後、そのような時にこのような特殊な条件が、すべてパスするための重要な要件になるのです。(58-113,1972.6.6)

 

 南北が統一されて、その祝福された者たちの国ができれば、入籍時代になるのです。真の御父母様を中心とした血族となれば、入籍時代になるのです。平面的に60億人類が一度に祝福を受けて入籍することによって、数千万代の先祖が決定されるのです。平面的に同じ日に祝福を受けたとしても、その中で数千代の先祖の差がつくのです。恐ろしい時代が来るのです。(252-246,1994.1.1)

 

 もしも、皆さんが国家を復帰することができずに死んだとすれば、この地上に再臨して個人を後援し、家庭を後援できるだけであって、堂々と権勢をもって後援することはできません。サタン世界を征服するために闘い得る資格をもった者にはなれないのです。ですから、国ができて初めて、皆さんは入籍することができるのです。皆さんは入籍しましたか。皆さんは、統一教会には入籍しましたが、統一された神様の国には入籍できないでいるのです。国がないのに、国民になることができるでしょうか。できないのです。(54-277,1972.3.26)

(2022.4.30:写経奉献)

 

 ④私たちが求めるべき祖国

 

 私たちが求めるべき祖国は、今日この地にあるような歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が異なるのです。私たちが次元の異なるそのような国を受け継ぐには、それを可能にする思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。
 ところで、その主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者の願う国が存在するためには、その国の主権を中心として、その国の国民と一致する国になることを願わなければなりません。そのような国民性をもって、国家形態を備えなければならないのです。(49-93,1971.10.9)

 

 神様の祖国とは、どこでしょうか。真の父母と真の家庭がある所です。では、真の父母の本郷は、どこでしょうか。神様とその息子、娘が入る所です。その真の父母の祖国とは、どこでしょうか。神様と子女のいる所、愛する主体と対象のいる所が祖国です。主体と対象が愛し合える所が祖国です。そうだとすれば、子女の祖国はどこでしょうか。神様を主体として父母を愛し、子女は対象として愛されることのできる所です。そこが統一教会でいう、四位基台の本郷地です。それが理想的な祖国です。どうして理想的な祖国なのでしょうか。真の神様の愛と、真の父母の愛と、子女の愛があるからです。それが根本となって拡大された世界が理想世界です。四位基台には、そのような原則があるのです。(124-266,1983.2.27)

 

 祖国とは何でしょうか。祖国は、父母の国であり、私たちの先祖の国です。お父さん、お母さん、私たちの先祖の国です。始祖の国です。その始祖の時から愛してきた国です。
 その愛は不変なので、その国は変わってはならないのです。歴史時代に国を中心として祖国だと主張した人々の伝統的な背後を見るとき、このような父母の愛する祖国を失わなかった民族はありませんでした。常に失ってきたのです。(173-168,1988.2.4)

 

 神様のみ旨から見た祖国は、真の愛を中心とした人類の祖国であり、本郷です。韓国はそのような人類の祖国、本郷にならなければなりません。(185-131,1989.1.3)

 

 一つの国をとって見れば、国が形成されるためには、その国の主権がなければなりません。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えるとき、天国の主人とは誰でしょうか。主権者とは誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。では国民は誰でしょうか。国民は万民です。では、国土はどこでしょうか。地球星です。(96-15,1978.1.1)

 

 本郷の地と本郷の祖国とはどこでしょうか。どのようにして祖国となるのでしょうか。もちろん祖国というのはある特定の一つの国家的な基準ですが、神様が求めてきた人類の祖国とはどこかというと、地球星です。この地球星なのです。この地球こそが人類の願う祖国なのです。神様の願う人類の祖国なのです。
 過去、数知れない歴代の私たちの先祖が、犠牲の道を歩んできましたが、その先祖たちが天の前に訴えてきた望みとは何でしょうか。「望みの祖国のひとときが早く来ますように!」と訴えたのです。
 天の一つの国家を建てることによって、今まで天の前に怨讐であった大サタンを審判して悪を除去し、善のみによる平和の天国をこの地上につくらなければならないのです。それが神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において至大なる貢献をしてきた先祖の願いだったということを、皆さんは、はっきりと知らなければなりません。(155-321,1965.11.1)

 

 神様が創造した世界には、国境というものはあり得ません。黒人、白人といった人種も問題になりません。善悪の闘争も、そこでは必要ありません。そのような観点から見るとき、私たちの住んでいる世界には、すべての国に国境があります。
 黒人、白人の人種問題のみならず、家庭においては夫と妻、父母と子女の間のすべてに分裂が起きています。善なる人と悪なる人が闘っているのです。そのような現在の情勢を考えるとき、来たるべき主は、国境のない国をつくって人種問題を超越し、世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭をすべて統一し、善悪が闘う世界に平和の王国をつくらなければなりません。(53-72,1972.2.9)

 

 私たちの目標は、統一世界、神様を中心とした一つの国をつくるところにあります。その国は、一つの主権、一つの国民、一つの国土、一つの文化です。真の父母を中心として一つの血統でつながっています。その国では、すべての人が心情圏を完成して理想的な後継者になろうとするのです。聖書にある、「怨讐を愛せよ」というみ言を完成することができるのです。(御旨と世界-789)

 

 その国は、神様を中心として直系の子女たちが天命に従い、神様に代わる命令をもって、その王権で納めるそのような国であるに違いありません。そこには、民主主義や共産主義といったものはあり得ないのです。一度形成されれば永遠の国家体制として残るのです。そのようなことを考えるならば、自分自身がそのような国の民になっていないのは、とても悔しいことではないでしょうか。自分自身がそのような国で暮らせないことを嘆かなければなりません。そのような一人の自分をもつことができずにいることを、嘆かなければなりません。そのような一つの不変なる主権がもてなかったことを、私たちは嘆かなければなりません。(72-292,1974.9.1)

 

 私たちの信仰の目標は、神様の国の民になることです。その国の民にならなければ、その子女として自由自在に万民や万物世界に誇り、愛される道は現れません。国のない者は、いつも攻撃を受けることになります。かわいそうな立場に立つのです。あえなくやられてしまう場合がいくらでもあります。ですから、神様の願う国がどこにあるか、神様の足場となる国がどこにあるか、それが問題なのです。(55-79,1972.4.23)

 

 主権のない国の国民は、かわいそうです。ですから、イエス様は懸念を抱いて、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6:31~33)とおっしゃいました。まず息子を求めよとおっしゃいましたか、国を求めよとおっしゃいましたか。神様が求めている国を求めよとおっしゃったのです。(34-337,1970.9.20)

 

 私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは、結局は永遠の天国をつくるため、千秋万代の子孫が永遠にたたえられる福地をつくるためなのです。(14-193,1964.10.3)

 

 これからは、祖国を建てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。また、そこは単一民族の血統の因縁があり、他の民族にはもち得ない歴史があります。
 このような祖国のために、私たちは、密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自ら早い時期に完遂すればするほど、祖国光復の基盤が徐々に近づいてくるのです。
 今日、苦労の代価を払うのは、祖国光復の1日を早く迎えるための基盤となるのです。そのような事実を考えながら、皆さんは、生きて密使の使命を果たそうという決意をもって進まなければなりません。
 そうしなければ、この時代に神様が私たちにもたらしてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることができないのです。(29-40,1970.2.16)

(2022.5.1:写経奉献)

 

2)入籍のための条件

 ①所有権、血統圏、心情圏転換

  イ)所有権転換

 

 皆さんは今後、新しい国に入籍しなければなりません。ところで、神様が万物を造ったのちに人を造られたように、万物を先に入籍させてから人間が入籍して、神様とつながれなければならないのです。そのための歴史が六千年歴史に該当します。
 旧約時代は万物を通して、成約時代は父母を中心として、天とつながっていくのと同じように、このすべての過程を経ていかなければならないのです。
 ところが、これが今日私たち統一教会の限界圏の中だけで行われてはならないのです。国家を超えて世界まで拡大して、そのような歴史を完全に終結させなければ、完全な復帰の1日を迎えることができないということを知らなければなりません。(23-232,1969.6.15)

 

世の中のすべてのものが、堕落した父母からサタンの前に流れました。今後、父母様を中心としてすべての家庭がこれを復帰するためには、自分たちの所有物があってはならないのです。自分の所有物があってはならないということです。
 自分の体も自分のものではなく、息子、娘も自分のものではなく、夫も自分のものではありません。すべてアダムの所有として決定されなければなりません。エバの所有になってはいけません。自分の所有に決めてはいけません。
 アダムの所有として決定したあと、神様の前に戻して神様のものとして認められてから、再度アダムを通してもらって、初めて自分の所有権時代が来るのです。
 天国に行って入籍を終えることによって、そのようなことが起こるのです。そうして初めて皆さんは、地上で、エデンの園で堕落せずに万物を所有していた主人の立場を復帰するのです。そうしてこそ地上天国に入っていくのです。(165-284,1987.5.27)

 

 自分の持っている物は、すべて自分の物ではありません。天の前に返して接ぎ木されなければなりません。ですから、自分の物ではないのです。自分のものという所有権はありません。真の愛を中心とした主人はアダムではありません。天が中心なので、天を主人として、自分はその相対的な存在、対象的な立場に立つということを考えなければなりません。ですから、所有権はまず、誰にあるべきかというと、神様になければならないのです。(219-214,1981.8.29)

 

 財産を自発的に捧げなければなりません。ところが、そのように捧げる人がいません。自分の家、自分の所有をもち、先生の命令に従わない人たちは、困るというのです。今、このような話を聞く人たちがあとで入籍するとき、自分の家のようなものがあれば、引っ掛かるのです。先生は、何もありません。先生がお金をたくさん稼いでも、世界のためにお金を稼ぐのです。それは、誰かのためではありません。万民を救うには、国家をすべて溶かして水のように注いで使わなくてはならないのです。
 このように緊急な時において、そのように溶けないというような人は、天の恩讐、反逆者です。日本の国を失ってしまった場合に、王権を復興させなければならない問題が提起されたとき、家だけではなく、命までも捧げるのが忠臣です。
 しかし、これは日本だけの問題ではありません。天宙を建設するのですから、何であっても、すべてのものを天のために捧げるという決心のをしていなければいけないというのです。(286-238,1997.8.11)

 

 被造世界はサタンの所有であって、神様の所有ではありません。今後は、所有権回復ということがあるので、天下は戦争せずに一つになるのです。今後、一族が財産とすべてのものを合わせて天に入籍するために、世界の歴史上にかつてなかった行列が続くことでしょう。誰が先にそこに入籍するかによって、兄となり、弟となるのです。(208-346,1990.11.21)

 

 真の父母の名を中心として、神様のみ旨の平和世界ができ、統一圏ができたここにおいて、家庭的に入籍するという事実は、国家が一瞬のうちに戻ることができるということです。
 入籍した氏族的メシヤが12家庭いると考えてみてください。その国は、どうなるでしょうか。一瞬のうちに戻るのです。日本も、すべての国も問題ありません。完全に一度に復帰されるのです。
 それはどういうことかというと、神様を中心として、アダム家庭以後に堕落した全体を、愛で許して抱こうという意昧なのです。(269-57,1995.4.7)

 

 そのような時代が来たので、先生は号令をかけるのです。「早く氏族復帰をしなさい! 所有権を神様に返しなさい! 早く入籍しなさい!」と、それが人間としての最大の希望です。先祖以来、数千代の希望がここにあるのです。骨の髄に刻んで、忘れてはなりません。そうすることによって、未来の日本において、黎明の朝が過ぎ、輝く太陽を迎える喜びを体恤することでしょう。(227-107,1992.2.10)

 

 所有権を神様にお返しするためには、真の父母の名前を通さなければなりません。真の父母の名前を通さずには帰る道がありません。
 ですから、世界統一は統一教会を中心として成されざるを得ません。手を出さなくても、お互いがもっと早く入籍しようと列をつくって待つようになるでしょう。1番目になるのか、2番目になるのか、3番目になるのかを争いながら、全力で争う時が来るでしょう。(198-242,1990.2.3)

 

 皆さんは、総生畜献納祭、献納祭物を捧げなければなりません。エデンで偽りの父母によって奪われていったではないですか。真の愛をはじめ、そっくりそのまま奪われたのです。それで、そっくりそのまま総生畜献納祭です。生きているものまでも祭物として捧げなければなりません。分けてはいけません。そこに自分の中心として貯金通帳を残し、息子、娘、自分の取り分をつくって残しておいてはいけません。
 アナニヤ夫婦が家を売っておいて、半分だけペテロに捧げて、その場で即死したではないですか。それを知っていますか。目の前で、目前で葬られるのです。そのような時だというのです。(302-44,1999.5.18)

 

 「総生畜献納祭」とは何でしょうか。堕落した偽りの父母が、天の世界を奪ったどろぼうになりましたが、真の父母を中心として世界をすべて一つに結んで捧げなければなりません。
 捧げるまでは、先生が主人として振る舞うことができません。地上の王権、天上の王権を立てて引き継いでから、基盤を築いてこの地上で生きてから行かなければなりません。そうしてこそ地上・天上天国が完全に合徳となるのです。合徳というのは、一体となることです。天地合徳、人間合徳という言葉があります。(299-48,1999.2.1)

 

 今ここにいる皆さんは、「総生畜献納祭」を捧げなければなりません。解怨統一式をしなければならないのです。
 今までは神様に祭物を捧げるときは、神側の所有物とサタン側の所有物に裂いて捧げました。神様にとって、それはどんなに悔しかったことでしょうか。二つに裂いた右側のものが神様のものであり、左側のものはサタンだというのです。これが人です。アベルであり、アダムです。神様の愛を中心として完全に捧げて、初めてサタンが離れるのです。(298-22,1998.12.31)

(2022.5.2:写経奉献)

 

  ロ)血統転換

 

 統一教会の「原理」を中心として見れば、今日、堕落した人間は、生まれるやいなや地獄行きです。そうではないでしょうか。生まれるやいなや地獄に入籍するのです。間違いありません。(48-200,1971.9.19)

 

 堕落後、偽りの血統でつながったすべての子孫は、サタンに入籍することになるのです。サタンの国、サタンの世界を奪い返すために宗教が現れたのです。宗教とは、体と一つとなり、分かれたものと一つとなるためにあるのです。(272-83,1995.8.30)

 

 再臨主は、イエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成する真の本然の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母の理想を完成するために来られます。再臨主は、イエス様の時までに神側が勝利した根本摂理の土台の上に臨在します。
 すなわち、イエス様が成長される時までの勝利的な基盤の上に立って、イエス様が探し得なかった新婦を探し出して真の父母となり、万民を救ってくださるのです。真の父母は、血統を転換する新しい結婚行事を通して、全人類を神様の真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木し、真の人となるように救い、さらには真の家庭を築いて地上天国を建設されるのです。(282-223,1997.3.13)

 

 堕落によって偽りの父母から、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いで、偽りの結婚式をした家庭から始まった汚れたものを、完全に清算して復帰し、真の神様と真の父母の愛を中心として、私たち夫婦が外的には「頭翼思想」を立て、左翼、右翼を屈服し、内的には「神主義」、すなわち真の愛を通して良心世界と霊的世界を屈服して真の父母となることによって、神人愛一体となった真の愛の種、真の生命の種、真の血統の種を接ぎ木して、大いなる祝福を伝授してあげるという復活の儀式が、正に国際合同結婚式なのです。(275-58,1995.10.31)

 

 再臨主は、肉身をもって来られ、新たな血統関係を編成しなければなりません。アダム家庭で失ったものを、世界大家庭圏で蕩減することによって、アダム家庭で完成すべき真の長子権、真の父母権、真の王権を得て、神様が主管される地上天国に転換し、天上天国への入籍をして、神様を中心とした地上・天上王権時代へと進入し、勝利と自由と幸福と統一の世界を求めて、神様の創造理想である地上天国、天上天国を迎えるのです。これが救援摂理史の原理観です。(277-211,1996.4.16)

 

 蕩減復帰は、血統転換、所有権転換、心情圏転換が3大目標です。そのような内容について聞いたことがありますね。血統が変わったので、血統を転換しなければ、神様の国に連結され、入籍することはできないのです。血統の主人は、神様です。堕落の血統を受け継いで、盗みを働いて神様の所有権をめちゃめちゃにしたので、神様の愛で血統を連結することによって、これが整理されるのです。
 それゆえ、血統転換しなければなりません。堕落の愛の関係によって血が変わったのです。血統が反対になったので、血統を転換しなければ神様のもとに戻る道はないのです。(258-287,1994.3.20)

 

 今後、所有が誰のもとに戻らなければならないのでしょか。今までは神様の所有にはなれませんでした。悪魔の所有だったものを、神様の所有として入籍させなければなりません。血統転換をすることによって、祝福を受けると同時に、所有権を天に返還し、心情圏を返還しなければなりません。心情圏とは一族のことです。4代から8代までつなぐことができます。一つの心情圏です。おじいさんを中心として親戚になれば、4代、5代とつながり、それが8代となるのです。(272-214,1995.10.5)

 

 皆さんは、お父様、お母様に会うためにどのようにしなければならないでしょうか。皆さんは、父母様の前に直接出ることはできません。皆さんは、血統が違うので、入籍するまでは相続権をもらうことはできません。まだ、皆さんは入籍していません。先生の族譜に入籍しましたか。していないのです。では、いつ入籍するのでしょうか。祝福を受けたからといって、みな入籍するわけではありません。祝福を受けた位置は、長成期完成級です。完成期の7年路程が残っているのです。それが原理です。その原理を中心として復帰していくのです。(139-279,1986.1.31)

(2022.5.3:写経奉献)

 

  ハ)心情圏転換

 

 天国へ行く条件があります。自分の家庭をもたなければ行くことができません。神様の息子、娘である以上、息子、娘としての使命があります。様々な使命を果たした上で、永遠の世界で真の父母と会うようになっているのです。そのような公式の内容を完成しなければ会うことができません。祝福を受けただけでは、天国へ行く門は開かれても、歩いて入ることはできません。先生の言うとおりに実践して、氏族のメシヤを完成した立場で入籍しなければならないのです。(250-112,1993.10.12)

 

 心と体の統一世界をもつには、神様の本質的愛を回復しなければなりません。そのような命題が残っているということを知らなければなりません。どんな苦労があったとしても、これを克服して、その境地を取り戻してから霊界に行かなければ、大変なことになります。このような真の愛の論理を中心として考えるとき、私たち人間がそこに一体化して共同一体圏内に入るので、神様の生命が私の生命となり、神様の愛が私の愛となり、神様の血統が私の血統になるのです。「神様の所有である被造世界は、私の被造世界だ」と言って、天下を抱く父母の名をもち、そのように生きなければ、天国に入籍することはできません。(200-230,1990.2.25)

 

 皆さん、祈祷してみてください。祈祷すればするほど、涙で前が見えなくなります。父の前に近づけば近づくほど、悲しみと痛哭が起こるのです。このような段階を越えて、父を思っただけで踊りたくなるようでなければならないのに、いまだにそうなっていません。ですから皆さんは、いまだに神様が私たちを本然の人間として慕うことができなかった歴史的な条件に引っ掛かり、時代的な条件に引っ掛かっているのです。ですから、希望となれなかった皆さんには、天と自分の間にある「慕わしさ」という条件を清算すべき時が、今後、来るということを知らなければなりません。
 それから何をしなければならないのでしょうか。天の家族として入籍できる日を待ち望まなければなりません。皆さん一人だけが待ち望むのではなく、全世界の人類が待ち望まなければなりません。(8-114,1959.11.22)

 

 皆さんが真の父母権を相続しなければなりません。そして、真の子女権、真の父母権、真の王権を中心として、真の父母権と一体化した天地とならなければならないのです。そこでは、まず地上天国、第2に天上天国、第3に王権と皇族圏です。皇族圏とは何でしょうか。カイン世界が残っています。カイン世界の長子権を復帰して、次子として絶対服従させて天国に連れていってこそ、皇族圏ができるのです。堕落しなければカインも皇族になるはずだったのですから、地獄に行くのを、天国に行けるようにしてあげなければならないのです。
 それで皇族圏が出てくるのです。次に、何ですか。侍義、侍る家庭生活を完成しなければならないのです。天上、地上、そして王権と皇族圏を中心とした勝利の基盤の上で何をしなければならないかというと、真の父母に侍り、神様に侍る家庭を完成しなければならないのです。天と縦的な関係を結んで、すべて入籍しなければならないのです。すなわち、先祖の立場に立たなければならないということです。(274-183,1995.10.29)

 

 真の父母の恵みは、言葉では表せないほどの恩恵だということを考えなければなりません。天下の、そのいかなるものとも替えることはできないのです。自分の一族が問題ではありません。自分の財産が問題ではないのです。この肥だめのような汚れたものを、神様が受け取りたいはずはありません。「ペッ」とつばを吐くのです。先生の息子、娘を通して、お母様を通して、先生までの3代を経るのです。天使長を通して、天使長の息子を通して、お母様を通して、お父様を通して、神様のもとに帰るのです。帰って本然の者となるのです。神様の血族になって、再び分配してもらわなければならないのです。それは、先生が勝手に言っているのではありません。摂理的な観なのです。(264-320,1994.11.20)

 

 ②氏族的メシヤの使命を果たさなければ

  イ)氏族的メシヤの使命

 

 これから、皆さんの根を整備しなければなりません。根は、どうなっているのでしょうか。堕落によって父母が駄目になってしまいました。ですから、真の父母を中心として、真の息子と娘を中心とした本然の父母権と長子権を中心として、逆にして越えていかなければなりません。ただ、そのままではできません。180度反対にしてこそ、再び出発することができるのです。どういうことかというと、皆さんが故郷に帰って、先祖を取り替えるべき運命が残っていることを知らなければならないのです。(178-99,1988.6.1)

 

 氏族的メシヤがすべきこととは何でしょうか。アダムが失敗したことをすべて復帰しなければなりません。真の父母が来て、イエス様が失敗したことを復帰し、アダムが失敗したことを復帰したのです。アダムは家庭的基準ですが、家庭的な根をアダム、エバから連結できなかったので、これを逆に、氏族的メシヤの立場において、自分の父母と氏族を復帰しなければなりません。それが祖父母、父母、自分、息子・娘の4代です。この4代を連結させて、今まで根がなかったので・・・・・・。自分の父母を中心として、根を代置してあげるのです。(210-273,1990.12.25)

 

 氏族的メシヤとは、父母の位置に立つことです。父母の位置において息子、娘を結び合わせるのです。宿命的です。避けることができません。それができなければ、あの世に行っても入籍できません。立つ瀬がないのです。自分の位置を定めてもらうことを有り難く思わなければなりません。先生が与え得る最高の贈り物であり、先生が一族の前でできなかった歴史的な恨を解くことを、代わりに皆さんにさせるのです。そうすることによって先生の父母が解放されるとともに、皆さんの父母まで恵沢を受けるのです。皆さんのお父さん、お母さんが、堕落していない父母として登場するのです。(220-39,1991.10.13)

 

 自分の氏族を復帰するためには、氏族的メシヤの責任を果たさなければなりません。このような命令は、歴史上にありませんでした。氏族的メシヤの立場は、第二の真の父母の立場であり、イエス様の立場よりも上なのです。そのような立場を賦与されたという、とてつもない価値があるのです。これは、いかなるものとも替えることができません。
 なぜ氏族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか。最初の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母は第一のアダムの立場であり、皆さんは第二のアダムの立場にあります。父母を復帰して再創造し、アダムの使命を完遂しなければなりません。
 第2の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。氏族的メシヤの使命を果たすことによって、自分の故郷をもつことができるようになるのです。結局、氏族的メシヤの責任分担を果たさなければならない理由は、アダム家庭の完成のためです。具体的には、氏族を教育するということです。(宗族的メシヤ-178)

 

 ここに来た皆さんは、金氏ならば金氏家門のメシヤのような使命を果たさなければなりません。
 金氏家門ならば金氏家門、朴氏家門なら朴氏家門において、天国を創建するに当たって、その氏族を代表して「私がメシヤだ」と考えなければならないのです。救世主だと考えるべきだというのです。金氏家門を救う救世主だと考えるのです。そのためには、金氏家門全体を代表して、祭司長的な責任を果たさなければなりません。(155-265,1965.10.31)

 

 入籍というものがなければ、天国の国民になることはできません。宙に浮くことになるのです。そうなればサタンが思いのままに前後、左右、上下から攻撃するのです。今、皆さんは、真の父母様に代わって、氏族的メシヤの使命をもって自分の父母を解放することのできる立場に立っています。(236-322,1992.11.9)

 

 なぜ氏族的メシヤが必要なのでしょうか。氏族的メシヤがいなければ、家庭基準を中心として連結されません。そのようにならなければ、皆さんの故郷があり得ません。先生には故郷がありますが、皆さんの故郷はないのです。家庭をすべて復帰したならば、今後、入籍時代が来ます。入籍時代になれば、支派編成が行われ、入籍する順序が決まるのです。先に入籍する人々が兄となり、彼らを先祖のように侍る新しい体制ができます。全世界がそのようになって、初めて地上天国が完成されるのです。(210-273,1990.12.25)

 

 絶対的に氏族的メシヤが必要です。それができない人は、第一・第二アダム圏を連結することができません。先生とつながることができません。入籍することができません。ですから、絶対的に氏族的メシヤが必要ですか、必要ではありませんか。必要なのです。そのような天の恩寵について何の価値も分からない人は、宝物をもらっても、その価値あるものをないがしろにします。そのようにいい加減に考える基準に応じて、審判を受けるのです。氏族さえ復帰すれば終わるのです。(192-233,1989.7.4)

 

 祝福を受けることによって、天国への入籍が可能になります。そして、ようやく人間が天国を得るのです。天の家庭を得て、天の氏族、天の民族、天の国家、天の世界を経て、天宙を経て国を得ることになり、その国に入籍することによって天国の国民になるのです。真の父母の血族が入籍するはずでしたが、堕落することによって長い歴史を経て世界の中から奪ってこなければならなくなりました。ですから、ここにおいて氏族的メシヤの責任を果たすことで、イエス様が失敗したことを蕩減復帰しなければならないのですが、そのためには世界各国に責任をもって、その国を天国に捧げなければならないのです。(269-303,1995.5.1)

 

 氏族的メシヤがたくさん現れて、彼らが一つになり、氏族的メシヤを中心として自分の国を復帰する運動が起こるのです。東で西で、360度で祝福家庭が生まれ、誰が頂上に上るか競争するのです。天の国に入籍するまでは、先祖の立場を得ることはできません。先祖の立場が得られなければ、いつ押し出されるか分からないのです。(269-93,1995.4.8)

 

 統一教会に通いながら20年間に何人を伝道したかということで等級をつけるとすれば、その間一人も伝道できなかった人は、寄生虫のようなものです。今後、入籍するときは、その数を重要視するのです。入籍時代に入るのです。自分の家庭を中心として一族にならなければなりません。アダム家庭は、アダムの一族です。
 アダム家庭を中心として考えると、アダム家庭の息子、娘がいて、一族がいるならば、国が形成されるのです。そうなれば、じっとしていても国は形成されるのです。(240-27,1992.12.11)

 

 自分の家庭を中心として、息子、娘がいて父母がいるので、3代がいることになるでしょう。自分の縦的な基盤を中心として、横的には平衡に家庭の理想をすべて受け継げる、数百、数千の家庭があるのです。それを連結すれば国になるのです。そのままにしておいても国になるのです。世界は、複雑で困難なものではありません。(240-27,1992.12.11)

 

 統一教会の教団は、氏族です。氏族なのです。私の血が共に動くのです。私が涙を流すならば涙を流さなければならないし、私が喜べば喜ばなければならないのです。血族なのです。五色人種を超えて、文化背景の異なるすべての国家基準を超えて、壁を打ち破って一つとなった新しい天国を創建するための民族です。この民族が聖なるものとされるとき、天国の創国(注:国を建てること)が顕現するのであり、そのような聖なる創国の民族として生きていくとき、創世界がなされ、その世界の上に天宙的な地上天国と天上天国が連結されるのです。(168-136,1987.9.13)

 

 今、先生は、皆さんにメシヤという名を与えました。氏族的メシヤ! ですから皆さんは、どうすべきでしょうか。メシヤとして何をしなければならないでしょうか。国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤになり得るあらゆる準備をしておきました。山のような大きな宝物を皆さんのために準備しました。皆さんがメシヤになりさえすれば、宝の山のようなものをすべて相続するのです。水道管のようなものがつながっていて、水が流れていくように、皆さんに相続させるのです。(189-247,1989.4.9)

 

 氏族的メシヤが安物だとでも思っていますか。賢い先生がメシヤの使命を果たすために一生を捧げても到達していないので、恥ずかしく思っているのです。皆さんにとって、「氏族的メシヤ」という言葉は驚くべきものです。イエス様よりも貴い価値ある立場に立てるのです。そればかりでなく、統一教会に反対し、誹謗中傷してきた人をも、堕落していないアダムの立場に引き上げてあげるのです。この世の中に、そのような話がいったいあるのでしょうか。語っているこの文なにがしという人は、真の父母様の位置にあるので、今まで話してきたすべてのことを成し遂げてきました。成し遂げられなかったことはありません。(219-150,1991.8.29)

 

  ロ)160家庭完遂は必須

 

 皆さんの一族をすべて祝福家庭にしなければなりません。160家庭から180家庭です。そうして初めて入籍するのです。これを中心として国を救うことができるのです。このような時が来たのですが、氏族的メシヤにならなければならないでしょうか、なるべきではないでしょうか。個人の救いの時代ではありません。家庭と、氏族と、国家と、世界が一度に帰り得る時になったのに、家庭的基準で座り込んでしまえばどうなるでしょうか。(285-207,1997.5.4)

 

 祝福を受けた家庭は、氏族的メシヤの使命を果たさなければなりません。イエス様が失敗したことを、家庭的メシヤを中心として160軒、120軒を一つにできずに死んだがゆえに、今の時は世界的舞台で160軒を一つにすることによって、イエス様が失敗した基準を中心に、地上に着陸できる家庭的メシヤを形成して、堕落していない真の父母の歴史をつくることができるのです。そうなって初めて入籍がなされます。国に入籍することができるのです。自分の国になるのです。そうなれば、国に入籍し、戸籍に載るのです。先生は、迫害されながらなしてきましたが、皆さんは、歓迎されながら160軒をなすことができるのです。ですから、先生が反対されながら160カ国やったものを、160軒で歓迎されることによって蕩減復帰するのです。(266-182,1994.12.25)

 

 王権時代になったので、多くの国、160の国家を中心として、先生が神様の代わりにメシヤを送るのです。神様は、一人のメシヤを送って今まで救いの歴史を展開してきましたが、先生は、神様の救いの歴史において地上に着陸し、サタンのいない世の中になったので、平面図上で全世界の祝福家庭に氏族的メシヤの使命を完遂させるため、世界に配置したのです。この氏族的メシヤが家庭的メシヤを引き連れて国に入籍するようになれば、世界に通じる基盤が開かれるのです。274-184,1995.10.29)

 

 160の国家さえ一つになれば、世界と天宙は自然に一つとなって結ばれるのです。先生は、160の国家を完成したということを知らなければなりません。皆さんがいかにして160軒をするかということが問題です。いかにして、氏族的メシヤとして160軒を救うかということです。そのようにして真の父母が160の国家を完成したのを連結するのです。ですから登録するのです。そのようにして皆さんの家庭が回れば、160家庭を中心として、国が回り、160の国家がすべて一度に回るのです。ですから氏族的メシヤが必要なのです。(267-110,1995.1.3)

 

 アダム、エバが堕落することによって、アダム家庭を失ったばかりでなく、アダムの一族を失いました。7代です。7代を経たならば、アダムの一族を中心として、地上天国の基盤を完成するはずでした。7代が神様の血統を中心として結ばれなかったのです。7代だと何千家庭になるでしょうか。個人・蘇生、家庭・長成、氏族・完成です。これが一つのカテゴリーです。これを切り離すことはできません。3段階過程です。ですから、み旨の道では、皆さんは一人で生きることはできません。家庭のために生きるべきであり、氏族のために生きなければなりません。その氏族を越えることができなければ、世界の国家圏に加わることができません。氏族編成ができなければ、世界国家、世界版図の上に入籍できないということは、皆さん、知っていますね。160家庭以上祝福をして、初めて天国に入籍するのです。これは話だけではありません。このとおりにしようということです。(275-214,1995.12.30)

 

 氏族的メシヤがいなければ、復活し得る重生の橋を失うということを知らなければなりません。氏族的メシヤが160家庭を立てることができなければ、入籍できません。入籍において数千代の差が開くのです。50億人類が歴史的代数においての差が開くということを知らなければなりません。ですから、必死に氏族的メシヤの使命を果たさなければなりません。(265-142,1994.11.20)

 

 入籍する順序で先祖が決まるのです。つまり、誰が早く氏族的メシヤになって、先に入籍をするかによって先祖が決まるのです。イエス様が120門徒を登録しようとしたのですが、それができなかったので、再臨時代に160家庭を中心として登録しなければならないのです。180でもよいのです。みな「160家庭が良い」と言って、180家庭は願わないので、160家庭に定めたのです。6数はサタン数なので、サタン世界で完成しなければならないのです。4数は理想数です。4数の4倍は全体を象徴するのです。(253-83,1994.1.7)

 

 皆さんがいかにして160家庭をするかが問題です。それが氏族的メシヤの使命です。このように160家庭を連結して、皆さんの家庭を中心に160国家と連結するのです。それが失われたアダム家庭を完成することです。160家庭が絶対に必要です。どうして必要なのでしょうか。神様と真の御父母様が勝利したすべてを相続するためです。相続というのは、すべてが解放されて、神様のようになることです。
 皆さんは、氏族的メシヤがそれほどまでに重要だということが分かりましたか。これがなければ、先生についてくることはできないのです。つまり、天国に行けないということです。それはまた、サタン世界を解放できないということでもあります。ですから、いかに困難でも氏族的メシヤの使命を果たさなければなりません。そうしてこそ天国に入籍できるのです。登録するのです。そうしなければ入籍できないのです。(268-85,1995.3.5)

 

 なぜ160家庭かというと、これを世界に連結させるためです。ヤコブは12家庭、モーセは72長老、イエス様は120門徒、再臨主は160使頭です。使徒の頭ということです。イエス様は使徒といいました。「使頭」というのは私が初めて使う言葉です。誰も知らない言葉です。日本はエバ国家なので、先生が知っている秘密をすべて教えてあげました。
 韓国人の責任者も知らないことまですべて教えてあげたのです。それで責任が果たせなければ首が飛ぶのです。160家庭を解放できなければ、第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムの勝利圏を相続できないのです。一次アダムの分しかしていなければ、二次アダム、三次アダムと関係を結ぶことができないのです。来たるべき再臨の主が、一次アダム、二次アダム、三次アダムをすべて完成して、一次アダム圈、蘇生の基盤さえつくるならば、接ぎ木してあげようというのです。(265-127,1994.11.20)

 

 先生は、40年間迫害を受けながら、160カ国に宣教部をつくりました。これからは、祝福を受けた家庭、統一教会のメンバーが氏族的メシヤとなって、160家庭を連合しなければなりません。それは一つの水晶体、結晶体のようなものです。先生は迫害されながらつくりましたが、今や統一教会の食口は、迫害されるのではなく、歓迎されながら自分の一族を救える時が来たのです。それができないという人は、資格がありません。160人に祝福を受けさせて初めて、国に入籍するための資格ができるのです。カナンの福地に上陸して、国を迎え得る立場に立つのです。(252-288,1994.1.1)

 

 世界が先生の言うことさえ聞いていたならば、1952年から地上に平和の世界が、天国ができていたはずです。今日、皆さんに語っている「氏族的メシヤ」を派遣していたことでしょう。そうしていたならば、全世界のキリスト教徒は八億ですが、世界の8億の人が先生の側にいるのですから、一つの町内に1軒、一家3代がみな氏族的メシヤということになるのです。そうすればサタン世界は、完全に退くのです。そうして憲法を中心として、すなわち今後の世界をいかにして治めるかという憲法を制定して、治めるようになっているのです。
 ですから今後、家庭を中心にどう進むべきかということは、まだ教えていないのです。一つ知っておくべきことは、大移動の時代が来るということです。先生の言う氏族的メシヤとなって、百六十家庭を祝福した家庭は入籍が可能です。先生を1代として、2代、3代、4代というように、先祖を定めるのです。先祖を立てれば王権ができるのです。王権の血族をつくらなければなりません。(273-46,1995.10.21)

 

 実績のない人は、神様には必要ありません。愛を中心とした実績がなければなりません。ですから、皆さんも36家庭、72家庭、120家庭、一族を率いてこそ天国に行くことができるのです。それができなければ入籍はできません。原理がそうなっています。そうですか、そうではありませんか。36家庭という威信を掲げていますが、ただ掲げているのではありません。恐ろしい立場なのです。サタンも誰かをつかまえて、その前で攻撃するかもしれません。(303-166,1998.8.17)

 

  ③天国の支派と族譜編成

 

 国を復帰するようになるときには、皆さんすべてが入籍しなければならないのです。入籍とは何か知っていますか。族譜をつくるのです。これから統一教会を中心として国に入籍する時には、族譜をつくらなければなりません。族譜をつくる時は、必ずすべてのものを天の前にお返しするのです。多くても少なくても、すべて精誠を尽くして自分の生涯のすべてのものを、生命の代わりであるすべてのものを国に捧げるのです。
 最近、なぜ税金をあのようにたくさん定めたと思いますか。すべてかき集めていくというのです。98パーセントまで、かき集めていくというのです。それはなぜそうなのかというと、国に捧げなければならない時が来るので、そのようにするのです。全世界がそのように回っていっています。それは、知らないからそうだというのです。そのようになることによって、そのような伝統を受け継いで世界が一つになって祝福を受けるとき、世界のすべてのものを天の前にお返ししなければなりません。(101-289,1978.11.7)

 

 

 今後、皆さんが天国に登録するという新しい出来事が起こるでしょう。戸籍に載せなければなりません。戸籍に載せるためには、国がなければなりません。国がなければ入籍することができません。国がどんなに重要かを知らなければなりません。国があってこそ、その国を通して神様が思いどおりになさることができ、そうして初めて私たちにも迫害圏であるサタン世界を踏み越え得る基盤がつくられるのです。ですから、食べるときも、何をしていても、いつも国のことを考えなければなりません。(54-228,1972.3.24) 

 

 戸籍が変わらなければなりません。戸籍を新しくつくらなければなりません。サタン世界の戸籍は、すべて滅びるのです。それは、地獄圏に属するものです。ですから、天国の戸籍に入籍し直さなければならないのです。今日、それをはっきりと知って、今後、私たちの取るべき姿勢を整え、私たちの周辺にこの事実を伝えなければなりません。そのために、中心存在はいつも、投入して忘れなければなりません。(251-273,1993.10.31)

 

 天国に新しい族譜が編成されるとき、入籍が行われるのです。(105-189,1979.10.21)

 

 160カ国を中心として160家庭が一つになることにより、入籍時代となるのです。今、皆さんが生まれたとすれば出生届けをしなければならないし、結婚すれば婚姻届をしなければならないし、死ねば死亡届けをしなければならないのと同様です。国ができれば、憲法を中心に、戸籍であるとか、それに関する体系によって管理する基本法ができなければなりません。その国に入籍するためには、160家庭が完全に一つになって入籍しなければならないのです。
 入籍するとき、母国語を知らなければ入籍できません。言葉と文化と生活環境が完全に真の父母のものでなければなりません。真の父母様の文化圏を相続して心情文化世界を代表した、そのような家庭とならなければ、天国に入籍できる資格が剥奪されるのです。(276-216,1996.2.24)

 

 天国の法を守って、天国の王宮法を尊重視することができなければなりません。今後、南北が統一された世界、そのすべてに対して備えなければなりません。その訓練が残っています。その時に、誰でも入れるのではありません。入籍時代が来るのです。その時は、大学を卒業して、博士になって、大学の先生になることよりも難しいのです。自分の1代に一族の歴史をすべて編成して、それにパスしなければなりません。霊界、肉界から鑑定を受けて選出されるのです。
 そのように考えると、皆さんは、先生が今まで45年間指示してきたすべてのことにおいて合格ですか、不合格ですか。何分の1合格したかが審判の条件になるのです。これは脅迫ではありません。見ていてください。私の命令は、私がすべて勝利した条件を立てた上で命令していることなので、天国の訓示第1条の条件として、法的条件として残っているのです。それについての問答がなされるのです。(210-370,1990.12.27)

 

 憲法を作って法律を発表したのに、その法に引っ掛かるならば監獄行きなのです。「知りませんでした」という弁明は通じません。そのように考えている女性は今、悔い改めなければなりません。絶対に隠れて生きてはなりません。警告します。男性よりも女性に責任があります。男性は女性の言うことを聞くものです。どういうことか分かりますね。(250-344,1993.10.15)

 

 日帝時代にサタンが先に創氏改名する運動をして、私たち民族を教育しました。ですから今、姓を変えることが難しいでしょうか。日帝時代にも変えたのですから。そうではありませんか。私は、姓を変えるために来た人物です。族譜を掘り起こすために来たのです。気分が悪いですか、良いですか。僕の族譜を掘り起こして、王宮の王女、王子の族譜に入籍させてあげようとしているのに、嫌だという人がいますか。嫌ならばやめてください。そのような人は、滅びるべきです。ですから、喜ばざるを得ないのです。(39-111,1971.1.10)

 

 アダム1代から族譜ができていません。初めて族譜編成がなされるのです。家庭を中心とする入籍時代が来ます。そのような恐ろしく、驚くべき時代が来るということを知らなければなりません。(290-167,1998.2.18)

 

 ④民族大移動時代が来る

 

 氏族的メシヤとして入籍したときには、韓国語を知らなければ御父母様の近くに行って立つことができません。遠からず、そのような時が来るのです。入籍は、超国家的、超民族的にしなければなりません。民族大移動の時が来るのです。ですから民族的メシヤの活動を急いでしなければなりません。この世は、何でも先生の言ったとおりになります。そうなるようになっているのです。(253-48,1994.1.1)

 

 今後、入籍する順序を中心として、民族大移動が起こるのです。統一教会に反対する人は今後、荷物をまとめなければなりません。スターリンはサタン側の再臨主の象徴なので、サハリンの韓国民族を死ねとばかりに中央ロシアの砂漠地帯に連れていって捨てましたが、死にませんでした。
 韓国民族は、とても忍耐力のある民族です。団結して生き残りました。その時のように大移動するのです。その時は、強制的に移動させられましたが、今は、志願して移動せざるを得ないのです。原理原則がそうですから、天国に行くといって、自分たちが良い暮らしのできる所に行くことができるでしょうか。そうではありません。地上天国が顕現するときには、大移動が起こります。先に入籍した順番のとおりに、先生の側近となり、ずらりと並ぶのです。大韓民国で反対する人は、追い出すのです。荷物をまとめるのです。(253-299,1994.1.30)

 

 イエス様は結婚できなかったので、祝福を受けた人は、イエス様よりも上の立場に立つのです。ですから氏族が反対することなく、先生を歓迎する時代が来たのです。氏族的メシヤとして160家庭を糾合するのは、たやすいことでしょう。問題ないのです。早くそれをしなければなりません。それをしなければ、皆さんは一人残らず追い出されます。世界の人が行列をつくって来て、みな入籍するようになって、入籍する数が4000万を超えるとき、皆さんがそこから外れたならば、荷物をまとめて南米に、アフリカに行かなければならないのです。嫌でもそのような時が来るのです。大移動時代が来るのです。(274-175,1995.10.29)

 

 ここに来た人たちは、「そんなはずはない」と言うかもしれません。そのような人は、見ていてください。今に、荷物をまとめて遠い南洋に追い出されるのです。世界における7000万人以上の統一教会のメンバーが、入籍して入ってくるのです。すべて韓国に入籍してくるのです。それを知らない人はみな、荷物をまとめて退くようになります。大移動が起こるのです。起こらざるを得ないのです。そのような困難な世界を知っているので、皆さんを集めて深刻にみ言を伝授してあげているのですから、よく聞いてください。ここに来ていた人が死んでから、「どうしてあの時はっきりと言ってくれなかったのか」と言ったときに、私が引っ掛かることのないように、はっきりと語ってあげるのです。(283-211,1997.4.12)

 

 国があって初めて入籍がなされます。出生届け、婚姻届け、死亡届けを出すのです。私たち統一教会の多くの家庭が祝福を受けましたが、今は誰も手続きすることができません。手続ができないのです。国がないので、みな新しく登録しなければならないということを、知らなければなりません。
 ですから大移動が起こるのです。北極の人が南極に、南極から北極に行くのです。今後、手続きをする順によって、国と支派が異なってくるのです。大移動が起こるのです。(278-327,1996.6.23)

(2022.5.4:写経奉献)

 

 

3)四位基台入籍続一祝福

 ①三時代大転換一体圏統一祝福式

 

 地上では真の父母によって祝福を受け、天上では興進君によって祝福を受けたのですが、父と息子が霊界と肉界に別れて祝福したものを一つにしなければなりません。地上の父母様を中心に、息子が霊界でしたことを地上に下ろして、父母様から皆さんが祝福を受けた基盤と霊界で祝福を受けた基盤を連結させて一つにし、父母様が地上で息子、娘を祝福する代わりに、霊界が天使長の立場で完成できる祝福基準の前に順応しなければならないのです。それゆえ興進君が地上に降りてきて、父と息子が一つとなった立場で一つの条件を立てて、父母様がなしたことをすべて興進君も共になしたといえる価値を認めるのです。(332-287,2000.9.24)

 

 80の老人が世界を回って祝福する時代は過ぎ去りました。皆さんが父母様の代わりに、興進君も霊界で父母様の代わりに祝福する時代を設定するのです。そのためには、私が地上にいる父の立場で、息子である霊界の興進君に祝福する権限を伝授し、霊界で祝福してきたすべての基盤も、先生が行っていつでも祝福してあげることのできる基準を、同等の価値を設定したのです。ですから、平面の場において、お父様の前に息子を立たせて祝福しようと、お父様が天上世界、霊界の息子の所に行って祝福しようと、同じ価値のものとして、統一された祝福家庭として意味をもたせるために、お父様が息子に祝福の権限を相続してあげるのだということを知らなければなりません。(332-287,2000.9.24)

 

 父親が霊界に行けば、兄になります。また、息子は、弟になるのです。ですから、父親の呼ぶ天の父も、息子の呼ぶ天の父も同じなのです。神様の前では、みな息子になるのです。ですから、同じ息子といっても、父親が先なので、横的な面においては兄の立場を代表するのです。
 ですから、父母様が父母様の立場を完成したということは、息子の立場の完成を、霊界でも地上でも同じ価値的内容を伝授し、一体化させるというようなことをするのです。父母様が、霊界の長子である興進君を呼んで、このように祝福された家庭を立て、一緒に統一的宣言をすることによって、先生が祝福をしてあげるのではなく、今後は興進君が祝福をするのですが、興進君がいなければ、顕進君がお父様の代わりに祝福できる時代になるのです。(332-289,2000.9.24)

 

 3代の息子、娘、祝福を受けた家庭は、絶対に堕落してはいけません。堕落したならばどういうことになるかというと、今までのように真の父母が来て救える道理の時代は過ぎ去るのです。血統が異なったのを完全に転換し、3時代の先祖を代表した王権を受け継いで、祝福できる大将となった夫婦の血統は、千年、万年たっても汚されてはならないのです。血統の汚れたものを受けてはならないのです。純潔を守らなければなりません。深刻です。
 「真の父母の名によって許してください」と、許しを請うことはできないのです。自分の先祖と自分の愛する兄弟を犠牲にしなければ、救う道がありません。それでもその血統はきれいな血統ではないので、はぎ取ってしまわなければならないのです。純潔な血統を残さなければなりません。深刻なのです。(332-291,2000.9.24)

 

 3代圏内にある祝福家庭は、どのようなことがあっても、堕落の悲しさを味わうような血族になってはならないことを警告します。(332-294,2000.9.24)

 

 入籍特別修練会に参加した女性たちは、入籍することによって、息子、娘に責任をもち、母と息子、娘が一つとなって父を完全に悔い改めさせて、堕落していない父母の立場に立てることによって、来たるべき真の父母のあとに従って、神様を玉座にお迎えし、天宙のすべてを喜びの心をもって旧約時代、新約時代、成約時代、万物と息子、娘と自分たち夫婦をすべて捧げる立場に立たなければならないのです。
 愛の実権を再び相続したその立場が故郷の地への出発の場であり、祖国光復の出発の場なので、今後、全体的歴史時代で願ってきた、祝福家庭がなせなかったすべてを蕩減して、南北統一のこの混乱時代に責任をもたなければなりません。
 私たちの手で祖国光復することによって祖国を建てるのであり、本郷の地を求める厳粛な課題に出征した兵士の母であり、息子、娘であるので、天地全体が協力して、一方通行で、勝利に向かって1歩1歩前進するための出征命令であることを知らなければなりません。兵士となって、天の威信と伝統に汚点を残すような家庭、一世、二世、三世となるのではなく、霊界の先祖の前に恥じることのない、誇らしい家庭となることを天地父母は願います。祝福された長男の興進君、顕進君、一族全体を合わせて願いますので、その目的達成のために、1寸の狂いもなく一体理想を完成させ、天地の勝利的王子、王女となることを願います。アーメン!(332-298,2000.9.24)

 

 地上世界の真の父母の勝利圏を、天上世界の長子圏を代表した興進君を中心とした勝利の伝統とし、一体的理想をもって伝授したことを宣布いたしますので、天地の存在は感謝の心で永遠不変の愛の国と、愛の地上天国、天上天国を抱いて、ありったけの精誠、忠誠を尽くし、孝子、孝女、忠臣、烈女、聖人の道理、聖者の道理を果たします。お誓いします。アーメン! お誓いします! アーメン! お誓いします! アーメン!(332-302,2000.9.24)

 

 ②四位基台入籍

 

 家庭的基盤でなければ入籍することはできません。真の父母というのは、家庭を中心として祝福の基盤を代表した世界的家庭なので、それと相対圏をなして入籍しなければなりません。家庭的出生を届け出なければならないのです。真の父母のみ名を中心に、神様のみ旨の平和境ができ、統一圏ができるそこにおいて、家庭的に入籍するという事実は、国家が一瞬のうちに帰ることができるということです。(269-55,1995.4.7)

 

 アダムとエバが家庭的に堕落することによって、サタンにすべてを入籍したのと同じように、今度は皆さんの家庭を中心として皆さんの国と全体が入って、天に入籍して戻ってこなければならないのです。これは原理です。堕落するときに、家庭を中心として堕落しました。
 ですから、それを蕩減しなければなりません。この原理があるので、この世界の大統領がいれば、その世界を引き連れて天に登録しなければなりません。登録したならば全体が、その国全体が救われるのです。(184-96,1988.12.20)

 

 皆さんは、家庭を中心に入籍しなければなりません。ところが皆さん、まだ入籍していませんね。今後、恐ろしい時が来るのです。それに関しては具体的に説明しません。もしも引っ掛かるようなことがあれば、切ってしまわなければなりません。それが正に原理の法度なのです。(28-333,1970.2.11)

 

 皆さんは、天を愛するように父母を愛さなければならないのであり、天と父母を愛するように兄弟を愛さなければなりません。自分の家庭と兄弟を愛するように万民を愛する人は、天国の民としての資格をもつ者として登場することができるのです。入籍できるということです。(190-122,1989.6.18)

 

 潮が満ちてくるときは、初めはとても早く満ちてきます。どんなに早いことでしょうか。ところが、満潮となって交代するときは、1分以内に代わるのです。恵みの圏内で1分間だけ水平となって同じ立場に立てるということです。ですから、統一教会の熱心な青年たちが、サタン世界の人と、同じ祝福の位置に立って、50億人類が一朝一夕に、すべて統一されるのです。それで数万代が横的に連結されるのです。それから国家編成をするのです。国家というものを編成するときに、再び先祖として登場するのです。(253-299,1994.1.30)

 

 これからは、祝福を受けたならば、一族に責任をもたなければなりません。押されてでも、強制的にでも祝福を受けたならば、天国に入籍するチケットをもらうのです。(283-295,1997.4.13)

 

 ③入籍家庭に対する真の御父母様の訓示

 

①純潔な血統を死守せよ

②一心定着

③子女に対する真の愛の実践教育

④国境撤廃と交差結婚

⑤祖国光復と天国創建

⑥訓読経、原理暗記

⑦家庭盟誓の実現化

⑧正午定着(333-233,2000.9.26)

 

 ④祝福家庭婦人動員と祖国光復

 

 これから家庭が責任をもって越えていく時になりました。このようになったあとに入籍が起きるのです。したがって、妻を送りださない人は引っ掛かります。引っ掛かれば、いくら先生にお願いをしても仕方ありません。先生もどうすることもできないのです。(37-264,1970.12.27)

 

 今後、皆さんの一族がすべて天に入籍しなければなりません。今回、動かなければ、入籍できないのです。ですから祝福を受けた家庭を動員しなければなりませんか、しなくてもよいでしょうか。既成家庭はどうでしょうか。既成家庭の皆さんが、「既成家庭は動員しよう」と言うならするし、しないというならしないで、自由です。また、皆さん以外の人も、しようというならして、しないというならしないで・・・・・・。我先に動員しようとするというのです。今、そのような時が来たのです。(164-292,1987.5.17)

 

 父の前に、天国のすべての祝福を受け継ぎ、母を通して母の伝統を受け継ぎ、父母の伝統を受け継いで代表としてきたのが長子であり、長子の伝統まで受け継いだのが次子だということです。ですから、父の命令に母が絶対服従して、母の命令に長男が絶対服従して、長男の命令に弟が絶対服従しなければならないのです。そのような家庭にならなければ、神様に仕える家庭になることができないというのが、原理的総観です。総観です。(283-56,1997.4.8)

 

 先生は、天の心情をあまりにもよく知っているので、誰かが一言でも語るならば、痛哭するのです。天下を統治し万国を治めるべき神様が、主権者の中の主権者となって、万世の大王のあらゆる権威をもって、万民を父子の関係の世界として統治しようという理想が蹂躙されたという事実、それが恨なのです。この時点から私たちが立ち上がって、悪なる権勢をすべて破り、天の願ってきた主権を立て得る栄光の1日が、私たちの目前に迫っているのです。(164-216,1987.5.16)

 

 私たちが神様を中心とした自主的な国で生きられる希望の1日は、何ものにも換えることのできない価値ある時間なのです。霊界に行った人の中に、神様を中心とした国家圏内で生きた人はいません。先生は、それを知っています。私は、統一教会のメンバーを苦労させましたが、国を建てて摂理的国家圏で国をもった主権者の前に国民として堂々と生きてきたという、本然の人間像をもてるという事実が、どんなに権威あることかというのです。
 先生は一生の間、それを標準として生きてきました。今まで先生は、多くの人に苦労させましたが、その国の国民のために主権者としての神様に仕え、その心情を注いで、一生涯をそっくりそのまま捧げ得る栄光の日のために闘ってきたのです。(164-216,1987.5.16)

 

 私たちが復帰すべき祖国というのは、今日この地上にあるような歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が異なるのです。私たちが次元の異なるその国を受け継ぐには、そのための思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。ところで、その主体的な思想というのは、絶対者である創造主がいるとするならば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。
 絶対者の願う国が存在するためには、その国の主権を中心として、その国の国民に一致することのできる国になることを願わなければならないのです。そのような国民性をもって国家形態を備えなければならないのです。その形態を保存できる資格をもつ人になれなかったので、その国は形成されなかったのです。(49-93,1971.10.9)

 

 今、私たちが生きている世の中に、祖国がどれほど多くあるでしょうか。大韓民国の人は、大韓民国を「祖国だ」と言いますね。北朝鮮の人は金日成を中心として北朝鮮を「祖国だ」と言います。日本人は日本が「祖国だ」と言い、中国人は中国が「祖国だ」と言います。多くの民族が、根源的な国家や先祖を中心として民族を形成したならば、それを中心として「祖国」と言うのです。しかし本来、人間世界の祖国は、何百、何千もありません。本来の祖国は、一つです。一つでなければなりません。(241-291,1993.1.1)

 

 私たちの祖国は、一つの国です。一つの国の中にある故郷を求めていくのです。「神様が共にいらっしゃる故郷、神様が共にいらっしゃる祖国、神様の名をもった祖国だ」と言える国がないのです。それはモスクワでもワシントンD・Cでもありません。ないのです。そのような祖国と、私たちの故郷の地を創建できる宝物を探そうというのです。(102-260,1979.1.14)

 

 先生は、横になりながらも、いつもそのようなことを考えました。ここは父の国の家ではないので、愛着がないのです。ここに愛着をもって、良い暮らしをしたり子を生んだりするのは、仕方なくしていることなのです。
 神様と霊界の霊人が祖国の統一を、どれほど待ち望んできたことでしょうか。どんなに待ちわびてきたことでしょうか。「たとえ自分は地獄で生きたとしても、天上の低い所にいたとしても、私たちの祖国が早くできてほしい」と願うのではないでしょうか。その祖国が顕現するとき、自分たちが解放されるのです。ですから特赦を下してあげなければならないのです。私は、監獄でもそのようなことをしてきました。門を開け放ったのです。肉界、霊界すべてにハイウェイをつくったのです。ですから、霊界がすべて父母様に対して、そのような方向に、一つの国へと進軍するのです。そのように願っているのです。
 霊界が地上のために、真の御父母様がうまくいくように祈っているのです。それを知らなければなりません。「地上の真の父母様、どうかよく闘って霊界の恨を解いてください。」。神様の願っていらっしゃるのがそのようなことではないでしょうか。皆さんは、これまで神様の国で生まれて暮らすことができず、この地のサタン世界で生きてきた期間が長いということを、恥ずかしく思わなければなりません。(164-218,1987.5.16)

 

4)入籍時代と私たちの責任

 ①入籍と真の御父母様の恵み

 

 今日の人類は、サタンの血統を受けています。ですから悔い改めなければなりません。天地の大主人の前に顔を上げることのできないほど、恥ずべき内容があるのです。しりまで隠して岩の後ろに隠れて、神様と呼ぶことのできない恥ずかしい子であることを知らなければなりません。愛の怨讐の血を受けたのです。ですから、涙と鼻水を流してはいつくばり、命を失ったとしても、「罰を受けて当たり前だ」と言うことができなければなりません。死んで埋葬された自分だということを知らずに生きる、かわいそうな人たちなのです。
 誰も知らないこの道を探すために、私がどれほど大変だったか分かりません。人生問題の根本を解明しなければ、解決することができないということを知ったとき、暗中模索していた若い時の苦痛は、皆さんには分からないでしょう。しかし、それを可能にする組織をつくって、言葉だけでなく実戦の途上において、それが証明された世界の版図をすべて備えました。今や誰でも走ってきて旗を受け取って後ろを向きさえすれば、天国に入ることができる時代が来たのです。(209-292,1990.11.30)

 

 自分自身がどれほど汚れた姿で悪臭を放ち、統一教会を汚し、サタンの舞台をつくってきたかを考えてみてください。それを考えれば、神様の前で、先生の前で体を伸ばして座っていることはできないのです。答えてみてください。それができますか。解放されて長子権を相続し、王権を相続できる自然な神様の愛圈と血統圏が中心となっている人ならば、それが可能かもしれませんが、皆さんは、そのような人になっていますか。腐って、いつ落ちるか分からないこの者たちが、自慢しているのです。このような事実を知らなければなりません。(206-255,1990.10.14)

 

 皆さんには何の資格がありますか。祝福を受ける資格があるでしょうか。祝福を受けようとここに来て座っているのですが、皆さんが統一教会に入ってから何年かの間にしたことは何でしょうか。祝福というのは、そのようにただ来て座っていれば受けられるというものではありません。千年の功を尽くし、万年の功を尽くしてから、その子孫が来て厳粛に千万回の謝礼を捧げながら、そして天上世界と地上世界の万民が仰ぎ見て、その日の栄光を称賛する中で、祝福を受けるべきなのです。果たして皆さんに、それができるでしょうか。(30-224,1970.2.23)

 

 文総裁の言っていることがうそかどうか、死んでみれば分かります。私の言っていることがうそかどうか、今すぐにでもこの場で一度死んでみてはどうですか。霊界の度数に合った道理を教えてあげたということを知って、その教えどおりに行かなければなりません。いずれにせよ一度は行かなければならない道です。文総裁の教えを受けなければ、その峠を越えることはできません。案内者がいないのです。
 ですから、天は今日、この滅びゆく世の中で私たちのような者を立てて、キリスト教が生きる道、自由世界、民主世界が生きる道を教えてくれるのです。今日ここで名実共に真の父母の論理が出てくるのです。(209-227,1990.11.29)

 

 「先生に似なさい」というのは良い言葉でしょうか、悪い言葉でしょうか。築かれてきた福をそのまま引き継がせてあげようというのです。先生が大きな峠を越えたとすれば、それを中心に同じ形をつくりなさいということです。そうすれば、その垂直線は同じなのです。(199-188,1990.2.16)

 

 これからは、皆さん全員が絶対愛、絶対服従する立場に立たなければなりません。エデンにある家庭には自己所有権はありません。神様と神様の絶対愛と血統が一つとなった立場に立った真の息子、娘になりさえすれば、宇宙のすべてが私のものになるのです。愛によって一つになれば、自分のものになるのです。(300-303,1999.4.11)

 

 ②家庭の伝統を立てよう

 

 天国の皇族圏を編成していく時代です。このどうしようもない者たち、今後ブルドーザーで押し倒してしまう日が来るのです。私の教えるすべての原理のみ言、教えるすべてのことを中心として、世界へ出ていくとき、この世界の伝統をせき止めることのできる韓国人がいるはずはなく、この世界の伝統をせき止める統一教会があるはずはありません。根を抜かなければなりません。
 目をつぶって断行しなければなりません。天国の伝統を立てるために刀を当てるときは、刀を当てる腹がなければなりません。私の目を見てください。とても早く話しますね。主張の強い人なのです。間違えたならば、許しというものはないのです。
 世界に向かっていく時代を前にして、そのような日がやって来るということを考えるとき、これからは厳粛に過去をもう一度悔い改めながら、自分の一身を整え、一家庭を整えなければなりません。(184-243,1989.1.1)

 

 これからは、世界がすべて入籍しなければなりません。12支派を中心に、入籍するときは、皆さんの一生、統一教会に来てから今までのすべてを一つ一つ記録しなければなりません。教会からふろしき1枚でも持っていったとするならば、それをすべて記録しなければなりません。それが霊界で記録されたコンピューターの記録と合っていなければ、皆さんは入ることができません。正直にすべて告白書を書いていかなければなりません。そのように、一度清算して越えていくべき時が来るのです。
 ですから、皆さんの祝福も、教会祝福、南北を統一したあとの祝福、世界を統一したあとの祝福があるのです。そのようなものなのです。
 短期間内に南北統一の時代が来ることを願わなければなりません。世界を越えて皆さんが祝福を受けて行ってこそ、天国に入るのであって、そうでなければ霊界に行ってとどまるのです。(212,59,1991.1.1)

 

 人間の価値的結論は、二つではありません。一つです。その価値的結論の中心とは何でしょうか。真の愛です。真の愛とは何でしょうか。真の愛の定義さえ下せずにいます。統一教会の思想は、愛を中心とした唯一の世界観です。個人はこう行くべきであり、家庭はこう行くべきであり、氏族はこう行くべきだということがはっきりと示されています。
 その法度は、レバレンド・ムーンの構想ではありません。天国の法度の反映体なのです。そうしなければ、霊界に行って入籍できないのです。(147-194,1986.9.21)

 

 もう、理論的に考えるならば、み旨に関して説明することはなくなりました。すべて終わったのです。これからは、紙切れを持って越えていく時です。ですから、神様と真の父母から歴史が始まり、今後、入籍時代が来るのです。ですから皆さんが入籍するのです。神様の息子、娘としてみな神様のように、真の父母のようになったでしょうか。言葉で言うのは簡単です。寝ても覚めてもこれを考えなければなりません。食べている時も寝る時も、どこへ行ってもこれを考えなければなりません。そのためには、祖国で暮らしてから行かなければなりません。(201-235,1990.4.22)

 

 人間の堕落によって、あってはならない内容が、天の道に反対する内容が、今日の人間世界に満ちているのです。これを払いのけなければなりません。これを裂いてしまわなければなりません。
 それは言葉だけではできません。サタンの愛を中心に、サタンの生命、サタンの血統につながるすべての民族は、それぞれ歩んできた歴史的文化背景を中心に、異なる習慣性、あるいは風習が各種各様に満ちているので、そのままでは除去できないのです。
 ですから聖書に、「自分の命を失おうとする者は生きる」とあるのです。それで逆説的な論理が成立するのです。命を失おうとしてこそ生きるのです。自分の命を投入しなければならないのです。
 ですから、すべてのものを漂白して洗濯し、言い換えれば、蕩減して復帰しなければならないのです。そのような過程が絶対に必要なのです。それをせずに、堕落世界で所有していた習慣性や罪悪性が残っている限り、天との関係を結ぶことはできないのです。(213-98,1991.1.16)

 

 救いの道というのは、皆さんが今まで生きてきた、そのままの習慣的生活を通して得られるものではありません。完全に蕩減の道を行かなければならないのです。救いの摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。ですから、再創造されるためには、堕落する前のものと同じように、本然の位置、ゼロの位置に戻らなければならないのです。そこには意識もなく、習慣もなく、今の自分の金や李という姓もないのです。そのようなゼロの位置に戻らなければなりません。天の創造本然の基準を考えるならば、造られたすべての万物は、ゼロから出発したのです。(213-98,1991.1.16)

 

 統一教会のメンバーは、絶対に自分勝手に生きることはできません。自分の心をだますことができますか。自分の心を偽ることができない限り、天国の戸籍を偽ることはできません。すべてのことが籍に入るのです。
 私がこの手を挙げたとすれば、それがビデオテープにすべて記録されていますね。人間の世界でもそのように記録されるのですから、天国に記録されないはずはありません。祝福を受けたある夫婦について、ボタンを押しさえすれば、幼い時から、その先祖の時からすべて現れるのです。あっという間に出るのです。時間はかかりません。ここでは時間という概念がありますが、天国はあっという間なのです。(148-290,1986.10.25)

 

 女性が家柄の高い名家に嫁入りしたならば、いくら美人だとしても、その家の法度に従わなければなりません。法度に従えなければ追放されるのです。ですから、どんなに大変でしょうか。生活が合わず、習慣も合わず、風習が通じなければつらいのです。規則だらけの行路に従って愛し、それに拍子を合わせることは、容易ではありません。難しいのです。拍子を合わせられなければ、追い出されるのです。(184-243,1989.1.1)

 

 絶対服従! 絶対服従しなければなりません。これはお父様の話ではありません。原理的な観です。これは実際です。観念ではありません。絶対信仰! 絶対愛! 絶対服従! そうであってこそ個人主義が反対に行くのです。そうであってこそサタンが逃げるのです。サタンが逃げるというのです! ですから絶対服従が必要です。
 南・北アメリカがこのまま行きさえすれば、南・北アメリカは統一されます。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。それがルール(軌道)です。このレールを走っていかなければなりません。そのような立場に立っているので、私は血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰をすることができるのです。一族をすべて復帰することによって、「国も私の国だ。絶対的に私の国だ! 絶対的に家庭、氏族、民族、国家が私のものだ!」と言うことができるのです。(269-94,1995.4.8)

 

 アダムとエバが絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を失って偽りの結婚をして、神の血統を失い、所有権を覆し、一族を滅ぼしたので、ここで絶対血統復帰をしなければならないのです。
 真の父母の純潔な血統を、永遠に自分の子孫に残すことができるように守らなければなりません。アダムとエバは、それができずに結婚したのです。私たちは、それを守って結婚し、絶対血統、絶対所有権、絶対心情圏を復帰しなければならないのです。それを標語とするのです。三大標語です。(269-94,1995.4.8)

(2022.5.5:写経奉献)

 

 

 

 

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