「家庭連合」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●真の父母は、ユダヤ教・基督教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

連載07 文亨進様御夫妻御言選集「夫伝道の極意」2021年6月8日・Kings Report

文亨進様御夫妻の礼拝を中心とした御言選集です。

 

 

■07)2021年6月8日 Kings Report
「夫伝道の極意」

 

 

■二代王様:

おはようございます、2021年6月8日のキングスレポートへようこそ。

●今日のリマの御言は
ペテロ第一の手紙3章です。

『3:1同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。むかし、神を仰ぎ望んでいた聖なる女たちも、このように身を飾って、その夫に仕えたのである。たとえば、サラはアブラハムに仕えて、彼を主と呼んだ。あなたがたも、何事にもおびえ臆することなく善を行えば、サラの娘たちとなるのである。夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。』

 

 

●男性と女性と同じ方法で愛を求めない。

 とても興味深い部分です。聖書では妻は夫に服従しなければならないと言っています。そして夫も妻も両方が神に服従しなければなりません。女性たちがこれを理解することが非常に重要です。もし夫が信仰者でなかったり、神に対する信仰がない場合についての部分も出てきます。特に、誰かに神を証そうとするとき、女性が愛にだけ忠実であっても男性には証しできません。女性は神に愛されなければなりません。夫からも同じように愛されなければなりません。神がそのように創造されました。女性の皆さんの渇望は愛されることです。だから会話が始まれば愛についてたくさん話すでしょう。神から、真のお父様、イエスから愛されることを願います。したがって愛を渇望するので愛について話そうとするのです。しかし男性はあなたと同じ方法で愛を求めません。

 この前、王妃ともこのような対話をしたのですが、コリント第一の手紙に出てきた内容でお互いを愛しなさいという部分があります。女性はお互いに愛し合いなさいという話を聞いた時、女性にとっての愛は、赤ちゃんを無条件に愛さなければならないというそんな愛なのです。赤ちゃんが泣いて怒っても、どんなことをしても愛さなければならないのです。多くの女性が特に幼い母親は、赤ちゃんが大声で泣いているのは、彼らのことを嫌がっているとか怒っているとか考えるのですが、それは勘違いです。赤ちゃんは話せないので表現しているだけです。食べなければならないとか洗わなければならないとかそんな状況です。

 王妃がこのようなことを話しながら、人々が恩恵や親切さを悪用しないよう、ある程度の警戒が必要なのですが、この聖書の聖句の内容に関する相談と牧師の導きを求めました。このように思ったのは、聖書の「愛」を女性の立場に立って見ていたからでした。

 

 

●神様の愛を父親の立場で理解する

 神は女性ではなく男性です。神は母親ではなく父親です。したがって愛を父親の立場で解釈しなければなりません。父親は、母親が赤ちゃんに対する母性愛を感じるのと同じではありません。つまり、お父様は愛を別の立場から理解しておられるというわけです。

 例えば、皆さんは喧嘩相手を愛することはできません。実際に対抗して戦わなければならない人を愛することはできません。しかし、彼らの魂を愛することはできます。人間として愛せます。神の形に似て創造された人間としてです。悔い改められるように願わなければなりません。しかし、その人に対抗して戦わないという意味ではありません。もし彼らが悪を行っている場合、防がないというのではありません。理解できますか? その人を愛しているなら、その人が悪を働いた時、ある程度のポイントではそれを防ぐために暴力を使わなければならないかもしれません。

 女性たちはそう思いません。聖書でも言っているように、女性は暴力を避けようとします。全般的にそうは思いません。しかし、武術に接した女性たちは考え方が違います。そして暴力を理解します。そして男性の支配について理解し、大きな男性に対し体力的に勝つことがどれだけ難しいかを理解します。プロの武術家たちもまたこれを非常によく理解しています。特に男性が大きい場合にです。

 女性は女性として子どもたちを守るように作られています。そして子供たちには、お母さんの暖かい愛が必要です。しかし、それらの女性の愛の経験は、男性の愛の経験と同一ではありません。そして、それは神が「愛」を定義する内容ではありません。なぜなら、女性の愛に対する経験は暴力、または暴力の行使と結びついていないからです。

 しかし男性の場合は異なります。男性は、敵を愛しながらも、それに立ち向かうことができます。尊敬することもできます。敵を尊重して、相手と戦おうとする意志を見ます。死ぬほどのレベルまでです。ある武術家はジハードとムスリムの理念を本当に嫌っていましたが、彼の戦った敵を尊重し、愛していました。女性とどれくらい違うのかわかりますか? 私が説明すれば女性たちは理解することができますが、本能的には女性の愛を理解する方法とは違うということです。そのため、女性たちが西欧の教会を掌握したのです。愛の概念をより女性的に理解し、よりベータ的なものです。そして、そんな教会で育った男性たちは、ますますベータ男性になります。アルファ男性的な要素を得ることができないのです。

 

 

●アルファ男性は保護者であり尊重が前提

 アルファ男性は保護者です。アルファ男性は力量があり、とても強い保護者になるために時間を投資をします。彼の人生の大きな部分と資源とお金とエネルギーを投資して、より強い男性保護者になろうとします。だから男性が牧師(pastor, priest)にならなければならないのです。そして、女性が福音の伝道師(evangelist)にならなければなりません。だから女性たちがこれを理解することが非常に重要です。特に信仰のない夫に接する時にです。

 日本の食口の皆さんも経験されたことでしょう? 女性にとって重要だと思う立場で夫を変えようとしました。尊重するということを考えませんでした。男性に愛し合うこととか、親切について話し、ただ自分の弱さを強調し、夫をコントロールしようとしていると夫は感じたでしょう。女性が愛を強調すれば男性たちはそのように理解します。女性たちに最も重要に感じられることは、お互いに親切でお互いに愛すること、それももちろん重要です。しかし、それはお父様が言われる真の愛の本質ではありません。お父様はただ社会的に親切をすることが愛であると言われたのではありません。

 多くの場合、夫を変えようとする時、彼女が重要だと考えることだけを話すのでうまくいかないことが多いのです。なぜなら夫にとって重要なことは話さないからです。それで6節で「サラがアブラハムを主と呼んで服従したように」となっているのです。ここでサラは「あなたは愛さなければならない」と、罪の意識を感じさせるためにこのように言ったのではありません。非常に敬い、彼を尊重しているのです。理解できますか?
 
 信仰のない夫を変えようとする時に、愛を強要したからといって変えられるものではないのです。特にアルファ男性には非常に効果がありません。彼をねじ曲げて服従させようとしていると夫は思うでしょう。夫にしてみれば、宗教や神のことを話して自分を操つろうとしていると思うでしょう。彼を弱くするためにそのようにしていると思うでしょう。皆さんは、皆さんにとって自然だと思うことを彼にしているのでしょうが、彼にとっては自然な内容ではありません。信仰のない夫にこのような話をするときは皆さんの責任について話さなければなりません。その責任とは何ですか?

 

 

●男性を尊敬し敬いなさい。

 彼を尊敬することです。彼を敬ってください。もしそれができなかったら、男性はその福音を伝える妻に対して感じることを息子も同様に感じるずです。愛について話す時、皆さんが夫に合わせることに慣れていないということも一緒に話さなければなりません。それは尊敬と名誉です。夫を尊敬し、敬うことです。信仰のない夫であっても、皆さんは代価なしに彼を尊敬し敬うように神に命令されています。

 夫の立場に立ち、夫を尊敬するという責任を果たさないで、愛に対して小言を言うのは、「そうだ、この女は神を信じると言っている。そして、私が何をすべきかをいつも指示している。私は堪えなければならないし、愛さなければならないし、堪えなければならないし..。 神について話をしているから。いや、私はそれには同意しないと言えなくしている。それは愛することではないから。私を服従させるために神を利用している。」と男性は感じるはずです。そうですよね?

 もし夫が妻に、「あなたは無条件、私に服従しなければならない。無条件に私を尊敬しなければならない。」と言ったと考えてみてください。それだけを言って、神の愛について全く話さなかったとしましょう。それは皆さんを非常に怒らせるでしょう。100パーセントです。もし、皆さんの夫がそのように尊敬だけを話せばどうでしょうか。彼の責任について話をしませんでした。そのため男性の心に浸透させるためには愛についても話さなければなりませんが、神が女性に与えた責任も一緒に話さなければならないのです。それはまさに彼を無条件に尊敬し、敬うことです。

 サラはアブラハムに「主よ」と言いました。そうしないなら、夫に牧会者として力を注いであげるのではなく、神を武器に彼の牧会を奪うことになるでしょう。特にカトリックで育ったなら、このような傾向が強いです。これに注意しなければなりません。教会もまた、女性から大きく支配されており、フェミニズムが深く浸透しているとすれば、これは非常に難しいことです。

 

 

●夫を操る姿勢ではいけない。

 皆さんのお母さんがどうされたのかよく見なければなりません。お母さんがお父さんを霊的に支配しようとしましたか? 霊的に家の頭になろうとしましたか? そしてお父さんが家庭の牧師になるように力を与えてあげませんでしたか? 皆さんのお母さんがそうされたとしたら、皆さんもやはり夫にそうするでしょう。だから、それをまた学ばなければなりません。それをまた見てそれが悪いことであることを知らなければなりません。

 牧師を助けると考えてみましょう。牧師が神と信仰に困難を経験しているとしましょう。そうであれば、その牧師がより成功するよう助けるでしょう。「私は牧師を信じています。牧師のために祈ります。」とても穏やかに対応すると思います。そうですよね?

 夫に接する時も同じです。とても慎重に、紳士的にしなければならないのです。 彼を操つるように接してはいけないのです。神を武器に夫の牧会を奪ってはいけないというのです。不幸にも、多くの女性たちがこのようなことを教えてもらえず、たくさん失敗します。私はどれだけ多くの失敗談を聞いたか分かりません。

 特に、日本の食口たち、日本の女性たちが韓国の夫にこのようにし、彼女たちの結婚が崩れた場合が非常に多いのです。不幸にもですね。多くのアメリカの食口も同じです。とても悲しいことですが、私は愛を持って同じ話をするつもりです。

 

 

●すべてに率直なのは、正直では無く愚か

 心理学的に女性が最初にデートに出る時、女性の心の中では、彼女たちがデートする相手に対し、完全に率直でなければならないと考えます。それで彼に率直に自分の問題点についてすべて話します。私にはこんな問題があって..。正直にずっと話すそうです。しかし、いきなり相手にそのように話すのはいけません。なぜなら、その問題点を放っておくのではなく、問題点を変えていけるようにしなければならないからです。最初のデートで男性に対してそのような話をするということは、即ち、「そうだ、あなたはこのようなことを経験しなければならない」と言うことと同じです。このようなことを経験しなければならないし、私は変ろうとはしないだろう。私は成熟しないだろうということなのです。正常な男性ならその女性から離れるでしょう。とても未熟な女性だからです。

 しかし多くの女性たちが教会で新しい人たちに接するとき、このようにする場合を見たことがあります。全く同じことをするのです。無意識的にするのかもしれません。新しい人たちが私たちのコミュニティーを愛してくれることを願うからかもしれませんが、あまりにも多くのことを非常に急いで行うのです。まだ、真のお父様のことがわからない場合でも、ただ宣言すべきだと思い、「私は真のお父様を愛しています、真のお父様はイエス様です。」と最初のミーティングで話したならば、ある人たちには通じるかもしれませんが、多くの人たちにはまったく通じないというのです。

 とてもたくさんの情報がすぐに与えられたからです。教会の初期にも原理講論講義を先に受講しなければなりませんでしたし、2日、7日、21日(修練会)、こうしてお父様に対する信仰を持つことができたでしょう。突然、一瞬にして聞いて悟ったのではないでしょう。ほとんどの人は原理講論を学ぶ十分な時間を通して信仰を持つようになりました。初日に来て、すぐにはすべてが分からないのです。人々に正直でなければならないと考えてそうするならば、それは正直なのではなく、愚かなのです。

 その相手がどの段階なのかをまず知らなければなりません。これは多くの女性が信仰のない夫たちにしてきたことと同じことです。私は率直でなければならない。違います。神の福音を上手に熟練した方法で伝えなければなりません。ごまかすわけではありませんが、相手がどのレベルにいるのか敏感に把握し反応しなければなりません。

 

 

●相手はどのレベルにあるのかを知る

 皆さんの子どもたちが社会に出て信仰を失った場合、再び子供たちの信仰を取り戻したいとき、特に息子たちに話すとき、どれだけ注意深く慎重に話しかけてあげていますか?子供たちがお父様を信じないことを知っています。イエス様を信じていないことを知っています。

 彼らに対していつもどうしていますか。率直に「お父様がイエスであることを知っているのか?」と言いますか? そうすればその子供たちはどうしますか? 反対方向に行くでしょう。「何だ、僕はここから離れる」と言うでしょう。すでに経験されたと思います。

 だから敏感に注意深くされることでしょう。しかし、問題は、同じように夫にはしないということなのです。それは正気ではないことです。注意深く無神論者の息子に接しなければならないとすれば、夫にも同じようにしなければならないのです。

 他の男性にも同じことが言えます。彼らがどのレベルにいるのか知らなければなりません。もし、彼が消化できなかったとすれば、それは率直なのではなく愚かな行動なのです。神様がそうされたと考えてみてください。神に対する何の信仰もないし、神様を嫌っているのに神様はただずっと皆さんを殴るだけして、皆さんがもっと神様を嫌いになるような事だけされたとしましょう。いいえ、ところが神様はそうされなかったのです。器用に、上手に、また皆さんが戻ってこられるようにしてくださいました。同じことです。

 

 

●自分を省み適切に福音を伝える

 したがって、王妃や伝道師が非常に重要なのです。皆さんの心の中には、妄想があるかもしれません。素直に話していると考えているかもしれませんが、福音を伝えることを破壊しているかもしれません。未熟さと自分を省みないからです。相手がどのレベルにいるのか敏感に見れないからです。相手がどのレベルにいて、どの程度消化できるのか知らなければいけません。皆さんの子供たちのことを思い出してみてください。特に教会から去った場合ですね。皆さんの子供たちにどれほど繊細に鋭敏に接したか思い出してください。彼らに神を強要したとすればどうなるか分かりますね。教会から去った子供たちの場合、過去にそれを強要したとすれば、その子供の反応を見れば分かりますね。

 

おわり。

 

 

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おおくの成約聖徒に真実が届けられますように!
祈り。アージュ

 

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