銃と平和
アメリカ・スイス・日本
アメリカ・スイス・日本
永田正治 masaharu nagata
●●●第一章
アメリカにおける銃の所有 -国民の権利
銃と平和の問題を考えるとき、国によって意義が異なることが分かります。
大きくは、アメリカ型とスイス型に分けられます。
アメリカ型は、まず、社会の治安を維持するために、善良な市民が銃を所持することが求められる国です。
スイス型は、外国の侵略から自国を守るために、市民が銃を所持することが義務になっている国です。
アメリカは、イギリスから独立するため市民が銃をもって立ち上がりました。建国史のなかに、銃を尊重させる原体験をもつアメリカ人にとって、銃とは自由と平等の象徴なのです。
憲法も市民が武装する権利を認めています。私たちがアメリカにおける銃について考えるとき、この点を念頭に入れなければ、何も分かりません。
しかし、多くの市民が銃を所持しているため、銃を使用した犯罪が問題になります。
銃による犯罪は、明らかな傾向があります。犯罪者が、銃を持たない個人や集団に対して一方的に銃で攻撃するというものです。銃乱射事件も、銃所持が禁じられている学校やキリスト教会、コンサート会場などで発生します。
卑劣な犯罪者は、必ず、銃により反撃されない場所を選びます。すなわち、銃の威力をよく知る犯罪者は、何よりも銃を恐れるのです。それは、銃犯罪が、銃の所有が禁じられている地域で多発し、反対に、銃の所有が認められ、多くの市民が銃を所持している地域では、銃犯罪が極めて少ないという統計でも示されます。
銃による犯罪は「銃所有の死角地帯」で起きるのです。
銃所有に反対する人々は、それらの実態をことさら無視し、銃そのものを敵視し、銃の所有が犯罪を生むという間違った主張を繰り返し、人々に感情的に訴えます。
ヒラリー・クリントンは銃所有を禁じる公約をしました。しかしこれは、逆に、銃犯罪を急増させる危険性があります。銃所有を禁じ「銃狩り」を行ったとしても、それに応じるのは善良な人々で、犯罪者は銃を隠し持ち、あるいは不法に手に入れるに違いありません。
それにより、銃所持の死角地帯が増え、一層多くの人々が危険に晒されるのです。
亨進ニムは、銃所有を推進するコミュニティーの人々は、法を順守し、銃の取り扱いと所持のルールを厳格に守る人々だと語ります。
彼らは銃をよく知っているが故に、ルールを守らない者は相手にしません。それは武道愛好会でルールを守らないような者は相手にされないのと同じです。
ですから、善良な市民が銃を所持していれば、犯罪者は市民の銃を恐れ、銃による犯罪は防止できるのです。
亨進ニムは、善良な市民の20%から30%が銃を所有し、携帯すれば、銃犯罪は解決できると語ります。
日本では、銃所有を主張する人を、凶器を好む恐ろしい人と感じるでしょうが、銃所有を支持するアメリカ人は、銃を責任をもって所有し、社会の安全に寄与しようという善良な市民が多いのです。
特に、他国のために戦った退役軍人は積極的な銃所有支持者です。このような銃に対する意識は、アメリカ軍の規律にも反映されます。世界一の軍事力は、「銃」が原点になっていると言えるのです。
日本は、銃を尊重する文化を持つアメリカ軍によって守られているのですから、私たちの銃に対する過度な否定的意識を変えるべきです。
●●●第二章
スイスにおける銃の保持 -国民の義務
スイスは、750万人程度の小国ですが、ドイツ、フランス、イタリアという大国に隣接しています。自国の独立を維持することが難しい地政学的条件のなかで、他国の侵略を受けなったのは、この国が充実した軍事力を持っていたからです。
スイスは非武装中立などという幻想ではなく、強力な武力を持つ、「武装中立」を国是とする国です。
外国の侵略に対しては国民が一丸となって戦い、焦土作戦を決行しても、侵略を阻止するという強い意志をもちます。そのため、あのヒットラーのドイツもスイスを恐れ、侵攻を断念したのです。
スイスは、徴兵制があり4000名の職業軍人と21万人の予備軍をもちます。人口1億2千万の日本の自衛隊員が23万人であることを考えると、この数字がどれ程高いレベルであるか察せられます。
各家庭に自動小銃が貸与され、予備役の立場を離れるまで各自でそれを保持します。
スイスにおいては銃の所持が国民の義務なのです。そのため国民の銃に対する関心も強く、個人的に銃を所持している人も多いのです。
今のスイスは、ドイツ、フランス、イタリアという大国に侵略される恐れなど全くありません。むしろ、これら大国を中心に構成されるNATOの壁によって守られている安全な国といえます。
しかし、国防、安全保障に対する厳しい姿勢は少しも崩しません。それはスイスの周辺は安全でも、世界は依然として、極めて不安定で、危険で、平和とは程遠いものだからです。
スイス政府が発行している『民間防衛』(2003)という本には、思想侵略から核攻撃まで、あらゆる侵略を想定し、国民にそれに対応する教育を行っています。
スイスは、国家、国民がひとつとなり国防を担う、市民社会が強力な軍事機構になっている国です。
●●●第三章
日本と銃 -東アジアの危機に備えて
日本における銃の意義は、スイスと類似しています。
日本は、北朝鮮、中国、ロシアという軍事強国に近接しています。
一方、長くアメリカと同盟をむすび、平和と独立を維持してきました。アメリカという他の追随を許さない超大国の強力な軍事力により日本の安全は保たれてきたのです。しかし将来、この構造は根本的に変わることが予想されます。
まず、中国が一貫してすさまじい勢いで軍事力を強化していること。
中国軍の更なる近代化によって、アメリカ軍の絶対優位は確実に崩れるということです。
次に、好戦的な北朝鮮が、核とミサイルを開発し、日本を壊滅させることができる軍事力を備えたことです。
現在、東アジアは、自由主義国家が、中国と北朝鮮という核兵器を持つ共産独裁国家と対峙している情勢下にあります。
日本、韓国、台湾の三国は何としても強くならなければならないのです。朝鮮半島有事には、米軍基地がある日本は攻撃されます。北朝鮮の脅威は核ミサイルだけではありません。軍事パレードに異様な姿をあらわした、恐るべき20万人の特殊部隊が存在します。
彼らは日本国内に潜入し、住民を殺害し、インフラを破壊し、原発を爆破するでしょう。
平昌オリンピック閉幕式に、あえてテロの責任者である金英哲を送ったのは、戦争が起これば特殊部隊によるテロを行うという強力なメッセージなのです。現在の東アジアは世界で最も危険な地域で、日本はスイスよりも遥かに危うい状況に置かれているのです。
今や、戦争は充分にあり得るものになりました。特殊部隊の攻撃に対し、警察力では到底及びません。自衛隊も人員が足りません。市民レベルで防衛しなくては特殊部隊には対抗できないのです。
有事を想定した時に、狩猟目的以外の、市民レベルでの何らかの形態の銃保持が論じられます。このような議論は、日本の安全保障にとって決して無意味なものではありません。
それにはスイスの民間防衛のあり方から学ぶことが少なくないでしょう。
私たちは、アメリカ社会において、銃所有が国民に平和をもたらすことだと理解し、賛同しました。しかし、日本の治安は世界に誇る有数のものです。そのような日本において、ことさら銃の所有を主張することは無理があり、アメリカの議論を日本に適用することはできません。
国家の政策も国民感情も銃所有を拒絶するものです。
人々は、「銃所有」という言葉を聞いただけでも、95パーセントは即座に「NО」と答えるでしょう。この感情を理解しなければなりません。日本の状況を理解し、この国の平和にとって何が真に必要かを考えるべきです。
私たちはこの問題に対し、常に、国民の感情を深く考慮することが求められます。知恵深きサンクチュアリ教会員には自明のことですが、私自身の心構えとしても、国民の意識と遊離しないことを肝に銘じたいと思います。
そうすることによって始めて、私たちの主張が平和を創出する役割を担うものになることができます。
【永田正治さんのプロフィール】
1954年東京生まれ。高麗大学歴史学科卒業。崇実大学統一政策大学院修士、啓明大学日本学博士課程修了。慶州ソラボル大学勤務(1997—2007)。慶州歴史文化都市造成計画TF委員歴任。著作に『北朝鮮関連日本書籍の分析』、『徳川綱吉の儒教政策』など。日本に帰国後は、信者の異宗教交流により宗教間交流の活性化をめざす「異宗教コミュニケーション」を提唱。「異宗教コミュニケーションのすすめ」、「宗教の復権と異宗教コミュニケーション」、「宗教多元主義と異宗教コミュニケーション-遠藤周作『深い河』を中心に」などがある。