レオナルド・ダ・ビンチの「洗礼者ヨハネ」
永田正治 Masaharu Nagata
洗礼ヨハネ画のなかの、「真実のコード」
レオナルド・ダ・ビンチ最後の完成作品である、「洗礼者ヨハネ」(↑)をご覧ください。「どうしてこれが洗礼ヨハネ?」と思われるでしょう。まるで、この世に存在し得ないようなイケメンで、肌を出して、強烈なインパクトがあります。イエスの「女より生まれし者でヨハネほど大いなる者はない」という言葉から考えると、完璧な外貌、自信に満ちた表情、魅力的なほほ笑み、そして、十字架の上の天を指し示し、昇天したイエスを証しています。この絵が象徴するものは、現世の最高の存在であり、宗教指導者としても最高の存在であるヨハネです。
もう一枚の洗礼ヨハネ(↑)をご覧ください。ヴェロッキョ作ですが、荒野での苦行を示す厳しい表情と浮き出たあばら骨、これぞ私たちが感じるヨハネです。そのためヨハネ画のほとんどは「荒野のヨハネ」です。苦行のヨハネを描くことは、ヨハネが、イエスに従って同じ道を行った信仰の勝利者と強調することになります。ふたつのヨハネの絵は、しっかりイエスとつながっているかのように見えます。
人類史上最も劇的な宿命
ヨハネはユダヤ宗教エリート・ザカリアの子で、誕生の奇跡で注目されました。すぐれた修道者になり、庶民からユダヤ教指導者まで、彼の洗礼を受けに来ました。この大いなるヨハネを人々は「メシア」だと信じました。一方、イエスは、貧しい大工の子で、馬小屋で生まれ、世間に後ろめたい私生児でした。洗礼ヨハネとイエス、こんなに劇的な宿命があるでしょうか。神は、栄光のメシアをこんなみじめな人として地におくりました。反対に、イエスに従うべき証し人をこんなに輝ける人としておくったのです。神は、栄光の洗礼ヨハネがイエスを証し、ユダヤ民族にイエスを信じさせようとしました。これが神の計画でした。しかし、常識的に考えて、栄光のヨハネが卑賎なイエスに従うことはもの凄く難しいことです。
「最後の晩餐」のイエス(↑)をご覧ください。この悲しげで沈んだ表情、死を目前にした時の姿ですが、そのつらい生い立ちからして、これが「イエスの苦難の生涯」を的確に象徴するものです。ヨハネは栄光のなかで誕生し、栄光のなかで活動しました。ヨハネはこの栄光をイエスに捧げなければならなかったのです。しかし彼は自分の栄光をイエスに捧げませんでした。実に、「栄光のヨハネ」と「苦難のイエス」、この二枚の絵の「格差」が歴史の真実を表しているのです。また、ヨハネはイエスを迎えるため修道生活をしました。しかし、「来るべき方はあなたですか。それとも他の方を待たなければなりませんか」と言う問いに示されたように、ヨハネはつまずきました。イエスと無関係ならば、彼の苦行も徒労でしかないのです。現世と宗教世界の最高存在であるヨハネ、荒野の修道者ヨハネは、イエスと全くつながっていないのです。これが洗礼ヨハネの真実です。
つまずきと失敗
遠藤周作は、イエスのガリラヤ湖周辺での伝道は「失敗した」と断じました。卓見です。「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたの内に命はない ……」という一連の説教を聞いて、人々は「ひどい話だ、こんな話を聞けるか」と言って去り、12弟子だけが残りました。イエスは人が受け入れがたい話をしました。「私より自分の父母を愛す者は私にふさわしくない」、「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴をくぐることよりむずかしい」など、今、イエスをキリストと信じる立場では、受け入れられても、当時の弟子や民衆にとっては、受け入れ難い極端な言葉でした。死せるイエスに従えても、生けるイエスに従うことは難しいのです。
イエスの集団は、律法を学んだ者はおらず、無学な漁師やテロリストあがり、またローマの手先の取税人もいました。娼婦マリアを許し、女性が多く従い、イエスの品性は疑われました。安息日を破り、信仰も幼い弟子たちに洗礼を授けさせました。すべては当時の常識を破る行いでした。ヨハネはそれらにつまずきました。
ヨハネは、「私はその方の履物をお脱がせする値打ちもない」と告白し、イエスをメシアと分かっていました。しかし、メシアの如き栄光をもつヨハネがイエスを証さなかったため、イエスはメシアを偽称した冒涜者として殺害されました。イエスを十字架に追いやったのはユダではなく、ヨハネなのです。それが神の復帰摂理におよぼした損失は甚大で、人類2000年史は暗転し、悲惨な罪悪史が続きました。
ヨハネの不信と家庭連合の霊的無知
ヨハネのように高い霊性、すぐれた信仰生活をおくり、イエスの価値をよく知っていた人物でも、何かの思い違いで、イエスの天的価値が分からなくなり、結局、死ぬまで分かりませんでした。これは、家庭連合もおなじです。ながく信仰生活をおくり、アボニムの価値がよく分かっていた幹部たちも、韓氏オモニの異端教説を少しづつ受け入れ、ついには、アボニムが有原罪のサタンの血統で、韓氏オモニこそ無原罪の神の血統の独生女という、驚天動地の邪説を信じるようになりました。そのうえ卑劣にも、アボニム有原罪説は、一般食口に知らせまいと、ひたすら隠蔽しています。
彼らが霊的無知に陥ったのは、ヨハネの不信を見ればうなずけます。イエスが「女より生まれし者でヨハネほど大いなる者はない」と言われた程のヨハネも霊的無知に陥ったのです。私たちは、失敗者の二の舞を踏まないため、メシア・アボニムが地上におられたとき、何度も語られ、全ての食口が受け入れていた正統信仰の記憶を、しっかり心に刻み付け、絶対に忘却してはなりません。そして、アボニムが三度も戴冠された、二代王様の聖業を完遂するため努力しなければなりません。(おわり)
(本稿はサンクチュアリ通信12月号に掲載されました)
【永田正治さんのプロフィール】
1954年東京生まれ。高麗大学歴史学科卒業。崇実大学統一政策大学院修士、啓明大学日本学博士課程修了。慶州ソラボル大学勤務(1997—2007)。慶州歴史文化都市造成計画TF委員歴任。著作に『北朝鮮関連日本書籍の分析』、『徳川綱吉の儒教政策』など。日本に帰国後は、信者の異宗教交流により宗教間交流の活性化をめざす「異宗教コミュニケーション」を提唱。「異宗教コミュニケーションのすすめ」、「宗教の復権と異宗教コミュニケーション」、「宗教多元主義と異宗教コミュニケーション-遠藤周作『深い河』を中心に」などがある。
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