●はじめに
第一章は、「緞帳」(舞台と客席を仕切る最前部にある幕)があがり、開演したあと、天使の序詞、イエス・キリストの祝祷、ヨハネによるイエス・キリストの姿の黙示の紹介があり、イエスからの黙示録解明の謎解きがあって、おわります。
第二章・第三章は「七つの教会」についてです。
この七つの教会の部分は、まだ本公演に入る前の前座の部分であり、本公演のあらすじの紹介部分とみるのです。
●第二章(エペソ・スミルナ・ペルガモ・テアテラ)
教会への手紙
●第三章(サルデス・フラデルヒヤ・ラオデキヤ)
教会への手紙
総論解明
●解明01
「七つの教会への手紙」の位置づけ
アジアの七つの教会名は、実際にあった都市の名前であることから、実際にその都市の教会に送った手紙であろうと理解する信徒と、実際に、教会に送った手紙ではなく、イエス・キリストからの、キリスト教信徒全体への教訓と励ましのメッセージであろうという二つにわかれるのです。
わたしも、この「七つの教会への手紙」は、実際の教会へ送った手紙ではなく、信徒一般へのメッセージと理解します。さらに、イエスからの教訓と励まし以上の「ある意図が隠された黙示」であると理解するのです。
その点を以下に解説しましょう。
●解明02
「七つの教会と摂理的同時性」との関係性
最初に以下の関連図を紹介します。
七つの教会と摂理的同時性の関連性については、第三番目の図表に端的に示されております。摂理的同時性は、六つの同時性区分で構成されていることは上記図表から理解できるでありましょう。その同時性区分と七つの教会の手紙の内容は、関連があり、その同時性区分の象徴的な説明が、七つの教会の聖句に象徴的に含まれているとみるのです。
●解明03
「七つの教会と成約時代の摂理的同時性区分」
具体的に「七つの教会」と「成約時代の摂理的同時性」との関連性を次に列挙してみます。
1)第一の教会「エペソ教会」
⇒1)「ローマ帝国迫害時代」(400年)「日帝及び基督教迫害時代」(40年)
2)第二の教会「スミルナ教会」
⇒2)「教区長制基督教会時代」(400年)「氏族メシヤ家庭教会時代」(40年)
3)第三の教会「ペルガモ教会」
⇒3)「キリスト王国時代」(120年)「天宙平和統一王国時代」(12年)
4)第四の教会「テアテラ教会」
⇒4)「東西王朝分立時代」(400年)「天地王権分立時代」(4年)
5)第五の教会「サルデス教会」
⇒5)「法王捕虜及び帰還時代」(210年)「真の母捕虜及び復帰時代」(2年)
6)第六の教会「ヒラデルヒヤ教会」
⇒6)「メシヤ再降臨準備時代」(400年)「三代王権完成準備時代」(4年)
7)第七の教会「ラオデキヤ教会」⇒7)「成約時代」全期間の象徴
●解明04
「なぜ摂理的同時性区分」が六つなのか?
まず、以下のスライドを紹介したいと思います。
創世記第一章第一節以下には、神の6日間における創造の聖句があります。
この6日間の創造も、歴史的にキリスト教信徒の中で、「実際の24時間×6」と理解するのか、6段階の創造と理解するのか、議論が続けられてきた部分です。
統一教会(統一原理)では、6段階の創造と理解します。
さらに、上記「7つの教会」も6段階の創造と7日目の休息(実際の天地創造の目的の出発)と理解するのです。
●解明05
「成約時代の摂理的同時性」が10分の1、100分の1蕩減なのか
まず最初に以下のスライドを参照しましょう。
●なぜ10分の一蕩減なのか。
10分の1蕩減に対する説明は、統一教会では、イエス・キリストが、聖霊とともに霊界における霊的真の父母としての地上協助摂理であったと理解するのに対し、再臨主・文鮮明師の路程は、肉身を持った実体路程であったことがその理由となります。
●なぜ100分の一蕩減なのか。
ヨハネの黙示録を読み解くと11章に「再臨主の十字架」の預言がでてまいります。
詳細は11章にゆずることとしますが、文鮮明師の本来の寿命を縮めた「三代王権への勝利相続の十字架」ゆえに、100分の一蕩減が成立したとみるのです。
●文鮮明師のみ言
「神様は、7000年の歴史を中心として歩まれてきましたが、すべての宗教は700年を歩んでいきます。700年の運勢の時を迎えれば、それが3段階に展開されて2000年の運勢を中心として歩んでいくので、旧約の歴史も2000年です。2000年の歴史が続いてきたのです。それは、必ず、一段階ごとに新しく入れ替わります。
このように、神様を中心として見てみるときには、7000年の恨みの道を歩まれたのであり、宗教は700年の歴史を中心として歩みます。したがって、キリスト教が勝利していれば、イエス様の再臨も、最初の700年の期間に成し遂げられていたでしょう。それができなかったので、イスラームのシーア派のように、異邦民族の宗教が再臨思想をもって出来てきたのです。このように宗教は700年の運勢を中心として歩むのですが、召命された預言者たちは、個人的に70年の運勢をもって歩みます。したがって、神様は7000年の恨の道を行かなければならないのであり、宗教は700年の恨の道を行かなければならないのであり、人間は70年の恨の人生の道を行かなければなりません。それでは、主が来られて何をするのでしょうか。この地に来て、70年の運勢を7年に短縮するのです。ですから、7000年の恨の道が、宗教に出てくることによって700年に短縮され、700年の運勢が70年に短縮され、70年の運勢が、希望の一時が訪れることによって7年に短縮されるというのです。(『文鮮明先生御言選集』20-329 1968.7.14)
●解明06
「成約時代の摂理的同時性」四本目に対する疑問
成約聖徒の中には、原理講論で解明された「摂理的同時性」一覧表(上記第一番目の図)では、三本線であり、再臨主を迎えて、すべての摂理は三段階(蘇生・長成・完成)で終結するのであり、第四番目の同時性図は、原理的にナンセンスという主張がございます。
わたしも、この意見に同感する者の一人であります。
そもそも、成約時代の摂理的同時性(四本目)は、すべての年代を足しても102年にしかならないのです。
実は、この四本目の同時性の図表は、上記三本線と同列で語られる「摂理的同時性図」と理解すべきではなく、「再臨主の生涯路程解明のための同時性図表」なのです。
本来、再臨主お一人で完結する摂理なのですが、アブラハムが「縦からなる横的な蕩減復帰」摂理で復帰摂理を連結したように、三代王権にバトンを渡して継続する摂理的な完成が、この四本目解明の主要な主題だったのであります。
また、「成約時代の摂理的同時性」の細部の議論は、今回のヨハネの黙示録解明の本論ではないので、既に発行されている下記小論を参照していただきたいと思います。
●解明07
神は「七つの教会」で何を語りたかったのでしょうか。
キリスト教信徒の皆様にとっては、「摂理的同時性」なんるものが登場した時点で、まったく異質の概念にとまどうことと思われます。
本小論の「ヨハネの黙示録」解明は、はなはだ統一教会の理論を振りかざした、異端の主張にしか思われないことは、ある意味当然の感想だと思われます。(申し訳ないことに復帰摂理の説明をすべて省略しているからです。)
そこで、今回の小論の対象は、表題の冒頭に「成約聖徒のための」という、ことわりを入れざるを得なかったのであります。
本題に戻りますが、神は「ヨハネの黙示録」本論の前になぜ「七つの教会への手紙」をもってきたのでしょうか。
それは、七つの教会が、統一教会が主張する「摂理的同時性」区分と合致することを示し、本論の黙示解明を容易にする意図があったと思われるのです。
しかし、この主張も、たんなる推論にすぎません。
したがいまして、この摂理的同時性区分とヨハネの黙示録が一致しているかどうかは、本論解明で実証するしか方法はないのです。本論で摂理的同時性の時系列と一致しているのであれば、まさしく、摂理的同時性の推論は、ここではじめて正しいと、帰納的に立証されるわけです。
●解明08
摂理的同時性区分と「ヨハネの黙示録」の章との連関
これは、次のスライドを参照ください。
●おわりに
今回は、「七つの教会の手紙」が記述されている2章・3章が、ヨハネの黙示録解明の上での、全体章立ての説明部分であることを解明しました。
これを裏付けるための2章・3章の記述内容の解明は次回の第6回で行われることになります。
祈り。アージュ。
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