●はじめに
『この書は「真の父母様」の啓示にあらず』。これが私の結論であります。
それどころか、この書は、統一聖殿信徒の心霊を攪乱させ、神様のみ旨を破綻させる雑霊界の悪霊の業であります。これ全編、菅井睦雄氏による独善と妄想の産物にして、神の摂理に逆行する「躓き(つまずき)の石」なのです。
この書は、読んだ信徒の心霊を高め潔めるどころか、対極の懐疑と背信の渦に投げ込みます。そもそも、この書が「真の父母様」からの啓示であると豪語すること自体、菅井睦雄氏の傲慢と自己顕示欲の証明なのです。
私は統一聖殿信徒の皆様に、この書の持つ危険と害悪を注意喚起いたします。
なぜそのような結論に至ったのか、以下に解説します。
第一章 表題に対する疑義「これは菅井本体論」とすべきである
「真の父母様本体論」という表題がすでに、この書の偽りの証明であります。
本来ならば、「菅井本体論」とするか「新本体論」とするかではないでしょうか。それを、自ら勝手に「真の父母様」の名を借用し、自らの書の正統を主張することなど、通常の信徒の感性であれば、出来ようはずもありません。
以前菅井氏は、自らのブログで、夜の神様からの啓示を主張しておりましたから、自らをメシヤと勘違いしているのではないでしょうか。
私はこの書を通読することに、たいへんな忍耐と苦痛を覚えました。結局、最後まで「聖霊」の恩恵を見出す箇所は一行もありませんでした。広漠なる砂漠を歩むとしても、いつかは「オアシス」が出現するかもしれないという一抹の期待を頼りに読み進めましたが、ついに「オアシス」は出現せず、代わりに出現したのは「蟻地獄」です。
読者を「蟻地獄」に落とし込む地上最悪の書というのが、この書の私の評価です。
第二章 菅井氏が「真の父母様の啓示の書」と言わざるを得ない理由
真の御父母様の御言や、二代王様の御言の引用は、神の真理を証明する目的ではなく、ただ単に、自らの「独善理論」を繋ぎ合わせるための道具に利用しているに過ぎません。
前回の著書では、江利川会長の指導の基に出版された経緯を了解しておりましたから、その中に何点かの学ぶべき恩恵があったことも事実です。しかしながら、今回の書には、その欠片(かけら)すら見出すことができませんでした。
そもそも、夜の神様の聖誕を、菅井氏から学びたいと欲する信徒がいるのでしょうか。この書の出版が、神様のみ旨を推進することに繋がっているのでしょうか。私はたいへん疑問に思います。
書の内容で、信徒に恩恵を与えられない菅井氏は、やむなく、この書の意義をつなぎ止めるために、「真の父母様の啓示の書」という権威にすがらざるを得なかった訳です。
第三章 伝道推進の躓きとなる「あまりに稚拙で幼稚な書」
この書は、論文の形式を成しておりません。起承転結もなければ、いくら読み進めても、結論が明示されません。各章読了後に、著者が何をいいたかったのか、全く心に残りません。
「霊界システム」を始めとする、「心的エナジー」「現象エナジー」「四大心情圏成就システム」とつぎつぎに登場する「菅井造語」を読み解くためには、「菅井事典」を自ら作成していただく必要があります。
真の父母様や二代王様の御言を自分勝手に解釈流用し、お父様が定めた八大教材教本の一冊、原理講論の価値を否定するなど、身の程知らずの言動に、開いた口が塞がりません。
この書では、1000円の価値がないばかりか、菅井氏から1000円頂いたとしても、だれも読む価値のない書であると確信します。
第四章 この書は統一聖殿信徒の出版物として「正規の手順」を経ていない
この書は、統一聖殿の公式的な書ではなく、菅井氏個人名で出版された書籍であります。しかしながら、菅井氏が統一聖殿信徒であるということは、公知の事実でありまして、家庭連合信徒、三男派信徒が注目している菅井ブログで書籍を世界に宣伝し拡散している事実からしても、統一聖殿の日本大陸会長許可をいただくべきものであることは、明白であります。
私は、会長に直接確認したことはございませんが、前後の事情から推察するに、今回の本の場合、会長による出版前の事前確認は得ていないと考えています。
また、菅井氏が「真の父母様啓示の書」の出現を宣伝し、信徒を最終的に教育すべき公器である「原理本体論」を自ら執筆すると豪語している訳ですから、事の重大性に鑑み、渡米し二代王様に直接、自らの立場を説明し、「原理本体論」執筆許可を頂くべきであると考えます。
菅井氏は、昨年の「鉄の杖フェスティバル」に参加していないのみならず、二代王様の意向を伺う行動を起こしているとは思えません。これはどういう事でしょうか。
●結論
この書は「真の父母様の啓示の書」どころか、雑霊界の悪霊によって書かされた無用の書である。
いのり。