はじめに
真のお父様の聖和後、韓鶴子総裁の不可解な行動が話題になったころ、韓国人夫人が、よく次のように語っていた記憶がある。
『お母様の行動は、結局、お父様への「恨み返し」なのよね。』
当時の私には、日本語で聞き慣れない単語「恨み返し」が、よく分からなかった。
今回は、「フェミニスト運動」「恨み返し」という単語をキーワードにして、韓鶴子女史が、『人類の涙をぬぐう平和の母』であるのか否かを検証したい。
●「韓鶴子自叙伝」序文の、「恨み返し」
の謎を解く「母なる神」「フェミニスト運動」の引用
『神様の願いは、人類の真の父母になり、「神様のもとの人類一家族」理想を実現することでした。「父なる神」だけでなく、「母なる神」、すなわち 「天の父母様」となり、個人、家庭、 氏族、民族、国家、世界が神様を父母として迎え、神個人、神家庭、神氏族、神民族、神国家、神世界になるように導くことでした。
しかし、人開始祖の堕落によってこのような天の父母様の創造理想実現は延長され、「天の父母」の立場ではなく、神様の男性格である「天の父」の立場を中心とした、男性中心の歴史が展開されたのです。西洋文明の根幹を形づくったヘレニズムとヘブライズムも、みな総じて男性を中心とした歴史を綴ってきました。したがって、神様の女性格である「天の母」の立場は隠され、神様は「天の父母様」になることができなかったのです。
西洋社会で起こったフェミニスト運動が、男性による支配に対抗する単なる革命運動になってしまったのも、このような西洋における神様の存在論的な立場と関係があります。』
(「韓鶴子自叙伝」P4・6~16行目)
●韓鶴子女史の心情を代弁する
長女「文誉進氏」のフェミニスト神学
2016年8月22日統一教会学術苑創立シンポジウムで創立者の長女・文誉進氏が、統一教会を代表する教理書であり経典である「原理講論」を家父長的な儒教思想から始まったものと規定し、「絶対者『神様』を二性性相の中和的主体と説明しながらも、秘造世界において男性格である父として存在すると説明する『原理講論』は、男女平等の時代に合わない」と主張した。以下シンポジウム論文の抜粋である。
『文鮮明総裁と韓鶴子総裁の最初の子供として天の母と女性平等についての内容は個人的にも筆者にとって非常に重要である。統一運動で生涯を送りながら、神様を男性の神様に局限して紹介していることに失望もし、不満も持っていた。筆者は女性としてそのような神様と相対するのが困難であった。・・・キリスト教と儒教の全てが人類に多大な貢献をしてきたにもかかわらず、草創期の韓国統一運動の文化が男性中心のキリスト教文化だけでなく、男性と女性は本来不平等であるという儒教の人間関係の教えの影響を受けた古代韓国文化の男性優越主義の影響を受けたために、そのようになったのかも知れない。・・・統一運動でこのような思想的混乱に陥っている人々を見ると非常に残念である。その中には筆者の実の兄弟姉妹もいるが、彼らは深刻に何かを間違っており、神様と人間の性の平等を認めない過去の家父長的文化を放棄できず、現在、真のお母様の指導力をはなから否定している。そのような行動は真のお父様の志とは反対である』
(2016年8月22日)(金鍾奭著「統一教会の経典の秘密」P15)
●韓鶴子女史が行った文鮮明師の
「伝統破壊」一覧
韓鶴子女史の「伝統破壊の罪(罪の繁殖)」の具体例は、少なくとも次の12となる。
01)御言『八大教材教本』の廃止と大改竄、『天一国三大経典』へ集約。
02)お父様が涙を流して歌われた『天一国国歌(栄光の賜物)』の廃止と新たな制定
03)『神様』の尊称を『天の父母様』に変更
04)『成婚問答』の簡略化(改竄)
05)女性神の実質的導入(フェニミニスト神学)
06)『天一国憲法』から『統一原理』を疎外
07)忠実な『対象格位』からの離脱と、後継者に対する『主管性転倒』
08)自らを『メシア』『神』と称し『独生女論(胎中神学)』を宣言
09)『文氏の血統(神の血統)』を軽んじ、『韓氏の血統』を誇る
10)『御父様の玉座』に単独で平然と座る
11)『祝福リング』に自分の名前のみを刻む
12)御父様の制定した『統一マーク』に対する訴訟を提起
●おわりに(結語)
韓鶴子女史が、なぜ「神様」の呼称を「天の父母様」と変更し、わざわざ「母」を入れなければならなかったのか。(*神学論ではなく、呼称としておかしい)
韓鶴子女史が、なぜ「世界平和統一家庭連合」から「天の父母様聖会」と、わざわざ「母」の入った教団名称への変更にこだわったのか。
「序文」にある「フェミニスト運動」という単語が示している意味は何か。
最後に、「文鮮明師の伝統を徹底的に破壊」してしまった理由は何か。
答えは一つしかないのである。
すべては、文鮮明師への『恨み返し』だったのである。
家庭連合・徳野英治前会長が強調していた、
「真のお父様と真のお母様は完全一体」
というのは、まったくのデタラメだったのである。
結論として、
韓鶴子女史は、『人類の涙をぬぐう平和の母』などではなかったのである。
祈り。
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