聖書の価値(「旧約・新約・成約時代は過去。学んでどうするの。」韓氏オモニ発言「解題」)
永田正治 Masaharu Nagata
新共同訳の新約聖書を、2012年8月15日から読みだして、9月10日に読み終わりました。お金が無く、アボニムの聖和式に行くこともできない中、大宮の介護施設の警備室でつらい思いで読んだので、アボニムの病苦と聖和、イエス様の十字架が重なり、聖書の内容が響いて、心に刻み込まれました。
一方、韓国人牧会者が、親が死んだのに献金ができないのか、という冷たい言葉を聞いて、暗い気持ちにさせられました。私は、アボニムは、お金がないのだったら、来る必要はないよ、と言われるだろうし、聖和の場にアボニムはいない、と感じました。救われない人が多いので、最も悲惨な所に伝道に行っていらっしゃると思いました。
キリスト教は、「パウロの書簡」がなければ成立しませんでした。ほとんど基盤もない中で、罪人としてあっけなく死んだイエス様を、キリストであったと証しできた書簡は、それ自体が、人知を超えた奇跡の手紙です。一度、自分が、奴隷や下層民で、そのうえ、迫害をうけた当時のクリスチャンの立場になって、パウロのコリント書、ロマ書などを読んでください。信徒たちは、書簡の一言一言を通し、パウロという人を超えた、神とキリストの強い励ましと、癒しを感じたことでしょう。イエス様の悲惨な十字架の死、苦難、人々の不信が、むしろ、この方をキリストと信じる、強力な、逆説的根拠になっていることも分かります。
「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます」、〈ロマ書6.8〉、「主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです」〈コリント1.7.22〉、など、パウロの言葉は、十字架で死んだイエス様をキリストとして鮮やかに復活させ、ローマ帝国をキリストの下にひざまずかせことになる、圧倒的な力を秘めています。
パウロは優れた書簡を書ける教養と信仰がありました。しかし、それだけでこんな内容が書けたとは信じられません。イエス様がパウロを召し、イエス様の働きによってパウロの書簡は成立したと思います。キリスト教の教祖はイエス、開祖はパウロと言われますが、私は、開祖もやはりイエス様であると思います。
クリスチャンは、パウロの書簡によって、イエス様はキリストであるという堅い信念を得ます。そして、福音書のイエス様のみ言に共鳴し、イエス様の言葉をキリストの言葉だと正しく理解することができます。聖書はイエス様とパウロの言葉が中心で、そこに力があるのです。イエス様の奇跡や生い立ちの神話は、周辺にしかすぎません。
聖書は神を証しますが、世界観の大きさを比較したら、法華経や華厳経の宇宙的スケールにはとうてい及びません。ですから、創価学会の信者はキリスト教に改宗しません。聖書の話が小さいからです。
しかし、パウロの書簡の世界は、他の宗教にあるでしょうか。もちろん、多くの宗教も迫害をうけ、このような書簡を書いたでしょう。しかし、パウロの書簡は、イエス様の十字架の無残な死、迫害のなかでの信徒への励ましという、教祖と信者の極限の条件のなかで書かれました。これほど悲惨な宗教もありませんでした。
パウロの書簡が聖書の中心部分で、福音書のイエス様のみ言は、更に深く、大きく、全体を包み込むものです。聖書ゆえに、キリスト教は世界最大の宗教になったのです。亨進ニムは、世界会長であった時、「聖書に狂わなければならない」と言いました。今も同じです。
韓氏オモニが、「旧約、新約、成約は過去になった、それを学んでどうするんだ。」(韓氏オモニはいつも命令口調のタメ口です。それはしっかり訳さなければなりません)、と言った背景は、聖書の価値を知らないからです。聖書を読んで、その価値を知ったならば、とうてい、こんな言葉で、旧約、新約時代を形容できません。イエス様は、十字架にかけられながら、旧約のダビデの詩編を唱えました。また、自分は律法を成就するために来たと言いました。お父様は、聖書を徹底的に読まれ、その価値を強調しました。韓氏オモニのように、「旧約と新約は過去になった、この時代を学んでどうする」などと言うはずがありません。
●神統一韓国国民連合出征式(2019年2月18日)
*ピーステレビ編集ではこの発言部分はカットされております。
神が導いた復帰歴史を、過去になった、学ぶ必要はないと言い放つ韓氏オモニは、いったい、何者なのでしょう。この方の話はいつも結論だけを言って、内容に言及しません。これだけのことを言ったのですから、どうしてこんなことを言ったのか、その意味を聞かせてもらいたいものです。
これを聞いた幹部たちは、また問題発言をしてくれた、と思っています。宋龍天元総会長の右にいる、陳成培統一思想研究院院長の悲痛な表情をご覧ください。彼がこの発言の不適切さが分からないはずがありません。彼も、本質を見つめて、家庭連合がこれでいいのかと、じっくり考えてもらいたいものです。
旧約、新約、成約時代を学んでも仕方ない、という言葉は、吟味する価値もあります。すなわち、家庭連合は、旧約も、新約も、成約の救いも受けられない、おかしな宗教に転落したことを奇しくも告白したのです。家庭連合の食口は、もう一度、韓氏オモニのこの言葉が何を意味するか考えなければなりません。
【永田正治さんのプロフィール】
1954年東京生まれ。高麗大学歴史学科卒業。崇実大学統一政策大学院修士、啓明大学日本学博士課程修了。慶州ソラボル大学勤務(1997—2007)。慶州歴史文化都市造成計画TF委員歴任。著作に『北朝鮮関連日本書籍の分析』、『徳川綱吉の儒教政策』など。日本に帰国後は、信者の異宗教交流により宗教間交流の活性化をめざす「異宗教コミュニケーション」を提唱。「異宗教コミュニケーションのすすめ」、「宗教の復権と異宗教コミュニケーション」、「宗教多元主義と異宗教コミュニケーション-遠藤周作『深い河』を中心に」などがある。
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