「家庭連合」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●真の父母は、ユダヤ教・基督教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

神が準備した再臨の雲「ペンテコステ教会」の研究

 

 

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神が準備した再臨の雲「ペンテコステ教会」の研究

『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。』黙示録1章7節 

 

●はじめに

今年8月、亨進様夫妻と国進様夫妻が米国最大のペンテコステ教会牧師・ロドニーハワードブラウン牧師の招請を受け、師の主宰する礼拝に臨席された。師の礼拝で体感する「主の油注ぎ」と呼ばれる聖霊の役事で、参加者はみな一様に「ハレルヤ」を叫び、聖霊の「火」を受けキリストの臨在を確信するに到る。

しかしながらこの役事の形態はペンテコステ教会の氷山の一角に過ぎない。

現在ペンテコステ派は基督教信徒数でカトリック教会に次ぐ3億人ともいわれる。なぜペンテコステ教会はわずか一世紀で急成長できたのか。紙面の許す限り紹介することとしたい。なぜなら「ペンテコステ教会」研究は転換期にあるサンクチュアリ教会の方向性を示す啓示にあふれているからである。

 


ペンテコステ教会信徒のあいさつ

『あなたは、聖霊を受けましたか』ペンテコステ教会では初対面の挨拶代わりにこのような会話が日常的に交わされる。あなたがペンテコステ教会の信徒であると仮定して、あなたは躊躇なく、あいさつを返すことができるだろうか?模範的な返答は以下のとおりとなる。

『もちろんです。私はイエスキリストの導きにより、聖霊の恵みを受け「異言」を語ることが出来ました。神は私のような罪深い者も見捨てることなく、神の聖なる栄光を現してくれたのです。』

ここに至って二人は抱擁し固い握手を交わすことができる。この「異言(グローソラリア)」が教会内でどのような意味を持っているかは後ほど解説したい。

 


●1901年1月1日午後11時、再臨を迎えるキリスト教の夜明け。

『すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした』(使徒2章1節~4節)

教父アウグスチヌスは、イエスキリストと原始教会で日常的に行われていた奇跡の御業は、基督教の聖書聖典の成立により中止されたという「カリスマ中止論」を宣言した。実際それ以降、カトリック教会では、奇跡が認められれば、聖人に叙せられる程の希なる事件であった。

ところが20世紀になっての神の最初の異言語り(グローソラリア)の役時は米国カンザス州トペカにて、1901年1月1日午後11時に現れた。ホーリネス派(ナザレン教団)説教者のチャールズ・F・パーマム師の主宰する「ベテル聖書学院」の祈祷会で、オズマン姉がパーマム師の按手により聖霊バプテスマを受け、最初に「異言」を語りはじめ、続いて参加した学生全員が「異言」を語ったのである。

神は使徒行伝2章1節から記されている原始基督教会で起こった聖霊の役事を、再臨主降臨20年前から開始した。これが再臨の「雲」を準備する奇跡の始まりであった。

 


●松明(たいまつ)のリレーのように
全世界に拡散し続けている「聖霊」の炎

パーマム師に出現した聖霊の炎は、1906年テキサス州ヒューストンで新年の聖書学校にて、当時学生だったホーリネス派(メソジスト教会)の黒人説教者W・J・シーモア師に、あたかも、松明(たいまつ)の炎をリレーするごとく受け継がれた。

シーモア師はその後「アズザ街三一二番地」で集会を持ち、すさまじいリバイバルの霊的炎が三年間降り注いだ。何千人もの人々が全世界から集い、聖霊と火のバプテスマを受け続けた。この御業は「アズサミッション」と呼ばれ、全世界に「ペンテコステ教会」が設立される基点となった。

シーモアの弟子は次々に新たな宣教団を創設、参加した既成教会牧師は、ペンテコステ派に自らの教団を改編し爆発的な発展と成功を収めた。若い宣教師は海外に出かけ、聖霊の御業により奇跡的に多くの教会を次々に設立することができたのである。

 


●世界宣教の中核を担った神癒伝道師

『信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます』(ヤコブ5章15節)

ペンテコステ教会の歴史はすなわち「神癒伝道」の歴史でもある。しかしその位置づけは、決してご利益的なものではない。基督教の「神癒」はキリストの救いの一部であり、神の栄光を現すものだからである。

ここでは、具体的にロドニーブラウン師以外に三人の牧師の業績を紹介したい。

①オーラル・ロバーツ(1918年・米国オクラホマ州生まれ)
ペンテコステ教団の牧師の息子に産まれる。17歳で結核を患うが、ジョージ・W・マンシー牧師の神癒集会で回復する。1940年より神癒伝道開始。1947年から68年までに300回以上のクルセードを実施、数百万人の病人のために祈る。一晩で9300人に個別に按手し祈った。1万2500人収容の大テント(天幕神癒伝道)、「TV神癒伝道」「豊かな命誌」発行、「オーラル・ロバーツ大学」設立、「信仰医療センター」設立等の事業でも成功を収めた。

②T・L・オズボーン(1923年・米国オクラホマ生まれ)
農家に生まれ、12歳で回心、14歳で説教者として召命された。1947年、神癒伝道集会で聾唖者の少女が牧会者の祈りで癒やされたのを目撃し、1948年祈りと断食の後、独立の神癒伝道師として立つ。1950年プエルトリコで12日間で18万人以上の回心者を得、1951年キューバで50万人、1953年にはグアテマラで50万人以上の人々が救われた。1953年から64年までに米国で毎年400以上の教会を設立した。

ダビデ・チョー・ヨンギ(1934年・韓国生まれ)
韓国は全人口の3割が基督教徒の国であり、ほぼすべての教派の最大教会は韓国にある。チョー・ヨンギ師率いるペンテコステ派(純福音教会)も例外ではなく、信徒数75万人。人類史上最大の教会といわれる。礼拝では聖霊の働きにより、異言を語り出す者、笑いながら踊り出す者、卒倒し心霊が解放される者、病気が癒やされる者など実体的な徴が次々に現れ、異常な興奮の中に神様の役事が展開されている。

 


●「ペンテコステ教会」の神学的な特徴とは何か。

ペンテコステ派は基督教会全体を俯瞰するとき、霊的な恩恵に満たされた「神霊教会」「保守的な教会」であると断言できる。「聖書」は一点一画の間違いもなく神の啓示そのものと理解される。キリストの復活は文字通りの紛れもない事実と信じる。今もキリストは聖霊として働き、奇跡としるしを現わし、死人をも復活させると信じる。実際ペンテコステ教会では盲人の眼は開き、つんぼの耳は聞こえ、足萎えは立って歩き出す。今まで難解で不都合な記述と思われてきた聖書の奇跡は、もはや、キリストを証しする立証にこそなれ、なんら信仰の障害にはなり得ない。

日本の基督教が今だ「非核平和論」に代表される幼稚な政治姿勢から脱却できぬのに比較して、宗教改革以降、神学論争が即国家の命運を決めた欧米諸国の基督教は、政治的にも現実的(保守的)だ。その中でも欧米のペンテコステ教会は、自らの生命と血統を国家に委ねず、自ら守るという思想に貫かれており、銃の保持も支持する。

 


●「ペンテコステ教会」の再臨主を迎える神学的な課題

私は今まで多くの神学書を学んだが、明確な罪の起源(堕落論)と歴史に貫かれる神の復帰法則(復帰原理)を解明をした神学体系は「統一原理」以外存在しない。そしてこの原理を解明した方こそ再臨主であると信じる。そして上記で解明したように再臨主の摂理のために基督教徒の中で最も選ばれ育成されたのがペンテコステ派だと理解する。

ところが再臨主在世時にペンテコステ派はもっとも統一教会に反対する急先鋒であり続けた。なぜペンテコステ派は再臨主在世時にその使命を果たし得なかったのか。そして再びめぐってきた二代王を中心とする神の摂理を共に担うために、何が課題となるのか。神学的な視点(終末論とキリスト論)から掘り下げて解説してみたい。

 


ペンテコステ派「終末論」の概要

1)「死」の解釈と「復活」
人間の肉体的な死(霊魂と肉身の分離)は、人間の堕落の結果の刑罰。本来神の創造の秩序に反するもの。人間の霊魂と肉身は本来、永遠に結びつき地上で生きる。現在の「死」は再臨までの暫定的な状態にすぎない。さらに保守派の基督教は「復活」を文字通りの肉体の復活と理解する。イエスキリストは終末において聖徒が復活する確証として、よみがえられた。そしてその肉身は朽ちない栄化された体(栄化体)である。

 

2)キリスト再臨
人間の罪は十字架の贖罪で100%許された。しかしその許しを完全に現実的に地上に実現しなければならない。同時に神の国の到来とともに、それまでの人類のすべての悪の最終的な総決算(最後の審判)のために再臨されなければならない。再臨は最初に「空中再臨(携挙)」が起こる。キリストのもとに聖徒が集められ、空中に引き上げられ栄化される。その後「地上再臨」が行われる。再臨主は十四万四千の聖徒と天使を伴い地上に来臨する。


3)「千年王国」と「最後の審判
キリストの地上再臨とともに、サタンは鎖に繋がれ、地上に千年王国が建国される。そして、千年間のキリストの統治が終わると繋がれていたサタンは再び解放される。サタンは悪の勢力を結集して神の軍勢と最後の決戦を試みるが、最終的に天から火が下りてきてすべて焼き尽くされる。そして「大きな白いみ座」が準備され「最後の審判」が始まる。いのちの書に名前のないものは火の池に投げ込まれる。すべての悪は完全に一掃され、地上に栄光の「神の国」が樹立される。

以上みてきたようにペンテコステ派の再臨論は黙示録の聖句をそもまま信じていることが分かる。

 

●保守派・基督教の伝統的「キリスト論」

基督教はキリストの持つ位格をAD451 年開催の「カルケドン信条」で明確に定め、以後この信条は変更されていない(ペンテコステ教会も同様)
『キリストは、まことの神で神性において父と同質。まことの人であり人性において我々と同質。神であり人であるが、しかも一位格(人格)である』。

とても矛盾に満ちた表現であるが、パウロ神学以降、キリストを信仰の対象として神格化する方向に傾きすぎた。その結果、再臨主の地上再臨(聖誕)を正しく理解することを困難にしてしまったことは否めない。


●最後に「内なるペンテコステ」と「外なるペンテコステ」とは何か。

『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。』(ヨハネ6章27節)

ペンテコステ教会では、信仰は①「信仰義認の体験」②「聖霊による聖化体験」③「異言を伴う聖霊バプテスマ体験」の三段階を経て初めて真の「クリスチャン」になったと認められる。イエスキリストを真心から救い主と信じ、自分の罪を認め救いを体験しているクリスチャンはすでに、「内なるバプテスマ(①信仰義認体験)+(②聖霊による聖化体験)」を受けていると考えられる。

多くの成約聖徒の場合、再臨主を証しされた原理修練会がその体験に該当すると思われる。実際筆者も、聖霊を受け、すべての自然が光り輝き、数ヶ月の間天国生活をしているような霊的恩恵が続く体験をした。

そして「外なるバプテスマ」とは、「内なるバプテスマ」を受け充満した内なる聖霊が、「異言」「預言」「讃美」「神癒」等となって表面に現れた現象にすぎない。

しかしながら、ペンテコステ派では、この「異言(グローソラリア)」体験がなければ、「内なるバプテスマ」を受けた信徒として認められないのである。

 


●おわりに(結語)

ペンテコステ派聖霊の役事は、奇跡でも異端の業でもない。多くの基督教徒がもはや忘却したイエスキリストの神癒の御業(病気を治すこと)を再臨主を通じ現代に再現したものに他ならない。

そして、その「油注ぎ」の役事を、二代王文亨進師は外的にはロドニーブラウン師から、内的にはイエス基督から相続し、次なる松明(たいまつ)の炎の受け手を探しておられる。

私たちは自らがその松明(たいまつ)の受け手に相応しい内容を備えなければならない。そして、たとえ役時の担い手に不足な者だとしても、神が準備したペンテコステ教会の信徒が、真に再臨の「雲」となれるように精誠を込めて祈ろうではないか。

 


●反面教師としての日本の基督教会の悲惨な霊的位相

韓国はアジアの中で最も基督教伝道が成功した事例であるのに対し、日本での基督教伝道は失敗の標本である。

日本では明治期以降の基督教伝道は欧米諸国の国家施策の道具となり、基督教の本質を語らず、社会奉仕や学校経営という魂の入らぬ抜け殻のみが一人歩きをした。基督教は日本人の魂の琴線に触れず伝道は破綻した。また、日本の基督教会は、欧米の基督教が宗教改革以降、神学論争が国家の命運を決める戦争という修羅場をくぐり抜けた歴史を有し、現実的な政策判断に深く関わっているのに比べ、温室育ちでの日本の基督教界はいまだに「非核平和論」次元の幼稚な思想レベルを脱却できずにいる。

結局、日本での基督教伝道は全人口の1%まま横ばいを続け信徒は増えていない。

 

 

●参考図書
ペンテコステ神学』大川修平著(マルコーシュ・パブリケーション)
ペンテコステ神学の基礎』ガイ・P・ダフィールド他
(日本フォーヅクエア福音教団出版)
『ファイヤーバイブル』ドナルド・C・スタンプス他(ライフパブリッシャーズ)

 

 

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