「家庭連合」の研究

すべての成約聖徒は三代王権に帰りましょう!

●真の父母は、ユダヤ教・基督教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」と「原理講論」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

連載03『家庭連合離脱のすすめ』家庭連合最大汚点資料!周藤健著『成約摂理解説』4章2節を公開する

サタンが蒔いた毒麦は終末時代に刈り取られる運命にある

「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦はえてきたのですか』。
主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。(マタイ13章24~30)

16万訪韓摂理当時に「独生女論」を信じた聖徒がいたのか。

●はじめに

●光言社の解説
1993年から1994年にかけて、真のお父様は日本女性を集めて「日本統一教会女性特別修練会」を開催。周藤健先生は、この修練会の期間中、全時間にわたって参加していますが、お父様は、その周藤先生に対して、このみ言を整理して書籍にし、出版するよう願われました。本書は、すでに1996年に執筆し、まとめられていた内容ですが、諸事情により出版が遅れていたものを、今回まとめ直しました。

『成約摂理解説』(周藤健著)
は、サブタイトルが「16万人訪韓修練会のみ言集大成」とあるとおり、この本は、江利川安栄会長が総責任者となり、周藤先生が講師をつとめた1993年から1994年の修練会の記録なのである。

ところがである。この本には、不可解な章がある。4章2節である。

この部分だけ、16万人訪韓修練会のみ言と無縁な「独生女論」の内容が挿入されていたのである。

最初に、周藤先生の名誉のためにお話しすると、この4章2節は、周藤先生の講義記録ではない。これは当然のことで、16万人訪韓修練会当時、韓鶴子総裁が「無原罪誕生」などと信じていた信徒は一人もいるはずがないのである。

ここからは、私の推測である。

この4章2節を挿入したのは、日本家庭連合徳野執行部の教理研究院院長の太田朝久氏である。「独生女論」を信徒に既存事実として説明しなければならない教理研究院は、16万訪韓修練会と無関係なこの内容を挿入した(まったくの悪巧みだった)のである。

前回紹介した最高委員会へ「お伺い書」を提出した「日本教会・御言研究室(現在は教理研究院)」は、真のお父様に忠実であったのである。

ところが、今回の「成約摂理解説」4章2節で展開している「独生女論」は、まったく真逆の主張に転落していることを、以下の文書が証明しているのである。

 

4章2節挿入の首謀者は太田朝久氏である。




●『成約摂理解説(16万人の訪韓修練会のみ言集大成)』
(周藤健著 光言社)

第四章第二節 
独り娘の誕生 -独り娘は、神の血統をもって「無原罪」で誕生-

*「青字」⇒み言の引用
*「赤字」⇒徳野執行部「教義担当者」の独生女論



●ここから引用はじまり



真のお父様は、「再臨主は人類の母を探しに来られるのです。・・・主がこの地上で探される新婦(独り娘)は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです」(『祝福家庭と理想天国(1)』909頁)と語っておられる。人類の母となる新婦は「堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」とあるが、これは、真のお母様の語られる「独り娘」のみ言が正しいことを裏付けるものである。



一、キリスト教の歴史は、“独り娘”を求めるための歴史


真のお父様は、キリスト教の歴史が独り娘(独生女)を求めるための歴史であったと述べておられる。

「イエス様がひとり子だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘も送られたでしょう。神様の二千年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、二千年のキリスト教の歴史は、娘(独り娘)を求めるための歴史です」(天一国経典『真の父母経』69頁)

このように、真のお父様は、キリスト教の歴史は、「独り娘を求めるための歴史であった」と語っておられる。そして、その独り娘は聖婚される前から「堕落する前のアダムと共にいたエバ」「堕落していないエバ」であるとして、次のように語っておられる。

「再臨主が来られるときには何の宴会が催されると言いましたか。(「婚宴の宴会です。」)。・・・婚宴の宴会とは結婚の宴会です。そうですね。(「はい」)。こんな話をすると異端だと大騒ぎします。(キリスト教徒は)無性にねたましくなるのです。婚姻の宴会、すなわち子羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を探し出さなければならないのです。その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、子羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです」(『祝福家庭と理想天国(1)』584~585頁)

また、次のようにも語っておられる。

 「再臨主は何をしに来られるのでしょうか。再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち、新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地の上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです。それでは、そのような新婦、すなわちその母とは、どのような基盤の上で生まれなければなりませんか。堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。ですから、皆さんの母は堕落したエバの立場に該当するのであり、次の母はイエス時代においてのマリヤの立場に該当するのです。また、その次の母はイエス時代のマリヤの保護を受け、祝福のみ旨を果たすことのできる、罪の因縁とは全く関係のない処女として、母(真のお母様)の立場に立つことがきなければならないというのです」(同、909頁)

 このように、真のお母様は、再臨主が地上で探される新婦すなわち「真の母」となる独り娘は、「堕落する前のアダムと共にいたエバ「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」「堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」と語られ、さらに「罪の因縁とは全く関係のない処女」であると語られた。これらのみ言は、真のお母様の「血統転換、私は母胎からなのです」という“独り娘”のみ言が真理であることを裏付けている

 キリスト教は再臨主を待望してきたが、同じように、独り娘を求めるためのキリスト教の歴史でもあった。それは、再臨主お一人では「真の父母」になることができないためである。

真のお父様は、次のように語っておられる。

 「原理は何をいっているかというと、完全なるアダムが造られた場合には、完全なるエバが復帰されるというのです。完全なるプラスが現れた場合には、完全なるマイナスは自動的に生まれてくるようになっています。それは創造の原則です。・・・完全なる男性が生まれた場合には、完全なる女性が生まれるようになっているということを、聖書では、女(エバ)はアダム(のあばら骨)によって造られたと象徴的に書いてあります」(『御旨と世界』694頁

「世の中に一つの真のオリーブの木の標本を送ろうというのが、メシヤ思想です。しかし、真のオリーブの木であるメシヤが一人で来てはいけません。・・・メシヤが一人で来ては、真のオリーブの木になれないのです。メシヤとしての真のオリーブの木と、メシヤの相対となる真のオリーブの木を中心として、これが一つになってこそ、真のオリーブの木として役割を果たすのです。(『永遠に唯一なる真の父母』68~69頁)

 真のお父様は、「完全なる男性が生まれた場合には、完全なる女性が生まれるようになっている」のが“創造の原則”であると語っておられ、また「真のオリーブの木であるメシヤが一人で来てはいけません」と語っておられる。
 このように、キリスト教の歴史は、人類の「真の父母」を迎えるために再臨主を待望し、かつ独り娘を準備するための歴史でもあったのである。



二、真のお母様は“神様を根として現れた主人公”


『原理講論』には、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父とともに、真の母がいなければならない」(264~265頁)と記されている。すなわち、重生するためには「真の父」と「真の母」のおお二人が必要である。既に述べたように、もし、真のお母様が約婚や聖婚をされたとき原罪を精算し、そこで初めて“神の血統”に生み変えられたとするなら、それは“父一人”で生み変えたことになるため、「原理」が説く「重生論」と相容れない。ゆえに、真のお母様は、約婚や聖婚をされる前から“神の血統”であったとの結論に帰結するのである
 事実、真のお父様は、真のお母様に対して、「神様を根として歴史上に・・・現れた主人公」であるとして、次のように語っておられる。

統一教会の文先生を、何と言いますか。(「真の父母様」)。真の父と言うでしょう?ここにいる韓鶴子氏は?(「真のお母様」)。真の母だというでしょう?(「はい」)。真の父だと言うでしょう?(「はい」)。いくら見ても目も二つ、鼻も同じなのに、何が違いますか?根が違うのです。根が。皆さんは、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根を生まれ持ちましたか、統一教会の文某と、ここにいる文鶴子、文鶴子(文学者)でしょう?世界に文学者(注、韓国語では文鶴子と発音が同じ)があまりに大勢いてはいけないので、韓鶴子、たった一人の(ハン)鶴子・・・。鶴子様は根が違うというのです。神様も根として初めて、歴史上に真なる愛の論理を中心とした統一論理を持って現れた主人公だというのです」(『文鮮明先生マルスム選集』(148巻40~41頁)

 このように、真のお父様は、私たちに対して「皆さんは、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根を生まれ持ちました」と述べ、その“対比”として、「統一教会の文某と、ここにいる韓鶴子・・・たった一人の鶴子、鶴子様は根が違う」と語られ、真のお母様は「堕落の根」から生まれたのではなく、「神様を根として・・・現れた主人公」であると述べておられる。

 真のお父様は、真のお母様(韓鶴子女史)が、堕落していない純粋な血統を持って生まれた方であると述べるにとどまらず、真のお母様も、お父様と同様に「神様を根」としてお生まれになった方である事実を明らかにしておられる。このみ言は、真のお母様の語られる「独り娘」のみ言が真理であることを裏付けるものである。



三、非原理的集団側の悪意あるみ言の“誤訳”と“隠蔽”


 サンクチュアリ教会側の人物は、「皆さんはサタンの教会へ通っています。サタンの教会!お父様もみ言ではっきり語っていました。『真のお母様は堕落した天使長の血統から来ました』と誤訳している。このみ言は、正しくは「真のお母様も堕落した天使長の血統を受けた人です」と翻訳すべきものである。しかも、彼らはそれに続く部分を意図的に削除し、隠蔽しているのである。このみ言は、「真のお母様も堕落した天使長の血統を受けた人です。先生までもそうです、先生までも。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で再創造しなければなりません」(『文鮮明先生マルスム選集』419巻102頁)というみ言なのである。もし、このみ言をもって、真のお母様は原罪をもっておられると批判するならば、真のお父様も、また原罪をもっておられることになる。
 実は、このみ言の意味は、『原理講論』に「マタイ福音書の冒頭を見れば、イエスの先祖には四人の淫婦があったとうことを知ることができる。これは万民の救い主が、罪悪の血統を通じて、罪のない人間として来られてから、罪悪の血統を受け継いだ子孫たちを救われるということを見せてくださるために記録されたのである」(573頁)と記されているように、救い主は、イエス様も、真の父も真の母も共に「罪悪の血統を通じて」生まれてこられたことを述べているものなのである。
 しかし、救い主は“血統復帰”に摂理によって「罪のない人間として」地上に来られ、そして「罪悪の血統を受け継いだ子孫」を血統転換されるのである。「堕落した天使長の血統を受けた人」とは、そういう意味で語っておられるみ言である。
 私たちは“誤訳”や“隠蔽”に基づくサンクチュアリ教会やUCI(いわゆる「郭グループ」「FPA=家庭平和協会」)側の批判に惑わされてはならない。



四、真のお母様が公式の場で語られたみ言「原罪なく生まれた独り子、独り娘」


 真のお母様は、前述したとおり、真のお父様もお母様も原罪なくお生まれになったことを公式の場で語っておられる

 天一国5年天暦3月16日(2017年陽暦4月12日)、真のお母様は「天地人真の父母様御聖婚57周年記念式」を挙行された。その公式の場で、真のお母様は「しかしきょう、この日、万難を克服して独り娘は・・・。イエス・キリストは二千年前、原罪なく生まれました。独り娘も、原罪なく生まれたのです。これが真実です。原罪なく生まれた独り子、独り娘が、天の願いに従って小羊の婚宴を挙げた日です。天にとっては栄光、人類にとっては喜びと希望の日となったのです。」(2017年4月12日のみ言。「世界家庭」580号、6頁)

 すなわち、真のお母様が、公式の場で語っておられる「独り子、独り娘」とは、「原罪なく生まれた独り子、独り娘」を意味している

 ところで、『原理講論』には、救い主とは「罪悪の血統に通じて、罪のない人間として来られ(る)」(573頁)と明記されているが、これは、再臨主について述べている「再臨論」の記述である。すなわち、『原理講論』は、再臨主が「罪のない人間」として来られることを明言している。また、『原理講論』の「キリスト論」においても、「堕落した人間は、彼自身の力では、到底、生命の木に復帰することができないので、ここに必ず、創造理想を完成した一人の男性が、生命の木として来られて、万民が彼に接ぎ木されなければならなくなっている。このような男性として来られる方が、すなわち黙示録22章14節に、生命の木として表象されているイエス(再臨主)なのである」(255~256頁)とある。ここで言う「生命の木」とは、黙示録22章14節に書かれた再臨主を意味しており、再臨主が生命の木、すなわち、“創造理想を完成したアダム”として来られることを明らかにしているのである。

 また、真のお母様の願いを受けて編纂された天一国経典『真の父母経』の36頁にも、『原理講論』の「再臨論」や「キリスト論」の記述に基づいて、「原罪がないイエス様と再臨主」と明記されている。これは、救い主であられるイエス様と再臨主が、共に“罪なき方”としてお生まれになられることを明確にしているのである。『真の父母経』に書かれているとおり、これこそが「独り子・独り娘」に対する真のお母様のご認識なのである。

 ちなみに、真のお母様も、前述のとおり「救援摂理史の原理観」で次のように語られている。

「再臨主はイエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。・・・創造理想を完成すべき真なる本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源になる真の父母の理想を完成するために来られます。彼は、既にイエスの時まで神側が勝利した根本基台の上に臨在されます。」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』41~42頁)

 このみ言は、再臨主がイエス様と同じように「真なる本然の赤ん坊の種」として来られること、すなわちイエス様も再臨主も共に“罪なき方”として誕生されることを述べておられるものである。すなわち、再臨主は「イエス様の時まで神側が勝利した根本基台の上」でお生まれになるということである。
 また、前述したみ言でも、真のお父様は「再臨の主は三人目のアダムです。・・・三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て・・・」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』584頁)と明確に語っておられる。
 サンクチュアリ教会およびUCI側の人物は、真のお父様と真のお母様の“血統認識”が異なっており、「真の父母」が分裂していると批判している。特にUCI側が広めている金種奭著『統一教会の分裂』は、そのことで真のお父様は“苦心”しておられたのだと主張している。しかし、実際には、「最終一体」となっておられる真のお父様とお母様の“血統認識”は完全に一致しているのである



五、「真の母の無原罪誕生」の否定こそ“非原理的”

(1)聖霊は「母性の母であられる」(『原理講論』363頁)

-真のお父様のみ言「神様を否定すれば、かちっと引っかかります」


『原理講論』の176頁に掲載された「み言の実体的展開による被造世界と復帰摂理表示図」(図23)を見ると、長成期完成級の線の上に「再臨主」と書かれている。これは「真の父」を意味している。同じ線の上の横には「聖霊実体」と書かれているが、これは「真の母」を意味するものである。「再臨主」と「聖霊実体」が、長成期完成級の上に記されていることは重要である。

 ところで、「聖霊」について『原理講論』はどのように述べているのかを明確にしておかなければならない。『原理講論』から「聖霊」に関する代表的な記述を抜粋すると次のようになる。

聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない」(265頁)

「人類の父性の神であられるイエスが来られて、人類の母性の神であられる聖霊を復帰し、めんどりがそのひなを翼の下に集めるように、全人類を、再びその懐に抱くことによって重生せしめ、完全復帰する」(363頁)

モーセの路程で、イスラエル民族を導いた昼(陽)の雲の柱は、将来イスラエル民族を、世界的カナン復帰路程に導かれるイエスを表示したのであり、夜(陰)の火の柱は、女性神として彼らを導くはずである聖霊を象徴した」(369頁)

 以上のように、『原理講論』は、聖霊を「女性神」「母性の神」などと述べている。
 ところで、真のお父様は、真のお母様が還暦を迎えられた2003年陽暦2月6日に、二度目の聖婚式(天地父母様天一国開門祝福聖婚式)、そして「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭即位式」をされ、次のように語っておられる。

 「神様とアダムとエバは、『家庭王即位式』をすることができませんでした。・・・その『家庭王即位式』をしたので、神様が、本来の真の父母を中止として、婚姻申告をすることができる時を迎えたというのです。・・・
文総裁を中心として、(神様は)婚姻申告をしました。今、霊界に行けば・・・。今まで霊界では、神様が見えませんでした。今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁夫妻の顔が現れて、きらびやかな光でみえるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなるというのです。そのような霊界に行った時にも、真の父母を否定しますか?このように、はっきりと教えてあげたのもかかわらず、神様を否定すれば、かちっと引っかかります。」(2003年3月10日のみ言「ファミリー」412号・27頁)

 さらに、真のお父様は、「平和メッセージ」でも次のように語っておられる。

 「アダムとエバが・・・完成した上で、結婚して子女を生んで家庭を築いたならば、アダムとエバは外的で横的な実体の真の父母になり、神様は内的で縦的な実体の真の父母になったでしょう。・・・神様は、真の愛を中心としてアダムとエバに臨在されることにより、人類の真の父母、実体の父母としておられ、アダムとエバが地上の生涯を終えて霊界に行けば、そこでもアダムとエバの形状で、彼らの体を使って真の父母の姿で顕現されるようになるのです」(『平和神経』54~55頁)

 このように、完成したアダムとエバが霊界に行けば、神様はそのアダムとエバ(真の父母)の姿をもって顕現すると語っておられる。二度目の「聖婚式」以降、真のお父様は、神様について「今、(霊界に)行ってみれば・・・文総裁夫妻の顔が現れて、きらびやかな光で見える」と語っておられる。すなわち、神様は、お父様のお姿を通してだけでなく、真のお母様のお姿をもっても現れるというのである。これが、二度目の聖婚式以降、お父様語っておられる、お母様の立場なのである。このみ言で分かるように、お父様お母様、それぞれ完成したアダム、完成したエバであるということである。

 サンクチュアリ教会やUCI側の人々は、「お母様を神格化している」「お母様は既に堕落した」「お母様は本来の立場を離れた」などと批判しているが、彼らの批判は、完成したアダムとエバは「決して堕落するはずはなかった」という『原理講論』(114頁)の論じる「原理」の教えから大きくずれている。しかも神が顕現される時に「文総裁夫妻の顔が現れて・・・見える」立場になっておられる真のお父様の真のお母様のお二人は、もはや堕落したり、本来の立場から離れたりすることはないのである。サンクチュアリ教会やUCI側の批判は、非原理的なものである。

 真のお父様は、「お母様は聖霊です。聖霊に背いては、赦しを受けられないのです」(天一国経典『真の父母経』47頁)と語っておられる。イエス様も「聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」(マタイ11・32)と語られた。今や、霊界において「文総裁夫妻の顔が現れて、きらびやかな光で見える」神様なのである。このお父様のみ言に従うならば、真のお母様に対して「お母様を神格化している」「お母様は堕落した」「お母様は本来の立場を離れた」と批判することは“かちっと引っかかる”言動であると言わざるを得ない。


(2)「重生論」から見たとき、真のお母様は“無原罪誕生”でなければならない 

お母様に原罪があったら、「いつ血統転換されたのか?」が永遠の謎になる(P217)


『原理講論』の「終末論」には、キリスト教が他の宗教と異なるところは、全人類の真の父母を立てて、その父母によってすべての人間が重生し、善の子女となることによって、神の創造本然の大家族の世界を復帰するところに、その目的があるという点である」(161頁)と記されている。

 全人類が“重生”するには、必ず「全人類の真の父母」が立たなければならないが、「真の父母」になるには、男性一人でなることはできない。そこには、アダムの相対である女性(真の母)が必ずいなければならないのである。
 
 真のお父様は、次のように語っておられる。

 「(堕落によって)天の国の男性と女性、ひとり子とひとり娘を失ってしまったのです。ですから、救いの歴史である復帰摂理歴史は、これを取り戻す歴史です」(天一国経典『真の父母経』26頁)、「イエス様がひとり子だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘も送られたでしょう。神様の二千年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、二千年のキリスト教の歴史は、娘(独り娘)を求めるための歴史です」(同、69頁)

 また、『原理講論』にも、「神はアダムだけを創造したのではなく、その配偶者としてエバを創造された。したがって、エデンの園の中に創造理想を完成した男性を比喩する木があったとすれば、同様に女性を比喩するもう一つの木が、当然存在してしかるべき」(97頁)と記されている。人類を“重生”するに当たっては、必ず「真の父」と「真の母」のお二人がいなければならない。

 それゆえ、『原理講論』には、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない」(264~265頁)と記されている。

 もし、真のお母様が、聖婚されたときに初めて、“神の血統”に生み変えられたとするなら、それは“父一人”で生み変えたことになるために、「原理」が説く「重生論」と食い違うことになる。ゆえに、真のお母様は、聖婚される以前から“神の血統”であったと考えなければならない。
 もし、真のお母様が、御聖婚前には「原罪」を持っておられ、“サタンの血統”であったとするならば、父は一人で生み変えることができないのにもかかわらず、真のお母様は、いつ、どのようにして、“血統転換”されたのか、永遠の謎となってしまわざるを得ない。
 事実、父は一人で生み変えることができないために、真のお父様は「真の母」が立たれる1960年まで、血統転換である「祝福結婚式」を行ってこられなかった。そして、「真の母」が立たれてからは、数多くの「祝福結婚式」を挙行していかれたのである。
 前述したように、真のお父様は、御聖婚前から真のお母様が「堕落する前のアダムと共にいたエバ」「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」であると語っておられる。

「再臨の主が来られるときには何の宴会が催されると言いましたか。(「婚宴の宴会です。」)。・・・婚宴の宴会とは結婚の宴会です。そうですね。(「はい」)。こんな話をすると異端だと大騒ぎします。(キリスト教徒は)無性にねたましくなるのです。婚姻の宴会、すなわち子羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を探し出さなければならないのです。その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、子羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです」(『祝福家庭と理想天国(1)』584~585頁)

 このみ言に、「堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません」とあるように、真のお母様は、結婚(小羊の宴会)をされたために「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」になったというわけではない。それとは反対に、「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」を真のお父様が探し出してから、結婚(小羊の宴会)をされると語っておられるのである。
 真のお父様は、このように、真のお母様が御聖婚の前から堕落していないエバ、“神の血統”である事実を明確に語っておられる。
 さらに、前述したように、真のお父様は次のようなみ言を語っておられる。

 「再臨主は何をしに来られるのでしょうか。再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち、新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地の上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです。それでは、そのような新婦、すなわちその母とは、どのような基盤の上で生まれなければなりませんか。堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。ですから、皆さんの母は堕落したエバの立場に該当するのであり、次の母はイエス時代においてのマリヤの立場に該当するのです。また、その次の母はイエス時代のマリヤの保護を受け、祝福のみ旨を果たすことのできる、罪の因縁とは全く関係のない処女として、母(真のお母様)の立場に立つことがきなければならないというのです」(同、909頁)

 このように、真のお父様は、再臨主が探される新婦(真の母)とは、「堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです」と語られ、さらに「罪の因縁とは全く関係のない処女」であるとも語っておられる。
 ここで、真のお父様が「罪の因縁とは全く関係のない処女」であると語っておられるのは極めて重要である。もし、真のお母様がお父様と「約婚」や「聖婚」をされることによって原罪を精算されたとするならば、真のお父様は「罪の因縁とは全く関係のない処女」と語ることはあり得ないからである。
 真のお母様が語っておられる「独り娘」(独生女)のみ言は、真のお父様のみ言である。真のお母様が、お父様のみ言に反して、かってに語っておられるのではないのである。真のお父様のみ言からしても、真のお母様は生まれたときから“無原罪”であられ、かつ“神の血統”を持って生まれてこられたのである。
(→日本家庭連合は再臨主文鮮明師・韓鶴子女史お二人共「無原罪論」である!)

 

(抜粋文書・おわり)

 


●おわりに

上記(4章2節)は引用することもばかばかしい、「教義ねつ造文書」である。

キリスト教が「独生女」を迎えるための歴史」などと主張したら、キリスト教界に絶縁状をたたきつけているようなものである。

こんなにもいとも簡単に、教理研究院の太田朝久氏は真のお父様を背信できるものであろうか。


徳野執行部の太田朝久氏以下の講師陣が醜悪なのは、さも真のお父様が、16万訪韓摂理の当時から、「韓鶴子総裁」が無原罪誕生であったことを認めていたかのように、み言を「パッチワーク」のようにつぎあてして、信徒を騙そうとしていることである

これは、再臨主のみ言を悪用した「詐欺行為」でしかない。

そうでなければ、周藤先生の「16万訪韓修練会」の本に、どさくさまぎれに、挿入する必要などないのである。

この本の出版で、一番の犠牲者は、周藤健先生であろう。

信徒から、「4章2節」への「独生女論」挿入への猛烈な抗議により、この本は、発刊から半年も経たずに廃刊となってしまったからである。

金栄輝会長が、「独生女論」を全面的に否定した
今、「独生女論」を繰り替えし動画配信した講師陣は、信徒に「毒麦(悪魔のみことば)」を植えた罪をどう謝罪するのであろうか。


祈り。アージュ


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