●はじめに
『ヨハネの黙示録講解講義』を成約聖徒の和合統一の祈りを込めて連載します。
今回は、連載第二講『黙示録の基督教解釈と統一教会解釈』を配信します。
最初になぜ私は『ヨハネの黙示録解明』の冒頭に、「成約聖徒のための」という断り書きの装飾語を、わざわざつけざるをえなかったのでしょうか。
それは『聖書』がキリスト教の聖典にほかならず、そのなかにふくまれる「正典」である『ヨハネの黙示録』もまた、無名の信徒から著名なキリスト教聖書学者にいたるまで、膨大な数の聖書解釈がなされたことを知っているからです。
このような既成キリスト教会の歴史的精誠を受け止め、敬意をこめて、統一教会解釈(これはもちろん、私個人の解釈ですが・・・)を対案として提示する必要があると考えるからです。
●解明01
キリスト教会の「ヨハネの黙示録」解釈の現状
聖書66巻の中で、通論としての聖書注解を著述する上で、もっとも困難をきわめる書が『ヨハネの黙示録』であることは、間違いありません。
これはこの書が『黙示』で、解釈が困難であるのが第一理由ですが、それ以上に、大学での神学研究が科学的なアプローチを重んじる上で、形而上学の最たるものである『黙示』解釈(復活・携挙・審判・千年王国)に携わることは、研究者としては、ほとんどメリットがない(自分の立場を危うくする)からだと思われます。
実際、宗教改革の中心指導者であった、カルヴィンも、聖書注解書を書いていますが、「ヨハネの黙示録」だけは著述しませんでした。
ただ、唯一例外は、逆の意味で『ヨハネの黙示録』が大好きなグループが存在します。それは米国のファンダメンタリストのグループです。「科学進化論」を独自に発表して物議を醸しているのもこのグループですが、ほぼそのまま、「復活」「携挙」「審判」「千年王国」を文字通り理解することを主張します。
純粋かつストレートな信仰姿勢に学ぶことも多いグループで、広義の「福音派」にも多大な影響力があります。
●解明02
日本の「ヨハネの黙示録」注解の現状
日本の聖書学者として『ヨハネの黙示録』の通論注解書としての代表作は、佐竹明の『ヨハネの黙示録』だと思われます。この書は、章だてに拘束されない論旨区分で、小見出しの付け方に学ぶことが多く、参考にさせていただきました。
文鮮明師は早稲田留学時代に聖書研究をしていましたが、文師は1920年聖誕で、その前に「洗礼ヨハネ」的な人物が表れ、主を待ち望むキリスト教の刷新運動をするであろうことは当然予想されるところです。
その人物こそ、内村鑑三です。
●内村鑑三の再臨運動
日本の再臨運動は、 1918年1月6日、内村鑑三、日本ホーリネス教会の中田重治らが神田YMCA講堂で「聖書の予言的研究講演会」開催から本格化しました。この運動は多くの聴衆を引きつけ連続講演を開催しましたが、1919年(大正8年)1月19日、内村鑑三が大阪中之島公会堂の再臨研究関西大会で2300人の聴衆を前に「伝道と基督の再臨」と題し最後の再臨講演を行い、その後終息しました。
黒崎幸吉(1886年(明治19年)5月2日 - 1970年(昭和45年)6月6日)は、その生涯を新約聖書の注解に捧げた人物です。内村鑑三からの薫陶で基督者となった黒崎幸吉は、堪能な語学力を駆使し、20数冊もの聖書注解書を比較検討し、注解を書き始めた当初は「文語訳」であった聖書も、途中「口語訳」に切り替わり、もっとも正しい聖書注解を祈り求めながら、独自の「新約聖書注解」を完成させました。
黒崎幸吉の「ヨハネの黙示録注解」は、『成約聖徒のためのヨハネの黙示録解明』資料篇に、既成キリスト教会解釈として参考資料として活用させていただきました。
尚、黒崎幸吉著 新約聖書注解はインターネットで公開されています。↓
1877年(明治10年) 生まれで 1950年(昭和25年)に永眠した波多野精一もまた、もう一人の日本における洗礼ヨハネ的人物ではないかと思われます。
波多野精一は、キリスト教はもとより、西洋哲学全般に精通し、京都大学教授として宗教哲学第二講座として基督教学を創始し、深い哲学的洞察に裏付けられたキリスト教理解は、数は少ないが珠玉の宝石のごとき名著を生み出しました。京都大学で波多野精一を講師としてささえたのが、後に東北学院大学教授になる山谷省吾です。(山谷省吾はハルナックの主著『キリスト教の本質(岩波文庫)』翻訳者としても著名です。)
●山谷省吾が編集した『新約聖書略解』
1955年7月7日初版発行の『新約聖書略解』(発行:日本基督教団出版局)は、口語訳聖書発刊とともに、1990年代に至るまで、日本の主流派キリスト者のスタンダードな聖書注解書であったと理解できます。ちなみに私の手元にある『増訂新版 新約聖書略解』は1994年5月1日発行で37版発行です。いかにこの注解書が、口語訳聖書注解の定本として読み継がれたかが理解できます。
山谷省吾が編集した『新約聖書略解』「ヨハネの黙示録」もまた、『成約聖徒のためのヨハネの黙示録解明』資料篇に、既成キリスト教会解釈として参考資料として活用させていただきました。
●解明03
既成キリスト教の「ヨハネの黙示録」解釈
解明02で紹介した日本基督教団出版局出版の『新約聖書略解』が、その後、新改訳への改編があったにせよ、「ヨハネの黙示録」注解のスタンダーであると理解できます。(黒崎幸吉の黙示録注解も、『新約聖書注解』と基本歩調は同じと理解できます。)
そこで、この本を基に、既成キリスト教会の「ヨハネの黙示録」解釈の概略を以下に示します。
●この書の時代設定と目的
この書を記述した見者ヨハネが、パトモス島に流されたのが西暦80年から90年頃と推定。当時の時代背景から、ローマ帝国支配下にあったキリスト教信徒に対する苦難と迫害に対する励ましの書として記述されたというのが、基本的なこの書が執筆された動機と理解していると思われます。
●「黙示」に対する理解
イエスキリストからの「黙示」という信仰的視点は堅持しつつ、受けた「黙示」を著述する際に、見者ヨハネは、「ダニエル書」「エゼキエル書」その他「偽典」とよばれる数多くのユダヤ教の黙示文学から学び、イエスキリストから受けた「黙示」を伝統的な黙示文学の技法にならい表現したと推察しているようです。
●「龍」「バビロン」「大淫婦」等の理解
時代設定がローマ帝国支配下の時代であることからの当然の帰結として、「龍」「バビロン」「大淫婦」等を象徴的表現と理解し、「ローマ帝国」または「ローマ帝国皇帝」として理解しているようです。
●解明04
統一教会の「ヨハネの黙示録」基本解釈
さて。
ここからは、一転して、統一教会における『ヨハネの黙示録』解釈の基本について説明します。
統一教会の基本的な『ヨハネの黙示録』解釈は、既成基督教会解釈とは、まったく異なります。(*聖書の「黙示」の性格上、これは充分に起こり得る相違なのです!)
結論から申します。
『ヨハネの黙示録』は、統一教会が再臨主と信じる文鮮明師と、その血統後継者による摂理的勝利路程を、神がイエスキリストを通じ黙示で記述したものなのです。
●おわりに
『ヨハネの黙示録』に対する「統一教会」解釈は、既成キリスト教会にとりましては異端解釈であることは論を待ちません。(そもそも統一教会は、既成基督教会からすれば三大異端筆頭であります。)
そこで、『ヨハネの黙示録解明』の前に、「成約聖徒のための」という装飾語をつけさせていただいたわけです。
既成基督教会が、これから紹介する『成約聖徒のためのヨハネの黙示録解明』を理解し受け入れることは、多くの時間を要することでしょう。
しかし、以下のような聖句がございます。
「人にはできない事も、神にはできる」 (ルカによる福音書18章27節)
「箸にも棒にもかからぬ」悪鬼のかしらの異端解釈が、正統的な『ヨハネの黙示録』解釈となる日がこないと、誰が断言できるでしょうか。
イエス様も、公生涯三年において、悪鬼のかしらとしてユダヤ教の公職者から蛇蝎のごとく嫌われたのであります。
統一教会とその教祖「文鮮明師」が、あまりにも不当な汚名を回復するときが、とうからず到来することを私は信じるものです。
人にはできなくても、神にはできるのですから・・・。
祈り。アージュ!
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おおくの成約聖徒に真実が届けられますように!
祈り。アージュ!